2014年08月24日

戸田恵子の「声の美人っぷり!」に感嘆した(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気。
 お昼過ぎぐらいから、強い雨になる。
 京都をはじめ、近畿地方等での土砂災害が心配だ。

 気温は下がるも、湿度が高く、じめじめとしてあまり快ならず。


 特定秘密保護法の施行等に関するパブリックコメントを提出する。
 喉元過ぎれば、のような状況になっていることが実に歯痒い。


 昨夜、RTVE音源でトーマス・ダウスゴー指揮フランス放送フィルが演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」とシベリウスの交響曲第6番(2013年12月10日、パリ・オペラ・コミック座)や、シカゴ交響楽団音源でロリン・マゼール指揮シカゴ交響楽団が演奏したブラームスのセレナード第2番(2005年2月、シカゴ・オーケストラ・ホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
 未完成交響曲はピリオド・スタイルを援用したスピーディーで見通しのよい演奏。
 シベリウスもシャープでクリアな音楽づくりと、いずれも聴き応えがあったのだけれど、前者では終演後、余韻もへったくれもない激しい咳が、後者でも同じく、余韻もへったくれもないフライング気味の拍手が会場を襲う。
 お気に召さない向きの抗議行動か。
 マゼールのブラームスは滋味あふれたオーソドックスな解釈で、シカゴ交響楽団も優れた演奏を披歴していた。


 午前中、仕事関係の予定をすませる。


 ソプラノのナタリー・デセイがルイ・ラングレー指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の伴奏で歌ったモーツァルトのオペラ・アリア集<Virgin>と、サイモン・ラトル指揮バーミンガム・シティ交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第7番<EMI>を聴き、それぞれのCDレビューをアップする。
 詳しくは、前々回前回の記事をご参照のほど。


 その後、NHK・FMの『きらクラ!』(途中から)、ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィルが演奏したハイドンの交響曲第96番「奇蹟」&第101番「時計」<DECCA>、シカゴ交響楽団音源でシャルル・デュトワ指揮シカゴ交響楽団が演奏したブリテンの青少年のための管弦楽入門(2012年11月、シカゴ・オーケストラ・ホール)や、WGBH音源でクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ボストン交響楽団が演奏したブラームスのヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲から第1楽章(アウグスティン・ハーデリッヒのヴァイオリン、アルバン・ゲルハルトのチェロ)&交響曲第2番(2013年9月21日、ボストン・シンフォニー・ホール)のライヴ録音を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、小和田哲男の『戦国史を歩んだ道』<ミネルヴァ書房>を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
 傘をさしても、濡れた濡れた。
 やれやれ。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』でイオン・マリン指揮大阪フィルのコンサートのライヴ録音(2014年5月29日、フェスティバルホール)を聴く。
 ブラームスの交響曲第4番とベートーヴェンの交響曲第2番から第4楽章が放送されていたが、やはりホールの音響がよくないのかどうにも締りのない感じがする。
 伊東信宏も、そんな演奏に似通ったもやもやねちゃっとした解説で面白くない。


 続けて、NHKラジオ第1の『アートドラマ 美女と巨匠〜ヒッチコックを愛した女〜』を途中から聴く。
 アルフレッド・ヒッチコックとその夫人アルマ、さらにイングリッド・バーグマンとのエピソードをドラマとおしゃべりでつないだ番組。
 1時間弱な上に途中から、しかも時折、それも一番大事なところで気象情報が割り込んでくるものだから、内容に関しては、まあ、まあといったものだが、アルマとイングリッド・バーグマンを演じた戸田恵子の「声の美人っぷり!」には感嘆した。
 この人が優れた声優でもあるということを再確認できたし、おしゃべりの部分での素の感じもとてもよかった。
 ヒッチコック役のアナウンサーの人も頑張っていたんだけれど、これで西田敏行が相手役だったらなあ…。
 そうそう、ヒッチコックから大きな影響を受けている上に、戸田さんの出演ということで、日本の有名な劇作家、脚本家にして映画監督経験者でもある人のことを思い出したのだが、これはまた別のお話。


 さらに、Radio4音源でセミョン・ビシュコフ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」のライヴ録音(2014年2月2日、アムステルダム・コンセルトヘボウ)を聴く。
 若干力で押している感じもしなくはないが、適度なテンポ設定ということもあり、もたれる演奏では全くなかった。
 天国的ならぬ、煉獄的な長さの演奏か。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『戦国史を歩んだ道』を読み進めたりする。


 今日は、ヤマザキのロボニャンのダブルケーキドーナツを食す。
 近くのグルメシティで、税込み30円に値下げされていたもの。
 まあ、30円ですからね。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サイモン・ラトルとバーミンガム・シティ交響楽団のブルックナーの交響曲第7番

☆ブルックナー:交響曲第7番

 指揮:サイモン・ラトル
管弦楽:バーミンガム・シティ交響楽団
(1996年9月/デジタル・セッション録音)
<EMI>CDC5 56425 2


 サイモン・ラトルも、来年1月の誕生日で満60歳か。
 いや、アバドもマゼールも、ブリュッヘンも亡くなったんだから、ラトルが60歳になるのも無理はないことだけど。
 ちょうどクラシック音楽を聴き始めた頃とラトルの初来日が重なって、FMで聴いたその颯爽として若々しい演奏が未だに鮮明に記憶に残っているせいか、時の流れの速さにはやはり唖然としてしまう。

 ラトルの実演に接したのは、まだ2回しかない。
 そのうち、1991年2月12日にザ・シンフォニー・ホールで聴いたバーミンガム・シティ交響楽団の来日公演のほうは、マーラーの交響曲第9番という大曲をまだ巧く掴みきれていなかったこともあって、音の波に流されているうちに演奏が終わり、ああ左利きのヴィオラ奏者がいたなとか、終演後の拍手が早過ぎたんじゃないかとか、些末なことばかりを思い出す。
 1993年9月8日、ケルンのフィルハーモニーで聴いた、これまたバーミンガム・シティ交響楽団とのコンサートのほうは、はっきりと音楽のことも覚えている。
 シャープでクリア、切れ味抜群のバルトークの管弦楽のための協奏曲に始まり、バーミンガム・コンテンポラリー・グループだったかな、小編成のアンサンブルによる精度の高い、シェーンベルクの室内交響曲。
 休憩後のお国物、エルガーのエニグマ変奏曲も、歌わせるべきところはたっぷり歌わせ締めるべきところはきっちり締めるドラマティックでシンフォニックな演奏で、おまけにアンコールのドビュッシーの牧神の午後への前奏曲の清澄な響きと、オーケストラ音楽の愉しさを満喫することができた。
 終演後、感極まった実業家然とした恰幅のよい見知らぬ壮年の男性から、「よかったねえ!」とドイツ語で声をかけられ、「はい!」と応えたほどだった。

 ラトルとバーミンガム・シティ交響楽団にとって後期の共同作業となる、このブルックナーの交響曲第7番は、彼彼女らの特性がよく表われたCDとなっている。
 先達たちの演奏と同様、叙情性に富んだ部分は伸びやかに歌わせつつ、音色自体は透明感にあふれていて、重たるくべたべたと粘りついたりはしない。
 また、第2楽章・トラック2の19分19秒から50秒あたりを作品の頂点に置きながらも、後半の第3、第4楽章でもしっかりメリハリをつけて飽きさせない音楽づくりなど、ラトルの本領がよく発揮されているのではないか。
 バーミンガム・シティ交響楽団も、そうしたラトルの解釈によく沿って、過不足のない演奏を繰り広げている。
 個々の奏者の技量云々より何より、アンサンブルとしてのまとまりのよさ、インティメートな雰囲気が魅力的だ。

 ただ、だからこそ、いつもの如きEMIレーベルのくぐもってじがじがとした感じの鈍くて美しくない音質がどうにも残念だ。
 実演に接したからこそなおのこと、クリアで見通しのよい録音がラトルとバーミンガム・シティ交響楽団の演奏には相応しいように感じられるのに。
 正直、ベルリン・フィルのシェフに就任してなお、EMIレーベルと契約を続けたことは、ラトルにとってあまり芳しいことではなかったように思う。

 いずれにしても、すっきりとして美しいブルックナーの交響曲第7番の演奏をお求めの方には、お薦めしたい一枚である。

 それにしても、ベルリン・フィルを去ったあとのラトルは、一体どのような音楽を聴かせてくれるのだろうか。
 非常に興味深く、愉しみだ。
posted by figarok492na at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ナタリー・デセイが歌ったモーツァルトのオペラ・アリア集「モーツァルト−ヒロインズ」

☆モーツァルト:オペラ・アリア集「モーツァルト−ヒロインズ」

 独唱:ナタリー・デセイ(ソプラノ)
 指揮:ルイ・ラングレー
管弦楽:エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
(2000年8月、9月/デジタル・セッション録音)
<Virgin>VC5 45447 2


 流れる時間は均一でも、年齢を重ねるごとにその感覚は大きく変わっていくのではないか。
 ナタリー・デセイが歌うモーツァルトのオペラ・アリア集「モーツァルト−ヒロインズ」を耳にしながら、へえ、このCDって14年も前に録音リリースされたものなのか、14年なんてほんとあっという間だなあ、という具合に。
 ただ、感覚はそうであったとしても、やはり時間はしっかり経過しているのであって、実際、このアルバムできれいな高音を聴かせているデセイも、14年のうちに声がどんどん重たくなってオペラで歌う役柄を大きく変えていき、ついには昨年秋オペラからの引退を発表するに到ってしまった。
 まあ、それはそれ。

 有名な『魔笛』の「復習の心は地獄のように」で、コロラトゥーラの技巧をばりばりと披歴して、つかみはOK。
 さらに9曲、いくぶん鼻にかかって気品があり、伸びがあってよく澄んだデセイの美しい歌声が続くのだから、これはもうこたえられない。

 で、フランス出身のコロラトゥーラ・ソプラノといえば、どうしてもパトリシア・プティボンのことを思い起こすのだけれど、あちらが歌劇の「劇」にも大きく踏み込んだ行き方をするのに対し、こちらデセイは歌を中心にした、言い換えれば歌そのもので劇空間を造り込む行き方に徹しているように思う。
 わかりやすい例を挙げれば、プティボンはダニエル・ハーディング指揮コンチェルト・ケルンの伴奏で歌っている<ドイツ・グラモフォン>、『ツァイーデ』の「けだもの!爪をひたすら磨ぎ澄まして」の、最後の「ティーゲル!」という一節。
 プティボンが彼女の魅力でもある地声っぽい声で台詞風に言い放つのに比して、デセイはあくまでも歌として締める。
 両者の違いがよく表われた部分なので、ご興味おありの方は、ぜひとも聴き比べていただきたい。

 それと、デセイの柔軟性に富んだ歌唱を識るという意味では、『後宮からの逃走』の「なんという変化が…深い悲しみに」と「ありとあらゆる苦しみが待ち受けていても」の2つのアリアを忘れてはならないだろう。
 前者での細やかな心の動き悲痛な表情、一転後者での激しさ力強さ。
 デセイという歌い手の表現力の幅の広さが端的に示されている。

 ルイ・ラングレーの指揮は、歌の要所急所をよく押さえているのではないか。
 上述ハーディングのような鋭敏さには欠けるが、デセイの歌にはラングレーの抑制のきいた音楽づくりがぴったりだとも思う。
 エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団も達者だ。

 モーツァルト好き、オペラ好きには大いにお薦めしたい一枚。
 デセイのファンはもちろんのこと。
posted by figarok492na at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする