2016年07月20日

大橋巨泉が亡くなった(CLACLA日記)

 タレントでテレビ司会者として一世を風靡した大橋巨泉が亡くなった。82歳。
 1934年(昭和九年会の一人)、東京に生まれる。
 ジャズ評論家、放送作家ののち、日本テレビの『11PM』のホストに抜擢され、以後『前武×巨泉ゲバゲバ90分!』、『お笑い頭の体操』、『クイズダービー』、『世界まるごとHOWマッチ』などの司会者として人気を博した。
 いわゆる「セミリタイア」後、民主党から参議院選に立候補し当選したが、すぐに辞職。
 ここ10年ほどは、闘病生活を続けていた。
 永六輔、ザ・ピーナッツの伊藤ユミに続いて、また一人テレビの黄金時代を知る人が亡くなった。
(あくまでも一面的な観察ではあるのだけれど、大橋巨泉の実像の一端については、小林信彦の『テレビの黄金時代』<文春文庫>に触れられている)
 大橋巨泉という人をどうとらえるかはひとまず置くとして、彼と同じ世代の少なからぬ人たちには、戦時中の悲惨で苦しい体験が根底にあるのだということを改めて強く感じる。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 晴天が続く。

 気温も上昇し、暑さがとても厳しい。
 暑い暑い暑い。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 特に、熱中症にはお気をつけのほど。


 両耳の不調が続く。


 アメリカ大統領選挙。
 共和党の大統領候補にドナルド・トランプが正式に指名された。
 いろいろと考えることあり。


 自民党が調査した教育の中立性を欠く事例の中には、「安保法案に賛成」というものはなかったのだろうか。
 もし、そうした事例が全く含まれていないというのであれば、それこそ中立性もへったくれもない得手勝手な物言いだと言うほかない。


 昨夜、1時近くに寝床に就き、7時に起きる。

 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの管弦楽曲集<タワーレコード/DECCA>、リカルド・シャイー指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団他が演奏したルチアーノ・ベリオのトランスクリプション集<DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 9時半に外出して、下京図書館へ。
 豊下楢彦の『昭和天皇の戦後』<岩波書店>、桐野夏生の『ハピネス』<光文社>、柚月裕子の『パレートの誤算』<祥伝社>、山下澄人の『鳥の会議』<河出書房新社>、中原昌也の『軽率の曖昧な軽さ』<同>、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」&第8番、第6番「田園」&第2番<ともにRCA>を返却し、予約しておいた西村賢太の対談集『風来鬼語』<扶桑社>、中野明の『グローブトロッター』<朝日新聞出版>、佐々木健一の『辞書になった男』<文藝春秋>、桐野夏生の『奴隷小説』<同>、西山ガラシャの『公方様のお通り抜け』<日本経済新聞出版社>、シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏したブラームスのピアノ協奏曲第1番&第2番(ネルソン・フレイレの独奏)、セレナード第1番&第2番<ともにDECCA>を新たに借りる。


 帰宅後、早速ブラームスのセレナード集を聴く。
 すでに、交響曲・管弦楽曲集で接していた通り、最近流行のピリオド・スタイルを意識しつつ、細かく解釈がなされた演奏。
 だと思うんだけれど、それに加えて、というかそれよりも前に、シャイーという指揮者の熱気、前のめり感がよく出ていて、それが作品の雰囲気によくあっている。

 仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』を書き進めたりする。
 『痾紅毛日記』は、原稿用紙に換算して51枚分を超えた。


 午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』や、ブラームスのピアノ協奏曲集を聴く。
 ここでも、シャイーとオーケストラはシンフォニックでエネルギッシュな演奏を繰り広げる。
 時折、フレイレの特性とのコントラストを感じたりもする。

 仕事関係の作業を進めたり、足立明の『砂漠の王子とタンムズの樹』<PHP>を読み進めたり、『風来鬼語』を読み始めたりする。


 17時過ぎに外出して、京都文化博物館や京都芸術センターで用件を片付け、夕飯用の買い物をすませて、18時過ぎに帰宅した。


 再びブラームスのセレナード集を聴いたりしながら、雑件を片付ける。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、サラ・デイヴィス・ビュクナーの来日ピアノ・リサイタルのライヴ録音(2016年4月1日、京都府立府民ホール・アルティ)を聴く。
 ブゾーニのピアノ作品がまとめて演奏されたコンサートだった。

 続けて、ブラームスのピアノ協奏曲第1番&第2番を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進める。


 『砂漠の王子とタンムズの樹』を読了する。
 『妖怪人間ベム』の原作・脚本などで知られた、著者足立明の遺稿の中から見つかった作品である。
 自己犠牲を尊ぶなど、作品に色濃く反映された世界観は確かに『妖怪人間ベム』とも深く通じているように思う。
 ああ、面白かった!

 『風来鬼語』も読み進める。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 馬鹿につける薬はない。
 そして、馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿者だ。
 一番の馬鹿者にはなるまい。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする