2015年10月10日

世は三連休の初日 光宗薫は耳なじみのよい声をしているなあ(CLACLA日記)

 世は三連休の初日。


 シルバーウィークはからっと晴れていたが、三連休の初日はどうにもどんよりとしたお天気となる。
 明日はどうやら雨らしい。
 ありゃりゃ。

 気温はそこそこ上昇したか。
 夕方以降は、だいぶん涼しくなるが。
 皆さん、くれぐれも風邪など召しませんように。


 TPPの既成事実化が進んでいる。
 TPPにしたって、安保法案にしたって、政府与党は無理無体の限りを尽くしているのだけれど、いわゆる大手メディアはご機嫌をうかがうばかりで不甲斐ない。
 結局、僕ら自身の判断力と行動力が問われているのだ。


 ピアニストの白石隆生が亡くなった。70歳。
 桐朋学園大学ピアノ科を卒業後、ウィーン国立音楽大学で学ぶ。
 ソロ・ピアニストのほか、アンサンブル・ピアニスト、特に声楽の伴奏の印象が強かった。
 また、湘南室内合奏団など指揮者としても活動した。
 夫人は、ソプラノ歌手の白石敬子。
 深く、深く黙祷。


 昨夜、アルフレッド・ブレンデルが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第1番〜第3番<PHILIPS>やNHKのラジオ深夜便を聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 朝早く起きて、仕事関係の予定をすませる。


 午前中、毎週恒例の洗濯をすませる。
 乾き、あまりよろしからず。
 まあ、仕方ない。


 その後、フェルディナント・ライトナー指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」&『レ・プティ・リアン』序曲<タワーレコード/ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、熊谷達也の『調律師』<文藝春秋>を読み進めたりする。
 ほかに、清沢洌の『暗黒日記』<岩波文庫>の拾い読みもした。


 13時台に外出し、木屋町通の元・立誠小学校へ。
 音楽室で、アガリスクエンターテイメントの第二十一回(京都)公演『ナイゲン(全国版)』(富坂友脚本・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
 ああ、面白かった!

 開演前終演後、関係各氏と話をしたり、あいさつをしたりする。


 終演後、タワーレコードでCDとCDのビニールケースカバーを購入したのち、17時過ぎに帰宅した。


 帰宅後、早速購入したばかりのグレン・グールドが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハのイタリア協奏曲他<SONY/BMG>を2回聴いたりしながら、観劇記録をアップする。
 本当は語りたいことはいっぱいあるのだけれど、ネタバレは大嫌いなのであえて記さないことにした。
 我慢我慢。


 19時過ぎに再び外出して、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、NHK・FMの『N響 ザ・レジェンド』を途中から聴く。
 ハインツ・ヴァルベルク指揮NHK交響楽団による「シュトラウスの夕べ」のライヴ録音(1966年6月18日、東京文化会館大ホール)が放送されていて、ヨハン・シュトラウス2世のアンネン・ポルカ、ワルツ『ウィーンの森の物語』、行進曲『新兵さんの出陣』、喜歌劇『千一夜物語』の間奏曲、ポルカ『雷鳴と電光』、皇帝円舞曲、ピッツィカート・ポルカ(ヨーゼフとの共作)、トリッチ・トラッチ・ポルカ、喜歌劇『ジプシー男爵』序曲、ワルツ『美しく青きドナウ』、1世のラデツキー行進曲、2世のポルカ『観光列車』と『狩り』を聴いた。
 正直ヴァルベルクは、N響との放送もそうだし、ケルンWDR交響楽団との実演もそうだったのだけれど、ワイマル共和国末期のライヒスバンク(国立銀行)総裁という雰囲気というか、どこか官僚的な硬さがあって、あまり好みの指揮者ではなかった。
 この録音でも、皇帝円舞曲などそうした硬さが出てしまっていると思う。
 それと、ラデツキー行進曲。
 プロイセン軍隊の行進もかくやと思わせる超快速調のテンポ設定で、太鼓もドガンドガンと激しく鳴らされる。
 まあ、史実に則せばこの解釈もありなのだろうが、が、しかし…。

 続けて、NHKラジオ第1のラジラー・サタデーを聴く。

 で、NHK・FMの『クラシックの迷宮』は冒頭部分で途中下車し、ラジラー・サタデーに戻る。
 「変則調弦の音楽」と題して、変則的な調弦のされたヴァイオリンのための作品を特集するという『クラシックの迷宮』が面白くなかったわけではなく、ただただラジラー・サタデーのゲスト、光宗薫の声を聴きたかったためだ。
 光宗薫はワクテカ・サタデー以来の出演だけど、リスナーさんが送っていたように、とても耳なじみのよい声をしている。
 宮崎美子や石田ゆり子、本仮屋ユイカ、倉持明日香の、スイス・ロマンド管弦楽団のような「ほわんほわん」とした声質に比べると、いくぶんソリッドな感じもするが、光宗薫の声は、やはり聴き心地がとてもよい。
 それだけで、聴いていたくなったのだ。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『勝呂又吉のこと』について考えたり、『調律師』を読み進めたりする。
 ほかに、『暗黒日記』の拾い読みもした。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アガリスクエンターテイメント 第二十一回公演『ナイゲン(全国版)』

☆アガリスクエンターテイメント 第二十一回公演『ナイゲン(全国版)』

 脚本・演出:富坂友
 文芸助手:淺越岳人、タカハシヨウ
 演出助手:鎌田将一朗、熊谷有芳
 出演:甲田守、沈ゆうこ、鹿島ゆきこ、金原並央、さいとう篤史、榎並夕起、古屋敷悠、斉藤コータ、津和野諒、細井寿代、淺越岳人、信原久美子、塩原俊之

(2015年10月10日14時半開演の回/元・立誠小学校音楽室)

 ここのところ、めっきりお芝居を観に行く回数が減っている。
 経済的にもスケジュール的にも厳しい状況だし、去年の今頃から月亭太遊さんをはじめとしたプロの落語家さんたちと親しく接する機会が増えて、表現のあり様について考えが徐々に変化してきたこともある。
 そして、それより何より、小説を書くということに一層エネルギーを割くようになったことが大きい。
 正直、毎日文章を書くことに悩めば悩むほど、お芝居を観ようという気力が強く失せていくのだ。
 だから、演劇関係者を称するのであれば明らかに見逃せず見落とせない公演だとて、不義理不人情を承知で平然とパスしてしまっている。
 けれど、この人が関係しているのであれば、この人が薦めるのであればという公演だけは、やはりどうしても足を運ばざるをえない。
 あえて名前は出さないけれど、僕にとって信頼できる人が深く関わっている東京の劇団、アガリスクエンターテイメントの京都公演など、その最たるものだろう。
 実際、足を運んで大正解だった。

 脚本・演出の富坂友の母校でもある(千葉県立)国府台高校。
 その国府台高校に実在する、文化祭の発表内容を審議決定するための会議、内容限定会議(通称「ナイゲン」)が、今回の作品の舞台である。
 無事全クラスの内容説明も終わり、さああとは決を採るだけとなったところで、突然会議の議事進行役・文化祭実行委員会委員長に職員室からの呼び出しが入る。
 そこから会議は一転、ある一つのクラスだけが本来の発表を行えないことになる。
 それじゃあ、一体どのクラスを落としてしまうのか…。

 と、かれこれ30年近く前、国府台高校と同様に「自律」を建前、ではない校訓校是とする県立高校で生徒会会長を務めた上に、権謀術策渦巻く放送部の部員(うちの学年の男子は、どうにもややこしかった)だった人間としては、とうてい他人事とは思えぬ展開なのだけれど、笑いの仕掛けも豊富であれば、伏線の張り具合も見事というほかなく、そんな感傷なんてどこ吹く風で物語に惹き込まれてしまった。
 いや、こう言い切ってしまうと、ちょっと違うな。
 惹き込まれて大笑いしながらも、彼彼女らによる詭弁と感情の爆発の乱打戦に、今僕らが直面する出来事を想起して、いろいろと考えてしまったことも事実だ。
 特に終盤、ある登場人物の心性が前面に押し出されたこともあり、良い意味での「わだかまり」が残ったことを記しておきたい。
 そうそう、密室における議論といえば、先行する諸作品(レジナルド・ローズ&シドニー・ルメットと三谷幸喜、おまけに筒井康隆)をすぐに思い出すのだが、作中、過去の作品からの影響やオリジナリティの問題についても言及されていて、全く隙がないなと感心した。

 演者陣も、作品世界によく沿って、個々に与えられたキャラクター、特性を魅力たっぷりに再現しつつ、精度が高く密度の濃いアンサンブルを造り上げていた。
 同時に繰り広げられる演技の細かさ丹念さも嬉しいし、言葉と身体のやり取りがすとんすとんと決まるあたりは、上質の室内楽を聴いているような心地良さだった。

 いずれにしても、シットコム(シチュエーションコメディ)やウェルメイドプレイとは、巧緻で丁寧な計算の積み重ねであると思い知らされた次第。
 ぜひとも多くの方にご覧いただきたい。

 ああ、面白かった!
posted by figarok492na at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする