2015年04月10日

上岡龍太郎の本を読んで、平和ラッパ・日佐丸の漫才を聴いた(CLACLA日記)

 雨。
 どんよりとしたお天気の一日。

 気温は少し下がったか。

 気圧と湿度、花粉のトリプルパンチで身体が重たし。
 くしゃみの連発や目の周りの痒みにも悩まされる。
 やれやれ。


 東京株式市場で、一時日経平均株価が2万円台に回復したと報じられている。
 いろいろと考えることあり。
 地方選挙の投票日もまもなくだ。


 昨夜、KBS京都で岡村隆史のオールナイトニッポンやアルコ&ピースのオールナイトニッポン・ゼロを聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進める。


 もちろん今日も朝早くから、真向かいのマンション奥のボロ家の工事と選挙カーがかまびすしい。
 ボロ家は屋根裏部屋でも作っているのか、屋根を飛び出した大きな窓枠が目につくが、それが怪しげな組織の基地か何かに見えて、どうにも禍々しい。


 午前中、仕事関係の予定をすませる。


 午後、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』や、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』を聴く。
 『オペラ・ファンタスティカ』では、今年3月7日のアメリカ・ニューヨークのメトロポリタン歌劇場における、ビゼーの歌劇『カルメン』上演(ルイ・ラングレー指揮。なんと台詞ではなく、レチタティーヴォ版での上演)のライヴ録音が放送されていたが、まずもってタイトルロールのエリーナ・ガランチャの歌唱が聴き物だった。


 仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『八神社』の筆入れをすませたりする。


 笙野頼子の『人の道御三神といろはにブロガーズ』<河出書房新社>を読了する。
 ああ、面白かった!
 あっ、いや、他人事としてただただ笑ってるわけではないんだけれど。

 青木玉緒の『風はこぶ』<講談社>を読み始める。

 ほかに、古川隆久の『昭和天皇』<中公新書>の拾い読みもした。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 夕飯後、タカーチュ・カルテット他が演奏したシューベルトの弦楽4重奏曲第15番他<DECCA>を聴いたりしながら、『風はこぶ』を読み進めたり、『八神社』をPCに打ち込んでみなし完成稿を仕上げたりする。

 それから、上岡龍太郎(小佐田定雄構成)の『上岡龍太郎かく語りき』<筑摩文庫>の、「悲劇の名人・秋田Oスケ一代記」あたりを拾い読みして、youtubeにアップされた先代の平和ラッパ・日佐丸コンビの漫才『僕は茶人』を聴く。
 と、これだけ記すと意味がわからないか。
 フックの上岡龍太郎とともに漫画トリオで一世を風靡した横山ノックは、もともと秋田Kスケの名でOスケと漫才コンビを組んでいた。
 その後、諸々あってコンビ別れをしたOスケは漫才界の大ベテランである平和ラッパの相方となり、三代目の日佐丸となった。
 で、youtubeにアップされているのは、匿名のファン提供による先代のラッパと三代目の日佐丸の漫才の貴重なテープを放送した『早起き名人会』の録音で、彼らの漫才をずっと手がけていた作家の柴田信子の証言も聴くことができる。
 上岡龍太郎の本とでは多少ニュアンスが異なる部分もあるのであるが、Kスケ・ノックとOスケが女性問題(Oスケの妻となる女性とノックに付き合いがあった云々)でコンビ別れしたこと、ラッパ・日佐丸がギャラの取り分の問題でコンビ別れをしたこと、もともと芸人であった妻とコンビを組んだが、その妻は幼馴染(森ミネオ。古い漫才コンビ、道和多比良・大津おせんの実子)と情を結び鳥取砂丘で服毒自殺してしまったこと、その後爪切りで足の指を切っていて菌が入り、それがもとで長く闘病し片脚を切断、結局自殺してしまったことを柴田信子は語っていた。
 上岡龍太郎も、柴田信子の談によると先代ラッパや横山やすしも、そして柴田さん自身も優れた突っ込み(柴田さんは、太夫と口にしている)と認めていた秋田Oスケ=三代目日佐丸の後半生は確かに悲劇的だ。

 説明が必要ということで思い出した。
 前回のネオラクゴ・フロンティアの打ち上げで常連のお客さんたちと話をしていて、大泉滉が通じないことに愕然としたんだった。
 恐妻家で売った大泉さんが亡くなってまもなく17年になるんだもん、これもまあ仕方ないか。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タワーレコードのVINTAGE COLLECTION +plus特別編〜ジョージ・セルDecca、Philips録音集を厳しく批判する

 昨夜、ジョージ・セル(ハンガリー出身で、ヨーロッパからアメリカに活動の場を移した今は亡き指揮者。特に、アメリカの地方都市オーケストラであったクリーヴランド管弦楽団を世界一流のオーケストラに鍛え上げたことで有名)がDECCAやPHILIPSに遺した録音を、タワーレコードがオリジナル企画としてリリースすることを知り、おおやった! と一瞬大喜びしたのもつかの間、それがすぐに糠喜びとわかり、一転強い失望と激しい怒りに変わった。

 と、言うのも、セルにとって隠れた名盤とでも呼ぶべきロンドン交響楽団とのヘンデルの管弦楽曲集が、王宮の花火の音楽は同じくロンドン交響楽団とのチャイコフスキーの交響曲第4番に、水上の音楽など残りはウィーン・フィルとのベートーヴェンの劇音楽『エグモント』にと、結果ぶつ切りにされてカップリングされることが判明したからである。

 もちろん、これが元よりこだわりのない、ただただ長時間曲を詰め込みましたという寄せ集めの継ぎ接ぎ廉価アルバムであるならば文句はない。
 そんないかもの、はなから目も向けぬだけだ。

 だが、今回のリリースが厄介なのは、ブックレット写真はLPのオリジナルのものを使用する等、中途半端にこだわったものだからである。
 ならば、何ゆえLPオリジナルのカップリングにまでこだわらないのか。
 そもそも、ただ単にその録音音源を耳にしたいというのであれば、今時CDなど買わない。
 ネット配信なりyoutubeなりで事足りる。
 もしくは、ひとまとめになった輸入盤の廉価ボックスセットを買う。
 あえて一枚物のこうしたアルバムを買おうとする人間は、LPのコレクターにまではならないものの、「全体の構成に腐心しながら」「宝石をつらねてひとつの首飾りをつくるよう」な先達たちの様々な配慮が行き届いたオリジナルのカップリングに敬意を抱きはする、マニア的な性質を持った人間であろう。
 だから、一枚のアルバムの収録時間が40分だって45分だって、買うものは買う。
 そうした人間が、何を好き好んでオリジナルLPの「バラバラ殺人」(以上、「」内は、俵孝太郎の『新・気軽にCDを楽しもう』<コスモの本>より引用。そういえば、俵さんはタワーレコードと関わりが深いんだった)に加担せねばならぬのか。

 だいたい、セルとロンドン交響楽団によるあの王宮の花火の音楽をチャイコフスキーの交響曲第4番の前後に置くという今回の企画者の意図や神経がよくわからない。
 いや、これが今回のセルのシリーズに限らず、どの企画においても、オリジナルのカップリングなんて知ったことか、俺様は全能者、あれを足してあれを引く、カップリングは俺様の想いのまま、と傍若無人なカップリングに終始するのであれば、残念だけど「機智害じゃから仕方ない」と諦めもつく。
 ところが、同じタワーレコードのオリジナル企画でも、ハンス・クナッパーツブッシュとウィーン・フィルが遺した『ウィーンの休日』、『ポピュラー・コンサート』、ブラームスの管弦楽曲集は、なんとLPのオリジナルのカップリングのままで発売されている。
 この統一性のなさはいったいなんなのだろう。
 クナッパーツブッシュは売れるが、セルではあまり売れまいと考えたのか。
 それとも、企画の予算が少なかったのか。
 それでは、どうして今回チャイコフスキーのリリースは次の機会に延期し、かつて国内で1000円盤としても発売されたヘンデルをリリースするという発想に至らなかったのか。
 いずれにしても、演奏や録音そのものに対する愛着や執着、細やかさ、徹底的なこだわりの欠落を僕は強く感じてしまった。

 むろん、嫌なら買うな、お買い上げになるお客さんは山といる、という売り手の発想も正論である。
 こちらだって、そんな中途半端なCDは買えないし、買いたくはない。

 ただ、海外(輸入版)のDECCAレーベルが、「オリジナル」と称してカップリングがLPオリジナル通りではないばかりか、LPのオリジナルのジャケット写真を斜めにして使用するような無茶苦茶な状況の中、今回このような中途半端な形でのリリースが為されることで、セルの遺した音源のLP同様のカップリングとジャケット写真を使用したまさしく「オリジナル」な形でのCDリリースが今後しばらく望めなくなったことは、やはり指摘しておかなければなるまい。
 全くもって、中途半端な愛着や執着、こだわりほど有難迷惑で罪深いこともあるまい。
posted by figarok492na at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする