2015年06月02日

涎の垂れそうな甘つたれぶりはたまらない(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気へ。
 明日は雨になりそうだ。

 気温は今日も上昇し、暑さがとても厳しい。
 蒸して蒸して蒸し暑い一日だった。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 日本年金機構がサイバー攻撃を受け、年金受給者と加入者の個人情報が約125万人分流出(現在の段階で)した旨報じられている。
 サイバー攻撃そのものが度し難いし、何ゆえ今なのかと考えたりもするのだけれど、一方で年金制度やマイナンバー制度に対する不信感を強く抱いてしまう。
 そして、第一次内閣期に「最後のお一人まで」と目先鼻先口先舌先の言葉を口にしていた安倍首相のことを思い出してしまう。


 こんなずさんな事態を許容しておいて、他国の戦争に首を突っ込む余裕はあるのだろうか。
 なんとも心元ない。


 昨夜、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番&第1番<RCA>を聴いたりしながら、4時40分過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて、ヤルヴィのベートーヴェン、ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』(途中まで)、セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルが演奏したブルックナーの交響曲第7番<SONY国内盤>、山田一雄指揮大阪センチュリー交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」他<ライヴノーツ>、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル他が演奏したブラームスの管弦楽曲集<タワーレコード/DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 途中、小泉博さん、今福将雄さん、高瀬久男さんを悼む文章をブログにアップしたり、『水の上にて歌う』を書き進めたり、佐野眞一の『されど彼らが人生』<毎日新聞社>を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、クララ・ハスキルがフェレンツ・フリッチャイの指揮で弾いたモーツァルトのピアノ協奏曲第19番(ベルリン・フィル)&第27番(バイエルン州立管弦楽団)<ドイツ・グラモフォン国内盤>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。


 夕飯後、ラドゥ・ルプーがアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の伴奏で弾いたシューマン&グリーグのピアノ協奏曲<LONDON国内盤>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上にて歌う』を書き進めたりする。


 『されど彼らが人生』を読了する。

 ほかに、『中野重治評論集』<平凡社ライブラリー>の拾い読みもした。
>涎の垂れそうな甘つたれぶりはたまらない。
 新聞記事の文章、小説の文章、わけても論争めいたものの文章の甘つたるさは自分のところへも帰つてくる。
 嘘がばれたときの言葉、「私は嘘は申しません。」という総理大臣の言葉が何ほどかでも通用したという甘つたるさが、同様、つまりは自分のところへ帰つてくる<
(中野重治「甘い生活」より)


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 あんな見え見えな嘘八百の八百長ペテンに乗ぜられているんだもん。
 そりゃ、オレオレ詐欺の類いがなくなるはずがない。
 もっともっと注意深く生きていかなくちゃ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小泉博さん、今福将雄さん、高瀬久男さんが亡くなった

 人は死ぬ。
 必ず死ぬ。
 自分自身も絶対に死ぬ。
 そのことは充分承知しているつもりだけれど、自分自身が慣れ親しんだ有名人が続けて亡くなると、あの人もこの人も、ああ、という気になってしまう。
 今井雅之や今いくよさん(立命館大学の公費助成企画で一度ご一緒させていただいたことがあるが、巷間伝わっている通りのお人柄であり、くるよさんとの仲の良さであった)、暁照雄、町村信孝と亡くなって、今度は小泉博さんに今福将雄、高瀬久男さんだ。

 1970年代の幼少期をテレビとともに過ごした人間にとって、小泉博さんといえば、どうしてもフジテレビで10年間にわたって放映されたクイズ番組『クイズグランプリ』の司会を思い出す。
 同じく俳優が司会を務めたクイズ番組としては田宮二郎、及び山口崇の『クイズタイムショック』、同じ博の柳生博の『100万円クイズハンター』、そして児玉清の『アタック25』をすぐに思い起こすが、彼らがどこか単なる司会者に留まりきれない良い意味での個性を発揮していたとすれば、小泉さんはNHKのアナウンサーばりの端正な司会でかえって強い印象を残した。
 まあ、NHKのアナウンサーばりというのは当たり前で、もともと小泉さんはNHKのアナウンサーの出身である。
 戦前の政界で異彩を放った政友会所属の代議士三申小泉策太郎(名は体を表す。策の人だった)の八男として生まれ、慶應義塾大学を卒業後、NHKにアナウンサーとして入局する。
 その後、藤本真澄率いる藤本プロ、豊田四郎監督の『えり子とともに』への出演を機にNHKを辞め、さらに藤本の誘いでニューフェイスとして東宝に入社した、といった俳優転向に関する経緯はwikipediaにも詳しく書かれているところだろう。
 訃報では、実写版=江利チエミ版の『サザエさん』でのマスオさん役や、東宝特撮映画での活躍が記載されていて、実際その通りなのだけれど、小泉さんといえば、どうしても本多猪四郎監督の『マタンゴ』を忘れることができない。
 ヨットの船長!
 あと、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』でNHKの名物アナウンサー和田信賢(終戦の放送を担当した)を演じていたが、あれはあの任務を含めた大先輩への敬意が感じられるものだった。
 一方で、『クイズグランプリ』の司会やドラマとテレビの世界でも活動の場を広げていた小泉さんだが、1980年代半ばから突然その姿を見かけなくなる。
 と、いうのもこの頃から小泉さんは日俳連や芸団協の幹部として俳優・表現者の地位向上に従事することになったからである。
 あれはもう25年近く前になるか。
 僕が小泉さんと軽くご挨拶したのも、芸団協の幹部ということで参加されていた(そして、何かスピーチをされたはずだ)日本音楽家ユニオンのオーケストラ関係のシンポジウムでのことだった。
 晩年、俳優としての活動を再開されていたけれど、目立って大きな役というのはなかったように思う。
(ジェームス三木脚本のNHKのドラマ『憲法はまだか』での高野岩三郎や、志田未来がセイラを演じた『小公女セイラ』での要潤の執事役を挙げることもできるけど)
 それでも、犬童一心監督の『ゼロの焦点』の仲人は強く印象に残っている。
 一瞬だけしか映らない黙役だったが、こちらが小泉さんの人となりを知っているだけに、あの仲人には充分な存在感があった。
 享年88。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 小泉さんが出演されていた『日本のいちばん長い日』で畑俊六を演じた、今福将雄も亡くなった。94歳。
 NHKの福岡放送劇団で活動したのち、文学座の研究員から座員となり(晩年は映画放送部所属)、演劇、映画、テレビドラマと幅広く活躍した。
 若い頃から老け役を得意としていて、その台詞遣いなど、同じ九州出身の笠智衆を明らかに意識した演技を行っていたと思う。
 ただ、笠さんが計らないように見える大らかさ、朴訥さを身上としたとすれば、今福さんは、どこか計算の見える朴訥さ、とぼけぶりだったように感じる。
 そしてその計算している風が、良い意味で大物になれない悲哀というか、おかかなしさ(by色川武大)に繋がっていたとも感じる。
 映画、テレビドラマと出演作多数。
 特に、上述した『日本のいちばん長い日』を皮切りに、『肉弾』、『吶喊』、『ブルークリスマス』、『英霊たちの応援歌』、『近頃なぜかチャールストン』、『ジャズ大名』と岡本喜八監督の作品に多く出演した。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 文学座つながりでは、座員で演出家の高瀬久男さんも亡くなった。
 玉川大学卒業後、文学座研究所を経て座員となり演出部に所属、テキストをよく読み込んだ、細やかで鋭い劇の造り手として知られた。
 また、オペラシアターこんにゃく座等、オペラの演出も度々手がけた。
 高瀬さんといえば、まずもって京都芸術センターでの取り組みを忘れるわけにはいかないだろう。
 関西京都の演者陣も含む顔ぶれとの共同作業の成果である、京都ビエンナーレ2003 演劇公演『宇宙の旅 セミが鳴いて』(鈴江俊郎さん作、高瀬さん演出。豊島由香さんや岡嶋秀昭さんも出演していた。2003年10月8日、京都芸術センター講堂)は、鈴江さん本人をはじめ、周囲の演劇関係者にはあまり評判のよいものではなかったものの、俳優たちが東京流(文学座流というとちょっと違うかな。東京で観たいくつかの芝居と同じ手触り、雰囲気といった具合にとらえてもらえればありがたい)のシャープでクリアな演技を行っていることに、僕は滅法感心したものだ。
 そうそう、これは東京の演劇人から直接耳にした話だが、緊張感に富んだ稽古を行う演出家の一人だったそうである。
(別の東京の演劇人は、「神経質っぽいとも言えるけど」と付け加えていた)
 この数年は癌のため闘病中だったと伝えられている。
 それにしても、57歳での死は早すぎはしないか。
 深く、深く、深く、深く黙祷。
posted by figarok492na at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

6月が始まった 死もまた社会奉仕(夜明けのCLACLA)

 6月が始まった。
 今年も、残すところ7ヶ月弱。
 一日一日を本当に大切にして、自らの為したいことや為すべきことをしっかり為していきたい。
 そして、自らの死を忘れないこと。


 晴天が続く。

 今日も気温が上昇し、暑さが厳しい。
 暑い暑い暑い。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 国会での質疑を耳にすれば耳にするほど、安保関連11法案の怪しさ危うさを感じてしまう。
 政府のやり口はあまりにも拙速に過ぎるのではないか。


 そうした中、自民党所属の衆議院議員で前衆議院議長町村信孝が亡くなった。70歳。
 文部大臣や外務大臣、内閣官房長官を歴任し、清和政策研究会(旧福田派)の会長も務め、自民党総裁選にも出馬するなど政権獲得に対する意欲も度々見せていた。
 森内閣以降のこの国の戦後民主主義崩壊期を代表する政治家の一人だったと思う。
 特に、外務大臣在任時、沖縄国際大学での在日米軍のヘリコプター墜落事件に関して、「操縦士の操縦技術が上手だったため」云々という言葉が忘れ難い。
 なお、父親は内務(警察)官僚出身で、戦後政治家に転じた町村金五。

>何ら国政に寄与せざる政治家、栄誉に恥ずべし<
(『暗黒日記』<岩波文庫>の、原嘉道の死に対する清沢洌の言葉を一部改める)
>人は適当の時期に去り行くのも、また一の意義ある社会奉仕でなければならぬ<
(『石橋湛山評論集』<岩波文庫>所収「死もまた社会奉仕」より)

 黙祷。


 今福将雄、高瀬久男、小泉博の各氏の死に関しては、改めて詳しく記したい。


 昨夜、4時半近くまで仕事関係の作業を進める。


 あえて昼寝坊を貫き、正午過ぎになって起きる。


 パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番&第1番<RCA>、セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルが演奏したブルックナーの交響曲第7番<SONY国内盤>、山田一雄指揮大阪センチュリー交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」他<ライヴノーツ>、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル他が演奏したブラームスの管弦楽曲集<タワーレコード/DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、6月の創作活動について考えたり、『水の上にて歌う』(さらに改題)を書き進めたりする。


 村田喜代子の『屋根屋』<講談社>を読了する。
 村田さんの筆力、想像力に舌を巻く。
 ああ、面白かった!

 続けて、佐野眞一の『されど彼らが人生』<毎日新聞社>を読み始める。

 ほかに、許光俊の『問答無用のクラシック』<青弓社>の拾い読みもした。


 19時頃に外出して仕事関係の用件を片付けたのち、錦湯さんへ。
 月亭太遊さんのネオラクゴ企画、ネオラクゴ・フロンティアsection33を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。


 終了後、打ち上げに参加し、遅めの夕飯をすませ、午前2時過ぎに帰宅した。


 以上、6月1日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 6月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 04:24| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ネオラクゴ・フロンティアsection33(月亭太遊さんのネオラクゴ企画)

☆ネオラクゴ・フロンティアsection33

 ゲスト:桂三幸さん
(2015年6月1日20時開演/錦湯)


 月亭太遊さんのネオラクゴ企画、ネオラクゴ・フロンティアだが、section33の今回はリビング京都さんが取材に来られていた。
 このリビング京都さんの浸透力って侮れないんですよね。

 今回のゲストはおなじみの桂三幸さん。
 開口一番のおしゃべりでは、大阪・福島の八聖亭で開催された三幸さんの落語会や前回登場の際話題になったモータースポーツの話で盛り上がる。

 で、新しいお客さんが来られていることもあり、通常の落語とネオラクゴの違いをわかってもらおうという意図もあり、太遊さんが古典の『十徳』をテンポ良く演じる。

 続いて、三幸さんが出来たてほやほやの新作を披露。
 本題が始まって、三幸さんがやおら懐から取り出したものは…。
 遺産をテーマにした作品で、遺言に関する耳寄りな情報が織り込まれているのは親切だ。
 細かい笑いの仕掛けに加え、終盤の捻りも三幸さんらしいと思った。

 そして、太遊さんのネオラクゴ新作は、『百合の造花』。
 クラスメートの男子に好かれていると思い込んだ女子は、同じクラスの親友の女子にあることを頼むのだったが…。
 セクシュアリティに切り込む内容、ということに間違いはないのだけれど、笑いにまぶされた後半の展開もまた太遊さんの強いメッセージの表われであることは言うまでもあるまい。
 あえて詳しくは触れないが、とても時宜を得た作品だった。

 最後は、再び太遊さんと三幸さんのおしゃべりで〆られた。
 三幸さんは再来週もゲストで出演の予定だそう。
 次回は「ネオはめ物」か、それとも否か、こちらも愉しみだ。

 来週も月曜20時からのスタート。
 皆さんも、ぜひネオラクゴ・フロンティアへ!
posted by figarok492na at 03:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 落語・ネオ落語記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする