2015年12月20日

クルト・マズアが亡くなった 大阪の商店街でミルクの国を買った(CLACLA日記)

 晴天。
 どんよりとした感じはありつつも、いいお天気、いい青空の一日。

 日中も気温は上がらず、寒さを強く感じる。
 特に朝晩の冷え込みが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪など召しませんように。


 こちらはようやく風邪の症状がとれてきた。
 注意しておかなければ。


 旧東ドイツを代表する指揮者、クルト・マズアが亡くなった。88歳。
 1927年にドイツのシュレージエン地方(シレジア地方。現ポーランド領)で生まれ、ライプツィヒで音楽を学んだのち、ベルリン・コミッシェ・オーパー、ドレスデン・フィルの指揮者を務め、さらにライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任する一方、西側諸国にも活発に客演した。
 1989年の旧東ドイツの民主化では重要な役割を果たし、1991年からはニューヨーク・フィルの音楽監督、その後もロンドン・フィルの首席指揮者やフランス国立管弦楽団の音楽監督を歴任した。
 読売日本交響楽団やNHK交響楽団への客演も含めて来日回数も多数。
 声楽家の偕子夫人との間に生まれたケン・デイヴィッド・マズアも指揮者である。

 マズアは、上述した旧東ドイツの民主化に関する功績の一方で、1972年の自動車事故(とシュタージとの繋がり)やヘルベルト・ケーゲルに対する妨害活動等々、悪い噂が絶えない人物でもあった。
 それらの真偽は判断しかねるが、同じ旧東ドイツ出身の指揮者のうち、クルト・ザンデルリンクはもちろんのこと、ヘーゲルやハインツ・レークナーと比べて、実力では一段格下という印象がしないでもない。
 一見悪役然とした風貌に反して、基本的には新即物主義に沿った穏当で快活な音楽づくりを目指していたのだけれど、どこかぎくしゃくするというか、オーケストラの把握が器用でなかったようにも思う。
 数多くの録音を遺したが、若き日のバーバラ・ボニーの美声を愉しむことができるメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」<TELDEC>を推薦盤として挙げたい。

 もう25年以上も前になるか、マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日コンサート(1989年11月26日、ザ・シンフォニーホール)を聴いたことがある。
 ベートーヴェンの交響曲全曲演奏シリーズのうち、第6番「田園」と第7番の一夜を聴いたのだが、オーソドックスな演奏だったという記憶が残っている。
 そうそう、このコンサートはABCが録画していて、後日放映を観たら1階の1列目か2列目に座っていた僕がちらと映っていたっけ。
 深く、深く黙祷。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 朝早く起きて、仕事関係の予定をすませる。


 正午過ぎから、仕事関係の別の予定をすませる。


 NHK・FMの『きらクラ!』を途中から聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、ミハイ・アイヴァスの『もうひとつの街』<河出書房新社>を読み進めたりする。


 16時頃外出し、トーカイで切符を購入してから阪急で天神橋筋六丁目へ。
 早めに着いたので近くの商店街をぶらつき、100円ショップのシルク天六店で大好きなミルクキャンディー、春日井のミルクの国の大入り(125グラム)のほうがあったので迷わず購入する。

 で、レンタルスペースsiroiroに足を運び、ないすばでぃプロジェクトの演劇展示企画『当たり前の風景』のうち、「憧れたブラックコーヒー」を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 終了後、阪急で大宮まで戻り、夕飯用の買い物をすませて20時台に帰宅した。


 夕飯後、マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団他が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第2番(当方推薦盤)、ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏した同じくメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」&第3番「スコットランド」<TELDEC>を聴いたりしながら、観劇記録をアップしたり、『勝呂又吉のこと』を書き進めたり、『もうひとつの街』を読み進めたりする。


 今日は、ミルクの国を舐めたほか、ヤマザキの高級つぶあんを食す。
 近くのグルメシティで、税込み60円だったもの。
 栗入りの粒あんパンで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ないすばでぃプロジェクト『憧れたブラックコーヒー』

☆ないすばでぃプロジェクト
 演劇展示企画『当たり前の風景』から「憧れたブラックコーヒー」

 脚本:ピンク地底人5号
(2015年12月20日18時スタート/siroiro)


 先月末に京都での企画を終えた、ないすばでぃプロジェクトの演劇展示企画『当たり前の風景』を身に、大阪のレンタルスペースsiroiroまで足を運んだ。
 レンタルスペースsiroiroは、地下鉄の中崎町駅から歩いてすぐ、細い道を入ったところにあるその名の通り白色のフラットなスペースで、僕の観た「憧れのブラックコーヒー」ではそれを喫茶店に見立てて舞台として使っていた。

 で、「憧れのブラックコーヒー」は、登場人物の台詞でも言及されているように、「ハードボイルド」や『探偵物語』(探偵役のたっちゃん石田達拡の雰囲気も加わって、『名探偵コナン』ぽくもある)のオマージュ風の展開なんだけど、実は、登場人物の細かい心の動き、心の綾のほのめかしが作品の肝のような気がした。
 ときに寒さや空回りも辞さないやり取りも含めて好感を覚えたが、京都のような掌篇(集)と異なり、一時間近くの尺の作品ということもあり、意図された以上の隙間の埋まらなさというか、時間の不足を感じたことも事実だ。
 そしてそれは、演技を練り上げたりトレースしたりするための時間の不足というより、ピンク地底人5号が狙う自然さ、当意即妙さ、即興性をアンサンブルとして一層高めるための時間の不足だとも思う。
 それと、自然さ、即興性との繋がりからいえば、中盤一度だけ「場面転換」にあたる部分が設けられていたことに、僕はおやと感じた。
 作品の流れから考えればそのまま話を続けてもおかしくないはずだし、もしあそこで流れを切る必要があるとするのであれば、冒頭のように「ラジオ」を挿入してもよかったのではないか。
 そうすれば、冒頭触れられていた事件も伏線として回収することが可能だろうし。
 ただ、全体的にピンク地底人5号の「あるようなないような」「ないようなあるような」作品世界は、僕にとってとてもしっくりくるものであると改めて思った。

 そうした作品世界によく沿った高田美沙希をはじめ、石田達拡、島あや、峰桜花、ガトータケヒロ、ピンク地底人5号の演者陣は、各々の特性魅力を発揮していた。

 ないすばでぃプロジェクトの次回の公演(企画)も愉しみだ。
posted by figarok492na at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする