2014年08月14日

書くことについて考えて(CLACLA日記)

 どんよりとした感じの強いお天気。

 気温も上昇し、むしむしと蒸し暑さがとても厳しい。
 暑い暑い暑い暑い。
 皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。


 オランダ出身のリコーダー奏者、フラウト・トラヴェルソ奏者、指揮者のフランス・ブリュッヘンが亡くなった。79歳。
 詳しくは、前々回の記事(『フランス・ブリュッヘンのこと』)をご参照のほど。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 沖縄の米軍普天間飛行場の移設計画に関し、防衛省が名護市辺野古での海底ボーリング調査に向けたブイの設置を始めた旨、報じられている。
 いろいろと考えることあり。


 昨夜、ちょっと後味の悪いことあり。
 自省あるのみ。

 その後、Radio4(やyoutube)でブリュッヘン指揮オランダ放送室内フィルが演奏したヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータ第80番「われらが神は堅き砦」、メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」、ヨーゼフ・シュトラウスの『とんぼ』のライヴ録音(2013年7月14日、アムステルダム・コンセルトヘボウ/オランダ放送室内フィルの解散コンサートでもあった)を聴いたりしながら、4時少し前まで『深雪またなん』の筆入れを行ったり、仕事関係の作業を進めたりする。


 午前午後と、Radio4でブリュッヘン指揮18世紀オーケストラが演奏したグルックのバレエ音楽『ドン・ジュアン』抜粋、ハイドンの協奏交響曲、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」(1984年12月3日、同)、バッハの「音楽の捧げ物」から6声のリチェルカーレ、ラモーの『ボレアード』組曲、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」&歌劇『皇帝ティトゥスの慈悲』序曲(1986年1月1日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『深雪またなん』の筆入れと打ち直しを行ったり、『フランス・ブリュッヘンのこと』や『カルタ遊び その3』(前回の記事をご参照のほど)をアップしたり、中澤日菜子の『お父さんと伊藤さん』<講談社>を読み進めたりする。
 ブリュッヘンと18世紀オーケストラが活動を始めて間もない頃の演奏は、快活で生気に満ちている。
 特に、劇性に富んで活き活きとした「プラハ」の面白いこと面白いこと。
 これはぜひ、生で聴いておきたかった。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの特集『ヨーロッパ夏の音楽祭2014』で、ルツェルン・イースター音楽祭から、アンドラーシュ・シフ指揮カペラ・アンドレア・バルカ他が演奏したベートーヴェンのミサ・ソレムニスのライヴ録音(2014年4月9日、ルツェルン文化会議センター・コンサートホール)を聴く。


 続けて、ヴァイオリンのアレクサンドル・ダ・コスタとマルツィオ・コンツィ指揮オビエド・フィルが演奏したサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番&交響曲第3番「オルガン付き」他<WARNER>、Radio4でブリュッヘン指揮オランダ放送室内フィルが演奏したフォーレの組曲『マスクとベルガマスク』、ハイドンの交響曲第82番「熊」のライヴ録音(2012年3月9日、フレデンベルク)を聴く。
 『マスクとベルガマスク』は、フォーレの作品の旋律の優美さ、たおやかさ、秘めた官能性がよく表わされた演奏だと思う。
 一方、ハイドンはじっくりゆったりと歌い込んだ演奏で、通常とは異なり不思議というか、ある種神秘的で妖しい美しさすら感じる。


 今日は、オイシスのもちもちオムレットオレンジショコラを食す。
 もちもちとした食感のココア生地でオレンジカスタードクリームとチョコホイップクリームを包んだオムレットタイプのケーキで、まあまあ美味しうございました。
 近くのローソンストア100で、50円引きだったもの。
 ごちそうさま!


 書くということを考える。
 何をどう書くかということについて考える。
 考えているうちにいてもたってもいられなくなってきて、駄文を重ねてしまっている。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カルタ遊び その3

 むべなるかな。
 元禄八年の冬、母方の伯父である鳥取藩の国家老荒尾氏のもとに身を寄せていた俊藤修理は、かつての同輩十河弾正より届いた書状に目を通し、そう嘆息した。
 書状には、播磨国三日月藩三万石の藩主で先頃奏者番に任ぜられたばかりの高遠摂津守有宇が江戸藩邸において激高した家老職の塩見豊後によって刺殺されたこと、さらにはそれがすでに御公儀の耳にも達し、三日月藩の改易が免れぬだろうことが記されていた。
 弾正は、摂津守の日頃の言行が今度の御沙汰につながったものとも付け加えていた。
 幕政進出の野望を胸に、策謀の限りを尽くしておられたあの方がこうも易々と亡くなるとは。
 世の中とは、なんと不可思議なものか。
 と思う反面、修理は因果応報、当然至極とも考えざるをえなかった。
 あの方は、一度たりとて腹の底から笑ったことのないお方だった。
 目の底はいつも笑ってはおられなかった。
 人を利用する術はよく心得られておられても、人の心を動かす術は全く心得られておられなかった。
 それがまた、家臣一同ばかりか、民百姓にまで見抜かれてもいた。
 しかも、家臣が諫言を重ねれば諫言を重ねるほど不機嫌の度合いを増し、結果身近な場所より遠ざける始末だった。
 一度丹後宰相頼尋卿よりその姿勢を厳しく叱責されたる際も、ただただ自らの手元の扇子を見つめるばかりで言葉もなく、頼尋卿立ち去りしあとは、あの老候を失脚させる手立てはないものかと俄然怒りの声を上げ、塩見豊後の心を強く苦しめたものだ。
 その塩見豊後があの方を殺したのである。
 何か途方もないことが起ったに違いない。
 と、修理は思い到らざるをえなかった。
posted by figarok492na at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | カルタ遊び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フランス・ブリュッヘンのこと

☆フランス・ブリュッヘンのこと


 昔、四条通から木屋町通を南側・五条京都駅方面に少し入ったところに、コンセール四条というクラシック音楽専門のレコード・ショップがあった。
 大学に入ってすぐのことだから、もう25年以上も前になるか、長崎にいた頃から『レコード芸術』の広告で見知っていたこの店に僕は足を運び、アルバイトを募集していませんかと突然口にした。
 お店のご主人は、「今、人が足りてるんですよ」と申し訳なさそうに応えたが、こちらがあまりに無念そうな表情をしているからだろう、「本来一人でやるものだから、アルバイト料は払えませんが、試しに物販の手伝いをしてみますか。まあ、手伝いといっても長椅子を並べたり片づけたりする程度だけど」と言葉を続けた。
 そうして手伝いに出かけたのが、完成したばかりの京都府長岡京記念文化会館で開催されたフランス・ブリュッヘン指揮18世紀コンサートの来日コンサート(1988年5月20日。このコンサートがこけら落としだったかもしれない)だった。
 物販の手伝いなのだから、当然音楽のほうは聴けないと思い込んでいたら、ご主人が1曲目のハイドンの交響曲第86番が終わったところで、「協奏曲だけど聴いてきたらいいよ」と言ってくれたのである。

 ブリュッヘンが亡くなったことを知ってすぐに思い出したのも、あのときのことだ。
 あのときは、コンラート・ヒュンテラーがソロを務めたモーツァルトのフルート協奏曲第1番を聴くことができたのだが、初めて生で接するオリジナル楽器の質朴な音色を愉しんだという記憶が残っている。
 その後だいぶん経ってから、ヒュンテラーとブリュッヘン&18世紀オーケストラはモーツァルトのフルート協奏曲集のCDをリリースしたのだけれど、あの時ほどの感慨を覚えることはなかった。
(その間、ヨーロッパ滞在中にオリジナル楽器による演奏や、ピリオド・スタイルによる演奏に慣れ親しんだということも大きいと思う)
 それにしても、ブリュッヘンの実演に接することができたのは、結局あの一曲限りになってしまった。

 1934年10月30日にアムステルダムで生まれたフランス・ブリュッヘンは、はじめリコーダー、フラウト・トラヴェルソ(フルートのオリジナル・スタイルで、まさしく木管)の名手として活躍した。
 その後、指揮者に転じ、1981年にはオリジナル楽器のオーケストラ、18世紀オーケストラを結成し、母国オランダのPHILIPSレーベルから数々のCDをリリースするなど、世界的に脚光を浴びた。
 また、モダン楽器のオーケストラの指揮にも進出し、最晩年には新日本フィルとも何度か共演を果たしていた。

 ブリュッヘンの音楽の特徴をどう評するべきか。
 ちょっと観念的な物言いになって嫌なのだが、それは、リコーダーにせよフラウト・トラヴェルソにせよ、指揮にせよ、彼自身が信じる音楽の真髄(神髄)を綿密真摯に再現するということに尽きるのではないか。
 例えば、同時期にオリジナル楽器の一方の雄として立ったニコラウス・アーノンクールのような、激しい強弱やアクセントの変化を多用してアクの強い音楽を確信犯的に再現する行き方とは、一見対極にあるように感じられるブリュッヘンだが、その実、自らの核となるものを遮二無二再現するという意味では、やはり相似たものを僕は感じずにはいられない。
 オリジナル楽器とモダン楽器の共演というコンセプト云々以前に、音楽の持つ尋常でなさとブリュッヘンの意志の強さとが絡み合ったベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」、青空の中に薄墨色の雲が時折混じっていつまで経っても消えないようなシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」、ハイドンの音楽の活き活きとした感じがよく表わされた交響曲第86番&第88番<いずれもPHILIPS>。
(表現のあり様の違い、オーケストラの向き合い方の違いもあって、ブリュッヘンはアーノンクールやロジャー・ノリントンらほどには、いわゆるメジャー・オーケストラとは共演していないのではないか。その分、オランダ放送室内フィルやノルウェーのスタヴァンゲル交響楽団といったオーケストラと興味深い演奏活動を繰り広げてもいたが)

 ただし、僕自身は、ブリュッヘンのあまりよい聴き手だったわけではない。
 と、いうのも一つには、ブリュッヘン指揮のCDのほぼ全てがライヴ録音によるものだったからだ。
 単に好みの問題ではあるのだけれど、初めの頃のような拍手つきの一発録り(たぶん)ならばまだしも、ライヴ録音を継ぎ接ぎするという行為になんとも曰く言い難い割り切れなさを感じる。
 おまけに、交響曲第29番&第33番<PHILIPS国内盤>での弦楽器のみゅわみゅわみゅわみゅわした音色がどうにも気持ち悪く、以来ブリュッヘンのCDは敬遠しがちだった。

 それならば実演で。
 と、いうことになりそうなのだが、上述したヨーロッパ滞在中(1993年9月〜1994年3月)にもブリュッヘンの生のコンサートに接する機会はなく、それ以降も結果としてブリュッヘンの実演を耳にする機会は逸してしまった。

 数年前、最初の新日本フィルへの客演が決まった頃から、音楽関係の何人かの方に「ブリュッヘンはもう危ない」といった趣旨の話を聞かされていた。
 昨年の来日が告別の挨拶代りのものであったということや、18世紀オーケストラの解散、それからyoutubeでアップされた彼の最近の姿を目にし、その音楽を耳にするに、彼の死は充分予想されたものだった。
 だから、先日のロリン・マゼールの死ほどに激しい驚きを与えられることはなかった。
 けれど、何か大きなものを失ってしまったという重さを強く感じたことも事実である。
 そしてそれは、彼の実演を避けて来た自分自身のとり返しのつかなさ、深い後悔とも大きくつながっている。

 昨夜、彼の死を知ってから、2013年7月14日にアムステルダム・コンセルトヘボウで行われたオランダ放送室内フィルの解散コンサートでの演奏をRadio4の音源とyoutubeにアップされた動画で繰り返し聴いた。
 マルティン・ルターによる讃美歌『神はわがやぐら』を引用したヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータ第80番とメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」には、音楽的な関連性云々ばかりでなく、オランダ放送室内フィル解散への「プロテスト」を感じる。
 そして、日本の最後の客演でも演奏されたアンコールのヨーゼフ・シュトラウスの『とんぼ』。
 幾重にも別れを告げているかのようで、なんとも美しく哀しい。

 深く、深く、深く、深く黙祷。
posted by figarok492na at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする