2016年08月26日

シューベルト/レクチャー&コンサート「あこがれ、さすらい、そして成熟」

☆シューベルト/レクチャー&コンサート「あこがれ、さすらい、そして成熟」

 ナビゲート:堀朋平
 フォルテピアノ、お話:鈴木優人
 ソプラノ:松井亜希
 テノール:松原友
 フォルテピアノ:重岡麻衣
(2016年8月25日19時開演/いずみホール)


 今年度のいずみホールのテーマ企画「シューベルト こころの奥へ」のプレ企画として開催された、シューベルト/レクチャー&コンサートに足を運んだ。
 ちなみにこのレクチャー&コンサートは招待制のものだったが、座席交換の際、こちらの細かい希望を叶えてもらうことができて、本当にありがたかった。
 よく当日座席指定とかいって、料金を平然ととっておきながらプロでもない団体が得手勝手な座席を押し付けてくることがあるが、ああいったとち狂った団体の責任者は、爪の垢でも煎じて飲んで欲しい。

 さて、今回は、「あこがれ、さすらい、そして成熟」と題して、シューベルトの音楽の持つ憧憬の念や精神的な彷徨、31年という短い生涯における作曲家としての成熟を中心にレクチャーと演奏が繰り広げられていた。

 鈴木優人が弾く楽興の時第3番D.780-3(NHKラジオ第1の『音楽の泉』のテーマ曲でもある)でスタートした第1部「シューベルト−詩と音楽の出会い」では、シューベルトの友人ショーバーの詩による『音楽に寄せて』D.547(松原友独唱)、同じく友人のマイアホーファーの詩による『あこがれ』D.516(松井亜希独唱)、ゲーテの詩による『糸を紡ぐグレートヒェン』D.118(松井亜希独唱)、『月に寄せて』D.296(松原友独唱)、『ただあこがれを知る人は』D.877-1(松井亜希、松原友二重唱)が演奏され、ナビゲーターの堀朋平(先頃、『<フランツ・シューベルト>の誕生』が法政大学出版局から刊行された)と優人さんによって、シューベルトが友人たちの助力によって「職業音楽家」の道を歩んだことや、彼の自然や希望、理想に対する憧憬の念、精神的逡巡や彷徨、ゲーテの詩による歌曲の変遷からうかがえる作曲家としての成熟について語られた。

 休憩を挟んだ第2部「成熟と深淵−後期を聴く」では、優人さんによってフォルテピアノの説明が行われたのち重岡麻衣が登場し、4手(連弾)のための小品「4つのレントラー」D.814がまず演奏される。
 その後、題名にもある通り、ザイドルの詩による『窓辺にて』D.878(松原友独唱)、『春に』D.882(松井亜希独唱)、そして再び重岡さんと優人さんの連弾でファンタジーヘ短調D.940と、後期の作品が演奏された。
 第2部になると、俄然堀さんのトークのエンジンがかかり、ときに優人さんが抑えにまわる場面も。
 最後に演奏されたファンタジー、特に中盤から終盤にかけての激しい表情の変化には、確かに深淵を覗く想いがした。
 重岡さん(高音部。フォルテピアノの鍵盤の右側)と優人さん(低音部。同左側)も、破綻を怖れない果敢さでこの作品に向き合っていたと思う。

 実は、このレクチャー&コンサートに応募した大きな理由は、鈴木雅明(優人さんのお父さん)指揮京都市交響楽団のモーツァルト・ツィクルスNr.21(2009年11月14日、京都コンサートホール小ホール)で実演に接したのち、今年4月のNHK・FM『リサイタル・ノヴァ』で改めて感心した松井亜希が出演するためで、今回も彼女の透明感があって伸びのある美しい声質と歌唱を堪能することができた。
 また、『糸を紡ぐグレートヒェン』はじめ、彼女の音楽の持つ劇性をとらえる能力を再認識できたことは大きな収穫だった。
 一方、松原友も濁りのない声質の持ち主で清潔感のある歌唱を披歴していたし、鈴木優人は歌曲の伴奏、連弾で独唱者や重岡麻衣をよく支え、密度の濃い音楽空間を創り出していた。
 また、忘れてならないのが、各々の音楽スタイルが共通していることによって均整のとれた演奏が生れていたことだ。
 演奏の合間のトークでも語られていたように、松原さんと優人さんは東京藝大の先輩後輩にあたり小林道夫の下でバッハを学んでいたし、同じ藝大出身の松井さんは鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンの公演に度々参加している。
 付け加えるならば、重岡さんも藝大出身で鈴木雅明にチェンバロ、通奏低音を学んでいた。
 特に、『ただあこがれを知る人は』とアンコールの『光と愛』D.352(コリンの詩による二重唱)での松井さんと松原さんの声が重なり合う部分の美しさには、強く心を動かされた。
(余談だけど、二人の独唱、優人さんの指揮で、メンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」を演奏してはもらえないものか。日本センチュリー交響楽団あたりどうだろう?)

 ときにくすぐりの入る堀さんと優人さんの掛け合いも、専門に寄り過ぎず、かといって、安易に過ぎず、企画の趣旨によく沿っていたのではないか。
 ただ、シューベルトの音楽の持つ社会性(当時のオーストリアの抑圧的な状況等々)について一切語られなかったことに、若干物足りなさを覚えたりしたが。

 いずれにしても、休憩を挟んで2時間とちょっと、大満足でした。
 ああ、素晴らしかった!!
posted by figarok492na at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪のいずみホールでシューベルトのレクチャー&コンサートを愉しんだ(深夜のCLACLA)

 どんよりとした感じは強かったものの、晴天が続く。
 ただし大阪では、夜、雨が降っていた。

 徐々に秋が近づいている感じはするが、日中はまだまだ暑さが厳しい。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 特に、熱中症にはお気をつけのほど。


 両耳の不調が続く。
 そして、身体が重たい。
 さあ、身体のメンテナンスだ!


 イタリア中部の地震で、200人以上の方が犠牲になったと。
 深く、深く、深く、深く、深く黙祷を捧げます。


 民進党の代表選出馬にあたって、前原誠司が人心一新を訴えているという。
 人心一新を口にするなら、まず自分が身を引くことが大事なのではないか。
 なんともかとも。


 癒着の党が蠢いている。
 裏もへったくれもなく与党と絡みついている連中だ。
 忌むべし。


 昨夜、1時少し前に寝床に就き、7時少し前に起きる。


 午前中、リカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ・フィルが演奏したニーノ・ロータの映画音楽集<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の筆入れと打ち直しを行ったりする。
 『痾紅毛日記』は、第二稿が完成した。
 もちろん、筆入れ作業はまだまだ続く。


 10時台に外出して、銀行や郵便局を回り用件を片付ける。

 いったん帰宅したのち再び外出し、下京図書館へ。
 ニーノ・ロータの映画音楽集、エサ・ペッカ・サロネン指揮ロスアンジェルス・フィルが演奏したバーナード・ハーマンの映画音楽集<同>、吉野孝雄の『外骨戦中日記』<河出書房新社>、町田康の『ギケイキ』<同>、重松清の『赤ヘル1975』<講談社>、宮下遼の『無名亭の夜』<同>、畑野智美の『ふたつの星とタイムマシン』<集英社>を返却し、予約しておいた篠田節子の『ミストレス』<光文社>、直原冬明の『十二月八日の幻影』<同>、原田マハの『太陽の棘』<文藝春秋>、一條次郎の『レプリカたちの夜』<新潮社>、中山可穂の『娘役』<角川書店>、ラファウ・プレハッチが弾いたショパンのポロネーズ集<ドイツ・グラモフォン>、ウラディーミル・アシュケナージ他が弾いたラフマニノフ・トランスクリプションズ<DECCA>を新たに借りる。


 午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、プレハッチが弾いたショパンのポロネーズ集を聴く。
 プレハッチの弾くショパンのポロネーズには硬質というか、角の粗さを感じる。


 仕事関係の作業を進めたり、『ミストレス』を読み始めたりする。


 友だちと会いそびれた。
 残念。


 16時過ぎに外出して、祇園四条から京阪で京橋へ。
 いずみホールで、シューベルト/レクチャー&コンサート「あこがれ、さすらい、そして成熟」を愉しむ。
 詳しくは、次回の記事をご参照のほど。
 大好きな声質の松井亜希さんが目的だったのだけれど、テノールの松原友さんの歌声も耳馴染みがよく、鈴木優人さんと重岡麻衣さんのフォルテピアノも今回のテーマにぴったりの演奏だった。
 堀朋平さんと鈴木さんのお話もなかなか面白く、結果大満足。
 ああ、素晴らしかった!

 京橋から京阪で祇園四条に戻り、夕飯用の買い物をすませて22時40分過ぎに帰宅する。


 帰宅後、諸々作業を進める。


 以上、8月25日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする