今日で1月も終わり。
体調のあれこれもあって、あっという間の一ヶ月だった。
一日一日を本当に大切にして、為したいこと為すべきことをしっかり為していかなければ。
そして、絶対に死を忘れないこと。
晴天。
いいお天気、いい青空の一日。
日中は気温が上昇し、穏やかな感じが強かった。
それでも、朝晩は冷え込むが。
皆さん、くれぐれもインフルエンザや風邪にはお気をつけくださいね。
昨夜、ウィーン弦楽6重奏団が演奏したドヴォルザークの弦楽6重奏曲<EMI>や、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、5時近くまで仕事関係の作業を進める。
10時過ぎに起きて、仕事関係の予定をすませる。
真向かいのマンションの無粋な男が、今日もまた無粋な行いに及んでいる。
馬鹿につける薬はない。
早くおかくれになって欲しい。
トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック・オーケストラが演奏したモーツァルトのディヴェルティメント集<ERATO>と交響曲第40番&第39番<同>、NHK・FMの『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
小山内美江子の『我が人生、筋書き無し』<かまくら春秋社>を読了する。
ほかに、伊藤武の『イタリア現代史』<中公新書>の拾い読みもした。
16時過ぎに外出し、京都芸術センターで用件を片付けてから京都文化博物館フィルムシアターへ。
成瀬巳喜男監督の『山の音』(1954年、東宝)を観る。
詳しくは、前回の記事(映画記録)をご参照のほど。
ああ、面白かった!
今日はビニール袋をばりばりぶりぶりさせる老女はいなかった。
3、4歳ぐらいだろうか、女の子と男の子がお父さんお母さんと一緒に来ていて、『山の音』なんて大丈夫かいな、と思っていたが、耳につくほど騒いではいなかった。
ともに何より。
上映終了後、寺町通まで足を伸ばすが、Avisはしばらく17時10分で営業終了と。
ありゃりゃ。
で、夕飯用の買い物をすませて、19時過ぎに帰宅した。
帰宅後、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を聴く。
大植英次指揮東京フィルが演奏したブラームスの交響曲第4番と、尾高忠明指揮東京フィルが演奏したスッペの喜歌劇『詩人と農夫』序曲のライヴ録音が放送されていた。
しばらく間を置いて、テノールのクリストフ・プレガルディエンがアンドレアス・シュタイアーのフォルテピアノ伴奏で歌ったシューベルトのマイアホーファーの詩による歌曲集<TELDEC>を2回聴き、CDレビューをアップする。
詳しくは、前々回の記事をご参照のほど。
さらに、アントネッロ・マナコルダ指揮カンマーアカデミー・ポツダムが演奏したシューベルトの交響曲第3番&第7番「未完成」<SONY/BMG>を聴く。
今日1月31日は、シューベルトの219回目の誕生日だ。
夕飯後、『御神酒徳利』の今後の展開について考えたり、1月の創作活動について振り返ったり、CDレビューや映画記録を投稿したりする。
ほかに、『イタリア現代史』の拾い読みもした。
今日は、ヤマザキの牛乳仕込みのミルクチュロッキーを食す。
近くのドラックランドひかりで、半額引き、税込み48円だったもの。
まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
目くらましの八百長猿芝居には騙されまい!
明日がいい日でありますように!
そして、来月がいい月でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2016年01月31日
山の音
☆山の音(1954年、東宝、モノクロ)
監督:成瀬巳喜男
原作:川端康成
脚本:水木洋子
美術:中古智
音楽:斎藤一郎
(2016年1月31日17時上映の回、京都文化博物館フィルムシアター)
以前DVDで何度も観たことはあるのだが、最後の新宿御苑のシーンをスクリーンで見ておきたいと思い、京都文化博物館のフィルムシアターまで足を運んだ。
なお、今回は「追悼 映画女優 原節子」としての上映である。
『山の音』は、川端康成の原作を水木洋子が脚本化したものだが、フィルムシアターの上映プログラムにもある通り、原作の未完成時に書かれたシナリオのため、小説と映画では結末が異なっている。
鎌倉のアッパーミドルクラスの家庭(息子夫婦と両親が暮らしており、そこへ夫と不仲となった娘が戻って来たりもする)と、東京の父親の会社(息子も勤めている)周辺が舞台で、原節子演じる息子の妻と山村聰演じる義理の父親を中心に、妻と上原謙演じる息子をはじめ様々な人間関係が巧みに織り込まれていく。
閉ざされた世界が続き、広大な新宿御苑でラストを迎える展開も含めて、幾重にも重ねられた「コントラストの妙」と、岸田國士の戯曲を観ているような「行間の広い会話の妙」が味わえる作品だ。
一方で、やるせなきおの異名の如く、しんねりむっつりとした筋運びとあからさまでない表現の隙間から、川端康成流儀のエロティシズム、いやらしさが覗き見えることもこの『山の音』の魅力であると思う。
役者陣では、山村聰、長岡輝子(姑)、中北千枝子(小姑)の芝居の達者なこと達者なこと。
また、成瀬作品ではぴか一の上原謙のしゃむない男ぶり。
そして、なんと言っても原節子。
と言いたいところだけど、僕は原さんよりも杉葉子のほうが好きなんだよね。
この作品の杉さんときたらもうああた!!
ほかに、角梨枝子、丹阿弥谷津子、金子信雄(髪がある!)、十朱久雄(髪がない!)らの出演。
ああ、面白かった!
余談ですが、新宿御苑って、個人的にちょっとした想い出のある場所なんですよね。
監督:成瀬巳喜男
原作:川端康成
脚本:水木洋子
美術:中古智
音楽:斎藤一郎
(2016年1月31日17時上映の回、京都文化博物館フィルムシアター)
以前DVDで何度も観たことはあるのだが、最後の新宿御苑のシーンをスクリーンで見ておきたいと思い、京都文化博物館のフィルムシアターまで足を運んだ。
なお、今回は「追悼 映画女優 原節子」としての上映である。
『山の音』は、川端康成の原作を水木洋子が脚本化したものだが、フィルムシアターの上映プログラムにもある通り、原作の未完成時に書かれたシナリオのため、小説と映画では結末が異なっている。
鎌倉のアッパーミドルクラスの家庭(息子夫婦と両親が暮らしており、そこへ夫と不仲となった娘が戻って来たりもする)と、東京の父親の会社(息子も勤めている)周辺が舞台で、原節子演じる息子の妻と山村聰演じる義理の父親を中心に、妻と上原謙演じる息子をはじめ様々な人間関係が巧みに織り込まれていく。
閉ざされた世界が続き、広大な新宿御苑でラストを迎える展開も含めて、幾重にも重ねられた「コントラストの妙」と、岸田國士の戯曲を観ているような「行間の広い会話の妙」が味わえる作品だ。
一方で、やるせなきおの異名の如く、しんねりむっつりとした筋運びとあからさまでない表現の隙間から、川端康成流儀のエロティシズム、いやらしさが覗き見えることもこの『山の音』の魅力であると思う。
役者陣では、山村聰、長岡輝子(姑)、中北千枝子(小姑)の芝居の達者なこと達者なこと。
また、成瀬作品ではぴか一の上原謙のしゃむない男ぶり。
そして、なんと言っても原節子。
と言いたいところだけど、僕は原さんよりも杉葉子のほうが好きなんだよね。
この作品の杉さんときたらもうああた!!
ほかに、角梨枝子、丹阿弥谷津子、金子信雄(髪がある!)、十朱久雄(髪がない!)らの出演。
ああ、面白かった!
余談ですが、新宿御苑って、個人的にちょっとした想い出のある場所なんですよね。
シューベルトのマイアホーファーの詩による歌曲集
☆シューベルト:マイアホーファーの詩による歌曲集
テノール:クリストフ・プレガルディエン
フォルテピアノ:アンドレアス・シュタイアー
録音:2001年1月、ケルン・ドイッチュラントラジオ・スタジオ
デジタル・セッション
<TELDEC>8573-85556-2
1月末日、さらには彼自身の219回目の誕生日ということもあって、これまで投稿しそびれていた、シューベルトのマイアホーファーの詩による歌曲集に関する感想を記しておきたい。
このアルバムには、シューベルトと直接親交のあったヨハン・バプティスト・マイアホーファーの詩による歌曲が23曲収められている。
おなじみの作品に比べると、一聴、すぐさま口ずさめそうな歌曲ばかりとはいかないが、それでもシューベルトの音楽の持つ旋律の美しさ、抒情性、劇性、形而上的思考等々は、十全に示されているとも思う。
プレガルディエンとシュタイアーはそうした歌曲の数々を、彼らが重ねてきた共同作業の頂点とでも評したくなるような高い表現力で再現し切っていて、何度聴き返しても全く聴き飽きない。
その意味でも、
>しかし私の身体の隅々からは
魂のこころよい力が涌き出でて、
私をとりかこみ
天上の歌を歌うのだ。
滅び去れ、世界よ、そして二度と
この世のものならぬ甘美な合唱を妨げるな。
滅び去れ、世界よ、滅び去れ<
と詩人自身の歌詞によって、訣別が歌われた『解脱』が最後に置かれていることは、非常に興味深い。
近年では、声の衰えを感じざるをえないプレガルディエンだが、ここでは透明感、清潔感があって伸びのある声質は保たれているし、一つ一つの作品への読み込みの深さは言うまでもない。
また、シュタイアーも時に押し時に引く見事な掛け合いでプレガルディエンの歌唱をサポートする。
今日たまさか、NHK・FMの『きらクラ!』のリスナーさんからのお便りに、シューベルトの歌曲のピアノは単なる伴奏ではなく、共に歌を歌っているように、二重唱のように聴こえるという趣旨の言葉があったのだけれど、プレガルディエンとシュタイアーはまさしくそうした関係を築き上げていたのではないか。
シューベルトの好きな方、特に彼の歌曲が好きな方には大いにお薦めしたい一枚だ。
テノール:クリストフ・プレガルディエン
フォルテピアノ:アンドレアス・シュタイアー
録音:2001年1月、ケルン・ドイッチュラントラジオ・スタジオ
デジタル・セッション
<TELDEC>8573-85556-2
1月末日、さらには彼自身の219回目の誕生日ということもあって、これまで投稿しそびれていた、シューベルトのマイアホーファーの詩による歌曲集に関する感想を記しておきたい。
このアルバムには、シューベルトと直接親交のあったヨハン・バプティスト・マイアホーファーの詩による歌曲が23曲収められている。
おなじみの作品に比べると、一聴、すぐさま口ずさめそうな歌曲ばかりとはいかないが、それでもシューベルトの音楽の持つ旋律の美しさ、抒情性、劇性、形而上的思考等々は、十全に示されているとも思う。
プレガルディエンとシュタイアーはそうした歌曲の数々を、彼らが重ねてきた共同作業の頂点とでも評したくなるような高い表現力で再現し切っていて、何度聴き返しても全く聴き飽きない。
その意味でも、
>しかし私の身体の隅々からは
魂のこころよい力が涌き出でて、
私をとりかこみ
天上の歌を歌うのだ。
滅び去れ、世界よ、そして二度と
この世のものならぬ甘美な合唱を妨げるな。
滅び去れ、世界よ、滅び去れ<
と詩人自身の歌詞によって、訣別が歌われた『解脱』が最後に置かれていることは、非常に興味深い。
近年では、声の衰えを感じざるをえないプレガルディエンだが、ここでは透明感、清潔感があって伸びのある声質は保たれているし、一つ一つの作品への読み込みの深さは言うまでもない。
また、シュタイアーも時に押し時に引く見事な掛け合いでプレガルディエンの歌唱をサポートする。
今日たまさか、NHK・FMの『きらクラ!』のリスナーさんからのお便りに、シューベルトの歌曲のピアノは単なる伴奏ではなく、共に歌を歌っているように、二重唱のように聴こえるという趣旨の言葉があったのだけれど、プレガルディエンとシュタイアーはまさしくそうした関係を築き上げていたのではないか。
シューベルトの好きな方、特に彼の歌曲が好きな方には大いにお薦めしたい一枚だ。