2014年12月26日

予定に勤しんだ一日 台本も読む(CLACLA日記)

 気がつけば、今年も一週間を切っている。


 青空は見えつつも、どんよりとした感じが強し。


 大阪維新の会と公明党が関係修復と。
 衆院選時のあれこれから、まあ予想はしていたが。


 朝日新聞の朝刊に、日本共産党の不破哲三元議長のインタビュー記事が掲載されていた。
 衆院選での日本共産党の躍進を受けた企画だが、首肯できる部分もあれば、いやそれではまた同じことの繰り返しだ、何度同じことをやれば気づくのだと思ってしまう部分もある。
 ただ、高校大学と不破さんの国会での代表質問などをわくわくして観聴きし、物真似まで試してみたことがあったのも事実だ。
 時の流れの速さを改めて痛感する。


 昨夜、西尾成子の『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝石原純』<岩波書店>を読了する。
 その研究、科学ジャーナリストとしての業績はもちろんのこと、国内のファッショ化と日中戦争、太平洋戦争の戦時下、科学者、言論人として真摯な姿勢をとり続けた石原純には、学ぶところが多々あると痛感した。

 その後、KBS京都で岡村隆史のオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時過ぎまで新しい作品について考えたり、『ゆかいなどろぼうたち』や『音な湯』の台本をさらったりする。


 午前午後と、仕事関係の予定をすませる。


 その後、下京図書館へ。
 『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝石原純』、荻野アンナの『えろたま』<中央公論新社>、永田哲也の『星になるには早すぎる』<文藝春秋>、中島京子の『パスティス』<筑摩書房>、三谷幸喜の『清須会議』<幻冬舎>を返却し、予約しておいた村田喜代子の『ゆうじょこう』<新潮社>、アンリ・イスランの『第一次世界大戦の終焉』<中央公論新社>、今井清一の『濱口雄幸伝』上・下<朔北社>、蜷川幸雄の『演劇の力』<日本経済新聞社>、『曽根中生自伝』<文遊社>を新たに借りる。

 で、夕飯用の買い物をすませて19時少し前に帰宅した。


 夕飯後、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団が演奏した『アンコール』<RCA>、フラウト・トラヴェルソの有田正広とボッケリーニ・クァルテットが演奏したモーツァルトのフルート4重奏曲集<DENON>を聴いたりしながら、『ゆかいなどろぼうたち』や『音な湯』の台本を読んだり、村田喜代子の『ゆうじょこう』<新潮社>を読み始めたりする。
 『ゆうじょこう』は、熊本の三角の遊郭に売られた少女とその周囲の人々を描いた作品。
 乾いたユーモア感覚と強い意志、痛切さに惹き込まれる。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 自分は本当に好き嫌いが激しい人間だなあと思ってしまう。
 自省あるのみ。


 明日も、仕事関係の予定、『ゆかいなどろぼうたち』の稽古、そして『音な湯』の稽古とタイトなスケジュールだ。
 まずは、風邪やインフルエンザに気をつけておかなければ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする