2014年10月20日

体調芳しからず(CLACLA日記)

 雨。
 どんよりとしたお天気の一日。

 じめじめじめじめとして快ならず。


 小渕経産相に加え、松島法相も辞任と。
 正直、安倍首相以下、閣僚全員に辞任して欲しい。


 身体が重たく、正午過ぎになって起きる。


 Radio4音源でアンドリス・ネルソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲(アレクセイ・オグリンチュクの独奏)とショスタコーヴィチの交響曲第5番のライヴ録音(2014年10月12日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)、イョラン・セルシェルが弾いたギター・ソロ編曲版のビートルズ名曲集<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。


 三沢陽一の『致死量未満の殺人』<早川書房>を読了する。
 第3回アガサ・クリスティー賞の受賞作品で、ふと夏目漱石の『虞美人草』を思い起こす。
 「こういう大仰な文章は好きではない」と選評で北上次郎が記しているが、好きではないとまでは言わないにしても、確かにあまりしっくりくる文章文体ではなかった。

 ほかに、林光さんの『私の戦後音楽史』<平凡社ライブラリー>の拾い読みもした。


 気圧と湿度のWパンチで体調が芳しからず。
 外出の予定があったが断念し、夕飯用の買い物をすませたのみで帰宅する。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、デヴィッド・スターン指揮エルサレム交響楽団のコンサートのライヴ録音(2013年12月4日、エルサレム ヘンリー・クラウン・オーディトリウム)を聴く。
 ブリテンの『ピーター・グライムズ』から海の間奏曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(アロン・ゴールドスタインの独奏)、ブラームスの交響曲第1番が演奏されていた。

 続けて、湯浅卓雄指揮ニュージーランド交響楽団が演奏した芥川也寸志の管弦楽曲集<NAXOS>、ウィーン・アルティス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第1番&第16番<SONY>を聴く。


 夕飯後、『鳥の日記』を書き進める。
 原稿用紙に換算して、177枚分になった。


 春日太一の『なぜ時代劇は滅びるのか』<新潮新書>を読み始める。
 時代劇評論家の著者が、時代劇の衰退の原因を詳しく説くとともに、時代劇の熱狂的なファンとしての強い憤りを表わした一冊。

 ほかに、『私の戦後音楽史』の拾い読みもした。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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筒井康隆は大人だなあ(深夜のCLACLA)

 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 朝晩の冷え込みが厳しい。
 日中は、少し気温が上昇したが。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 目くらましにはだまされたくないものだ。
 と、改めて思う今日この頃。


 昨夜、youtubeで筒井康隆と中川翔子が出演した『オトナの!』を観聴きしたり、WQXR音源でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第18番(内田光子の独奏)やハイドンの交響曲第45番「告別」、第64番、第90番、『天地創造』、十字架上の最後の7つの言葉の抜粋による想像上のオーケストラの旅のライヴ録音を聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。
 『オトナノ!』では、筒井康隆の大人(オトナでもありタイジンでもある)っぷりと中川翔子のまじめさ(並びに亡き父中川勝彦の存在)がよくわかって、とても面白かった。
 ホストは、いとうせいこうとユースケ・サンタマリア。
 ハイドンの想像上のオーケストラの旅では、作品の組み合わせの妙とピリオド・スタイルを援用した歯切れのよい演奏に感心した。
 交響曲第90番の終楽章で全てを締めるあたりも、よくわかっている。
 細やかでインティメートな雰囲気に満ちた内田光子のモーツァルトも魅力的だった。


 朝早めに目が醒める。


 午前午後と、ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団が演奏したベートーヴェンのバレエ音楽『プロメテウスの創造物』抜粋&交響曲第3番「英雄」<SONY/BMG>、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第4番&第7番<RCA>、NHK・FMの『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたり、三沢陽一の『致死量未満の殺人』<早川書房>を読み進めたりする。
 ほかに、林光さんの『私の戦後音楽史』の拾い読みもした。
 『鳥の日記』は、原稿用紙に換算して174枚分になった。


 16時台に外出し、アトリエ劇研へ。
 第19次 笑の内閣『超天晴!福島旅行』(高間響上皇作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。


 その後いろいろとあって、帰宅が23時50分頃になる。


 以上、10月19日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第19次 笑の内閣『超天晴!福島旅行』

☆第19次 笑の内閣『超天晴!福島旅行』

 作・演出:高間響
(2014年10月19日18時開演の回/アトリエ劇研)


 舞台は滋賀県のとある私立高校。
 学外出身者による外様改革派の教員たちは、来年度の修学旅行地決定の会議を利用して、学園OBの守旧派からヘゲモニーを奪おうと画策する。
 その切り札となる修学旅行の候補地は、なんと福島。
 だが、彼彼女らの目論見はなかなか一筋縄では適わなくて…。

 といった具合に物語が始まる第19次笑の内閣『福島第一原発舞台化計画〜黎明編〜超天晴!福島旅行』は、高間響という劇の造り手と笑の内閣という集団の進境変化を如実に反映した作品であり、公演となっていた。

 公演プログラムにもある通り、東浩紀氏らの提唱する「福島第一原発観光地化計画」に触発された題材であり、実際ワークショップを重ね、現地を訪問した上で生み出された作品なのだけれど、そこは笑の内閣、ルーティンギャグやサタイア(時局諷刺ネタ)など、笑の仕掛けにももちろん欠けていない。
 加えて、高間上皇がもともと強い影響を受けた三谷幸喜(だって、笑の内閣は『笑の大学』から来てるんだもん)にも通じる、人の弱さや内面の葛藤、人間関係のどろっとした部分、さらにはじんとくるような心の動きも織り込まれて、約90分、間然としない観応えのある舞台に仕上がっていたのではないか。
 まずもって、その点を大いに評価したい。
 ただ、だからこそ、福島を主題として扱うことへの高間上皇の配慮、というか距離感が筋運びの節々からうかがえたことも事実で、そこをどう他の部分と慣らしていくか、もしくは開き直ってもっと徹底的に笑いのめすか、それとも齟齬は齟齬としてより物語内に取り込んでしまうか、そのいずれかの判断が必要なのではないかとも思った。
 また、東京公演もあるので詳述は控えるが、展開としての粗さがなめされたり、登場人物の背景や関係性が一層細かく描き込まれば、彼彼女らの言動により説得性が生まれるとも感じた。

 6回目の公演ということもあってかライヴ特有の粗や傷は見受けられたし、経験等からくる技量の長短はどうしても否めないが、演者陣は個人としてもアンサンブルとしても、作品世界によく沿う努力を重ねていたと思う。
 歌唱面を含めてヒロインとしての過不足のない素質を持った中村彩乃をはじめ、看板役者ぶりが板についた髭だるマン、諸江翔大朗、抑制のきいた丸山交通公園、よいキャラクターの持ち主黒須和輝、松田裕一郎、由良真介、楠海緒、山下みさお、横山清正、有本ミチヨの健闘を讃えたい。
(だいたい、「公演に出てやっている」と内心思っているんじゃないかと疑いたくなるような演者が一人もいないのは、笑の内閣の支持者としてはとても喜ばしいことだ)
 公演終了後、高間上皇や出演者松田さんとも少し話をしたが、今回の松田さんや諸江君のような経験豊富な客演陣を迎えることで、これまでの内閣の面々の演技アンサンブルもひときわ精度を上げていくことと思う。
 それと、高間上皇は今回細かく演出を付けているように見受けられたが(はじめのほうなど、あからさまに台詞を置きにいって感じがした)、可能であればピッチングコーチやバッティングコーチ、守備走塁コーチのような様々な演技指導のできる人材が複数加わればとも考えたりもした。

 いずれにしても、高間響と笑の内閣のさらなる飛躍を心より期待したい。
 ああ、面白かった!
posted by figarok492na at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする