雨。
どんよりとしたお天気の一日。
気温は上昇し、むしっとした感じがする。
時折くしゃみの連発や咳込みに悩まされるなど、花粉症が出る。
やれやれ。
昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時頃まで仕事関係の作業を進める。
午前中の予定が変更になったので気が緩み、気がつけば正午をだいぶん過ぎていた。
で、結局THE ROB CARLTONの公演を観ることができなかった。
あまりにも残念で、意気消沈する。
NHK・FMの『トーキング・ウィズ松尾堂』や『きらクラ!』、ルドルフ・ゼルキンがジョージ・セル指揮コロンビア交響楽団の伴奏で弾いたモーツァルトのピアノ協奏曲第19番&第20番他<SONY>、ヴィルヘルム・バックハウスがハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルの伴奏で弾いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番<DECCA>、山田一雄指揮新日本フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」<フォンテック>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、渡辺京二の『幻影の明治』<平凡社>を読み進めたりする。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を聴く。
東京フィルの第857回オーチャード定期演奏会(2015年1月18日、オーチャードホール)から、仲道郁代が阪哲朗指揮で演奏したシューマンのピアノ協奏曲のライヴ録音などが放送されていた。
続けて、サンソン・フランソワが弾いたドビュッシーのピアノ曲集(映像他)<東芝EMI>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、ワープロ・ファイルの作品を確認したりする。
『幻影の明治』を読了し、伊集院静の『いねむり先生』<集英社>を読み始める。
『いねむり先生』は、妻の夏目雅子を亡くして失意の中にある作者(作品中は、サブロー)が色川武大(阿佐田哲也)と出会い、親交を結ぶ中で救われていく様を描いた小説。
伊集院静の作品を読むのは実は初めてだが、すっと入ってくるような文章だ。
ほかに、吉田秀和の『世界の指揮者』<ちくま文庫>の拾い読みをした。
今日は、神戸屋のミルクシャルロットを食す。
壬生のローソンストア100で、50円引きだったもの。
ミルククリームをロールしたスポンジケーキで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2015年04月19日
愉しい時間を過ごした(深夜のCLACLA)
晴天。
いいお天気、いい青空が続く。
気温も上昇し、穏やかな感じの一日。
その分、時折くしゃみを連発するなど、花粉症が出る。
やれやれ。
BPOへの政府の関与を目論んだり、参議院予算委員会における社民党の福島瑞穂議員の「戦争法案」という発言の修正を要求したりと、自民党がますますあからさまなやり口をとろうとしている。
本当に気持ちが悪い。
(安全保障関連法案が、結果として戦争に協力する法案であることは明らかなのだから、何々平和法などという嘘臭い名称など付けず、堂々と戦争協力法案と名乗ればいい。その上で、なぜそれが必要なのか諄々と説けばよいではないか)
俳優の三條美紀が亡くなった。86歳。
京都の生まれ。
大映東京撮影所で勤務した(父親は、俳優から大映の事務方となった佐藤円治)のち女優としてデビュー、黒澤明監督の『静かなる決闘』や山本薩夫監督の『暴力の街』、いわゆる「母もの」等に出演する。
その後、東映に移籍し、テレビドラマでも活躍した。
市川崑監督作品に少なからず出演し、『犬神家の一族』は、オリジナル(1976年)版では犬神竹子、リメイク版では犬神松子の母お園を演じていた。
長女は、元女優の紀比呂子。
深く、深く、深く、深く黙祷。
昨夜、4時頃まで仕事関係の作業を進める。
午前中、仕事関係の予定をすませる。
12時台に外出し、自転車でアトリエ劇研へ。
ルドルフvol.4『COLLAPSAR(コラプサー)』を観る。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
開演前終演後、関係各氏と話をしたり、あいさつをしたりする。
終演後、同じ回を観に来ていた親しくしている人などと相手の家を訪れ、いろいろと話をする。
愉しい時間を過ごすことができた。
で、一人で遅めの夕飯をすませ、23時台に帰宅した。
以上、4月18日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
いいお天気、いい青空が続く。
気温も上昇し、穏やかな感じの一日。
その分、時折くしゃみを連発するなど、花粉症が出る。
やれやれ。
BPOへの政府の関与を目論んだり、参議院予算委員会における社民党の福島瑞穂議員の「戦争法案」という発言の修正を要求したりと、自民党がますますあからさまなやり口をとろうとしている。
本当に気持ちが悪い。
(安全保障関連法案が、結果として戦争に協力する法案であることは明らかなのだから、何々平和法などという嘘臭い名称など付けず、堂々と戦争協力法案と名乗ればいい。その上で、なぜそれが必要なのか諄々と説けばよいではないか)
俳優の三條美紀が亡くなった。86歳。
京都の生まれ。
大映東京撮影所で勤務した(父親は、俳優から大映の事務方となった佐藤円治)のち女優としてデビュー、黒澤明監督の『静かなる決闘』や山本薩夫監督の『暴力の街』、いわゆる「母もの」等に出演する。
その後、東映に移籍し、テレビドラマでも活躍した。
市川崑監督作品に少なからず出演し、『犬神家の一族』は、オリジナル(1976年)版では犬神竹子、リメイク版では犬神松子の母お園を演じていた。
長女は、元女優の紀比呂子。
深く、深く、深く、深く黙祷。
昨夜、4時頃まで仕事関係の作業を進める。
午前中、仕事関係の予定をすませる。
12時台に外出し、自転車でアトリエ劇研へ。
ルドルフvol.4『COLLAPSAR(コラプサー)』を観る。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
開演前終演後、関係各氏と話をしたり、あいさつをしたりする。
終演後、同じ回を観に来ていた親しくしている人などと相手の家を訪れ、いろいろと話をする。
愉しい時間を過ごすことができた。
で、一人で遅めの夕飯をすませ、23時台に帰宅した。
以上、4月18日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
ルドルフvol.4『COLLAPSAR(コラプサー)』
☆ルドルフvol.4『COLLAPSAR(コラプサー)』
作・演出:筒井加寿子
(2015年4月18日14時開演の回/アトリエ劇研)
久しぶりのルドルフの公演は、寓話性の強いファンタジー。
と、まとめるとちょっと安易だな。
周りを砂漠に囲まれた王国「エネル」は、姿形もほぼ人間そっくりな人造人間「アルバ」の生産によって経済的な繁栄や隣国との緊密な友好関係を維持している。
ところが、そんな「アルバ」に原因不明の感染症が蔓延し…。
といった展開の『COLLAPSAR』(ちなみに、コラプサーとは、「崩壊した星」「ブラックホール」を意味する由)に触れれば、どうしても今現在私たちが対峙している諸状況について想起せざるをせないだろう。
ただし、この作品をそうした観点からのみとらえるとすれば、それは一面的に過ぎるとも思う。
自問自答、のみならず自問他答、じゃない他問自答を促す作品というか。
そこには諸状況、社会と如何に向き合うかも含まれているだろうけれど、加えて、ある種「絶対、大丈夫じゃない」状況の中で自分自身の逡巡、弱さとどう向き合っていくかについて自らに問うこと、さらにそうしたプロセスを経てそこからどう進んで行くかということにも力点が置かれた作品だったように、僕には感じられた。
そしてそれは、筒井さんのこれまでの一連の作品に通底するモティーフであり、そのバリエーションであるようにも感じられた。
で、このように記すと、何かしんねりむっつりとしてしかめ面したとっつきの悪い物語のように思われるむきもあるかもしれないが、そこは筒井さんである。
いわゆる「邪劇性」や、ひいて見る滑稽さを織り込みながら、観ていて疲れのこない舞台に仕上げていた。
大熊ねこ(圧倒的な女王)をはじめ、クールキャッツ高杉、多田勘太、川本泰斗、柿谷久美子、渡辺綾子、岩崎果林の演者陣は、感情表現のギアのチェンジの多い役回りを好演していたのではないか。
もちろんそれには、個々の演者の特性魅力を踏まえた筒井さんのテキストと演出の力もあるのだけれど、それが各々のやりやすい範囲に留まるのではなく、もう何ステップか上のところに目標が設けられていたように思われたことも、やはり忘れてはならないだろう。
アクターズ・ラボの公演クラスで筒井さんに師事した多田君、川本君、柿谷さん、岩崎さんに特にその収穫を感じた。
上演時間の2時間が短く感じられる作品であり、公演であった。
作・演出:筒井加寿子
(2015年4月18日14時開演の回/アトリエ劇研)
久しぶりのルドルフの公演は、寓話性の強いファンタジー。
と、まとめるとちょっと安易だな。
周りを砂漠に囲まれた王国「エネル」は、姿形もほぼ人間そっくりな人造人間「アルバ」の生産によって経済的な繁栄や隣国との緊密な友好関係を維持している。
ところが、そんな「アルバ」に原因不明の感染症が蔓延し…。
といった展開の『COLLAPSAR』(ちなみに、コラプサーとは、「崩壊した星」「ブラックホール」を意味する由)に触れれば、どうしても今現在私たちが対峙している諸状況について想起せざるをせないだろう。
ただし、この作品をそうした観点からのみとらえるとすれば、それは一面的に過ぎるとも思う。
自問自答、のみならず自問他答、じゃない他問自答を促す作品というか。
そこには諸状況、社会と如何に向き合うかも含まれているだろうけれど、加えて、ある種「絶対、大丈夫じゃない」状況の中で自分自身の逡巡、弱さとどう向き合っていくかについて自らに問うこと、さらにそうしたプロセスを経てそこからどう進んで行くかということにも力点が置かれた作品だったように、僕には感じられた。
そしてそれは、筒井さんのこれまでの一連の作品に通底するモティーフであり、そのバリエーションであるようにも感じられた。
で、このように記すと、何かしんねりむっつりとしてしかめ面したとっつきの悪い物語のように思われるむきもあるかもしれないが、そこは筒井さんである。
いわゆる「邪劇性」や、ひいて見る滑稽さを織り込みながら、観ていて疲れのこない舞台に仕上げていた。
大熊ねこ(圧倒的な女王)をはじめ、クールキャッツ高杉、多田勘太、川本泰斗、柿谷久美子、渡辺綾子、岩崎果林の演者陣は、感情表現のギアのチェンジの多い役回りを好演していたのではないか。
もちろんそれには、個々の演者の特性魅力を踏まえた筒井さんのテキストと演出の力もあるのだけれど、それが各々のやりやすい範囲に留まるのではなく、もう何ステップか上のところに目標が設けられていたように思われたことも、やはり忘れてはならないだろう。
アクターズ・ラボの公演クラスで筒井さんに師事した多田君、川本君、柿谷さん、岩崎さんに特にその収穫を感じた。
上演時間の2時間が短く感じられる作品であり、公演であった。