2016年08月20日

おもひでがいっぱい(CLACLA日記)

 晴天が続く。
 ただし、どんよりとした感じもあり。
 台風が近づいている。

 気温はまだまだ上昇し、暑さがとてつもなく厳しい。
 暑い暑い暑い暑い暑い。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 特に、熱中症にはお気をつけのほど。


 両耳の不調が続く。


 政治的なテロと、それを利用したフレームアップがこれから続々と起こってしまうのではないか。
 そのことがとても心配である。


 目くらましの八百長猿芝居が横行しまくっている。
 騙されまい。


 昨夜、1時半過ぎに寝床に就き、7時40分過ぎに起きる。


 午前中、エサ・ペッカ・サロネン指揮ロスアンジェルス・フィルが演奏したバーナード・ハーマンの映画音楽集<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の筆入れと打ち直しを行ったりする。


 午後、仕事関係の予定をすませる。

 その後、リカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ・フィルが演奏したニーノ・ロータの映画音楽集<同>、チェロのアンネー・ビルスマとフォルテピアノのスタンリー・ホックランド他が演奏した『チェロとプロシア王』<同>、KBS京都の『つぼからボイン』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の打ち直しを行ったりする。


 重松清の『赤ヘル1975』<講談社>を読了する。
 赤ヘル軍団こと広島東洋カープがリーグ初優勝を果たした1975年の広島を舞台に、転校生と地元の中学1年生たちが深い友情を結ぶまでを丹念に描いた長篇小説。
 エピソードの積み重ねが巧く、またウェットに過ぎない筆致が物語の展開によく合っている。
 そして、重松さんの登場人物たちへの暖かい眼差しと、被爆体験をはじめとした過去への謙虚で真しな姿勢に強く心を動かされた。
 ああ、面白かった!!


 17時台に外出して、寺町へ。
 仕事関係の用件を片付ける。
 その後、夕飯用の買い物をすませて、19時頃帰宅した。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの特集番組『メニューイン変奏曲』の第3変奏を聴く。
 今夜も、ゲストは古澤巌と相場ひろの二人。
 子息のジェレミー・メニューインとの録音や、シンフォニア・ヴァルソヴィアとの録音が放送されていたので、1993年の9月26日にケルンのフィルハーモニーでユーディ・メニューイン指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアのコンサートを聴いたことを思い出した。
 あの日は確かオール・ベートーヴェン・プログラムで、ジェレミーがピアノ協奏曲第1番のソロを務めていたのだけれど、タイプライターか何かを打っているような素っ気ない演奏に鼻白んだ記憶が残っている。

 続けて、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他と第21番&さすらい人幻想曲<ともにPHILIPS>を聴く。
 ブレンデルのシューベルトの第20番のソナタを聴くと、大学1回(1年。1988年)のとき、当時好きだった人と聴きに行ったザ・シンフォニーホールでの来日リサイタルのことをどうしても思い出す。

 年齢を重ねると、思い出すことがいっぱいだ。


 夕飯後、『痾紅毛日記』の筆入れと打ち直しを行う。
 筆入れは、原稿用紙に換算して90枚分まで終わった。
(打ち直しに相当手間がかかるんだよね…)


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。
(昨日は、京都市交響楽団の定期演奏会が始まる前に、出町商店街のゑびす屋で買ったクリームとアプリコットジャムの入った菓子パンを食したのである。久しぶりの甘いもので、まあまあ美味しうございました)


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都市交響楽団第604回定期演奏会

☆京都市交響楽団第604回定期演奏会

 指揮:沼尻竜典
 独奏:石井楓子(ピアノ)
管弦楽:京都市交響楽団

 座席:3階LB1列5番
(2016年8月19日19時開演/京都コンサートホール大ホール)


 欧米のように9月からのシーズン・スタートというわけではないのだけれど、夏休みとの兼ね合いか、それより何より、暑いさ中にまじめなプログラムのコンサートもないだろうということか、この国のプロ・オーケストラも基本的に8月には定期演奏会を開催してこなかった。
 ところが、もう何年前からになるか、少しずつ8月に定期演奏会を開催するオーケストラが増えてきた。
 さしずめ京都市交響楽団など、その先駆けの一つということになるのではないか。
 それでも、軽めの作品を並べたり合唱曲をメインに置いたりするなど、8月ならではのプログラムが組まれてきたことも事実だ。
 それが、今年の第604定期演奏会は三善晃のピアノ協奏曲にショスタコーヴィチの交響曲第4番と、京都コンサートホールの舞台上に弦管打楽器ハープにチェレスタ、所狭しと楽団員が居並ぶ超大編成の本格的プログラムのコンサートとなった。

 なお、通常配置をとった今回の定期では、ゲストコンサートマスターにインテリヤクザかEXILEのメンバーかといった風貌の石田泰尚(神奈川フィル)を迎えたほか、チェロのトップにルドヴィート・カンタ(オーケストラ・アンサンブル金沢)が座るなど、要所を客演陣が固めていた。
 そうそう、余談だけれど、当方が初めて聴いた海外のオーケストラのコンサート、スロヴァキア・フィルの長崎公演(1987年5月5日、長崎市公会堂/武藤英明指揮)でドヴォルザークのチェロ協奏曲のソロを務めていたのだがこのカンタさんで、なんとも懐かしかった。

 プログラム前半の三善晃のピアノ協奏曲は、急緩急三部構成による1楽章形式の作品で、演奏時間は15分程度。
 ただし、その15分の中に作曲家の才気が凝縮されており、間然するところのない内容となっている。
 ショスタコーヴィチの交響曲第4番との対比という意味でも、興味深い選曲だと思う。
 特に、緊張が高まった第2部(緩)から第3部(急)でそれがぱっと開放されていくような感じが強く印象に残った。
 石井楓子は作品をよくその手の内におさめていて、安定した演奏。
 表現が硬質でないというか、抒情性に若干傾くというか、ロマンティックな作品が得意なように感じられた。
 指揮の沼尻竜典にとって三善晃は作曲の師にあたるわけだが(プレトークでも説明あり)、腑分けのしっかりした解釈で石井さんを支えるとともに、ときに独奏よりも雄弁に表現を行っている箇所もあったように思う。

 プログラム後半は、ショスタコーヴィチの交響曲第4番。
 間奏曲的な第2楽章を挟む長大な両端楽章というアンバランスな構成(演奏時間は約1時間)、先述した如き超大な楽器編成、おまけに作曲家自身がスターリン政権下の政治的な圧迫を慮って初演をキャンセルし、結局作曲から25年以上経った1961年に初演されるという曰く因縁つきと、どうにも一筋縄ではいかない作品である。
 20世紀後半以降、ようやく日本でも演奏される機会が増してはきたが、それでも頻繁にプログラミングされる作品とはいえない。
 当方も、生でこの交響曲を聴くのは今回が初めてだった。
 まずもって、聴く側にとっても演奏する側にとっても、労少なくない作品というのが、いっとう最初の正直な感想だ。
 三善晃のピアノ協奏曲とは対照的に、作曲家のあふれんばかりな才気、楽想、意志がこれでもかと言わんばかりに盛り込まれ、詰め込まれ、結果あるは舞台音楽か映画音楽のパスティーシュそのままのわっかりやすい旋律、あるは兇暴強烈な咆哮と次から次へと音楽が目まぐるしく変化していく。
 表面的技術的な難所急所も丸わかりだし(弦楽器の早弾きとか)、その上総体としての「ミスティフィケーション」というのか、単純にそれを政治的社会的なモティーフに還元することは避けたいものの、やはりショスタコーヴィチが置かれた諸状況が作品全体に靄をかけているかのようなとっつきにくさを与えていることも否めない。
 一つ間違うと、とっちらかってややこしい印象ばかりが残りかねないことになるのだが、沼尻竜典と京響の面々は、労を重ねることによって、作品の持つ特性や妙味を的確に描き出していたのではないか。
 上述したパスティーシュ的な楽想楽句ばかりでなく、シリアスな部分においても沼尻さんの劇場感覚(音楽の「劇性」の把握)は十全に発揮されていたと思うし、オーケストラもそうした沼尻さんの解釈に従って、ソロ・アンサンブル両面で高い水準の演奏を披歴していた。
 特に、今回こうやって実演に接することで、この曲のマーラーからの影響や、この曲が如何にして交響曲第5番に「改善」されていくのかを実感できたのは大きな収穫だった。
 というか、それより何より、第1楽章や第3楽章終盤の圧倒的な強奏。
 そして、全ての楽器が鳴り終えたあとの静寂。
 沼尻さんの祈るかのような姿勢と、まさしく息を殺すかのような20秒ほどの時間は、生ならではのものだろう。
 足を運んで本当によかった。

 それにしても、京都市交響楽団は掛け値なしにすごいオーケストラになってきているなあ。
 クラシックなんてようわからん、という人にもぜひご一聴いただきたい。

 ああ、素晴らしかった!!
posted by figarok492na at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする