晴天。
いいお天気、いい青空の一日となる。
気温も上昇し、暑さが厳しい。
気温の差が激しいので、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
いっぱいいると明言していたくせに、実際そうでなかったことが明らかになると「最高裁が」などと口にする。
首相が首相ならば、官房長官も官房長官ということか。
厚顔無恥の極み。
自民と維新の合意により、労働者派遣法改正案が来週にも衆議院を通過する見通しと報じられている。
今後も、誰が何に賛成するか、または反対するかを注意深く見極めていかなければなるまい。
そして、目くらましの八百長猿芝居にも気をつけておかなければ。
昨夜、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル他が演奏したブラームスの管弦楽曲集<タワーレコード/DECCA>を聴き、CDレビューをアップする。
その後、NHKのラジオ深夜便を聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進めた。
今日も今日とて、近所の建築工事がかまびすしい。
やれやれ。
午前中、仕事関係の予定をすませる。
ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』(途中まで)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
リュドミラ・ウリツカヤの『女が嘘をつくとき』<新潮社>を読了する。
これもまた、今読んでおいて正解の一冊だった。
ああ、面白かった!
(当然許可をとっての上だけれど、いくつかの作品は現代の日本に置き換えてドラマ化できるのではないかと思ったりした)
ほかに、俵孝太郎の『新・気軽にCDを楽しもう』<コスモの本>の拾い読みもした。
14時台に外出して仕事関係の予定をすませ、ついでにお米(10キロ)を買って帰宅する。
帰宅後、山田一雄指揮大阪センチュリー交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」他<ライヴノーツ>を聴き、CDレビューをアップする。
17時過ぎに再び外出して仕事関係の予定をすませ、ついでに夕飯用の買い物もすませて帰宅する。
帰宅後、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番&第1番<RCA>を聴き、CDレビューをアップする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、今年のザルツブルク・モーツァルト週間におけるヨーロッパ室内管弦楽団のメンバーとピアノのピエール・ローラン・エマールによる室内楽コンサートのライヴ録音(1月29日、ザルツブルク・モーツァルテウム)を聴く。
ピアノと管楽器のための5重奏曲などモーツァルトの作品のほか、モーツァルトと同じ編成の5重奏曲などカーターの作品も演奏されていた。
続けて、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルが演奏したシューマンの序曲『ヘルマンとドロテア』&『メッシーナの花嫁』<同>を聴く。
再びラジオに戻り、NHKラジオ第1の『ミュージック・イン・ブック』を聴く。
筒井康隆がゲストで、映画音楽にまつわる話をしていたが、この番組のおかげで『フィルハーモニック・アンサンブル・ウィーン』のCD<ドイツ・グラモフォン>に収められていたガルデルの『ポル・ウナ・カベーサ(首の差で)』が、『セント・オブ・ウーマン』や『トゥルー・ライズ』で効果的に使われていたことを思い出すことができた。
あと、小林信彦の名前もちらと出ていた。
さらに、パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルのシューマンの残り、交響曲第2番、劇音楽『マンフレッド』序曲、歌劇『ゲノヴェーヴァ』序曲を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『水の上にて歌う』を書き進めたり、小野正嗣の『獅子渡り鼻』<講談社>を読み始めたりする。
今日は、モンテールのふんわりロール(ミルク)を食す。
壬生のローソンストア100で、50円引きだったもの。
ごちそうさま!
類は友を呼ぶというが、くだらない人間のところには同じようにくだらない人間が集まってくるものだ。
自省あるのみ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2015年06月10日
パーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェン(交響曲第5番&第1番)
☆ベートーヴェン:交響曲第5番&第1番
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:ドイツ・カンマーフィル
録音:2006年8月27〜29日(第5番)、8月31日、9月1日(第1番)
ベルリン・フンクハウス
デジタル/セッション
<RCA>88875087872
SACDとして発売され、すでに世評の高いパーヴォ・ヤルヴィと手兵ドイツ・カンマーフィルによるベートーヴェンの交響曲全集のうち、第5番と第1番をCDとして再リリースしたものだ。
いわゆるピリオド奏法を援用しつつ、モダン楽器の機能性の高さ、アンサンブルの均整さも活かした、スピーディーで歯切れのよい明晰な演奏で、とても聴き心地がよい。
このCDでは、有名な第5番と第1番の2曲がカップリングされているが、標題性や精神性の強調よりも作品の構造を綿密に腑分けして再現することに重点を置くパーヴォ・ヤルヴィの解釈によって、前者が後者と地続きの交響曲であることを改めて実感することができた。
暑苦しくて重ったるいベートーヴェンは苦手、という方にこそ大いにお薦めしたい一枚である。
録音も、非常にクリア。
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:ドイツ・カンマーフィル
録音:2006年8月27〜29日(第5番)、8月31日、9月1日(第1番)
ベルリン・フンクハウス
デジタル/セッション
<RCA>88875087872
SACDとして発売され、すでに世評の高いパーヴォ・ヤルヴィと手兵ドイツ・カンマーフィルによるベートーヴェンの交響曲全集のうち、第5番と第1番をCDとして再リリースしたものだ。
いわゆるピリオド奏法を援用しつつ、モダン楽器の機能性の高さ、アンサンブルの均整さも活かした、スピーディーで歯切れのよい明晰な演奏で、とても聴き心地がよい。
このCDでは、有名な第5番と第1番の2曲がカップリングされているが、標題性や精神性の強調よりも作品の構造を綿密に腑分けして再現することに重点を置くパーヴォ・ヤルヴィの解釈によって、前者が後者と地続きの交響曲であることを改めて実感することができた。
暑苦しくて重ったるいベートーヴェンは苦手、という方にこそ大いにお薦めしたい一枚である。
録音も、非常にクリア。
山田一雄と大阪センチュリー交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番
☆ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」他
指揮:山田一雄
管弦楽:大阪センチュリー交響楽団
録音:1991年3月15日、ザ・シンフォニーホール
デジタル/ライヴ録音
<ライヴノーツ>WWCC-7782
以前記したことだが、僕は朝比奈隆の演奏に5回しか接することがなかったことを全く残念には思っていない。
ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」、第5番、第8番、ブラームスの交響曲第4番、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲(いずれも大阪フィルの定期演奏会)と、朝比奈さんが指揮するドイツ音楽は悠然確固としたもので、確かに立派だなあとは思いつつも、正直強く心を揺り動かされることはなかった。
僕がどうにも残念でならないのは、ヤマカズさんこと山田一雄の実演に僅か4回しか接することができなかったことだ。
笛吹くから踊ってくれよ、とばかり激しく動き狂うあの指揮姿を僕は未だに忘れられない。
今年3月にライヴノーツ・レーベルからリリースされたこのアルバムは、亡くなる5ヶ月ほど前(8月13日に逝去)に山田一雄が指揮した大阪センチュリー交響楽団の第4回定期演奏会のライヴ録音をCD化したものである。
ライヴということで、細かい傷はありつつも、大ベテランのヤマカズさんの指揮の下、センチュリー響の面々が真摯で密度の濃い演奏を繰り広げている。
と、こう記すと、エネルギー全開の大熱演大爆演を期待する向きもあるかもしれないが、あいにくこのCDの魅力はそれではない。
以前取り上げた、日本フィルとの同じ曲<タワーレコード>とも通じるが、例えば第2楽章の葬送行進曲など要所急所も含め、まとまりのあるアンサンブルによって見通しがよく均整のとれた音楽を生み出そうとしている点が、このCDの魅力であると思う。
それには、室内オーケストラ=小編成という大阪センチュリー交響楽団の特性も大きく関係しているだろう。
などと、それらしいことを記しているが、実はこの演奏を僕は生で聴いている。
ならば、前々回のセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルのCDレビューで記したように、いやそれ以上に、こうやってCDで繰り返して聴くことに違和感を覚える…。
かといえば、それがそうではない。
こうやってCDで繰り返して聴くことによって、あのときふんわりぼんやりとしか受け止めきれていなかったものが、とても鮮明に「見える」ような気がして、僕には仕方がないのである。
そうそう、このCDにはアンコールのモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』のバレエ音楽からガヴォット(ヤマカズさんがアンコールとして好んで取り上げていた)も収録されているのだけれど、僕はこの曲が演奏されたことをずっと忘れてしまっていた。
芯がしっかりと通って粘らない演奏で、耳なじみがよい。
それにしても、山田一雄には少なくともあと数年長生きしてもらいたかった。
だいたい、このコンサートでのヤマカズさんの姿を目にして、まだまだ大丈夫だなと思い、同じ月の京都市交響楽団の定期(29日、京都会館。第332回。オール・モーツァルト・プログラム。遭難死したウィーン・フィルのコンマス、ゲルハルト・ヘッツェルが登場)をパスしたのだし、9月の京都市交響楽団の定期(20日、京都会館。第337回)ではベートーヴェンの運命が聴けるものだと信じ切っていたのだ。
悔やんでも悔やみきれない。
指揮:山田一雄
管弦楽:大阪センチュリー交響楽団
録音:1991年3月15日、ザ・シンフォニーホール
デジタル/ライヴ録音
<ライヴノーツ>WWCC-7782
以前記したことだが、僕は朝比奈隆の演奏に5回しか接することがなかったことを全く残念には思っていない。
ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」、第5番、第8番、ブラームスの交響曲第4番、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲(いずれも大阪フィルの定期演奏会)と、朝比奈さんが指揮するドイツ音楽は悠然確固としたもので、確かに立派だなあとは思いつつも、正直強く心を揺り動かされることはなかった。
僕がどうにも残念でならないのは、ヤマカズさんこと山田一雄の実演に僅か4回しか接することができなかったことだ。
笛吹くから踊ってくれよ、とばかり激しく動き狂うあの指揮姿を僕は未だに忘れられない。
今年3月にライヴノーツ・レーベルからリリースされたこのアルバムは、亡くなる5ヶ月ほど前(8月13日に逝去)に山田一雄が指揮した大阪センチュリー交響楽団の第4回定期演奏会のライヴ録音をCD化したものである。
ライヴということで、細かい傷はありつつも、大ベテランのヤマカズさんの指揮の下、センチュリー響の面々が真摯で密度の濃い演奏を繰り広げている。
と、こう記すと、エネルギー全開の大熱演大爆演を期待する向きもあるかもしれないが、あいにくこのCDの魅力はそれではない。
以前取り上げた、日本フィルとの同じ曲<タワーレコード>とも通じるが、例えば第2楽章の葬送行進曲など要所急所も含め、まとまりのあるアンサンブルによって見通しがよく均整のとれた音楽を生み出そうとしている点が、このCDの魅力であると思う。
それには、室内オーケストラ=小編成という大阪センチュリー交響楽団の特性も大きく関係しているだろう。
などと、それらしいことを記しているが、実はこの演奏を僕は生で聴いている。
ならば、前々回のセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルのCDレビューで記したように、いやそれ以上に、こうやってCDで繰り返して聴くことに違和感を覚える…。
かといえば、それがそうではない。
こうやってCDで繰り返して聴くことによって、あのときふんわりぼんやりとしか受け止めきれていなかったものが、とても鮮明に「見える」ような気がして、僕には仕方がないのである。
そうそう、このCDにはアンコールのモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』のバレエ音楽からガヴォット(ヤマカズさんがアンコールとして好んで取り上げていた)も収録されているのだけれど、僕はこの曲が演奏されたことをずっと忘れてしまっていた。
芯がしっかりと通って粘らない演奏で、耳なじみがよい。
それにしても、山田一雄には少なくともあと数年長生きしてもらいたかった。
だいたい、このコンサートでのヤマカズさんの姿を目にして、まだまだ大丈夫だなと思い、同じ月の京都市交響楽団の定期(29日、京都会館。第332回。オール・モーツァルト・プログラム。遭難死したウィーン・フィルのコンマス、ゲルハルト・ヘッツェルが登場)をパスしたのだし、9月の京都市交響楽団の定期(20日、京都会館。第337回)ではベートーヴェンの運命が聴けるものだと信じ切っていたのだ。
悔やんでも悔やみきれない。
クナッパーツブッシュとウィーン・フィルのブラームス
☆ブラームス:管弦楽曲集
指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ
独唱:ルクレティア・ウェスト(アルト)
合唱:ウィーン・アカデミー男声合唱団
管弦楽:ウィーン・フィル
録音:1957年6月10日〜15日、ウィーン・ソフィエンザール
アナログ・ステレオ/セッション
<タワーレコード/DECCA>PROC-1667
ユニバーサルの協力でタワーレコードが進めている独自企画、ヴィンテージ・コレクション・プラスのうち、ハンス・クナッパーツブッシュの没後50年を記念した特別シリーズ中の一枚。
国内外問わずこれまでばらばらにリリースされてきた、大学祝典序曲、ハイドンの主題による変奏曲、アルト・ラプソディ、悲劇的序曲をLPそのままのカップリング、さらにはLPそのままのジャケット・デザインで、ブラームスの管弦楽曲集として発売した点がまずもって貴重だろう。
それだけでも、ありがたい。
で、演奏のほうはというと、LPのA面にあたる大学祝典序曲とハイドンの主題による変奏曲では、良い意味でのオールドファッショというか、クナッパーツブッシュとウィーン・フィルらしい大づかみで大どかな演奏が繰り広げられている。
当然粗さやブラームス特有のぎくしゃくした感じを強く感じたりもするが、弦楽器の艶やかさや管楽器のひなびた音色、それより何より呵々大笑とした雰囲気はやはり捨て難い。
(なお、大学祝典序曲の5分13秒あたりからのホルンの強奏、その後の5分20秒あたたりのピチカートによるおなじみのメロディの強調は、クナッパーツブッシュの解釈に加えて、DECCAレーベル特有の録音の効果もあるのではないか?)
一方、B面にあたるアルト・ラプソディと悲劇的序曲では、ブラームスのシリアスな側面が、ゆったりとしたテンポの重心の低い演奏によってよくとらえられている。
アメリカ出身のウェストは、折り目正しい歌唱だ。
60年近く前の録音ということで、どうしても音の古さを感じてしまうものの、クナッパーツブッシュとウィーン・フィルの美質を識るという意味では問題あるまい。
オーケストラ音楽好きには大いにお薦めしたい。
それにしても、どうしてジョージ・セルのシリーズではクナッパーツブッシュのシリーズと同じことができなかったのだろうか。
何も足さない何もひかない。
タワーレコードの企画担当者には、もっともっと「オリジナル」にこだわってもらいたい。
指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ
独唱:ルクレティア・ウェスト(アルト)
合唱:ウィーン・アカデミー男声合唱団
管弦楽:ウィーン・フィル
録音:1957年6月10日〜15日、ウィーン・ソフィエンザール
アナログ・ステレオ/セッション
<タワーレコード/DECCA>PROC-1667
ユニバーサルの協力でタワーレコードが進めている独自企画、ヴィンテージ・コレクション・プラスのうち、ハンス・クナッパーツブッシュの没後50年を記念した特別シリーズ中の一枚。
国内外問わずこれまでばらばらにリリースされてきた、大学祝典序曲、ハイドンの主題による変奏曲、アルト・ラプソディ、悲劇的序曲をLPそのままのカップリング、さらにはLPそのままのジャケット・デザインで、ブラームスの管弦楽曲集として発売した点がまずもって貴重だろう。
それだけでも、ありがたい。
で、演奏のほうはというと、LPのA面にあたる大学祝典序曲とハイドンの主題による変奏曲では、良い意味でのオールドファッショというか、クナッパーツブッシュとウィーン・フィルらしい大づかみで大どかな演奏が繰り広げられている。
当然粗さやブラームス特有のぎくしゃくした感じを強く感じたりもするが、弦楽器の艶やかさや管楽器のひなびた音色、それより何より呵々大笑とした雰囲気はやはり捨て難い。
(なお、大学祝典序曲の5分13秒あたりからのホルンの強奏、その後の5分20秒あたたりのピチカートによるおなじみのメロディの強調は、クナッパーツブッシュの解釈に加えて、DECCAレーベル特有の録音の効果もあるのではないか?)
一方、B面にあたるアルト・ラプソディと悲劇的序曲では、ブラームスのシリアスな側面が、ゆったりとしたテンポの重心の低い演奏によってよくとらえられている。
アメリカ出身のウェストは、折り目正しい歌唱だ。
60年近く前の録音ということで、どうしても音の古さを感じてしまうものの、クナッパーツブッシュとウィーン・フィルの美質を識るという意味では問題あるまい。
オーケストラ音楽好きには大いにお薦めしたい。
それにしても、どうしてジョージ・セルのシリーズではクナッパーツブッシュのシリーズと同じことができなかったのだろうか。
何も足さない何もひかない。
タワーレコードの企画担当者には、もっともっと「オリジナル」にこだわってもらいたい。