2014年08月08日

台風接近中 びわ湖の花火大会の音で黒澤明監督の『八月の狂詩曲』を思い起こす(CLACLA日記)

 台風11号が接近中。
 朝方は青空が見えていたものの、どんどんどんよりし始め、夕方になって雨が強く降り出す。

 気温は下がったが、じめじめとして快ならず。
 気圧と湿度がこたえる。


 夜、どんどごどごどごと轟いていたのは、びわ湖の花火大会の音だったのか。
 はじめのうちは雷鳴かと思い、後述『黒澤明の遺言』を読んだばかりな上に、明日が8月9日ということで、黒澤監督の『八月の狂詩曲』のラストシーンを思い出してしまった。
 映画としての面白さはひとまず置くとしても、長崎市出身の人間としては、あの『八月の狂詩曲』での被爆地長崎の描写は、良くも悪くも「外の人間」によるものという気がして仕方なく、おまけに黒澤さんの表現主義からの影響の残滓(例えば盲目の被爆者たち)には若干辟易もするのだけれど、原作(『鍋の中』)者の村田喜代子ではないが、あのラストシーンには強く心を動かされる。
 雷鳴をピカと勘違いして、激しい雨風の中を駆け出す村瀬幸子演じる主人公。
 彼女を追いかけるも、全く追い付けずすっ転び出す息子やその嫁、孫たち。
 そして…。
 観ようによってはぶち壊しともとられかねないが、あのシーンを観ることができただけで、その他の不満はすごんと解消されてしまう。
 築地の小劇場出身で長年俳優座に属し、確かな演技力で舞台、映画、テレビドラマの脇をしっかり堅め続けてきた村瀬さんにとって、この『八月の狂詩曲』の主人公役は、大森健次郎監督の『地震列島』での因果応報押し潰される義母、吉田喜重監督の『人間の約束』での痴呆症の女性ともども、その最晩年に到達した生涯屈指の演技であると思う。


 アメリカ政府がイラク北部のイスラム過激派に対して「限定的空爆」を行うと。
 いろいろと考えることあり。


 明け方5時過ぎまで、『深雪またなん』の筆入れを行う。


 なのに、8時過ぎには目が醒める。
 おじいちゃん。
 てか、昨夜、コーヒーやジャスミンティーを飲んでしまったせいだろう。


 まだ青空が見えているうちにと、毎週恒例の洗濯をすませる。
 乾き、思ったよりもよろし。
 ほっ。


 KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『深雪またなん』の筆入れを行ったりする。


 13時過ぎ、眠気に勝てず寝直す。
 1時間半から2時間。


 ヴァイオリンのアレクサンドル・ダ・コスタとマルツィオ・コンティ指揮オビエド・フィルが演奏したサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番&交響曲第3番「オルガン付き」他<WARNER>、Radio4でアダム・フィッシャー指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」のライヴ録音(2014年7月27日、ザルツブルク・モーツァルテウム)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『深雪またなん』の打ち直しを行ったりする。


 都築政昭の『黒澤明の遺言』<実業之日本社>を読了する。
 黒澤さん自身が遺した言葉は、ぐっと胸にも腑にも落ちるが、都築氏の解説は善意はうかがえるもののどこか上っ面という感じがして、どうもしっくりこなかった。


 続けて、高野悦子の『岩波ホールと<映画の仲間>』<岩波書店>を読み始める。
 高野悦子というと、どうしても立命館大学の先輩で『二十歳の原点』の彼女のことを思い出してしまうが、長年岩波ホール総支配人を務めた高野悦子についても忘れてはなるまい。
 岩波ホールで映画を観たのは、アンジェイ・ワイダ監督の『婚礼』だけだけど、サタジット・レイ監督の『見知らぬ人』など、彼女のおかげで接することのできた作品は、やはり少なくない。
 なお、高野さんはこの回顧録が刊行された昨年2月に亡くなられてしまった。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
 小雨だからと自転車で出かけたら、買い物をしているうちに雨が強くなって、けっこうびしょびしょになる。
 自業自得。
 やれやれ。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、スピーチェル弦楽4重奏団のコンサートのライヴ録音(2013年10月16日、ラトヴィア・リガ ギルド・ホール)を聴く。
 ヴィートルスの弦楽4重奏のためのミニアチュール、ヴァスクスの弦楽4重奏曲第5番、シューベルトの弦楽5重奏曲(クリスティーネ・ブラウマンのチェロ)が演奏されていた。
 真摯な演奏なれど、どうにも塩辛い音であまり愉しめず。


 続けて、Radio4でバリー・ダグラスとヴァレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団が演奏したブラームスのピアノ協奏曲第1番(2014年7月24日、ロンドン ロイヤル・アルバート・ホール プロムスの公演)、チェロのクレメンス・ハーゲンとピアノのキリル・ゲルシュタインが演奏したベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番(2014年7月27日、ヴェルビエ)のライヴ録音を聴く。
 ベートーヴェンのチェロ・ソナタが聴きもの。
 重々し過ぎずあざと過ぎずと、実に魅力的な演奏だった。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『岩波ホールと<映画の仲間>』を読み進めたりする。


 今日は、不二家のヤスダヨーグルトのクリームパフを食す。
 近くのグルメシティで、税込み53円に値下げされていたもの。
 ヤスダヨーグルトを原材料としたクリームを包んだホイップケーキで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お芝居を観たあともいろいろあって、帰宅が遅くなる(深夜のCLACLA)

 どんよりとしたお天気の一日。
 夜になって雨も降る。
 台風11号が接近しているからか。

 じめじめむしむしとして暑さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。


 リーダビリティーについて考える今日この頃。
 そして、文章を書くことについて考える今日この頃。


 昨夜、KBS京都でAKB48のオールナイトニッポンを拾い聴きしたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『深雪またなん』の筆入れを行ったりする。
 AKB48のオールナイトニッポンは本の出版を記念して指原莉乃が出演していたが、秋元康やリリー・フランキーといったおっさん陣がべしゃっているのがなんとも辛く、拾い聴きになる。
 あと、指原が本の内容を覚えていないみたいなことを言って、思わず松本伊代のことを思い出した(自分が書いたはずの本を「読んでないからわからない」と答えて、片岡鶴太郎に突っ込まれた一件)が、彼女のインタビューを谷口という人が巧くまとめた本のようで、疲れていたときのインタビューなので内容を忘れたと付け加えていた。


 午前午後と、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』やヴァイオリンのアレクサンドル・ダ・コスタとマルツィオ・コンツィ指揮オビエド・フィルが演奏したサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番&交響曲第3番「オルガン付き」他<WARNER>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『深雪またなん』の筆入れを行ったり、都築政昭の『黒澤明の遺言』<実業之日本社>を読み進めたりする。


 17時半に外出し、仕事関係の用件を片づけたのち元・立誠小学校へ。
 木工室でイッパイアンテナの怪談『遠野物語』(柳田國男原作、大崎けんじさん脚色・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前終演後、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。


 以上、8月7日の日記。


 終演後、いろいろあって帰宅が1時半過ぎる。
 確かに、愉しいことを優先させるのは大切なことだと痛感する。
 ああ、愉しかった!


 帰宅後、観劇記録の準備をすませ、『深雪またなん』の筆入れを行う。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 04:01| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イッパイアンテナの怪談『遠野物語』

☆イッパイアンテナの怪談『遠野物語』

 原作:柳田國男
 脚色:大崎けんじ
 演出:大崎けんじ
(2014年8月7日19時開演/元・立誠小学校木工室)


 諸々あって一旦活動を停止したイッパイアンテナが、大崎けんじ(崎は、本当は大ではなく立)を中心とする団体としてこの度活動を再開した。
 その第一回目の公演となる『遠野物語』は、柳田國男が蒐集した岩手県遠野地方の怪奇譚そのものとともに、柳田と遠野の若者佐々木鏡石らとのやり取りを織り込むことで、怪奇譚怪談の背景となる地元の自然や生活であるとか、都市と地方との関係性、さらにはアクチュアリティの問題に目配せした、意欲的で幅の広い作品づくりが試みられていた。
(その意味でも、井上ひさしのことをすぐに思い起こした)
 1時間という上演時間もあってか、物語の構成等で喰い足りなさを覚えた部分もなくはなかったが、イッパイアンテナのこれからの方向性がよく表われた作品であり公演となっていたことも確かだろう。

 金田一央紀は、張りのある美声と滑稽なキャラクターが持ち味。
 表層的であるとともにどこか狂躁的でもある柳田國男の再現に努めていた。
 公演回数を重ねることで、さらにならされ造り込まれていくのでは。
 一方、佐々木鏡石役の、あぶ潤(芝居ぶる男)は、若干粗さはありつつも、岩手出身という強みに加え、あぶさん自身の鬱屈した感じが巧く重なり合って、リアリティのある人物像を生み出していた。
 特に、終盤、この作品の肝となる部分での声が強く印象に残る。
 三鬼春奈は、プレイベントの「ストリート怪談」も含めて、いつもながらの巧さ達者さ。
 ただ、行燈(蝋燭)程度の明度であるはずのものが、ガスランプ程度の明度をもって示されているというか、芯の強さが透けて見えるというか、本来求められているだろう役回りといくぶん齟齬を感じたことも事実だ。

 いずれにしても、イッパイアンテナの今後の活動に注目するとともに、出演者はじめ関係者の皆さんの今後の一層の活躍に期待していきたい。
posted by figarok492na at 03:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする