日本の敗戦から70年が経った。
戦争で犠牲となられた全ての方々に、深く、深く、深く、深く、深く黙祷を捧げます。
戦没者追悼式の実況中継をラジオで聴き、正午に黙祷を行う。
天皇陛下は、短いスピーチの中、「さきの大戦に対する深い反省」や「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」、「戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思い致すとき」など、許されうるかぎりの言葉でもって、自らの強い想いを伝えようとしていた。
(おことばの順番の誤りや、言葉の読み間違いは、そうした強い想いの表われではないか)
一方、安倍首相は、昨日の談話同様、上っ面な言葉を重ねる。
耳にしていて、どうにも辛い。
天皇陛下の想いは想いとして、このような状況を生み出してしまっていることに、僕自身大いに恥じる。
晴天。
陽射しが強い分、気温は上昇し、暑さがとても厳しくとても激しい。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
特に、熱中症にはご用心のほど。
昨夜、NHKのラジオ深夜便を聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
朝早くに起きて、仕事関係の予定をすませる。
午前中、毎週恒例の洗濯を結構する。
乾き、非常によろし。
ああ、すっきりした!
その後、ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼン、オーボエ協奏曲&クラリネットとファゴットのための2重コンチェルティーノ、『ばらの騎士』組曲&『カプリッチョ』から「月の光の音楽」(3回)<いずれもWARNER>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』について考えたり、瀧羽麻子の『オキシペタルムの庭』<朝日新聞出版>を読み進めたりする。
15時頃に外出し、木屋町の元・立誠小学校へ。
講堂で開催されていた飄々舎主催のカミケに参加する。
コミケならぬカミケとは、長机と椅子をセットにしたブースが6つぐらいだったかな、紙関係ならなんでもありという展示販売ワークショップの総称だ。
紙で笛を作るというワークショップや、しゃれたイラストにしゃれた言葉のポストカード、巧緻に仕上げられた折り紙、さらにはイラストや同人誌と、思っていた以上にバラエティに富んだ内容で、これだったらブースを用意してもらって、僕も猫オペラのイラストやポストカード、倭多顕璽(難朝癲脳)の御名御璽入り認癇証を販売するんだったと主宰の一人あかごひねひね氏に話したほど。
で、16時からは講堂の壇上に設けられた特設会場で、丸山交通公園君のワンマンショー「考えすぎの喋り過ぎvol.1」を愉しむ。
丸山君が約50分強を喋り倒すという意欲的な企画だ。
今回は「露出狂」がそのテーマ。
あえて詳しくは触れないけれど、途中意図した以上にだれる場面があったり、ブリッジの部分など、話の展開、つなぎをどう処理するかが今後の課題だと思ったりもしたが、まるで太平洋戦争末期の大日本帝国すら想起させるような切迫感は「ただごと」ではなく、さすがは丸山君だと感心し感嘆した。
細かいくすぐりや、中間の大ネタも面白かったが、それに加えて、丸山君のやむにやまれぬ想いが伝わってくるあたりも、僕には非常に興味深かった。
ああ、面白かった!
こうやって彼の生のおしゃべりを耳にできて、本当によかったなあ。
終了後等、丸山君をはじめ関係各氏と話をする。
その後いろいろあって、帰宅が21時を過ぎる。
遅めの夕飯後、NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴く。
「マーラーの葬送行進曲と1945年の日本」と題して、1945年1月の日本交響楽団・現NHK交響楽団の定期公演(第262回、1月24日〜26日、日比谷公会堂)で作曲者の指揮で初演された山田一雄の『おほむたから』と、その下敷きとなったマーラーの交響曲第5番第1楽章の細かい比較が行われるとともに、山田一雄が東京音楽学校のクラウス・プリングスハイムに師事する過程でマーラーから強く影響を受けたこと、そのマーラーと天台声明を混ぜ合わせることによって『おほむたから』が生れたことが説明され、『おほむたから』とは太平洋戦争末期の日本国民の切迫した状況を表現した作品(加えるに、戦死者戦没者への鎮魂)であることが類推結論づけられていた。
8月15日に相応しい内容だったと思う。
ああ、面白かった!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。