2016年02月14日

夕方、河原町まで出かけた(CLACLA日記)

 深夜から朝にかけて雨。
 その後やんだが、どんよりとしたお天気の一日となる。

 気温は今日も上昇する。
 ただし、明日はまた厳しい冷え込みとなると。
 皆さん、くれぐれもインフルエンザや風邪などにはお気をつけくださいね。


 見え見え馬鹿丸出しな目くらましの八百長猿芝居には騙されたくないものだ。
 それにしても、馬鹿につける薬はないとつくづく思う今日この頃。


 昨日、17時台に外出して、地下鉄で松ヶ崎へ。
 そこから歩いてアトリエ劇研へ行き、第22次笑の内閣『朝まで生ゴヅラ2020』(高間響上皇作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
 ああ、面白かった!

 開演前終演後、出演者等、関係各氏と話をしたり、挨拶をしたりする。

 終演後、高間上皇らと近くのラーメン屋で夕飯をすませ、206系統のバスで四条大宮まで戻り、23時過ぎに帰宅した。


 帰宅後、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンや、たんこぶちん(佐賀県唐津市出身の5人組のガールズバンドだそう)のオールナイトニッポンRを聴いたりしながら、明け方5時過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『ある日の親方』について考えたりする。
 『ある日の親方』の登場人物、指揮者で元伯爵の櫟秀隆は近衛秀麿と古川ロッパを、京都大学交響楽団の団員で学生運動の組織にも関係している関谷真知子は高野悦子(映画ではなく、『二十歳の原点』の)を、櫟に付きまとうフィクサーで音楽旬報社社長、下林鉄山は上森子鐡をも、それぞれモデルにすることにした。


 静かな日曜の朝だ、と思いきや、風邪に吹かれて近所の工事の鉄板が時折、がしゃんどたんとかまびすしい。
 施工主は7月末日までに、一生涯取り返しのつかない悲惨な状況に追い込まれるだろう。
 天罰天誅よ下れ!


 午前中、仕事関係の予定をすませる。


 午後、フォルテピアノのマルコム・ビルソンとジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第20番&第21番<ARCHIV>、NHK・FMの『きらクラ!』、ヨエル・レヴィ指揮アトランタ交響楽団が演奏したブラームスのセレナード第1番&ハイドンの主題による変奏曲<TELARC>、ピアノのマルタ・アルゲリッチとアレクサンデル・ラビノヴィチが演奏した同じくブラームスのハイドンの主題による変奏曲&ワルツ集<TELDEC>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたり、野上照代の『もう一度天気待ち』<草思社>を読み進めたりする。
 『御神酒徳利』は、原稿用紙に換算して57枚分を超えた。
 ほかに、『もう一度天気待ち』の「つながる」「つながらない」(服装や髪形等々、前の部分と次の部分で同じであるべきものがきちんと同じになっているか、なっていないか)を読んでいて、『繋がる』という短篇映画のプロットを考える。
 わたしは街を歩く、わたしはすれ違う、わたしは笑う、わたしは驚く、わたしは泣く、わたしは怒る、わたしは歌う、わたしは走る、わたしは転ぶ、わたしは出会う。
 といった感じの視覚優先の作品。
 最後は、『生きていた男』のようなオチで終わる。


 18時半頃外出し、歩いて河原町へ。
 大切な予定をすませる。

 その後、夕飯用の買い物をすませて、19時40分頃帰宅した。


 帰宅後、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を途中から聴いたりしながら、雑件を片付ける。
 『ブラボー!オーケストラ』では、チョン・ミュンフン指揮東京フィルが演奏したマーラーの交響曲第6番「悲劇的」から第4楽章(途中から)と、尾高忠明指揮東京フィルが演奏したチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』のライヴ録音が放送されていた。
 尾高さんと東京フィルの『ロメオとジュリエット』といえば、今からもう30年以上も前の1985年9月15日に諫早文化会館大ホールで行われた「文化庁移動芸術祭」のコンサートで、実演に触れている。
 その頃に比べると、より音楽の構えが大きくなったような感じがする。
 そうそう、コンサートが始まる前に早めに着いてロビーに座っていたら、側に楽団員の方がいて「ボーナスが出ない」といった話をしており、日本のプロのオーケストラは大変だなあと高校生ながらに痛感したものだ。
 あれから30年、状況は大きく好転しているのか、どうか。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『リサイタル・ノヴァ』を聴く。
 ヴァイオリンの石上真由子がゲスト。

 続けて、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>、モッツァフィアートが演奏した同じくベートーヴェンの管楽アンサンブルのための作品集<SONY>を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『ある日の親方』や『繋がる』のプロットを考えたりする。


 『もう一度天気待ち』を読了する。
 黒澤組(黒澤明監督のチーム)のスクリプターとして知られる野上照代が著した『天気待ち』に、新たに書き下ろした部分を加えて再刊したもの。
 「監督・黒澤明とともに」と副題にある通り、黒澤明とのエピソードにフォーカスをあてたため、伊丹万作(とその子岳彦=十三)との深い繋がりを記した部分が割愛されてしまったのは残念だが、やはり興味深く愉しく読み終えることができた。
 ああ、面白かった!

 続けて、成澤榮壽の『伊藤博文を激怒させた硬骨の外交官 加藤拓川』<高文研>を読み始める。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』で知られた秋山好古の親友で、正岡子規の叔父でもある外交官、政治家、拓川加藤恒忠の人生を、そのリベラルな姿勢に焦点を合わせながら追った一冊。
 加藤拓川は、山崎一穎の『森鷗外 国家と作家の狭間で』<新日本出版社>にも登場していた人物である。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第22次笑の内閣『朝まで生ゴヅラ2020』

☆第22次笑の内閣『朝まで生ゴヅラ2020』

 作・演出:高間響
(2016年2月13日19時開演の回/アトリエ劇研)

 なんと今年初めての観劇。
 で、そんなお芝居リハビリ期間中の人間には、どどんと重くなく、笑いどころもたっぷりで、その実考える芽もしっかりある笑の内閣はぴったりの内容だった。

 西暦2020年、北海道は恥骨湖の湖底で深い眠りにあるはずのゴヅラが、突如目醒めようとしていた。
 けれど、そんなゴヅラを商売のダシに使っている地元温泉旅館宝屋の面々は、政府関係者の避難要請の声にも耳を傾けず…。
 といった具合に、第22次笑の内閣『朝まで生ゴヅラ2020』は進んでいく。

 残念ながら旗揚げ公演の『朝まで生ゴヅラ』は観逃してしまったが、今回の作品はそのテイストや枠組みを受け継ぎながらも、99パーセント書き直したという、ほぼ新作となっている。
 時事ネタから下ネタ(だいたい恥骨湖だもんね)、ドリフへのオマージュ等々、あちらこちらに笑いを仕掛ける一方で(向坂達矢の怪演と丸山交通公園の笑い達者さを忘れてはなるまい)、それがまたこの国の様々な現状の寓意ともなっているあたり笑の内閣らしい。
 それとともに、小さな共同体における人と人との繋がり、関係性が高間上皇の作品において重要な位置を占めていることも、改めて確認することができた。
 もちろんそれは、演劇的な構成からくるものでもあるんだろうけど、やはり高間上皇にとって大事なことなんじゃないかなとも思う。
 よい意味でとっちらかる反面、意図せぬだれや冗長さ、粗さを感じたりもしたが、全篇飽きることなく愉しむことができた。
 そうそう、「ゴヅラ」だけあって登場人物名にも工夫が凝らされているんだった。

 初々しい横田絢と土肥未友紀をはじめ、向坂君、ピンク地底人2号、土肥嬌也、丸山君、髭だるマン(妙な色気がとみに増している)、しゃくなげ謙治郎、石田達拡、楠海緒、山下ダニエル弘之(彼は映像作品にもいいんじゃないか)の演者陣は、各々の個性特性をよく発揮していた。
 加えて、劇団メンバーの山下みさおと由良真介のほか、松野井雅、福山哲郎(おお)、中本友菜、迎旭人(!!)が映像出演していた。

 で、ここからは近衛虚作君と高間上皇のアフタートークにもちょこっと関係してくるかな。
 今回の公演を観ながら、これからの笑の内閣って、どういう方向に進んでいくのかなと思ったことも確かだ。
 例えば、笑いや政治性、社会性に重きを置きつつも、「人と人との関係性」や「人の心の動き」がより鮮明に作品の中心となったとき、演者の陣立てに変化があるのかとか。
 もっと単適にいえば、劇団メンバーはもちろんのこと、誰と一緒に新たなステップに上がっていくのか、それとも今はまだ留まるのか、もしくはあえて後ろに戻るのか、とか。
 もしかしたら、今年から来年にかけて、笑の内閣の大きな転機になるのではないか。
 いずれにしても、これからの笑の内閣がますます愉しみである。
 ああ、面白かった!

 17日まで京都公演が開催中で、3月4日〜6日にかけては札幌公演も控えている。
 ご都合よろしい方はぜひ!!
posted by figarok492na at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする