2015年12月31日

今年も今日で終わり(CLACLA日記)

 今年も今日で終わり。
 一日一日を大切にして、自分自身の為したいこと為すべきことをしっかり為していかければと強く思う。
 そして、死を忘れないこと。


 自分自身に残された時間がそう長くないことを改めて思い知る。
 これからは、何を遺すかということにもっと重きを置いていきたい。
 それと、本当に接したいと思うものにこそ接し、本当に接したいと思う人にこそ接するようにもしていきたい。


 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強し。

 気温は思ったほどには下がらなかったか。
 それでも、朝晩はぐっと冷え込むが。
 皆さん、くれぐれも風邪など召しませんように。


 昨夕外出し、ネオ落語関係の人と一緒に大阪はフェスティバルホールへ。
 大阪フィルの第9シンフォニーの夕べを愉しむ。
 詳しくは、前回の記事(コンサート記録)をご参照のほど。
 ああ、素晴らしかった!

 京都に戻り、美味しい焼き鳥などを食べながら聞し召す。
 はじめは第九のことやネオ落語について話していたのに、気がつけば自分の昔の恋愛話を嬉々として語っていた。
 年の暮まで馬鹿である。

 気がつけば我が事ばかり年の暮
 収石

 帰宅後、5時近くまでコンサート記録をアップしたり、仕事関係の作業を進めたりする。


 10時台に起きて、仕事関係の予定をすませる。


 午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、縦書き文庫に『撮影されない三本の映画』を投稿したり、12月と2015年全体の創作活動についてそれぞれ振り返ったり、服部龍二の『広田弘毅』<中公新書>や福永文夫の『大平正芳』<同>の拾い読みをしたりする。


 トイレ、浴槽、排水溝の掃除をすませ、今年の大掃除を終える。


 16時過ぎに外出し、メガネ屋さんでメガネのメンテナンスをしてもらい、大丸で来年2月28日の桃月庵白酒の独演会のチケットを購入し、夕飯用の買い物をすませて18時近くに帰宅した。
 白酒さんは、ちょうど10年前の2015年12月の末廣亭の早い順番で聴いてとても感心した落語家さんで、京都で独演会があるというので足を運ぶことにしたのだ。


 帰宅後、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他<PHILIPS>を聴きながら、雑件を片付ける。

 続けて、バリトンのクリスティアン・ゲルハーヘルがゲロルト・フーバーのピアノ伴奏で歌った同じくシューベルトの歌曲集『冬の旅』と『白鳥の歌』<ともにARTE NOVA>、ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン他が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響的幻想曲『イタリアより』、交響詩『ドン・キホーテ』、『ばらの騎士』ワルツ組曲、『カプリッチョ』から月の光の音楽を聴く。


 夕飯後、音楽を聴きながら雑件を片付ける。


 皆さん、本年も誠にありがとうございます。
 皆さんにとって来年がさらによい一年でありますように!
 よいお年を!!
posted by figarok492na at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪フィルハーモニー交響楽団 第9シンフォニーの夕べ

☆大阪フィル 第9シンフォニーの夕べ

 指揮:井上道義さん
 独唱:小林沙羅(ソプラノ)、小川明子(アルト)、福井敬(テノール)、青山貴(バリトン)
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
 合唱:大阪フィルハーモニー合唱団
(2015年12月30日19時開演/フェスティバルホール)


 ネオ落語関係の人と一緒に大阪はフェスティバルホールまで、井上道義さん指揮大阪フィルの第9シンフォニーの夕べを聴きに行ってきた。
 よくよく考えてみたら、年末にベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」のコンサートを生で聴くのは6年ぶりになる。
 そして、改装されたフェスティバルホールに足を運ぶのは今回が初めて。
 いっとう安い3000円の席で、確かに演奏者陣の姿は小さく見えたが、響きは想像していた以上にクリアでシャープなもので、全く不満はなかった。
(一つ前に座った子供連れのおじさんが、やたら頭を動かしたため、せっかくの井上さんの姿がよく見えなかったのはちょと残念。そうそう、井上道義さんとフルネームに敬称を付けるのは、20年以上前に日本音楽家ユニオンのオーケストラ協議会のレセプションでご挨拶したことがあるためである。井上さんはお忘れだろうが)

 で、第1楽章から遅めのテンポ。
 最近流行りの快速スタイル(例えば、パーヴォ・ヤルヴィとNHK交響楽団のような)とは大きな違いを聴かせる。
 と、言ってもかつての巨匠風の大どかな雰囲気というのではなく、じっくりはっきり音楽の構造、音の鳴りを示すというような行き方だったと思う。
 第2楽章も同様。
 指揮の姿は情熱的だが、音楽そのものには踊り狂うような感じがない。
 旋律をたっぷりと歌わせた第3楽章から集中度が増し、福井敬をはじめとした独唱陣やよく訓練された合唱団の熱演も加わった第4楽章には大きく心を動かされた。
 いずれにしても、井上道義さんの第九との向き合い方、強い意志が表された演奏で、大阪フィルもそれによく応える努力を重ねていたのではないか。
 そして、大フィルの第9コンサートの恒例、合唱団による『蛍の光』には、感無量となった。

 やっぱり生の第九、生のオーケストラ、生の歌声、生のコンサートはいいや。
 ああ、素晴らしかった!
posted by figarok492na at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする