晴天。
いいお天気、いい青空へ。
気温は上昇し、少し暑さを感じた一日。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
イギリスの総選挙で、与党保守党が第一党を維持する情勢とのこと。
自民党が激減し、スコットランド民族党が躍進するとも報じられている。
いろいろと考えることあり。
他人事ならず。
八百長猿芝居や目くらましにはだまされないようにしておかないと。
今後、ますます見え見えのやり口が増えてくるだろうか。
昨夜、KBS京都で岡村隆史のオールナイトニッポンやアルコ&ピースのオールナイトニッポン0を聴いたりしながら、4時40分過ぎまで諸作業を進めたり、『探偵志願の美女』を書き進めたりする。
8時過ぎには目醒める。
真向かいマンション奥のボロ家の工事が、またぞろかまびすしい。
いつまで続く泥濘ぞ。
うっとうしいやいこの野郎!
早いうちに、毎週恒例の洗濯をすませる。
乾き、とてもよろしい。
ああ、すっきりした!
午前中、仕事関係の予定をすませる。
その後、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』や、クリストフ・ルセ指揮レ・タラン・リリクが演奏したラモーの序曲集<オワゾリール>、マルク・ミンコフスキ指揮ルーヴル宮音楽隊他が演奏した同じくラモーの『アナクレオン』他<ARCHIV>、ウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサン他が演奏したマルカントワーヌ・シャルパンティエのディヴェルティスマン集<ERATO>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『探偵志願の美女』を書き進めたり、平松洋子の『野蛮な読書』<集英社>を読み進めたりする。
『探偵志願の美女』は、ようやくのこと落としどころが見つかった。
邪劇の戯作もよいところだけれど。
16時台に外出して南方面まで出かけ、仕事関係の予定をすませる。
その後、東寺のブックオフでONTOMO MOOKの『クラシック輸入盤2001』<音楽之友社>が税込み108円で出ていたので購入し、京都芸術センターに寄り、夕飯用の買い物をすませ、19時少し前に帰宅した。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、ソプラノのドロテー・ミールズの来日リサイタルのライヴ録音を聴く。
ミールズといえば、声質の好みの幅がとても狭い僕にとって今現在一番大好きなソプラノ歌手なのだけれど、今年1月の西宮での公演は『ゆかいなどろぼうたち』の新年最初の稽古と重なっていたため断念せざるをえなかった。
そのこと自体は仕方ないと思っていたのだが、こうしてミールズの伸びやかでよく澄んでリリカルな歌声を耳にするに、やっぱり聴きに行っておきたかったなあと改めて思ってしまう。
(ミールズのような澄んだ声質の寿命は、それほど長くないわけだし。かつてのバーバラ・ボニーがそうだったように)
続けて、ミールズがレザミ・ド・フィリップの伴奏で歌ったハイドンの英語によるカンツォネッタ&スコットランド民謡集<CPO>を聴く。
夕飯後、『野蛮な読書』を読み進めたり、『探偵志願の美女』を書き進めたりする。
『探偵志願の美女』は、あとしばらくかかりそう。
そして、推敲が相当必要だとも思う。
それにしても、『野蛮な読書』はしっくりこない。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2015年05月08日
世はゴールデンウィーク明け 大阪までお芝居を観に行った(深夜のCLACLA)
世はゴールデンウィーク明け。
青空は見えつつも、どんよりとした感じが増す。
夜になって雨も降り始めた。
気温はあまり上昇せず。
まだまだ過ごしやすし。
昨夜、KBS京都でAKB48のオールナイトニッポンを聴いたりしながら、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
午前中、仕事関係の予定をすませる。
ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』を途中まで聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『探偵志願の美女』を書き進めたりする。
『探偵志願の美女』は、なんとか先(落としどころ)が見えてきた。
尾崎英子の『小さいおじさん』<文藝春秋>を読了する。
ああ、面白かった!
ほかに、許光俊と鈴木淳史の『クラシックCD名盤バトル』<洋泉社新書y>の拾い読みもした。
13時台に外出し、大切な予定をすませる。
いろいろと感じ、いろいろと思うことあり。
刺激的な時間を過ごすことができた。
その後、阪急と大阪の地下鉄を乗り継いで恵美須町へ。
仕事関係の用件を片付けたついでに、中古CDショップをのぞく。
が、めぼしいCDはなく、そこそこのものはあってもお値段が相当よろしい。
ああ、わかってるなあ、という反面、ブックオフの500円棚で出ていそうで、ついつい買うのを躊躇してしまう。
まあ、それだけのものと思っておこう。
それから歩いて日本橋へ。
軽めの食事をすませたのちシアトリカル應典院に移動して、努力クラブ9『彼女じゃない人に起こしてもらう』を観る。
詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
ああ、面白かった!
開演前終演後、関係各氏と話をする。
ついでに、楽屋での初日打ち上げにも顔を出す。
で、24時過ぎに帰宅した。
以上、5月7日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
青空は見えつつも、どんよりとした感じが増す。
夜になって雨も降り始めた。
気温はあまり上昇せず。
まだまだ過ごしやすし。
昨夜、KBS京都でAKB48のオールナイトニッポンを聴いたりしながら、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
午前中、仕事関係の予定をすませる。
ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』を途中まで聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『探偵志願の美女』を書き進めたりする。
『探偵志願の美女』は、なんとか先(落としどころ)が見えてきた。
尾崎英子の『小さいおじさん』<文藝春秋>を読了する。
ああ、面白かった!
ほかに、許光俊と鈴木淳史の『クラシックCD名盤バトル』<洋泉社新書y>の拾い読みもした。
13時台に外出し、大切な予定をすませる。
いろいろと感じ、いろいろと思うことあり。
刺激的な時間を過ごすことができた。
その後、阪急と大阪の地下鉄を乗り継いで恵美須町へ。
仕事関係の用件を片付けたついでに、中古CDショップをのぞく。
が、めぼしいCDはなく、そこそこのものはあってもお値段が相当よろしい。
ああ、わかってるなあ、という反面、ブックオフの500円棚で出ていそうで、ついつい買うのを躊躇してしまう。
まあ、それだけのものと思っておこう。
それから歩いて日本橋へ。
軽めの食事をすませたのちシアトリカル應典院に移動して、努力クラブ9『彼女じゃない人に起こしてもらう』を観る。
詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
ああ、面白かった!
開演前終演後、関係各氏と話をする。
ついでに、楽屋での初日打ち上げにも顔を出す。
で、24時過ぎに帰宅した。
以上、5月7日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
努力クラブ9『彼女じゃない人に起こしてもらう』
☆努力クラブ9『彼女じゃない人に起こしてもらう』
作・演出:合田団地
(2015年5月7日19時半開演/シアトリカル應典院)
努力クラブの9回目の本公演となる『彼女じゃない人に起こしてもらう』を観た。
好みは大きく分かれるだろうし、この作品の弱点欠点を指摘するのも容易だ。
演者陣との兼ね合いも絡んでだろうが、場面数や転換のさせ方、ピークの置き方等、その結構には様々な課題があって、全体的に長さを感じたことは事実である。
しかしながら、そうした負の部分を承知してもなお、僕は今回の作品に強く心魅かれるものがあった。
と、言うのも、川北唯と森田深志の演じる登場人物の言葉を通して、合田団地の現実及び現状に対する認識や内面の感情、距離感、空疎感、諦念、切実さ、タナトスがストレートに、のみならずスリリングに表されていたからだ。
むろん、それらはこれまでの合田君の一連の作品、努力クラブの一連の公演と通底するものだけれど、川北さんに加え森田君を得ることによって、合田君が一層リリカルで巧妙な言語感覚を前面に押し出すことが可能となったことも、やはり否定できまい。
配役のアンバランスも辞さず、彼女彼らに重点を置いた合田君の作劇を僕は評価したい。
実際、川北さん、森田君ともよく努めていた。
(単に「あて書き」という言葉に留めることが陳腐に過ぎるほど、合田君は川北さんの特性をよく踏まえたテキストを与えているし、時として心の揺れが演技に直結してしまうきらいの強い川北さんも、合田君の想いに充分に応えている)
また、三田村啓示(二重の意味で「おかしい」)と山本麻貴(自分自身の今をよく引き受けている)に何日もの長を感じるとともに、キタノ万里もこの間の経験がよく活きているように思われた。
ほかに、大石英史、ピンク地底人5号、木下圭子、九鬼そねみ、佐々木峻一、横山清正も、それぞれの長短はありつつも、合田君の意図に沿う努力を重ねていたのではないか。
最後に、部外者が軽々に言葉にすべきことではないと承知の上であえて記すが、今回の公演を観て(上述した諸々のことを目の当たりにして)強く感じたことは、合田君ばかりでなく、佐々木君、九鬼さんにとっても、もはや努力クラブという枠組にとらわれないほうがよいのではないかということである。
それは言い過ぎとしても、今は、各々が各々のスタンスとスタイルによって自らの表現の幅を広げ、精度を高めることこそ、個々人はもちろん努力クラブという集団にとっても大きなプラスになるように僕には感じられてならない。
初日ゆえの粗さは、徐々にかたまっていくはずだ。
来週月曜日までの公演。
ああ、面白かった!
作・演出:合田団地
(2015年5月7日19時半開演/シアトリカル應典院)
努力クラブの9回目の本公演となる『彼女じゃない人に起こしてもらう』を観た。
好みは大きく分かれるだろうし、この作品の弱点欠点を指摘するのも容易だ。
演者陣との兼ね合いも絡んでだろうが、場面数や転換のさせ方、ピークの置き方等、その結構には様々な課題があって、全体的に長さを感じたことは事実である。
しかしながら、そうした負の部分を承知してもなお、僕は今回の作品に強く心魅かれるものがあった。
と、言うのも、川北唯と森田深志の演じる登場人物の言葉を通して、合田団地の現実及び現状に対する認識や内面の感情、距離感、空疎感、諦念、切実さ、タナトスがストレートに、のみならずスリリングに表されていたからだ。
むろん、それらはこれまでの合田君の一連の作品、努力クラブの一連の公演と通底するものだけれど、川北さんに加え森田君を得ることによって、合田君が一層リリカルで巧妙な言語感覚を前面に押し出すことが可能となったことも、やはり否定できまい。
配役のアンバランスも辞さず、彼女彼らに重点を置いた合田君の作劇を僕は評価したい。
実際、川北さん、森田君ともよく努めていた。
(単に「あて書き」という言葉に留めることが陳腐に過ぎるほど、合田君は川北さんの特性をよく踏まえたテキストを与えているし、時として心の揺れが演技に直結してしまうきらいの強い川北さんも、合田君の想いに充分に応えている)
また、三田村啓示(二重の意味で「おかしい」)と山本麻貴(自分自身の今をよく引き受けている)に何日もの長を感じるとともに、キタノ万里もこの間の経験がよく活きているように思われた。
ほかに、大石英史、ピンク地底人5号、木下圭子、九鬼そねみ、佐々木峻一、横山清正も、それぞれの長短はありつつも、合田君の意図に沿う努力を重ねていたのではないか。
最後に、部外者が軽々に言葉にすべきことではないと承知の上であえて記すが、今回の公演を観て(上述した諸々のことを目の当たりにして)強く感じたことは、合田君ばかりでなく、佐々木君、九鬼さんにとっても、もはや努力クラブという枠組にとらわれないほうがよいのではないかということである。
それは言い過ぎとしても、今は、各々が各々のスタンスとスタイルによって自らの表現の幅を広げ、精度を高めることこそ、個々人はもちろん努力クラブという集団にとっても大きなプラスになるように僕には感じられてならない。
初日ゆえの粗さは、徐々にかたまっていくはずだ。
来週月曜日までの公演。
ああ、面白かった!