☆アトリエ劇研スプリングフェス
創造サポートカンパニー ショーケース Bプログラム
笑の内閣、Hauptbahnhof、努力クラブ
*出演団体
居留守、笑の内閣、Hauptbahnhof、努力クラブ
(2016年4月10日19時開演の回/アトリエ劇研)
アトリエ劇研の創造サポートカンパニー ショーケースのBプログラム。
続いては、笑の内閣が『はしょり笑の内閣』(高間響作・演出)を上演した。
で、これは高間響が笑の内閣の10年の歴史をはしょりまくって語ると称し、ハイスピードでぼやき倒す30分。
高間上皇の口舌、のみならず身体も回りに回る内容で、当然そこが見どころなんだけど、時折急ブレーキがかかるというか、技術的にスリリングな部分が散見されるのは、上皇自身織り込み済みだろう。
僕には、笑の内閣の今とこれからに対する高間上皇のストレートで切実な想いが語られているのも面白かった。
楠海緒、中本友菜、山下ダニエル弘之は、単なる助演以上の役割を与えられていた。
休憩を挟んで、Hauptbahnhofによる『あの人だけの名前』(米内山陽子脚本、金田一央紀演出)。
とある出来事をきっかけにして、それからずっと一人の男性を想い続ける女性。
その女性の心の動きが丹念に描かれたテキストを、稲森明日香で上演するという金田一さんの趣向がまずいい。
と、言うのも夕暮れ社 弱男ユニットなどでコメディエンヌ的な役割を演じながらも、稲森さんの演技からは複雑な女心の機微が垣間見えることがままあったからだ。
今回の上演では金田一さんの演出と稲森さんの特性が重なり合う部分と、そうではない部分のせめぎ合いも興味深かった。
最後は、努力クラブの『見せたいヘタな手品ショー』(合田団地作・演出)の上演。
西マサト国王演じる男が、次から次へと現われる人物たちに自殺を勧められ、どんどんどんどん追い込まれていくが、しかし最後に…。
といった展開で、笑うに笑えない、でも笑えよ、いやそれだけとちゃうわという二重底三重底、合田君らしさが十分十二分に発揮された作品だった。
特に、ラストの「凄さ」。
演者陣。
まずは、西マサト国王というおかかなしさを体現したような人物あってこその結構構成だろう。
辛抱立役、ならぬ辛抱しない立役を演じ切った。
努力クラブのメンバー佐々木峻一は抑制の効いた演技で良い意味での驚きだったし、九鬼そねみも強張りの少ない演技で存在感を示していた。
また、前回の公演と同じく、川北唯ははじけた。
一方、月亭太遊は、youtubeドラマの『フェイク・ショウ』同様、やってるやってる感を排して、あえてその場(ここでは努力クラブ)に合わせた演技を心掛けていた。
あさのふみ、篠原涼は若さの見える初々しい演技。
ほかに、無農薬亭農薬の舞台姿を久しぶりに観ることができた。
ただだからこそ、こうした顔触れが揃ったからこそ、ラストに向かう一つ一つの部分がより丹念に磨き上げられていたらと思わないでもなかった。
と、2時間、盛りだくさんな内容だったのだけれど、京都市交響楽団を聴いたあとということもあって、正直予約2500円はちょっと高いかなというのが僕の偽らざる本音だ。
2016年04月11日
アトリエ劇研 創造サポートカンパニーショーケース 居留守『ベルナルダ家』
☆アトリエ劇研スプリングフェスVol.1
創造サポートカンパニー ショーケース Bプログラム
居留守『ベルナルダ家』
*出演団体
居留守、笑の内閣、ハウプトバンホフ、努力クラブ
(2016年4月10日19時開演の回/アトリエ劇研)
京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを愉しんだあと、カナート洛北で時間を潰してから、今度はアトリエ劇研へ。
アトリエ劇研のスプリングフェスVol.1 創造サポートカンパニー ショーケースBプログラムを観劇した。
この企画は、劇研の創造サポートカンパニーに選ばれた団体が30分の短篇作品を上演して各自の手見せを行うという、まさしくショーケースとなっている。
まずは、居留守の『ベルナルダ家』(ガルシア・ロルカ作、山崎恭子演出)から。
「スペインの詩人であり劇作家でもあるガルシア・ロルカの『ベルナルダ・アルバ家』の読み直しをはかるために戯曲を解体し再構築しながら作品を制作します」と公演パンフレットにはあって、付け加えれば、昨年元立誠小学校での公演(1時間もの。未見)をはしょって再演するのではなく、今回のショーケース用に新たに組み直したバージョンだという。
『ベルナルダ・アルバ家』といえば逆『犬神家の一族』、と評するとちょっと違うか。
スペインの田舎の因襲的な家族下で起こるドラマを通して、スペインの風土とそこに生きる人(女性)たちが置かれた状況を透かせて見せた作品だ。
演出の山崎さんは、そうした原テキストの持つ核となる部分や雰囲気を演者陣の動きや言葉、姿を通じて再現するとともに、彼女たちの手によって今現在演じられる意味もはっきりと示していた…。
と、これは「公式見解」。
正直、上演が始まってすぐ、彼女たちが椅子の昇り降りをやりだしたところで、ああ、自分は「演劇」を観る耐性が本当になくなってきているのだなあ、ということを思い知らされた。
いや、山崎さんの意図は十分伝わってきたし、随所に仕掛けられた目配せも気づかないではない。
気づかないではなかったが、それが微妙というか、あと0.8(レイ・コンマ・ハチ。まるまる1ならやり過ぎになるかもしれないから)は余分に仕掛けて欲しい、といったもどかしさにとらわれたことも事実だ。
言い換えれば、そのもどかしさは、本来は理智によって計られるべきところが感性(センス)で押し進められ、感性で動かされるべきところが理智に任されたちぐはぐさ、ということになるだろうか。
実は、そのことは演者陣の演技、のみならず身体性にも繋がっている。
降矢菜採、野村明里、重実紗香は、それぞれ明確な個性と魅力を持った演者であり、山崎さんの意図に沿う努力もしっかりと重ねていた。
山崎さんもまた、彼女たちのそれをきちんと踏まえた演出を行っていた。
けれど、彼女たちと作品の結構心性の間には、どうしても想定された以上の齟齬がある。
その齟齬を活かしきるためには、やはりあと0.8の目配せが必要で、その齟齬を埋めきるためには、0.8以上では留まらない配慮が必要ではなかったか。
その中で、単に技術面だけではなく、シリアスさと独特のフラ(おかしみ。エロキューション!)を兼ね備え、些細な動きも含めて作品に沿った演技と身体を見せていた仲谷萌が強く印象に残った。
「別にあなたを責めようというんじゃないんですよ、ベルナルダ。
ただ、あたしの言いたいのは、大きく目を見ひらけばわかるってことです」
(ガルシア・ロルカ『ベルナルダ・アルバの家』から、岩波文庫『血の婚礼』他二篇所収より)
創造サポートカンパニー ショーケース Bプログラム
居留守『ベルナルダ家』
*出演団体
居留守、笑の内閣、ハウプトバンホフ、努力クラブ
(2016年4月10日19時開演の回/アトリエ劇研)
京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを愉しんだあと、カナート洛北で時間を潰してから、今度はアトリエ劇研へ。
アトリエ劇研のスプリングフェスVol.1 創造サポートカンパニー ショーケースBプログラムを観劇した。
この企画は、劇研の創造サポートカンパニーに選ばれた団体が30分の短篇作品を上演して各自の手見せを行うという、まさしくショーケースとなっている。
まずは、居留守の『ベルナルダ家』(ガルシア・ロルカ作、山崎恭子演出)から。
「スペインの詩人であり劇作家でもあるガルシア・ロルカの『ベルナルダ・アルバ家』の読み直しをはかるために戯曲を解体し再構築しながら作品を制作します」と公演パンフレットにはあって、付け加えれば、昨年元立誠小学校での公演(1時間もの。未見)をはしょって再演するのではなく、今回のショーケース用に新たに組み直したバージョンだという。
『ベルナルダ・アルバ家』といえば逆『犬神家の一族』、と評するとちょっと違うか。
スペインの田舎の因襲的な家族下で起こるドラマを通して、スペインの風土とそこに生きる人(女性)たちが置かれた状況を透かせて見せた作品だ。
演出の山崎さんは、そうした原テキストの持つ核となる部分や雰囲気を演者陣の動きや言葉、姿を通じて再現するとともに、彼女たちの手によって今現在演じられる意味もはっきりと示していた…。
と、これは「公式見解」。
正直、上演が始まってすぐ、彼女たちが椅子の昇り降りをやりだしたところで、ああ、自分は「演劇」を観る耐性が本当になくなってきているのだなあ、ということを思い知らされた。
いや、山崎さんの意図は十分伝わってきたし、随所に仕掛けられた目配せも気づかないではない。
気づかないではなかったが、それが微妙というか、あと0.8(レイ・コンマ・ハチ。まるまる1ならやり過ぎになるかもしれないから)は余分に仕掛けて欲しい、といったもどかしさにとらわれたことも事実だ。
言い換えれば、そのもどかしさは、本来は理智によって計られるべきところが感性(センス)で押し進められ、感性で動かされるべきところが理智に任されたちぐはぐさ、ということになるだろうか。
実は、そのことは演者陣の演技、のみならず身体性にも繋がっている。
降矢菜採、野村明里、重実紗香は、それぞれ明確な個性と魅力を持った演者であり、山崎さんの意図に沿う努力もしっかりと重ねていた。
山崎さんもまた、彼女たちのそれをきちんと踏まえた演出を行っていた。
けれど、彼女たちと作品の結構心性の間には、どうしても想定された以上の齟齬がある。
その齟齬を活かしきるためには、やはりあと0.8の目配せが必要で、その齟齬を埋めきるためには、0.8以上では留まらない配慮が必要ではなかったか。
その中で、単に技術面だけではなく、シリアスさと独特のフラ(おかしみ。エロキューション!)を兼ね備え、些細な動きも含めて作品に沿った演技と身体を見せていた仲谷萌が強く印象に残った。
「別にあなたを責めようというんじゃないんですよ、ベルナルダ。
ただ、あたしの言いたいのは、大きく目を見ひらけばわかるってことです」
(ガルシア・ロルカ『ベルナルダ・アルバの家』から、岩波文庫『血の婚礼』他二篇所収より)
京都市交響楽団 スプリング・コンサート
☆京都市交響楽団 スプリング・コンサート
指揮:高関健
独奏:松田華音(ピアノ)
管弦楽:京都市交響楽団
会場:京都コンサートホール大ホール
座席:3階LB1列5番
(2016年4月10日14時開演)
今年の京都市交響楽団のスプリング・コンサートは、常任首席客演指揮者の高関健が指揮台に立ち、グリンカ、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーと、ロシアの作曲家の作品によるプログラムを指揮した。
まずは、グリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲で、華々しくコンサートがスタートする…。
てな書き方は、あまりにも陳腐というか、常套句の乱用に過ぎるな。
えてしてスピード競争に陥りがちな曲だけれど、高関さんは楽器の受け渡しなど、音楽の構成がよくわかる演奏に仕上げていた。
もちろん、終盤の盛り上げも充分だった。
続くは、チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』組曲。
クリスマスを舞台としたバレエだけに、ちょちょっと季節にずれを感じなくもないが、そこは大好きな作品ゆえに全く無問題。
ソロ・アンサンブルとチャイコフスキーの作曲の妙味が十全に発揮されており、高関さんと京都市交響楽団の面々もそうした作品の特性をよく再現していた。
休憩を挟んで、後半は松田華音を独奏に迎えたラフマニノフのパガニーニの狂詩曲から。
パガニーニの24の奇想曲の終曲の主題による変奏形式の楽曲で、ピアノ・ソロは当然のこと、これまたオーケストラを聴く愉しさにも満ちた作品だ。
(てか、改めて言うまでもなく、今回のプログラム全部がそうした傾向の作品だったのだけれど)
幼少期からロシアで学んだという松田華音は、まずもって的確適切、精度の高いテクニックが強く印象に残る。
もちろん、有名な第18変奏などリリカルで旋律美にあふれた部分では、細やかな演奏を披歴していたが。
プログラム最後の、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』組曲(1919年版)も聴きどころに富んでいる。
春の日中(ひなか)のコンサートということもあってか、若干緩さを感じないでもなかったが、歌うべきところは歌い鳴らすべきところは鳴らす、きっちり要所を押さえた演奏となっていて、特に終盤ひき込まれた。
アンコールは、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第2番。
迫力満点、パワフルにコンサートを〆た。
これだけ聴けて、B席1500円は本当に安い。
ああ、愉しかった!
指揮:高関健
独奏:松田華音(ピアノ)
管弦楽:京都市交響楽団
会場:京都コンサートホール大ホール
座席:3階LB1列5番
(2016年4月10日14時開演)
今年の京都市交響楽団のスプリング・コンサートは、常任首席客演指揮者の高関健が指揮台に立ち、グリンカ、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーと、ロシアの作曲家の作品によるプログラムを指揮した。
まずは、グリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲で、華々しくコンサートがスタートする…。
てな書き方は、あまりにも陳腐というか、常套句の乱用に過ぎるな。
えてしてスピード競争に陥りがちな曲だけれど、高関さんは楽器の受け渡しなど、音楽の構成がよくわかる演奏に仕上げていた。
もちろん、終盤の盛り上げも充分だった。
続くは、チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』組曲。
クリスマスを舞台としたバレエだけに、ちょちょっと季節にずれを感じなくもないが、そこは大好きな作品ゆえに全く無問題。
ソロ・アンサンブルとチャイコフスキーの作曲の妙味が十全に発揮されており、高関さんと京都市交響楽団の面々もそうした作品の特性をよく再現していた。
休憩を挟んで、後半は松田華音を独奏に迎えたラフマニノフのパガニーニの狂詩曲から。
パガニーニの24の奇想曲の終曲の主題による変奏形式の楽曲で、ピアノ・ソロは当然のこと、これまたオーケストラを聴く愉しさにも満ちた作品だ。
(てか、改めて言うまでもなく、今回のプログラム全部がそうした傾向の作品だったのだけれど)
幼少期からロシアで学んだという松田華音は、まずもって的確適切、精度の高いテクニックが強く印象に残る。
もちろん、有名な第18変奏などリリカルで旋律美にあふれた部分では、細やかな演奏を披歴していたが。
プログラム最後の、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』組曲(1919年版)も聴きどころに富んでいる。
春の日中(ひなか)のコンサートということもあってか、若干緩さを感じないでもなかったが、歌うべきところは歌い鳴らすべきところは鳴らす、きっちり要所を押さえた演奏となっていて、特に終盤ひき込まれた。
アンコールは、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第2番。
迫力満点、パワフルにコンサートを〆た。
これだけ聴けて、B席1500円は本当に安い。
ああ、愉しかった!
2016年04月10日
犬神家の末裔 第7回
*犬神家の末裔 第7回
那須湖を眼下に眺める絶好のロケーションに、なす市民総合病院は建てられている。
戌神家の広大な邸宅と庭園の約八割を利用して、なす市民総合病院が設立されたのは、昭和三十年代の半ばだった。
メセナなどという言葉で言い表せば、何か表層的な薄っぺらさを感じてしまいそうだけれど、それが、祖父母や小枝子、その夫の雅康たちの、過分な所得は出来得る限り社会に還元すべきという強い理想主義の結実であることは、やはり事実である。
もちろん、罪滅ぼしの偽善といった評判が少なからずあったことも確かだし、その頃はまだ戌神製糸や戌神林業等、各方面の業績が好調だったことも忘れてはならないのだけれど。
その後、社会的経済的な状況の変化の中で、戌神家は経営の中心からは退く形となったものの、歴代の院長をはじめ、経営陣、医師職員たちの努力の結果、なす市民総合病院が長野県ばかりでなく、東日本を代表する高度医療センターの一つとなったことは広く知られている。
今、この病院で内科部長を務めているのが、小枝子の次男で早百合の従兄弟叔父にあたる和俊だ。
医療に励む人々の姿を身近な場所で目にするうちに、和俊は医師の道を志すようになったが、本人は門前の小僧だよといつも照れてみせる。
国境なき医師団の活動で二年間ほど中東地域に赴いていたときに生やした髭がトレードマークで、赤ひげならぬ白ひげの愛称で親しまれている。
買い物に行くという睦美と別れ、早百合は受付で案内された三階のミーティングルームに足を運んだ。
「早百合ちゃんは、これでよかったよね」
ブラックコーヒーの入ったプラスチック製のカップを早百合の前に置くと、和俊は向かい側の椅子に腰を下ろした。
「ありがとうございます」
「いやいや」
和俊は右手を小さく横に振ると、テーブルの上に造影写真や心電図の検査結果等を並べた。
「お母さん、ここのところあんまり調子がよくなかったみたいなんだけど。今朝早く、ごはんの準備をし始めたところで気分が悪くなったそうなんだ。たまたま妹さんが来てたんで、すぐにうちに連絡があって」
「むっちゃんは軽い心筋梗塞だって」
「うん、原因はここなんだけど」
と言って、和俊は心臓の造影図を早百合に指し示した。
「ここのところに血栓、血の栓ができかかっていて、これが血流、血の流れを悪くして今回の発作につながったんだね。今、薬剤を投与してこの血栓を溶かすようにしているところなんだ」
「命に別条は」
「この症状ならば八割方は大丈夫だと思う。ただ、お母さんももう八十近くだからね。不安を煽るつもりはないけど、万一のときのことは考えておいて欲しい。それに」
そこで和俊は咳を一つした。
「それに」
「それに、こっちの数値がね。これね、数値が平均値より極端に上がってて、あと腎臓の数値も。お母さん、相当しんどかったと思うんだよ。体調が安定したら、すぐにこっちのほうの治療も受けてもらおうと思って」
「悪いんですか」
「よくはないね」
「そうですか」
「早百合ちゃん、こっちに来るのは大丈夫なの」
「来ること自体、問題ないです。仕事が仕事ですから」
「そうか。お母さんも一人だとなかなかね。こっちももっと気をつけておくべきだったんだけど、かえって親戚だと」
和俊は自分が用意した緑茶を口に含んだ。
「しばらく、こっちに戻って来ようかと思って」
「そうしてもらえると、こっちもありがたいな。お母さんもきっと喜ぶだろうし」
「私、調べようと思ってるんです」
「調べるって」
「ひいおばあさんとおじいさんのこと」
「ううん。そうか」
和俊は表情を曇らせ、しばらく黙りこむと、
「調べることには反対しない。反対しないけど、お母さんにはしばらく知らせないで欲しいんだ。うちの人間よりも、お母さんのほうがそのことにナーバスだと思うから」
と続けた。
「わかりました」
「そうそう、早百合ちゃんはきちんと健康診断とか受けてるの」
「それが、実は」
「そりゃ駄目だよ。せっかくの機会だから、丸ごと検査を受けといたら。何しろ、ここは日本で一、二を争う病院なんだからね」
「受けておいたほうがいいですか」
「もちろん。早百合ちゃんだってもう若くないんだからさ」
という言葉に早百合が睨みつけると、ごめんと言って和俊は小さく頭を下げた。
那須湖を眼下に眺める絶好のロケーションに、なす市民総合病院は建てられている。
戌神家の広大な邸宅と庭園の約八割を利用して、なす市民総合病院が設立されたのは、昭和三十年代の半ばだった。
メセナなどという言葉で言い表せば、何か表層的な薄っぺらさを感じてしまいそうだけれど、それが、祖父母や小枝子、その夫の雅康たちの、過分な所得は出来得る限り社会に還元すべきという強い理想主義の結実であることは、やはり事実である。
もちろん、罪滅ぼしの偽善といった評判が少なからずあったことも確かだし、その頃はまだ戌神製糸や戌神林業等、各方面の業績が好調だったことも忘れてはならないのだけれど。
その後、社会的経済的な状況の変化の中で、戌神家は経営の中心からは退く形となったものの、歴代の院長をはじめ、経営陣、医師職員たちの努力の結果、なす市民総合病院が長野県ばかりでなく、東日本を代表する高度医療センターの一つとなったことは広く知られている。
今、この病院で内科部長を務めているのが、小枝子の次男で早百合の従兄弟叔父にあたる和俊だ。
医療に励む人々の姿を身近な場所で目にするうちに、和俊は医師の道を志すようになったが、本人は門前の小僧だよといつも照れてみせる。
国境なき医師団の活動で二年間ほど中東地域に赴いていたときに生やした髭がトレードマークで、赤ひげならぬ白ひげの愛称で親しまれている。
買い物に行くという睦美と別れ、早百合は受付で案内された三階のミーティングルームに足を運んだ。
「早百合ちゃんは、これでよかったよね」
ブラックコーヒーの入ったプラスチック製のカップを早百合の前に置くと、和俊は向かい側の椅子に腰を下ろした。
「ありがとうございます」
「いやいや」
和俊は右手を小さく横に振ると、テーブルの上に造影写真や心電図の検査結果等を並べた。
「お母さん、ここのところあんまり調子がよくなかったみたいなんだけど。今朝早く、ごはんの準備をし始めたところで気分が悪くなったそうなんだ。たまたま妹さんが来てたんで、すぐにうちに連絡があって」
「むっちゃんは軽い心筋梗塞だって」
「うん、原因はここなんだけど」
と言って、和俊は心臓の造影図を早百合に指し示した。
「ここのところに血栓、血の栓ができかかっていて、これが血流、血の流れを悪くして今回の発作につながったんだね。今、薬剤を投与してこの血栓を溶かすようにしているところなんだ」
「命に別条は」
「この症状ならば八割方は大丈夫だと思う。ただ、お母さんももう八十近くだからね。不安を煽るつもりはないけど、万一のときのことは考えておいて欲しい。それに」
そこで和俊は咳を一つした。
「それに」
「それに、こっちの数値がね。これね、数値が平均値より極端に上がってて、あと腎臓の数値も。お母さん、相当しんどかったと思うんだよ。体調が安定したら、すぐにこっちのほうの治療も受けてもらおうと思って」
「悪いんですか」
「よくはないね」
「そうですか」
「早百合ちゃん、こっちに来るのは大丈夫なの」
「来ること自体、問題ないです。仕事が仕事ですから」
「そうか。お母さんも一人だとなかなかね。こっちももっと気をつけておくべきだったんだけど、かえって親戚だと」
和俊は自分が用意した緑茶を口に含んだ。
「しばらく、こっちに戻って来ようかと思って」
「そうしてもらえると、こっちもありがたいな。お母さんもきっと喜ぶだろうし」
「私、調べようと思ってるんです」
「調べるって」
「ひいおばあさんとおじいさんのこと」
「ううん。そうか」
和俊は表情を曇らせ、しばらく黙りこむと、
「調べることには反対しない。反対しないけど、お母さんにはしばらく知らせないで欲しいんだ。うちの人間よりも、お母さんのほうがそのことにナーバスだと思うから」
と続けた。
「わかりました」
「そうそう、早百合ちゃんはきちんと健康診断とか受けてるの」
「それが、実は」
「そりゃ駄目だよ。せっかくの機会だから、丸ごと検査を受けといたら。何しろ、ここは日本で一、二を争う病院なんだからね」
「受けておいたほうがいいですか」
「もちろん。早百合ちゃんだってもう若くないんだからさ」
という言葉に早百合が睨みつけると、ごめんと言って和俊は小さく頭を下げた。
2016年04月09日
ワンマンショーを観て、用件を片付けた(CLACLA日記)
晴天が続く。
いいお天気、いい青空の一日。
気温も上昇し、春真っ盛り。
その分、花粉の飛散も増して、時折くしゃみに悩まされたが。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
今日も今日とて、両耳(特に左耳)が不調。
聴こえには全く問題がないんだけれど、うっとうしい。
やれやれ。
東京地検特捜部が、甘利明前経済産業大臣の現金授受問題に関して捜索を開始した。
当然厳しく追及される問題だと思うが、どうして国会でTPPの審査が云々かんぬんされている今なのか、ということについても考えざるをえない。
そして、ガス抜きで終わってしまうのではないかと思わざるをえない。
それにしても、TPPに関するあの黒塗りの文章はなんなんだろうか。
国益国益と政府は繰り返しているようだが、TPPそのものが国益に反するのではないのか。
安倍首相のペテン師ぶりも含めて、どうにも不安である。
北朝鮮がまたぞろ動き始めた。
タイミングのよさは、いつものことである。
目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夜1時過ぎに寝床に就き、7時半に起きる。
で、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番<naïve>、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第6回として投稿したりする。
正午過ぎ、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
14時過ぎに外出して、京都大学近くのスタジオヴァリエへ。
丸山交通公園ワンマンショー2DAYSのうち再演B『平成ぼやき講座』を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!
開演前終演後、丸山君や関係各氏と話をする。
その後、仕事関係の用件を片付け、左京西部いきいき市民活動センターに寄り、夕飯用の買い物をして、18時半頃帰宅した。
帰りがけ、旧知の人と遭遇し、しばらく立ち話をする。
帰宅後、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第101番「時計」を聴いたりしながら、観劇記録を投稿したりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『N響 ザ・レジェンド』を聴く。
新年度のスタートということで、NHK交響楽団が演奏した序曲の特集。
オトマール・スウィトナー指揮によるモーツァルトの『フィガロの結婚』序曲、シャルル・デュトワ指揮によるロッシーニの『セビリャの理髪師』序曲、ジャン・フルネ指揮によるベルリオーズの『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲、ネルロ・サンティ指揮によるヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り』序曲、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮によるワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、ハインツ・ヴァルベルク指揮によるスッペの『詩人と農夫』序曲、エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮によるチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』が放送されていた。
続けて、今夜から21時スタートとなった『クラシックの迷宮』を聴く。
1916年4月9日に生れた作曲家木下忠司の100歳の誕生日を記念した特集。
おなじみ『水戸黄門』のテーマ曲に始まり、戦時下に作曲された5つの歌曲や、親友尾崎宗吉(1945年に戦病死した)や師の諸井三郎の作品、兄木下惠介とのコンビによる映画音楽(自らが歌った『破れ太鼓』のテーマ・ソング等)、さらには『水戸黄門』のおなじみ旋律や『特捜最前線』のテーマと「私だけの十字架」等々、本当に盛りだくさんの内容だった。
ああ、面白かった!
さらに、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第102番〜第104番「ロンドン」を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進めたり、吉田篤弘の『イッタイゼンタイ』<徳間書店>を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
いいお天気、いい青空の一日。
気温も上昇し、春真っ盛り。
その分、花粉の飛散も増して、時折くしゃみに悩まされたが。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
今日も今日とて、両耳(特に左耳)が不調。
聴こえには全く問題がないんだけれど、うっとうしい。
やれやれ。
東京地検特捜部が、甘利明前経済産業大臣の現金授受問題に関して捜索を開始した。
当然厳しく追及される問題だと思うが、どうして国会でTPPの審査が云々かんぬんされている今なのか、ということについても考えざるをえない。
そして、ガス抜きで終わってしまうのではないかと思わざるをえない。
それにしても、TPPに関するあの黒塗りの文章はなんなんだろうか。
国益国益と政府は繰り返しているようだが、TPPそのものが国益に反するのではないのか。
安倍首相のペテン師ぶりも含めて、どうにも不安である。
北朝鮮がまたぞろ動き始めた。
タイミングのよさは、いつものことである。
目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夜1時過ぎに寝床に就き、7時半に起きる。
で、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番<naïve>、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第6回として投稿したりする。
正午過ぎ、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
14時過ぎに外出して、京都大学近くのスタジオヴァリエへ。
丸山交通公園ワンマンショー2DAYSのうち再演B『平成ぼやき講座』を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!
開演前終演後、丸山君や関係各氏と話をする。
その後、仕事関係の用件を片付け、左京西部いきいき市民活動センターに寄り、夕飯用の買い物をして、18時半頃帰宅した。
帰りがけ、旧知の人と遭遇し、しばらく立ち話をする。
帰宅後、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第101番「時計」を聴いたりしながら、観劇記録を投稿したりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『N響 ザ・レジェンド』を聴く。
新年度のスタートということで、NHK交響楽団が演奏した序曲の特集。
オトマール・スウィトナー指揮によるモーツァルトの『フィガロの結婚』序曲、シャルル・デュトワ指揮によるロッシーニの『セビリャの理髪師』序曲、ジャン・フルネ指揮によるベルリオーズの『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲、ネルロ・サンティ指揮によるヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り』序曲、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮によるワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、ハインツ・ヴァルベルク指揮によるスッペの『詩人と農夫』序曲、エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮によるチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』が放送されていた。
続けて、今夜から21時スタートとなった『クラシックの迷宮』を聴く。
1916年4月9日に生れた作曲家木下忠司の100歳の誕生日を記念した特集。
おなじみ『水戸黄門』のテーマ曲に始まり、戦時下に作曲された5つの歌曲や、親友尾崎宗吉(1945年に戦病死した)や師の諸井三郎の作品、兄木下惠介とのコンビによる映画音楽(自らが歌った『破れ太鼓』のテーマ・ソング等)、さらには『水戸黄門』のおなじみ旋律や『特捜最前線』のテーマと「私だけの十字架」等々、本当に盛りだくさんの内容だった。
ああ、面白かった!
さらに、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第102番〜第104番「ロンドン」を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進めたり、吉田篤弘の『イッタイゼンタイ』<徳間書店>を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
丸山交通公園ワンマンショー2DAYS 再演B『平成ぼやき講座』
☆丸山交通公園ワンマンショー2DAYS 再演B『平成ぼやき講座』
出演:丸山交通公園
(2016年4月9日15時頃開演/スタジオヴァリエ)
今日明日と二日間に渡って開催される、丸山交通公園ワンマンショー2DAYSのうち、今日15時からの再演B『平成ぼやき講座』に足を運んだ。
『平成ぼやき講座』といえば、昨年11月(21日)の京大NFでの丸山節全開の初演、中でも中盤のチェーホフの『煙草の害毒について』っぽい(と言ったら、ちょっと違うかな)、妄想の部分が強く印象に残っている。
で、今回はその再演というふれ込みだったのだが、ぼやきの、それも捨てネタがいくつか重なる程度で、ほとんど新作と言ってもよいような内容となっていた。
まずは、分厚いフリップ(画用紙)を持って丸山交通公園が登場。
ひとくさりあったのち、フリップを使ったぼやきが始まったと思ったら…。
と、ここから先は明日もあるので記さないけど、フリップを「相手」にして丸山君という人間の自虐と自尊がよく表われており、とても興味深く、とてもおかかなしかった。
一つには、密室芸というか、ブラックボックス・タイプのスタジオヴァリエの閉じられた空間の中で、内心これってほんまは笑ってええんかな、いんや笑うで、という丸山君とお客さんとの「共犯関係」が生み出されていたことも大きいのだろうが。
いずれにしても、やたけたさと計算のあいまった、丸山ワールドを愉しむことができた。
アンケートの「(丸山君は)これからどうしたらいいか?」といった趣旨の設問じゃないけど、それじゃあここから先、どのような企画を打ち出していくのか、言葉を換えれば、自虐と自尊とともに、自律と自負をどうしっかり築いていくべきかが丸山君の課題だと思うが、彼自身それも織り込みずみだろう。
無料カンパ制。
ご都合よろしい方は、ぜひ。
ああ、面白かった!
出演:丸山交通公園
(2016年4月9日15時頃開演/スタジオヴァリエ)
今日明日と二日間に渡って開催される、丸山交通公園ワンマンショー2DAYSのうち、今日15時からの再演B『平成ぼやき講座』に足を運んだ。
『平成ぼやき講座』といえば、昨年11月(21日)の京大NFでの丸山節全開の初演、中でも中盤のチェーホフの『煙草の害毒について』っぽい(と言ったら、ちょっと違うかな)、妄想の部分が強く印象に残っている。
で、今回はその再演というふれ込みだったのだが、ぼやきの、それも捨てネタがいくつか重なる程度で、ほとんど新作と言ってもよいような内容となっていた。
まずは、分厚いフリップ(画用紙)を持って丸山交通公園が登場。
ひとくさりあったのち、フリップを使ったぼやきが始まったと思ったら…。
と、ここから先は明日もあるので記さないけど、フリップを「相手」にして丸山君という人間の自虐と自尊がよく表われており、とても興味深く、とてもおかかなしかった。
一つには、密室芸というか、ブラックボックス・タイプのスタジオヴァリエの閉じられた空間の中で、内心これってほんまは笑ってええんかな、いんや笑うで、という丸山君とお客さんとの「共犯関係」が生み出されていたことも大きいのだろうが。
いずれにしても、やたけたさと計算のあいまった、丸山ワールドを愉しむことができた。
アンケートの「(丸山君は)これからどうしたらいいか?」といった趣旨の設問じゃないけど、それじゃあここから先、どのような企画を打ち出していくのか、言葉を換えれば、自虐と自尊とともに、自律と自負をどうしっかり築いていくべきかが丸山君の課題だと思うが、彼自身それも織り込みずみだろう。
無料カンパ制。
ご都合よろしい方は、ぜひ。
ああ、面白かった!
犬神家の末裔 第6回
*犬神家の末裔 第6回
「いつもメールありがとう」
「こっちこそ。PTAに生協、おまけにパートまでやってるから、短いのしか送れないんだけど」
「相変わらずアクティヴだね」
「いやあ、これも血だよ」
睦美が笑い声を上げた。
「あっ、この前贈ってもらった本も面白かったよ」
「そう言ってもらえると嬉しいなあ」
「昔っからお話作るの上手かったからねえ」
「まさか物書きになるとは思ってなかったけどね」
「最近、忙しいんだよね」
「まあ一応」
「おばちゃんがさあ、早百合はちっとも連絡くれんて言ってたもんだから」
「そっか。母さん、携帯持ってないからなあ」
「まあ、電話はなかなかね」
立憲政治を護る、フルハシキョウイチロウ。
立憲政治を護る、フルハシキョウイチロウ。
「古橋って、顧問弁護士の」
「うん、あの人もあけーから」
再び睦美が笑い声を上げた。
「実はね、私あのこと調べようと思ってるんだ」
「あのことって」
「ひいおばあさんやおじいさんのこと」
「うちのことか」
「そう。横溝正史の小説って、モデルはうちのことだけど、八割方フィクションじゃない」
「ばあちゃん、未だに怒ってるもんね。私はこんなおかしな女じゃないって」
小枝子は戦前戦中戦後と穂高の相馬黒光女史に学ぶなどして、男勝りとまで言われた人物だ。
犬神小夜子の造形に腹を立てるのも当然だろう。
「おまけに、映画で小夜子の役やったの川口晶でしょ、ばあちゃんカンカン」
「奥菜恵もやってたけどね」
「そっちは観てないんだ、ばあちゃん。二番煎じはやだよ言うて」
「らしいなあ」
「で、川口晶って、三益愛子だっけ、娘でしょう。ばあちゃん、なんでか三益愛子が大嫌いなんだよ。昔、お涙頂戴の映画に出ててうんざりしたって。石坂浩二は大好きだったらしいけど、昨日久しぶりに会って、あんたも老けちゃったねえって。石坂浩二も、ばあちゃんに言われたくはないわ」
「えっ、石坂さんにそんなこと言ったの」
「そう。石坂浩二、ぶすっとしてた」
早百合には、石坂浩二の憮然とした表情が目に浮かぶようだった。
「私も作家だから、横溝さんの気持ちはよくわかるの。実際に起こったことをそのまま書いたって、ちっとも面白くないから」
「うん」
「だけど、ていうか、だからか。それじゃあ、実際に起こったことって一体なんだったのかなあと思って」
「実際に起こったことねえ」
「そう。なんでひいおばあさんはあんなことしちゃったんだろうとか。いくら自分の母親を庇うためとはいえ、おじいさんだってひどいことしたわけじゃない。私は、優しくて静かなおじいさんしか覚えてないから」
「そうかあ」
そこで、ふうと大きくため息を吐くと、
「この前ばあちゃんが言ってたんだよね。NHKのファミリー・ヒストリーだっけ、あれ見てて。きれいごとだよって。ええって訊き返すとさあ、こんなのテレビジョンでやっても差し障りのない人間だけが出てるんだから、きれいごとだ、だったらあたしのファミリー・ヒストリーやってみろ、って。もう怖いもんなしなんだよね」
と、睦美は続けた。
「そっか。そんなこと言ってたんだ」
「やったら。まあ、早百合ちゃんならやるなって言ってもやっちゃうんだろうけど」
「たぶんね。私は私だもん」
早百合がようやく笑い声を上げた。
「もうすぐ着くよ」
目の前に那須湖が見えてきた。
「いつもメールありがとう」
「こっちこそ。PTAに生協、おまけにパートまでやってるから、短いのしか送れないんだけど」
「相変わらずアクティヴだね」
「いやあ、これも血だよ」
睦美が笑い声を上げた。
「あっ、この前贈ってもらった本も面白かったよ」
「そう言ってもらえると嬉しいなあ」
「昔っからお話作るの上手かったからねえ」
「まさか物書きになるとは思ってなかったけどね」
「最近、忙しいんだよね」
「まあ一応」
「おばちゃんがさあ、早百合はちっとも連絡くれんて言ってたもんだから」
「そっか。母さん、携帯持ってないからなあ」
「まあ、電話はなかなかね」
立憲政治を護る、フルハシキョウイチロウ。
立憲政治を護る、フルハシキョウイチロウ。
「古橋って、顧問弁護士の」
「うん、あの人もあけーから」
再び睦美が笑い声を上げた。
「実はね、私あのこと調べようと思ってるんだ」
「あのことって」
「ひいおばあさんやおじいさんのこと」
「うちのことか」
「そう。横溝正史の小説って、モデルはうちのことだけど、八割方フィクションじゃない」
「ばあちゃん、未だに怒ってるもんね。私はこんなおかしな女じゃないって」
小枝子は戦前戦中戦後と穂高の相馬黒光女史に学ぶなどして、男勝りとまで言われた人物だ。
犬神小夜子の造形に腹を立てるのも当然だろう。
「おまけに、映画で小夜子の役やったの川口晶でしょ、ばあちゃんカンカン」
「奥菜恵もやってたけどね」
「そっちは観てないんだ、ばあちゃん。二番煎じはやだよ言うて」
「らしいなあ」
「で、川口晶って、三益愛子だっけ、娘でしょう。ばあちゃん、なんでか三益愛子が大嫌いなんだよ。昔、お涙頂戴の映画に出ててうんざりしたって。石坂浩二は大好きだったらしいけど、昨日久しぶりに会って、あんたも老けちゃったねえって。石坂浩二も、ばあちゃんに言われたくはないわ」
「えっ、石坂さんにそんなこと言ったの」
「そう。石坂浩二、ぶすっとしてた」
早百合には、石坂浩二の憮然とした表情が目に浮かぶようだった。
「私も作家だから、横溝さんの気持ちはよくわかるの。実際に起こったことをそのまま書いたって、ちっとも面白くないから」
「うん」
「だけど、ていうか、だからか。それじゃあ、実際に起こったことって一体なんだったのかなあと思って」
「実際に起こったことねえ」
「そう。なんでひいおばあさんはあんなことしちゃったんだろうとか。いくら自分の母親を庇うためとはいえ、おじいさんだってひどいことしたわけじゃない。私は、優しくて静かなおじいさんしか覚えてないから」
「そうかあ」
そこで、ふうと大きくため息を吐くと、
「この前ばあちゃんが言ってたんだよね。NHKのファミリー・ヒストリーだっけ、あれ見てて。きれいごとだよって。ええって訊き返すとさあ、こんなのテレビジョンでやっても差し障りのない人間だけが出てるんだから、きれいごとだ、だったらあたしのファミリー・ヒストリーやってみろ、って。もう怖いもんなしなんだよね」
と、睦美は続けた。
「そっか。そんなこと言ってたんだ」
「やったら。まあ、早百合ちゃんならやるなって言ってもやっちゃうんだろうけど」
「たぶんね。私は私だもん」
早百合がようやく笑い声を上げた。
「もうすぐ着くよ」
目の前に那須湖が見えてきた。
2016年04月08日
グッドライフではなくバッドライフ クラスモではなくクルシモ(CLACLA日記)
晴天へ。
いいお天気、いい青空の一日。
気温も上昇し、春らしく穏やか。
その分、花粉の飛散も激しいようで、時折くしゃみを連発したが。
皆さん、時節柄くれぐれもご自愛くださいね。
両耳(特に左耳)の調子、芳しからず。
やれやれ。
パナマ文書なるものが世情を賑わしているが、日本の政治家や企業はどの程度関係しているのか。
非常に気になるところだ。
裏カジノがどうこうとかまびすしい。
世の中には、事の軽重というものがわからない人があまりにも多いようだ。
確かに度し難いことではあるけれど、もっと度し難いことはあるだろうに。
選挙前のたぶらかしや、目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
そして、こうしたたぶらかしや目くらましの八百長猿芝居に騙されて、騙された騙されたと広言する人間ほど馬鹿愚かもいないと思う。
馬鹿愚かにはなりたくない!
(世の中には本当のことをCMで言われて怒る人がたくさんいるようですね)
昨夜、24時半過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番<naïve>や、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第4回として投稿したりする。
9時過ぎから、マンションの室内工事がギーンギーンガーンガーンとやたらとかまびすしい。
直接下の部屋ではなく、その隣でもなく、さらにその隣の部屋の工事なのだけれど、やかましいやかましい。
で、工事があるとの貼紙は当該階(こちらにとっては一つ下の階)と、1階の非常に目立たないところに貼ってあるだけで、一つ上や一つ下の階には何もなされていない。
しかも、その貼紙には11日〜20日までと記されている。
なんじゃこりゃ。
なんのために、毎月管理費をきちんきちんと支払っているのか。
これではグッドライフではなくバッドライフ、クラスモでなくクルシモではないか。
気が効かぬ上の嘘つき(どこかの国の総理大臣か)、おふざけなさんな!
午後、仕事関係の予定をすませる。
その後、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』は途中下車し、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第99番〜第104番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第5回として投稿したり、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み進めたりする。
『オペラ・ファンタスティカ』では、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場でのモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』上演のライヴ録音(ジェフリー・テイト指揮他)が放送されていたが、歌い手の声質がどうにも好みにあわず聴くのをやめてしまった。
まあ、我慢する必要もないしね。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第5番〜第7番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、『火山のふもとで』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、アイラ・レヴィン指揮ブルガリア国立放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
ハイドンの交響曲第95番、アレクサンデルとダニエルのガーフィンケル兄弟の独奏によるクラマーシュの2つのクラリネットのための協奏曲、ベートーヴェンの交響曲第8番と『レオノーレ』序曲第2番が放送されていた。
アイラ・レヴィンはミヒャエル・ギーレンに指揮を学んだというが、オケの技量もあってちょっと大味な演奏。
双子のガーフィンケルの妙技は実に愉しかったが。
続けて、マリア・ジョアン・ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第16番&第21番<ドイツ・グラモフォン>、デヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏した同じくシューベルトの交響曲第7番「未完成」<RCA>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の今後の展開について考えたりする。
『火山のふもとで』を読了する。
小説を読む愉しみを味わうことのできる作品だった。
ああ、面白かった!
続けて、吉田篤弘の『イッタイゼンタイ』<徳間書店>を読み始める。
今日は、不二家ハートチョコレートを食す。
近くのグルメシティで、税込み30円に値下げされていたもの。
ピーナッツの入ったハート形のチョコレートで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
いいお天気、いい青空の一日。
気温も上昇し、春らしく穏やか。
その分、花粉の飛散も激しいようで、時折くしゃみを連発したが。
皆さん、時節柄くれぐれもご自愛くださいね。
両耳(特に左耳)の調子、芳しからず。
やれやれ。
パナマ文書なるものが世情を賑わしているが、日本の政治家や企業はどの程度関係しているのか。
非常に気になるところだ。
裏カジノがどうこうとかまびすしい。
世の中には、事の軽重というものがわからない人があまりにも多いようだ。
確かに度し難いことではあるけれど、もっと度し難いことはあるだろうに。
選挙前のたぶらかしや、目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
そして、こうしたたぶらかしや目くらましの八百長猿芝居に騙されて、騙された騙されたと広言する人間ほど馬鹿愚かもいないと思う。
馬鹿愚かにはなりたくない!
(世の中には本当のことをCMで言われて怒る人がたくさんいるようですね)
昨夜、24時半過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番<naïve>や、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第4回として投稿したりする。
9時過ぎから、マンションの室内工事がギーンギーンガーンガーンとやたらとかまびすしい。
直接下の部屋ではなく、その隣でもなく、さらにその隣の部屋の工事なのだけれど、やかましいやかましい。
で、工事があるとの貼紙は当該階(こちらにとっては一つ下の階)と、1階の非常に目立たないところに貼ってあるだけで、一つ上や一つ下の階には何もなされていない。
しかも、その貼紙には11日〜20日までと記されている。
なんじゃこりゃ。
なんのために、毎月管理費をきちんきちんと支払っているのか。
これではグッドライフではなくバッドライフ、クラスモでなくクルシモではないか。
気が効かぬ上の嘘つき(どこかの国の総理大臣か)、おふざけなさんな!
午後、仕事関係の予定をすませる。
その後、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』は途中下車し、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第99番〜第104番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』を書き進め第5回として投稿したり、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み進めたりする。
『オペラ・ファンタスティカ』では、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場でのモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』上演のライヴ録音(ジェフリー・テイト指揮他)が放送されていたが、歌い手の声質がどうにも好みにあわず聴くのをやめてしまった。
まあ、我慢する必要もないしね。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第5番〜第7番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、『火山のふもとで』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、アイラ・レヴィン指揮ブルガリア国立放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
ハイドンの交響曲第95番、アレクサンデルとダニエルのガーフィンケル兄弟の独奏によるクラマーシュの2つのクラリネットのための協奏曲、ベートーヴェンの交響曲第8番と『レオノーレ』序曲第2番が放送されていた。
アイラ・レヴィンはミヒャエル・ギーレンに指揮を学んだというが、オケの技量もあってちょっと大味な演奏。
双子のガーフィンケルの妙技は実に愉しかったが。
続けて、マリア・ジョアン・ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第16番&第21番<ドイツ・グラモフォン>、デヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏した同じくシューベルトの交響曲第7番「未完成」<RCA>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の今後の展開について考えたりする。
『火山のふもとで』を読了する。
小説を読む愉しみを味わうことのできる作品だった。
ああ、面白かった!
続けて、吉田篤弘の『イッタイゼンタイ』<徳間書店>を読み始める。
今日は、不二家ハートチョコレートを食す。
近くのグルメシティで、税込み30円に値下げされていたもの。
ピーナッツの入ったハート形のチョコレートで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
犬神家の末裔 第5回
*犬神家の末裔 第5回
那須市長選は地域活性化の現職カドワキダイサクをご支援ください。
那須市長選は地域活性化の現職カドワキダイサクをご支援ください。
喧しい選挙カーが対向車線を走り抜けて行った。
「市長選か」
「次の日曜日が投票日」
「門脇って現職だよね」
「うん。今度の選挙に勝ったら、市民会館潰して、ムジークなんたろいう立派なコンサートホール建てる言ってて。地域活性化じゃ、松本や長野には負けておられんのじゃ言って」
「松本は小澤征爾で、長野は久石譲だもんね」
「なんか鈴ちゃんにまで連絡あったんだって。ぜひ、N響で杮落ししたいからって。それで、一応うちにも断りの挨拶に来たんだけど、ばあちゃん、無駄金使ってどうするか、この抜け作がって一喝したんだ」
「抜け作」
「うん、抜け作」
「小枝子おばさん、百近いんじゃない」
「今年で九十四だけど、まあだ矍鑠としてる。朝昼晩て、しっかりごはんも食べてるし。頭もしっかりしたもんで、和俊おじさんなんか、百二十ぐらいまで生きるかもしれんよて。憎まれっ子世に憚るだって自分で言うてるくらい」
「小枝子おばさんらしいなあ」
「そうだよ。まあ、コンサートホールはばあちゃんの言う通りだと思うよ。あんなの造ったところで、ゼネコン喜ばすだけだから」
「田中さんが知事になって、だいぶん変わったんじゃないの」
「いやあ、なかなか。那須もまだまだ田舎だからね。地元の人間が潤うんならまだしも、美味しいところは全部大手が持って行くんだって、これは信哉の受け売りだけどね」
信哉は睦美の夫で、信州新報の記者をやっている。
「だいたい古いお店が潰れて、ドラッグストアや百均ばっかり建ってるんだ。地域活性化もへったくれもないわ。あっ、こんなことばっかり言ってるから、戌神の家はあけーて噂されるんだった」
睦美がちろっと舌を出した。
もともと信州は左翼の強い土地柄だし、私生活は置くとして、戌神恒兵衛自身、東の戌神西の大原と呼ばれた進歩的経営者として知られた人だった。
戦前陰ながら無産政党を支援していたという逸話もあるだけに、その末裔たちがリベラルな思想に走ったところでなんら不思議ではない。
那須市長選は地域活性化の現職カドワキダイサクをご支援ください。
那須市長選は地域活性化の現職カドワキダイサクをご支援ください。
喧しい選挙カーが対向車線を走り抜けて行った。
「市長選か」
「次の日曜日が投票日」
「門脇って現職だよね」
「うん。今度の選挙に勝ったら、市民会館潰して、ムジークなんたろいう立派なコンサートホール建てる言ってて。地域活性化じゃ、松本や長野には負けておられんのじゃ言って」
「松本は小澤征爾で、長野は久石譲だもんね」
「なんか鈴ちゃんにまで連絡あったんだって。ぜひ、N響で杮落ししたいからって。それで、一応うちにも断りの挨拶に来たんだけど、ばあちゃん、無駄金使ってどうするか、この抜け作がって一喝したんだ」
「抜け作」
「うん、抜け作」
「小枝子おばさん、百近いんじゃない」
「今年で九十四だけど、まあだ矍鑠としてる。朝昼晩て、しっかりごはんも食べてるし。頭もしっかりしたもんで、和俊おじさんなんか、百二十ぐらいまで生きるかもしれんよて。憎まれっ子世に憚るだって自分で言うてるくらい」
「小枝子おばさんらしいなあ」
「そうだよ。まあ、コンサートホールはばあちゃんの言う通りだと思うよ。あんなの造ったところで、ゼネコン喜ばすだけだから」
「田中さんが知事になって、だいぶん変わったんじゃないの」
「いやあ、なかなか。那須もまだまだ田舎だからね。地元の人間が潤うんならまだしも、美味しいところは全部大手が持って行くんだって、これは信哉の受け売りだけどね」
信哉は睦美の夫で、信州新報の記者をやっている。
「だいたい古いお店が潰れて、ドラッグストアや百均ばっかり建ってるんだ。地域活性化もへったくれもないわ。あっ、こんなことばっかり言ってるから、戌神の家はあけーて噂されるんだった」
睦美がちろっと舌を出した。
もともと信州は左翼の強い土地柄だし、私生活は置くとして、戌神恒兵衛自身、東の戌神西の大原と呼ばれた進歩的経営者として知られた人だった。
戦前陰ながら無産政党を支援していたという逸話もあるだけに、その末裔たちがリベラルな思想に走ったところでなんら不思議ではない。
犬神家の末裔 第4回
*犬神家の末裔 第4回
早百合が物思いにふけっているうちに、新幹線は那須駅に着いた。
長野新幹線が開業してからというもの、一時間半足らずで東京と那須は結ばれるようになった。
ただ、時間的な距離が短くなった分、精神的な距離も短くなったかといえば、たぶんそれは違うと早百合は思う。
電車を降りたとたん、冷たい風が早百合の頬を打った。
バッグの中からマフラーを取り出して、早百合は首に巻き付けた。
たった一時間半の差で、これだけ気温が違う。
「早百合さん、ですよね」
早百合がはっとして視線を移すと、若い男性を連れた長身の壮年の男性が、東京行きのホームに向かおうとしているところだった。
端正な声にもしやと思っていたら、やはり彼だった。
「ご無沙汰しております」
早百合が頭を下げると、先方も同様に頭を下げた。
「お母様、早くよくなりますように」
男性はもう一度頭を下げてから、階段を上がって行った。
駅の玄関口を出ると、メールに書かれていた通り、バスロータリーの隅に青のボルボが停まっていた。
早百合が軽く手を振ると、運転席の睦美が頷き返す。
かまってかまってかまってちゃん。
こまったこまったこまったちゃん。
助手席のドアを開けると、流行りを過ぎたアイドル・グループの陽気を装った歌が零れてきた。
「お疲れ」
「そっちこそありがとう」
睦美は小枝子の次女の美智子の長女だから、早百合にとっては、はとこにあたる。
早百合とは、八つ違いだ。
「母さんの具合は」
「軽い心筋梗塞やって。詳しくは和俊おじさんが説明してくれると思うけど」
「そっか」
「そしたら出すね」
ゆっくりとボルボが動き始めた。
「あっ、さっき石坂さんに会ったよ。母さんのことも知ってたんでびっくりした」
「石坂浩二、昨日うちに来てたんよ」
バックミラーを気にしながら、睦美が応えた。
「えっ、うちに」
「うん。なんか今度WOWWOWで金田一耕助の特集やるんで、また那須で撮影するんやって。で、その前に戌神家にもご挨拶にって」
「知らんかった」
「おばちゃん、調子がようないもんですからって挨拶しただけですぐに部屋に戻ったんやけど。信光がもう大はしゃぎしてかなわんかった」
「信光君、いくつやったっけ」
「再来月で九歳」
睦美が軽やかにハンドルを切った。
早百合が物思いにふけっているうちに、新幹線は那須駅に着いた。
長野新幹線が開業してからというもの、一時間半足らずで東京と那須は結ばれるようになった。
ただ、時間的な距離が短くなった分、精神的な距離も短くなったかといえば、たぶんそれは違うと早百合は思う。
電車を降りたとたん、冷たい風が早百合の頬を打った。
バッグの中からマフラーを取り出して、早百合は首に巻き付けた。
たった一時間半の差で、これだけ気温が違う。
「早百合さん、ですよね」
早百合がはっとして視線を移すと、若い男性を連れた長身の壮年の男性が、東京行きのホームに向かおうとしているところだった。
端正な声にもしやと思っていたら、やはり彼だった。
「ご無沙汰しております」
早百合が頭を下げると、先方も同様に頭を下げた。
「お母様、早くよくなりますように」
男性はもう一度頭を下げてから、階段を上がって行った。
駅の玄関口を出ると、メールに書かれていた通り、バスロータリーの隅に青のボルボが停まっていた。
早百合が軽く手を振ると、運転席の睦美が頷き返す。
かまってかまってかまってちゃん。
こまったこまったこまったちゃん。
助手席のドアを開けると、流行りを過ぎたアイドル・グループの陽気を装った歌が零れてきた。
「お疲れ」
「そっちこそありがとう」
睦美は小枝子の次女の美智子の長女だから、早百合にとっては、はとこにあたる。
早百合とは、八つ違いだ。
「母さんの具合は」
「軽い心筋梗塞やって。詳しくは和俊おじさんが説明してくれると思うけど」
「そっか」
「そしたら出すね」
ゆっくりとボルボが動き始めた。
「あっ、さっき石坂さんに会ったよ。母さんのことも知ってたんでびっくりした」
「石坂浩二、昨日うちに来てたんよ」
バックミラーを気にしながら、睦美が応えた。
「えっ、うちに」
「うん。なんか今度WOWWOWで金田一耕助の特集やるんで、また那須で撮影するんやって。で、その前に戌神家にもご挨拶にって」
「知らんかった」
「おばちゃん、調子がようないもんですからって挨拶しただけですぐに部屋に戻ったんやけど。信光がもう大はしゃぎしてかなわんかった」
「信光君、いくつやったっけ」
「再来月で九歳」
睦美が軽やかにハンドルを切った。
2016年04月07日
雨の日 『犬神家の末裔』を書き進めた(CLACLA日記)
雨、雨、雨。
どんよりとしたお天気の一日。
気温は上昇するも、じめじめむわむわとして快ならず。
皆さん、時節柄くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調に加え、気圧と湿度のWパンチ。
やれやれ。
民進党の山尾志桜里政調会長の元秘書によるガソリン代の不正請求が取り沙汰されている。
不正は不正、しっかり追及されねばならないが、先日の国会での山尾代議士による安倍首相追及の様子を思い返せば、ああやられたなとどうしても思わざるをえない。
甘利元大臣の問題はいったいどこにいったのか、その他の自民党代議士の問題はどうなるのか。
だいたい、ガソリン代でいえば安倍首相や菅官房長官も多額の請求を続けているそうではないか。
と、言って、実は僕は政府与党の側がこうした手法を取り続けることそれ自体が問題であるとは思っていない。
いや、そうしたやり口は卑怯卑劣ではあるけれど、権力の側が自らのそれを維持するためには、たとえ道徳的(ばかりではなく、ときに法的)に問題があることであろうとそうした手法、手段を選ぶものであることは、洋の東西を問わず長い歴史を振り返ってみれば当為のことでもあるのである。
結局大切なことは、そうした事どもがいつでも起こり得るという認識を僕(ら)一人一人がしっかり持ち続けることであり、そうした事どもに対してどう判断をくだしていくかということなのだ。
もっとも愚かで恥ずべきことは、与えられた情報を鵜呑みにして大勢に流されることではないか。
そして、騙された騙されたと本気で繰り返すことではないか。
目くらましの八百長猿芝居には騙されたくない。
昨夜、24時半過ぎに寝床に就いて、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第2回』を書いて投稿したりする。
雨のため、予定が変更になる。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第100番「軍隊」〜第104番「ロンドン」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第3回』を書いて投稿したり、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み進めたりする。
途中、15分ほど昼寝もした。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ボヤン・スジッチ指揮セルビア放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
アレクサンダル・パブロヴィッチの独奏によるシューマンのピアノ協奏曲、ブラームスの大学祝典序曲、ブリスティッチのオラトリオ『復活』が演奏されていた。
ブリスティッチの『復活』が、予想外に聴きものだった。
続けて、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスのセレナード第1番と、ヴァイオリン協奏曲(シェロモ・ミンツの独奏)&大学祝典序曲<ともにドイツ・グラモフォン>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第3回』を書いて投稿したり、『火山のふもとで』を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
どんよりとしたお天気の一日。
気温は上昇するも、じめじめむわむわとして快ならず。
皆さん、時節柄くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調に加え、気圧と湿度のWパンチ。
やれやれ。
民進党の山尾志桜里政調会長の元秘書によるガソリン代の不正請求が取り沙汰されている。
不正は不正、しっかり追及されねばならないが、先日の国会での山尾代議士による安倍首相追及の様子を思い返せば、ああやられたなとどうしても思わざるをえない。
甘利元大臣の問題はいったいどこにいったのか、その他の自民党代議士の問題はどうなるのか。
だいたい、ガソリン代でいえば安倍首相や菅官房長官も多額の請求を続けているそうではないか。
と、言って、実は僕は政府与党の側がこうした手法を取り続けることそれ自体が問題であるとは思っていない。
いや、そうしたやり口は卑怯卑劣ではあるけれど、権力の側が自らのそれを維持するためには、たとえ道徳的(ばかりではなく、ときに法的)に問題があることであろうとそうした手法、手段を選ぶものであることは、洋の東西を問わず長い歴史を振り返ってみれば当為のことでもあるのである。
結局大切なことは、そうした事どもがいつでも起こり得るという認識を僕(ら)一人一人がしっかり持ち続けることであり、そうした事どもに対してどう判断をくだしていくかということなのだ。
もっとも愚かで恥ずべきことは、与えられた情報を鵜呑みにして大勢に流されることではないか。
そして、騙された騙されたと本気で繰り返すことではないか。
目くらましの八百長猿芝居には騙されたくない。
昨夜、24時半過ぎに寝床に就いて、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第2回』を書いて投稿したりする。
雨のため、予定が変更になる。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第100番「軍隊」〜第104番「ロンドン」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第3回』を書いて投稿したり、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み進めたりする。
途中、15分ほど昼寝もした。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ボヤン・スジッチ指揮セルビア放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
アレクサンダル・パブロヴィッチの独奏によるシューマンのピアノ協奏曲、ブラームスの大学祝典序曲、ブリスティッチのオラトリオ『復活』が演奏されていた。
ブリスティッチの『復活』が、予想外に聴きものだった。
続けて、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスのセレナード第1番と、ヴァイオリン協奏曲(シェロモ・ミンツの独奏)&大学祝典序曲<ともにドイツ・グラモフォン>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第3回』を書いて投稿したり、『火山のふもとで』を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
犬神家の末裔 第3回
*犬神家の末裔 第3回
早百合が夏目と出会ったのは、彼女が社会人となってしばらくしてからのことだ。
早百合は学生生活の終わりとともに、彼女にとって幸福ではない恋愛にも終止符を打っていた。
だが、
「お前には壁があるんだよ。だから、お前とやっててもちっとも楽しくなかったんだ」
という、前の恋人の別れ際の無思慮な言葉は、早百合の心の中で癒えない傷となって残っていた。
前の恋人の歪んだ表情と一緒にその言葉が脳裏に浮かぶたび、早百合は、死ね、と口にしかけて自分の感情をすぐに押し留めた。
「たとえどんな相手でも、死ねなんてこと言ってはだめなの」
あれは、早百合がまだ幼稚園か小学校の低学年の頃だった。
何かにかっとなって、死ね、死んでしまえと叫んだとき、傍にいた祖母が早百合の目をじっと見つめながら、そう諭したのだ。
それ以来、心の中では、死ね、死ねばいいのに、死んでしまえと思っていても、早百合はその言葉を口に出すことを躊躇うようになった。
もしかしたら、その躊躇いこそ、自分の心の壁を生み出す一因となっているのではないかと思いつつも。
そんな早百合の想いを知ってか知らずか、夏目は彼女に対してとても優しく接しかけてきた。
まるで、最初から壁などなかったかのように。
早百合が勤務する広告会社にイラストレーターとしてよく出入りしていた夏目と親しくなったのは、たまたま休みの日に出かけた新宿御苑でだった。
陽の光を浴びながら大の字になって寝転がっている男性が、なんだかとても気持ちよさそうだ。
おそるおそる近寄ってみると、なんとそれが夏目だったのである。
「夏目さん」
と、声をかけると、夏目は上半身を起こして、おお早百合ちゃんと言った。
さらに早百合が近寄ると、夏目は再びごろんとなって、
「こうしてるとさあ、次から次にアイデアが浮かんでくるんだよね」
と、さも嬉しそうに続けた。
思わず早百合も夏目の横にごろんとなって、手足を大きく拡げ、ううわあと声を出した。
夏目も早百合を真似して、ううわあと声を出した。
夏目と付き合い始めてすぐに、父が亡くなった。
入院して僅か二週間。
早百合には、ゆっくり別れの言葉を父と交わす時間が与えられなかった。
混乱する早百合を自動車で那須の実家まで送ってくれたのも、夏目だった。
お願いだからお通夜や葬儀にも出て、と早百合は口にしたが、それはだめだよ、と言って夏目は東京へと戻って行った。
早百合が夏目を母に紹介したのは、父の一周忌の席だった。
夏目が同行することは、すでに電話で知らせてあった。
母は、そうなのとだけ素っ気なく応えた。
「私にとって大事な人なの」
「よろしくお願いいたします」
二人が頭を下げたとたん母は、あなたたちはこんな場所で、なんてふしだらな、常識知らずで恥知らずの男、情けない、うちには分ける遺産なんてない、と切れ切れの言葉で罵り始めた。
「こんなことぐらいで取りのぼせてどうするの」
と、大叔母の小枝子に平手で頬を叩かれて、母はようやく正気に返ったが、今度は夏目が立ち上がり、一同に深々とお辞儀をすると、黙ってその場を去って行った。
それっきり、早百合は夏目と連絡がとれなくなった。
人づてに、夏目が郷里の帯広に戻ったと聞いたのは、それからだいぶん経ってからのことだ。
今となっては、夫を亡くした哀しみや、一人娘を奪われてしまうかもしれない動揺や、さらには親類縁者を前にした緊張といった心の中の諸々が、一瞬母を狂わせてしまったのだと想像することはできるものの、あの日の母の醜い顔を早百合はどうしても忘れることができない。
早百合が夏目と出会ったのは、彼女が社会人となってしばらくしてからのことだ。
早百合は学生生活の終わりとともに、彼女にとって幸福ではない恋愛にも終止符を打っていた。
だが、
「お前には壁があるんだよ。だから、お前とやっててもちっとも楽しくなかったんだ」
という、前の恋人の別れ際の無思慮な言葉は、早百合の心の中で癒えない傷となって残っていた。
前の恋人の歪んだ表情と一緒にその言葉が脳裏に浮かぶたび、早百合は、死ね、と口にしかけて自分の感情をすぐに押し留めた。
「たとえどんな相手でも、死ねなんてこと言ってはだめなの」
あれは、早百合がまだ幼稚園か小学校の低学年の頃だった。
何かにかっとなって、死ね、死んでしまえと叫んだとき、傍にいた祖母が早百合の目をじっと見つめながら、そう諭したのだ。
それ以来、心の中では、死ね、死ねばいいのに、死んでしまえと思っていても、早百合はその言葉を口に出すことを躊躇うようになった。
もしかしたら、その躊躇いこそ、自分の心の壁を生み出す一因となっているのではないかと思いつつも。
そんな早百合の想いを知ってか知らずか、夏目は彼女に対してとても優しく接しかけてきた。
まるで、最初から壁などなかったかのように。
早百合が勤務する広告会社にイラストレーターとしてよく出入りしていた夏目と親しくなったのは、たまたま休みの日に出かけた新宿御苑でだった。
陽の光を浴びながら大の字になって寝転がっている男性が、なんだかとても気持ちよさそうだ。
おそるおそる近寄ってみると、なんとそれが夏目だったのである。
「夏目さん」
と、声をかけると、夏目は上半身を起こして、おお早百合ちゃんと言った。
さらに早百合が近寄ると、夏目は再びごろんとなって、
「こうしてるとさあ、次から次にアイデアが浮かんでくるんだよね」
と、さも嬉しそうに続けた。
思わず早百合も夏目の横にごろんとなって、手足を大きく拡げ、ううわあと声を出した。
夏目も早百合を真似して、ううわあと声を出した。
夏目と付き合い始めてすぐに、父が亡くなった。
入院して僅か二週間。
早百合には、ゆっくり別れの言葉を父と交わす時間が与えられなかった。
混乱する早百合を自動車で那須の実家まで送ってくれたのも、夏目だった。
お願いだからお通夜や葬儀にも出て、と早百合は口にしたが、それはだめだよ、と言って夏目は東京へと戻って行った。
早百合が夏目を母に紹介したのは、父の一周忌の席だった。
夏目が同行することは、すでに電話で知らせてあった。
母は、そうなのとだけ素っ気なく応えた。
「私にとって大事な人なの」
「よろしくお願いいたします」
二人が頭を下げたとたん母は、あなたたちはこんな場所で、なんてふしだらな、常識知らずで恥知らずの男、情けない、うちには分ける遺産なんてない、と切れ切れの言葉で罵り始めた。
「こんなことぐらいで取りのぼせてどうするの」
と、大叔母の小枝子に平手で頬を叩かれて、母はようやく正気に返ったが、今度は夏目が立ち上がり、一同に深々とお辞儀をすると、黙ってその場を去って行った。
それっきり、早百合は夏目と連絡がとれなくなった。
人づてに、夏目が郷里の帯広に戻ったと聞いたのは、それからだいぶん経ってからのことだ。
今となっては、夫を亡くした哀しみや、一人娘を奪われてしまうかもしれない動揺や、さらには親類縁者を前にした緊張といった心の中の諸々が、一瞬母を狂わせてしまったのだと想像することはできるものの、あの日の母の醜い顔を早百合はどうしても忘れることができない。
犬神家の末裔 第2回
*犬神家の末裔 第2回
朱雀経康は早百合にとって初めての恋人だった。
同じサークルの緑に紹介されたのがきっかけで、経康は学習院の文学部に通っていた。
彼って、元侯爵家の次男坊なの。
と、緑が耳元で囁いたが、確かに長身で色白、人懐こい表情は元華族の家柄に相応しかった。
最初のデートがサントリーホールでのコンサートというのも、また非常にそれらしかった。
早百合がチケットのことを気にすると経康は、叔父が新聞社の芸術部門担当だから、と言って微笑んだ。
地元にいた頃、早百合にクラシック音楽に触れる機会がなかったわけではない。
それどころか、早百合の実家が援助して建設された市民会館で行われるコンサートには、両親ともどもよく足を運んだものだ。
そういえば、音楽の道に進んで今ではNHK交響楽団のフルート奏者をやっている従妹の鈴世は、何かのコンクールの本選まで進んだとき、審査員を務めていた音楽評論家で横溝正史の長男の亮一氏に、「私、犬神家の一族です」と声をかけて面喰われたと言っていた。
そういう性格だからこそ、臆せず戌神の姓を名乗っていられるのだろう。
ただ、囹圄の人であった祖父を一生庇い続けた祖母の人柄もあってか、早百合の実家は質素質実を旨ともしていた。
だから、サントリーホールの煌びやかな内装の中で、シャンパンでも飲みますか、と経康に訊かれたときは、まだ未成年ですから、と早百合は慌てて手を横に振った。
そんな早百合の言葉と仕草に、早百合さんは面白い人ですね、と経康は再び微笑んだ。
その日は、レナード・バーンスタインが自作の『ウェストサイド・ストーリー』を指揮するのを早百合は愉しみにしていたのだけれど、バーンスタインは見るからに体調が悪そうで、その曲に限って、彼の弟子という日本人の青年がタクトを執った。
会場からは、失望と怒りの入り混じった声も聞かれたが、コンサートのあとに入った喫茶店でも、経康はそのことに一切触れようとはしなかった。
ただ、
「最初に演奏されたブリテンの『ピーター・グライムズ』にしても、『ウェストサイド・ストーリー』にしても悲劇ですよね。概してフィクションというものは、バッドエンドはバッドエンド、ハッピーエンドはハッピーエンドで閉じられてしまいがちなんだけど。僕は、どうしてもその先のことを考えてしまうんですよ。悲劇のあと、喜劇のあとに取り残された登場人物たちのことを」
という経康の言葉を、早百合は今でも覚えている。
それから、経康に誘われて何度かデートをし、彼の自宅を訪ねたこともあった。
経康だけではなく、元外交官の彼の父親も、私だって平民の家の出なんだからと笑う彼の母親も、思っていた以上に気さくな人たちだったのだが、屋敷の中にある弁財天の社が、中高とクリスチャン系の女子校に通った早百合には、どうにも禍々しくて仕方なかった。
あれだけは、潰せなくってね。
早百合の僅かな表情の変化に気付いたのだろう、経康の父は申し訳なさそうにそう言うと、パイプの煙を燻らせた。
結局、世界の違いが大きかったのか、一年半ほどして二人はどちらからともなく疎遠となってしまった。
早百合と経康は清い関係のままだった。
朱雀経康は早百合にとって初めての恋人だった。
同じサークルの緑に紹介されたのがきっかけで、経康は学習院の文学部に通っていた。
彼って、元侯爵家の次男坊なの。
と、緑が耳元で囁いたが、確かに長身で色白、人懐こい表情は元華族の家柄に相応しかった。
最初のデートがサントリーホールでのコンサートというのも、また非常にそれらしかった。
早百合がチケットのことを気にすると経康は、叔父が新聞社の芸術部門担当だから、と言って微笑んだ。
地元にいた頃、早百合にクラシック音楽に触れる機会がなかったわけではない。
それどころか、早百合の実家が援助して建設された市民会館で行われるコンサートには、両親ともどもよく足を運んだものだ。
そういえば、音楽の道に進んで今ではNHK交響楽団のフルート奏者をやっている従妹の鈴世は、何かのコンクールの本選まで進んだとき、審査員を務めていた音楽評論家で横溝正史の長男の亮一氏に、「私、犬神家の一族です」と声をかけて面喰われたと言っていた。
そういう性格だからこそ、臆せず戌神の姓を名乗っていられるのだろう。
ただ、囹圄の人であった祖父を一生庇い続けた祖母の人柄もあってか、早百合の実家は質素質実を旨ともしていた。
だから、サントリーホールの煌びやかな内装の中で、シャンパンでも飲みますか、と経康に訊かれたときは、まだ未成年ですから、と早百合は慌てて手を横に振った。
そんな早百合の言葉と仕草に、早百合さんは面白い人ですね、と経康は再び微笑んだ。
その日は、レナード・バーンスタインが自作の『ウェストサイド・ストーリー』を指揮するのを早百合は愉しみにしていたのだけれど、バーンスタインは見るからに体調が悪そうで、その曲に限って、彼の弟子という日本人の青年がタクトを執った。
会場からは、失望と怒りの入り混じった声も聞かれたが、コンサートのあとに入った喫茶店でも、経康はそのことに一切触れようとはしなかった。
ただ、
「最初に演奏されたブリテンの『ピーター・グライムズ』にしても、『ウェストサイド・ストーリー』にしても悲劇ですよね。概してフィクションというものは、バッドエンドはバッドエンド、ハッピーエンドはハッピーエンドで閉じられてしまいがちなんだけど。僕は、どうしてもその先のことを考えてしまうんですよ。悲劇のあと、喜劇のあとに取り残された登場人物たちのことを」
という経康の言葉を、早百合は今でも覚えている。
それから、経康に誘われて何度かデートをし、彼の自宅を訪ねたこともあった。
経康だけではなく、元外交官の彼の父親も、私だって平民の家の出なんだからと笑う彼の母親も、思っていた以上に気さくな人たちだったのだが、屋敷の中にある弁財天の社が、中高とクリスチャン系の女子校に通った早百合には、どうにも禍々しくて仕方なかった。
あれだけは、潰せなくってね。
早百合の僅かな表情の変化に気付いたのだろう、経康の父は申し訳なさそうにそう言うと、パイプの煙を燻らせた。
結局、世界の違いが大きかったのか、一年半ほどして二人はどちらからともなく疎遠となってしまった。
早百合と経康は清い関係のままだった。
2016年04月06日
文章の訓練を続ける(CLACLA日記)
晴天。
いい青空、いいお天気の一日。
気温も上昇し、春らしい。
両耳(特に左耳)の調子、一向に好転せず。
同じ病院に行くか、それとも別の病院に行くか。
いずれにしても、うっとうしい。
九州電力川内原子力発電所1号機、2号機の運転差し止めに関する仮処分申し立てに対し、福岡高裁宮崎支部は申し立て却下の鹿児島地裁の決定を支持する判断を示した。
いろいろと考えることあり。
アメリカ大統領選の候補者指名争いが続いているが、共和党のトランプ候補は失速状態と。
ただ、彼を追っているのが保守強硬派のクルーズ候補というのは、どうにもうんざりな話である。
一方民主党のほうは、クリントン候補とサンダース候補の争いが続いている。
昨夜、24時半過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番、第100番「軍隊」<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『花は花でもお江戸の花だ』を投稿したりする。
『花は花でもお江戸の花だ』は、文章の訓練(時代小説)である。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』や、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第1回』を投稿したりする。
『犬神家の末裔 第1回』は、タイトルから予想される内容とは異なり、純文学の範疇に入るSNS用不連続小説だ。
大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読了する。
今書かれるべくして書かれた作品集だった。
ああ、面白かった!
続けて、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み始める。
17時頃外出して、仕事関係の用件を片付け、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番「ロンドン」<TELDEC>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』を聴く。
ウラディーミル・クラニチェヴィチ指揮クロアチア放送交響楽団が演奏したボジタル・クンツの祝典序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ドゥブラフカ・トムシッチの独奏)、ボリス・パパンドプロのシンフォニア・ブレヴィス、ブラームスの哀悼の歌などが放送されていた。
続けて、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団他が演奏したブラームスのドイツ・レクイエム<ハルモニアムンディ・フランス>、フランク・ベールマン指揮ハノーヴァーNDRフィルが演奏したフェスカの交響曲第1番他<CPO>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の続きを書き進めたり、『火山のふもとで』を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
いい青空、いいお天気の一日。
気温も上昇し、春らしい。
両耳(特に左耳)の調子、一向に好転せず。
同じ病院に行くか、それとも別の病院に行くか。
いずれにしても、うっとうしい。
九州電力川内原子力発電所1号機、2号機の運転差し止めに関する仮処分申し立てに対し、福岡高裁宮崎支部は申し立て却下の鹿児島地裁の決定を支持する判断を示した。
いろいろと考えることあり。
アメリカ大統領選の候補者指名争いが続いているが、共和党のトランプ候補は失速状態と。
ただ、彼を追っているのが保守強硬派のクルーズ候補というのは、どうにもうんざりな話である。
一方民主党のほうは、クリントン候補とサンダース候補の争いが続いている。
昨夜、24時半過ぎに寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番、第100番「軍隊」<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『花は花でもお江戸の花だ』を投稿したりする。
『花は花でもお江戸の花だ』は、文章の訓練(時代小説)である。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』や、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔 第1回』を投稿したりする。
『犬神家の末裔 第1回』は、タイトルから予想される内容とは異なり、純文学の範疇に入るSNS用不連続小説だ。
大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読了する。
今書かれるべくして書かれた作品集だった。
ああ、面白かった!
続けて、松家仁之の『火山のふもとで』<新潮社>を読み始める。
17時頃外出して、仕事関係の用件を片付け、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番「ロンドン」<TELDEC>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』を聴く。
ウラディーミル・クラニチェヴィチ指揮クロアチア放送交響楽団が演奏したボジタル・クンツの祝典序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ドゥブラフカ・トムシッチの独奏)、ボリス・パパンドプロのシンフォニア・ブレヴィス、ブラームスの哀悼の歌などが放送されていた。
続けて、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団他が演奏したブラームスのドイツ・レクイエム<ハルモニアムンディ・フランス>、フランク・ベールマン指揮ハノーヴァーNDRフィルが演奏したフェスカの交響曲第1番他<CPO>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『犬神家の末裔』の続きを書き進めたり、『火山のふもとで』を読み進めたりする。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
犬神家の末裔 第1回
*犬神家の末裔 第1回
禍福は糾える縄の如し、というけれど、何が禍で何が幸福なのかは、結局長い歳月を経てみないとわからないものだと早百合は思った。
四十を二つか三つ過ぎたばかりで父は亡くなってしまったが、その後に起こった様々な出来事を考えてみれば、もしかしたらそれで父にとっては幸せだったのかもしれない。
いや、傾きつつある家業をなんとしても守ろうとして、無理に無理を重ねた結果があの急な病だったのかもしれず、そういえば亡くなる直前の白髪が増えて目の下に深い隅のできた父の顔は、実際の年齢よりも十以上老けて見えたものだった。
そんな父や、黙って父に従う母の姿を目にするのも辛くて、早百合はなかなか帰省しようとはしなかった。
一つには、バブルの残り香のするシティライフとやらの一端を享受していたことも小さくはなかったが、それより何より、地方特有のねっとりと絡みつくような湿った雰囲気が、早百合はたまらなく嫌だったのだ。
特に、かつて早百合の実家は、彼女が生れた地方では指折りの財閥として知られていた。
しかも、半世紀近く前の話とはいえ、その一族では遺産相続に纏わる複雑な人間関係の末に、殺人事件が起こったりまでもした。
実際、早百合の祖父母はその事件の中心人物でもあった。
だから、と言うよりも、父方の姓があまりにもおどろどろしく、かつ有名であることもあって、早百合は母方の姓である小林をずっと名乗っていたほどだ。
今朝早く、母が倒れたと叔母から電話があったとき、早百合はわけもなく、ずっと後回しにしてきたつけを払うときが来たのだという想いにとらわれた。
禍福は糾える縄の如し、というけれど、何が禍で何が幸福なのかは、結局長い歳月を経てみないとわからないものだと早百合は思った。
四十を二つか三つ過ぎたばかりで父は亡くなってしまったが、その後に起こった様々な出来事を考えてみれば、もしかしたらそれで父にとっては幸せだったのかもしれない。
いや、傾きつつある家業をなんとしても守ろうとして、無理に無理を重ねた結果があの急な病だったのかもしれず、そういえば亡くなる直前の白髪が増えて目の下に深い隅のできた父の顔は、実際の年齢よりも十以上老けて見えたものだった。
そんな父や、黙って父に従う母の姿を目にするのも辛くて、早百合はなかなか帰省しようとはしなかった。
一つには、バブルの残り香のするシティライフとやらの一端を享受していたことも小さくはなかったが、それより何より、地方特有のねっとりと絡みつくような湿った雰囲気が、早百合はたまらなく嫌だったのだ。
特に、かつて早百合の実家は、彼女が生れた地方では指折りの財閥として知られていた。
しかも、半世紀近く前の話とはいえ、その一族では遺産相続に纏わる複雑な人間関係の末に、殺人事件が起こったりまでもした。
実際、早百合の祖父母はその事件の中心人物でもあった。
だから、と言うよりも、父方の姓があまりにもおどろどろしく、かつ有名であることもあって、早百合は母方の姓である小林をずっと名乗っていたほどだ。
今朝早く、母が倒れたと叔母から電話があったとき、早百合はわけもなく、ずっと後回しにしてきたつけを払うときが来たのだという想いにとらわれた。
花は花でもお江戸の花だ(文章の訓練)
☆花は花でもお江戸の花だ 弦太郎八番勝負より(文章の訓練)
鵜野部左文字町を抜けて西厳寺の前を通り、刈沢の材木置き場に来たところで、矢沢弦太郎はやはりなと思った。
振り返れば、すぐに気付かれる。
弦太郎は何気ない調子で下駄の鼻緒を直すふりをすると、一目散に駆け出した。
たったったったっ、と弦太郎を追い掛ける足音がする。
脚力には相当自身のある弦太郎だったが、向こうもなかなかの走りっぷりのようだった。
仕方ない、ここは荒業を使うか、と二ツ木橋のちょうど真ん中辺りで、弦太郎はえいやとばかり水の中に飛び込んだ。
「無茶ですよ、弦さんも」
ありったけの布団やら何やらを頭の上から押し被せたおもんが、甘酒の入った湯呑みを弦太郎に手渡した。
「春ったって、花はまだ三分咲き。風邪でもひいたらどうするんです。あたしゃ、殿様に合わせる顔がありませんよ」
「そうやいのやいのと言われたら、それこそ頭が痛くなってくる」
弦太郎はふうふうと二、三度息を吹きかけてから甘酒を啜った。
甘酒の暖かさと甘さが、芯から冷え切った弦太郎の身体をゆっくりと解き解していく。
「で、誰なんですよ」
「そいつはまだわからねえ。ただ」
「ただ」
「髭田の山がな」
「髭田の山って、それじゃ白翁の」
前の側用人高遠摂津守頼房は齢六十にして職を辞すると、隠居所と称する髭田の小ぶりな屋敷に居を移し、自ら白翁を号した。
だが、髭田の屋敷には、幕閣や大商人たち、それに連なる者たちが、白翁の威をなんとしてでも借りんものと連日足を運んでいた。
世にいう、髭田詣である。
「流石は掃部頭の息子よの」
西海屋より献上された李朝の壺のすべすべとした手触りを愉しみながら、白翁は微笑んだ。
「御前、如何いたしましょう」
「慌てることはない、様子を見るのじゃ。急いては事を仕損じるというではないか」
「はっ」
白翁の言葉に頷くや否や、目の前の男はすぐさまその場を後にした。
白翁は、なおも白磁の壺を撫で続けた。
鵜野部左文字町を抜けて西厳寺の前を通り、刈沢の材木置き場に来たところで、矢沢弦太郎はやはりなと思った。
振り返れば、すぐに気付かれる。
弦太郎は何気ない調子で下駄の鼻緒を直すふりをすると、一目散に駆け出した。
たったったったっ、と弦太郎を追い掛ける足音がする。
脚力には相当自身のある弦太郎だったが、向こうもなかなかの走りっぷりのようだった。
仕方ない、ここは荒業を使うか、と二ツ木橋のちょうど真ん中辺りで、弦太郎はえいやとばかり水の中に飛び込んだ。
「無茶ですよ、弦さんも」
ありったけの布団やら何やらを頭の上から押し被せたおもんが、甘酒の入った湯呑みを弦太郎に手渡した。
「春ったって、花はまだ三分咲き。風邪でもひいたらどうするんです。あたしゃ、殿様に合わせる顔がありませんよ」
「そうやいのやいのと言われたら、それこそ頭が痛くなってくる」
弦太郎はふうふうと二、三度息を吹きかけてから甘酒を啜った。
甘酒の暖かさと甘さが、芯から冷え切った弦太郎の身体をゆっくりと解き解していく。
「で、誰なんですよ」
「そいつはまだわからねえ。ただ」
「ただ」
「髭田の山がな」
「髭田の山って、それじゃ白翁の」
前の側用人高遠摂津守頼房は齢六十にして職を辞すると、隠居所と称する髭田の小ぶりな屋敷に居を移し、自ら白翁を号した。
だが、髭田の屋敷には、幕閣や大商人たち、それに連なる者たちが、白翁の威をなんとしてでも借りんものと連日足を運んでいた。
世にいう、髭田詣である。
「流石は掃部頭の息子よの」
西海屋より献上された李朝の壺のすべすべとした手触りを愉しみながら、白翁は微笑んだ。
「御前、如何いたしましょう」
「慌てることはない、様子を見るのじゃ。急いては事を仕損じるというではないか」
「はっ」
白翁の言葉に頷くや否や、目の前の男はすぐさまその場を後にした。
白翁は、なおも白磁の壺を撫で続けた。
2016年04月05日
ほぼハイドンづくしの一日(CLACLA日記)
どんよりとした感じはありつつも、晴天へ。
気温も上昇し、春らしい一日。
季節の変わり目、皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の調子、どうにも芳しからず。
聴力に問題はないようで、近所の工事の騒音も相変わらずしっかり聴こえているが、うっとうしいことに変わりはない。
別の病院で診察してもらおうか。
やれやれ。
医療費のことを考えても、何がアベノミクスじゃと口にしたくなる。
一橋大学名誉教授で歴史学者(日本近世・近代史)の、安丸良夫が亡くなった。81歳。
深く、深く、深く、深く黙祷。
昨夜、1時半に寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番<naïve>を聴いたりしながら、ネオ落語記録(前々々回の記事)や「劇評三態 劇核自覚コウシロー第5回公演『キャン・ユウ・ライト?』」(前々回の記事)を投稿したり、仕事関係の作業を進めたりする。
午後、ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』やミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第100番「軍隊」、第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読み進めたりする。
途中、15分ほど昼寝をした。
16時台に外出して仕事関係の用件を片付け、京都芸術センターに寄り、夕飯用の買い物をすませる。
17時50分近くに帰宅。
帰宅後、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏した同じくハイドンの交響曲第77番&第76番<BBCミュージックマガジン>を聴いたりしながら、『たすけて、おとうさん』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』の「世界のオーケストラ〜東欧 スロヴェニア放送交響楽団」を聴く。
ブノア・フロマンジュ指揮によるマスネの『ラホールの王』序曲、ロレンツォ・カストリオータ指揮によるプッチーニの交響的奇想曲、ジョージ・ペーリヴァニアン指揮によるボニンの『カンクロ』とシベリウスの交響曲第1番などが放送されていた。
続けて、シギスヴァルト・クイケンさん指揮ラ・プティット・バンドが演奏したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番「ロンドン」<DHM>、フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーが弾いた同じくハイドンのソナタ第34番&第33番他<同>を聴く。
今日も、ほぼハイドンづくし。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『内田秋子のこと』を投稿したり、『たすけて、おとうさん』を読み進めたりする。
『内田秋子のこと』は原稿用紙に換算して5枚弱の、文章の訓練。
フィクション(フェイク・エッセイ)である。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
馬鹿につける薬はない。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温も上昇し、春らしい一日。
季節の変わり目、皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の調子、どうにも芳しからず。
聴力に問題はないようで、近所の工事の騒音も相変わらずしっかり聴こえているが、うっとうしいことに変わりはない。
別の病院で診察してもらおうか。
やれやれ。
医療費のことを考えても、何がアベノミクスじゃと口にしたくなる。
一橋大学名誉教授で歴史学者(日本近世・近代史)の、安丸良夫が亡くなった。81歳。
深く、深く、深く、深く黙祷。
昨夜、1時半に寝床に就き、7時に起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番<naïve>を聴いたりしながら、ネオ落語記録(前々々回の記事)や「劇評三態 劇核自覚コウシロー第5回公演『キャン・ユウ・ライト?』」(前々回の記事)を投稿したり、仕事関係の作業を進めたりする。
午後、ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』やミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第100番「軍隊」、第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読み進めたりする。
途中、15分ほど昼寝をした。
16時台に外出して仕事関係の用件を片付け、京都芸術センターに寄り、夕飯用の買い物をすませる。
17時50分近くに帰宅。
帰宅後、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏した同じくハイドンの交響曲第77番&第76番<BBCミュージックマガジン>を聴いたりしながら、『たすけて、おとうさん』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』の「世界のオーケストラ〜東欧 スロヴェニア放送交響楽団」を聴く。
ブノア・フロマンジュ指揮によるマスネの『ラホールの王』序曲、ロレンツォ・カストリオータ指揮によるプッチーニの交響的奇想曲、ジョージ・ペーリヴァニアン指揮によるボニンの『カンクロ』とシベリウスの交響曲第1番などが放送されていた。
続けて、シギスヴァルト・クイケンさん指揮ラ・プティット・バンドが演奏したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番「ロンドン」<DHM>、フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーが弾いた同じくハイドンのソナタ第34番&第33番他<同>を聴く。
今日も、ほぼハイドンづくし。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『内田秋子のこと』を投稿したり、『たすけて、おとうさん』を読み進めたりする。
『内田秋子のこと』は原稿用紙に換算して5枚弱の、文章の訓練。
フィクション(フェイク・エッセイ)である。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
馬鹿につける薬はない。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
内田秋子のこと
*内田秋子のこと
早いもので、演劇界の友人内田秋子が亡くなって、かれこれ十五年が過ぎようとしている。
良くも悪くも俺が俺が我が我がの自己顕示欲が欠かせないこの世界で、彼女はあまりにも臆面があり過ぎる俳優であり、企画者だった。
まるでクマノミか何かのように稽古場の隅に潜んで「通し」の進行を見つめる彼女の姿を、私はどうしても忘れることができない。
そんな性分が災いしてか、嫌な想いをさせられることも少なくなく、学生劇団時代以来の友人で恋人でもあった日根野貴之など、「あんなだから秋は損をするんですよ」と憤然とした口調で、しかし彼女には絶対に聞かれることのない場所で度々こぼしたものだ。
本来ならば、彼女と日根野の鍛錬研鑚の場所として始まったトランスクリプション(最初は久松のアトリエ・スキップだったのが、最後には輪多の市民劇場で開催されるまでになった)が、回を重ねるうちに先輩たちの芸の見せ場になってしまったのにも、当然内田秋子の人柄、性根の良さが関係しているのではないか。
チェーホフの『ワーニャおじさん』をやるとなったとき、ソーニャをやらせろソーニャをやらせろと壊れたレコード・プレイヤーの如く繰り返した車戸千恵子に向かって、「大根役者が恥を知れ」と叱りつけて大もめにもめたことが今では懐かしい。
その車戸千恵子も、内田秋子が亡くなった次の年に自動車事故で亡くなってしまった。
内田秋子にとって最後の舞台となった、ブレヒトの詩による一幕物『どうして道徳経はできたのか もしくは、老子亡命記』で、どうしても童子の役をやりたいと言ったときは、まさか病魔に侵されているとは思ってもみなかったので、ようやく彼女も我を張るようになったと私は大いに喜んだほどだ。
確かに、出たいと意地を通しただけに、あの作品での彼女の熱の入れようは半端なかった。
臼杵昌也の老子、布目進の税関吏、牛尾舞の税関吏の妻と伍して、彼女は童子の役を演じ切った。
中でも、税関吏に対して、
「水は柔軟で、つねに流れる、
流れて、強大な岩に時とともにうちかってゆく。
つまり、動かぬものがついに敗れる」
と、師匠の老子の教えを語るときの軽みがあって柔らかで誇らしげな言葉と表情は、内田秋子という演技者の最高の場面だったと評しても過言ではない。
水はつねに流れる、といえば、彼女は井深川の川べりに佇んで、長い時間水の流れを見つめているのが好きだった。
なんだか動かぬものばかりが目につく今日この頃だけれど、こういうときにこそ、あの日の彼女の台詞を、もう一度思い起こしたいと思う。
早いもので、演劇界の友人内田秋子が亡くなって、かれこれ十五年が過ぎようとしている。
良くも悪くも俺が俺が我が我がの自己顕示欲が欠かせないこの世界で、彼女はあまりにも臆面があり過ぎる俳優であり、企画者だった。
まるでクマノミか何かのように稽古場の隅に潜んで「通し」の進行を見つめる彼女の姿を、私はどうしても忘れることができない。
そんな性分が災いしてか、嫌な想いをさせられることも少なくなく、学生劇団時代以来の友人で恋人でもあった日根野貴之など、「あんなだから秋は損をするんですよ」と憤然とした口調で、しかし彼女には絶対に聞かれることのない場所で度々こぼしたものだ。
本来ならば、彼女と日根野の鍛錬研鑚の場所として始まったトランスクリプション(最初は久松のアトリエ・スキップだったのが、最後には輪多の市民劇場で開催されるまでになった)が、回を重ねるうちに先輩たちの芸の見せ場になってしまったのにも、当然内田秋子の人柄、性根の良さが関係しているのではないか。
チェーホフの『ワーニャおじさん』をやるとなったとき、ソーニャをやらせろソーニャをやらせろと壊れたレコード・プレイヤーの如く繰り返した車戸千恵子に向かって、「大根役者が恥を知れ」と叱りつけて大もめにもめたことが今では懐かしい。
その車戸千恵子も、内田秋子が亡くなった次の年に自動車事故で亡くなってしまった。
内田秋子にとって最後の舞台となった、ブレヒトの詩による一幕物『どうして道徳経はできたのか もしくは、老子亡命記』で、どうしても童子の役をやりたいと言ったときは、まさか病魔に侵されているとは思ってもみなかったので、ようやく彼女も我を張るようになったと私は大いに喜んだほどだ。
確かに、出たいと意地を通しただけに、あの作品での彼女の熱の入れようは半端なかった。
臼杵昌也の老子、布目進の税関吏、牛尾舞の税関吏の妻と伍して、彼女は童子の役を演じ切った。
中でも、税関吏に対して、
「水は柔軟で、つねに流れる、
流れて、強大な岩に時とともにうちかってゆく。
つまり、動かぬものがついに敗れる」
と、師匠の老子の教えを語るときの軽みがあって柔らかで誇らしげな言葉と表情は、内田秋子という演技者の最高の場面だったと評しても過言ではない。
水はつねに流れる、といえば、彼女は井深川の川べりに佇んで、長い時間水の流れを見つめているのが好きだった。
なんだか動かぬものばかりが目につく今日この頃だけれど、こういうときにこそ、あの日の彼女の台詞を、もう一度思い起こしたいと思う。
劇核自覚コウシロー第5回公演『キャン・ユー・ライト?』(妄想演劇館)
☆劇評三態
*劇核自覚コウシロー第5回公演
『キャン・ユー・ライト?』
(東渦岡若手演劇祭大会参加作品)
書けない書かない書きたくない。
劇核自覚コウシローの第5回公演『キャン・ユー・ライト?』(角谷甲子郎作・演出)は、そんな物書きの複雑な真情を通して、今現在を切り取ってみせる。
書けない作家の物語といえば、小川洋子の小説『原稿零枚物語』<集英社>をすぐに思い起こすが、こちらコウシローは自称三文文士の私小説作家花町凡太(西村賢太へのオマージュ)が主人公。
今日も今日とて原稿の書けない凡太は、嫌がる編集者草村繁子(くさむらしげるこ)を伴って西の方へと旅に出る。
向かうは、秘境の温泉街世毎(よごと)。
そこで二人が目にしたものは? そして凡太は原稿を書き切ることができるのか?
前半、凡太と繁子の凹凸コンビが七転八倒する様は、いつもの角谷節全開でくすっと笑えたし、中盤のだれ場も効果的だ。
けれど、後半、話が弾まない。
いや、ライトにライトでライトしようとしたって、ライトにライトがあたっていては、という角谷君の意図はよくわかる。わかるんだけど、終盤のもたつきは厳しい。
もしあの展開を活かしたいのであれば、繁子ではなく女将でお上の岡見拝子(おかみおがみこ)を前面に押し出してもよかったのではないか。それか、全ては嘘っぱちのホラ話ですよと居直ってしまうとか(角谷君の含羞はそれを許さないだろうな、きっと)。
それでも、だからこそ、ただ在ろうとする凡太の姿が神々しくも見えてくる。
凡太役の漁灯健吉(いざりびけんきち)が好演。この平平凡凡たる作家の非凡さをあるは飛び跳ねあるは歌いあるは黙り込んで演じ切った。
拝子のきらほしよも奮闘。見た目と違ってシリアスな役どころ向きの演者さんだが、トリックスターに徹していた。
繁子の足利山女(あしかがやまね)も巧くなった。ただ、渦岡小劇場界の作家演出家に好んで起用される足利さんだけど、僕には今ひとつしっくりこない。
足利さんはルックスもよいし、その努力も買う。しかし、その努力は果たして演劇で発揮されるべきものなのだろうか。言葉を換えれば、足利さんにとっては、自分自身を「見せる」ことができさえすれば他の何かでもよいのではないか。小劇場という世界に付け入る隙が余りにもあるから演劇を選んだだけなのではないか。
もちろんそのこと自体僕は否定しない。
けれど、もし今後も演劇を続けていくのだとすれば、彼女はもっとそのことに自覚的になるべきだと思う。
[芸術アドヴァイザー・中瀬宏之]
ううん。どうしてこの題材なんだろう。
上演中、ずっとそのことを考えていた。
考えてもわかんない。てか、わかるんだけど、やっぱりわかんない。
他にもやり方はあると思う。少なくとも、中途半端な笑いなんかいれないで、もっと素直にやっていいんじゃないかな。
役者は作品にあってる人とあってない人の差がはっきりしてた。
きらさんとは一度一緒に作品を創ってみたい。
あと、ラストの照明はもっと落として欲しかった。
あれでは、ほんとにしらけるから。
評価6点。
[劇団五十歩百歩代表・東渦岡若手演劇祭大会審査員伊坂へん子]
コウシロー見たよ。ちょっとよくわかんない。小説家さんが編集者さんと旅する話。まねちゃんが今回もサイコー。あのサングラスほしい!!
[むうむう@マカロン大好きさんのツイート]
*劇核自覚コウシロー第5回公演
『キャン・ユー・ライト?』
(東渦岡若手演劇祭大会参加作品)
書けない書かない書きたくない。
劇核自覚コウシローの第5回公演『キャン・ユー・ライト?』(角谷甲子郎作・演出)は、そんな物書きの複雑な真情を通して、今現在を切り取ってみせる。
書けない作家の物語といえば、小川洋子の小説『原稿零枚物語』<集英社>をすぐに思い起こすが、こちらコウシローは自称三文文士の私小説作家花町凡太(西村賢太へのオマージュ)が主人公。
今日も今日とて原稿の書けない凡太は、嫌がる編集者草村繁子(くさむらしげるこ)を伴って西の方へと旅に出る。
向かうは、秘境の温泉街世毎(よごと)。
そこで二人が目にしたものは? そして凡太は原稿を書き切ることができるのか?
前半、凡太と繁子の凹凸コンビが七転八倒する様は、いつもの角谷節全開でくすっと笑えたし、中盤のだれ場も効果的だ。
けれど、後半、話が弾まない。
いや、ライトにライトでライトしようとしたって、ライトにライトがあたっていては、という角谷君の意図はよくわかる。わかるんだけど、終盤のもたつきは厳しい。
もしあの展開を活かしたいのであれば、繁子ではなく女将でお上の岡見拝子(おかみおがみこ)を前面に押し出してもよかったのではないか。それか、全ては嘘っぱちのホラ話ですよと居直ってしまうとか(角谷君の含羞はそれを許さないだろうな、きっと)。
それでも、だからこそ、ただ在ろうとする凡太の姿が神々しくも見えてくる。
凡太役の漁灯健吉(いざりびけんきち)が好演。この平平凡凡たる作家の非凡さをあるは飛び跳ねあるは歌いあるは黙り込んで演じ切った。
拝子のきらほしよも奮闘。見た目と違ってシリアスな役どころ向きの演者さんだが、トリックスターに徹していた。
繁子の足利山女(あしかがやまね)も巧くなった。ただ、渦岡小劇場界の作家演出家に好んで起用される足利さんだけど、僕には今ひとつしっくりこない。
足利さんはルックスもよいし、その努力も買う。しかし、その努力は果たして演劇で発揮されるべきものなのだろうか。言葉を換えれば、足利さんにとっては、自分自身を「見せる」ことができさえすれば他の何かでもよいのではないか。小劇場という世界に付け入る隙が余りにもあるから演劇を選んだだけなのではないか。
もちろんそのこと自体僕は否定しない。
けれど、もし今後も演劇を続けていくのだとすれば、彼女はもっとそのことに自覚的になるべきだと思う。
[芸術アドヴァイザー・中瀬宏之]
ううん。どうしてこの題材なんだろう。
上演中、ずっとそのことを考えていた。
考えてもわかんない。てか、わかるんだけど、やっぱりわかんない。
他にもやり方はあると思う。少なくとも、中途半端な笑いなんかいれないで、もっと素直にやっていいんじゃないかな。
役者は作品にあってる人とあってない人の差がはっきりしてた。
きらさんとは一度一緒に作品を創ってみたい。
あと、ラストの照明はもっと落として欲しかった。
あれでは、ほんとにしらけるから。
評価6点。
[劇団五十歩百歩代表・東渦岡若手演劇祭大会審査員伊坂へん子]
コウシロー見たよ。ちょっとよくわかんない。小説家さんが編集者さんと旅する話。まねちゃんが今回もサイコー。あのサングラスほしい!!
[むうむう@マカロン大好きさんのツイート]
ネオ落語・セントラル 第25回
☆ネオ落語・セントラル 第25回
出演:桂三河さん、月亭太遊さん、月亭方気さん、センサールマン
大喜利出演:すり身氏、kit氏、無農薬亭農薬君
(2016年4月4日20時開演/錦湯)
春眠暁を覚えず。
気温も上がってめっきり春らしくなって、おまけに花粉まで飛んで、眠気に襲われがちな京この頃。
すっきりするには笑いが一番と、昨夜も錦湯さんに足を運んだ。
25回目となる今回は、桂三河さん、月亭太遊さん、月亭方気さん、センサールマンの4組5人の出演。
まずは、太遊さん、センサールマンの3人のトークからスタート。
太遊さんが十手リンジンの西手さんとニューハーフshow house「ベティのマヨネーズ」に行って目にしたことなどで盛り上げる。
で、はじめは三河さんが『初恋』を演じた。
『初恋』は、先ごろ上方落語協会会長に再選された桂文枝師匠の三枝時代の作品。
島崎藤村の詩『初恋』を巧みに引用した新作だが、細かくくすぐりが仕掛けられていて、よくできているなあと改めて思う。
そして、登場人物の設定には、どうしても文枝さん自身の生い立ちが重なってしまう。
もちろん、三河さんは一切ウェットにならず、きっちり笑いをとりながら演じていたが。
(そうそう、先日のABCラジオ『征平吉弥の土曜も全開!!』で、上方落語協会の会長選挙で桂恩狸さんに1票入っていたと触れられていたっけ。うむむ…)
続けて、方気さんが登場。
マクラで尿道結石に苦しんだ話をひとしきりして、痛風「同志」、おまけに腎臓結石という爆弾を抱えるこちらを笑わせつつ戦々恐々とさせたのち、本題の『河豚鍋』へ。
未だ河豚は食べたし命は惜しし、という時代のお話。
方気さんは丹念丁寧に演じつつ、時にデフォルメを効かせながら人の心の動きを笑いにしてみせた。
それにしても、河豚鍋食べたくなったなあ。
三番目は太遊さん。
スタートのトークで触れた「ベティのマヨネーズ」の売れっ子さんのネタに重なると断りつつ、フリップ(画用紙帳に言葉やイラストを書いた)を用いた「替え歌シリーズ」を披露。
とかとんとんと笑いをとる。
さらに、10年前のR-1でのネタ「CDショップ」も披露。
これはもう太遊さんの美声美喉が肝で命のネタで、ここぞとばかり歌い切った。
太遊さんは歌も巧けりゃ画も巧い。
トリは、センサールマンの漫才だ。
愛植男さん(客側から見て左側)のお父さんが、山崎仕事人さん(同右側)の子供に本を読み聞かせるという、子守唄ならぬ子守読みシリーズを演じた。
昨夜は、『浦島太郎』、『ウサギとカメ』、『笠地蔵』の三つが選ばれたのだけれど、植男さんの怪演怪演また怪演がどうしてもおかしい。
対する仕事人さんもエネルギッシュに応じて、笑いの拍車をかける。
センサールマンのお二人、脂が乗り切ってるなあ。
本当に面白い。
それに、ネタのチョイスも昨夜の錦湯さんにはばっちりだった。
そして、最後は定番の大喜利。
作家の桜井さん(あいにくお休み)や常連でライターの神龍さん提供のお題に、三河さん、方気さん、植男さん、仕事人さん、さらに大喜利ゲストの、すり身さん、kitさん、無農薬亭農薬君が挑んだ。
「宇宙人が空港で怒っていた、なぜ?」、「花も咲いていない桜の木の下に座った男が持っていたボードにはなんと書かれていた?」といった一筋縄ではいかないお題に対して、プロ・チームでは植男さん、仕事人さんがコンスタントにヒット、ホームラン(正解)を重ねていた。
その隙を狙って方気さんや三河さんも仕掛ける。
一方、あの『ケータイ大喜利』のレジェンドであるすり身さん、kitさんも一捻りだけじゃなく、二捻りはある解答で無農薬亭農薬君とともに大喜利を盛り上げた。
当然、昨夜も太遊さんの仕切りは好調。
的確適切覿面に解答者たちをさばいていた。
と、笑いに溢れたネオ落語・セントラル。
眠る阿呆に笑う阿呆、同じ阿呆なら笑わにゃ損損。
皆さんも、月曜20時は錦湯さんにぜひ!
ああ、面白かった!!
出演:桂三河さん、月亭太遊さん、月亭方気さん、センサールマン
大喜利出演:すり身氏、kit氏、無農薬亭農薬君
(2016年4月4日20時開演/錦湯)
春眠暁を覚えず。
気温も上がってめっきり春らしくなって、おまけに花粉まで飛んで、眠気に襲われがちな京この頃。
すっきりするには笑いが一番と、昨夜も錦湯さんに足を運んだ。
25回目となる今回は、桂三河さん、月亭太遊さん、月亭方気さん、センサールマンの4組5人の出演。
まずは、太遊さん、センサールマンの3人のトークからスタート。
太遊さんが十手リンジンの西手さんとニューハーフshow house「ベティのマヨネーズ」に行って目にしたことなどで盛り上げる。
で、はじめは三河さんが『初恋』を演じた。
『初恋』は、先ごろ上方落語協会会長に再選された桂文枝師匠の三枝時代の作品。
島崎藤村の詩『初恋』を巧みに引用した新作だが、細かくくすぐりが仕掛けられていて、よくできているなあと改めて思う。
そして、登場人物の設定には、どうしても文枝さん自身の生い立ちが重なってしまう。
もちろん、三河さんは一切ウェットにならず、きっちり笑いをとりながら演じていたが。
(そうそう、先日のABCラジオ『征平吉弥の土曜も全開!!』で、上方落語協会の会長選挙で桂恩狸さんに1票入っていたと触れられていたっけ。うむむ…)
続けて、方気さんが登場。
マクラで尿道結石に苦しんだ話をひとしきりして、痛風「同志」、おまけに腎臓結石という爆弾を抱えるこちらを笑わせつつ戦々恐々とさせたのち、本題の『河豚鍋』へ。
未だ河豚は食べたし命は惜しし、という時代のお話。
方気さんは丹念丁寧に演じつつ、時にデフォルメを効かせながら人の心の動きを笑いにしてみせた。
それにしても、河豚鍋食べたくなったなあ。
三番目は太遊さん。
スタートのトークで触れた「ベティのマヨネーズ」の売れっ子さんのネタに重なると断りつつ、フリップ(画用紙帳に言葉やイラストを書いた)を用いた「替え歌シリーズ」を披露。
とかとんとんと笑いをとる。
さらに、10年前のR-1でのネタ「CDショップ」も披露。
これはもう太遊さんの美声美喉が肝で命のネタで、ここぞとばかり歌い切った。
太遊さんは歌も巧けりゃ画も巧い。
トリは、センサールマンの漫才だ。
愛植男さん(客側から見て左側)のお父さんが、山崎仕事人さん(同右側)の子供に本を読み聞かせるという、子守唄ならぬ子守読みシリーズを演じた。
昨夜は、『浦島太郎』、『ウサギとカメ』、『笠地蔵』の三つが選ばれたのだけれど、植男さんの怪演怪演また怪演がどうしてもおかしい。
対する仕事人さんもエネルギッシュに応じて、笑いの拍車をかける。
センサールマンのお二人、脂が乗り切ってるなあ。
本当に面白い。
それに、ネタのチョイスも昨夜の錦湯さんにはばっちりだった。
そして、最後は定番の大喜利。
作家の桜井さん(あいにくお休み)や常連でライターの神龍さん提供のお題に、三河さん、方気さん、植男さん、仕事人さん、さらに大喜利ゲストの、すり身さん、kitさん、無農薬亭農薬君が挑んだ。
「宇宙人が空港で怒っていた、なぜ?」、「花も咲いていない桜の木の下に座った男が持っていたボードにはなんと書かれていた?」といった一筋縄ではいかないお題に対して、プロ・チームでは植男さん、仕事人さんがコンスタントにヒット、ホームラン(正解)を重ねていた。
その隙を狙って方気さんや三河さんも仕掛ける。
一方、あの『ケータイ大喜利』のレジェンドであるすり身さん、kitさんも一捻りだけじゃなく、二捻りはある解答で無農薬亭農薬君とともに大喜利を盛り上げた。
当然、昨夜も太遊さんの仕切りは好調。
的確適切覿面に解答者たちをさばいていた。
と、笑いに溢れたネオ落語・セントラル。
眠る阿呆に笑う阿呆、同じ阿呆なら笑わにゃ損損。
皆さんも、月曜20時は錦湯さんにぜひ!
ああ、面白かった!!
2016年04月04日
作業と文章の訓練、読書に勤しむ(早めのCLACLA)
雨、どんよりとしたお天気から、少しずつ青空が見え始める。
それでも、まだだいぶんどんよりとしているが。
気温は上昇し、もわもわとした感じが強い。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳(特に左耳)の調子が芳しからず。
加えて、気圧と湿度のWパンチ。
やれやれ。
驕る平家は久しからず。
というが、驕って平気の平左、とんと恥じない者を支える人間こそ一番の愚か者だ。
一番の愚か者にはなりたくない。
昨夜、24時半過ぎに眠る。
で、一度目醒めて、7時に起きる。
奇妙でおかしな夢を見た。
マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を少しだけ手直ししたり、『焦げ茶色のペンギン』という短文(原稿用紙5枚分弱)を書いたりする。
『焦げ茶色のペンギン』は、文章の訓練だ。
午後、ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」、第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」<同>、ファジル・サイが弾いた同じくハイドンのピアノ・ソナタ集<同>、ルネ・ヤーコプス指揮フライブルク・バロック・オーケストラ他が演奏した同じくハイドンの交響曲第91番&第92番「オックスフォード」他<ハルモニアムンディ・フランス>、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏した同じくハイドンの交響曲第88番「V字」〜第90番、第86番、第82番「熊」<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『渦岡鉄道束沢線御刀田駅』という短文(原稿3枚分弱)を書いたりする。
『渦岡鉄道束沢線御刀田駅』もまた、文章の訓練だ。
『焦げ茶色のペンギン』がエッセイ風フィクション(フェイク・エッセイ)のエチュードだとすれば、こちらのほうは地の文章、描写説明の文章のエチュードである。
途中、30分弱昼寝をする。
昼食後、眠気(気候の影響も含む)に勝てなかったのだ。
高村薫の『四人組がいた。』<文藝春秋>を読了する。
高村さん初のユーモア小説集だけれど、皮肉と諷刺の横溢に、ふとラブレーの「ガルガンチュワとパンタグリュエル(の物語)」のことを思い出してしまった。
ああ、面白かった!
で、渡辺一夫の評論選『狂気について』<岩波文庫>の拾い読みもした。
続けて、大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読み始める。
これまたブッキッシュな作品で、面白そうだ。
そうそう、ブッキッシュといえば、昔筒井康隆が「ぶきっちょな作家と言われている」と言われて確かめてみたら、ブッキッシュが正解だったという話があったっけ。
筒井がぶきっちょな作家なわけあるかい。
まもなく外出して、錦湯さんへ。
25回目となるネオ落語・セントラルなり。
それじゃあ、行って来ます!
それでも、まだだいぶんどんよりとしているが。
気温は上昇し、もわもわとした感じが強い。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳(特に左耳)の調子が芳しからず。
加えて、気圧と湿度のWパンチ。
やれやれ。
驕る平家は久しからず。
というが、驕って平気の平左、とんと恥じない者を支える人間こそ一番の愚か者だ。
一番の愚か者にはなりたくない。
昨夜、24時半過ぎに眠る。
で、一度目醒めて、7時に起きる。
奇妙でおかしな夢を見た。
マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を少しだけ手直ししたり、『焦げ茶色のペンギン』という短文(原稿用紙5枚分弱)を書いたりする。
『焦げ茶色のペンギン』は、文章の訓練だ。
午後、ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」、第101番「時計」、第102番、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」<同>、ファジル・サイが弾いた同じくハイドンのピアノ・ソナタ集<同>、ルネ・ヤーコプス指揮フライブルク・バロック・オーケストラ他が演奏した同じくハイドンの交響曲第91番&第92番「オックスフォード」他<ハルモニアムンディ・フランス>、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏した同じくハイドンの交響曲第88番「V字」〜第90番、第86番、第82番「熊」<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『渦岡鉄道束沢線御刀田駅』という短文(原稿3枚分弱)を書いたりする。
『渦岡鉄道束沢線御刀田駅』もまた、文章の訓練だ。
『焦げ茶色のペンギン』がエッセイ風フィクション(フェイク・エッセイ)のエチュードだとすれば、こちらのほうは地の文章、描写説明の文章のエチュードである。
途中、30分弱昼寝をする。
昼食後、眠気(気候の影響も含む)に勝てなかったのだ。
高村薫の『四人組がいた。』<文藝春秋>を読了する。
高村さん初のユーモア小説集だけれど、皮肉と諷刺の横溢に、ふとラブレーの「ガルガンチュワとパンタグリュエル(の物語)」のことを思い出してしまった。
ああ、面白かった!
で、渡辺一夫の評論選『狂気について』<岩波文庫>の拾い読みもした。
続けて、大岡玲の『たすけて、おとうさん』<平凡社>を読み始める。
これまたブッキッシュな作品で、面白そうだ。
そうそう、ブッキッシュといえば、昔筒井康隆が「ぶきっちょな作家と言われている」と言われて確かめてみたら、ブッキッシュが正解だったという話があったっけ。
筒井がぶきっちょな作家なわけあるかい。
まもなく外出して、錦湯さんへ。
25回目となるネオ落語・セントラルなり。
それじゃあ、行って来ます!
2016年04月03日
7時半ちょうどに目醒めた PCのマウスを買う(CLACLA日記)
どんよりとしたお天気が続く。
小雨も降る。
気温は上昇し、もわもわとした一日。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の調子、芳しからず。
特に夕方、左耳の調子が著しくおかしくなる。
なんとか持ち直したものの、薬の効果はないんじゃないか、セカンドオピニオンが必要なんじゃないかと思ってしまう。
気圧と湿度のWパンチも加わり、うっとうしい。
やれやれ。
昨夜、1時40分過ぎまで夜ふかし。
で、8時まで寝ているつもりが、7時半ちょうどに目醒めてしまったので、そのまま起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番<naïve 以下省略>、NHK・FMの『名演奏ライブラリー』、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第93番を聴く。
『名演奏ライブラリー』は、「作曲家の自作自演 名演集」と題して、オネゲル指揮管弦楽団が演奏した交響詩『夏の牧歌』、ハチャトゥリヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏した組曲『仮面舞踏会』抜粋、エルガー指揮ロイヤル・アルバートホール管弦楽団が演奏したエニグマ変奏曲、ラヴェル指揮コンセール・ラムルー管弦楽団が演奏したボレロ、ホルスト指揮ロンドン交響楽団が演奏した組曲『惑星』から「木星」、リヒャルト・シュトラウス指揮ウィーン・フィルが演奏した交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』などが放送されていた。
なお、2010年から解説を続けてきた諸石幸生は今回が最後の登場。
仕事関係の作業を進めたり、『お神酒徳利』を書き進めたりする。
『お神酒徳利』は、原稿用紙252枚強で第1稿を完成させた。
正直、終盤書き急いだ感は否めず、非常に粗い出来ではあるが、一程度の分量を毎日コンスタントに書き続けるという課題は果たせたと思う。
しばらく寝かせておいて、筆入れを開始したい。
また次作は、精度の高い文章をコンスタントに書き進めるということを課題にしたい。
午後、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第93番、第94番「驚愕」、第98番、NHK・FMの『きらクラ!』(5年目に突入)、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第97番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
途中、15分ほど昼寝もした。
新庄耕の『ニューカルマ』<集英社>を読了する。
続けて、村薫の『四人組がいた。』<文藝春秋>を読み始める。
ほかに、福永文夫の『大平正芳』<中公新書>の拾い読みもした。
山本太郎が自民党について「毎日がエイプリールフール」と言い切ったそうだけれど、この本を読み返しつついろいろと考えた。
16時過ぎに外出して、室町通のストアデポでPCのマウスなどを購入する。
今使っているマウスが突然おかしくなったため。
いらぬ出費にがっくり。
で、京都芸術センターで用件を片付け、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」、第101番「時計」を聴きながら、『四人組がいた。』を読み進めたり、新しい作品について考えたりする。
NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を聴く。
「吉松隆セレクション2015」と題して、尾高忠明指揮東京フィルが演奏したシベリウスの交響詩『フィンランディア』などが放送されていた。
続けて、同じくNHK・FMの『リサイタル・ノヴァ』を聴く。
ピアニストの實川風が出演していた。
さらに、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第102番、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『四人組がいた。』を読み進めたりする。
ほかに、『大平正芳』の拾い読みもした。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
小雨も降る。
気温は上昇し、もわもわとした一日。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の調子、芳しからず。
特に夕方、左耳の調子が著しくおかしくなる。
なんとか持ち直したものの、薬の効果はないんじゃないか、セカンドオピニオンが必要なんじゃないかと思ってしまう。
気圧と湿度のWパンチも加わり、うっとうしい。
やれやれ。
昨夜、1時40分過ぎまで夜ふかし。
で、8時まで寝ているつもりが、7時半ちょうどに目醒めてしまったので、そのまま起きる。
午前中、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、第95番<naïve 以下省略>、NHK・FMの『名演奏ライブラリー』、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第93番を聴く。
『名演奏ライブラリー』は、「作曲家の自作自演 名演集」と題して、オネゲル指揮管弦楽団が演奏した交響詩『夏の牧歌』、ハチャトゥリヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏した組曲『仮面舞踏会』抜粋、エルガー指揮ロイヤル・アルバートホール管弦楽団が演奏したエニグマ変奏曲、ラヴェル指揮コンセール・ラムルー管弦楽団が演奏したボレロ、ホルスト指揮ロンドン交響楽団が演奏した組曲『惑星』から「木星」、リヒャルト・シュトラウス指揮ウィーン・フィルが演奏した交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』などが放送されていた。
なお、2010年から解説を続けてきた諸石幸生は今回が最後の登場。
仕事関係の作業を進めたり、『お神酒徳利』を書き進めたりする。
『お神酒徳利』は、原稿用紙252枚強で第1稿を完成させた。
正直、終盤書き急いだ感は否めず、非常に粗い出来ではあるが、一程度の分量を毎日コンスタントに書き続けるという課題は果たせたと思う。
しばらく寝かせておいて、筆入れを開始したい。
また次作は、精度の高い文章をコンスタントに書き進めるということを課題にしたい。
午後、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第93番、第94番「驚愕」、第98番、NHK・FMの『きらクラ!』(5年目に突入)、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第97番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
途中、15分ほど昼寝もした。
新庄耕の『ニューカルマ』<集英社>を読了する。
続けて、村薫の『四人組がいた。』<文藝春秋>を読み始める。
ほかに、福永文夫の『大平正芳』<中公新書>の拾い読みもした。
山本太郎が自民党について「毎日がエイプリールフール」と言い切ったそうだけれど、この本を読み返しつついろいろと考えた。
16時過ぎに外出して、室町通のストアデポでPCのマウスなどを購入する。
今使っているマウスが突然おかしくなったため。
いらぬ出費にがっくり。
で、京都芸術センターで用件を片付け、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」、第101番「時計」を聴きながら、『四人組がいた。』を読み進めたり、新しい作品について考えたりする。
NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を聴く。
「吉松隆セレクション2015」と題して、尾高忠明指揮東京フィルが演奏したシベリウスの交響詩『フィンランディア』などが放送されていた。
続けて、同じくNHK・FMの『リサイタル・ノヴァ』を聴く。
ピアニストの實川風が出演していた。
さらに、ミンコフスキ指揮のハイドンの交響曲第102番、第103番「太鼓連打」、第104番「ロンドン」を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『四人組がいた。』を読み進めたりする。
ほかに、『大平正芳』の拾い読みもした。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
『お神酒徳利』を書き進め、大切な予定をすませた(深夜のCLACLA)
晴天から、徐々にどんよりとしたお天気へ。
明日はまたもや雨か。
気温は上昇し、春らしく穏やかな一日となる。
季節の変わり目、皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
こちらは、両耳の不調に悩まされる毎日。
それでも、気持ちだけは愉しく過ごすようにしているが。
結局のところ、馬鹿につける薬はない。
そして、馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿者だ。
一番の馬鹿にはなりたくないし、一番の馬鹿者の巻き添えを食いたくはない。
まずは自分がもっと賢しくならなければと反省する。
昨夜、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」<naïve 以下省略>を聴いたりしながら、作業を進める。
で、1時頃寝床に就き、7時半に起きる。
朝一で毎週恒例の洗濯をすませる。
乾き、なかなかよろし。
ああ、すっきりした!
午前中、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第102番、第103番「太鼓連打」、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたりする。
『御神酒徳利』は、原稿用紙に換算して234枚分を超えた。
そうそう、『征平吉弥の土曜も全開!!』で、先ごろ開催された上方落語協会会長選挙について触れられていたが、桂恩狸さんに1票入っていたとか…。
午後、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番、第100番、第101番、第102番、第103番を聴いたりしながら、新庄耕の『ニューカルマ』<集英社>を読み進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたりする。
『御神酒徳利』は、原稿用紙に換算して243枚分を超えた。
ひとつの章(パート)を書き終えて、残すところ一章のみとなった。
正直、粗いできだということはわかっているのだけれど、まずは第1稿を完成させることを優先させることにし、あとで丁寧な筆入れを行うことにする。
途中、15分ほど昼寝をする。
17時過ぎに外出して、大切な予定をすませる。
いろいろと考えたり、刺激を受けたりと、充実した時間を過ごすことができた。
ああ、愉しかった!
23時40分に帰宅し、シャワーを浴びたのちミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第104番を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
以上、4月2日の日記。
自分にとって大切な相手というのは、何かの組織に所属しているからとか、何かの世界業界にいるからとかではなく、一緒に話をしていて愉しかったり、その人の生き方に共感ができたり信頼できたりする人なのだと改めて思った。
多謝。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
(明朝は、8時起き。新年度から日曜日は8時に起きることにしたのだ。朝型生活をスムーズに続けるための変更なり)
明日はまたもや雨か。
気温は上昇し、春らしく穏やかな一日となる。
季節の変わり目、皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
こちらは、両耳の不調に悩まされる毎日。
それでも、気持ちだけは愉しく過ごすようにしているが。
結局のところ、馬鹿につける薬はない。
そして、馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿者だ。
一番の馬鹿にはなりたくないし、一番の馬鹿者の巻き添えを食いたくはない。
まずは自分がもっと賢しくならなければと反省する。
昨夜、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルが演奏したハイドンの交響曲第99番、第100番「軍隊」<naïve 以下省略>を聴いたりしながら、作業を進める。
で、1時頃寝床に就き、7時半に起きる。
朝一で毎週恒例の洗濯をすませる。
乾き、なかなかよろし。
ああ、すっきりした!
午前中、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第102番、第103番「太鼓連打」、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたりする。
『御神酒徳利』は、原稿用紙に換算して234枚分を超えた。
そうそう、『征平吉弥の土曜も全開!!』で、先ごろ開催された上方落語協会会長選挙について触れられていたが、桂恩狸さんに1票入っていたとか…。
午後、ミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、第96番「奇蹟」、第95番、第93番、第94番「驚愕」、第98番、第97番、第99番、第100番、第101番、第102番、第103番を聴いたりしながら、新庄耕の『ニューカルマ』<集英社>を読み進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたりする。
『御神酒徳利』は、原稿用紙に換算して243枚分を超えた。
ひとつの章(パート)を書き終えて、残すところ一章のみとなった。
正直、粗いできだということはわかっているのだけれど、まずは第1稿を完成させることを優先させることにし、あとで丁寧な筆入れを行うことにする。
途中、15分ほど昼寝をする。
17時過ぎに外出して、大切な予定をすませる。
いろいろと考えたり、刺激を受けたりと、充実した時間を過ごすことができた。
ああ、愉しかった!
23時40分に帰宅し、シャワーを浴びたのちミンコフスキ指揮によるハイドンの交響曲第104番を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
以上、4月2日の日記。
自分にとって大切な相手というのは、何かの組織に所属しているからとか、何かの世界業界にいるからとかではなく、一緒に話をしていて愉しかったり、その人の生き方に共感ができたり信頼できたりする人なのだと改めて思った。
多謝。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
(明朝は、8時起き。新年度から日曜日は8時に起きることにしたのだ。朝型生活をスムーズに続けるための変更なり)
2016年04月01日
今日から4月 新年度が始まった(CLACLA日記)
今日から4月。
新年度のスタートである。
一日一日を本当に大切にして、自分の為したいこと為すべきことをしっかり為していきたい。
そして、死を忘れないこと。
どんよりとしたお天気の一日。
雨も降る。
気温は少し下がったか。
季節の変わり目、皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調に加え、気圧と湿度のWパンチで、どうにも体調が今ひとつ。
やれやれ。
三重県南東沖を震源とする地震が発生する。
いろいろと考えることあり。
北朝鮮がまたぞろミサイルを発射したとのこと。
核セキュリティ・サミット、並びに日米韓首脳会議にあわせてのものだ。
なんともかとも。
自民党の国会議員や地方議員の愚行暴言が取り沙汰されているが。
正直言って、何を今さらの感強し。
それより、甘利や何やらの疑惑はどうなっているのだろう。
なんだかなあ。
そして、今日から値上がり地獄が加速する。
何がアベノミクスか。
選挙前のたぶらかしや、目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夜、図書館で借りたマルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーヴルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」<naïve 以下略>を聴きながら作業をすませ、24時半過ぎに寝床に就く。
で、1時過ぎに眠り、7時に起きた。
ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第95番、第93番、第94番「驚愕」や、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたりする。
『御神酒徳利』は、原稿用紙に換算して222枚分を超えた。
正午過ぎ、ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第97番、第98番、第99番、第100番、第101番「時計」、第102番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、絲山秋子の『小松とうさちゃん』<河出書房新社>を読み始めたりする。
途中、15分ほど昼寝をした。
NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、パリ・オペラ座バスティーユにおけるベルリオーズの劇的物語『ファウストの劫罰』上演のライヴ録音(2015年12月15日、フィリップ・ジョルダン指揮他)を聴く。
ヨナス・カウフマン、ソフィー・コッシュ、ブリン・ターフェルという優れた歌い手たちも揃い、聴き応えのある演奏となっていた。
ジョルダンも劇性に富んだ音楽を造り出していた。
『小松とうさちゃん』を読了する。
巻末の掌篇『飛車と騾馬』に登場した、中年の大学非常勤講師と小松とうさちゃんこと宇佐美にまつわるあれこれをテンポよく描いたのが表題作の『小松とうさちゃん』。
これは、すぐにドラマ化されるんじゃないかな。
原作とは年齢も雰囲気も違ってくるが、小日向文世の小松、村田雄浩の宇佐美、ほかに麻生祐実などの配役を想像する。
また、『ネクトンについて考えても意味がない』も強く印象に残る。
行間というか、含みを読み取る作品だなあと思ったりもした。
『御神酒徳利』をさらに書き進め、原稿用紙228枚分を超えた。
17時半頃外出して夕飯用の買い物をすませ、18時頃帰宅した。
帰宅後、ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番を聴いて、ロンドン・セットの4枚組全て(ウィーンのコンツェルトハウスにおけるライヴ録音)を聴き終えた。
第94番の第2楽章のまさしく「びっくり」(趣向自体は知っていたけど)等々、できれば実演に触れたかったとも思うが、一方でこうやってCDで繰り返して聴くことができるのもやっぱりいいものだと思う。
細かい仕掛けの多い演奏でもあり、残り2週間じっくり愉しみたいと思う。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、クァルテット・エクセルシオのコンサートのライヴ録音(2014年10月13日、津田ホール)を聴く。
ドヴォルザークの弦楽4重奏曲第12番「アメリカ」、ヤナーチェクの弦楽4重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」、スメタナの弦楽4重奏曲第1番「わが生涯から」、アンコールのモーツァルトの弦楽4重奏曲第19番「不協和音」から第3楽章などが放送されていた。
続けて、ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第96番、第95番、第93番、第94番、第98番、第97番を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたり、新庄耕の『ニューカルマ』<集英社>を読み始めたりする。
ほかに、福永文夫の『大平正芳』<中公新書>の拾い読みもした。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
そして、新年度がいい年度でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
新年度のスタートである。
一日一日を本当に大切にして、自分の為したいこと為すべきことをしっかり為していきたい。
そして、死を忘れないこと。
どんよりとしたお天気の一日。
雨も降る。
気温は少し下がったか。
季節の変わり目、皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調に加え、気圧と湿度のWパンチで、どうにも体調が今ひとつ。
やれやれ。
三重県南東沖を震源とする地震が発生する。
いろいろと考えることあり。
北朝鮮がまたぞろミサイルを発射したとのこと。
核セキュリティ・サミット、並びに日米韓首脳会議にあわせてのものだ。
なんともかとも。
自民党の国会議員や地方議員の愚行暴言が取り沙汰されているが。
正直言って、何を今さらの感強し。
それより、甘利や何やらの疑惑はどうなっているのだろう。
なんだかなあ。
そして、今日から値上がり地獄が加速する。
何がアベノミクスか。
選挙前のたぶらかしや、目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夜、図書館で借りたマルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーヴルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」<naïve 以下略>を聴きながら作業をすませ、24時半過ぎに寝床に就く。
で、1時過ぎに眠り、7時に起きた。
ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第95番、第93番、第94番「驚愕」や、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたりする。
『御神酒徳利』は、原稿用紙に換算して222枚分を超えた。
正午過ぎ、ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第97番、第98番、第99番、第100番、第101番「時計」、第102番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、絲山秋子の『小松とうさちゃん』<河出書房新社>を読み始めたりする。
途中、15分ほど昼寝をした。
NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、パリ・オペラ座バスティーユにおけるベルリオーズの劇的物語『ファウストの劫罰』上演のライヴ録音(2015年12月15日、フィリップ・ジョルダン指揮他)を聴く。
ヨナス・カウフマン、ソフィー・コッシュ、ブリン・ターフェルという優れた歌い手たちも揃い、聴き応えのある演奏となっていた。
ジョルダンも劇性に富んだ音楽を造り出していた。
『小松とうさちゃん』を読了する。
巻末の掌篇『飛車と騾馬』に登場した、中年の大学非常勤講師と小松とうさちゃんこと宇佐美にまつわるあれこれをテンポよく描いたのが表題作の『小松とうさちゃん』。
これは、すぐにドラマ化されるんじゃないかな。
原作とは年齢も雰囲気も違ってくるが、小日向文世の小松、村田雄浩の宇佐美、ほかに麻生祐実などの配役を想像する。
また、『ネクトンについて考えても意味がない』も強く印象に残る。
行間というか、含みを読み取る作品だなあと思ったりもした。
『御神酒徳利』をさらに書き進め、原稿用紙228枚分を超えた。
17時半頃外出して夕飯用の買い物をすませ、18時頃帰宅した。
帰宅後、ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」&第104番を聴いて、ロンドン・セットの4枚組全て(ウィーンのコンツェルトハウスにおけるライヴ録音)を聴き終えた。
第94番の第2楽章のまさしく「びっくり」(趣向自体は知っていたけど)等々、できれば実演に触れたかったとも思うが、一方でこうやってCDで繰り返して聴くことができるのもやっぱりいいものだと思う。
細かい仕掛けの多い演奏でもあり、残り2週間じっくり愉しみたいと思う。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、クァルテット・エクセルシオのコンサートのライヴ録音(2014年10月13日、津田ホール)を聴く。
ドヴォルザークの弦楽4重奏曲第12番「アメリカ」、ヤナーチェクの弦楽4重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」、スメタナの弦楽4重奏曲第1番「わが生涯から」、アンコールのモーツァルトの弦楽4重奏曲第19番「不協和音」から第3楽章などが放送されていた。
続けて、ミンコフスキが指揮したハイドンの交響曲第96番、第95番、第93番、第94番、第98番、第97番を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたり、新庄耕の『ニューカルマ』<集英社>を読み始めたりする。
ほかに、福永文夫の『大平正芳』<中公新書>の拾い読みもした。
今日も、バナナを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
そして、新年度がいい年度でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。