どんよりとした感じの強いお天気。
陽光や青空は見えつつも。
今日も今日とて気温が上昇し、暑さがとてつもなく厳しく、とてつもなく激しい。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
テレビやラジオ、新聞では都合のよいところばかりが切り取られている感なきにしもあらずだけれど(ただし、テレビは直接観ていない)、国会中継を拾い聴きするかぎり、安保法案に関する安倍首相以下政府側の答弁の無様さには本当に開いた口が塞がらない。
アメリカ政府の意向はそこまで強いのか。
いずれにしても、このような信頼のおけない政府による信頼のおけない法案に賛成することはとうていできない。
安保法案には反対だ。
TPPに関する交渉が進んでいる。
そもそも自民党はTPPに反対だったのではないか。
嘘つきペテン、ここに極まれりである。
昨夜、KBS京都でAKB48のオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時半近くまで仕事関係の作業を進める。
オールナイトニッポンは、川栄李奈の卒業特集で、同期(だそう)の小嶋菜月と名取稚奈の三人が出演していた。
それにしても、名前に「な」の字が多いな。
午前中、仕事関係の予定をすませる。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』について考えたり、川本三郎の『小説を、映画を、鉄道が走る』<集英社>を読み進めたりする。
ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第82番「熊」〜第84番<SONY>を聴き、CDレビューをアップする。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーが弾いたハイドンのピアノ・ソナタ第35番〜第39番、第20番<DHM>を聴きながら、雑件を片付ける。
夕飯後、シュタイアーが弾いたハイドンのピアノ・ソナタ第34番&第33番他<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』を書き進めたり、シュタイアーが弾いたハイドンのピアノ・ソナタ集のCDレビューをアップしたりする。
『小説を、映画を、鉄道が走る』を読了する。
ああ、面白かった!
続けて、志川節子の『春はそこまで』<文藝春秋>を読み始める。
今日は、ローソンの手包みチョコバナナクレープを食す。
壬生のローソンストア100で、50円引きだったもの。
バナナとホイップクリーム、チョコを包んだクレープで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
湧いて出る ツイート乞食 銭の狗
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2015年07月30日
アンドレアス・シュタイアーが弾いたハイドンのクラヴィーア・ソナタ集VOL.2&VOL.3
☆ハイドン:クラヴィーア・ソナタ集VOL.2&VOL.3
独奏:アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ)
録音:VOL.2 1991年9月9日〜12日
VOL.3 1992年6月8日〜11日
リントラー・クルトゥールゼントルム
<DHM>05472 77186 2(VOL.2) 05472 77285 2(VOL.3)
アンドレアス・シュタイアーがドイツ・ハルモニアムンディ・レーベルに録音した3枚のハイドンのクラヴィーア・ソナタ集のうち、第35番〜第39番と第20番の第2集、アリエッタと12の変奏曲第1番、第34番、アンダンテと変奏曲、第33番、皇帝讃歌『神よ、皇帝を護り給え』による変奏曲の第3集を聴く。
ハイドンのソナタといえば、ソナチネ・アルバム=初心者のための教材というイメージがどうにも付きまとうが、このシュタイアーのフォルテピアノ演奏で聴くと、そんな思い込みも一発で吹き飛んでしまう。
例えば、第2集の冒頭に収められた第35番の第1楽章を聴いて欲しい。
それこそソナチネ・アルバムでおなじみの作品だけれど、飛び跳ねるような音楽のなんと美しく軽やかなこと!
聴いていて、本当にうきうきしてくる。
同じ第2集の第38番の第1楽章もそう。
作品の持つ明るさ、愉しさ、活き活きとした感じが存分に再現されている。
と言って、シュタイアーは浮かれ調子の馬鹿っ調子で好き勝手手前勝手に弾き倒しているわけではない。
テンポ設定や強弱の変化等々、作品の構造の把握の的確さに秀でている点は、やはり高く評価せねばならないだろう。
また、ソナタの緩徐楽章や第3集の変奏曲などにおける叙情性、歌唱性への充分な配慮も忘れてはなるまい。
弦楽4重奏曲第77番「皇帝」の第2楽章ともつながる皇帝讃歌による変奏曲の静謐さ、真摯さも強く印象に残った。
ソナチネ・アルバムにうっとうしい想いをさせられた方にこそ強くお薦めしたい、とびきりのアルバムである。
独奏:アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ)
録音:VOL.2 1991年9月9日〜12日
VOL.3 1992年6月8日〜11日
リントラー・クルトゥールゼントルム
<DHM>05472 77186 2(VOL.2) 05472 77285 2(VOL.3)
アンドレアス・シュタイアーがドイツ・ハルモニアムンディ・レーベルに録音した3枚のハイドンのクラヴィーア・ソナタ集のうち、第35番〜第39番と第20番の第2集、アリエッタと12の変奏曲第1番、第34番、アンダンテと変奏曲、第33番、皇帝讃歌『神よ、皇帝を護り給え』による変奏曲の第3集を聴く。
ハイドンのソナタといえば、ソナチネ・アルバム=初心者のための教材というイメージがどうにも付きまとうが、このシュタイアーのフォルテピアノ演奏で聴くと、そんな思い込みも一発で吹き飛んでしまう。
例えば、第2集の冒頭に収められた第35番の第1楽章を聴いて欲しい。
それこそソナチネ・アルバムでおなじみの作品だけれど、飛び跳ねるような音楽のなんと美しく軽やかなこと!
聴いていて、本当にうきうきしてくる。
同じ第2集の第38番の第1楽章もそう。
作品の持つ明るさ、愉しさ、活き活きとした感じが存分に再現されている。
と言って、シュタイアーは浮かれ調子の馬鹿っ調子で好き勝手手前勝手に弾き倒しているわけではない。
テンポ設定や強弱の変化等々、作品の構造の把握の的確さに秀でている点は、やはり高く評価せねばならないだろう。
また、ソナタの緩徐楽章や第3集の変奏曲などにおける叙情性、歌唱性への充分な配慮も忘れてはなるまい。
弦楽4重奏曲第77番「皇帝」の第2楽章ともつながる皇帝讃歌による変奏曲の静謐さ、真摯さも強く印象に残った。
ソナチネ・アルバムにうっとうしい想いをさせられた方にこそ強くお薦めしたい、とびきりのアルバムである。
ブルーノ・ヴァイルが指揮したハイドンの交響曲第82番〜第84番
☆ハイドン:交響曲第82番「熊」〜第84番
指揮:ブルーノ・ヴァイル
管弦楽:ターフェルムジーク
録音:1994年2月15日〜19日、トロント・グレン・グールド・スタジオ
デジタル・セッション
<SONY>SK66295
今日ほど、真の中庸の道を歩むことのむずかしく、それにもかかわらずまたそれの必要なときもないことがわかる。
中庸の道とはもちろん現状維持のことではなく、革命にさえそれはあるのだ。
それは折衷でも妥協でもなく、いちばん思慮と勇気の要る道なのだ。
とは、今は亡き林達夫の言葉だが、カナダのピリオド楽器オーケストラ、ターフェルムジークをブルーノ・ヴァイルが指揮して録音したハイドンの交響曲ほど、この言葉にぴったりの演奏もないと思う。
このアルバムには、パリのアマチュア・オーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックの委嘱で作曲された、いわゆる「パリ・セット」のうち、前半の3曲が収められているが、ヴァイルとターフェルムジークは、祝祭的な第82番、劇性に富んだ第83番、優美な第84番といった各々の作品の性格はもちろんのこと、大編成の管弦楽のために大いに腕をふるったハイドンの音楽的な仕掛けを的確に再現している。
例えばそれは、「熊」というニックネームのもととなったとされる第82番終楽章のドゥイーンドゥイーンという音型や、「めんどり」というニックネームのもととなったとされる第83番第1楽章の第2主題、第84番終楽章の急緩強弱の変化など、挙げ始めるときりがない。
そして忘れてならないのは、こうした諸々が、実にさりげなく、一つの作品、一つの音楽の流れを壊すことなく表現されていることだ。
ニコラウス・アーノンクールや、彼の薫陶を受けたトマス・ファイが指揮したハイドンの交響曲には、そのアクロバティックなまでのめまぐるしい表情の変化を愉しむ反面、ときとしてわずらわしさを感じることがある。
その点、ヴァイルの快活なテンポを保った楽曲解釈は、何度聴いても聴き飽きることがない。
ターフェルムジークの明晰でまとまりのよいアンサンブルも、そうしたヴァイルの音楽づくりによく合っていると思う。
録音も実にクリアで、聴き心地がよい。
古典派好きには大いにお薦めしたい一枚だ。
返す返す残念なのは、ヴァイルとターフェルムジークによるハイドンの交響曲の録音が、中途で頓挫してしまったことである。
30番台〜第92番まで(つまるところ、ザロモン・セット以前)の交響曲、それが贅沢なら、少なくとも70番台、80番台と第91番、第92番「オックスフォード」はなんとか録音しておいて欲しかった。
(なお、ヴァイルは、ライヴ録音によるカペラ・コロニエンスシスとのザロモン・セットをリリースしているが、オーケストラの特性もあってか、ターフェルムジークとの録音ほどには魅力を感じない)
指揮:ブルーノ・ヴァイル
管弦楽:ターフェルムジーク
録音:1994年2月15日〜19日、トロント・グレン・グールド・スタジオ
デジタル・セッション
<SONY>SK66295
今日ほど、真の中庸の道を歩むことのむずかしく、それにもかかわらずまたそれの必要なときもないことがわかる。
中庸の道とはもちろん現状維持のことではなく、革命にさえそれはあるのだ。
それは折衷でも妥協でもなく、いちばん思慮と勇気の要る道なのだ。
とは、今は亡き林達夫の言葉だが、カナダのピリオド楽器オーケストラ、ターフェルムジークをブルーノ・ヴァイルが指揮して録音したハイドンの交響曲ほど、この言葉にぴったりの演奏もないと思う。
このアルバムには、パリのアマチュア・オーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックの委嘱で作曲された、いわゆる「パリ・セット」のうち、前半の3曲が収められているが、ヴァイルとターフェルムジークは、祝祭的な第82番、劇性に富んだ第83番、優美な第84番といった各々の作品の性格はもちろんのこと、大編成の管弦楽のために大いに腕をふるったハイドンの音楽的な仕掛けを的確に再現している。
例えばそれは、「熊」というニックネームのもととなったとされる第82番終楽章のドゥイーンドゥイーンという音型や、「めんどり」というニックネームのもととなったとされる第83番第1楽章の第2主題、第84番終楽章の急緩強弱の変化など、挙げ始めるときりがない。
そして忘れてならないのは、こうした諸々が、実にさりげなく、一つの作品、一つの音楽の流れを壊すことなく表現されていることだ。
ニコラウス・アーノンクールや、彼の薫陶を受けたトマス・ファイが指揮したハイドンの交響曲には、そのアクロバティックなまでのめまぐるしい表情の変化を愉しむ反面、ときとしてわずらわしさを感じることがある。
その点、ヴァイルの快活なテンポを保った楽曲解釈は、何度聴いても聴き飽きることがない。
ターフェルムジークの明晰でまとまりのよいアンサンブルも、そうしたヴァイルの音楽づくりによく合っていると思う。
録音も実にクリアで、聴き心地がよい。
古典派好きには大いにお薦めしたい一枚だ。
返す返す残念なのは、ヴァイルとターフェルムジークによるハイドンの交響曲の録音が、中途で頓挫してしまったことである。
30番台〜第92番まで(つまるところ、ザロモン・セット以前)の交響曲、それが贅沢なら、少なくとも70番台、80番台と第91番、第92番「オックスフォード」はなんとか録音しておいて欲しかった。
(なお、ヴァイルは、ライヴ録音によるカペラ・コロニエンスシスとのザロモン・セットをリリースしているが、オーケストラの特性もあってか、ターフェルムジークとの録音ほどには魅力を感じない)