2015年09月26日

高槻までお芝居を観に行き思い出したこと(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、どんよりとした感じのお天気。

 気温は少し上昇する。
 むしっとして、あまり快ならず。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 オバマ大統領と習近平国家主席による、日米首脳会談が行われる。
 いろいろと考えることあり。


 安倍首相が、TPPの早期合意をどうこうと口にしている。
 そもそも自民党はTPPに反対していたのではないか。
 嘘つき、ペテン、ここに極まれりだ。


 昨夜、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団が演奏したブルックナーの交響曲第5番<DECCA>、ボロディン・カルテット他が演奏したシューベルトの弦楽5重奏曲<TELDEC>を聴いたりしながら、3時20分過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 朝早く起きて、仕事関係の予定をすませる。

 その後、毎週恒例の洗濯をすませる。
 乾き、あまりよろしからず。
 まあ、仕方ない。


 12時半過ぎに外出して、高槻市へ。
 高槻現代劇場の305号室で、高槻シニア劇団 恍惚一座(うっとりいちざ)の第3回公演『アトリエジャマイカ』を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前終演後、関係各氏と話をしたり、あいさつをしたりする。


 高槻といえば、今から20年近く前に一年弱、京大セミナーという進学塾で事務職員(正社員)として働いていた。
 結局、太田道灌よろしく「当方滅亡」の心境で辞めたが、案の定、その後、経営状態がおかしくなってしまった。
 一応、大手に身売りをして名前は残っているようだけれど。
(経営側=幹部の講師が、辞職した講師から届いた手紙をゴミ箱に捨てているのを目にして、まずここはだめだなと思った。たとえ度し難い相手からの手紙だとて、別の人間が目にする場所に手紙を平然と捨ててしまっている段階で、人としても経営者としても終わっている)


 行き帰りの阪急の車内で、滝口悠生の『寝相』<新潮社>を読み進める。


 帰宅後、ブルックナーの交響曲第5番を聴いたりしながら、観劇記録をアップしたり、雑件を片付けたりする。


 18時過ぎに再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、NHK・FMで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団の第1816回定期公演の実況中継(NHKホール)を途中から聴く。
 ティル・フェルナーの独奏による、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を聴くことができた。

 続けて、NHK・FMの『ガットのしらべ』を聴く。
 バロック・ヴァイオリンのシギスヴァルト・クイケンさんの特集だった。

 続けて、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他<PHILIPS>を聴く。

 そして、再びNHK・FMに戻り、『クラシックの迷宮』を聴く。
 今回は「NHKのアーカイブス」から、山田夏精(山田一雄)指揮東京フィルが演奏した細川碧の交響組曲『富士』と、金子登指揮東京フィルが演奏した市川都志春の交響組曲『春苑』が放送されていた。
 これは実に貴重な音源だ。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『勝呂又吉のこと』について考えたりする。


 『寝相』を読了する。
 ああ、面白かった!

 続けて、エリック・ライディングとレベッカ・ペチェフスキーの『ブルーノ・ワルター』<音楽之友社>を読み始める。
 世界的な指揮者、ブルーノ・ワルターの詳細な伝記である。


 今日は、神戸屋のデニッシュメロン・マロン(なんじゃそりゃ…)を食す。
 壬生のローソンストア100で、50円引きだったもの。
 マロンクリームを挟んだ、デニッシュ地のメロンパンで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 誰かに踊らされている人間に踊らされる人間ほど、愚かで哀れで度し難い存在もない。
 自省あるのみ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高槻シニア劇団 恍惚一座第3回公演『アトリエジャマイカ』

☆高槻シニア劇団 恍惚一座第3回公演『アトリエジャマイカ』

 脚本:伊地知克介
 演出:山口茜
(2015年9月26日14時開演の回/高槻現代劇場305号室)


 積極的に市民参加型の演劇活動と取り組んでいる高槻現代劇場だが、50歳以上のメンバーによる2つのシニア劇団のうち、山口茜が講師を務める恍惚一座(と書いて、「うっとりいちざ」と読む)の第3回公演『アトリエジャマイカ』を観た。
 なお、恍惚一座といえば、去年のC.T.T.vol.107(2014年4月19日、アトリエ劇研)ですでに接したことがあるが、その際も今回と同じ伊地知克介の脚本が用いられていた。

 1945年「東京に住む3姉妹と漫画家」、2013年「アフリカ紛争地帯の医師たち」、2015年「地方都市の絵画教室に集まる人々」が折り重なって、一つの物語を創り上げていく。
 と、こう記せば、もしかして映画『めぐりあう時間たち』みたくややこしい内容? と危ぶむ向きもあるかもしれないし、実際様々な仕掛けも施されているのだけれど、いわゆる新劇的な構成にサスペンス・ドラマ的な趣向と、基本的には筋の通ったわかりやすい展開で、戦争や記憶するということ、人と人との繋がりといった伊地知さんの想いがよく伝わってくるお話になっていた。
 で、オーソドックスでありつつ、感情表現の細かなギアの変化や、真摯さと滑稽さのふり幅の広い演技を求められる分、演じる側の負担が大きな作品だったとも思う。
 だからこそ、演者陣の研鑚の跡もよくうかがえたが。
 ただ、そうした個々の表面的な技術もそうだけれど、山口さんは演者どうしのやり取りや、お客さんとの関係の結び方により重きを置いていたように、僕には感じられもした。

 演者陣は、作品世界に沿う努力を本当によく重ねていたのではないか。
 加えて、演技の合間から個々の特性や魅力、人柄が浮き彫りとなっていた点が僕には面白く、なおかつ好感を抱いた。
 ほかに、ゲストとして勝二繁が出演。

 演劇というものは一筋縄ではいかないし、続ければ続けた分、新たな課題が生れてきたりもするのだけれど、ぜひ恍惚一座の皆さんにはこれからも末長く表現活動を続けていってもらえればと強く思う。
 そして、高槻現代劇場の取り組みが今後一層盛んとなることを、心より祈りたい。
posted by figarok492na at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする