晴天。
いいお天気、いい青空が続く。
午前中肌寒い感じもしたが、その後気温は上昇し、春らしい穏やかな一日となる。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
花粉禍は一段落着いたものの、両耳の不調がうっとうしい。
唾を飲み込むたびに、ぴきぴきぴきぴき音が鳴る。
詰まった感じも続いているし。
病院に行って改善されるのであればよいが…。
九州で地震が続いている。
深夜、こちらが眠っている間に再び激しい地震(こちらが本震とのこと)が発生していた。
そして、被害も拡大している。
加えて、九州以外にも地震が拡がっていく可能性もあるという。
他人事ではない。
九州電力川内原子力発電所は、本当に大丈夫なのか。
政府は何がなんでも停止はしないという姿勢をとっているが。
昨夜、1時過ぎに寝床に就き、7時ちょっと過ぎに目醒める。
7時半に起きるつもりが、ぱっちり目が醒めてしまった。
で、毎週恒例の洗濯を決行する。
乾き、非常によろし。
ああ、すっきりした!
午前中、NHKのラジオ第1を聴いたりしながら、昨夜の京都市交響楽団の第600回定期演奏会のコンサート記録を投稿したり、『犬神家の末裔』の下書き分を第15回として投稿したりする。
午後、仕事関係の予定をすませる。
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティークが演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」&第4番、第5番&第6番「田園」<ARCHIV>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、柴崎友香の『パノララ』<講談社>を読み進めたりする。
仕事関係の別の予定をすませる。
ガーディナー指揮によるベートーヴェンの交響曲第7番&第8番、第9番「合唱つき」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
夕方になって外出し、百万遍方面へ。
身体のメンテナンスをすませる。
今回の地震の話などをしながら、ゆっくりメンテナンスをしてもらった。
ああ、すっきりした!
で、夕飯用の買い物をすませて、21時頃帰宅する。
帰宅後、NHK・FMの『クラシックの迷宮』、ピアノのエレーヌ・グリモーとバイエルン放送交響楽団室内管弦楽団他が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第19番&第23番他<ドイツ・グラモフォン>を聴く。
『クラシックの迷宮』は、生誕100年を記念してヴァイオリニストのユーディ・メニューインの特集が組まれていた。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『パノララ』を読み進めたりする。
地震のことで、実家に電話をかける。
熊本の親類も無事だったと知る。
今日は、山崎製パンのチョコとアーモンドのやわらかクッキーを食す。
近くのドラッグランドひかりで、半額引き、税込み58円だったもの。
チョコチップとアーモンド片が入ったソフトクッキーで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
(朝食は、いつもの通りバナナでした。ごちそうさま!)
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2016年04月16日
犬神家の末裔 第15回
*犬神家の末裔 第15回
「早百合ちゃんはよか人はおらんとね」
「よか人って」
「よか人はよか人たい」
空になった早百合の湯呑みに、美穂子はほうじ茶を注いだ。
「なかなか、見つからなくって」
早百合は、ゆっくりとほうじ茶を口に含んだ。
「そがんね。早百合ちゃんのごたっ美人やったら、相手の一人や二人、すぐに見つかろうもん」
「美人じゃないと思うけど」
あんたがもう少しきれいだったらね。
早百合が子供の頃から、母は事あるごとにそう言って早百合の顔を見つめた。
「なんば言いよっとね、早百合ちゃんが美人じゃなかったら、だいが美人ね。世の中ぶさいくだらけになっとよ」
美穂子は軽く笑い声を上げた。
「今は仕事の忙しかとやろうけん、結婚ごたっとはよか、仕事のほうが面白かてなっとっとかもしれんけど」
「母さん、何か言ってた」
「姉さん、姉さんはなんも言いよらんよ。あん人は早百合ちゃんに結婚してもらいたくはなかとじゃなかと」
「結婚してもらいたくない」
「そがんよ」
「やっぱり、そうか」
「そがん見ゆってだけよ。だけん、本当はどがん考えとらすとかは私にもわからん」
美穂子はほうじ茶を一息に飲み干した。
「だいたい、人の気持ちなんてわからんもんさ。だけんか、私はこがんして人とおしゃべりばすっとさ。子供や孫たちにはけむたがらるっけどね」
「叔父さんは」
「ああ、あん人、あん人はもう酒さえ飲めれば恩の字の人やけんね」
美穂子がわずらわしそうに右手を上下に振った。
「泣かされたこともいっぱいあったし、やぜらしかこともいっぱいあったし、何度別れようと思うたか。ばってん、そいはあん人だっておんなじたい。あん人はあん人でいろいろあったやろうけん。お互い様たい」
「お互い様かあ」
「そがんさ。相手があってこそのお互い様さ。早百合ちゃんがどがんしても一人がよかて言うとやったら、私はなんも言わんけどね。結局は早百合ちゃん次第さ」
美穂子はカステラの最後の一切れを口の中に放り込んだ。
「早百合ちゃんはよか人はおらんとね」
「よか人って」
「よか人はよか人たい」
空になった早百合の湯呑みに、美穂子はほうじ茶を注いだ。
「なかなか、見つからなくって」
早百合は、ゆっくりとほうじ茶を口に含んだ。
「そがんね。早百合ちゃんのごたっ美人やったら、相手の一人や二人、すぐに見つかろうもん」
「美人じゃないと思うけど」
あんたがもう少しきれいだったらね。
早百合が子供の頃から、母は事あるごとにそう言って早百合の顔を見つめた。
「なんば言いよっとね、早百合ちゃんが美人じゃなかったら、だいが美人ね。世の中ぶさいくだらけになっとよ」
美穂子は軽く笑い声を上げた。
「今は仕事の忙しかとやろうけん、結婚ごたっとはよか、仕事のほうが面白かてなっとっとかもしれんけど」
「母さん、何か言ってた」
「姉さん、姉さんはなんも言いよらんよ。あん人は早百合ちゃんに結婚してもらいたくはなかとじゃなかと」
「結婚してもらいたくない」
「そがんよ」
「やっぱり、そうか」
「そがん見ゆってだけよ。だけん、本当はどがん考えとらすとかは私にもわからん」
美穂子はほうじ茶を一息に飲み干した。
「だいたい、人の気持ちなんてわからんもんさ。だけんか、私はこがんして人とおしゃべりばすっとさ。子供や孫たちにはけむたがらるっけどね」
「叔父さんは」
「ああ、あん人、あん人はもう酒さえ飲めれば恩の字の人やけんね」
美穂子がわずらわしそうに右手を上下に振った。
「泣かされたこともいっぱいあったし、やぜらしかこともいっぱいあったし、何度別れようと思うたか。ばってん、そいはあん人だっておんなじたい。あん人はあん人でいろいろあったやろうけん。お互い様たい」
「お互い様かあ」
「そがんさ。相手があってこそのお互い様さ。早百合ちゃんがどがんしても一人がよかて言うとやったら、私はなんも言わんけどね。結局は早百合ちゃん次第さ」
美穂子はカステラの最後の一切れを口の中に放り込んだ。
京都市交響楽団 第600回定期演奏会
☆京都市交響楽団 第600回定期演奏会
指揮:広上淳一
管弦楽:京都市交響楽団
会場:京都コンサートホール大ホール
座席:3階LB1列5番
(2016年4月15日19時開演)
創立60周年を迎える京都市交響楽団の新年度初の定期演奏会を聴いた。
今回はちょうど600回と、これまた記念すべき定期演奏会だったが、30年近く京都市交響楽団を聴き続けてきて、いわゆるキリ番のコンサートに足を運ぶのはこれが初めてである。
で、プレトークでは、当夜の指揮者で第12代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一が、チューバ奏者でベテランの武貞茂夫を交えながら、京都市交響楽団の昔話をひとしきり。
広上さんは、京響初登場の際(特別演奏会/1990年10月22日、京都会館第1ホール/ハイドンの交響曲第100番「軍隊」とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」)の想い出、特に京都会館の音響の悪さに辟易した話を披歴していたのだけれど、実はこのコンサートを聴いて、京都市交響楽団の音が断然違うと感心し、広上淳一という指揮者をできるだけ追っていこうと思ったものだった。
(他に、関西二期会の『リゴレット』の公演で京都市交響楽団を指揮した大野和士にも同じことを感じた)
一曲目は、コープランドの市民のためのファンファーレ。
金管楽器とティンパニ・打楽器による荘厳なファンファーレで、広上さんは常任指揮者就任後初となる第511回定期演奏会(2008年4月18日、京都コンサートホール大ホール)でも同じ曲を取り上げている。
始まってしばらくひやっとする場面が続くも、最後は華々しく〆た。
続いては、広上さんの十八番でもあるモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。
大編成の弦楽器(チェロも8、コントラバスも8。一方、管楽器はフルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2)に、ゆっくりと急がないテンポ、と記すとオールドファッショな行き方を想像する向きもあるだろうが、弦の鳴らし方やティンパニの強めの打ち方、それより何より、目配りのよく届いた音楽づくりと、これはピリオド・スタイルの洗礼を明らかに受けた演奏だった。
全体のまとまりとともに横の音楽の流れを重視しつつ、さらに細部の構成もしっかりと押さえる。
中でも、第3楽章のメヌエットを遅めのテンポで運び、第4楽章のフーガで頂点を築くという音楽の劇的な構成には、とてもわくわくさせられた。
休憩を挟んだ後半は、リヒャルト・シュトラウスの大作『ツァラトゥストラはかく語りき』。
ニーチェの哲学を音楽化した交響詩…。
と、言うよりも、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』で効果的に使われた冒頭部分が有名で、昨夜もゾワゾワと何かが蠢き出しそうな雰囲気が十分にとらえられており、まさしくつかみはばっちり。
が、その後も難所急所の続く作品だけれど、広上さんの的確なコントロールの下、京都市交響楽団は力感があって、なおかつ肌理細やかな音楽を生み出していく。
例えば、官能美というか、旋律の美しさ、濃厚さが前面に押し出されてリヒャルト・シュトラウスの劇場感覚を改めて思い知らされる「踊りの歌」や、厳粛なラスト等々、ただ単に大きく鳴らすのではなく、何を如何に演奏するかが大切な作品であるということを実感することができた。
チェコ出身のオルガニスト、アレシュ・バールタ、コンサートマスターの渡邊穣、ヴィオラの小峰航一、チェロの上村昇らソロ、客演陣を含むアンサンブル、ともに大健闘だった。
と、オーケストラを聴く喜びをたっぷりと味わうことができたコンサート。
ああ、面白かった!
そして、さらなる京都市交響楽団の充実とステップアップを心より愉しみにしたい。
指揮:広上淳一
管弦楽:京都市交響楽団
会場:京都コンサートホール大ホール
座席:3階LB1列5番
(2016年4月15日19時開演)
創立60周年を迎える京都市交響楽団の新年度初の定期演奏会を聴いた。
今回はちょうど600回と、これまた記念すべき定期演奏会だったが、30年近く京都市交響楽団を聴き続けてきて、いわゆるキリ番のコンサートに足を運ぶのはこれが初めてである。
で、プレトークでは、当夜の指揮者で第12代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一が、チューバ奏者でベテランの武貞茂夫を交えながら、京都市交響楽団の昔話をひとしきり。
広上さんは、京響初登場の際(特別演奏会/1990年10月22日、京都会館第1ホール/ハイドンの交響曲第100番「軍隊」とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」)の想い出、特に京都会館の音響の悪さに辟易した話を披歴していたのだけれど、実はこのコンサートを聴いて、京都市交響楽団の音が断然違うと感心し、広上淳一という指揮者をできるだけ追っていこうと思ったものだった。
(他に、関西二期会の『リゴレット』の公演で京都市交響楽団を指揮した大野和士にも同じことを感じた)
一曲目は、コープランドの市民のためのファンファーレ。
金管楽器とティンパニ・打楽器による荘厳なファンファーレで、広上さんは常任指揮者就任後初となる第511回定期演奏会(2008年4月18日、京都コンサートホール大ホール)でも同じ曲を取り上げている。
始まってしばらくひやっとする場面が続くも、最後は華々しく〆た。
続いては、広上さんの十八番でもあるモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。
大編成の弦楽器(チェロも8、コントラバスも8。一方、管楽器はフルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2)に、ゆっくりと急がないテンポ、と記すとオールドファッショな行き方を想像する向きもあるだろうが、弦の鳴らし方やティンパニの強めの打ち方、それより何より、目配りのよく届いた音楽づくりと、これはピリオド・スタイルの洗礼を明らかに受けた演奏だった。
全体のまとまりとともに横の音楽の流れを重視しつつ、さらに細部の構成もしっかりと押さえる。
中でも、第3楽章のメヌエットを遅めのテンポで運び、第4楽章のフーガで頂点を築くという音楽の劇的な構成には、とてもわくわくさせられた。
休憩を挟んだ後半は、リヒャルト・シュトラウスの大作『ツァラトゥストラはかく語りき』。
ニーチェの哲学を音楽化した交響詩…。
と、言うよりも、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』で効果的に使われた冒頭部分が有名で、昨夜もゾワゾワと何かが蠢き出しそうな雰囲気が十分にとらえられており、まさしくつかみはばっちり。
が、その後も難所急所の続く作品だけれど、広上さんの的確なコントロールの下、京都市交響楽団は力感があって、なおかつ肌理細やかな音楽を生み出していく。
例えば、官能美というか、旋律の美しさ、濃厚さが前面に押し出されてリヒャルト・シュトラウスの劇場感覚を改めて思い知らされる「踊りの歌」や、厳粛なラスト等々、ただ単に大きく鳴らすのではなく、何を如何に演奏するかが大切な作品であるということを実感することができた。
チェコ出身のオルガニスト、アレシュ・バールタ、コンサートマスターの渡邊穣、ヴィオラの小峰航一、チェロの上村昇らソロ、客演陣を含むアンサンブル、ともに大健闘だった。
と、オーケストラを聴く喜びをたっぷりと味わうことができたコンサート。
ああ、面白かった!
そして、さらなる京都市交響楽団の充実とステップアップを心より愉しみにしたい。