☆ベートーヴェン:ピアノのための変奏曲・舞曲集
独奏:オリ・ムストネン(ピアノ)
録音:1995年10月16日、17日 ロンドン・ヘンリー・ウッド・ホール
デジタル・セッション
<DECCA>452 206-2
フィンランド出身のピアニスト、オリ・ムストネンの実演にも接したことがある。
2001年11月16日の大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスでの来日リサイタルがそうで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第15番「田園」、11のバガテル、ロンド・ア・カプリッチョ、幻想曲とブラームスのヘンデルの主題による変奏曲とフーガが並んでいたが、いずれも清新な演奏だった。
今回は、そのムストネンが弾いたベートーヴェンのピアノのための変奏曲・舞曲集を聴く。
なお、このCDは、同じDECCAレーベルとの変奏曲集に続く2枚目のベートーヴェンで、その後RCAレーベルにディアベッリの主題による33の変奏曲他とピアノ・ソナタ第30番他の2枚のアルバムを残している。
おなじみ『庭の千草』(の原曲)などを盛り込んだ6つの民謡主題と変奏曲、7つのレントラー、創作主題による6つのやさしい変奏曲、ロンドハ長調、ハイベルのバレエ『邪魔された結婚』の「ヴィガーノ風メヌエット」の主題による12の変奏曲、メヌエット変ホ長調、6つのエコセーズ、6つのバガテル、ピアノ小品ロ短調と、ロンドと6つのバガテルを除くとあまり有名ではない作品が収められているが、ムストネンのピアノ演奏だと、そのいずれもが個性あふれて魅力的な音楽に聴こえてくる。
ムストネンのベートーヴェン演奏の特徴を挙げるとすれば、フォルテピアノの影響もあるだろうが、一つ一つの音を細かく跳ねるように響かせつつも、それをぶつ切りにすることなく、大きな音の流れとしてつなげていく。
また、強弱の変化にも非常に敏感だが、それでいて音の透明感は全く失われない。
さらに、楽曲ごとの丁寧な腑分け、把握が行われていて、音楽の見通しがよい、ということになるだろうか。
快活で軽やかな6つのバガテルなど、ウゴルスキの演奏ととても対照的だ。
ベートーヴェンのくどさ、しつこさにはうんざり、という方にこそお薦めしたい一枚。
暑い時期には、なおのことぴったり!
2015年07月31日
アナトール・ウゴルスキが弾いたベートーヴェンのピアノ作品集
☆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番他
独奏:アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)
録音:1992年1月、1991年7月
ハンブルク・フリードリヒ・エーベルトハレ
デジタル・セッション
<ドイツ・グラモフォン>435 881-2
アナトール・ウゴルスキの実演には、かつて一度だけ接したことがある。
1993年10月8日、ケルン・フィルハーモニーでのルドルフ・バルシャイ指揮ケルンWDR交響楽団の定期公演でブラームスのピアノ協奏曲第1番を弾いたときだ。
まるで蛸が吸盤で岩盤にへばりつくような、身を屈めて手だけ伸ばすウゴルスキの姿勢にありゃと思っていたら、オーケストラの堂々とした伴奏がひとしきり終わってピアノのソロが始まったとたん、僕は彼の世界に惹き込まれた。
一音一音が十分十二分に意味を持つというか。
ブラームスのリリシズムやロマンティシズムがウゴルスキというフィルターを通して、繊細丹念に再現されていくのだ。
呆然というほかない、演奏が終わったときの不思議な感覚を今も覚えている。
加えて、アンコールのスカルラッティのソナタも素晴らしかった。
遅いテンポで細やかに語られる音楽の美しさ。
同じ契約先のドイツ・グラモフォンからイーヴォ・ポゴレリチのソナタ集がリリースされていたこともあってか、ウゴルスキのスカルラッティが録音されなかったのは、返す返す残念だ。
で、今回取り上げるのは、そのウゴルスキがピアノ・ソナタ第32番などベートーヴェンのピアノ作品を演奏したアルバムである。
ウゴルスキのベートーヴェンといえば、作家のディーチェが自分の新作の付録として録音を要求し、そのあまりの出来栄えのよさに正式にリリースされることとなったデビュー盤のディアベッリの主題による33の変奏曲が有名だが、こちらのアルバムも、ウゴルスキというピアニスト、音楽家の特性がよく表われた内容となっている。
それを一言で言い表すならば、作品を通しての自問自答ということになるかもしれない。
そしてそれは、華美なテクニックのひけらかしではなく、自分自身の納得のいく音楽、演奏の追求と言い換えることもできるかもしれない。
例えば、ベートーヴェンにとって最後のピアノ・ソナタとなる第32番のソナタ。
第1楽章のドラマティックな部分も悪くはないが、ウゴルスキの演奏の肝は一見(聴)淡々と、しかしながらあくまでも真摯に歩んでいく第2楽章の弱音の部分にあると思う。
(だから、第2楽章のちょっとジャジーな音型のあたりははじけない。というか、慎み深く鳴らされる)
その意味でさらにウゴルスキの特性が示されているのは、作品番号126の6つのバガテルだ。
ここでは確信を持って非常に遅めのテンポが保たれている。
4曲目のプレストでも、表層的な激しさよりも感情の変化が尊ばれる。
そうすることによって、作品の構造そのものもそうだけれど、音楽自体を支えている土台に対してウゴルスキがどう向き合ったかがよく聴こえてくる。
さらに、そのゆっくりとしたテンポは、おなじみエリーゼのためにでも持続される。
その静謐さには、哀しみすら感じるほどだ。
最後は、「小銭を失くした怒り」の愛称で知られるロンド・ア・カプリッチョ。
この曲は、全てが解き放たれるように、とても速いスピードで弾かれる。
けれど、もちろんそれは「俺はこんなに速く弾くことができるんだぜ」といった自己顕示の反映などではない。
作品が求めるものと自分自身が求めるものとが重なり合った結果が、この演奏なのだ。
正直、ファーストチョイスとしてお薦めはしない。
だからこそ、強く印象に残る魅力的なアルバムでもある。
独奏:アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)
録音:1992年1月、1991年7月
ハンブルク・フリードリヒ・エーベルトハレ
デジタル・セッション
<ドイツ・グラモフォン>435 881-2
アナトール・ウゴルスキの実演には、かつて一度だけ接したことがある。
1993年10月8日、ケルン・フィルハーモニーでのルドルフ・バルシャイ指揮ケルンWDR交響楽団の定期公演でブラームスのピアノ協奏曲第1番を弾いたときだ。
まるで蛸が吸盤で岩盤にへばりつくような、身を屈めて手だけ伸ばすウゴルスキの姿勢にありゃと思っていたら、オーケストラの堂々とした伴奏がひとしきり終わってピアノのソロが始まったとたん、僕は彼の世界に惹き込まれた。
一音一音が十分十二分に意味を持つというか。
ブラームスのリリシズムやロマンティシズムがウゴルスキというフィルターを通して、繊細丹念に再現されていくのだ。
呆然というほかない、演奏が終わったときの不思議な感覚を今も覚えている。
加えて、アンコールのスカルラッティのソナタも素晴らしかった。
遅いテンポで細やかに語られる音楽の美しさ。
同じ契約先のドイツ・グラモフォンからイーヴォ・ポゴレリチのソナタ集がリリースされていたこともあってか、ウゴルスキのスカルラッティが録音されなかったのは、返す返す残念だ。
で、今回取り上げるのは、そのウゴルスキがピアノ・ソナタ第32番などベートーヴェンのピアノ作品を演奏したアルバムである。
ウゴルスキのベートーヴェンといえば、作家のディーチェが自分の新作の付録として録音を要求し、そのあまりの出来栄えのよさに正式にリリースされることとなったデビュー盤のディアベッリの主題による33の変奏曲が有名だが、こちらのアルバムも、ウゴルスキというピアニスト、音楽家の特性がよく表われた内容となっている。
それを一言で言い表すならば、作品を通しての自問自答ということになるかもしれない。
そしてそれは、華美なテクニックのひけらかしではなく、自分自身の納得のいく音楽、演奏の追求と言い換えることもできるかもしれない。
例えば、ベートーヴェンにとって最後のピアノ・ソナタとなる第32番のソナタ。
第1楽章のドラマティックな部分も悪くはないが、ウゴルスキの演奏の肝は一見(聴)淡々と、しかしながらあくまでも真摯に歩んでいく第2楽章の弱音の部分にあると思う。
(だから、第2楽章のちょっとジャジーな音型のあたりははじけない。というか、慎み深く鳴らされる)
その意味でさらにウゴルスキの特性が示されているのは、作品番号126の6つのバガテルだ。
ここでは確信を持って非常に遅めのテンポが保たれている。
4曲目のプレストでも、表層的な激しさよりも感情の変化が尊ばれる。
そうすることによって、作品の構造そのものもそうだけれど、音楽自体を支えている土台に対してウゴルスキがどう向き合ったかがよく聴こえてくる。
さらに、そのゆっくりとしたテンポは、おなじみエリーゼのためにでも持続される。
その静謐さには、哀しみすら感じるほどだ。
最後は、「小銭を失くした怒り」の愛称で知られるロンド・ア・カプリッチョ。
この曲は、全てが解き放たれるように、とても速いスピードで弾かれる。
けれど、もちろんそれは「俺はこんなに速く弾くことができるんだぜ」といった自己顕示の反映などではない。
作品が求めるものと自分自身が求めるものとが重なり合った結果が、この演奏なのだ。
正直、ファーストチョイスとしてお薦めはしない。
だからこそ、強く印象に残る魅力的なアルバムでもある。