2016年04月21日

雨降り 体調、芳しからず(CLACLA日記)

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。


 風邪が進んでいるのか、肺の奥に重たい感じがあり。
 加えて、気圧と湿度のWパンチ。
 体調、芳しからず。
 やれやれ。


 政府は、実は熊本大分の地震に対する激甚災害の指定に消極的だとのツイートが流れてくる。
 もちろん、事の正否については慎重に見極めなければなるまいが。
 もし本当のことだとしたら、全くもって度し難い。

 被災地にも雨が降っている。


 昨夜、23時50分過ぎに寝床に就き、7時に起きる。

 午前中、NHKのラジオ番組や、リカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第2番&第4番、ハイドンの主題による変奏曲他<DECCA>、シャイー指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団他が演奏した同じくブラームスのクラリネット・ソナタ第1番(ルチアーノ・ベリオ編曲)<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の下書き分の手直しを行ったり、書き進めたりする。


 正午過ぎ、『犬神家の末裔』の下書き分を第20回として投稿する。


 午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、シャイー指揮によるブラームスの交響曲第1番&第3番<同>、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団他が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」<TELDEC>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、金原ひとみの『マリアージュ・マリアージュ』<新潮社>を読み進めたりする。


 網野善彦の『日本社会の歴史』(上)<岩波新書>を読了する。
 一部一部は押さえてきたものの、こうやって日本の歴史を通して読むということはなかなかしたことがなかった。
 まだまだ勉強が足りない。


 17時台に外出して、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、ピアノのユンディ・リと小澤征爾指揮ベルリン・フィルが演奏したプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番&ラヴェルのピアノ協奏曲<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、『マリアージュ・マリアージュ』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、ピエール・ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィルのコンサートのライヴ録音を聴く。
 ワーグナーの歌劇『タンホイザー』序曲、ベルクの抒情組曲、マーラーの交響曲第3番から第3楽章、カーターの3つのオーケストラのための交響曲、ブーレーズ自身のプリ・スロン・プリから、ドビュッシーの交響詩『海』が放送されていた。

 続けて、シャイー指揮によるブラームスの交響曲第2番&第4番を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進める。


 『マリアージュ・マリアージュ』を読了し、網野善彦の『日本社会の歴史』(中)<岩波新書>を読み始める。


 今日も、バナナを食す。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犬神家の末裔 第20回

*犬神家の末裔 第20回

 朝食をすませた早百合がなす市民総合病院へ向かうと、母はすでに意識を取り戻していて、早百合の言葉に黙って頷き返した。
 和俊の言葉では、母の状態は今のところ安定しているとのことだった。

 マンションに戻った早百合は、ちょうどパートに出かけるところという睦美の車に同乗して那須市の中心街まで行った。
 睦美がこぼしていた通り、この二年の間に、那須の街はますます寂れてきているようで、全国チェーンのドラッグストアや百円ショップ、カラオケ店、牛丼屋、コーヒーショップの派手派手しい看板がやけに目についた。
 中高生の頃足繁く通った老舗の古本屋が取り壊されて、ブックオフに変わっているのには、早百合は本当に哀しくなった。

 那須市長選はカドワキダイサク
 地域活性化の旗手カドワキダイサク
 那須再生化計画のカドワキダイサク
 をよろしくお願いいたします。

 そんな早百合の前を選挙カーが通り過ぎて行った。

 那須市の中央図書館は、アーケード街を北向きに進み、緩やかな坂道を登り切った小高い丘の上、旧那須城跡にある。
 早百合が東京に出るまでは、中央図書館は、レンガ造りの平屋だったが、十五年ほど前に小ホールを併設した五階建てのビルディングに生まれ変わった。
 自動ドアの正面玄関を入ったちょうど左手に、那須の作家たちという大きなコーナーがあって、萬代耕造や金庭圓内といった文豪たちとともに自分の著書が何冊も並べられているのが遠目にも面映ゆく、早百合は思わず駆け足で通り過ぎてしまった。
 早百合が図書館を訪れたのは、戌神家での事件が起こる前々日前日の新聞のマイクロフィルムを目にしておこうと思ったからだった。
 昔の図書館の司書といえば、どうしてああも無愛想な物言いができるのかと思うほどに居丈高な態度をとる、それも初老の男性が多くて、早百合は何度も泣かされかかったものだが、早百合よりも一回り近く若く見える女性の司書は、とても親切に対応してくれた。
 一つには、早百合が那須の作家たちの一人であることも大きかったのだろうけれど。
posted by figarok492na at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 犬神家の末裔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする