晴天。
いい青空、いいお天気の一日。
気温も上昇し、春らしい。
両耳(特に左耳)の調子、一向に好転せず。
同じ病院に行くか、それとも別の病院に行くか。
いずれにしても、うっとうしい。
九州電力川内原子力発電所1号機、2号機の運転差し止めに関する仮処分申し立てに対し、福岡高裁宮崎支部は申し立て却下の鹿児島地裁の決定を支持する判断を示した。
いろいろと考えることあり。
アメリカ大統領選の候補者指名争いが続いているが、共和党のトランプ候補は失速状態と。
ただ、彼を追っているのが保守強硬派のクルーズ候補というのは、どうにもうんざりな話である。
一方民主党のほうは、クリントン候補とサンダース候補の争いが続いている。
昨夜、24時半過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番、第100番「軍隊」<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『花は花でもお江戸の花だ』を投稿したりする。
『花は花でもお江戸の花だ』は、文章の訓練(時代小説)である。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』や、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第1回』を投稿したりする。
『犬神家の末裔 第1回』は、タイトルから予想される内容とは異なり、純文学の範疇に入るSNS用不連続小説だ。
大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読了する。
今書かれるべくして書かれた作品集だった。
ああ、面白かった!
続けて、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み始める。
17時頃外出して、仕事関係の用件を片付け、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番「ロンドン」<TELDEC>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』を聴く。
ウラディーミル・クラニチェヴィチ指揮クロアチア放送交響楽団が演奏したボジタル・クンツの祝典序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ドゥブラフカ・トムシッチの独奏)、ボリス・パパンドプロのシンフォニア・ブレヴィス、ブラームスの哀悼の歌などが放送されていた。
続けて、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団他が演奏したブラームスのドイツ・レクイエム<ハルモニアムンディ・フランス>、フランク・ベールマン指揮ハノーヴァーNDRフィルが演奏したフェスカの交響曲第1番他<CPO>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の続きを書き進めたり、『火山のふもとで』を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2016年04月06日
犬神家の末裔 第1回
*犬神家の末裔 第1回
禍福は糾える縄の如し、というけれど、何が禍で何が幸福なのかは、結局長い歳月を経てみないとわからないものだと早百合は思った。
四十を二つか三つ過ぎたばかりで父は亡くなってしまったが、その後に起こった様々な出来事を考えてみれば、もしかしたらそれで父にとっては幸せだったのかもしれない。
いや、傾きつつある家業をなんとしても守ろうとして、無理に無理を重ねた結果があの急な病だったのかもしれず、そういえば亡くなる直前の白髪が増えて目の下に深い隅のできた父の顔は、実際の年齢よりも十以上老けて見えたものだった。
そんな父や、黙って父に従う母の姿を目にするのも辛くて、早百合はなかなか帰省しようとはしなかった。
一つには、バブルの残り香のするシティライフとやらの一端を享受していたことも小さくはなかったが、それより何より、地方特有のねっとりと絡みつくような湿った雰囲気が、早百合はたまらなく嫌だったのだ。
特に、かつて早百合の実家は、彼女が生れた地方では指折りの財閥として知られていた。
しかも、半世紀近く前の話とはいえ、その一族では遺産相続に纏わる複雑な人間関係の末に、殺人事件が起こったりまでもした。
実際、早百合の祖父母はその事件の中心人物でもあった。
だから、と言うよりも、父方の姓があまりにもおどろどろしく、かつ有名であることもあって、早百合は母方の姓である小林をずっと名乗っていたほどだ。
今朝早く、母が倒れたと叔母から電話があったとき、早百合はわけもなく、ずっと後回しにしてきたつけを払うときが来たのだという想いにとらわれた。
禍福は糾える縄の如し、というけれど、何が禍で何が幸福なのかは、結局長い歳月を経てみないとわからないものだと早百合は思った。
四十を二つか三つ過ぎたばかりで父は亡くなってしまったが、その後に起こった様々な出来事を考えてみれば、もしかしたらそれで父にとっては幸せだったのかもしれない。
いや、傾きつつある家業をなんとしても守ろうとして、無理に無理を重ねた結果があの急な病だったのかもしれず、そういえば亡くなる直前の白髪が増えて目の下に深い隅のできた父の顔は、実際の年齢よりも十以上老けて見えたものだった。
そんな父や、黙って父に従う母の姿を目にするのも辛くて、早百合はなかなか帰省しようとはしなかった。
一つには、バブルの残り香のするシティライフとやらの一端を享受していたことも小さくはなかったが、それより何より、地方特有のねっとりと絡みつくような湿った雰囲気が、早百合はたまらなく嫌だったのだ。
特に、かつて早百合の実家は、彼女が生れた地方では指折りの財閥として知られていた。
しかも、半世紀近く前の話とはいえ、その一族では遺産相続に纏わる複雑な人間関係の末に、殺人事件が起こったりまでもした。
実際、早百合の祖父母はその事件の中心人物でもあった。
だから、と言うよりも、父方の姓があまりにもおどろどろしく、かつ有名であることもあって、早百合は母方の姓である小林をずっと名乗っていたほどだ。
今朝早く、母が倒れたと叔母から電話があったとき、早百合はわけもなく、ずっと後回しにしてきたつけを払うときが来たのだという想いにとらわれた。
花は花でもお江戸の花だ(文章の訓練)
☆花は花でもお江戸の花だ 弦太郎八番勝負より(文章の訓練)
鵜野部左文字町を抜けて西厳寺の前を通り、刈沢の材木置き場に来たところで、矢沢弦太郎はやはりなと思った。
振り返れば、すぐに気付かれる。
弦太郎は何気ない調子で下駄の鼻緒を直すふりをすると、一目散に駆け出した。
たったったったっ、と弦太郎を追い掛ける足音がする。
脚力には相当自身のある弦太郎だったが、向こうもなかなかの走りっぷりのようだった。
仕方ない、ここは荒業を使うか、と二ツ木橋のちょうど真ん中辺りで、弦太郎はえいやとばかり水の中に飛び込んだ。
「無茶ですよ、弦さんも」
ありったけの布団やら何やらを頭の上から押し被せたおもんが、甘酒の入った湯呑みを弦太郎に手渡した。
「春ったって、花はまだ三分咲き。風邪でもひいたらどうするんです。あたしゃ、殿様に合わせる顔がありませんよ」
「そうやいのやいのと言われたら、それこそ頭が痛くなってくる」
弦太郎はふうふうと二、三度息を吹きかけてから甘酒を啜った。
甘酒の暖かさと甘さが、芯から冷え切った弦太郎の身体をゆっくりと解き解していく。
「で、誰なんですよ」
「そいつはまだわからねえ。ただ」
「ただ」
「髭田の山がな」
「髭田の山って、それじゃ白翁の」
前の側用人高遠摂津守頼房は齢六十にして職を辞すると、隠居所と称する髭田の小ぶりな屋敷に居を移し、自ら白翁を号した。
だが、髭田の屋敷には、幕閣や大商人たち、それに連なる者たちが、白翁の威をなんとしてでも借りんものと連日足を運んでいた。
世にいう、髭田詣である。
「流石は掃部頭の息子よの」
西海屋より献上された李朝の壺のすべすべとした手触りを愉しみながら、白翁は微笑んだ。
「御前、如何いたしましょう」
「慌てることはない、様子を見るのじゃ。急いては事を仕損じるというではないか」
「はっ」
白翁の言葉に頷くや否や、目の前の男はすぐさまその場を後にした。
白翁は、なおも白磁の壺を撫で続けた。
鵜野部左文字町を抜けて西厳寺の前を通り、刈沢の材木置き場に来たところで、矢沢弦太郎はやはりなと思った。
振り返れば、すぐに気付かれる。
弦太郎は何気ない調子で下駄の鼻緒を直すふりをすると、一目散に駆け出した。
たったったったっ、と弦太郎を追い掛ける足音がする。
脚力には相当自身のある弦太郎だったが、向こうもなかなかの走りっぷりのようだった。
仕方ない、ここは荒業を使うか、と二ツ木橋のちょうど真ん中辺りで、弦太郎はえいやとばかり水の中に飛び込んだ。
「無茶ですよ、弦さんも」
ありったけの布団やら何やらを頭の上から押し被せたおもんが、甘酒の入った湯呑みを弦太郎に手渡した。
「春ったって、花はまだ三分咲き。風邪でもひいたらどうするんです。あたしゃ、殿様に合わせる顔がありませんよ」
「そうやいのやいのと言われたら、それこそ頭が痛くなってくる」
弦太郎はふうふうと二、三度息を吹きかけてから甘酒を啜った。
甘酒の暖かさと甘さが、芯から冷え切った弦太郎の身体をゆっくりと解き解していく。
「で、誰なんですよ」
「そいつはまだわからねえ。ただ」
「ただ」
「髭田の山がな」
「髭田の山って、それじゃ白翁の」
前の側用人高遠摂津守頼房は齢六十にして職を辞すると、隠居所と称する髭田の小ぶりな屋敷に居を移し、自ら白翁を号した。
だが、髭田の屋敷には、幕閣や大商人たち、それに連なる者たちが、白翁の威をなんとしてでも借りんものと連日足を運んでいた。
世にいう、髭田詣である。
「流石は掃部頭の息子よの」
西海屋より献上された李朝の壺のすべすべとした手触りを愉しみながら、白翁は微笑んだ。
「御前、如何いたしましょう」
「慌てることはない、様子を見るのじゃ。急いては事を仕損じるというではないか」
「はっ」
白翁の言葉に頷くや否や、目の前の男はすぐさまその場を後にした。
白翁は、なおも白磁の壺を撫で続けた。