一応青空が見えていると思ったら、突然の雨。
雷鳴も轟く。
今日も気温が上昇し、暑さがとてつもなく厳しくとてつもなく激しい。
蒸し暑い蒸し暑い蒸し暑い!
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
参議院の安保法案に関する特別委員会の国会中継を連日拾い聴きしているが、安倍首相以下政府側答弁のいいかげんさ、上っ面さは本当に度し難い。
そして、前言が安易に覆され、あれやこれやがどんどん付け加えられていく怖ろしさ。
これでは、やはり安保法案に反対せざるをえない。
新国立競技場の問題に関して、文部科学省の局長が更迭された。
まさしくトカゲの尻尾切りの一語である。
下村大臣の更迭が先決だろう。
こういう連中が道徳だのなんだのと偉そうに口にすることの恥ずかしさ。
オリンピックとパラリンピックは、返上してしまったほうがよい。
昨夜、NHKのラジオ深夜便や、フォルテピアノのメルヴィン・タンが弾いたシューベルトの即興曲集<EMI>を聴いたりしながら、4時少し前まで仕事関係の作業を進める。
ラジオ深夜便の午前1時台は、「深夜便 落語100選」。
五明樓玉の輔が演じた『星野屋』(もしかしたら小朝さんの弟子かなと思って調べてみると、やっぱりそうだった)と、立川談四楼が演じた『三年目』が放送されていた。
朝早く起きて、仕事関係の予定をすませる。
その後、ヒュー・ウォルフ指揮セント・ポール室内管弦楽団が演奏したレスピーギのボッティチェリの3枚の絵、鳥、リュートのための古風な舞曲とアリア第1&第3組曲<TELDEC>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
昼食時、昨夜のシュウマイの残りがあることを忘れてごはんを食べ終えてしまったため、レンジで温めずそのまま食す。
これもまた悪くない。
ただし、同じ冷たいシュウマイならば、鳥栖駅・中央軒のシュウマイがとびきりに美味しいと思う。
仕事の関係で父が鳥栖乗り換えで長崎に帰って来るときに、お土産としていつも買ってきてくれたものだ。
あっさりとした味付けで硬めの食感、あれは何個でもぺろりと食べちゃえる。
ああ、中央軒のシュウマイが食べたい!
(鳥栖駅のシュウマイに頭がいったのは、後述『小説を、映画を、鉄道が走る』を今読んでいるからかもしれない)
午後、ABCラジオの『桑原征平の粋も甘いも水曜日』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』を書き進めたり、川本三郎の『小説を、映画を、鉄道が走る』<集英社>を読み進めたりする。
ヴェルナー・エールハルト率いるコンチェルト・ケルンが演奏したヴィルムスの交響曲第6番&第7番<ARCHIV>を聴き、CDレビューをアップする。
先月の誕生日に購入して15回ほど聴いたまま、レビューをアップするのを忘れてしまっていた。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。
夕飯後、ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団が演奏したロシア・序曲集、オリヴァー・ナッセン指揮クリーヴランド管弦楽団他が演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『妖精の口づけ』全曲他<ともにドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』を書き進めたり、『小説を、映画を、鉄道が走る』を読み進めたりする。
ああ、旅がしたい!
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2015年07月29日
ヴィルムスの交響曲第6番&第7番
☆ヴィルムス:交響曲第6番&第7番
管弦楽:コンチェルト・ケルン
(2003年2月14日〜17日/デジタル・セッション録音)
<ARCHIV>474 508-2
オランダの作曲家、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴィルムスは、1772年に生まれ1847年に亡くなっているから、ちょうどベートーヴェンと同時期に活躍したということになる。
実際、このアルバムに収められたいずれも短調の第6番ニ短調と第7番ハ短調の二つの交響曲を聴けば、古典派から初期ロマン派の端境というか、ヴィルムスが置かれた音楽史的な位置がよくわかるのではないか。
ともに4楽章で、劇性と緊張感に富んだ第1楽章、メロディカルで叙情的な緩徐楽章、といった作品の構成もすぐにベートーヴェンを想起させる。
管楽器のソロなど作曲的工夫が随所に聴き受けられる上に、表面的には粗い感触ながらも、その実技術的には的確で精度の高いアンサンブルを造り上げているヴェルナー・エールハルト率いるコンチェルト・ケルンの演奏も加わって、なかなかの聴きものになっている。
ただ、ところどころもって回った感じというのか、ベートーヴェンのようにある種の破綻や逸脱も含めて全てがきっちり決まりきらないもどかしさ、もっささを覚えたことも事実だ。
そのもどかしさ、もっささをどうとらえるかで、若干好みがわかれてくると思う。
ケルンのドイツ放送ゼンデザールでの録音は、非常にクリア。
コンチェルト・ケルンの演奏のスタイルにもよく沿っている。
管弦楽:コンチェルト・ケルン
(2003年2月14日〜17日/デジタル・セッション録音)
<ARCHIV>474 508-2
オランダの作曲家、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴィルムスは、1772年に生まれ1847年に亡くなっているから、ちょうどベートーヴェンと同時期に活躍したということになる。
実際、このアルバムに収められたいずれも短調の第6番ニ短調と第7番ハ短調の二つの交響曲を聴けば、古典派から初期ロマン派の端境というか、ヴィルムスが置かれた音楽史的な位置がよくわかるのではないか。
ともに4楽章で、劇性と緊張感に富んだ第1楽章、メロディカルで叙情的な緩徐楽章、といった作品の構成もすぐにベートーヴェンを想起させる。
管楽器のソロなど作曲的工夫が随所に聴き受けられる上に、表面的には粗い感触ながらも、その実技術的には的確で精度の高いアンサンブルを造り上げているヴェルナー・エールハルト率いるコンチェルト・ケルンの演奏も加わって、なかなかの聴きものになっている。
ただ、ところどころもって回った感じというのか、ベートーヴェンのようにある種の破綻や逸脱も含めて全てがきっちり決まりきらないもどかしさ、もっささを覚えたことも事実だ。
そのもどかしさ、もっささをどうとらえるかで、若干好みがわかれてくると思う。
ケルンのドイツ放送ゼンデザールでの録音は、非常にクリア。
コンチェルト・ケルンの演奏のスタイルにもよく沿っている。