2016年08月06日

広島への原爆投下から71年が経った(CLACLA日記)

 アメリカ合衆国政府による広島市への原子爆弾の投下から71年が経った。
 犠牲となられた全ての方々に、深く、深く、深く、深く、深く黙祷。


 晴天からどんよりとしたお天気へ。
 夕方には雨も降った。

 気温は激しく上昇し、猛暑を超えて烈暑とでも呼ぶべきとてつもない暑さになった。
 暑い暑い暑い暑い暑い。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 特に、熱中症にはお気をつけのほど。


 両耳の不調が続く。
 そして、若干暑気あたりの気味も。


 リオ五輪が開幕したとか。
 リオの話はひとまず置いて、東京五輪は返上してしまったほうがよいのではないか。
 新しい小池都知事もそうだし、森喜朗や竹田某もそうだし、醜い連中が群がり過ぎていて、どうにもお話にならない。
 なんともかとも。


 昨夕外出して、アトリエ劇研へ。
 努力クラブ第11回公演『ピエロどうもありがとうピエロ』(合田団地君作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 合田君や出演者の丸山交通公園君、アフタートーク・ゲストの月亭太遊さんをはじめ、関係各氏と開演前終演後、いろいろと話をする。
 楽屋での初日打ち上げに、ちらと参加させてもいただいた。

 その後、夕飯をすませて、23時過ぎに帰宅する。


 帰宅後、諸々用件を片付けて2時近くに寝床に就き、7時40分過ぎに起きる。


 NHKのラジオ第1で、広島市の原爆記念式典の実況中継を聴きながら原爆投下の8時15分に黙祷する。
 安倍首相があれこれ語っていたが、子飼いの稲田防衛大臣にも憲法上核保有に限定はないなどと継続して言わせている人間が何をぬかすかである。
 目先鼻先口先舌先の信用に値しない人物だと改めて思う。


 午前中、マリア・ジョアン・ピリスが弾いたシューマンのピアノ作品集<ドイツ・グラモフォン>、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、観劇記録を投稿したり、『痾紅毛日記』を書き進めたりする。
 『痾紅毛日記』は、原稿用紙108枚分を超えた。
 あと一日分で第一稿の完成である。


 午後、丸山交通公園君と玉木青君のネットラジオ(長尺。面白し)や、フォルテピアノのメルヴィン・タンとニコラス・マッギガン指揮フィルハーモニア・バロック管弦楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第19番&第18番<ハルモニアムンディ・フランス>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 田中慎弥の『炎と苗木』<毎日新聞出版>を読了する。
 下関出身ということも加わって、田中さんの安倍首相批判は激しい。
 そして、言論の自由が狭められていることへの反応も如実に示されていた。
 いろいろと考えることあり。


 16時過ぎに外出して、仕事関係の用件を片付ける。
 その後、下京図書館へ。
 『炎と苗木』、鷲田康の『長嶋茂雄最後の日。』<文藝春秋>、天瀬裕康の『悲しくてもユーモアを』<論創社>、高槻真樹の『映画探偵』<河出書房新社>、本谷有希子の『異類婚姻譚』<講談社>、木内昇の『よこまち余話』<中央公論新社>、シューマンのピアノ作品集、オーボエのダグラス・ボイドとピリスが演奏した同じくシューマンのオーボエとピアノのための作品集<ドイツ・グラモフォン>を返却し、予約しておいた村上春樹の『女のいない男たち』<文藝春秋>、辻村深月の『家族シアター』<講談社>、沼野充義の『チェーホフ』<同>、加藤元の『蛇の道行』<同>、フォルテピアノのクリスティアン・ベザイデンホウトとフライブルク・バロック・オーケストラが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第17番&第22番、ロンドイ長調<ハルモニアムンディ・フランス>、クラヴィコードのクリストファー・ホグウッド他が演奏した同じくモーツァルトのクラヴィコード作品集『シークレット・モーツァルト』<DHM>を新たに借りる。

 その後、雨の中を寺町通まで出て別の仕事関係の用件を片付け、夕飯用の買い物をすませて17時過ぎに帰宅する。
 途中、100均ショップのキャンドゥで、ゼブラの使い切り万年筆・フェンテを購入した。
 今後の執筆活動との兼ね合いで、ここのところ100均で売られている簡易万年筆を購入して、その書き心地を調べているのだ。


 帰宅後、ベザイデンホウト他が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲集を聴く。
 同じレーベルからリリースされたタンとマッギガンの演奏(上述)がたおやかで柔らかな印象が強いのに対し、こちらはオーケストラの特性もあってかソリッドな感じが強い。
 と、言っても、がちがちで融通がきかない演奏とは正反対で、特にベザイデンホウトなど表現の細やかさも魅力的だが。


 18時過ぎから、仕事関係の予定をすませる。


 で、19時半頃予定を終える。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『N響 ザ・レジェンド』を聴く。
 8月6日ということもあり、「デュトワの祈りの音楽」と題して、シャルル・デュトワ指揮によるフォーレのレクイエム、オネゲルの交響曲第3番「礼拝」、プーランクの黒い聖母への連祷が放送されていた。

 続けて、『クラシックの迷宮』を聴く。
 こちらはずばり、「原爆と音楽」という特集が組まれていた。
 久しぶりに『原爆許すまじ』を全曲聴くことができたほか、収穫非常に多し。

 さらに、『シークレット・モーツァルト』を聴く。
 モーツァルトの遺した鍵盤作品をクラヴィコードで演奏したアルバム。
 音量が非常に小さい楽器だが、ブックレットにある通り平常のヴォリュームで聴く。
 で、もどかしさと細やかさがあいまって、実に得難い体験ができる一枚。
 なお、トラック16〜18の主題と2つの変奏曲イ長調K.460は、ブックレットの解説に書かれている如くジュゼッペ・サルティの歌劇『他人のけんかで得をする』のアリアの主題によるものだが、さらに付け加えると、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』第2幕の終曲、ドン・ジョヴァンニの食卓で演奏される音楽である。
 このアリアを比較的手軽に聴きたい方には、バリトンのロベルト・スカルトリーティとクリストフ・ルセ指揮レ・タラン・リリクが演奏した『モーツァルトと同時代のウィーンの作曲家たち』<オワゾリール>というオペラ・アリア集がお薦めだ。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『女のいない男たち』を読み始めたりする。
 久しぶりに、村上春樹の作品を読む。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

努力クラブ第11回公演『ピエロどうもありがとうピエロ』

☆努力クラブ第11回公演『ピエロどうもありがとうピエロ』

 作・演出:合田団地
(2016年8月5日19時15分開演の回/アトリエ劇研)


 白く塗り固めたかんばせに、派手派手しい身形。
 と、言っても最近どこかの知事となった女性のことではない、ピエロである。
(いやいや、もしかしたら彼女もそのうちの一人なのかもしれないが)
 滑稽な風貌仕種とは裏腹に、素顔がしかとは窺い知れないそのあり様には、曰く言い難い哀しさと不気味さがいつも付きまとう。
 実際、そんなピエロの存在は多くの表現者の創作意欲を掻き立ててきた。
 シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』にフェデリコ・フェリーニの『フェリーニの道化師』、江戸川乱歩の『地獄の道化師』。
 そういえば、さだまさし主演の映画に『翔べイカロスの翼』なんてものもあった。
 努力クラブにとって11回目の本公演となる『ピエロどうもありがとうピエロ』もまた、タイトル通り、ピエロが重要な役回りを果たす作品だ。
 むろんそこは合田団地のことだから一筋縄ではいかず、定石を外れてなんぼの劇運びでもあるのだけれど、それでも先達が指し示してきた印象感覚をしっかり受け継いでいたのではないだろうか。

 どうにも生き辛い男(大石英史)がいる。
 仕事先でも上司(酒井信古)になじられてばかりいる。
 しかしながら、男はそのことに得心がいっていない。
 謝れと言われれば、ただ謝るばかり。
 どうやら男は、自分に何かが欠けていることに気づけていないようだ。
 そんなとき、男は彼女(ヒラタユミ)から気晴らしにでもとサーカスに誘われる。
 そこで男はピエロ(丸山交通公園)に出会って…。

 といった具合に、『ピエロどうもありがとうピエロ』は進んで行く。
 ある種通過儀礼的な巡礼彷徨が設けられていたり、男を包み込もうとする女性が存在したりと、これまでの一連の作品に通じるモティーフがそこここに嵌め込まれていることは確かだが、今回の作品では「男芝居」というのか、男とピエロそれぞれを取り巻く状況や、両者の関係に主眼が置かれている。
 正直、いつも以上に好みが大きく分かれる内容だと思うし、物語の進行上の都合もあってだろう、若干停滞する箇所もなくはない。
 また、僕の観た回は、初日ということで、まだ巧く笑いがはまっていない部分も多々見受けられた。
 それでも、この『ピエロどうもありがとうピエロ』は掛け値なしに面白い。
 中でも、中盤の一見突拍子もなく見える「跳躍」や、男とピエロの「対峙」、諸々を経た上でのラストは大きな見どころだし、それより何より、合田君の真情が一層ストレートに表出されている点に強く心を動かされた。
(アフタートークで落語家の月亭太遊さんが鋭い指摘を加えつつ、男やピエロに何が仮託されているのかを合田君より巧く訊き出していた。合田君と長い付き合いもあってだが、流石は道化中の道化の一人、笑いのプロであると改めて感心した)
 あと、肝の部分以外、例えばピエロとインタビュアー(杉本奈月)のやり取りなど、細かな台詞にも注意を払っていただければ幸いである。

 演者陣では、まずもって男を演じた大石君とピエロの丸山君の二人。
 男のどうしようもなさと危うさを体現した大石君、辛抱立役とはちょっと違うけれど、はじめの飛車角落ち手足を縛られたような状態から我慢を重ね、悲哀を滲ませた丸山君、いずれも合田君の真情をくみ取りながら、そこに自分自身の真情をどう重ねていくか、「努力」を重ねていた。
 もちろん上述した人々のほか、池浦さだ夢団長、西野恭一、安藤ムツキ、熊谷みずほ(どちらかというと今回は軽い役回りだったが、どうしても彼女には「ヒロイン」的な雰囲気が漂う)、キタノ万里、佐々木峻一(またもがなる人に戻っていた)の演者陣も、それぞれの役柄にあった演技を行っていた。
 ただ、今回は努力クラブに初出演の人が多いこともあり、それがプラスに働く反面、個々の技量の長短の前に個々の演者間の齟齬というのか距離が気になったことも事実だ。
 それでも、結果的には際どい部分でバランスがとれていたと思うが、今後さらに新しい顔触れが座組みに加わる可能性は高く、肩書は別として、例えばかつての長坂ひかるさんのような、合田君の意図や気持ちを忖度できる人材が新たに必要なのではないかと思ったりもした。

 いずれにしても、ご都合よろしい方はぜひ!
 ああ、面白かった!!
posted by figarok492na at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする