2016年04月20日

体調は悪いが図書館に行った(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 風は少し冷たかったものの、気温も上昇する。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。


 喉の腫れ、ちりちりとした痛みが続き、時々咳込みもある。
 今のところ熱は出ておらず、花粉症の症状も混ざっていてわかりにくいのだが、風邪のかかり始めだとは思う。
 月曜の夜の悪い咳をしていたおっさんが本当に疎ましい。
 そして、両耳の不調も続く。
 やれやれ。


 馬鹿につける薬はない。
 と、ますます痛感する今日この頃。


 パナマ文書はどこへ消えたのか?


 昨夜、23時40分頃寝床に就き、7時に起きる。

 山田一雄指揮大阪センチュリー交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」他<ライヴノーツ>やジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティークが演奏したベートーヴェンの交響曲第3番<ARCHIV>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進めたりする。


 9時台に外出して下京図書館へ。
 ガーディナー指揮によるベートーヴェンの交響曲全集、吉田篤弘の『イッタイゼンタイ』<徳間書店>、星亮一の『井深梶之助伝』<平凡社>、西加奈子の『舞台』<講談社>、柴崎友香の『パノララ』<同>、金子薫の『鳥打ちも夜更けには』<河出書房新社>を返却し、予約しておいた金原ひとみの『マリアージュ・マリアージュ』<新潮社>、伊坂幸太郎の『アイネクライネナハトムジーク』<幻冬舎>、角田光代の『坂の途中の家』<朝日新聞出版>、原彬の『戦後政治の証言者たち』<岩波書店>、リカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲全集・管弦楽曲集<DECCA>を新たに借りる。


 帰宅後、シャイー指揮によるブラームスのハイドンの主題による変奏曲、交響曲第1番、及び同曲第2楽章異版を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進めたりする。


 正午過ぎ、『犬神家の末裔』の下書き分を第19回として投稿する。


 午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』を聴きながら、仕事関係の作業を進める。


 15時頃外出して、仕事関係の用件を片付ける。
 ついでに、お米(10キログラム)などを買ったりする。

 いったん帰宅後、再び外出して夕飯用の買い物をすませる。
 いつ体調が悪くなるかわからないので、動けるうちに諸々すませておいたのだ。

 外出するとき、マンションの真向かいのガレージにスーツ姿の男女がたむろして、何かああだこうだとやっていた。
 近所のボロ家の工事がようやく終わったと思ったら、もしかしてまた工事か?
 いつまで続く泥濘ぞ…。


 帰宅後、シャイー指揮によるブラームスの交響曲第2番、第3番、第4番(冒頭部分の異版含む)、悲劇的序曲、間奏曲(クレンゲル編曲)、ワルツ集「愛の歌」から(ブラームス編曲)、大学祝典序曲、ハンガリー舞曲第1番、第3番、第10番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、網野善彦の『日本社会の歴史』上<岩波新書>を読み進めたり、『マリアージュ・マリアージュ』を読み始めたりする。
 シャイー指揮によるブラームスの交響曲全集といえば、かつての手兵ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の録音が20年ほど前にあって、あちらもシェーンベルクやウェーベルンの作品をカップリングするなど一捻りされていたが、ゲヴァントハウス管弦楽団との新録音は交響曲第1番や第4番の異版や、間奏曲やワルツ集の管弦楽版を収めるなど凝った造りとなっている。
 で、演奏のほうもピリオド・スタイルを意識したもので、これは同じ組み合わせの演奏によるヨハン・セバスティアン・バッハのブランデンブルク協奏曲を耳にしていたのであまり驚きではない。
 ただ、速めのテンポで鳴らすところは情熱的に鳴らす行き方は、ピリオド云々というよりもトスカニーニの演奏を彷彿とさせるかもしれない。
 まあ、トスカニーニの流儀が現在のピリオド・スタイルに影響を与えたことも否めないのだけれど。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、ピエール・ブーレーズ指揮ルツェルン音楽祭アカデミー管弦楽団他のコンサートのライヴ録音(2009年9月10日、ルツェルン文化会議センター)を聴く。
 ドビュッシーのバレエ音楽『遊戯』、ブーレーズ自身のノタシオン抜粋、ベリオのシンフォニアなどが演奏されていた。

 続けて、シャイー指揮によるブラームスの交響曲第1番&第3番を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『日本社会の歴史』上と『マリアージュ・マリアージュ』を読み進めたりする。


 今日は、バナナを食す。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犬神家の末裔 第19回

*犬神家の末裔 第19回

 翌朝、早くに目が醒めた早百合は、キッチンのテーブルの上に美穂子宛のメモを置くと、パジャマ代わりのスポーツウェアのまま部屋を出た。
 マンションの玄関から歩いてすぐのところが那須湖のほとりで、コンクリートで整備された船着き場には、戌神家のボートが網で結わえられて停まっていた。
 睦美によると、時折夫の信哉が気分転換に漕ぎ出しているという。
 瑞希はもちろんのこと、最近では信光も一緒に乗りたがらないそうで、信哉はそれが不満らしい。
 早百合は恐る恐るボートに乗ると、網を外してオールを漕ぎ始めた。
 久しぶりだから大丈夫かなと思ったが、えいと力をこめると、あとは自然に両手が動いた。
 早百合が自分でボートを漕げるようになったのは、小学校の五年生の頃だ。
 早百合ちゃん、自分で漕いでみる。
 と、ボートの漕ぎ方を早百合に教えたのは祖母である。
 祖母は東京の女子高等師範学校に進学する前は、地元の女学校のボート部の部員として相当ならしたそうで、その漕ぎ方はとても本格的だった。
 『犬神家の一族』には、野々宮珠世がボートに乗っている場面が何度かあるが、横溝正史はそうした祖母の細かいプロフィールまで知っていたのだろうか。
 見た目とは裏腹に、祖母にはどこか体育会系的な芯の強さがあったのだけれど、横溝正史はその点もまたしっかり踏まえているように思う。
 五分ほどゆっくり漕いだところで、早百合はボートを停めた。
 あまり遠くまで出ると帰りが面倒だし、無理をすればあとで身体も痛む。
 早百合は両手を挙げて、ああ、と大きな声を上げた。
 湖面の水鳥たちが早百合の声に驚いて飛び立って行く。
 あの日、祖父は三人の遺体をボートに乗せて、ここに投げ入れた。
 そのまま遺体を放置しておくわけにはいかない。
 どこかに隠さなければならない。
 もっとも近い場所にあるのは、この那須湖だ。
 おまけにモーターボートもある。
 だから、湖に出て投げ入れた。
 一応、そう説明はつく。
 説明はつくのだけれど、早百合にはどうにもしっくりとこない違和感が残る。
 それに、戦争が終わってずっと病弱だったという祖父に、果たして三人もの人間の遺体を運び込むだけの体力が本当にあったのか。
 早百合には、そのことも大きな謎だった。
posted by figarok492na at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 犬神家の末裔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする