2015年06月18日

気圧と湿度のWパンチで身体が重たし(CLACLA日記)

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 気温は下がったものの、湿度が高い分、じめじめとしてあまり快ならず。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。

 気圧と湿度のWパンチで、身体が重たし。
 やれやれ。


 安保関連法案ばかりでなく、労働者派遣法にせよ、国公立大学への施策にせよ、メディアへの働きかけにせよ、ここまであからさまなやり口をされてなお気付くことがないとすれば、正直救いがない。
 諦めることは手を貸すこととわかってはいるが。

 それにしても、維新の党の見苦しさ。
 橋下徹は好き勝手なことを吐き散らかしているし。
 全くもって恥知らずの一語である。


 昨夜、KBS京都でAKB48のオールナイトニッポン(北原里英、武藤十夢、田野優花の出演)を聴いたりしながら、4時40分まで仕事関係の作業を進める。


 午前中、仕事関係の予定をすませる。


 午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上にて歌う』を書き進めたりする。


 永井するみの『秘密は日記に隠すもの』<双葉社>を読了する。
 はじめは、「日記」の文体にはのれんなあと思っていたのだけれど、途中でそれが作品の仕掛けの一つであり、作者の「悪意」の表われであるということに気が付いた。
 なお、2010年に亡くなった永井さんにとって、この一冊が遺作である。
(連作の一つ一つがリンクしていて、もしかしたら他の作品の「伏線」かもと思える箇所もあった)


 体調には勝てず、少しだけうとうととする。


 ウェラー・カルテットが演奏した『モーツァルトのカルテット・パーティー』<DECCA/タワーレコード>を聴いて、『ワルター・ウェラーの死を悼む』をアップする。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 続けて、コントラルトのキャスリーン・フェリアー、テノールのユリウス・パツァーク、ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルが演奏したマーラーの大地の歌<DECCA>を聴く。
 ワルター・ウェラーが活躍した頃から少し前に録音されたものである。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 夕飯後、ニコラウス・アーノンクール指揮コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンが演奏したハイドンの交響曲第30番「アレルヤ」&第53番「帝国」&第69番「ラウドン」、第45番「告別」&第60番「うすのろ(バカオロカ)」<ともにTELDEC>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上にて歌う』を書き進めたり、松田青子の『スタッキング可能』<河出書房新社>を読み始めたりする。
 『水の上にて歌う』は、原稿用紙21枚分を超えた。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 愚か者の卑劣漢を支持し許容し黙認する者こそ、一番の愚か者の卑劣漢だ。
 一番の愚か者の卑劣漢にはなりたくない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワルター・ウェラーの死を悼む

☆ワルター・ウェラーの死を悼む


 ここのところ朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの わたしの半生」で、まもなくウィーン・フィルのコンサートマスターを退くライナー・キュッヒルが興味深いエピソードを語っているが、そのウィーン・フィルのコンサートマスターから指揮者に転じた、ワルター・ウェラーが亡くなった。76歳。
 1939年にウィーンに生まれ、キュッヒルの師匠でもあるフランツ・サモヒルにヴァイオリンを学び、カール・ベームやホルスト・シュタインに指揮を学んだ。
 幼少の頃から優れたヴァイオリニストとして注目され、10代後半でウィーン・フィルに入団し、ウィーン・フィルのメンバーとともにウェラー弦楽4重奏団を結成した。
 その後、ウィーン・フィルの第1コンサートマスターに就任し、室内楽演奏ともどもさらなる活躍を嘱望されたが、1960年代末に指揮活動を開始する。
 以降、ウィーン国立歌劇場やウィーン・フォルクスオーパーの指揮台に立ったほか、デュイスブルク市、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団、ロイヤル・リヴァプール・フィル、ロイヤル・フィル、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団、バーゼル市歌劇場とバーゼル交響楽団、ベルギー国立管弦楽団の音楽監督や首席指揮者を歴任した。
 また、1970年代に、ロヴロ・フォン・マタチッチの代理としてNHK交響楽団の定期公演に登場するなど、何度か来日している。
 ウィーン・フィルやウェラー弦楽4重奏団時代からなじみの深いDECCAレーベルに、ロンドン交響楽団とロンドン・フィルを振り分けたプロコフィエフの交響曲全集、スイス・ロマンド管弦楽団とロンドン・フィルを振り分けたラフマニノフの交響曲全集、CHANDOSレーベルに、バーミンガム・シティ交響楽団とのベートーヴェンの交響曲全集(バリー・クーパー補作による第10番第1楽章も含む)、フィルハーモニア管弦楽団とのメンデルスゾーンの交響曲全集等、数々の録音を遺しており、単純な手堅さ丁寧さに留まらない、例えばプロコフィエフの第2番のようなシャープでクリアな演奏も少なくないのだけれど、それでもなお、正直彼の本領はウェラー弦楽4重奏団においてこそ十二分に発揮されていたような気がしてならない。

 ウェラーを悼んで、ウェラー弦楽4重奏団が演奏した『モーツァルトのカルテット・パーティ』<DECCA/タワーレコード>を聴く。
 ハイドンが第1ヴァイオリン、ディッタースドルフが第2ヴァイオリン、モーツァルトがヴィオラ、ヴァンハルがチェロを務めた弦楽4重奏のコンサートを再現したアルバムで、モーツァルトの第3番、ハイドンの第3番、ディッタースドルフの第5番、ヴァンハルのヘ長調の4曲が収められている。
 ウィーン風の艶やかな音色を保ちつつも、粘らない流麗で快活な音楽運びと、均整のよくとれた演奏だ。
 作品のつくりもあって、ウェラーの第1ヴァイオリンも魅力的である。

 深く、深く、深く、深く黙祷。
posted by figarok492na at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする