2016年04月13日

雨降り 雨の一日(CLACLA日記)

 雨降り。
 雨の一日。

 気温は上昇したか、むわっとした感じがする。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。


 花粉症の出は少なかったものの、気圧と湿度のWパンチにやられる。
 そして、両耳の調子も芳しからず。
 やれやれ。


 パナマ文書が世情を賑わしているが、海外の政治家や企業組織が取り沙汰されるだけで、日本の政治家や企業組織に関してはついぞ報道されていない。
 なんともかとも。


 昨夜24時過ぎに寝床に就き、7時少し前に起きる。

 午前中、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティークが演奏したベートーヴェンの交響曲第1番&第2番、第3番「英雄」&第4番、第5番&第6番「田園」<ARCHIV>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め、下書きの前半部分を第10回として投稿したりする。


 午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』や、ピアノのユンディ・リと小澤征爾指揮ベルリン・フィルが演奏したプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番&ラヴェルのピアノ協奏曲<ドイツ・グラモフォン>、ガーディナー指揮によるベートーヴェンの交響曲第7番&第8番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の後半部分を第11回として投稿したりする。

 13時台に20分ほど昼寝をした。


 星亮一の『井深梶之助伝』<平凡社>を読了する。
 「明治学院を興した会津の少年武士」と副題にあるように、10代半ばで会津藩士として松平容保の傍近くで会津戦争に直面し、刻苦勉励ののちキリスト教者となり、明治学院の総理としてその興隆に努めた井深梶之助の生涯を追った一冊。
 著者が会津戦争の専門家であり、なおかつ井深梶之助の人生(信仰)と会津戦争が深く関係していることもあって、どうしてもそのことが記述の中心を占めること自体には納得がいく。
 ただし、その分余白が少ないというか、それ以外の部分での記述に少し物足りなさを感じたことも事実だ。
 初期の明治学院の野球メンバーとして活躍した人物として白洲長平が挙げられているが、彼が白洲次郎のおじ(父の文平の兄弟)であることは一切触れられていない。
 また、同じく明治学院の人物として三谷隆正が取り上げられているが、彼と交流のあった神谷美惠子は、本書で記された井深八重(梶之助の親類)と同じくハンセン病の問題に取り組んだ人物である。
 もちろん、これは井深梶之助の人生に直接関係のあるエピソードではないのだけれど、こういう部分に筆が割かれているかどうかが僕にはどうしても気になってしまう。


 17時台に外出して、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、ガーディナー指揮によるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱つき」を聴きながら、西加奈子の『舞台』<講談社>を読み始めたり、雑件を片付けたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、ソプラノのドロテー・ミールズらの来日コンサートのライヴ録音(2015年1月12日、津田ホール)を聴く。
 ミールズは僕にとって数少ないストライクゾーンの声質のソプラノ歌手だけに、昨年の来日コンサート(西宮)が聴けなかったのは返す返すも残念でならない。

 続けて、ピアノのエレーヌ・グリモーとバイエルン放送交響楽団室内管弦楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第19番&第23番他<ドイツ・グラモフォン>、フェルディナント・ライトナー指揮バイエルン放送交響楽団が演奏した同じくモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」&第31番「パリ」、『レ・プティ・リアン』序曲<タワーレコード/ドイツ・グラモフォン>を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』について考えたり、『舞台』を読み進めたりする。


 今日も、バナナを食す。
 ごちそうさま!


 夜になっても雨は止まず。
 本降りだ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犬神家の末裔 第11回

*犬神家の末裔 第11回

 その談判中、凶事は起こった。
 激しい怒りに襲われた月子が、青酸化合物の入ったウイスキーを恒猛らに飲ませ、三人を殺害してしまったのだ。
 それは、関係者の証言をもとに、同夜午後十一時前後のことと類推されている。
 この夜、珠世や小枝子とともに、那須市青年団主催の懇話会に参加していた恒清が帰宅したのは、日付が変わる午前十二時少し前。
 はじめ、月子は自らの犯した罪を覚られまいとしたが、不穏な空気を察した恒清が詰め寄ると、観念したのか彼女は全てをありのままに告げた。
 惨状を目にした恒清は、戌神家所有のモーターボートを利用して三人の遺体を那須湖へと投棄した。
 翌二十二日午前一時過ぎ、恒猛が戻って来ないことを不審に思った星子(戌神家の別棟に滞在中)が月子を訪ねたが、月子は意味不明な言葉を繰り返すだけでらちが明かない。
 しかも、珠世らと帰宅したはずの恒清もいない。
 曰く言い難い感情を覚えた星子だったが、その夜は引き下がった。
 同日午前六時頃、地元の漁師より那須湖で男性の遺体を発見した旨通報があり、那須警察署が出動する。
 同日午前中、所持品等から発見された遺体が戌神恒猛であること、解剖の結果恒猛が薬殺されたことが判明、那須警察署捜査一課が戌神邸での捜査を開始する。
 警察の聴き取り調査に対して知らぬ存ぜぬを繰り返していた月子だったが、応接間に残った異臭と夥しい血痕の跡を追及されるに到り、私が恒猛、達也、若槻の三人を殺したと自白して、月子は服毒自殺をはかった。
 那須警察病院に搬送された月子は、手当ても虚しく同日午後三時過ぎに亡くなる。
 同日夕刻、NHKのラジオが戌神邸での殺人事件を臨時ニュースとして伝える。
 一方、三人の遺体を投棄後行方のわからなかった恒清は、捜査の末、同日午後十時過ぎに那須湖畔の豊端村にある戌神家所有の空き家で発見された。
 二十三日、新聞各紙が朝刊一面で戌神邸での毒殺事件を報じ、以後しばらくの間那須市は、警察やマスコミその他入り混じった大きな混乱の渦に巻き込まれることとなる。
(以上、熊倉徹著「戌神月子の毒薬と帝銀事件」『日本の青い霧』上巻<文春文庫>所収を参考)
posted by figarok492na at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 犬神家の末裔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犬神家の末裔 第10回

*犬神家の末裔 第10回

「信州財閥界の一巨頭、犬神財閥の創始者犬神佐兵衛は、血で血を洗う葛藤を予期したかのような条件を課した遺言状を残して他界した。それをめぐって次々と奇妙な殺人事件が起こる……」
 とは、今手元にある文庫本(角川文庫/一九九三年一月十日六十版発行)に付された『犬神家の一族』の梗概である。
 『犬神家の一族』といえば、一九五〇年一月号から翌年五月号に渡って「キング」誌に掲載された横溝正史を代表する長篇小説の一つだ。
 特に、市川崑監督、石坂浩二主演による一九七六年の映画作品は、角川春樹率いる角川書店の宣伝戦略と相まってセンセーショナルなブームを巻き起こしたほか、その市川監督によるリメイク版やテレビドラマなど、何度も映像化されている。
(角川映画より遡ること二十年ほど前の一九五四年に、『犬神家の謎 悪魔は語る』のタイトルで映画化されたのがその端緒だが、このときの金田一耕助役はスーツ姿の片岡千恵蔵だった)

「犬神家の全財産、全事業相続権を意味する三種の家宝、斧・琴・菊(よきこときく)は、犬神佐兵衛の三人の孫、佐清、佐武、佐智の中より配偶者を選択したときにかぎり、犬神佐兵衛にとって大恩のある那須神社の神官野々宮大弐の孫珠世に譲られるものとなり、結果としてそれが為されない場合は、佐兵衛と愛人青沼菊乃の間に生まれた青沼静馬に全財産の五分の二が与えられる。
 という犬神佐兵衛の奇怪な遺言状が引き金となって、連続殺人事件が発生する。
 遺言状の発表を前に依頼者を殺害された探偵金田一耕助は、調査と推理を重ねる中で、犬神佐兵衛の秘められた過去と、彼に纏わる複雑な人間関係が事件の背景にあることを知る」
 『犬神家の一族』の大略を改めて記してみたが、実際に戌神家で起こった事件とでは、大きな相違点が幾つもある。

 戌神家で実際に起こった事件のあらましは以下の通りだ。

 一九四七年十月十八日の午後八時前後、同年八月に亡くなった戌神恒兵衛の遺産相続に関して、戌神恒猛(佐兵衛の次女星子の長男)、青柳達也(恒兵衛と愛人青柳喜久子との子息)、若槻修治(恒猛の学生時代からの親友でブローカー)の三人が、戌神月子(恒兵衛の長女)のもとを訪れる。
 ちなみに、当時の戌神邸には、約五百坪の本屋敷のほか、別棟の住居が複数建てられており、月子と恒清(月子の長男)はもっとも那須湖に近い日本式の家屋に住んでいた。
 恒兵衛の遺言状は、総額十二億円にのぼるという全財産のうち、その四割を恒清に、二割を野々村珠世(戌神恒兵衛の姉春世の孫で、恒清の許嫁)に、一割ずつを恒猛と小枝子(恒兵衛の三女陽子の長女)に、一割五分をその他の親類と戌神事業会に、残りの五分を青柳達也に、それぞれ与えるというもので、結果として恒清珠世が全財産の過半数を占めるという内容に恒猛は激しく反発し、青柳達也とともに分配の変更を求めていた。
 恒清珠世の側も、変更自体については認めていたものの、その方法でどうしても折り合いがつかず、業を煮やした恒猛は、達也、若槻を連れて恒清の母月子に談判を申し入れたのだった。
posted by figarok492na at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 犬神家の末裔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする