俳優で声優の大平透が亡くなった。86歳。
東京の生まれで、ラジオのアナウンサーを経てTBS劇団に入団、その後フリーとなり、洋画の吹き替えやアニメの声優として大活躍した。
特に渋みと深みがありながらも、独特のフラ(滑稽さ)を持った声質と演技が魅力的で、『ハクション大魔王』のハクション大魔王、『科学忍者隊ガッチャマン』の南部博士、『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造、『スパイ大作戦』の指令の声は、大平さんならではの当たり役だった。
また積極的な後進の育成と指導でも知られた。
深く、深く、深く、深く黙祷。
晴天。
いいお天気、いい青空へ。
気温も上昇し、春らしい陽気の一日となる。
その分花粉の飛散も激しく、目の周りの痒みなどに悩まされる。
加えて、両耳の調子も芳しからず。
やれやれ。
夜、熊本県内で震度7の地震が発生する。
大禍ないことを祈る。
田母神俊雄元航空幕僚長が、2014年2月の東京都知事選での買収容疑で逮捕された。
結局、用なしの蜥蜴の尻尾切りということか。
いろいろと考えることあり。
韓国の総選挙で、与党セヌリ党が第2党に落ち込む。
そんな折も折、またぞろ北朝鮮が蠢いているようだ。
いつものことながら、なんとタイミングのよいこと。
選挙前のたぶらかし、目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夜、母から電話がある。
耳の不調のため短めの会話となり、申し訳ない。
24時40分過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
午前中、ピアノのエレーヌ・グリモーとバイエルン放送交響楽団室内管弦楽団他が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第19番&第23番他<ドイツ・グラモフォン>、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティークが演奏したベートーヴェンの交響曲第1番&第2番、第3番「英雄」&第4番<ARCHIV>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第12回として投稿したりする。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、ガーディナー指揮によるベートーヴェンの交響曲第5番&第6番「田園」、第7番&第8番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第13回として投稿したりする。
西加奈子の『舞台』<講談社>を読了する。
途中、20分ほど昼寝もした。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、ガーディナー指揮によるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱つき」を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
夕飯後、ピアノのユンディ・リと小澤征爾指揮ベルリン・フィルが演奏したプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番&ラヴェルのピアノ協奏曲<ドイツ・グラモフォン>、山田一雄指揮新日本フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」<フォンテック>、デヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』<ARTE NOVA>、グリモー他が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第19番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、柴崎友香の『パノララ』<講談社>を読み始めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2016年04月14日
犬神家の末裔 第13回
*犬神家の末裔 第13回
犬神佐兵衛の三人の娘松子、竹子、梅子は、それぞれ別の母親から産まれたことになっているが、実際の戌神家の三人姉妹月子、星子、陽子の場合、月子と星子の母親は恒兵衛の前妻依子であり、陽子の母親は後妻の彩子である。
恒兵衛はこの時代の傑物にありがちな色を好む人物だったようで、依子と彩子以外の女性との間にも、複数の子供があったと噂されている。
(青柳達也以外、その実在は不明)
それにしても、母親を異にする陽子とよりも、月子と星子との間のほうが非常に険悪な仲であったと伝えられているのは、とても興味深い。
恒清珠世と恒猛の対立には、もしかしたら月子と星子の代理戦争的な色合いも強かったのではないか。
さらに犬神家の一族には、竹子の夫で犬神製紙東京支店支配人の寅之助、その子佐武と小夜子、梅子の夫で犬神製紙神戸支店支配人の幸吉、その子佐智がいるが、戌神邸での事件が起こった際実在した戌神家の一族を記せば、恒清、星子の夫で戌神製糸大阪支店代表の辰巳、その子恒猛、陽子の夫で戌神製糸東京支店代表の織田宗吉、その子小枝子ということになる。
ただし、小説とは異なり、月子恒清母子のほかに戌神邸に滞在していたのは、星子、恒猛、小枝子の三人だけだ。
そのうち、星子恒猛母子は恒兵衛の遺産分配を巡って長らく那須に在ったが、小枝子のほうはのちに夫となる経済学徒仁科雅康の研究論文の資料収集のため偶然戌神邸を訪ねていたという。
そして、『犬神家の一族』の野々宮珠世と同様、野々村珠世もまた戌神邸で暮らしていた。
早くに両親を亡くした珠世は、恒兵衛の厚意で戌神邸に身を寄せていたのである。
しかしながら、野々宮珠世とは異なり、恒兵衛の援助を受けて東京女子高等師範学校で学んだ(同校在学中は、宗吉陽子夫妻のもとで暮らしていた)野々村珠世は、那須市内の明涼女子学院で教壇に立っていた。
また、恒兵衛が亡くなる前より、珠世と恒清の間には結婚の約束が交わされていたのだけれど、敗戦後恒清が極度に体調を崩していたため、それは長く延期されていた。
事件が起きたのは、ようやく二人の挙式が決まったまさにその矢先のことだった。
犬神佐兵衛の三人の娘松子、竹子、梅子は、それぞれ別の母親から産まれたことになっているが、実際の戌神家の三人姉妹月子、星子、陽子の場合、月子と星子の母親は恒兵衛の前妻依子であり、陽子の母親は後妻の彩子である。
恒兵衛はこの時代の傑物にありがちな色を好む人物だったようで、依子と彩子以外の女性との間にも、複数の子供があったと噂されている。
(青柳達也以外、その実在は不明)
それにしても、母親を異にする陽子とよりも、月子と星子との間のほうが非常に険悪な仲であったと伝えられているのは、とても興味深い。
恒清珠世と恒猛の対立には、もしかしたら月子と星子の代理戦争的な色合いも強かったのではないか。
さらに犬神家の一族には、竹子の夫で犬神製紙東京支店支配人の寅之助、その子佐武と小夜子、梅子の夫で犬神製紙神戸支店支配人の幸吉、その子佐智がいるが、戌神邸での事件が起こった際実在した戌神家の一族を記せば、恒清、星子の夫で戌神製糸大阪支店代表の辰巳、その子恒猛、陽子の夫で戌神製糸東京支店代表の織田宗吉、その子小枝子ということになる。
ただし、小説とは異なり、月子恒清母子のほかに戌神邸に滞在していたのは、星子、恒猛、小枝子の三人だけだ。
そのうち、星子恒猛母子は恒兵衛の遺産分配を巡って長らく那須に在ったが、小枝子のほうはのちに夫となる経済学徒仁科雅康の研究論文の資料収集のため偶然戌神邸を訪ねていたという。
そして、『犬神家の一族』の野々宮珠世と同様、野々村珠世もまた戌神邸で暮らしていた。
早くに両親を亡くした珠世は、恒兵衛の厚意で戌神邸に身を寄せていたのである。
しかしながら、野々宮珠世とは異なり、恒兵衛の援助を受けて東京女子高等師範学校で学んだ(同校在学中は、宗吉陽子夫妻のもとで暮らしていた)野々村珠世は、那須市内の明涼女子学院で教壇に立っていた。
また、恒兵衛が亡くなる前より、珠世と恒清の間には結婚の約束が交わされていたのだけれど、敗戦後恒清が極度に体調を崩していたため、それは長く延期されていた。
事件が起きたのは、ようやく二人の挙式が決まったまさにその矢先のことだった。
犬神家の末裔 第12回
*犬神家の末裔 第12回
ここでは、小説『犬神家の一族』で描かれた犬神家の人々と、実際の戌神家の人々との違いについて詳しく確認しておきたい。
横溝正史は、『犬神家の一族』の発端で犬神佐兵衛について、「幼にして孤児となった」「自分の郷里を知らない」「両親がなんであったか、それすらもわきまえない」「第一犬神という妙な姓からして、ほんとうのものかどうか明らかでない」と記した。
しかしながら、実際の戌神恒兵衛の出自は明らかである。
(戌神恒兵衛に関する記述は、主に戌神恒兵衛顕彰会発行の『戌神恒兵衛伝』を参考としているため、そこに「正史」ゆえの誇張や虚偽が含まれている可能性はある)
戌神恒兵衛は、幕末の一八六七年・慶応三年八月、近江国能登川の名主山田喜兵衛を父に千代を母に生れた。
一八八三年・明治十五年、その恒兵衛を那須に呼び寄せたのは、那須神社の神官野々村大弐に嫁いでいた姉春世である。
能登川は、那須藩八万二千石富形松平氏の飛び地として代官所が設けられており、幕末の代官滝藤左衛門は野々村家の出身で、その縁から春世は野々村大弐に嫁いだものと思われる。
なお、『犬神家の一族』では、犬神佐兵衛、野々宮大弐晴世夫妻を巡る一種異様な人間関係が物語の鍵となっているが、野々村大弐春世夫妻の一子範子が生れたのは、恒兵衛が那須に移る一年前だ。
次に戌神の姓であるが、『戌神恒兵衛伝』に、以下の記述がある。
「もともと戌神家は那須神社の神事と深く関わりのある家柄だったが、嘉永の頃途絶して長く野々村家が姓を預かったままであった。
それが、幼少の頃より秀才の誉れが高かったものの、山田家の没落によって高等教育を受ける機会を逸した弟を不憫に感じた姉春世の口添えもあり、恒兵衛を那須に呼び寄せ、戌神の姓を復活させることになったのである。
恒兵衛翁曰く。
わしは、戌神だの蛇神だの大嫌いや、と言うたんやが、義兄や姉がやいのやいのと言うんやな。明治の御世に、山田なんぞでは平凡に過ぎる。商売をやるんやったら、まずは人に覚えてもらわな損や。那須で戌神言うたら誰でも知っとる。いや、これがその通りやったんや。世の中、わからんもんやな」
(原文ママ)
ここでは、小説『犬神家の一族』で描かれた犬神家の人々と、実際の戌神家の人々との違いについて詳しく確認しておきたい。
横溝正史は、『犬神家の一族』の発端で犬神佐兵衛について、「幼にして孤児となった」「自分の郷里を知らない」「両親がなんであったか、それすらもわきまえない」「第一犬神という妙な姓からして、ほんとうのものかどうか明らかでない」と記した。
しかしながら、実際の戌神恒兵衛の出自は明らかである。
(戌神恒兵衛に関する記述は、主に戌神恒兵衛顕彰会発行の『戌神恒兵衛伝』を参考としているため、そこに「正史」ゆえの誇張や虚偽が含まれている可能性はある)
戌神恒兵衛は、幕末の一八六七年・慶応三年八月、近江国能登川の名主山田喜兵衛を父に千代を母に生れた。
一八八三年・明治十五年、その恒兵衛を那須に呼び寄せたのは、那須神社の神官野々村大弐に嫁いでいた姉春世である。
能登川は、那須藩八万二千石富形松平氏の飛び地として代官所が設けられており、幕末の代官滝藤左衛門は野々村家の出身で、その縁から春世は野々村大弐に嫁いだものと思われる。
なお、『犬神家の一族』では、犬神佐兵衛、野々宮大弐晴世夫妻を巡る一種異様な人間関係が物語の鍵となっているが、野々村大弐春世夫妻の一子範子が生れたのは、恒兵衛が那須に移る一年前だ。
次に戌神の姓であるが、『戌神恒兵衛伝』に、以下の記述がある。
「もともと戌神家は那須神社の神事と深く関わりのある家柄だったが、嘉永の頃途絶して長く野々村家が姓を預かったままであった。
それが、幼少の頃より秀才の誉れが高かったものの、山田家の没落によって高等教育を受ける機会を逸した弟を不憫に感じた姉春世の口添えもあり、恒兵衛を那須に呼び寄せ、戌神の姓を復活させることになったのである。
恒兵衛翁曰く。
わしは、戌神だの蛇神だの大嫌いや、と言うたんやが、義兄や姉がやいのやいのと言うんやな。明治の御世に、山田なんぞでは平凡に過ぎる。商売をやるんやったら、まずは人に覚えてもらわな損や。那須で戌神言うたら誰でも知っとる。いや、これがその通りやったんや。世の中、わからんもんやな」
(原文ママ)