2015年01月15日

どんよりとしたお天気の一日 脇圭平先生が亡くなられた(CLACLA日記)

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 じめじめとじめ寒し。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけくださいね。


 気圧と湿度のWパンチで、身体が重たい。
 やれやれ。


 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に関して、沖縄防衛局が海底ボーリング調査を再開した。
 そしてこうした中、沖縄返還交渉に関する日米交渉中、外務省の担当者が基地返還に関して、「70パーセント前後に縮小すれば、国民に整理統合が行われたと映る」といった消極的と受け取られる趣旨の発言を行っていたことが、公開された外交文書で明らかになった。
 いろいろと考えることあり。


 渡辺喜美、松島みどり、ともに不起訴と。
 いろいろと考えることあり。


 同志社大学の名誉教授で、西洋政治思想史の研究で知られる脇圭平先生が亡くなられた。91歳。
 東京大学で丸山真男に学び、マックス・ウェーバーをはじめとしたドイツ近現代の政治思想史の研究で知られた。
 岩波文庫のウェーバーの『職業としての政治』の翻訳のほか、岩波新書には『知識人と政治 ドイツ・1914〜1933』や『フルトヴェングラー』(共著。師の丸山真男も対談に加わり、フルトヴェングラー体験を熱心に語っている)がある。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 『職業としての政治』に、どうしても渡辺某や松島某をはじめとした現在日本の政治屋連中を想起せざるをえない。

>ファシズムが思想的にタブーであるということは、いいかえれば「われわれの(=私の)ファシズム体験」がタブーだということであろう。
 われわれの多くは過去において、たあいもなくファシズムにいかれ、いかれないまでも結局は流され、あるいは屈服を強いられたという苦い経験をもっている。
 この挫折と敗北の体験は、戦後におけるわれわれの立場の中にどのように生かされているのだろうか。
 たしかに「今の私」は「かつての私」ではないと誰もが信じているし、また「再びファシズムにいかれまじ」と心に誓っているにちがいない。
 しかし「今の私はかつての私ではない」ということがどうしていえるのか。「再びいかれない」という保証がどこにあるのか。
 変りうるためには、最小限「私の体験」から逃げてはならないだろう。
 また「私の体験」をつき離して検討するだけの冷酷な目を自分に対して持たなければ、他人の体験から本当に学ぶこともできないであろう<
(『知識人と政治』序章より)


 昨夜、小川洋子の『とにかく散歩いたしましょう』<毎日新聞社>を読了し、保阪正康の『作家たちの戦争』<同>を読み始める。

 その後、KBS京都でAKB48のオールナイトニッポンやチャランポランタンのオールナイトニッポン・ゼロを聴いたりしながら、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『千春日和』の筆入れを行ったりする。


 午前午後と、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レボリュショネル・エ・ロマンティークが演奏したシューマンのツヴィカウ交響曲&交響曲第1番「春」、『序曲、スケルツォとフィナーレ』、交響曲第2番、4本のホルンのためのコンツェルト・シュトゥック、交響曲第3番「ライン」<ARCHIV>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『千春日和』の筆入れと打ち直しを行ったり、『作家たちの戦争』を読み進めたりする。

>戦時下に自らの信念を貫くためには孤独を覚悟しなければならない(後略)<
(『作家たちの戦争』より)


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、スティーヴン・オズボーンの来日ピアノ・リサイタルのライヴ録音(2014年10月23日、武蔵野市民文化会館小ホール)を聴く。
 シューベルトのヒュッテンブレンナーの主題による変奏曲と即興曲作品番号142、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」が演奏されていた。

 続けて、マリア・ジョアン・ピリスが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第16番&第21番<ドイツ・グラモフォン>、内田光子が弾いた同じくシューベルトのピアノ・ソナタ第18番<PHILIPS>を聴く。


 夕飯後、『カルデモンメのゆかいなどろぼうたち』をさらったり、『千春日和』の筆入れと打ち直しを行ったりする。


 『作家たちの戦争』を読了し、宜野座菜央見の『モダン・ライフと戦争』<吉川弘文館>を読み始める。
 「スクリーンのなかの女性たち」の副題のある『モダン・ライフと戦争』は、ファシズム化が進む1930年代、「モダン・ライフ」を謳歌する平和で活気ある社会を好んで描いた日本映画と戦争との共犯性や資本主義と戦争との関係性について、作品中の女性スターの姿を通しつつ考察した一冊だ。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 脇先生の『知識人と政治』を初めて読み終えたのは1992年の1月1日だが、この本を読みながら、あと20年か25年ののちには、日本は憲法が変わり徴兵制が施行され、再び戦争を行う国になっているのではないかと考えていたのだった。
 こういう予測は絶対に当たって欲しくない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする