2014年09月30日

今日で9月も終わり(CLACLA日記)

 今日で9月も終わり。
 今年も、残すところ3ヶ月となる。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、死を忘れないこと。


 御嶽山の噴火が続く。


 青空は見えつつも、どんよりとした感じが強し。
 で、夕方になって雨が降る。
 移動中、雨にやられた…。
 やれやれ。

 日中は気温が上昇し、暑さを感じた。
 朝晩は気温が下がり、肌寒いが。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 昨夜、藤野可織の『おはなしして子ちゃん』<講談社>を読了する。

 その後、CTM音源でトーマス・ヘンゲルブロック指揮ハンブルクNDR交響楽団が演奏したメンデルスゾーンの序曲『ルイ・ブラス』、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・キホーテ』、ルーセルの『くもの饗宴』組曲、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』第2組曲(2014年1月19日、ハンブルク・ライスハレ大ホール)、ニューヨーク・フィル音源でラファエル・フリューベク・デ・ブルゴス指揮ニューヨーク・フィルが演奏したベルリオーズの幻想交響曲(第3楽章を除く)、Radio4音源でヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮オランダ放送フィルが演奏したワーグナーの序曲『ファウスト』とチャイコフスキーのイタリア奇想曲(2011年4月9日、フレデンブルク)のライヴ録音を聴いたりしながら、『鳥の日記』を書き進める。


 真向かいのマンションがかまびすしい。
 非常識な住人と無能な管理人、そして銭ゲバオーナーに天罰天誅よくだれ!


 午前中、仕事関係の作業を進めたり、9月の創作について省みたり、筒井康隆の『文学外への飛翔』<小学館文庫>の拾い読みをしたりする。


 夕方から夜にかけての予定が急に入り、その対応に追われる。


 18時頃外出し、急な予定をすませる。
 予定が変わり、いろいろと迷惑をかけてしまった。
 申し訳ないかぎり。


 NHKラジオ第1の『みうらじゅんのサントラくん』、Radio4音源でヴァレリー・ゲルギエフ指揮ロッテルダム・フィルが演奏したショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」のライヴ録音(1990年11月17日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ゲルギエフは、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも、特にこういう類いの音楽が得意だと思う。
(プロコフィエフは逆に粗すぎるような気がする)


 夜になって、またも真向かいのマンションがかまびすしい。
 人外(あえてこういう言葉を使う)の住まうマンションなり。
 朽ち倒れてしまえばよいのだ。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 卑劣漢を支持し、許容し、黙認する者こそ、一番の卑劣漢だ。
 卑劣漢にはなりたくない。


 明日がいい日でありますように!
 そして、10月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月29日

『鳥の日記』が原稿用紙60枚分を超えた(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 日中は気温が上昇し、暑さを感じる。
 寒暖の差が激しいですので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 御嶽山の噴火が続いている。


 臨時国会が召集された。
 いろいろと考えることあり。


 昨夜、NHKラジオ第1のラジオ深夜便の『クラシックの遺伝子』、CTM音源でネーメ・ヤルヴィ指揮スイス・ロマンド管弦楽団が演奏したマーラーの交響詩『葬礼』とラヴェル編曲によるムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(2013年9月25日、ジュネーヴ・ヴィクトリアホール)、スウェーデン音源でダニエル・ハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第4番(2014年9月17日、ストックホルム・ベルワルドホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。
 奥田佳道のお話による『クラシックの遺伝子』では、バッハが特集されていた。
 マーラーの『葬礼』は、その後交響曲第2番「復活」の第1楽章に転用されることとなる作品である。


 朝から、近所の建築作業がかまびすしい。
 真向かいのマンションもかまびすしい。
 うっとうしいったらありゃしない!


 午前午後と、スウェーデン放送音源でケント・ナガノ指揮エーテボリ交響楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『死と変容』(2014年5月8日、エーテボリ・コンサートホール)、CTM音源でジョセフ・ポンス指揮バルセロナ・リセウ大劇場交響楽団が演奏したジェラールのバレエ音楽『ドン・キホーテ』組曲、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』と『ドン・キホーテ』(2014年3月16日、バルセロナ・カタルーニャ音楽堂)、スウェーデン放送音源でハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団が演奏した同じくリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼン(ベートーヴェンと同)、リナルド・アレッサンドリーニ指揮ノルウェー歌劇場管弦楽団が演奏したモーツァルトの序曲集<naïve>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたり、藤野可織の『おはなしして子ちゃん』<講談社>を読み進めたりする。
 ほかに、筒井康隆の『小説のゆくえ』<中公文庫>の拾い読みもした。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、東京クヮルテットのラスト・コンサートのライヴ録音(2013年5月21日、王子ホール)のライヴ録音を聴く。
 ハイドンの弦楽4重奏曲第83番、バルトークの弦楽4重奏曲第6番、シューベルトの弦楽4重奏曲第15番が演奏されていた。
(2013年10月7日放送分のアンコール放送で、本放送時に聴いて感心感嘆したのだった)


 続けて、NHKラジオ第1の『DJ日本史』を聴く。
 「世界の国からこんにちは」と題して、三浦按針ことウィリアム・アダムズや小泉八雲ことラフカディオ・ハーンなど、日本の歴史に足跡を遺した外国人について語られていた。
 そういえば、秦氏など渡来人に関しては一切触れられてなかったなあ。


 さらに、Radio4音源でクリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏したベートーヴェンの交響曲第2番、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』から「ぶってよ、マゼット」(ソプラノのローズマリー・ジョシュアの独唱)、ロッシーニの歌劇『タンクレディ』序曲、ウェーバーの劇音楽『プレチオーザ』序曲のライヴ録音(1996年9月7日、フレデンベルク)を聴く。


 夕飯後、『鳥の日記』を書き進めたり、『おはなしして子ちゃん』を読み進めたり、筒井康隆の『文学外への飛翔』<小学館文庫>の拾い読みをしたりする。
 『鳥の日記』は、原稿用紙に換算して60枚分を超えた。


 今日は、ヤマザキのシュークラウン(アーモンド)を食す。
 壬生のローソンストア100で、50円引きだったもの。
 アーモンドクリーム入りの小さなシュークリームをリング状につなげたシュークリームで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 巧言令色少なし仁。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月28日

土井たか子が亡くなった(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 日中は気温が上昇する。
 が、朝晩は肌寒し。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 社会党の元委員長で社民党の元党首、元衆議院議長の土井たか子が亡くなった。85歳。
 現京都女子大学で学んだのち、同志社大学、及び大学院で法学を学ぶ。
 その後、社会党から衆議院選挙に立候補し当選する。
 1986年に社会党の委員長に就任し(「やるっきゃない!」)、1989年の参議院選挙では消費税導入やリクルート事件が追い風となって、土井ブーム社会党ブームが巻き起こり、社会党が第一党を獲得した(「山が動いた」)。
 以降、細川連立内閣、村山連立内閣、橋本連立内閣期に衆議院議長を務めたが、社民党の党勢の衰退などもあって、その影響力は失われていった。
 喉の詰まったような甲高い独特の声質の持ち主で、松尾貴史の物真似のレパートリーでもあった。
 おたかさんの愛称で知られる。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 御嶽山の噴火で、4人の登山者の方が亡くなったと。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 昨夜、アメリカ・パブリック・メディア・シンフォニー・キャスト音源でオルフェウス室内管弦楽団が演奏したシュレーカーの弦楽のためのスケルツォ、モーツァルトの交響曲第40番から第1楽章、RTVE音源でユライ・ヴァルチュハ指揮ケルンWDR交響楽団が演奏したフォーレの『ペレアスとメリザンド』組曲、ツェムリンスキーの交響詩『人魚姫』(2014年1月17日、ケルン・フィルハーモニー)、ニューヨーク・フィル音源のヴァルチュハ指揮ニューヨーク・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』組曲のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりした。


 午前午後と、ニューヨーク・フィル音源でアラン・ギルバート指揮ニューヨーク・フィルが演奏したムソルグスキーの交響詩『はげ山の一夜』、リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』、ストラヴィンスキーの3楽章の交響曲のライヴ録音、NHK・FMの『きらクラ!』、ルネ・ヤーコプス指揮フライブルク・バロック・オーケストラが演奏したハイドンの交響曲第91番<ハルモニアムンディ・フランス>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。


 ピエール・ローラン・エマールのピアノ・リサイタルを聴き損ねた。
 何か忘れていると思って、ダイアリーで確認したときには遅かった。
 ああ…。


 浜口誠至の『在京大名細川京兆家の政治史的研究』<思文閣出版>を読了する。
 ああ、面白かった!

 続けて、藤野可織の『おはなしして子ちゃん』<講談社>を読み始める。


 17時台に外出し、仕事関係の用件を片づける。
 その後、夕飯用の買い物をすませて、18時台に帰宅した。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を聴く。

 続けて、同じくNHK・FMの『リサイタル・ノヴァ』、ヤーコプス指揮フライブルク・バロック・オーケストラが演奏したハイドンの交響曲第92番「オックスフォード」<ハルモニアムンディ・フランス>、CTM音源でウラディミール・フェドセーエフ指揮モスクワ・チャイコフスキー交響楽団が演奏したチャイコフスキーの『眠りの森の美女』からワルツ、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』からアラビアの踊りと『白鳥の湖』からスペインの踊りのライヴ録音(2014年5月18日、ジローナ・モンセルヴァーチェホール)を聴く。
 たっぷりと歌いしっかりと鳴らす「新世界より」だった。


 夕飯後、『鳥の日記』を書き進めたり、『おはなしして子ちゃん』を読み進めたり、筒井康隆の『日日不穏』<中公文庫>の拾い読みをしたりした。
 『鳥の日記』は、原稿用紙に換算して54枚を超えた。


 今日は、ロピアのプチティラミスを食す。
 近くのドラッグランドひかりで、半額引き、税込み66円だったもの。
 いつもながら、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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ドカベン香川伸行が亡くなった(深夜のCLACLA)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 日中は気温が上昇し、いくぶん暑さを感じる。
 湿度が低い分、過ごしにくくはなかったが。
 朝晩は肌寒し。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 御嶽山が噴火と!


 外国人特派員協会の記者会見での、在特会との関係に関する山谷国家公安委員長の質疑応答を大手メディアは伝えていない。
 そして、NHKの御用報道ぶりに呆れかえる。


 元プロ野球選手の香川伸行が亡くなった。52歳。
 大阪・浪商高の選手として甲子園で活躍したのち、南海に入団、以後、南海・ダイエーと1989年までプロ野球でプレーした。
 体格にキャッチャーというポジションもあって、漫画『ドカベン』(主人公山田太郎)によるドカベンの愛称で知られたが、山田太郎よりもっともっちゃりした感じが強かった。
 黙祷。


 昨夜、Radio4音源でエドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したオランダ国歌、モーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」、ピアノ協奏曲第24番(ハンス・ヘンケマンスの独奏)、交響曲第39番(1956年7月9日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)、ニューヨーク・フィル音源でリオネル・ブランギエ指揮ニューヨーク・フィルが演奏したデュカスの交響詩『魔法使いの弟子』とストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』組曲のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。


 午前午後と、WCLV音源でフランツ・ヴェルザー=メスト指揮クリ―ヴランド管弦楽団が演奏したワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』から第1幕への前奏曲とウェーゼンドンク歌曲集(ミーシャ・ブルガーゴーズマンのソプラノ独唱)、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」、Radio4音源でセルジュ・ボド指揮オランダ放送フィルが演奏したベルリオーズの序曲『リア王』(2014年9月19日、フレデンベルク)のライヴ録音、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第5番〜第7番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、『鳥の日記』を書き進めたり、浜口誠至の『在京大名細川京兆家の政治史的研究』<思文閣出版>を読み進めたりする。
 ほかに、筒井康隆の『日日不穏』<中公文庫>の拾い読みもした。


 17時台に外出し、自転車で人間座スタジオへ。
 月面クロワッサンのvol.7『くりかえしへこむ』/『閻魔旅行』を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 開演前休憩中終了後、関係各氏と話しをした。

 夕飯と仕事関係の用件を片づけてから、22時頃帰宅する。


 帰宅後、NHKラジオ第1のワクテカ学園ラジオ・サタデーやラジオ深夜便を聴いたりしながら、観劇記録の準備を行う。


 以上、9月27日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月27日

月面クロワッサン vol.7『くりかえしへこむ』/『閻魔旅行』

☆月面クロワッサン vol.7『くりかえしへこむ』/『閻魔旅行』

 『くりかえしへこむ』
 脚本・演出:丸山交通公園

 『閻魔旅行』
 脚本・演出:河合桃子
(2014年9月27日19時開演の回/人間座スタジオ)


 月面クロワッサンの7回目の本公演となるvol.7は、丸山交通公園脚本・演出の『くりかえしへこむ』と河合桃子脚本・演出の『閻魔旅行』の二本立てだったが、丸山君の『くいりかえしへこむ』が圧巻だった。

 主宰を務める友達図鑑の一連の作品や、月クロの番外公演での『強く押すのをやめて下さい』(2014年3月1日、人間座スタジオ)と、この間丸山君の作品を観続けてきたのだけれど、脚本演出ともに冴えわたるというか、演劇的な一つのブランドを確立したと評しても過言ではないのではないか。
 しゃむない人間がしゃむない人間を貶め合うその情けなさ、虚しさ、哀れさ。
 そんなどうしようもない状況から、丸山君はグロテスクな笑いをしっかり生み出していく。
 はっちゃけ場、祭場とでも呼びたくなるような、暴力的な身体性の表現もいつもながらに見事である。
 また、死への憧憬をはじめ、内面のもやもや、叫びがストレートに織り込まれている点も、丸山作品の大きな魅力だろう。
 終盤、登場人物の感情が変化するシリアスなあたりには、ぞくぞくとしたほどだ。
 小川晶弘(冒頭、ちょっとだけ『生きる』の宮口精二みたい)、横山清正、鯖ゼリーは、それぞれの特性を活かしたキャラクターづくりで作品世界によく沿っていたし、丸山君自身も自分の出どころをよく心得て巧く舞台を動かしていた。
(その意味で、良い意味での座長芝居というか、松竹新喜劇っぽい)
 ああ、面白かった!

 一方、約1時間の『くりかえしへこむ』の前に上演されたのが、20〜25分の小品『閻魔旅行』。
 「死」がモティーフとなっている意味で、『くりかえしへこむ』との併演によく合っていたのではないか。
 物語の展開やくすぐり等、まずは河合さんのセンスと可能性を感じた。
 たぶん河合さんにとって、この『閻魔旅行』が初めての脚本演出になるのかな。
 設定も影響してか、舞台に停滞しているように感じられた部分があったり、筋運びに説明不足が感じられた部分があったりした。
 登場人物の動かし方や舞台の緩急の付け方、ツイスト(捻り)の仕掛け方等々、脚本演出両面で研鑚を重ねていってもらえればと願う。
 石田達拡、丸山君(こちらでは、東映作品のよう)は、河合さんの意図をよく汲む努力を行っていた。
 いずれにしても、河合さんの今後の活躍を愉しみにしたい。

 そうそう、公演パンフレットに収められた鯖ゼリー、丸山君の書き下ろし小説も、なかなかの読み物で、こちらもぜひご一読のほど。
posted by figarok492na at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

昨夜、母から電話があった(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 気温は上昇するも、湿度が低い分、過ごしやすし。
 朝夜は肌寒くなる。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 理論経済学者の宇沢弘文が亡くなった。83歳。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 昨夜、母から電話があり、しばらく話をする。
 励ましの言葉を得た。
 多謝。

 その後、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを、ニューヨーク・フィル音源でデヴィッド・ロバートソン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第2番のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ナイナイのオールナイトニッポンは昨夜が最終回だったが、あざとく感動を演出することもなく、淡々といつもながらの放送で、それがかえってさみしくもあった。
 20年半、矢部さんお疲れ様でした。
 そして、来週からは岡村さん一人。
 ぜひぜひ頑張ってください。


 母と話しをしたこともあり、死について考える。
 両親が亡くなること、自分自身も死ぬこと。
 その恐怖を拭い去ることなど到底できないが、それでも、だからこそ、為すべきことや為したいことを為していかなければとは思う。


 午前中、毎週恒例の洗濯をすませる。
 それなりに乾きはよろし。


 KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』、RTVE音源でスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ベルリン放送交響楽団が演奏したモーツァルトのクラリネット協奏曲(マルティン・フレストの独奏)とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」のライヴ録音(2013年12月15日、ベルリン・フィルハーモニー大ホール)、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』(途中から)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。
 『オペラ・ファンタスティカ』では、ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィル他が演奏したモーツァルトの歌劇『魔笛』(1969年録音)から第2幕他を聴いた。


 小川洋子の『ことり』<朝日新聞出版>を読了する。
 淡々とした語り口の中に、不思議さと不気味さ、悪意が潜んだ、なおかつ諦念に裏打ちされた優しさにも満ちた、痛切な作品だった。
 小川さんのいつもながらの想像力、創作力に感嘆し感動する。
 ああ、面白かった!

 ほかに、筒井康隆の『日日不穏』<中公文庫>の拾い読みもした。


 夕方になって外出し、下京図書館へ。
 『ことり』、川上未映子の『りぼんにお願い』<マガジンハウス>、中島岳志の『「リベラル保守」宣言』<新潮社>、北村薫の『八月の六日間』<角川書店>、真保裕一の『天魔ゆく空』<講談社>を返却し、予約しておいた浜口誠至の『在京大名細川京兆家の政治史的研究』<思文閣出版>、藤野可織の『おはなしして子ちゃん』<講談社>、戌井昭人の『どろにやいと』<同>、堀江敏幸の『象が踏んでも』<中央公論新社>、三崎亜紀の『逆回りのお散歩』<集英社>を新たに借りる。
 で、夕飯用の買い物をすませ、19時少し前に帰宅した。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ペペ・ロメロの来日ギター・リサイタルのライヴ録音を聴く。
 名手が紡ぎ出す、インティメートな響きを存分に愉しむことができた。

 続けて、同じくNHK・FMの『DJクラシック 広上淳一の音楽ってステキ』を聴く。
 今夜は、指揮者人生事始めと題して、広上さんのヨーロッパでの研鑚時代が語られていた。


 さらに、Radio4音源でヨーゼフ・クリップス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番(1952年5月24日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)と第8番(同年9月5日、同)のライヴ録音を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『在京大名細川京兆家の政治史的研究』を読み始めたりする。
 『在京大名細川京兆家の政治史的研究』は、著者が在京大名と規定する「恒常的に(室町幕府の)幕政に参加し、政策決定に影響力を及ぼした大名」のうち、「応仁・文明の乱後も在京を続け、約70年の長期にわたって幕政に影響力を行使していた」、細川京兆家(惣領家)の応仁・文明の乱後から戦国初期における政治的位置に関して、具体的な検討を行った一冊。
 なお、『天魔ゆく空』の主人公細川政元は、細川京兆家の当主にあった人物だ。

 ほかに、『日日不穏』の拾い読みもした。


 今日は、ロピアのプチモンブランを食す。
 近くのドラッグランドひかりで、半額引き、税込み66円だったもの。
 カスタードプリンにホイップクリームとマロンペーストをモンブランケーキ風にあしらったもので、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

クリストファー・ホグウッドが亡くなった(CLACLA日記)

 イギリスの指揮者、クリストファー・ホグウッドが亡くなった。73歳。
 ケンブリッジで学んだのち、プラハでも研鑚を積む(後年、チェコ・フィルとマルティヌーの作品を録音した)。
 デイヴィッド・マンロウらとロンドン古楽コンソートを結成し、鍵盤楽器奏者として古楽分野での活動を始める。
 1973年には、ピリオド楽器(同時代楽器。17世紀、18世紀に作成されたオリジナル楽器やそのコピー)によるアンサンブル、アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(AAM)を設立し、バロック、さらには古典派の作品の演奏を繰り広げ、いわゆる「オーセンティック」な音楽解釈の先駆者の一人となる。
 特に、コンサートマスターのヤープ・シュレーダーとともに通奏低音として指揮を行ったモーツァルトの交響曲全集<オワゾリール>で、一躍脚光を浴びた。
 その後、モダン楽器のオーケストラの指揮台にも立つようになり、セント・ポール室内管弦楽団の音楽監督を務めた。
 AAMやヘンデル&ハイドン・ソサエティ、ラルテ・デラルコ(以上、ピリオド楽器アンサンブル)、セント・ポール室内管弦楽団、バーゼル室内管弦楽団、ロンドン・フィル等と数多くの録音を遺す。
 バロックや古典派、初期ロマン派に加え、20世紀の音楽(ストラヴィンスキーやコープランドなど)も好んで取り上げた。
 AAMとの来日コンサートのほか、東京フィルやNHK交響楽団にも客演。
 この秋には、東京都交響楽団への客演も予定されたが、体調不良を理由にキャンセルされていた。
 快活で劇性に富んだ音楽の造り手だったと思う。
 返す返す残念なことは、オワゾリール・レーベルで進められていたAAMとのハイドンの交響曲全集が中途半端に終わってしまったことだ。
 少なくとも、パリ・セット以前(第81番)までは録音しておいて欲しかった。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 台風16号は去り、どんよりとした感じはありつつも青空へ。

 しのぎやすい一日。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 昨夜、ニューヨーク・フィル音源でアンドレイ・ボレイコ指揮ニューヨーク・フィルが演奏したストラヴィンスキーの交響詩『うぐいすの歌』とツェムリンスキーの交響詩『人魚姫』、MDR FIGARO音源でマルクス・シュテンツ指揮ライプツィヒMDR交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第104番(2014年9月21日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス)、インスタントアンコール音源でマティアス・ピンチャー指揮アスペン室内シンフォニーが演奏したドビュッシーの月の光のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。
 ほかに、筒井康隆の『幾たびもDIARY』<中公文庫>と『ダンヌンツィオに夢中』<同>の拾い読みもした。


 今日の朝日新聞朝刊、高橋源一郎の『『愛国』の「作法」について』がとてもしっくりときた。
 一方で、週刊文春や週刊新潮がまたぞろ朝日新聞たたきをやっている。
 御用連中のうっとうしさ。


 ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』、ホグウッド指揮AAMが演奏したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」他、ピアノ協奏曲第23番、第15番&第26番「戴冠式」他(ロバート・レヴィンのフォルテピアノ独奏)<いずれもオワゾリール>を聴いたりしながら、『鳥の日記』を書き進めたり、小川洋子の『ことり』<朝日新聞出版>を読み進めたりする。


 17時台に外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、ホグウッド指揮バーゼル室内管弦楽団が演奏したストラヴィンスキーの組曲第1番&第2番、ブリテンのシンフォニエッタ他<ARTE NOVA>を聴いたりしながら、雑件を片づける。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックでカルロ・グランテの来日ピアノ・リサイタルを聴く。
 ショパンのバラードとスケルツォの全曲などが演奏されていた。


 続けて、ホグウッド指揮AAMが演奏したハイドンの交響曲第77番&第76番<BBCミュージックマガジン>、CTM音源でダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンが演奏したエネスコのルーマニア狂詩曲第2番、エルガーの交響曲第2番他(2013年9月1日、ブカレスト)を聴く。
 ホグウッドとAAMのハイドンは、もともとオワゾリール・レーベルの全集のために録音されたものだが、上述した如くそれが中途で終了したためお蔵入りになっていたもの。
 イギリスの音楽雑誌『BBCミュージックマガジン』の付録CDとして公になった。
 一方、バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンが演奏したエルガーの交響曲第2番といえば、DECCAレーベルからCDがリリースされたばかりだ。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたり、『ことり』を読み進めたりする。
 ほかに、筒井康隆の『日日不穏』<中公文庫>の拾い読みもした。


 今日は、ヤマザキのしっとりサンド・小倉&マーガリンを食す。
 近くのグルメシティで、税込み80円に値下げされていたもの。
 マーガリンと粒あんの入ったパンで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月24日

台風のせいで雨が強い(CLACLA日記)

 台風16号の影響で、どんよりとしたお天気の一日。
 雨も降る。
 で、夜になって雨が強くなる。

 気温はあまり上昇しなかったものの、じめじめとしてあまり快ならず。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 気圧と湿度の影響で、体調芳しからず。


 イスラム国への対抗措置として、アメリカ政府がシリア領への空爆を開始した。
 「集団的自衛権の行使」をその理由にしているとのこと。
 いろいろと考えることあり。


 NHKラジオ第1のラジオ深夜便で、三遊亭小遊三の『鰻の幇間(たいこ)』を聴く。
 盟友桂米助(ヨネスケ)のアシストもあって、愉しく聴くことができた。

 その後、CTM音源でリオネル・ブランギエ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したラヴェルの組曲『クープランの墓』、シューマンのピアノ協奏曲(マルティン・ヘルムヒェンの独奏)、バルトークの管弦楽のための協奏曲(2013年9月28日、チューリッヒ・トーンハレ大ホール)、インスタントアンコール音源でパブロ・ヘラス=カサド指揮セント・ルークス管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第4番(2013年2月7日、カーネギーホール?)、ニコラス・マッギガン指揮アスペン室内シンフォニーが演奏したベートーヴェンの序曲『コリオラン』(?)、カール・シンクレア指揮パシフィック交響楽団が演奏したモーツァルトの歌劇『魔法の笛』序曲(2013年2月2日)とヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇『こうもり』序曲(2012年9月22日)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。


 朝早くから、近所の建築作業がかまびすしい。
 うっとうしいかぎり。


 正午過ぎに外出し、仕事関係の用件を片づける。


 帰宅後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』、チェロの鈴木秀美とフォルテピアノの小島芳子が演奏したシューベルトのアルペジョーネ・ソナタ&ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番、第1番&第2番と変奏曲集<いずれもドイツ・ハルモニアムンディ>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。


 真保裕一の『天魔ゆく空』<講談社>を読了する。
 細川政元とともに、その異母姉である洞松院(齢30を過ぎたのち還俗して赤松政則室となり、政則死後は実の娘を擁しながら赤松家を護った)について詳しく知ることができたのは収穫だった。
(もちろん、作品自体はフィクションだけれど、史実に負った作品でもあるので。それと、渡邊大門さんの『戦国誕生』<講談社現代新書>やウィキペディアなどにあたったことも大きい)

 ほかに、色川武大の『寄席放浪記』<河出文庫>の拾い読みもした。


 夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 夕飯後、ヤープ・テル・リンデン指揮モーツァルト・アカデミーが演奏したモーツァルトの交響曲第27番、第28番、第30番<BRILLIANT>、CTM音源でセミョン・ビシュコフ指揮ミュンヘン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第4番から第1楽章とメンデルスゾーンの交響曲第5番」「宗教改革」から第3楽章(2013年3月12日、ジュネーヴ・ヴィクトリアホール)、ジェイムズ・ガフィガン指揮ルツェルン交響楽団が演奏したドヴォルザークの交響曲第6番とアメリカ組曲から第4楽章アンダンテ(2013年9月17日、ブカレスト・アテネ音楽堂)、ユライ・ヴァルチュハ指揮スウェーデン放送交響楽団が演奏したラヴェルのラ・ヴァルス(2014年5月9日、ストックホルム・ベルワルドホール)のライヴ録音を聴く。
 ネットラジオの音質はひとまず置くとして、線の細さは否めないものの、ドヴォルザークの交響曲第6番は歯切れのよい快活な演奏だった。
 ちなみに、ガフィガンとルツェルン交響楽団が演奏したこの交響曲とアメリカ組曲が、ハルモニアムンディ・フランス・レーベルからリリースされたばかりだ。


 仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたり、小川洋子の『ことり』<朝日新聞出版>を読み始めたりする。
 ほかに、筒井康隆の『幾たびもDIARY』<中公文庫>の拾い読みもした。
 『幾たびもDIARY』は『鳥の日記』の参考のためもあってだが、『ことり』のほうは一切関係ない。


 今日は、山崎製パンの吹雪まん(つぶあん)を食す。
 近くのグルメシティで、税込み64円に値下げされていたもの。
 粒あんたっぷりのお饅頭で、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月23日

秋分の日 『鳥の日記』を書き進める(CLACLA日記)

 秋分の日。
 今年も一年の終わりが近づいている。


 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 日中は気温が上昇する。
 が、朝夕は肌寒し。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 夜、NHKのラジオのニュースで、ヘイトスピーチに関する地方自治体へのアンケートの結果が伝えられていた。
 結果そのものは置くとして、政府がなんらかの対策を行う信号かもしれない。
 まあ、内閣の閣僚そのものがヘイトスピーチ関連団体とずるずるなわけで、小手先の対策で終わるような気がするけれど。
(それどころか、ヘイトスピーチとは全く関係ないデモを規制する法案にすり替えてしまうかもしれないし)


 昨夜、Radio4音源でマリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したロッシーニの歌劇『どろぼうかささぎ』序曲、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番&二人でお茶を(後者は、協奏曲の独奏者ユジャ・ワンのアンコールでピアノ・ソロ)、プロコフィエフの交響曲第5番(2014年9月21日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)、ニューヨーク・フィル音源でロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたりする。


 世は休日というのに、近所の建築作業がかまびすしい。
 何やってんだい、まったく。
 うっとうしいったらありゃしない。


 ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』(プロ野球中継のため、1時間足らずの放送)、RTVE音源でアンドリス・ネルソンス指揮ウィーン・フィルが演奏したワーグナーの歌劇『リエンツィ』序曲、歌劇『さまよえるオランダ人』序曲、歌劇『ローエングリン』から第1幕と第3幕への前奏曲、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のライヴ録音(2012年11月18日、ウィーン・ムジークフェライン大ホール)、オルフェウス室内管弦楽団が演奏したグリーグのホルベルク組曲&チャイコフスキーの弦楽セレナード他<ドイツ・グラモフォン>、クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団が演奏しチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」&『くるみ割り人形』組曲<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』の手直しを行ったり、真保裕一の『天魔ゆく空』<講談社>を読み進めたりする。
 ほかに、色川武大の『寄席放浪記』<河出文庫>の拾い読みもした。
 ネルソンスとウィーン・フィルは、よく歌いよく鳴り響く演奏だった。


 17時過ぎに外出し、京都芸術センターで用件を片づけ、夕飯用の買い物をすませ、18時台に帰宅した。


 夕飯後、モッツァフィアート&ラルキブデッリが演奏した「ナポリ王のための8つのノットゥルナ」<SONY>、ニューヨーク・フィル音源でアンドレイ・ボレイコ指揮ニューヨーク・フィルが演奏したチェレプニンの『魔法にかけられた王国』とチャイコフスキーの組曲第3番のライヴ録音を聴く。
 モッツァフィアート、ラルキブデッリともにピリオド楽器の演奏団体で、前者は管楽器、後者は弦楽器のアンサンブルだ。
 インティメートな雰囲気に満ちた演奏で、実に聴き心地がよい。
 ボレイコはオーケストラをよくコントロールして、旋律の美しさを意識しつつ劇性に富んだ音楽を造り上げていた。


 仕事関係の作業を進めたり、『鳥の日記』を書き進めたり(原稿用紙に換算して36枚分。50〜100枚程度で仕上げたい)、『天魔ゆく空』を読み進めたりする。
 『天魔ゆく空』は、ところどころ渡邊大門さんの『戦国誕生』<講談社現代新書>などで史実を確認しながら読んでいる。


 今日は、ヤマザキの焼きドーナツ・はちみつ風味を食す。
 近くのドラックランドひかりで、半額引き、税込み49円だったもの。
 はちみつ風味のきいた柔らかい食感のドーナツで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月22日

ブログ開始から10年(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空となる。

 日中は気温が上昇し、少しだけ暑さを感じた。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 あまり単純化した物言いは避けたいのだけれど、それこそファッショ化というか、議論もへったくれもすっ飛ばして、己が都合のよいように物事を進めていこうとする風潮が非常に強まってはいないか。
 そしてそれは、政治や企業、メディアといったマスの場面だけではなく、もっと身近なミクロな部分でも徐々に浸透しているようにも感じられる。
 本当に注視していかなければ。
 自省をこめて。


 昨夜、ニューヨーク・フィル音源でアラン・ギルバート指揮ニューヨーク・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第25番&第36番「リンツ」(?)、マンフレート・ホーネック指揮ニューヨーク・フィルが演奏したブラウンフェルスのベルリオーズの主題による幻視&ベートーヴェンの交響曲第7番(2013年1月3日、ニューヨーク エイヴリー・フィッシャー・ホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ギルバートのモーツァルトはピリオド・スタイルの影響が僅かにうかがえる快活な演奏で、なかなか聴き心地がよい。
 ホーネックのベートーヴェンも、歯切れがよくて力感にあふれており、予想以上に愉しかった。
 ホーネックが折に触れてとり上げているブラウンフェルスの曲も、管弦楽の技巧に富んでいて面白かった。
(ところで、ニューヨーク・フィルの音源は、サイト上に記載されている録音日がどうも正確ではなさそうだ。ネット検索で確認して、たぶんその日付で間違っていないと思えるもの以外はここでは記載しないことにしておく)


 朝から近所の建築作業がかまびすしい。
 いつまで続く泥濘ぞ!
 まるで今のこの国みたい。


 CTM音源でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルが演奏したシューベルトの『ロザムンデ』から第3幕への間奏曲、フランク・ペーター・ツィンマーマンを独奏に迎えたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番、ブルックナーの交響曲第7番のライヴ録音(2014年5月17日、ベルリン・フィルハーモニー)、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団他が演奏したショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」<EMI>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたりする。
 ラトルとベルリン・フィルのコンサートはクラウディオ・アバドの追悼演奏会で、哀悼の念がこめられた穏やかな『ロザムンデ』、ツィンマーマンの冴え冴えとしたヴァイオリンの美しい音色が強く印象に残るモーツァルト、そしてバーミンガム・シティ交響楽団との録音にさらに磨きがかけられ堂に入った内容となっていたブルックナーと、非常に聴き応えのあるものだった。


 北村薫の『八月の六日間』<角川書店>を読了する。
 ふとしたきっかけで山の魅力にとらわれた女性編集者の3年間を、彼女の人生の「山谷」を挟みつつ描いた作品。
 主人公とともに歩んでいるような気持ちにさせられる一冊だった。
 ああ、面白かった。


 続けて、真保裕一の『天魔がゆく空』<講談社>を読み始める。
 細川政元を主人公にした時代小説である。


 17時過ぎに外出し、仕事関係の用件を片づけ、ついでに夕飯用の買い物もすませて、18時台に帰宅した。


 帰宅後、ロジャー・ノリントン指揮チューリッヒ室内管弦楽団が演奏したストラヴィンスキーの『兵士の物語』組曲他<SONY/BMG>を聴きながら、雑件を片づける。
 そういえば、ノリントンとチューリッヒ室内管の来日コンサートが、いずみホールで行われる予定なんだよなあ。
 なんとか聴きに行けないものか…。


 夕飯後、KUSC音源でニコラス・マッギガン指揮ロスアンジェルス・フィルが演奏したモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』序曲、ピアノ協奏曲第22番(イノン・バルナタンの独奏)、『エジプトの王ターモス』から、交響曲第35番「ハフナー」のライヴ録音(2014年8月21日、ハリウッドボウル)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 当ブログの開始から、今日でちょうど10年となりました。
 これもひとえに、ご覧いただいている皆様方のおかげです。
 改めて心より感謝をいたします。
 去り行く人や消え行く物の墓碑として、これからも当ブログを続けていこうと思っております。
 今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月21日

モンテールの洋菓子は本当に美味しいなあ(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはありつつも、概して青空の見えた一日。

 日中はほどよい具合に気温が上昇する。
 が、朝夜はどんどん肌寒さが増している。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 維新の党が結党大会が開催されたと。
 いろいろと考えることあり。


 昨夜、ニューヨーク・フィル音源でロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』&ホルン協奏曲第1番(フィリップ・マイヤーズの独奏)のライヴ録音(2011年10月20日)を、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 ニューヨーク・フィル音源でブラムウェル・トーヴェイ指揮ニューヨーク・フィルが演奏したエルガーの『威風堂々』第1番&スーザの『星条旗よ永遠なれ』のライヴ録音、NHK・FMの『きらクラ!』、ボロディン・カルテット他が演奏したシューベルトの弦楽5重奏曲<TELDEC>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭に関する作業を行ったり、新しい作品について考えたり、北村薫の『八月の六日間』<角川書店>を読み進めたりする。


 17時過ぎに外出して京都芸術センターで用件を片づけたのち、夕飯用の買い物をすませて18時台に帰宅した。


 帰宅後、ソプラノのバーバラ・ボニーがジェフリー・パーソンズのピアノ伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集(一部省略)<TELDEC>を聴きながら、新しい作品について考える。
 よく澄んで伸びのあるボニーの歌声で聴く『水の上にて歌う』は、本当に絶品だ。
 ついつい、繰り返して聴いてしまった。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』で小林研一郎指揮東京フィルのコンサートのライヴ録音(2014年5月10日、文京シビックホール)を聴く。
 清水和音を独奏に迎えたリストのピアノ協奏曲第1番と、ベートーヴェンの交響曲第5番が演奏されていた。
 熱意はよく伝わってくるけれど、という感じ。


 続けて、ニューヨーク・フィル音源でアラン・ギルバート指揮ニューヨーク・フィルが演奏したベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』序曲&交響曲第1番のライヴ録音(2014年1月9日)や、NHKラジオ第1のワクテカ学園サンデーを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『八月の六日間』を読み進めたりする。
 ほかに、坪内祐三の『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』<新潮文庫>の拾い読みもした。


 今日は、モンテールの大人のモンブラン・ちゅら恋紅芋を食す。
 近くのドラッグランドひかりで、半額引き、税込み123円だったもの。
 チョコ地のスポンジケーキの上にホイップクリーム、そして宮古島産の紅芋ペーストによるクリームをのせたモンブランケーキで、紅芋のかすかな食感が残っているのもかえってよろしい。
 実に美味しうございました。
 ごちそうさま!

 それにしても、100円を超えた甘いものを食べると、なあんか後ろめたい感じがしてしまうのだった…。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都学生演劇祭2014 総評

 9月5日の閉会式をもって、2014年度の京都学生演劇祭が無事終了した。
 今回は、前々回前回と異なり観劇レポーターという立場から参加15団体の全上演を拝見することとなったが、例年と同様、バラエティに富んだ作品に大きな刺激を受けるとともに、舞台上の演者陣をはじめとした皆さんの上演にかける真摯な姿勢と熱意に強く心を動かされた。
 まずは、こうした機会を与えてくれた実行委員の皆さん、沢大洋さんはじめサポートスタッフの皆さん、関係者の皆さん、何より参加団体の皆さんに心からお礼を申し上げたい。
 本当にありがとうございます。

 さて、各団体の上演に関してはブロックごとにまとめた個別の感想に譲るとして、ここでは今年度の学生演劇祭に接して感じたところをいくつかまとめて記しておきたい。

 第一に、前々回から今回まで京都学生演劇祭の全上演に接してきて感じたことは、表現意欲が強く、演劇のみならず他ジャンルからの咀嚼吸収にも積極的で、脚本(演出)・演技両面において完成度の高い上位のグループ、評価すべき点も少なくなく、その取り組み方には好感を抱くものの、問題点・課題が散見される中位のグループ、今後のさらなる研鑚努力が期待される下位のグループ、というグループ間の格差が一層明らかになってきたことだ。
 若干の異動はありつつも、審査員の皆さんや観劇レポーターの皆さんの評価にもそうした傾向が顕著に示されているのではないだろうか。

 ただ、だからこそ、京都学生演劇祭の審査基準について再考される必要があるとも、僕は考える。
 特に、同じ観劇レポーターの高間響さんからもすでにSNS上で指摘が行われているように、既存の学生劇団と演劇祭のために結成された団体に関して如何にバランスのとれた審査を行っていくのか、継続して京都学生演劇祭に参加している団体や個人の成長変化への評価をどう担保していくのか、逆に高い評価を得た新規の団体の継続的な活動をどのように促していくのかは、全国学生演劇祭との兼ね合いからも充分に留意すべき点だと思う。

 審査基準と同様に、と、言うよりもそれより先に再考されるべきは、京都学生演劇祭のコンセプトそのものである。
 京都学生演劇祭は、果たして一体誰のために、一体何のために企画され開催されているのだろうか。
 作品の完成度を重視し、その優劣を競うことで学生劇団、ひいては演劇界の底上げを意図するコンペティションとしてか。
 バラエティに富んだ団体参加者を集めることによって、既存の小劇場や映像作品等への即戦力、もしくは未来の戦力を見出す人材発掘の場所としてのショウケースとしてか。
 学園祭的な雰囲気を全面に押し出した、参加団体や実行委員を中心とする、まさしく「祭」としてか。
 むろん、そのいずれか一つに特化するのではなく、それぞれの利点を組み合わせたコンセプト、京都学生演劇祭の主眼主旨を設定することも可能だ。
 しかしながら、これまでの状況を鑑みれば、残念ながら理念理想の提唱に比して明確な意志統一のないままに、京都学生演劇祭の運営は進められてきたと判断せざるをえない。
 参加団体の増加、演劇関係者外への周知、集客の拡大、経済的基盤の安定等、学生演劇祭の長期的な拡大継続を計るにしても、逆に現在の学生演劇祭の自由な雰囲気を維持するにしても、具体的なコンセプトの確立は急務の課題であろう。

 京都学生演劇祭開会直前にSNS上に掲載された、沢大洋さんの顔を中央にあしらったカウントダウンに対して厳しい疑義を呈したことも、上述したコンセプトの問題と密接に関わり合っている。
 もちろん、京都学生演劇祭が沢さんの物心両面での奮闘努力によって継続されてきたことは、今さら駄弁を弄することではない。
 また京都学生演劇祭や全国学生演劇祭の安定した運営を確立するために、オルガナイザーとして沢さんがメディア等で積極的戦略的露出を行うということには、大いに賛成だ。
 けれどそのことと、京都学生演劇祭の情報宣伝の材料として沢さん個人を扱うこととは、やはり問題が全く別である。
 例えば、同じ観劇レポーターの石田1967さんのLINX’Sや高間上皇の高間響国際舞台芸術祭のように、運営面においてもお客様へのエンターテインメント的なサービスとしても徹頭徹尾沢さん個人をアピールし押し出す、出場団体も自らが選択し、経済面でもその大半を沢さんが負担するという、それこそ沢大洋記念学生演劇祭や沢大洋顕彰学生演劇祭であるのならばまだしもだ。
 参加団体から低額とはいえない参加費(今回から増額されたとも聴く)を集めているにもかかわらず、参加団体の意志確認もないままにこうした宣伝活動を行うことには、たとえ実行委員の多数の要望善意から発生したことであったとしても、現在の学生演劇祭の拡大姿勢=公的側面の強化や、沢さんと参加団体との関係性の変化(参加団体の代替わりもあって、以前ほどには沢さん個人と参加者とが密接な関係にあるとは言い切れない)を考えれば、まずもって沢さん自身が躊躇すべきではなかったのか。
 僕にはそう感じられてならない。

 そして、この件は、京都学生演劇祭における沢さんの立ち位置の問題と少なからず関係してくる。
 すでに前回の演劇祭終了後、SNS上で私的に直言したことでもあるけれど、本来は上述した如くオルガナイザー、精神的支柱に徹すべき沢さんが、客観的に観て全く得意とは思えないスタッフワークに介在しなければならない現状は、カリスマ性のある社長自らがお茶を汲んでお客さんに出そうとしたまではよいが、どうにも不器用なためにお茶をこぼして誰にとっても残念、という状況に喩えられるのではないか。
 人材の育成、役割の継承という点も含めて、京都学生演劇祭の運営面での大きな課題であると僕には思われる。
(もう一点。観劇レポーターの人選の経緯に関してはあえてここでは詳述しないものの、審査員やユーストリームでの中継に参加した「先輩」方を含め、そのほとんどが男性で占められていたということにも、僕は違和感を覚えた。諸々の事情が重なった結果であることは承知しているけれど、次回以降の重要な課題の一つとしてここで指摘しておきたい)

 いずれにしても、京都学生演劇祭が拡大路線を貫くのか、現状を維持するのか如何に関わらず、(そのコンセプトに沿って)沢さんと実行委員の皆さんを様々な観点から大きく支え、ときには厳しいチェックも行うブレーン的な存在が必要であるように、僕には考えられる。
 運営方針、運営形態の具体性を欠くままで見切り発車を重ねた結果、沢さん一人が懊悩苦闘するのみならず、実行委員の皆さんや参加団体の皆さんの負担や不満が極限に達し、全国学生演劇祭ばかりか京都学生演劇祭も中途倒れに終わってしまうということだけは、なんとしてでも避けねばなるまい。

 加えて、経済的な事情は充分承知しつつも、演劇祭中の交流スペースの復活も考慮した物質面での場所の確保も含む、活発な意見交換が一層促されるべきであるとも、僕は考える。

 拙文が京都学生演劇祭全般に関する健康的で風通しのよい議論の一助となれば幸いである。
posted by figarok492na at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月20日

僕も保守主義者ということになるなあ(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはあるものの、青空の見えた一日。

 今日も気温は上昇せず、日中でも過ごしやすし。
 朝夜は肌寒さを覚えるほど。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 胡散臭くきな臭い連中が、まるで我が世の春とばかりうごめいて恥じぬ今日この頃だ。
 夜郎自大、忌むべし。


 みんなの党がまたぞろもめている。
 そろそろほとぼりがさめたとでも、熊手男は勘違いしているのだろう。
 厚顔無恥の極みである。


 昨夜、KBS京都でアルコ&ピースのオールナイトニッポンを(途中まで)、RTBF音源でフランツ・ヴェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団が演奏したドヴォルザークの交響曲第6番のライヴ録音(2013年4月、クリーヴランド・セヴェランスホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 午前午後と、WCLV音源でクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第4番&第2番のライヴ録音(?、同)、リカルド・シャイー指揮ベルリン放送交響楽団他が演奏したツェムリンスキーの交響曲第2番他<DECCA>、シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団他が演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』&『プルチネッラ』<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭の総評や『深雪またなん』、『夏美の夏は』の手直しを行ったりする。


 中島岳志の『「リベラル保守」宣言』<新潮社>を読了する。
 非常に読み易く解り易い文章で、中島さんの考え方も実にしっくりときた。
 てか、中島さんの定義からいえば、僕も「保守主義者」ということになるなあ。

 続けて、北村薫の『八月の六日間』<角川書店>を読み始める。

 ほかに、殿山泰司の『JAMJAM日記』<ちくま文庫>の拾い読みもする。
 ベリーグウ!!


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴く。
 今回は「私の試聴室」で、先頃リリースされたニコラウス・アーノンクール指揮コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンが演奏したモーツァルトの三大交響曲の「さわりの部分」が放送されていた。
 アーノンクールの、39番から41番「ジュピター」までの交響曲を一つのドラマとしてとらえる音楽解釈を踏まえた内容で、実に面白かった。


 続けて、WXQR音源でアンドリス・ネルソンス指揮ルツェルン祝祭管弦楽団が演奏したブラームスのセレナード第2番&交響曲第2番のライヴ録音(2014年8月15日、ルツェルン・カルチャー・コングレス・センター・コンサートホール、ルツェルン音楽祭)を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『八月の六日間』を読み進めたりする。


 今日は、モンテールの牛乳と卵の手巻きロール・ミルクを食す。
 近くのドラッグランドひかりで、半額引き、税込み66円だったもの。
 ホイップクリームを挟んだロールケーキ2切れで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月19日

髪を切って、すっきりした(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気となる。

 気温はあまり上昇せず、じめ涼しい一日。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 スコットランドの独立(連合離脱)に関する住民投票は、反対が多数を占め、現状が維持されることとなった。
 ただし、賛成票も45パーセントに及び、反対票との差も約20万票ということで、今度のイギリス政府の対応が注視される。


 昨夜、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
 ナイナイのオールナイトニッポンでは、終了となった昔のコーナーが一夜限りで復活を遂げ、豚汁師匠などかつてのラジオ職人の名前も多数登場し、実に懐かしかった。
 そして、ナイナイ二人のオールナイトも残すところあと1回だ。


 午前中、毎週恒例の洗濯をすませる。
 乾き、あまりよろしからず。
 まあ、仕方ない。


 KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を13時台半ばまで聴き、NRK音源でマルク・スーストロ指揮トロンハイム交響楽団が演奏したフォーレの『ペレアスとメリザンド』組曲、ラヴェルの組曲『クープランの墓』、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、ビゼーの交響曲(2014年9月18日、トロンハイム・オラフスハーレン)、スウェーデン放送音源でスーストロ指揮マルメ交響楽団が演奏したバーバーの弦楽のためのアダージョとルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲(2013年10月31日、マルメ・コンサートホール)のライヴ録音を聴く。
 フランス出身のスーストロにとってトロンハイム響とのコンサートは「お国物」のプログラムで、音楽のツボをよく押さえた演奏になっていた。
 が、これは予想通り。
 現在首席指揮者を務めるマルメ響とのルトスワフスキのシャープな音楽づくりのほうに、僕は驚いた。

 その後、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、リカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団他が演奏したヴェルディの歌劇『エルナーニ』の第4幕(1982年のライヴ録音)を聴く。


 午前午後と、仕事関係の作業を進める。


 川上未映子の『りぼんにお願い』<マガジンハウス>を読了する。
 あとがきに、
>同世代、それからもうちょっと年下の女の子たちにむけて、「なあなあ、今日こんなことあってん」とか「これちょっとどう思う?」というような気持ちで書いてきた<
とあり、やっぱりこれってaikoやんかと思う。
 そうそう、川上未さん(1976年生まれ)とaiko(1975年生まれ)ってほぼ同世代なんやけど、彼女らの語り口は、谷口キヨピーの流れなんやないんかとちょっと思ったりもした。
(上沼恵美子や遥洋子のマシンガンしゃべりに対する、関西のもう一つのおしゃべりの系譜として)
 ああ、面白かった!


 続けて、中島岳志の『「リベラル保守」宣言』<新潮社>を読み始める。


 17時過ぎに外出し、近くのプラージュへ。
 伸びていたのと、気ぶっせいなことが続いたのとで、ささっと髪を短く刈ってもらう。
 ああ、すっきりした。
 で、夕飯用の買い物をすませ、18時過ぎに帰宅した。


 帰宅後、バロック・ヴァイオリンのルーシー・ファン・ダールが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番<NAXOS>を聴いたりしながら、雑件を片づける。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMでヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団の第1788回定期公演の実況中継(NHKホール)を聴く。
 モーツァルトの交響曲第40番とチャイコフスキーの交響曲第5番が演奏されていたが、すぐに、この2曲をカップリングしたギュンター・ヴァント指揮ハンブルクNDR交響楽団のライヴ録音の名盤<RCA>があったことを思い出した。
 ともに、均整のよくとれた演奏だったと思う。
 あと、余った時間でブロムシュテット指揮NHK交響楽団が演奏したチャイコフスキーの組曲第4番「モーツァルティアーナ」から終曲「主題と変奏」のライヴ録音(1990年4月24日、サントリーホール大ホール)も放送されていた。

 続けて、小澤征爾指揮ベルリン・フィルが演奏したチャイコフスキーの交響曲第4番&イタリア奇想曲<ドイツ・グラモフォン>、CTM音源でダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルが演奏した同じくチャイコフスキーの交響曲第5番のライヴ録音(2014年5月1日、ベルリン・フィルハーモニー、ヨーロッパ・コンサート)を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『「リベラル保守」宣言』を読み進めたりする。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 何度でも言うけれど、愚か者を支持し、許容し、黙認する者こそ一番の愚か者だ。
 愚か者にはなりたくない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月18日

川上未映子の『りぼんにお願い』を読み始めた(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはありつつも、青空の見えた一日。
 うろこ雲に、秋の訪れを感じる。

 涼しさがどんどん増している。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 スコットランドの独立に関する住民投票が行われている。
 その結果や如何。
 いろいろと考えることあり。


 TPPの交渉が進んでいるそうだが、朝日新聞をどうこう言うのであれば、それじゃあTPPはどうなのかと訊き返したくなる。
 TPPは国益を損なうものではないのかどうか。


 それにしても、はなからガラクタだらけと思っていたが、安倍内閣のガラクタぶりには本当に呆れかえる。
 言に反して、女性を蔑視する意図でもあるのではないか。


 昨夜、大澤信亮の『新世紀神曲』<新潮社>を読了する。

 その後、RTS音源でピエタリ・インキネン指揮ローザンヌ室内管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第8番、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ニコライ・ルガンスキの独奏)、ラヴェルの組曲『クープランの墓』、バルトークの弦楽のためのディヴェルティメントのライヴ録音(2014年9月16日、ローザンヌ・メトロポールホール)を聴いたりしながら、京都学生演劇祭の総評を書き進める。


 午前午後と、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』、エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第2番<TELDEC>、RTBF音源でトン・コープマン指揮クリ―ヴランド管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第1番&第17番、ハイドンの交響曲第45番「告別」のライヴ録音(2013年5月、クリ―ヴランド・セヴェランスホール)、ウィーン弦楽6重奏団が演奏したドヴォルザークの弦楽6重奏曲<EMI>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭の総評を書き進めたり、殿山泰司の『JAMJAM日記』<ちくま文庫>の拾い読みをしたりする。


 17時台に外出して仕事関係の用件を片づけてから、下京図書館へ。
 『新世紀神曲』、小川糸の『あつあつを召し上がれ』<新潮社>、小田雅久仁の『本にだって雄と雌があります』<同>、小川洋子の『いつも彼らはどこかに』<同>、古井由吉の『鐘の渡り』<同>を返却し、予約しておいた中島岳志の『「リベラル保守」宣言』<同>、川上未映子の『りぼんにお願い』<マガジンハウス>、北村薫の『八月の六日間』<角川書店>、真保裕一の『天魔ゆく空』<講談社>、小川洋子の『ことり』<朝日新聞出版>を新たに借りる。
 ついでに夕飯用の買い物をすませ、18時台に帰宅した。


 夕飯後、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮バーゼル室内管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番&第2番<OEHMS>、RTS音源でダニエル・ハーディング指揮ヴェルビエ・フェスティヴァル室内オーケストラが演奏したベートーヴェンの交響曲第6番「田園」のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『千春日和』を手直ししたりする。


 『りぼんにお願い』を読み始める。
 『Hanako(WEST)』の連載をまとめたものだけど、同性に向けて自分の女性性をバランスよく開いてみせたという感じで、川上未映子の賢しさがよくわかる。
 まるでaikoの歌を聴いているみたい。
 そうそう、京都学生演劇祭の総評にわざと堅苦しい文体を選んでいることもあって、川上未さんのほどよくくだけた調子は「いい薬」だな。
(川上さんっていうと、弘美さんがいるので)


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月17日

朝からかまびすしいわ、夜は丼を落として割るわ(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強いお天気。

 日中も涼しい感じが増してきた。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 こちらの咳込みは、ようやく治まってきた。
 ぶり返しに注意しておかなければ。
 あと、花粉禍か鼻の調子がどうもおかしい。
 やれやれ。


 アメリカ政府が対イスラム国の措置として、イラクへの空爆を行った。
 いろいろと考えることあり。


 天皇皇后両陛下が、来年度の早い時期にパラオ(太平洋戦争中の激戦地)を訪問する方向であることが報じられている。
 いろいろと考えることあり。


 昨夜、シカゴ交響楽団音源でリカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団が演奏したベートーヴェンの序曲『献堂式』、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番(マウリツィオ・ポリーニの独奏)、メンデルスゾーンの序曲『静かな海と幸多い航海』、シューマンの交響曲第3番「ライン」のライヴ録音(2013年4月25日〜27日、シカゴ・オーケストラホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭の総評について考えたりする。


 朝早くから、近所の建築関係の作業が、ガタグタガタグタゴンゴンゴンゴンとかまびすしい。
 ほかにも、かまびすしきことが多し。
 うっとうしいったらありゃしない。


 結局寝直せず、かかりつけの病院へ前倒しで行くことにする。
 で、処方箋をもらい、四条通のスギ薬局で薬を受け取って帰宅した。


 ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』、マルタ・アルゲリッチとアレクサンドル・ラビノヴィチが弾いたブラームスのハイドンの主題による変奏曲&2台のピアノのためのソナタ、ワルツ集<TELDEC>、ボロディン・カルテットが弾いた同じくブラームスの弦楽4重奏曲第1番&第3番、ピアノ5重奏曲(エリソ・ヴィルサラーゼのピアノ)&衒学4重奏曲第2番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭の総評を書き進めたり、大澤信亮の『新世紀神曲』<新潮社>を読み進めたりする。


 夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 夕飯の後片付けをしていて丼を落として割ってしまった上に、かけらを拾っていて右手の中指を軽く切ってしまった。
 なんともかとも。


 夕飯後、ドーマスが演奏したブラームスのピアノ4重奏曲第1番<Virgin>、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルが演奏したシェーンベルク編曲による同じ曲<EMI>、NRK音源でクリスティアン・バスケス指揮スタヴァンゲル交響楽団が演奏したサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」のライヴ録音(2014年9月4日、スタヴァンゲル・コンサートホール)を聴いたりしながら、京都学生演劇祭の総評の手直しを行ったり、『新世紀神曲』を読み進めたりする。
 バスケスとスタヴァンゲル響のサン・サーンスは、過度に陥らない叙情性に秀でた第1楽章の後半部分が聴きものだった。
 ちょっとだらしなく聴こえるところはあったものの。


 今日は、八風堂の黒糖まんじゅうを食す。
 近くのローソンストア100で、50円引きだったもの。
 こしあんを包んだ黒砂糖地の小ぶりな饅頭3個で、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!
(粒あんのほうが断然好きなんだけど、まあ仕方ないや)


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月16日

井原高忠を悼む(CLACLA日記)

 日本テレビの元プロデューサーで、日本のバラエティ番組の基礎を築き上げた井原高忠が亡くなった。85歳。
 1929年、三井家の一門に生まれる。
 学習院の高等科から慶応大学に進学。
 学生時代は、チャックワゴンやワゴンマスターズ(リーダー)と、ウエスタン・バンドのメンバーとして活躍する。
 その後、日本テレビの音楽部に入り、草笛光子を中心としたバラエティ番組『光子の部屋』等のディレクターとしてその才能を発揮する。
 この間、1959年にアメリカを訪れ、番組づくりの骨法を学びもした。
 以降、アメリカの『ダニー・ケイ・ショー』のシステム(複数作家による共作他)を取り入れた、坂本九をメインとする『九ちゃん!』、及び『イチ・ニのキュー!』、サイトギャグを散りばめた『巨泉×前武ゲバゲバ90分』を手掛けたほか、深夜のバラエティワイドショー『11PM』を企画するなど、テレビの草創期から黄金時代を代表するプロデューサーの一人として知られた。
 1980年に日本テレビを退社後は、アメリカに移住した。
 なお、井原高忠に関しては、井原さん自身が著した『元祖テレビ屋大奮戦!』<文藝春秋>と小林信彦の『テレビの黄金時代』<文春文庫>が詳しい。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 そうそう、僕が時折口にする「おたいらに」という言葉は、井原さんの学習院時代からの口癖(『テレビの黄金時代』に記されている)をいただいたものだ。


 世は三連休明け。


 晴天。
 どんよりとした感じもありはしたが、青空の見えるお天気の一日。

 日中は気温が上昇し、いくぶん暑さを感じる。


 咳込みと痰がとれきれない。
 体調自体はほぼ元に戻ってきているのだが。
 やれやれ。


 まもなくスコットランドの独立に関する住民投票が行われる。
 いろいろと考えることあり。
 沖縄の独立などについても。


 昨夜、Radio4音源でヴァレリー・ゲルギエフ指揮ロッテルダム・フィルが演奏したエルガーの『威風堂々』第1番、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲(ソン・ヨルムの独奏)、バルトークの『木製の王子』組曲、プロコフィエフのスキタイ組曲(2014年9月12日、ロッテルダム・デ・ドゥーレン、ゲルギエフ・フェスティヴァル)、ゲルギエフ指揮サンクト・ペテルスブルク・マリンスキー劇場管弦楽団が演奏したファリャの『恋は魔術師』から「火祭りの踊り」、リヒャルト・シュトラウスの『影のない女』による交響的幻想曲、ベルクの『ヴォツェック』から3つの断章(アンゲラ・デノケのソプラノ独唱。2014年9月14日、同)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 午前午後と、ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』、ケラー・カルテットが演奏したチャイコフスキーの弦楽4重奏曲第1番&第2番<ERATO>、Radio4音源でゲルギエフ指揮サンクト・ペテルスブルク・マリンスキー劇場管弦楽団が演奏したショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」&リャードフの交響詩『黙示録から』のライヴ録音(ファリャ等と同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、古井由吉の『鐘の渡り』<新潮社>を読み進めたりする。
 ほかに、殿山泰司の『JAMJAM日記』<ちくま文庫>の拾い読みもした。


 17時過ぎに外出し、仕事関係の予定をすませ、京都芸術センターで用件を片づけ、夕飯用の買い物をして、19時少し前に帰宅した。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、今年の宮崎国際音楽祭から室内楽・器楽・声楽のコンサートのライヴ録音(2014年5月11日、宮崎県立芸術劇場メディキット県民文化センター・演劇ホール)を聴く。
 シェーンベルクの弦楽4重奏曲第2番やシュニトケの作品などが演奏されていた。


 続けて、ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナが演奏したシューベルトの『ロザムンデ』の音楽&交響曲第5番<チャンネル・クラシックス>、シカゴ交響楽団音源でリカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第39番のライヴ録音(2010年9月、10月、シカゴ・オーケストラホール)を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭の総評を書き進めたりする。


 『鐘の渡り』を読了する。
 文章をさまよい歩くといった感じの短篇集で、いつの間にか読み進めてしまっていた。

 続けて、大澤信亮の評論集『新世紀神曲』<新潮社>を読み始める。


 今日は、山崎製パンの「きんつば」を食す。
 近くのグルメシティで、税込み64円に値引きされていたもの。
 粒あんたっぷりで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月15日

敬老の日 お芝居を観に行った(CLACLA日記)

 敬老の日。
 世は三連休の最終日なり。


 青空は見えつつも、どんよりとした感じも増す。
 雨になるのか。

 日中は気温が上昇するも、暑さを強く感じはしなかった。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 だいぶん治まってきたが、咳込みと痰がまだ続く。
 やれやれ。


 昨夜、yle音源でオスモ・ヴァンスカ指揮タピオラ・シンフォニエッタ(エスポー市管弦楽団)が演奏したベートーヴェンの『エグモント』序曲、ピアノ協奏曲第2番(エフゲニ・スドビンの独奏)、交響曲第2番のライヴ録音(2014年9月11日、エスポー市文化センター・タピオラホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ヴァンスカとタピオラ・シンフォニエッタは、ピリオド・スタイルの影響が濃厚な見通しがよくてエネルギッシュで快活な音楽を生み出していた。
 実に聴き心地がよい。
 繊細でクリアなスビドンのソロも、そうした演奏にぴったりだったと思う。


 朝早くから、真向かいのマンションがかまびすしい。
 調べてみると、真向かいのマンションは敷金礼金あわせて25万円にもなることがわかった。
 それでいて、騒音には全く無頓着とは。
 銭ゲバオーナーと無能管理人、非常識な住人に天罰天誅よ下れ!


 午前午後と、Radio4音源でヴァレリー・ゲルギエフ指揮ロッテルダム・フィルが演奏したヤナーチェクの『タラス・ブーリバ』、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(リサ・バティアシュヴィリの独奏)、ミャスコフスキーの交響曲第4番のライヴ録音(2014年9月13日、ロッテルダム・デ・ドゥーレン)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭や『三人姉妹』に関する作業を行ったり、古井由吉の『鐘の渡り』<新潮社>を読み進めたりする。
 ゲルギエフとロッテルダム・フィルのコンサートは、ゲルギエフ・フェスティヴァル中のものだが、なんと言ってもミャスコフスキーの交響曲第4番を聴けたのが大収穫。
 作品の勘所をよく押さえた演奏だった。
 また、プロコフィエフでのバティアシュヴィリの妙技も聴きものだった。


 17時過ぎに外出し、元・立誠小学校へ。
 音楽室で、THE ROB CARLTON 8F『スティング・オペレーション』(村角太洋さん作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!

 開演前終演後、関係各氏と話しをしたり挨拶をしたりする。


 夕飯をすませ、22時過ぎに帰宅した。


 帰宅後、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>を聴いたりしながら、観劇記録の準備投稿を行ったりする。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

THE ROB CARLTON 8F『スティング・オペレーション』

☆THE ROB CARLTON 8F『スティング・オペレーション』

 作・演出:村角太洋
 演出助手:入江拓郎
(2014年9月15日18時開演の回/元・立誠小学校音楽室)


 スティングといえば、どうしてもジョージ・ロイ・ヒル監督の快作を思い出してしまうが、THE ROB CARLTONにとって8回目の本公演となる8F『スティング・オペレーション』(日本語で「おとり捜査」)も、シチュエーションコメディの骨法によく則った快作に仕上がっていた。

 ところはトゥイッケナムホテルのスイートルーム。
 今回のおとり捜査のターゲットは、収賄の疑惑が絶えないアンディ上院議員。
 捜査員たちのシミュレーションも万全、あとは標的のアンディ上院議員の登場を待つだけだ…。
 と、いう具合に物語は進んでいくのだけれど、窮地に追い込まれた人間たちの必死の姿がおかしいのなんの。
 バーバル(言葉の)ギャグに体技のルーティンギャグ、さらにはスラプスティックな展開にちょっとした衒学趣味と笑いの仕掛けがふんだんで、「お約束通り」というか、伏線がすとんすとんと回収されていく様も観ていて実に気持ちがいい。
 THE ROB CARLTONの一連の作品に共通の「お菓子のネタ」やラグビーネタも常連ファンには嬉しいかぎりだし、男の友情がさらりと讃えられるあたりもいつもながら小気味よい。
 まさしく至れり尽せりの内容で、約100分があっと言う間だった。

 おなじみ村角ダイチ、満腹満、ボブ・マーサムに加え、客演の西垣匡基(マゴノテ)、古藤望(同)、伊勢村圭太(夕暮れ社 弱男ユニット)ら演者陣も、大技から小技まできちんきちんと決めつつ、精度の高いアンサンブルを生み出していたのではないか。
 中でも、秘書のスコットを演じた高阪勝之(男肉 du Soleil/kitt)。
 あて書きあて演出の効果ももちろん忘れちゃならないけど、切れる男のちょっとずれたおかしさを見事に演じ切っていて、強く印象に残った。

 しっかりと造り込んだ栗山万葉の美術をはじめ、スタッフワークも作品世界によく沿っていた。

 次回の公演が本当に愉しみだ。
 ああ、面白かった!
posted by figarok492na at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

山口淑子が亡くなった 機智害にはなりたくない(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空で、連休日和が続く。

 日中は気温が上昇し、いくぶん暑さを感じる。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 咳込みや痰が若干残っている。
 まだ本調子ではない。
 やれやれ。


 安倍首相が朝日新聞に対する批判を続けている。
 自らの虚言妄動はどこ吹く風、そのあり様は異様、どころか異常とすら呼びたくなるほどだ。
 どうにも気持ちが悪い。


 女優で歌手、政治家の山口淑子が亡くなった。94歳。
 旧満洲の出身で、戦前戦中は李香麗の名で中国人スタートして満映制作の作品をはじめ数々の映画に出演するとともに、歌手としても活躍する。
 日本の敗戦後、「漢奸」(中国を裏切り日本に協力した中国人)として裁かれかかったが、日本人であることがあり帰国することとなる。
 帰国後は、山口淑子の名で芸能活動を再開し、谷口千吉監督の『暁の脱走』や黒澤明監督の『醜聞』(彼女の「君よ知るや南の国」が聴ける)等に出演した。
 一時引退後、『3時のあなた』の司会者としてカムバック。
 また、本名の大鷹淑子の名で参議院議員を務めた。
(自民党に所属していたが、リベラルな姿勢を示していた)
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 昨夜、WGBH音源でシャルル・デュトワ指揮ボストン交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」&マーラーの交響曲第5番(2014年4月19日、ボストン・シンフォニーホール)、シカゴ交響楽団音源でマイケル・ティルソン・トーマス指揮シカゴ交響楽団が演奏したマーラーの交響曲第9番(2013年11月、シカゴ・オーケストラホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 デュトワとボストン響の演奏は、「プラハ」ばかりでなくマーラーの交響曲にも嬉遊性を強く感じる。
 一方、マイケル・ティルソン・トーマスのマーラーは、シカゴ交響楽団の力量の高さが加わり、実に聴き応えのある演奏に仕上がっていた。


 午前午後と、CTM音源でユーリ・テミルカーノフ指揮スイス・ロマンド管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第2番のライヴ録音(2013年11月20日、ジュネーヴ・ヴィクトリアホール)、NHK・FMの『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、小川洋子の『いつも彼らはどこかに』<新潮社>を読み進めたりする。
 いつもの如く『きらクラ!』は、ふかわりょうと遠藤真理のおしゃべりのコンビネーションがいい。
 この二人には、できるだけ長く番組を続けて欲しい。


 アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディ他<PHILIPS>を聴いて、CDレビューをアップする。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。


 17時台に外出し、京都芸術センターで用件を片づける。
 ついでに、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第50番&第64番<ソニークラシカル>を聴いたりしながら、雑件を片づける。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』で、尾高忠明指揮東京フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番のライヴ録音(2014年4月17日、東京オペラシティ・コンサートホール)他を聴く。
 ゆったりとしたテンポの非常にオーソドックスなブラームスの交響曲第1番だった。


 続けて、ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第65番<同>、NHKラジオ第1のワクテカ・ラジオ学園サンデー、ARD音源でジョン・エリオット・ガーディナー指揮ロンドン交響楽団が演奏したメンデルスゾーンの序曲『静かな海と楽しい航海』、シューマンのチェロ協奏曲(ゴーティエ・カプソンの独奏)、メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」のライヴ録音(2014年9月6日、ボン・ベートーヴェンハレ)を聴く。
 ガーディナーとロンドン交響楽団の演奏は、ボンのベートーヴェン・フェスティヴァルにおける録音だが、ピリオド・スタイルがしっかり決まっている上にオーケストラも達者で非常に聴き心地がよい。
 ゴーティエ・カプソンの若々しいチェロも聴きものだった。


 夕飯後、仕事関係の作業を進める。


 『いつも彼らはどこかに』を読了する。
 『断食蝸牛』の淡々としていて、しかし鮮明な無自覚の悪意の描写!
 ああ、面白かった!

 続けて、古井由吉の『鐘の渡り』<新潮社>を読み始める。
 こちらも読みがいがありそう。

 ほかに、殿山泰司の『JAMJAM日記』<ちくま文庫>の拾い読みもした。
 いつものことながら、ヒクヒクと面白い。ヒヒヒヒ。


 今日も、ロピアのプチティラミスを食す。
 近くのドラッグランドひかりで、半額引き、税込み66円だったもの。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 機智害を支持し、黙認し、許容する者こそ一番の機智害である。
 機智害にはなりたくない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他

☆シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディ他

 ピアノ独奏:アルフレッド・ブレンデル
(1987年12月、オーベルプファルツ・ノイマルクト/デジタル・セッション録音)
<PHILIPS>422 229-2


 7年ぶりになるか、先日、昔親しくしていた女友達と会った。
 4歳になるお嬢ちゃんもいっしょで、1時間ほどだが、お互いの近況についてあれこれ話をすることができた。
 時は止まらない、だから君は美しい。
 という言葉を、ふと思いついた。

 帰りがけ、このCDを手に入れた。
 1987年12月の録音だが、それから1年近くが経った1988年10月11日(まだ昭和だ!)、大阪のザ・シンフォニーホールでピアノ・ソナタ第20番をメインにしたブレンデルのピアノ・リサイタルを聴いた。
 たぶんこのCDのリリースと絡ませたプログラミングだったのだろう。
 アンコールは、確かハンガリー風のメロディではなかったか。
 大学に入り立ての僕は、同じ専攻の女性を誘ってこのリサイタルを聴きに行った。
 恋心までは到ってないものの、当然シンパシーを抱いていたはずで、第20番の終楽章のはにかみながら希望を語っているような旋律の心地よさが今も忘れられない。
 結局、彼女とはそこそこの距離感のままに終わってしまったのだけれど、だからこそほどよい記憶が残っているのかもしれない。

 こうやって改めてCDで聴いてみると、ブレンデルの演奏に不満を述べることは容易だ。
 丹念なアナリーゼに裏打ちされた深い読み込みの演奏であることに間違いはないが、それがかえって音楽の激しい心の動きに結び付かないもどかしさを与えていることも否定できまい。
 それに、細部のたどたどしさ。
 訥弁には訥弁のよさがあるとはいえ、シューベルトの音楽の持つ歌唱性の魅力を若干そいでしまっていることも事実だ。
 それでも、同じ旋律を引用したハンガリー風のディヴェルティメントの第3楽章を意識しているのだろうか、早めのテンポをとったハンガリー風のメロディの過度に陥らない叙情性には、強く心を魅かれるが。
 ほかに、16のドイツ舞曲とアレグレットが収められている。

 いずれにしても、やはり時は止まらないからこそ美しいのだと思う。
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2014年09月13日

まだまだ彼岸には旅立てませんな…(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 気温はそれほど上昇しなかったものの、陽光の分、暑さを感じる。
 夕方以降はめっきり涼しくなるも。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 まだ咳込みと痰が続く。
 花粉禍も入っているのか。
 どうにもうっとうしい。


 北九州の特定危険指定暴力団工藤会に対して、日本ばかりかアメリカまでが厳しい措置を行っている。
 工藤会といえば、1999年の下関市長選に絡んで安倍首相との関係が取り沙汰された団体だが。
 いろいろと考えることあり。


 国益どうこうと人様をとやかく言うのは勝手だけれど、自分がやっていることはそれこそ国益に適っているのかどうか。
 嘘つきペテン師の類いにはだまされたくないものだ。


 昨夜、シカゴ交響楽団音源でクリストフ・エッシェンバッハ指揮シカゴ交響楽団が演奏したベートーヴェンの『エグモント』序曲(2013年12月、シカゴ・オーケストラホール)、ベルナルト・ハイティンク指揮シカゴ交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(2013年10月、11月、同)、Radio4音源でハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したブルックナーの交響曲第9番(1981年10月10日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 朝早くから、真向かいのマンションあたりがかまびすしい。
 近所迷惑の極み。
 非常識な人間は、本当に困りものである。


 午前午後と、Radio4音源でハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したシューマンのピアノ協奏曲とブルックナーの交響曲第9番のライヴ録音(2009年3月4日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディ他<PHILIPS>、シカゴ交響楽団音源でエッシェンバッハ指揮シカゴ交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第9番のライヴ録音(ベートーヴェンと同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、小川洋子の『いつも彼らはどこかに』<新潮社>を読み進めたりする。
 小川洋子の小説は、本当にしっくりくる。
 面白し面白し。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、WGBH音源でエッシェンバッハがボストン交響楽団を弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第12番のライヴ録音(2014年1月18日、ボストン・シンフォニーホール)を聴く。
 滋味あふれるというと陳腐かもしれないけれど、音楽の魅力に満ち満ちた素晴らしい演奏。
 その美しさに心魅かれた。


 NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴く。
 今回は、「モーツァルトのマーチ、トルコ風音楽」と題して、モーツァルトの行進曲風の作品やトルコに影響を受けた作品、そのもととなったトルコの軍楽隊のマーチ、さらにはトルコのクラシック音楽の作曲家による作品などが放送されていた。
 ああ、面白かった!


 続けて、WGBH音源でエッシェンバッハ指揮ボストン交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第9番のライヴ録音(モーツァルトと同)を聴く。
 昨夜来、結局4回ブルックナーの交響曲第9番を聴いたことになるが、演奏どうこう以前に改めてこの曲の魅力を知る思いがした。
 中でも、終楽章の最終盤の彼岸的な美しさ。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『いつも彼らはどこかに』を読み進めたりする。


 今日は、ロピアのプチティラミスを食す。
 近くのドラッグランドひかりで、半額引き、税込み66円だったもの。
 ティラミス風のカップムースケーキで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 夜になって、明らかに真向かいのマンションがかまびすしい。
 住人、管理人、銭ゲバオーナー、その三者の罪である。
 天罰天誅よ下れ!
 って、こんな風では、まだまだ彼岸には旅立てませんな…。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月12日

無自覚なコンフォルミスムほど卑しいものはないと思う(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、若干どんよりとした感じのするお天気。

 気温は下がり、涼しい感じが増す。
 寒暖の差が激しくなっているので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 咳込みと痰がなおも続く。
 だいぶん治まってはきたが。
 もう少しの辛抱か。


 東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所事故に対する吉田昌郎所長の調書に関する報道に誤りがあったとして、朝日新聞が5月20日付朝刊の記事を取り消し、謝罪した。
(加えて、従軍慰安婦問題に関する記事に関しても謝罪した)
 誤りは当然改めてしかるべきものだし、朝日新聞の報道姿勢についても常々疑問を抱いてきた。
 ただ、このところの他紙(特に読売・産経)や週刊誌、さらには安倍首相らまでがここぞとばかり朝日新聞への非難攻撃を強めている状態には、正直言って気持ちの悪さを感じる。
 自分たちにとって都合の悪い存在を叩いておこうという意識丸出しというか。
 いずれにしても、尻馬に乗るような真似だけはしたくない。


 昨夜、シカゴ交響楽団音源でニコラス・マッギガン指揮シカゴ交響楽団が演奏したヘンデルの合奏協奏曲ト短調作品番号6−1、ヨハン・クリスティアン・バッハのシンフォニアト短調作品番号6−6、ハイドンの交響曲第100番ト長調「軍隊」のライヴ録音(204年2月、シカゴ・オーケストラホール)、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 シカゴ交響楽団は、やっぱりピリオド・スタイルにはなじんでいない。
 似合わぬことはすっぱりやめてしまったほうがいいのでは、とすら思う。


 午前午後、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』、シカゴ交響楽団音源でマーク・エルダー指揮シカゴ交響楽団が演奏したドヴォルザークの交響詩『水の精』&シベリウスの交響曲第1番(2013年2月、同)、レナード・スラットキン指揮シカゴ交響楽団が演奏したバーバーの序曲『悪口学校』、ガーシュウィンのパリのアメリカ人、ピストンの交響曲第6番(2014年4月、同)のライヴ録音、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、パリ・オペラ座・ガルニエ宮におけるグルックの歌劇『アルチェステ』公演のライヴ録音(2013年9月28日、マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル・グルノーブル他)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 『アルチェステ』は、タイトルロールを歌ったメゾ・ソプラノのソフィー・コッシュの美しい歌声やミンコフスキのメリハリのきいた音楽づくりもあって、実に聴き応えがあった。


 小田雅久仁の『本にだって雄と雌があります』<新潮社>を読了する。
 あれやこれやが詰まりに詰まった上に心も強く動かされて、読んでよかったと心から思える一冊だった。
 ああ、面白かった!


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ヤニク=ネゼ・セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団の来日コンサートのライヴ録音(2014年6月3日、サントリーホール大ホール)を聴く。
 モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」とマーラーの交響曲第1番「巨人」、レオポルド・ストコフスキーの編曲によるヨハン・セバスティアン・バッハの小フーガト短調が演奏されていた。


 続けて、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディ他<PHILIPS>、WGBH音源でベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団が演奏したスタッキー編曲によるパーセルのメアリー女王のための葬送音楽、シューマンのピアノ協奏曲(マレイ・ペライアの独奏)、ブラームスの交響曲第4番のライヴ録音(2014年2月8日、ボストン・シンフォニーホール)を聴く。
 ハイティンクとボストン交響楽団は、この第4番を含むブラームスの交響曲全集をPHILIPSレーベルにセッション録音していた。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、小川洋子の『いつも彼らはどこかに』<新潮社>を読み始めたりする。
 小田さんや小川さんの作品がしっくりくるのは、その文章に彫琢のあとが見えてくるような気がするからかもしれない。
 そして、自分自身を省みる。


 今日は、ふんわりケーキ・ティラミスを食す。
 寺町の業務スーパーで、税込み73円だったベトナム原産のもの。
 マーガリンクリームの入ったコーヒー風味のスポンジケーキ。
 ごちそうさま!


 無自覚なコンフォルミスムほど卑しいものはないと思う。
 自省あるのみ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月11日

9・11から13年 肺と気管支を洗浄したい(CLACLA日記)

 雨。
 青空が見えたと思ったら、またも強い雨。
 そしてようやく青空へ。

 気温は下がり、涼しい感じが増す。
 秋の訪れを強く感じる。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 体調、まだ本調子にはあらず。
 咳込みと痰が続く。
 気管支や肺を取り出して洗浄したい。
 そして、身体もがちがち。
 食欲の回復が救いだ。
 やれやれ。


 非常識な人間に悩まされる今日この頃。
 うっとうしいや!


 アメリカの同時テロから13年が経った。
 そんな折も折、イスラム国打倒のためアメリカ政府がシリア空爆を準備していると。
 一度始めれば泥沼にはまるということにどうして気がつかないのか。
 なんともかとも。


 昨夜、シカゴ交響楽団音源でトゥガン・ソヒエフ指揮シカゴ交響楽団が演奏したボロディンの交響詩『中央アジアの草原にて』&チャイコフスキーの交響曲第4番(2013年3月、シカゴ・オーケストラホール)、WGBH音源でシャルル・デュトワ指揮ボストン交響楽団が演奏したグリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲&ベルリオーズの幻想交響曲(2014年4月26日、ボストン・シンフォニーホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ソヒエフにとってシカゴ交響楽団デビューとなるコンサートでは、チャイコフスキー、特に終楽章での追い込みが強く印象に残った。
 一方、デュトワとボストン交響楽団では十八番の幻想交響曲が見事だった。
 デュトワの音楽づくりとボストン響の技量の高さが巧く噛み合って、とても優美で、なおかつ劇的な演奏に仕上がっていた。
 中でも、第2楽章の美しさ、儚さには涙が出そうになった(泣かないけど)。


 午前午後と、ABCの『桑原征平粋も甘いも木曜日』、KDFC音源でマイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団が演奏したベルリオーズの幻想交響曲のライヴ録音(1996年。音質もあってか、デュトワ&ボストン響のようには心が動かない。全く動かない)、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディ他<PHILIPS>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、小田雅久仁の『本にだって雄と雌があります』<新潮社>を読み進めたりする。
 『本にだって雄と雌があります』は、ファンタジーのスタイルをとった、この国の「クロニクル」ともなっている。
 とても、面白い。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで室内楽コンサートのライヴ録音を聴く。

 続けて、ブレンデルのシューベルト、シカゴ交響楽団音源でセミョン・ビシュコフ指揮シカゴ交響楽団が演奏したウォルトンの交響曲第1番のライヴ録音(2013年10月、シカゴ・オーケストラホール)を聴く。
 ビシュコフのウォルトンは、シカゴ交響楽団の妙技もあって実に聴き応えがあった。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『本にだって雄と雌があります』を読み進めたりする。


 今日は、オイシスの北海道ミルクエクレアを食す。
 壬生のローソンストア100で、50円引きだったもの。
 ホイップクリームがたっぷり挟まれたエクレアで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月10日

ゆっくり休めということか(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、どんよりとした感じが増す。
 そして、夜になって雨が降り始める。

 気温は上昇し、いくぶん暑さを感じる。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 自分自身の体調は、未だ芳しからず。
 食欲は戻って来たものの、咳込みがあったり頭が重かったりと本調子には程遠い。
 ゆっくり休めということと考え、無理をしないことにする。


 九州電力の川内原発の再稼働が着々と進められている。
 安倍首相の「大丈夫」という言葉通りか。
 なんともかとも。


 胡散臭くきな臭い状況が続く。


 昨夜、Radio4音源でベルナルト・ハイティンク指揮オランダ放送フィルが演奏したマーラーの交響曲第4番(アン・シュヴァネヴィルムスのソプラノ独唱。2014年9月6日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮ロッテルダム・フィルが演奏したプロコフィエフの『賭博者』からの4つの描写と終結&交響曲第4番[改訂版](2003年9月9日、ロッテルダム・デ・ドゥーレン)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ハイティンクとオランダ放送フィルによるマーラーの交響曲第4番は、ようやく音が出るようになった。
 じっくり丁寧に描き込み歌い込んだ演奏だ。


 午前午後と、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』、シカゴ交響楽団音源でヴァレリー・ペトレンコ指揮シカゴ交響楽団が演奏したエルガーの序曲『コケイン』&ショスタコーヴィチの交響曲第10番(2012年12月、シカゴ・オーケストラホール)、WGBH音源でアンドリス・ポーガ指揮ボストン交響楽団が演奏したワーグナーの歌劇『リエンツィ』序曲&ショスタコーヴィチの交響曲第15番(2014年1月25日、ボストン・シンフォニーホール)のライヴ録音、ウラディーミル・アシュケナージさん指揮ロイヤル・フィルが演奏したショスタコーヴィチの交響曲第6番から第2、第3楽章<DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、小田雅久仁の『本にだって雄と雌があります』<新潮社>を読み進めたりする。
 『本にだって雄と雌があります』は、まさしく「戯作調」の作品だ。
 そして、ブッキッシュな作品でもある。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
 ついでに、近くのグルメシティで週刊文春の小林信彦の連載を立ち読みする。
 今回は、最近DVD化された芦川いずみ主演、中平康監督の『結婚相談』について語られていた。
 それほど魅力的な作品というわけでもなさそうだが、だからこそ気になったりもする。
(前回は、先頃亡くなった曽根中生監督との記憶が綴られていた)


 途中夕飯を挟み、NHK・FMでヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団の第1787回定期公演の実況中継(サントリーホール大ホール)を聴く。
 モーツァルトの交響曲第39番とチャイコフスキーの交響曲第4番が演奏されていたが、いつも如くブロムシュテットの音楽づくりは若々しくエネルギッシュだ。
 チャイコフスキーでは、歌わせるところはしっかり歌わせてもいたが。
 あと、余った時間で、同じくブロムシュテット指揮NHK交響楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番から第1、第3、第4楽章も放送されていた。
 こちらは、1986年10月8日のNHKホールにおける第1001回定期公演のライヴ録音だが、当時のN響の演奏水準もあってか、角が立つというか、いくぶん力任せな感じがしないでもなかった。


 続けて、Radio4音源でヴァレリー・ゲルギエフ指揮ロッテルダム・フィルが演奏したストラヴィンスキーの3楽章の交響曲(2013年9月6日、ロッテルダム・デ・ドゥーレン)と、WGBH音源でマンフレート・ホーネック指揮ボストン交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(2014年2月22日、ボストン・シンフォニーホール)のライヴ録音を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『本にだって雄と雌があります』を読み進めたりする。


 今日も、ヨーグルトを食す。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月09日

養生中(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 気温は少し上昇したか。
 暑さを厳しく感じることはなかったが。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 自分自身の体調は、未だ芳しからず。
 薬の服用をやめたせいか、身体が重だるし。
 養生に努める。


 昭和天皇の生涯を記した『昭和天皇実録』の内容が公表された。
 『百武三郎日記』(百武三郎は、二・二六事件で負傷した鈴木貫太郎の後を受けて侍従長に就任した海軍の予備役大将)等、これまで存在が知られなかった資料も使用されているそうだ。
 それらの資料の公開予定はないとのことだが、ぜひ詳細を知りたい。


 昨夜、スウェーデン放送音源でアンドリュー・マンゼ指揮ヘルシングボリ交響楽団が演奏したベルリオーズの序曲『宗教裁判官』&シベリウスの交響曲第2番(2012年6月12日、ヘルシングボリ・コンサートホール)、ブラームスの交響曲第3番&第1番(2014年5月15日、同)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 マンゼとヘルシングボリ交響楽団は、ピリオド・スタイルを援用したスピーディーでクリアな演奏。
 オーケストラの弱さを感じるものの、聴き心地は悪くない。


 体調もあって、少しずつ休みをとりながら、仕事関係の作業を進める。
 そろそろ創作活動を再開しないといけないが。


 Radio4音源でベルナルト・ハイティンク指揮オランダ放送フィルが演奏したワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』から第1幕への前奏曲と愛の死、ベルクの初期の7つの歌曲(ソプラノのアン・シュヴァネヴィルムスの独唱。2014年9月6日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)、シカゴ交響楽団音源でマーク・エルダー指揮シカゴ交響楽団が演奏したドヴォルザークの交響詩『金の紡ぎ車』とショスタコーヴィチの交響曲第1番(2012年11月、12月、シカゴ・オーケストラホール)のライヴ録音、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他<PHILIPS>などを聴く。
 データの不良か、ハイティンクとオランダ放送フィルの録音では、メインのマーラーの交響曲第4番の音が出ず、非常に残念。
 ブレンデルのシューベルト集では、ハンガリー風のメロディだけもう一度聴き、同じメロディを引用したハンガリー風のディヴェルティメントから第3楽章を、フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーとアレクセイ・リュビモフの演奏<TELDEC>で聴いた。


 小川糸の『あつあつを召し上がれ』<新潮社>を読了する。
 ううん、ハートウォーミングな連作集ってまとめられるんだろうけど。
 なあんか、しっくりこないんだよなあ。
 薄っぺらいというか、底が浅いというか。
 あと、無自覚の悪意というか、鈍さも感じたりして。
 たぶん、この作家の作品は、何か事情がないかぎりはもう読まないと思う。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
 一人暮らしゆえ、出かけざるをえず。


 夕飯の際、ヨーグルトを食す。
 アドバイスを受けてのもので、気持ちもあってか食が少しだけ進んだ。
 美味しいラザニアが食べたい。


 夕飯後、ブレンデルのシューベルト、KDFC音源でマリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(内田光子の独奏)&ショスタコーヴィチの交響曲第5番のライヴ録音(2014年5月17日、ニューヨーク・カーネギーホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、小田雅久仁の『本にだって雄と雌があります』を読み始めたりする。
 『本にだって雄と雌があります』は、しっくりきそうな始まりだ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月08日

名月の夜 味覚がおかしい(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 買い物の帰りがけ、まだ暮れ切らぬ空に大きな月を観た。
 美しい月だった。


 気温はそこそこ上昇したものの、涼しい風が吹いて、しのぎやすし。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 体調、未だ芳しからず。
 薬でしのいでいる状態。


 昨夜、RTVE音源でアンドリス・ネルソンス指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第4番(2013年12月21日、ベルリン・フィルハーモニー)と、ウラディーミル・アシュケナージさん指揮スイス・イタリア管弦楽団が演奏したストラヴィンスキーの『プルチネッラ』組曲&『カルタ遊び』組曲(2013年12月5日、ルガーノ)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ネルソンスのブラームスは、たっぷりと鳴らしたっぷりと歌わせるオーソドックスな演奏。
 アシュケナージさんのストラヴィンスキーは、ちょっとだらしない感じがして曲調に合っていない。


 午前午後と、WGBH音源でネルソンス指揮ボストン交響楽団が演奏したワーグナーのジークフリート牧歌、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番(ポール・ルイスの独奏)、ブラームスの交響曲第3番のライヴ録音(2013年10月19日、ボストン・シンフォニーホール)、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディ他<PHILIPS>(2回)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 夕方になって外出し、下京図書館へ。
 川上弘美の『晴れたり曇ったり』<講談社>、小和田哲男の『戦国史を歩んだ道』<ミネルヴァ書房>、荻原浩の『月の上の観覧車』<新潮社>、吉田修一の『愛に乱暴』<同>、東直子の『キオスクのキリオ』<筑摩書房>を返却し、予約しておいた小川糸の『あつあつを召し上がれ』<新潮社>、小田雅久仁の『本にだって雄と雌があります』<同>、小川洋子の『いつも彼らはどこかに』<同>、古井由吉の『鐘の渡り』<同>、大澤信亮の『新世紀神曲』<同>を新たに借りる。
 貸出期限ぎりぎりだったため、足を運ばざるをえず。

 ついでに、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 体調に加え、薬の反動のせいもあってか、味覚がだいぶんおかしくなっている。
 甘さはまだしも、塩気、化学調味料系統が全く駄目で、ほとんど残してしまう。
 一人暮らしが面倒なのはこういうときで、改めて買い物に出かけるのが本当に億劫だ。


 夕飯後、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ルートヴィヒ・チェンバー・プレイヤーズのコンサートのライヴ録音(2014年4月28日、めぐろパーシモンホール)を聴きながらうとうととする。
 ルートヴィヒ・チェンバー・プレイヤーズは、日本の若手演奏家とシュトゥットガルト放送交響楽団メンバーによる室内楽アンサンブル。
 ニールセンの5重奏曲「かいなきセレナード」やベートーヴェンの7重奏曲が演奏されていた。


 Radio4音源でズビグネフ・クラカ指揮シンフォニエッタ・リガが演奏したモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』序曲と『フィガロの結婚』序曲、セレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」、交響曲第41番「ジュピター」のライヴ録音(2014年2月15日、リガ・グレート・ギルドホール)を聴く。
 そもそもネット音源は音質に問題があるのだけれど、これはそれに輪をかけて音質がよくない。


 仕事関係の作業を進める。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月07日

熱はひいているが…(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空へ。

 気温は上昇しているものの、湿度が低い分、過ごしやすし。
 寒暖の差が激しいため、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 人様の前に、まず自分。
 薬のおかげで熱はひいているが、咳込みが断続的に続く。
 しばらく養生しておかなければ。


 午前中に起きて、KDFC音源でマイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第7番、ヴァイオリンのアレクサンダー・バラントシック率いるサンフランシスコ交響楽団が演奏したモーツァルトのディヴェルティメントK.136&セレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」のライヴ録音、NHK・FMの『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 マイケル・ティルソン・トーマスが指揮したブルックナーは、少し前にレビューをアップしたサイモン・ラトル指揮バーミンガム・シティ交響楽団のCD<EMI>に通じる、スピーディーでクリアな演奏。
 バラントシックのモーツァルトでは、セレナードの終楽章での音楽的な遊びが実に面白かった。
 会場も大いにわく。


 16時過ぎに外出し、人間座スタジオへ。
 てんこもり堂の第6回本公演『つゆのまぼろし』(ふじもとたかしさん作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 開演前終演後、ふじもとさんに一人アフタートークを行った旧知のハラショー、出演者の松田裕一郎さんをはじめ、関係各氏と話しをしたり挨拶をしたりする。


 バラシと打ち上げに誘われたのだが、体調のことも考えてお断りし、途中で夕飯をすませ、21時過ぎに帰宅した。


 帰宅後、Radio4音源でマレク・ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団が演奏したサン・サーンスの交響曲第2番とビゼーの交響曲第1番のライヴ録音(2014年3月8日、ベルリン・フィルハーモニー)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、観劇記録の準備を行ったりする。
 ヤノフスキのサン・サーンスとビゼーは、若干重たさを感じなくもないが折り目のしっかりとした演奏だった。


 今日は、甘いものは食さず。
 その代わり、ビタミンCののど飴をなめる。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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てんこもり堂 第6回本公演『つゆのまぼろし』

☆てんこもり堂 第6回本公演『つゆのまぼろし』

 作・演出:ふじもとたかし
(2014年9月7日17時半開演の回/人間座スタジオ)

*劇団からのご招待


 てんこもり堂にとって6回目の本公演で、ふじもとたかしにとっては初の長尺戯曲となる『つゆのまぼろし』を観た。

 一見、小津安二郎を代表とする松竹大船調のホームドラマと思わせておいて、ところどころに東宝風の邪劇をぶちこむなど、様々な演劇的仕掛けを使いながら、出産や亡き父親との関係、社会人が演劇を続けることといった、造り手が直面している問題をストレートに表現した、「私戯曲」性の非常に強い作品だった。
 タイトルそのものもそうだし、冒頭の『8時だョ!全員集合』の集合音楽からして藤本さんの意図はよくわかったし、しっとりした部分にはしっとりした部分のよさ(中嶋やすきの味わい)、邪劇的な部分には邪劇的な部分のおかしさ(松田裕一郎のトリックスターぶりと、べってぃ渡邉裕史の「フラ」)があった。
 また、家族どうしの感情や隣人との関係性の表現にも、ふじもとさんらしい細やかさと目配りを感じることもできた。
 パートパートのつながりや流れ、言葉の選択等に対する彫琢がより増せば、一層密度の濃い作品世界が生み出されるものと思う。
 ふじもとさんの今後のさらなる変化が愉しみである。

 演者陣では、娘役の飯坂美鶴妃の奮闘に大きな拍手を贈りたい。
 ほかに、新田あけみ(難しい役回り)、金乃梨子も出演。

 あと、ギター一本の生演奏による津久井道夫の音楽が実に効果的だった。

 そして、終演後には、三遊亭圓丈の色物弟子で放送作家のハラショーによって、一人アフタートーク、というか漫談『アンケートの書き方』が披露されていたのだけれど、これはもう、ハラショー流のくすぐりも見事に決まって大いに笑わせてもらった。
 ああ、面白かった!
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2014年09月06日

風邪でダウンする(CLACLA日記)

 雨降りの一日。
 よく降る。

 気温は下がるも、湿度が高い分、じめじめとしてあまり快ならず。


 風邪をひく。
 喉の激しい腫れと高熱、頭痛に悩まされる。


 昨夜帰宅後、体調は芳しくなかったが、WGBH音源でトーマス・アデス指揮ボストン交響楽団が演奏したアイヴズのオーケストラ・セット第2番、アデスの自作、フランクの交響曲のライヴ録音(2013年10月12日、ボストン・シンフォニーホール)を聴いたりしながら、京都学生演劇祭・中瀬宏之の極私的な賞をアップする。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。


 熱のせいで何度か目を醒まし、すぐに眠り直しという感じで、結局13時過ぎになって起きる。


 身体はきつかったが、一人暮らしの身の上ゆえ仕方がない。
 外出し、近くの薬局で市販の風邪薬を購入し、ついでに買い物をすませ帰宅した。


 帰宅後、軽い食事をすませて薬を服用し、寝直す。


 夕方になって、少し体調は落ち着いたか。
 それでも、身体は重だるいし、咳っぽい感じもするが。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都学生演劇祭2014 中瀬宏之の極私的な賞

☆京都学生演劇祭2014 中瀬宏之の極私的な賞


 今年度の京都学生演劇祭が、今夜無事終了した。
 まずは、実行委員の皆さん、沢大洋さんをはじめとしたサポートスタッフの皆さん、審査員並びに観劇レポーターの皆さん、その他関係者の皆さん、そして参加全団体の皆さん、本当にお疲れ様でした。
 今回、初めて設けられた観劇レポーターという立場で参加15団体の全上演を拝見しましたが、その上演作品にかける真摯な姿勢と熱意に心を強く動かされるとともに、同じ表現活動に携わる人間として大きな刺激をうけることができました。
 この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。
 すでに京都学生演劇祭賞として劇団西一風、審査員特別賞としてコントユニット左京区ダバダバの二団体が選ばれ、さらに審査員特別賞も発表されているにも関わらず、こうして極私的な賞を推薦することはおこがましさを感じてしまうのですが、参加者の皆さんの今後の活動の一助となればとも思い、ここに発表させていただきます。
 なお、技術面精神面等での詳細な評価は松原利巳さん、橋本裕介さん、柳沼昭徳さんという全幅の信頼のおける審査員の皆さんにお任せして、この賞は、あくまでも自分自身の受けた印象と心の動きを元に推薦しております。
 その点、ご了解ください。
 また、推薦に際してのコメントの有無に他意はありません。
 詳細をお知りになりたいという方はお気軽に中瀬のほうまでご連絡ください。


 1席(1団体)
 *最優秀作品賞:劇団西一風『いちごパンツを撃鉄に』
 脚本、演出、演者陣の演技ともに圧倒的な精度を持った内容でした。
 圧巻脱帽です。
 作演出の岡本昌也君、並びに西一風の面々のさらなる活躍を愉しみにしています。


 2席(3団体)
 *最優秀ステージ賞:ルサンチカ『星の王子さま』
 演出・演者陣・スタッフの能力と表現意欲の高さが如実に示された上演でした。
 京都学生演劇祭のルールについて問題提起をしたという点への評価とともに、その問題点を指摘するという意味でも、あえてステージ賞に推薦します。
 次回の本公演が待ち遠しいです。

 *最優秀脚本兼演出家賞:劇団ACT『めまい』(一人静君)
 組織集団社会の持つ悪意等を、今現在慣れ親しまれている演劇的手法を積極的に取り込みながら表現した意欲作で、大いに好感を覚えました。
 より丁寧に書き込まれた長尺の作品にぜひとも接したいです。

 *同:コントユニット左京区ダバダバ『ゴリラ殺人事件』(寺岡慎一郎君、谷畑仁君)
 駄弁を弄する必要なし。
 みうらじゅんも大喜びすること間違いなしの、くっだらなそうで、その実一筋縄ではいかない充実した作品。
 演者陣も魅力たっぷりで、ほんと大好きだなあ!


 *優秀作品賞:ウトイペンコ『タイヤキ』
 *同:ヲサガリ『転校生13号』
 *同:スーパーマツモト『2丁目5番地どんどん軒』

 *優秀脚本賞:ヒラタユミ
(ナマモノなのでお早くお召し上がりください。『書くという病』)
 正直、舞台そのものには厳しさを感じもしたのですが、第2回、第3回に続くヒラタさんの表現内容の変化と表現意欲の強さに関して評価するとともに、さらなる研鑚を願う意味で推薦します。


 *最優秀アンサンブル賞:劇団西一風
 隙のないアンサンブルに心を強く動かされました。

 *同:劇団ACT
 まずもってゼミのシーンでのやり取りに感心しました。
 その後の変化も含め、作品世界によく沿ったアンサンブルが築かれていたと思います。

 *同:スーパーマツモト
 古い笑いが大好きな人間のため、観劇記録では厳しめの感想になってしまいましたが、笑いにかける真摯さとまとまりのよさには好感を持ちました。
(以上3団体に関しては、個別に記載する以外、全ての出演者が優秀助演女優賞、同男優賞ということになります)


 *最優秀主演女優賞:近藤千紘さん(ルサンチカ)
 圧倒的な演技でした。
 最後の最後まで目が離せない、まさしく女優中の女優だと感じました。

 *同:中野愛子さん(コントユニット左京区ダバダバ)
 近藤さんとは対極的な、それでいて舞台上の魅力という点ではやはり落とせない演者さんです。


 *最優秀主演男優賞:森脇康貴君(劇団西一風)
 隙のない西一風の演者陣の中で、その最たるものが森脇君でした。
 田中次郎君をベースに井上達也君のおかしさを加えて一層磨きをかけた逸材だと思います。

 *同:野村眞人君(ウトイペンコ)
 その存在感、舞台上での真摯さ、登場人物との一致等々、技術云々を超えて魅了されました。
 今後もぜひとも演劇活動を続けていって欲しいです。

 *優秀主演男優賞:岡田拓洋君(劇団愉快犯)

 *同:辻和鷹君(劇団蒲団座)
 小心さの裏側にある傲慢さ冷酷さの表現に感心しました。


 *最優秀助演女優賞:天顔愛咲さん(劇団西一風)
 西一風では、山下裕英さんと小川杏子さん、三善このみさんの演技も秀でていたのですが、(前情報一切なしの主観を記すと)天顔さんは何かをきっかけにして演劇活動から去ってしまうのではないかと僕には感じられてしまいました。
 ですので、この推薦が何かの重石に、いや彼女の場合、たぶん重石になどならないでしょうが(だからこそあの演技なのだと思います)、天顔さんという魅力的な演者さんがいたということを記憶するため、あえてこの賞に推薦します。

 *優秀助演女優賞:近衛ひよこさん(劇団愉快犯)
 安定度を増した演技と「熊」!

 *同:竹本てんさん(劇団月光斜TeamBKC)
 川北唯さんを黒木メイサ寄りにしたような存在感が強く印象に残りました。

 *同:南風盛もえさん(ルサンチカ)
 どうしても近藤さんに注目が集まるかもしれませんが、南風盛さんの抑制のきいた演技も魅力的です。
 翻訳物、岸田國士や森本薫の作品での演技にも接することができれば。


 *最優秀助演男優賞:古野陽大君(ウトイペンコ)
  兼京都学生演劇祭特別功労賞
 これまた全く前情報なしですが、演技でのサポートともに、古野君の舞台・作品そのものへのサポートがよくうかがえました。
 その点はやはりしっかり評価されてしかるべきでしょう。
 また、前々回前回の参加も含めて、京都学生演劇祭における古野君の存在感と果たした役割について別途、特別功労賞を推薦します。

 *同:瀬戸沙門君(ルサンチカ)
 その表現力と演技の熱量に感嘆しました。
 瀬戸君の様々な役柄に接してみたいです。

 *優秀助演男優賞:黒須和輝君(第三劇場)
 *同:かっちゃん君(劇団月光斜TeamBKC)
 *同:地道元晴君(ルサンチカ)
 *同:高橋太樹君(ヲサガリ)


 *最優秀女性キャラクター賞:笠村奈那さん(劇団S.F.P.)
 ちょっと痛い感じから、エキセントリックで狂気を孕んだキャラクターの変化は、すぐさま今年のキャラクター賞はこの人だと決断しました。

 *同:荒井希実子さん(スーパーマツモト)
 おもろそうなことをやればおもろいだろう、おもろそうなキャラをつくればおもろい人に観えるだろうという安易な発想とは無縁の丁寧なキャラクター造りが流石でした。


 *最優秀男性キャラクター賞:小川晶弘君(ヲサガリ)
 マイルドな萩本欽一とでも呼びたくなるような「ソフトなSっ気」全開のキャラクターづくりを愉しみました。
 常識ある人をじわじわと攪乱していく設定は、今後も小川君の武器になると思います。
 人気者になれ!

 *同:大休寺一磨君(スーパーマツモト)
 その熱気、暑さ暑苦しさ!!!
 でも、この推薦がかえってそのキャラクターの一時封印につながればとも思います。
 ぜひシリアスな大休寺君の演技にも接したいので。

 *優秀男性キャラクター賞:黒須和輝君(第三劇場)
 黒須君は唯一の同時受賞です。
 団内団外での活躍に期待します。

 *同:西澤和浩君(コントユニット左京区ダバダバ)
 いやあ、この人はいい!!
 また観たい!!

 *同:安達誠君(劇団蒲団座)
 山西竜矢君と横山清正君を足して二で割ったような雰囲気の持ち主。
 いやあ、いいキャラクターです。


 *最優秀音楽賞:劇団西一風
 *同:劇団ACT
 特に、西一風ではベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章、ACTではバッハのゴルトベルク変奏曲とバーバーの弦楽のためのアダージョが効果的でした。


 *敢闘賞:劇団蒲団座
 現在活動する所属団員の中で果たして何ができるか。
 そのことに対する誠実さ、真摯さ、熱意がよく表われた舞台でした。


 *努力賞:劇団トポス
 今回初出場のトポスには、ぜひとも捲土重来、機会が許すかぎり次回以降も京都学生演劇祭に参加していって欲しいです。
 その努力研鑚を期待して。


 *最優秀インパクト賞:ナマモノ・ヒラタユミさんの文金高島田姿
 ヒラタさんには不本意かもしれませんが、あの姿はやはりインパクト賞に推薦せざるをえません。
 印象に強く残りました。


 *最優秀シーン賞:劇団月光斜TeamBKC『人を呪わば?』
 竹本てんさん演じる竹中弥生が翠の子ぎつねさん演じる尼ちゃんににじり寄っていくときの切迫感とエロティックな様に。


 *特別賞:古賀友太君(劇団月光斜TeamBKC)
 演技そのものに加え、ラップの歌唱に対しても。

 *同:高市章平君(ルサンチカ)
 技術的な精度の高さだけではなく、感情の表出表現という意味でも、彼の長台詞は特別に推薦に値すると思います。
 今後の活躍を愉しみにしています。
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京都学生演劇祭の閉会式と打ち上げに参加した(深夜のCLACLA)

 ところどころ晴れ間が見えるも、どんよりとしたお天気の一日。
 雨も降る。

 湿度が高く、じめじめとしてあまり快ならず。
 気圧と湿度の攻撃に辟易する。
 やれやれ。


 昨夜、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 午前中、毎週恒例の洗濯をすませる。
 お天気は悪かったが仕方ない。


 KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディ他<PHILIPS>を2回、スウェーデン放送音源でポール・マギ指揮ウプサラ室内管弦楽団が演奏したブラームスのセレナード第1番(2013年11月21日、ウプサラ)、WGBH音源でトーマス・アデス指揮ボストン交響楽団が演奏したメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』(2013年10月12日、ボストン・シンフォニー・ホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『カルタ遊び その9』をアップしたりする。


 東直子の『キオスクのキリオ』<筑摩書房>を読了する。
 ああ、面白かった!


 19時少し前に外出し、元・立誠小学校へ。
 京都学生演劇祭の閉会式に参加する。
 京都学生演劇祭賞に劇団西一風(『いちごパンツを撃鉄に』)、審査員特別賞にコントユニット左京区ダバダバ(『ゴリラ殺人事件』)が選ばれた。
 おめでとうございます!

 関係各氏と話しをしたり、挨拶をしたりした。

 その後、打ち上げ会場に移動し、参加学生の皆さんや関係各氏とお話をする。
 観劇レポーターとして、極私的な中瀬宏之の賞を発表したが、いやあああいうのは苦手だなあ!

 で、終電を逃した面々を最後まで見届けて、1時50分過ぎに帰宅した。


 以上、9月5日の日記。


 京都学生演劇祭・極私的な中瀬宏之の賞に関しては、これからアップします。
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2014年09月05日

京都学生演劇祭に関する簡単なメモ(総評に向けての)

 Bブロック3団体の観劇を終えて、京都学生演劇祭に参加した15団体全ての上演を拝見することができました。
 今年度は、これまでと異なり観劇レポーターという立場から拝見することとなりましたが、前々回前回と同じく、バラエティに富んだ作品に大きな刺激を受けるとともに、舞台上の演者陣をはじめとした皆さんの上演にかける真摯な姿勢と熱意に強く心を動かされました。
 実行委員の皆さん、沢大洋さんはじめサポートスタッフの皆さん、審査員や観劇レポーターの皆さん、そして参加団体の皆さん、本当にありがとうございました。
 改めて心よりお礼を申し上げます。

 さて、すでに同じ観劇レポーターを務めた笑の内閣の高間響上皇からも指摘が行われているように、来年3月に開催される全国学生演劇祭との関係や、今後の京都学生演劇祭との関係を見据えた審査基準の再考(既存の学生劇団と、演劇祭のために結成された団体との兼ね合い、評価の継続性等)、集客の拡大や経済的基盤の確立、さらには森陽平君などからも指摘が行われた学生演劇祭のコンセプトの設定(例えば、コペティションなのか、ショウケースなのか、地域を巻き込んだ「祭」なのか等)、そして、そもそも学生演劇祭は何のために、誰のために存在するのかという理念・精神の再確認など、運営面での意志統一、並びに明確な方針の確定が急務の課題です。
(当然、その全てが一足飛びで解決するものではないことも明らかですが)

 京都学生演劇祭開会直前にSNS上に掲載された、沢大洋さんの顔を中央にあしらったカウントダウンに対して、僕が厳しい疑義を呈したのも、上述した問題と密接に関わり合っています。
 もちろん、京都学生演劇祭が沢さんの物心両面での奮闘努力によって継続されてきたことは、今さら駄弁を弄すことではありません。
 また京都学生演劇祭、並びに全国学生演劇祭の安定した運営を確立するために、オルガナイザーやスピーカーとして沢さんがメディア等で積極的戦略的露出を行うことについても大賛成です。
 しかしながらそのことと、京都学生演劇祭というイベントそのものの象徴として沢さん個人を扱うことは、やはり話が別でしょう。
 例えば、同じ観劇レポーターの石田1967さんのLINX’Sや高間上皇の高間響国際舞台芸術祭のように、運営面においてもお客様へのエンターテインメント的なサービスとしても徹頭徹尾沢さん個人をアピールし押し出す、出場団体も自らが選択し、経済面でもその大半を沢さんが負担するという、それこそ沢大洋記念学生演劇祭や沢大洋顕彰学生演劇祭であるのならばまだしもです。
 たとえ実行委員の皆さんの善意から発生したことであったとしても、まずは実行委員の皆さんの気持ちには感謝しつつ、しかしながら「演劇関係者以外も目にするカウントダウンにおいて自分の顔を押し出すのは、内輪受けののりがする」「しかも全国学生演劇祭が開催されるなど、今後学生演劇祭は一層パブリックな側面が強まっていくのだから、社会的な戦術戦略からも好ましくない」「それより何より、学生演劇祭は参加団体がまずもって中心となるべきものだ」という理由を丁寧に説明し、沢さんはカウントダウンのアイデアを断ってしかるべきだったのではないでしょうか。

 むろんこれは一例ですが、いずれにしても沢さんと実行委員の皆さんを様々な観点から大きく支え、ときには厳しいチェックも行う強力なブレーンが必要であると僕は考えます。

 加えて、経済的な事情は充分承知しつつも、交流スペースの復活も考慮した物質面での場所の確保も含む、京都学生演劇祭に関する活発で風通しのよい意見交換が一層促され担保されなければならないとも、僕は考えます。

 拙文が今後の意見交換の一助となれば幸いです。
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2014年09月04日

京都学生演劇祭Bブロック−3 劇団月光斜TeamBKC『人を呪わば?』

☆京都学生演劇祭Bブロック−3
 劇団月光斜TeamBKC
 『人を呪わば?』

 脚本・演出:べいだぁ山田ちゃん
(2014年9月4日19時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 類型を効果的に組み合わせて造り上げた作品。
 主人公の名前もあって、昨今大人気を博した朝のドラマを連想したが、まあそれはそれ。
 物語の展開においても、登場人物のキャラクターにおいても、全体的に定石常識が巧く活かされていたのではないか。
 ただところどころ、類型が決まり過ぎるというか、細部への目配りの不足や感覚面のほんのちょっとした鈍さが気になったりもして、会場では大きな笑いが起っていたが、その笑いのパートよりもシリアスな部分のほうにより面白みを感じた。
(そうそう、類型、語法の定石といえば、林役の台詞ではなく、尼ちゃんと弥生の関係性から、造り手側の「秘めたカミングアウト」を裏読みすることもできるんだけど。まあこれは、考え過ぎかな)

 川北唯さんを黒木メイサ寄りにしたような竹本てんや、古賀友太、かっちゃんもシリアスな場面での類型的な演技がより柄に合っていたと思う。
 尼ちゃん役の翠の子ぎつねは、一瞬の叫び声が心に残った。
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京都学生演劇祭Bブロック−2 ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。『書くという病』

☆京都学生演劇祭Bブロック−2
 ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。(佛教大学)
 『書くという病』

 脚本・演出:ヒラタユミ
(2014年9月4日18時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 これまでの劇団紫から、自らが立ち上げた「ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。」に所属を変えて、ヒラタユミが京都学生演劇祭への三度目の参加を果たした。
 彼女の作演出による『書くという病』は、何層かに分かれた入れ子細工と登場人物間のやり取りを通して、虚構と現実の関係性、日本の私小説の結構様式が考察されるとともに、ヒラタさん自身の表現欲求や内面の意識無意識が前面に表われ出ている点と、ヒラタさんの京都学生演劇祭における劇の書き手としての変化変容が如実に示されている点から、非常に「私戯曲性」の強い意欲的な作品だった。
 僕自身、長く小説を書き続けていることもあり、その内容構成を面白く感じたが、だからこそ一層の言葉の彫琢を求めたくなる部分もあった。

 演者陣もそうしたヒラタさんの作品世界を忠実に再現すべく努力を重ねていたが、演出の処理の粗さ、詰めの甘さも加わって、技術面においても精神面においてもテキストとの間に大きな齟齬があり、どうしてももどかしさを覚えてしまった。
 たぶんこれが、若き日の市原悦子や岸田森、草野大悟らによる上演だったのであれば、一層緊張感に富んだ舞台となって、受ける印象も大きく変わったかもしれない。
 そして、「私戯曲性」が強い作品であるからこそ、ヒラタさん自身が演じることへの内的必然性は認めつつ、造り手側の客観性を担保するという意味でも、ヒラタさん以外の演者さんが「露子/娘」役を演じたほうが適切だったのではないかと思ったりもする。
 その邪劇的インパクトには捨て難いものもあるが。
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京都学生演劇祭Bブロック−1 劇団愉快犯『SQOOL』

☆京都学生演劇祭Bブロック−1
 劇団愉快犯(京都大学)
 『SQOOL』

 脚本:谷村圭一
 演出:鈴木邦拡
(2014年9月4日17時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 これまでの京都学生演劇祭でおなじみの顔触れは卒業引退してしまったものの、今回の『SQOOL』でも、劇団愉快犯らしさは健在だった。
 小ネタ小物や微妙な台詞の間合い等々駆使しつつ、オフビートな笑いが築かれていく。
 過度に陥らないリリシズムと遅効性の緩やかな毒っ気も愉快犯ならではだ。
 ただ、意図した以上に間然とする部分や演技の面で比較的目立つ傷が観受けらたりもして、若干興が醒めてしまったのはちょっと残念だった。

 岡田拓洋や平井良暉、安定感が増してきた近衛ひよこ等、演者陣は愉快犯の作風によく沿った演技を行っていた。
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京都学生演劇祭の参加全団体の上演を拝見した(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気の一日。
 晴れ間も見えるが、雨も降る。

 気温は下がったが、湿度が高い分、じめじめむしむしとしてあまり快ならず。


 どう考えたって悪い冗談としか思えない顔触れだ。
 人を馬鹿にするにもほどがある。


 昨夜、CAT(カタルーニャ・ムジカ)音源で、フォルテピアノのロナルド・ブラウティハムが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第5番、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、ハイドンのピアノ・ソナタ第52番&アダージョのライヴ録音(2014年5月19日、ロンドン ウィグモア・ホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 午前午後と、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディー他<PHILIPS>、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』、デンマーク放送音源でアダム・フィッシャー指揮デンマーク放送エンターテインメント管弦楽団(デンマーク国立室内管弦楽団)が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番から第1楽章(2014年8月28日、コペンハーゲン デンマーク放送コンサートホール)、CTM(カタルーニャムジカ)音源でマーラー室内管弦楽団が演奏したストラヴィンスキーの協奏曲「ダンバートン・オークス」(2014年5月23日、ベルゲン グリーグ・ホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、東直子の『キオスクのキリオ』<筑摩書房>を読み進めたりする。


 16時少し前に外出し、歩いて元・立誠小学校へ。
 職員室で京都学生演劇祭のBブロックを拝見する。
 詳しくは、今からアップする各団体の観劇記録をご参照のほど。

 これで、今年度の京都学生演劇祭の参加全団体の上演を拝見した。
 それを受けての総評のメモのようなものもアップするつもりだ。

 開演前休憩中終了後、関係各氏と話しをする。


 帰宅後、ブレンデルのシューベルト、CTM音源でピアノのレイフ・オヴェ・アンスネスとマーラー室内管弦楽団他が演奏したベートーヴェンの合唱幻想曲&ピアノ協奏曲第5番「皇帝」他のライヴ録音(ストラヴィンスキーと同)を聴いたりしながら、観劇記録の準備を行ったりする。


 今日も、甘いものを食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都学生演劇祭Aブロック−3 劇団西一風『いちごパンツを撃鉄に』

☆京都学生演劇祭Aブロック−3
 劇団西一風(立命館大学)
 『いちごパンツを撃鉄に』

 脚本・演出:岡本昌也
(2014年9月3日19時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 前評判が高かったので、あえて厳しめに観たるでと渋面つくって席についたんだけど、観始めてすぐに思いましたね。
 そりゃ前評判も高かろうさ、と。
 圧巻脱帽の二語。

 で、すませたいところだけれど、一応観劇レポーターなので駄弁を少し。

 岡本昌也といえば、前回高校在学中にも関わらず喀血劇場の一員として堂に入った演技を披歴していたが、いやあ後生畏るべし。
 知情意三拍子揃った圧倒的な作品、圧倒的な舞台を生み出してくれた。
 メリハリがきいてセンスのよい台詞に、よく動く身体、笑いと涙の入り混じったおかかなしくてスピーディーな展開から、伝えようとするところ、明確なテーマがしっかりと立ち上がってくる。
 その手際のよさと熱量には、本当に舌を巻く。
 音楽照明等々、実に効果的だ。

 また、田中次郎(前々回の京都学生演劇祭での珠玉の名品『話の時間』の造り手)をベースに井上達也のおかしさを加えて一層磨きをかけたような森脇康貴をはじめ、演者陣は、個人としてもアンサンブルとしても非常に隙がなかった。

 西一風、侮るべからず。
 そして、岡本君たちの今後の一層の活躍を心から祈願したい。
 ああ、面白かった!
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京都学生演劇祭Aブロック−2 劇団トポス『夕焼けロケット』

☆京都学生演劇祭Aブロック−2
 劇団トポス(京都外国語大学)
 『夕焼けロケット』

 脚本・演出:捺芽紅
(2014年9月3日18時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 1995年から約10年間、京都外国語大学の近くで暮らしていた。
 で、京都の小劇場に関わり始めた1999年頃かな、二度ほど劇団トポスの公演を観に行ったことがあった。
 一度目は、高校演劇の延長線上というか、ちょっとおぼこい感じはありつつも、作品演技両面での甘酸っぱくて切ない雰囲気には嫌な感じを受けなかった。
 ところが二度目は、ワハハ本舗みたいな突拍子がなくておもろおかしいことをやろうとしていることだけは理解できたものの、それこそ久本雅美にどこか似ている演者さんが一人で空回りしていて、観ているのが本当に辛かった。
 そしてこの団体は、「大人」の小劇場はもちろんのこと、他の学生劇団ともあまり交流がないのではないか、と思ってしまった。

 劇団トポスの公演を目にするのは、そのとき以来ということになる。
>遠い未来。ヒトは新しい星へ移住し始める。
 惑星の爆発が噂され、毎週末ロケットが飛ぶ。そんな時代。
 ベビーシッターの奈央は、迷子の五歳児を捜索途中、
 とある少年と出会います。
 少年と奈央の淡い恋のような、恋でないようなお話<
という公演プログラムに掲載された梗概に偽りはない。
 リリカルでノスタルジックな、痛切な感情をためた作品だ。

 演者陣は、自分たちの個性を押し出しつつ、あるときは美しく、あるときはおかしい情景を再現しようと努力を重ねていた。
 その努力はよくわかった。
 ただ、その努力が充分に報われていたかと問われると、残念ながら否と答えざるをえない。
 と、言うのも、舞台上でのたたずまいや感情表現(緩急強弱)、表情の変化等々、彼女らの演じる様とテキストに書かれているものとの間に、どうにも大きな齟齬を感じてしまったからである。
 表現は厳しいがそれは、人力舎などの芸能事務所の研究所の若手女性トリオがネタみせで面白いことをやろうとしているのだけれど、ネタと彼女らの実力との間に差があり過ぎてどうしても笑えない状態、と喩えることができるのではないか。

 せっかくこうして京都学生演劇祭に初めて参加したのだから、トポスの皆さんには、他と我との違いを確認するとともに、他劇団、演劇祭関係者との積極的な交流研鑚を切に願う。
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2014年09月03日

京都学生演劇祭Aブロック−1 第三劇場『悪人のダダダダン』

☆京都学生演劇祭Aブロック−1
 第三劇場(同志社大学)
 『悪人のダダダダン』

 脚本・演出:岩本拓也
(2014年9月3日17時上演開始/元・立誠小学校職員室)


 小劇場の定石に則った作品。
 というと、簡単にまとめ過ぎかな。
 老舗三劇の『悪人のダダダダン』は、邪劇的な笑いを重ねつつ、現実社会のあれやこれや、そして哲学的ですらある思念命題について掘り下げようとした、どこか1980年代の小劇場臭のする作品だった。
 で、その意欲意図は充分に買うのだけれど、伝えるべき事どもという「餡」と、それを巧くくるんで味を加える笑いという「がわ」とのバランスが悪いというか、シリアスなテーマのほうに全体が引きずられてしまい、結果造り手側が狙ったものとは異なるもどかしさ、いききらなさを感じてしまったことも、残念ながら事実だ。
 笑いそのものに特化した作品ではないということを理解してもなおである。

 団外での活動も重ねている黒須和輝はじめ演者陣は、シリアスな部分はもちろんのこと、笑いの部分でも、作品世界に沿った真摯な演技を行っていた。
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店主だけ大はしゃぎするゴミの市(CLACLA日記)

 青空からどんよりとしたお天気へ。

 湿度が高い分、むしむしじめじめとしてあまり快ならず。
 暑さはそれほど感じなかったものの。

 気圧と湿度で、身体重たし。


 解像はいいあんばいと馬鹿がいい
 店主だけ大はしゃぎするゴミの市


 昨夜、RTVE音源でクリスティアン・ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したグヴァイドゥリーナのヴァイオリン協奏曲第2番(ギドン・クレーメルの独奏)&ブルックナーの交響曲第9番(2014年9月2日、ドレスデン・ゼンパーオーパー)、スウェーデン放送音源でグスターボ・ドゥダメル指揮エーテボリ交響楽団が演奏したシベリウスの交響曲第2番から第1、第3、第4楽章(2014年8月30日、ストックホルム・ベルワルドホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、東直子の『キオスクのキリオ』<筑摩書房>を読み進めたり、仕事関係の作業を進めたりする。


 午前午後と、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』(途中まで)、トマス・ダウスゴー指揮スウェーデン室内管弦楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」&第4番「イタリア」、第3番「スコットランド」から第2楽章のライヴ録音(2014年8月13日、ハンブルク・ライスハレ、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭)、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリー風のメロディ他<PHILIPS>を聴いたりしながら、『キオスクのキリオ』を読み進めたり、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭の観劇記録の準備を行ったりする。
 ダウスゴーのメンデルスゾーンは、ピリオド・スタイルを援用したクリアでスピーディーな清潔感にあふれた演奏。
 スウェーデン室内管も実に達者で、聴き心地が非常によい。
(ダウスゴーとスウェーデン室内管弦楽団は、リリースにむけてメンデルスゾーンの交響曲集を録音しているのではないか。シューマンの交響曲等と同じくBISレーベルで)


 16時ちょうどに外出し、歩いて元・立誠小学校へ。
 職員室で京都学生演劇祭のAブロックの上演を観る。
 詳しくは、これからアップする各団体の観劇記録をご参照のほど。

 開演前休憩中終了後、関係各氏と話しをしたり挨拶をしたりする。


 帰宅後、ブレンデルのシューベルトや、Radio4音源でベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第4番(1978年12月25日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)や、ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」(2008年2月24日、同)のライヴ録音を聴いたりしながら、観劇記録の準備をする。


 今日は、甘いものを食さず。
 我慢我慢。


 愚か者を支持し、許容し、黙認する者こそ一番の愚か者だ。
 自省あるのみ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2014年09月02日

時は止まらない、だから君は美しい(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 その分気温も上昇し、暑さを強く感じる。
 皆さん、くれぐれも寒暖の差にはお気をつけくださいね。


 海上自衛隊員が上司のパワーハラスメント(いじめ)によって自殺したと報じられている。
 いろいろと考えることあり。


 日本国内でデング熱の感染者が発生しているとのこと。


 昨夜、WGBH音源でステファン・ドネーヴ指揮ボストン交響楽団が演奏したショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番(ヨーヨー・マの独奏)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』(2013年10月5日、ボストン・シンフォニー・ホール)、Radio4音源でチョン・ミュンフン指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第2番(2014年4月7日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)のライヴ録音を聴いたりしながら、京都学生演劇祭のD、E両ブロックの観劇記録をアップする。
 詳しくは、各団体の観劇記録をご参照のほど。


 午前午後と、Radio4音源でチョン・ミュンフン指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したベルリオーズの幻想交響曲のライヴ録音(同)や、ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、東直子の『キオスクのキリオ』<筑摩書房>を読み始めたりする。


 お昼過ぎに外出し、昔親しくしていた友人と会いお茶をする。
 お嬢ちゃんも一緒。
 本当に久しぶりだったが、変わらぬ感じだった。
 1時間程度だが、いろいろ話をすることができて嬉しかった。

 その後、元・立誠小学校へ寄ったが、京都学生演劇祭のシンポジウムのほうは終わってしまって、まもなく交流会が始まりそうだったため、退散する。
 学生さんたちとは、全参加団体の上演を観終わったあと打ち上げ等でゆっくり話せればと思い。


 その後、OPAのブックオフで中古CDを購入し、ついでに夕飯用の買い物もすませる。


 帰りがけ、別の友人と遭遇し、しばらく話をする。
 で、19時頃に帰宅した。


 夕飯後、購入したアルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番&ハンガリーのメロディ、16のドイツ舞曲、アレグレット<PHILIPS>を2回聴く。
 今から25年ほど前のブレンデルの来日リサイタルで、第20番のソナタとハンガリーのメロディ(アンコール)を聴いたっけ。
 ハンガリーのメロディは大好きな曲の一つである。


 仕事関係の作業を進めたり、『キオスクのキリオ』を読み進めたりする。
 『キオスクのキリオ』は、不思議な味わいの連作集だ。


 今日は、外出時にストロベリーのアイスクリームを食す。
 実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 時は止まらない、だから君は美しい。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都学生演劇祭Eブロック−3 劇団蒲団座『花を売る店の話』

☆京都学生演劇祭Eブロック−3
 劇団蒲団座(大谷大学)
 『花を売る店の話』

 脚本:佐々木成政
 演出:草間はなこ
(2014年9月1日19時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 坂口弘樹を中心に、ダンス的なパフォーマンスを大胆に組み入れた作品をこれまで学生演劇祭で上演してきた劇団蒲団座だが、今回はストレートプレイの常道というか、いわゆる会話を中心としたお芝居で勝負してきた。
 童話の持つグロテスクさを現代に移し替えたファンタジーとまとめられるかな、いわゆる普通の人の内面にある悪意・欲望が増幅増長していく様や、人と人との関係の変化の残酷さが寓話的に描かれた作品である。
 だいたい、『花を売る店のお話』なんてタイトルからして意味深じゃないか。
 ただ、演者陣の特性雰囲気もあったりして、たぶん造り手側が意図している以上の、おかしさや滑稽さ、邪劇性を感じてしまったことも事実だ。
 脚本の佐々木さんや演出の草間さんが、現在出演可能な劇団の所属メンバーで何をどこまで表現できるかということを悩み考えた末での今回の作品であり、上演であったことは、登場人物の設定などからも想像に難くはないが。
(その意味でも、既存の学生劇団と学生演劇祭のために結成された団体との兼ね合い、評価について、どうしても考えてしまう)

 演者陣では、田中役の辻和鷹がまず印象に残る。
 小心さの裏側にある傲慢さ、冷酷さをよく演じていた。
 また、山西竜矢君と横山清正君を足して二で割ったような安達誠の雰囲気も捨て難い。
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京都学生演劇祭Eブロック−2 スーパーマツモト『2丁目5番地どんどん軒』

☆京都学生演劇祭Eブロック−2
 スーパーマツモト(同志社大学)
 『2丁目5番地どんどん軒』

 脚本:畑耕平
 演出:トランポットニスト相馬
(2014年9月1日18時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 日本映画界の鬼才川島雄三監督に『喜劇とんかつ一代』という怪作がある。
 森繁久彌演じるとんかつ屋の主人を扇の要に、フランキー堺、三木のり平、加東大介、山茶花究といったおなじみの顔触れ(って、学生さんたちにはちっともお馴染みじゃないか。ちぇっ…)が、ときにシュールですらあるぶっ飛んだ笑いの藝を競い合い、笑いのアンサンブルを披歴する。
 そして、ラストで歌われる滑稽な「とんかつ讃歌」に、監督たちのエンターテイナーとしての心意気が強く表われてもいたりして、僕は思わずぐぐっと心を動かされたりもしたものだ。

 スーパーマツモトの『2丁目5番地どんどん軒』は、同じ喜劇は喜劇でも、関西流儀、吉本新喜劇の骨法をいただいた、べたべたな作品だけど、理屈もへったくれもありはせぬ、おもろいもんをやりたいんや! という想いには、たぶん『喜劇とんかつ一代』とも共通するものがあるだろう。
 そして、そうした造り手側の熱意(大休寺一磨の熱気!)は痛いほどに伝わってくる。
 ただ一方で、彼彼女らの真摯さ人柄の良さが、硬さ、軽さを目指す重たさにつながっていたことも事実で、笑いのための笑いというものは本当に難しいと改めて痛感した。
(上述した笑いのプロたちは、ほどよい「人の悪さ」と「ずるさ」を持っているのだ。もちろん、悪過ぎたりずる過ぎたりしたら、今度は生臭過ぎていけない。笑いは本当に難しい)

 吉本新喜劇ほどルーティンにとはいえないけれど、スーパーマツモトの面々には、これ一回に限らず、今後も活動を続けていって欲しい。
 継続は力なり。
 継続は笑いなり。
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京都学生演劇祭Eブロック−1 ヲサガリ『転校生13号』

☆京都学生演劇祭Eブロック−1
 ヲサガリ(京都工芸繊維大学)
 『転校生13号』

 脚本・演出:小川晶弘
(2014年9月1日17時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 フク団ヒデキ、並びにヲサガリ、一方で月面クロワッサンその他と、多方面で活動を続ける小川晶弘にとって、今回の『転校生13号』は、初めての作・演出作品となったが、前者の実験精神・攻めの姿勢と、後者のノスタルジックなリリカルさとが、巧くミックスされた小気味よい内容となっていた。
 途中、意図した以上にだれるというか、言葉が流れてしまう部分もなくはなかったが、ヒットに盗塁、バントヒット、スクイズと小技をきかせつつ、小刻みに得点を重ね、結果ゲームに勝利した、といった感じの展開か。

 小川君は、マイルドな萩本欽一とでも呼びたくなるような「優しいSっ気」で相手を撹乱していく。
 一方、河相我聞っぽい顔立ちの高橋太樹は、小川君とのからみで内面のエキセントリックさがあぶり出されるあたりの様が面白かった。

 小さい世界を通して大きな何かを表わそうとした作品。
 小川君の想いもストレートに示されている。
 小川晶弘の劇の書き手としての今後の一層の研鑚と活躍に心から期待したい。
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京都学生演劇祭Dブロック−3 ルサンチカ『星の王子さま』

☆京都学生演劇祭Dブロック−3
 ルサンチカ(京都造形芸術大学)
 『星の王子さま』

 脚本:寺山修司
 演出:河井朗
(2014年9月1日15時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 ちょっとモノが違う。
 こういう言い方はあんまりしたくないんだけど。
 ルサンチカは、同じユース・オーケストラでも、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラとかEUバロック管弦楽団だとか、あと数年もすればソロで活動を始めたり、プロのオーケストラに入ったりするような、音楽を専門に勉強している若い腕扱きたちが寄り集まったオーケストラ、とでも喩えたくなってしまう。

 ルサンチカの『星の王子さま』は、一本立ての本公演なみの密度の濃さと、それでいて京都学生演劇祭での上演を意図した大きな仕掛けを持った非常に充実した作品であり、舞台となっていた。
 まず、コントユニット左京区ダバダバが醸し出した空気を、ルサンチカは「舞台美術」や演者陣の精度の高い演技で一瞬にして変えていく。
(ただし、たとえ確信犯だとしても、演劇祭のルールという観点、スタッフワークの観点からは、ルサンチカの手法は手放しで賛成できない)
 原作との兼ね合いでは、河井君が切り取った部分にも当然様々な旨味があることは指摘しておかなければなるまいが、50分というぎりぎりの線で、寺山作品の重要なモティーフを押さえつつ筋の通った作品としてまとめ上げたその手際のよさと美しさは、やはり高く評価してしかるべきだろう。
 そしてその構成に僕は、河井君は「役者の快楽」をよく識る人だと思ったりもした。

 実際、この『星の王子さま』では、演者陣の特性魅力(並びに、これまでの演劇的研鑚)が十二分に発揮されていた。
 瀬戸沙門、南風盛もえ、地道元春、高市章平、いずれも安心してその舞台を観ていることができる。
 そして、近藤千紘。
 当然河井君の観せ方、作品とのつき具合はあってのことだろうけれど。
 彼女の姿には、最後の最後まで目を離すことができなかった。

 次回の公演をぜひとも拝見したい。
 ああ、面白かった。
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京都学生演劇祭Dブロック−2 コントユニット左京区ダバダバ『ゴリラ殺人事件』

☆京都学生演劇祭Dブロック−2
 コントユニット左京区ダバダバ(京都大学)

 脚本:寺岡慎一郎、谷畑仁
 演出:寺岡慎一郎
(2014年9月1日14時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 NHKのラジオ第1で、毎月最終火曜日に『みうらじゅんのサントラくん』なる番組が放送されている。
 みうらじゅんが手持ちのサントラを肴にあれやこれやと語り倒す番組で、「これほんとにNHKでいいの?」と突っ込みを入れたくなるようなマニアックでモノマニアックな内容なのだが、コントユニット左京区ダバダバの『ゴリラ殺人事件』は、みうらじゅんなら「こっち系」と大喜びしそうな、至極くっだらない、その実、そうそう一筋縄ではいかない、一粒で何度でも美味しい作品・舞台に仕上がっていた。

 で、こういう作品をしつこく腑分けしてみせるのは、それこそシネフィルまがいのはしたないことだから、あえて詳述しないけど、数々の映画(や、タイトル・モティーフから考えて、昔のテレビドラマ発のヒット曲もかな?)はもちろんのこと、その根底背景にある世界観、宇宙観すらも巧みに取り入れていて、お主やりおるなの一語。
 途中、パワーがぐんと落ちたから「おんやあ?」と思っていたが、ラストでにんまりできた。
 やっぱりそうこなくちゃね。

 はっきり言って、演者陣は巧く演じようとはしていない。
 でもここがお芝居の不思議なところで、巧くないからといって魅力がない訳じゃない。
 どころか、その演技がおかしさ、魅力につながることになる。
(Ecce Mike Mizno、『シベリア超特急』の水野晴郎を観よ!)
 西澤和浩はじめ、好感の持てる顔触れが揃っていた。
 中でも、メイド他役の中野愛子。
 一番いい頃の中村あずさみたいで、チャーミングだった。

 ああ、面白かった!
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京都学生演劇祭Dブロック−1 劇団立命芸術劇場『サナギ』

☆京都学生演劇祭Dブロック−1
 劇団立命芸術劇場(立命館大学)
 『サナギ』

 脚本・演出:蛯内涼香
(2014年9月1日13時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


 よくメロドラマ、その典型であるソープオペラって馬鹿にされるけど。
 ピーター・ブルックスを持ち出すまでもなく、ああいう類いの作品ってほんとはちっとも馬鹿にはできないわけで。
 例えば、東海テレビ制作、CX・関西テレビ系列で13時半からやってるドラマなんて、ご都合主義全開の設定展開を逆手にとりつつ、視聴者を飽きさせないあの手この手。
 どぎつい表現もなんのその、それでいてけっこう人の心の深いところも突いてくる。
 だから、ベテラン中島丈博をはじめ、手だれの書き手たちが日々努力を重ねているのです。

 で、なんでこういうことを書くかといえば、今回立芸が上演した『サナギ』。
 これがどうにも、上述した13時半からのドラマの表面的な物語を希釈化させたというか、どんどん水を足して薄めきったような代物にしか観えなかったからだ。
 全く異なる場所で惑い悩む二人の女性が、ひょんなことから心を通わせあうようになって…。
 確かに蛯内さんの伝えたい想いはわからないわけじゃない。
 でも、やっぱりその設定や展開、台詞のやり取りは、僕にはあまりにも安易で陳腐としか感じられない。
 もし、今の設定でリアリティを追及したいというのであれば、二人の女性を大学生どうしにしてはどうか?
 少なくとも、確信犯的なミニマリズムではあるまいし、ああも一つのシチュエーションを繰り返すのであれば、基本べたな設定の作品なのだから、二人の反発葛藤をもっと描き込むべきだろう。
 例えば、ありきたりとはいえ、傘がぶつかり合ってお互いの感情がぶつかり合うとか。
 申し訳ないけれど、二人の心の変化に全く納得することができなかった。
(もう一つ付け加えれば、男性陣をあれだけ戯画化するのであれば、作品全体も邪劇に変化させるべきだ。もしくは『カバチタレ!』風とか)

 佑奈の山戸麻紗子は、2時間のサスペンスドラマの殺人容疑で逃走中の父親を信じて自ら推理をはじめるOL役とか、ネグレクトを受けているらしい生徒の行く末に心を悩ませている教師役とかがはまりそうな端整な容姿と演技の持ち主。
 もっと彼女の柄に合った役で観たい。
 燕の萩春暁も、自分と遠いだろう役柄を演じる努力を重ねていたが、燕という女性にあの日焼けの仕方はありなのか。
 そこらあたりが気になったりもした。
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2014年09月01日

今日から9月(CLACLA日記)

 今日から9月。
 今年も残すところ4ヶ月を切った。
 一日一日を本当に大切にして、為すべきことや為したいことをしっかり為していきたい。
 そして、死を忘れないこと。


 どんよりとしたお天気の一日。
 雨も降る。

 気温は下がったものの、湿度が高い分、じめじめとしてあまり快ならず。
 気圧と湿度にやられがち。
 やれやれ。


 昨夜、WGBH音源でステファン・ドネーヴ指揮ボストン交響楽団が演奏したプロコフィエフの『3つのオレンジへの恋』組曲のライヴ録音(2013年10月5日、ボストン・シンフォニー・ホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたりする。


 朝早めに起きて、仕事関係の作業を進めたり、京都学生演劇祭の観劇記録の準備(団体名やタイトル、作演出の氏名等の打ち込み)を行ったりする。


 正午少し前に外出し、歩いて元・立誠小学校へ。
 音楽室で、京都学生演劇祭のDブロック、Eブロックの上演を拝見する。
 詳しくは、次回以降団体ごとに観劇記録をアップします。

 開演前休憩中終演後、関係各氏と話しをしたり、挨拶をしたりする。


 途中、西洞院の「やよい軒」で夕飯をすませ、21時少し前に帰宅した。


 帰宅後、NHKラジオ第1の『DJ日本史』を聴いたりしながら、観劇記録の下書き等を行う。


 明日がいい日でありますように!
 そして、9月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都学生演劇祭Cブロック−3 ウトイペンコ『タイヤキ』

☆京都学生演劇祭Cブロック C-3
 ウトイペンコ(京都大学)
 『タイヤキ』

 脚本・演出:疎いペン子
(2014年8月31日18時上演開始/元・立誠小学校音楽室)


<たい>ことを<たい>せよ
<たい>ものを<たい>せよ

 とは、里見クが文章文体の入門編として著した『文章の話』<岩波文庫>の肝ともいうべき言葉だけれど、以前ヘルベチカスタンダードに所属していた柳澤友里亜を主宰とするウトイペンコの『タイヤキ』は、やりたいことをやり、仕掛けたいものを仕掛け、伝えたい想いを伝えた、それこそ「<たい>ことを<たい>し」「<たい>ものを<たい>した」大した舞台であった。
 身体性や言葉の遊びを重視しつつ、ノスタルジックでリリカルな作風は、当然柳澤さんのこれまでの演劇的体験の体現と考えて間違いはないだろうが、古野陽大の正直者の会等での体験もそこに加味されているのではないだろうかと、僕は思ったりもした。
 物の移動も含め、様々な所作、処理が必要とされていることもあって、舞台上の流れが何度か途切れてしまうきらいは否めなかったが、彼女彼らが生み出すおかかなしさと美しさ、そしてその根底にある切実さは強く印象に残った。
 より広い会場、そしてより長い時間でのウトイペンコの上演に、僕はぜひ接してみたい。

 がわが先か餡子が先かはひとまず置くとして、野村眞人の体格様態が「たいやき」という登場人物、のみならず『タイヤキ』という作品を体系づける大きなきっかけとなったことは事実だろう。
 共演陣の期待によく応えていたと思う。
 また、柳澤さんも強い存在感を示していたし、これまで喀血劇場の一員として活躍してきた古野君も芝居達者ぶりを発揮していた。

 できることならば、柳澤さんとのWキャストである小高知子が出演した上演のほうも観ておきたいのだが。
posted by figarok492na at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする