青空は見えつつも、どんよりとした感じも強し。
気温は上昇し、初夏の訪れすら感じる陽気。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
黄砂禍に、両耳の不調と体調あまり芳しからず。
やれやれ。
衆議院補選。
北海道5区は、自民党の和田候補が勝利する。
ただし、野党共闘の池田候補も善戦だったようだが。
毎度のことながら、見え見え馬鹿丸出しの目くらましや八百長猿芝居が横行している。
騙されまい。
昨夜24時半過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
ピアノのエレーヌ・グリモーとバイエルン放送交響楽団室内管弦楽団他が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第19番&第23番他<ドイツ・グラモフォン>、ピアノのスヴェトラ・プロティッチが弾いたモーツァルトのロンド<キング>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
9時頃外出して仕事関係の雑件を片付け、郵便局や銀行を回る。
帰宅後、ヴェラー・カルテットが演奏した『カルテット・パーティー』<タワーレコード/DECCA>、フェルディナント・ライトナー指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」&第31番「パリ」、『レ・プティ・リアン』序曲<同/ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、『犬神家の末裔』の手直しをしたり、書き進めたりする。
気がつけば、『犬神家の末裔』は、原稿用紙に換算して100枚近くなっていた。
正午過ぎ、『犬神家の末裔』の下書き分を第24回として投稿する。
午後、リカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第1番&第3番、第2番&第4番、悲劇的序曲他<DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、原彬久の『戦後政治の証言者たち』<岩波書店>を読み進めたり、部屋の片付けをしたりする。
まもなく外出し、錦湯さんへ。
28回目となるネオ落語・セントラルなり。
今週は月亭太遊さんは別の落語会でお休みだが、果たしてどんな感じになるだろう。
それもまた愉しみだ。
それじゃあ、行って来ます!
2016年04月25日
強く印象に残る京都小劇場の演者さんを記そうとしたが断念した
十年ひと昔というが、十五年以上も前のことになると、それも相当トリビアルな内容ともなると、なかなかネットの世界では詳細な情報が手に入りにくい。
先日、本当に観ておいてよかった京都小劇場の公演について記したが、「それじゃあ、あそこに書かれているほかに、あなたの記憶に残った演者さんはいませんか」という問い合わせをいただいた。
それで、せっかくだから改めてそこらあたりのことを記してみようかと思って、作業を始めたのだけれど、すぐに挫折した。
と、言うのも何を観劇したかという記録はしっかりメモしているのだけれど、キャスト等演者さんの名前は全くメモしていない。
しかも、十年前の引っ越しの際に、昔のチラシやパンフ類はえいままよとばかり、あらかた始末してしまった。
だから、ネットが全盛となる前の公演に関しては、演者さんの正確な名前が思い出せないのである。
舞台上の彼彼女らの演技は、はっきりと覚えているのにだ。
例えば、2001年の2月に京都府立文化芸術会館のホールで観た、劇団飛び道具の『改訂版 茜雲』。
もちろん、藤原大介、山口吉右衛門、伊沢はるひ、山本麻貴(以上敬称略)といった人たちは言うまでもない。
あの頃から達者な演技だったし、彼彼女らも非常に印象的だった。
ただ、それにも増して僕の記憶に強く焼き付いているのは、出演シーンも台詞も少なかったはずの、医者か何かの小僧を演じていた女性だ。
呉竹さんだか、若竹さんだか、そんな名前だったような気もするが、残念ながらちゃんとした名前を思い出せない。
そして、あえて僕が記しておくのであれば、今や小劇場からはいなくなってしまったそういった人たちのほうこそではないかとも思い、問い合わせへのお答えを断念することにした。
僕自身、とても残念でならないが。
先日、本当に観ておいてよかった京都小劇場の公演について記したが、「それじゃあ、あそこに書かれているほかに、あなたの記憶に残った演者さんはいませんか」という問い合わせをいただいた。
それで、せっかくだから改めてそこらあたりのことを記してみようかと思って、作業を始めたのだけれど、すぐに挫折した。
と、言うのも何を観劇したかという記録はしっかりメモしているのだけれど、キャスト等演者さんの名前は全くメモしていない。
しかも、十年前の引っ越しの際に、昔のチラシやパンフ類はえいままよとばかり、あらかた始末してしまった。
だから、ネットが全盛となる前の公演に関しては、演者さんの正確な名前が思い出せないのである。
舞台上の彼彼女らの演技は、はっきりと覚えているのにだ。
例えば、2001年の2月に京都府立文化芸術会館のホールで観た、劇団飛び道具の『改訂版 茜雲』。
もちろん、藤原大介、山口吉右衛門、伊沢はるひ、山本麻貴(以上敬称略)といった人たちは言うまでもない。
あの頃から達者な演技だったし、彼彼女らも非常に印象的だった。
ただ、それにも増して僕の記憶に強く焼き付いているのは、出演シーンも台詞も少なかったはずの、医者か何かの小僧を演じていた女性だ。
呉竹さんだか、若竹さんだか、そんな名前だったような気もするが、残念ながらちゃんとした名前を思い出せない。
そして、あえて僕が記しておくのであれば、今や小劇場からはいなくなってしまったそういった人たちのほうこそではないかとも思い、問い合わせへのお答えを断念することにした。
僕自身、とても残念でならないが。
犬神家の末裔 第24回
*犬神家の末裔 第24回
「さゆっぺ」
と、大きな声がしたのは、早百合がアーケード街の文具店に入ろうとしたときだった。
驚いて振り返ると、そこには膨らみきった百円ショップのビニール袋を手にした沙紀が立っていた。
「さっちゃん」
「帰ってたんだ」
「うん、母さんが倒れちゃって」
「えっ、おばさん」
「軽い心筋梗塞だって」
「大丈夫なの」
「腎臓も弱ってるらしいけど、今のところは。今朝病院に言ったら、意識も戻ってた」
「そうかあ。それはよかったね」
「さっちゃんは」
「買い物買い物。たいしたもんじゃないけど」
沙紀はビニール袋の中から、マレーシア産のチョコチップクッキーの箱を取り出してみせた。
「おやつ」
「私んじゃないよ、子供たちの」
沙紀は微笑むと、
「今から空いてる」
と訊いてきた。
「空いてる」
「じゃあ、お昼でもどう」
「いいよ」
早百合は軽い調子で応じた。
沙紀と早百合はアーケード街を細い路地に逸れてすぐのところにある、ジャコモというイタリアン・レストランに入った。
作曲家のファーストネームが店名の由来というだけあってか、プッチーニの『ラ・ボエーム』が小さな音で流されている。
どうやら沙紀はこの店の常連らしく、シェフに一言断ると、窓際のテーブル席に腰を下ろした。
ランチのピークを過ぎたこともあってか、早百合と沙紀以外、店内に客はいなかった。
と、シェフの傍にいる早百合たちと同年代らしき女性が、こちらのほうに軽く手を振っている。
「ほら、さゆっぺ」
「えっ」
「二人」
「何」
「戸倉君と由美子」
「えっ」
沙紀の言葉によく確かめてみると、二人は早百合の小学校時代の同級生、戸倉学と井田由美子だった。
慌てて早百合は手を振り返した。
「相変わらずだなあ」
「しょうがないっぺ」
早百合はわざとらしく那須の方言を使った。
「さゆっぺ」
と、大きな声がしたのは、早百合がアーケード街の文具店に入ろうとしたときだった。
驚いて振り返ると、そこには膨らみきった百円ショップのビニール袋を手にした沙紀が立っていた。
「さっちゃん」
「帰ってたんだ」
「うん、母さんが倒れちゃって」
「えっ、おばさん」
「軽い心筋梗塞だって」
「大丈夫なの」
「腎臓も弱ってるらしいけど、今のところは。今朝病院に言ったら、意識も戻ってた」
「そうかあ。それはよかったね」
「さっちゃんは」
「買い物買い物。たいしたもんじゃないけど」
沙紀はビニール袋の中から、マレーシア産のチョコチップクッキーの箱を取り出してみせた。
「おやつ」
「私んじゃないよ、子供たちの」
沙紀は微笑むと、
「今から空いてる」
と訊いてきた。
「空いてる」
「じゃあ、お昼でもどう」
「いいよ」
早百合は軽い調子で応じた。
沙紀と早百合はアーケード街を細い路地に逸れてすぐのところにある、ジャコモというイタリアン・レストランに入った。
作曲家のファーストネームが店名の由来というだけあってか、プッチーニの『ラ・ボエーム』が小さな音で流されている。
どうやら沙紀はこの店の常連らしく、シェフに一言断ると、窓際のテーブル席に腰を下ろした。
ランチのピークを過ぎたこともあってか、早百合と沙紀以外、店内に客はいなかった。
と、シェフの傍にいる早百合たちと同年代らしき女性が、こちらのほうに軽く手を振っている。
「ほら、さゆっぺ」
「えっ」
「二人」
「何」
「戸倉君と由美子」
「えっ」
沙紀の言葉によく確かめてみると、二人は早百合の小学校時代の同級生、戸倉学と井田由美子だった。
慌てて早百合は手を振り返した。
「相変わらずだなあ」
「しょうがないっぺ」
早百合はわざとらしく那須の方言を使った。