2013年10月21日

楠堂葵さんの水彩画展を拝見した(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはありつつも、いいお天気、いい青空へ。
 晴天の一日。

 気温もけっこう上昇する。
 まあ、暑いというほどではなかったが。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 コラムニストの天野祐吉が亡くなった。80歳。
 『広告批評』(島森路子も今年亡くなったんだった)を創刊し、広告批評CM批評を通じてこの国のあり様に鋭い指摘を続けてきた。
 また、テレビやラジオにも活発に出演したほか、朝日新聞に「私のCMウォッチング」、「CM天気図」を長年連載した。
 花田清輝の系譜というと語弊があるかな、軽みをおびてわかりやすい、けれどしっかり筋の通った文章の書き手で、僕も学ぶところ刺激を受けるところ大だった。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 そういえば、天野さんはクラシック音楽が好きだったんだよなあ。


 昨夜、youtubeに投稿された『伊集院光の深夜の馬鹿力』の一部や、フォルテピアノのスティーヴン・ルービンが弾いたモーツァルトのきらきら星(ああ、ママに言うわ)変奏曲、内田光子がカメラータ・ザルツブルクを弾き振りした同じくモーツァルトのピアノ協奏曲第13番を聴いたりしながら、5時半近くまで仕事関係の作業を進める。


 正午過ぎに起きて、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮サンクト・ペテルブルク・マリンスキー(キーロフ)劇場管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」&幻想序曲『ロメオとジュリエット』<PHILIPS>、ピアノのスヴェトラ・プロティッチが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第15番、きらきら星変奏曲、ソナタ第8番、第11番「トルコ行進曲つき」<キング>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 青木正美の『ある「詩人古本屋」伝』<筑摩書房>を読了する。


 16時台に外出し、仕事関係の予定をすませたのち大丸へ。
 6階美術画廊で開催されている楠堂葵さんの水彩画展「〜からまる〜」を拝見する。

 とても細やかな作業が行われているはずなのだけれど、そうしたことばかりでなく、楠堂さんが描こうとするものやこと、そして繊細でありながら感情豊かな色遣いに心奪われる。
 いやあ、眼福眼福。

 作品をじっくり拝見したあと、楠堂さんと少しお話させていただくこともできた。
 本当にありがとうございました。

 明日までの開催ということで、お時間おありの方はぜひ!


 その後、仕事関係の用件を片づけたのち京都芸術センターへ。
 藤本隆志さんと遭遇して、しばらく話しをした。
 藤本さんから、京都国際舞台芸術祭のShe She Pop(これは観ておきたかったのだけれど、観ることができなかった…)関連の企画があると聴き、できれば参加したかったのだが、あとの予定が詰まっていたため、やむなく京都芸術センターをあとにする。
 どうにも残念。


 で、19時半頃にいったん帰宅する。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮フランス放送フィルのコンサートのライヴ録音を聴く。
 ドビュッシー(ホロウェイ編曲)の『白と黒で』、ピアノと管弦楽のための幻想曲(ジャン・フレデリック・ヌーブルジェの独奏)、チャイコフスキーの交響曲第4番などが演奏されていた。
 ヴェデルニコフといえば、マルタ・アルゲリッチとのショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番でスイス・イタリア管弦楽団をよくドライヴして見事な伴奏を披歴していたが、今回もコントロールのよくきいた音楽を造り上げていた。
 中でも、ドラマティックでクリアなチャイコフスキーが印象に残る。


 夕飯後、仕事関係の予定をすませる。


 今日は、ロピアのプチ・ティラミスを食す。
 近くのドラッグランドひかりで、50パーセント引き、税込み64円だったもの。
 ティラミス風のプチカップケーキで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 日本シリーズは、楽天と巨人の対決か。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勘違いで焦った(深夜のCLACLA)

 どんよりとしたお天気の一日。
 お昼過ぎまで雨が降っていたが、夕方頃にはやむ。
 もちょっと早くやんでくれたらなあ…。

 気温はまあ上昇か。
 夜になって肌寒い感じが強まってきたが。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 昨夜、3時半頃まで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて、仕事関係の予定をすませる。


 正午過ぎに市バスで移動し、東山青少年活動センターの創造活動室で、コントユニットぱらどっくすの第3回公演『悩みでかなら、やらいでか。』(左子光治君書き手・導き手)を観る。
 詳しくは、前々回の記事をご参照のほど。

 開演前終演後、左子君らとあいさつをする。

 その後、河原町に移動。
 仕事関係の予定の前に少し時間があいたので、OPAのタワーレコードでしばらく試聴を愉しむ。
 まずタワーレコード・レーベルから再リリースされたキリル・コンドラシン指揮ウィーン・フィルが演奏したドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」<DECCA原盤>をつまみ聴きしたが、リマスタリングの成果もあってか、非常にドラマティックな音楽に仕上がっている。
 レコード初出時に中庸な演奏などと評されたのが不思議なくらい。
(ふと、チョン・ミュンフムとウィーン・フィルが同じ曲を取り上げたらけっこうこんな感じになったのではないかと思ったりもした)
 続けて、同じタワーレコード・レーベルから再リリースされたフェルディナント・ライトナー指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」&第31番「パリ」、バレエ音楽『レ・プティ・リアン』序曲をつまみ聴きする。
 いわゆるピリオド奏法とは異なる、非常にオーソドックスな音楽づくりだが、交響曲は快活で緩まないテンポ設定とバイエルン放送交響楽団の達者な演奏もあって、あまり古さを感じない。
 『レ・プティ・リアン』序曲は比較的遅めのテンポだが、管楽器のソロなど細部の美しさがよくわかり、なかなか愉しい演奏だ。
 1959年の古い録音だけれど、これまたリマスタリングの成果だろう、少し耳に鋭い感じはするものの、あまり問題は感じない。


 仕事関係の予定をすませ、市バスで洛北高校前まで移動。
 そこから人間座スタジオまで歩いて行くも、これが誰もいない。
 ヲサガリの公演を観るためだったが、どうやら場所を勘違いしていたようだ。
 焦っていろんな人に電話をかけ、ようやく百万遍近くの思文閣美術館地下と判明する。
 で、ちょうどいい具合にバスが来て、開演時間にぎりぎり間に合った。
 思い込みは禁物である。

 ヲサガリ、逆輸入公演の『不透明な底』と『Re:子供』については、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 終演後、『Re:子供』で使用されたドミノで遊ぼうという企画があって、迷わず参加する。
 関係各氏と話しをすることもできた。

 その後、近くのジェイムスキッチンの2階で少し遅めの夕飯をとる。
 食べ放題で、お腹ぱんぱんなり。


 22時過ぎに帰宅する。
 移動中、青木正美の『ある「詩人古本屋」伝』<筑摩書房>を読み進めた。


 以上、10月20日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

記憶の流れと意識の流れ ヲサガリ、逆輸入公演『不透明な底』と『Re:子供』

☆ヲサガリ、逆輸入公演『不透明な底』、『Re:子供』

 『不透明な底』
 脚本・演出:久保田文也

 『Re:子供』
 原案:福田英城
 脚本:久保田文也、小川晶弘
 演出:久保田文也
(2013年10月20日19時開演の回/思文閣美術館地下一階 Chika)


 名古屋学生演劇祭で演劇祭賞を受賞したヲサガリ(京都工芸繊維大学を拠点とした、フク団ヒデキの後継団体)の凱旋公演とでも呼ぶべき、逆輸入公演の『不透明な底』と『Re:子供』を観たが、いずれも記憶の流れ、意識の流れが重要なモティーフとなっていたのではないか。

 まず、小川晶弘の前説ひとり芝居『不透明な底』から。
 男友達と劇団仲間の女性の三人で製作したインディーズ映画『不透明な底』でのエピソードについて、カメラマンだった人物が語っていくという内容。
 テキストの言葉の選択や映像の使用等作品の構成に粗さを感じたり、小川君の演技に抜けを感じたりしたものの、「藪の中」的な事実と感情の不確かさ、不透明さと、小川君の原に一物二物ありそうな雰囲気はよく合っていたと思う。
 そうそう、唐突だけど、小川君は落語をやってみてはどうかなあ。
 「若旦那」物とか、けっこう柄にはまりそうだけど。

 続いて、名古屋学生演劇祭賞受賞の『Re:子供』。
 実は、第二回京都学生演劇祭でフク団ヒデキが上演した『子供』(その際は、福田英城と小川君が出演)を仕立て直した作品なのだが、舞台上でひたすらドミノに向き合うといった実験味の強かった原作に比して、こちらは市川準の映画作品を観ているようで、早くに母親を、そして少し前に父親を亡くした兄と妹のインティメートな雰囲気がよく醸し出されていたのではないか。
 途中だれ場はありつつも、小川君のおかしみも巧く表われていて、観ていて好感の持てる作品に仕上がっていた。
 高田有菜も真摯な演技だった。

 ヲサガリのウェットに過ぎないリリカルな共同作業(久保田君と小川君らの)を、今後も注目していきたい。
posted by figarok492na at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする