2015年07月19日

ライヴ、生に接する愉しさ、面白さ、嬉しさの中には(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはありつつも、晴天の一日。
 青空が続く。

 気温は上昇し、暑さがとても厳しい。
 暑い暑い暑い。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 各種世論調査で安倍内閣の支持率が急激に下がっている。
 当然といえば当然のことだ。
 というか、安倍首相は祖父岸信介と同じ役回りを果たそうとしているのではないか?
 いずれにしても、目くらましの八百長猿芝居には気をつけておかないと。

 それと、安保法案の陰で様々な問題のある政策が推し進められている。
 こちらのほうも注視しておかなければ。


 そうそう、記し忘れていた。
 昨日の午前中、毎週恒例の洗濯をすませておいたんだった。
 乾きは想像以上によく、ああ、すっきりした!


 昨夜、4時半近くまで仕事関係の作業を進める。


 朝8時台に起きて、仕事関係の予定をすませる。


 その後、アナトール・ウゴルスキが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番他<ドイツ・グラモフォン>、フォルテピアノのアレクセイ・リュビモフが弾いた同じくベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」&第14番「月光」&第21番「ワルトシュタイン」<ERATO>、NHK・FMの『きらクラ!』、オリ・ムストネンが弾いたベートーヴェンのピアノのための変奏曲・舞曲集<DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』について考えたり、鷲巣力の『加藤周一を読む』<岩波書店>を読み進めたりする。
 ほかに、服部龍二の『広田弘毅』<中公新書>の拾い読みもした。


 17時台に外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団他が演奏したサリエリの『まずは音楽、お次に言葉』&モーツァルトの『劇場支配人』<TELDEC>を聴いたりしながら、雑件を片付けたり、『加藤周一を読む』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』で、川瀬賢太郎指揮神奈川フィルの第306回定期演奏会のライヴ録音(2015年2月20日、横浜みなとみらいホール大ホール)を聴く。
 アンドレアス・オッテンザマーを独奏に迎えたウェーバーのクラリネット協奏曲第1番から第1、第3楽章とチャイコフスキーの交響曲第2番「小ロシア」が放送されていた。

 夕飯後、ラルキブデッリが演奏したモーツァルトのディヴェルティメントK.563他<SONY>、アントネッロ・マナコルダ指揮カンマーアカデミー・ポツダムが演奏したシューベルトの交響曲第5番&第6番<SONY/BMG>、フォルテピアノのメルヴィン・タンが弾いたシューベルトの即興曲集<EMI>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』を書き進めたり、『加藤周一を読む』を読み進めたりする。

>天下国家の安泰は、みだりに嘘をつかぬ政府によるところが大きいだろう。
 その次には、むやみに嘘をつくが、みずからはそれを信じない政府。
 最大の危険は、その現実判断がみずからの嘘から強く影響される政府である。
 第一の政府は、民主主義的、第二の政府は非民主主義的・現実的で、第三の政府は非現実的・狂信的といえるかもしれない。
 今の日本の政府はそのいずれの型に属するだろうか。
 その答は、つまるところ、日本国民の判断に待つほかない<
 以上は、森喜朗(!)が首相だった頃に書かれた、加藤周一先生の文章の一部だ。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 ライヴ、生(せい)に接する愉しさ、面白さ、嬉しさの中には、ときに極私的としか呼べないような自らの記憶と感覚によって導かれたものがある。
 それは、あまりにも極私的ゆえに言語では説明し難いものであるし、あえて他者に対して語ろうという気にもなりはしない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

青空になったのでC.T.T.の上演会を観に行った(深夜のCLACLA)

 昨夕から朝方まで強い雨が続く。
 京都市内でも避難勧告等が出るなどして心配していたが、なんとか大禍なくすんだようでほっとする。
 で、お昼過ぎ頃からどんよりとしつつも青空が見え始める。

 気温は上昇し、蒸し暑さを感じる一日。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 昨夜、アナトール・ウゴルスキが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番他<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 午前中、仕事関係の予定をすませる。


 午後、オリ・ムストネンが弾いたベートーヴェンのピアノのための変奏曲・舞曲集<DECCA>、フォルテピアノのメルヴィン・タンが弾いたシューベルトの即興曲集<EMI>、ヒュー・ウォルフ指揮セント・ポール室内管弦楽団が演奏したレスピーギのボッティチェリの3枚の絵、鳥、リュートのための古風な舞曲とアリア第1&第3組曲<TELDEC>、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第82番「熊」、第83番<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』を書き進めたり、鷲巣力の『加藤周一を読む』<岩波書店>を読み進めたりする。
 ほかに、服部龍二の『広田弘毅』<中公新書>の拾い読みもした。


 17時半頃外出し、仕事関係の用件を片付けてからアトリエ劇研へ。
 C.T.T. kyoto vol.113 2015年7月上演会を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前終演後に、出演者の皆さんのほか、事務局員でもある杉山準さん、田辺剛さん、丸井重樹さんともお話をする。

 なお、合評会では、二団体に対して感想や質問を口にした。
 残り一団体に関しては、同じやつばかりではと思い遠慮してしまう。


 終了後ちょっとした予定が入り、高野近辺でそれをすませ、ついでに夕飯をとり、23時近くに帰宅した。


 帰宅後シャワーを浴びてから、ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第84番<SONY>、フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーが弾い同じくハイドンのピアノ・ソナタ第35番〜第39番、第20番と第34番&第33番他<ともにDHM>を聴きながら、観劇記録の準備をする。


 以上、7月19日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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C.T.T. kyoto vol.113 2015年7月上演会

☆C.T.T. kyoto vol.113 2015年7月上演会

*ないすばでぃプロジェクト『恋は意外と盲目』
 脚本:うつぎ、演出:ピンク地底人5号
 出演:森田深志、島あや、ピンク地底人5号他

*250km圏内『Love&Peace』(&Peaceには真ん中に横線)
 テキスト・演出・出演:黒田真史
 テキスト:宮尾昌宏、演出・出演:小嶋一郎

*あいまや『希望、指さき』
 劇作:梅野昶、演出:蜂巣もも
 出演:前田愛美
(2015年7月18日19時開演/アトリエ劇研)


 久方ぶりのC.T.T. kyoto上演会は、ないすばでぃプロジェクト、250km圏内、あいまやの、演劇三団体が出演していた。

 まずは、ピンク地底人5号を中心とした演劇ユニット、ないすばでぃプロジェクトの『恋は意外と盲目』から。
 いくつかのシーンが重なるうちに湧き表われてくるのは、なんとも言えない「おかせつなさ」。
 で、合評会で5号君が語っていた、シーンを「見せる」、演者の演技を「見せる」という言葉には充分納得がいって、確かに登場人物間のやり取りに心地よさ、面白さを感じたりもした。
 ただ、補助線が多いというか、話の筋をわかりやすくする意図で設けられた場面、箇所が若干目立つような気がしないでもなかった。
 ナイーヴさと空虚さが同居したような森田君、朴訥で誠実でありながらフラのある5号君、ともにその特性と役柄がよく沿っていた。
 また、身体表現はもちろんのこと、島さんの役回りにあわせた細かい感情表現の変化も強く印象に残った。
 同じ顔ぶれでの本公演が待ち遠しい。

 続く、250km圏内は、座・高円寺の劇場創造アカデミーの1期生(修了)である小嶋一郎と黒田真史(女性)による劇団。
 11月のアトリエ劇研での公演を前にした試演で、黒田さん、小嶋君が各々のパートを演じる。
 今現在向き合わざるをえない切実なモティーフを、演劇という方法を用いて如何に表現するかといった内容の作品で、あえて「不自然な」作品と評したくなった。
 演者として一日の長のある黒田さんの精度の高い演技と、今回が初めてという小嶋君のぶれ、揺れの大きい演技(しかし、だから面白くないというわけではない。どころか、これまたフラがある)の対比も興味深かったが、モティーフよりもスタイルが前に来るというか、モティーフがとってつけたもののように感じられるきらいがなくもなかった。
 ならば、より技の面、演劇的手法に特化した表現でもよいのではないだろうか。
 いずれにしても、11月の公演を愉しみにしたい。

 あいまやは、青年団の演出部で活動する蜂巣ももと前田愛美が一ヶ月半の制作時間で短篇作品を上演するという企画団体だ。
 当然前田さんの個性、魅力が大きく物をいった作劇だったのだけれど、それがまだ表面的な範疇に留まっているように感じられる部分が僕にはあった。
 蜂巣さんの持つ孤=個の部分だけではなく、我=表現欲求の強さと前田さんのそれとの齟齬の表われというか。
 その齟齬をどう埋めていくか、もしくはより積極的に活かしていくかで、一層明確で心的影響力の強い作品が生み出されるように思う。
 今後のさらなる活動に期待したい。

 と、バラエティに富んだ三団体で、それぞれの演劇的手法、表現内容の違いに加えて、島さん、黒田さん、前田さんという三人の女性の演技者の個性特性魅力の違いに接することができたことも、今回のC.T.T.の大きな収穫だった。
posted by figarok492na at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする