晴天が続く。
いいお天気、いい青空で、ゴールデンウィークのスタートに相応しい日和だった。
気温も上昇し、日中は暑さすら感じた。
それでも、まだ花粉禍は続く。
目の周りの痒みや首筋のがさがさ、くしゃみに悩まされるなど、実に厄介だ。
やれやれ。
連合のメーデーに安倍総理も出席して一席ぶったというが、なんだかなあである。
昨夜、ラジオ深夜便を聴いたのち(ラジオ深夜便については、前回の記事をご参照のほど)、KBS京都でアルコ&ピースのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時半頃まで仕事関係の作業を進めたり、『千春日和』について考えたりする。
アルコ&ピースのオールナイトニッポンには、スペシャルウィークのゲストとして、こじるりこと小島瑠璃子が出演していたが、「(こうしたスペシャルウィークのゲストは)いつものやり取りが失われてしまうから、ヘヴィリスナーには好まれていないのでは」といった趣旨の言葉に、気配りと回転の速さが表われていたりして、彼女、頭いいなあと強く思う。
今日も、近所で建築作業をやっている!
作業している人たちにではなく、作業をさせている雇い主に腹が立つ。
神罰よ下れ!
KBS京都の『桂塩鯛のサークルタウン』や、ギターのミロシュ・ガラダグリッチとヤニク・ネゼ=セガン指揮ロンドン・フィルが演奏したロドリーゴのアランフェスの協奏曲&ある貴紳のための幻想曲他<ドイツ・グラモフォン>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『千春日和』について考えたり、出久根達郎の『七つの顔の漱石』<晶文社>を読み進めたりする。
14時半に外出し、仕事関係の大切な予定をすませる。
その後、夕飯用の買い物をすませて、18時半頃帰宅した。
帰宅後、NHK・FMの『ビバ!合唱』を聴く。
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ他が演奏したハイドンのオラトリオ『四季』のうち、合唱曲を中心に放送されていたが、若き日のバーバラ・ボニーの歌声のなんと美しいこと!
歯切れのよいオーケストラに清澄な合唱と、演奏自体とても優れており、この録音(全曲)はぜひ手元に置いておきたいと改めて思った。
しばらく間を置いて、同じくNHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴く。
伊福部昭の生誕100年を記念し、「−前橋汀子が弾く伊福部昭−」と題して、前橋汀子と山田夏精(山田一雄)指揮東京フィルが演奏した伊福部昭のヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲と、山岡重信指揮東京フィルが演奏した同じく伊福部昭のシンフォニア・タプカーラが放送されていた。
協奏風狂詩曲では、おなじみ『ゴジラ』のテーマが顔を出したり、芥川也寸志の交響三章を想起させるような音楽が飛び出したりと、非常に興味深かった。
シンフォニア・タプカーラも、伊福部昭ならではの大柄な作品だった。
続けて、ロドリーゴのCDを聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『千春日和』について考えたり、『七つの顔の漱石』を読み進めたりする。
今日は、横山のカステラの野菜カステラを食す。
六角のローソンストア100で購入したもの。
前にも記したが、野菜入りのカステラではなく、野菜の形を模した一口カステラである。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2014年04月26日
ラジオ深夜便で幸田延の作品を聴いた
金曜深夜のラジオ深夜便といえば、通常関西など地方局からの放送だが、連休間近ということもあってか、今夜はおなじみ遠藤ふき子アンカーで東京からの放送となっていた。
で、11時台、0時台は、音楽評論家の萩谷由喜子を迎え、瀧廉太郎と幸田延に関する特集が組まれていたのでけれど、『荒城の月』の原曲(現行版は、山田耕筰によって音の変更が行われ、ピアノ伴奏が加えられている)が聴けた11時台も悪くなかったが、なんと言っても幸田延の作品が放送された0時台が聴きものだった。
幸田延[1870−1946]は、幸田露伴の妹(露伴の娘幸田文が『小石川の家』で延についても触れていて、久世光彦演出でドラマ化されたときは、先年亡くなった淡島千景が延を演じていた)で、もう一人の妹幸(結婚して安藤姓に。ヴァイオリニスト)とともに、日本の洋楽受容史を語る際には決して忘れてはならない存在である。
アメリカ、ドイツ、オーストリアへの留学経験があり、ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家としてその才能を発揮したほか、東京音楽学校の教授として後進の指導にもあたった(瀧廉太郎も師事した)が、女性蔑視、男尊女卑、女性への嫉妬によるバッシングもあって(「上野の西太后」等と揶揄された)東京音楽学校を追われ、その後は楽壇と完全に距離を置いた。
こうした彼女の経歴に関しては先日読了したばかりの青島広志の『クラシック漂流記』<中央公論新社>にも触れられており、そこでも高く評価されていた二曲のヴァイオリン・ソナタが今夜放送された。
池辺晋一郎によって欠落部分が補われているというが、ブラームスやシューマンは無理としても、ブルッフやヘルツォーゲンベルクあたりの初期の作品と言われれば、へえなるほどと思ってしまえそうな、ドイツ・ロマン派の語法に沿った弾き栄えのする音楽で、青島さんが記していた通り、瀧廉太郎の作品よりも聴き応えがある。
(そうそう、池辺さんと長年『N響アワー』でコンビを組んだ檀ふみが『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で幸田延を演じていたんだった。もしかしたら、『N響アワー』でもそのことに触れたことがあったかもしれない)
それと、これまた青島さんが記していた、幸田延が作曲した神奈川県立高等女学校・現神奈川県立横浜平沼高校校歌(佐佐木信綱作詞)を聴くことができたのも大収穫だ。
陰から陽への変化、特に陽のあたりのメロディには、ブラームスの合唱曲を想起する。
また、冒頭の音型が『荒城の月』と全く同じで、その点青島さんは疑問を呈していたのだけれど、これは教え子の瀧廉太郎に対するオマージュという萩谷さんの見解に僕も与したい。
ところで、今夜読み終えたばかりの『いつも私で生きていく』<KKベストセラーズ>の著者草笛光子も同校の出身(神奈川県立横浜第一高等女学校時代。ただし、松竹歌劇団に入ったため、草笛さんは卒業できなかった)だが、その草笛さんの名前が出たのは、偶然ながら嬉しかった。
(ちなみに、遠藤ふき子アンカーも平沼高校の出身とのこと)
残念だったのは、放送がラジオ第1でステレオ放送ではなかったことだけれど、これはまあ仕方あるまい。
いずれにしても、ああ、面白かった!
で、11時台、0時台は、音楽評論家の萩谷由喜子を迎え、瀧廉太郎と幸田延に関する特集が組まれていたのでけれど、『荒城の月』の原曲(現行版は、山田耕筰によって音の変更が行われ、ピアノ伴奏が加えられている)が聴けた11時台も悪くなかったが、なんと言っても幸田延の作品が放送された0時台が聴きものだった。
幸田延[1870−1946]は、幸田露伴の妹(露伴の娘幸田文が『小石川の家』で延についても触れていて、久世光彦演出でドラマ化されたときは、先年亡くなった淡島千景が延を演じていた)で、もう一人の妹幸(結婚して安藤姓に。ヴァイオリニスト)とともに、日本の洋楽受容史を語る際には決して忘れてはならない存在である。
アメリカ、ドイツ、オーストリアへの留学経験があり、ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家としてその才能を発揮したほか、東京音楽学校の教授として後進の指導にもあたった(瀧廉太郎も師事した)が、女性蔑視、男尊女卑、女性への嫉妬によるバッシングもあって(「上野の西太后」等と揶揄された)東京音楽学校を追われ、その後は楽壇と完全に距離を置いた。
こうした彼女の経歴に関しては先日読了したばかりの青島広志の『クラシック漂流記』<中央公論新社>にも触れられており、そこでも高く評価されていた二曲のヴァイオリン・ソナタが今夜放送された。
池辺晋一郎によって欠落部分が補われているというが、ブラームスやシューマンは無理としても、ブルッフやヘルツォーゲンベルクあたりの初期の作品と言われれば、へえなるほどと思ってしまえそうな、ドイツ・ロマン派の語法に沿った弾き栄えのする音楽で、青島さんが記していた通り、瀧廉太郎の作品よりも聴き応えがある。
(そうそう、池辺さんと長年『N響アワー』でコンビを組んだ檀ふみが『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で幸田延を演じていたんだった。もしかしたら、『N響アワー』でもそのことに触れたことがあったかもしれない)
それと、これまた青島さんが記していた、幸田延が作曲した神奈川県立高等女学校・現神奈川県立横浜平沼高校校歌(佐佐木信綱作詞)を聴くことができたのも大収穫だ。
陰から陽への変化、特に陽のあたりのメロディには、ブラームスの合唱曲を想起する。
また、冒頭の音型が『荒城の月』と全く同じで、その点青島さんは疑問を呈していたのだけれど、これは教え子の瀧廉太郎に対するオマージュという萩谷さんの見解に僕も与したい。
ところで、今夜読み終えたばかりの『いつも私で生きていく』<KKベストセラーズ>の著者草笛光子も同校の出身(神奈川県立横浜第一高等女学校時代。ただし、松竹歌劇団に入ったため、草笛さんは卒業できなかった)だが、その草笛さんの名前が出たのは、偶然ながら嬉しかった。
(ちなみに、遠藤ふき子アンカーも平沼高校の出身とのこと)
残念だったのは、放送がラジオ第1でステレオ放送ではなかったことだけれど、これはまあ仕方あるまい。
いずれにしても、ああ、面白かった!