2013年10月17日

晴天の一日(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 気温は今日もあまり上昇せず。
 夕方以降、肌寒い感じが増す。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 アメリカ政府のデフォルト(債務不履行)が回避された。
 いろいろと考えることあり。


 いわゆる名張毒ブドウ酒殺人事件の奥西勝死刑囚の再審請求について、最高裁は奥西死刑囚の特別抗告を棄却した。
 つまるところ、これは帝銀事件の故平沢貞通死刑囚と同じなのではないのか。
 87歳の奥西死刑囚が亡くなることを、司法(政府)の側は待っているという意味で。


 5時近くまで、仕事関係の作業を進める。


 正午過ぎてから起きる。


 デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」<SONY/BMG[RCA]>、バリトンのクリスティアン・ゲルハーエルがケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団の伴奏で歌ったマーラーの声楽曲集<同>を聴いて、それぞれのCDレビューをアップする。
 詳しくは、前々回前回の記事をご参照のほど。

 ほかに、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮サンクト・ペテルブルク・マリンスキー(キーロフ)劇場管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」&幻想序曲『ロメオとジュリエット』<PHILIPS>も聴く。


 仕事関係の作業を進めたり、中里友香の『カンパニュラの銀翼』<早川書房>を読み進めたりする。


 16時台に外出し、仕事関係の予定をすませ、京都芸術センターに寄り、夕飯用の買い物をすませて、18時過ぎに帰宅した。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、シュヴェツィンゲン音楽祭における、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラのコンサートのライヴ録音を聴く。
 モーツァルトの交響曲第21番、グレトリーの歌劇『ゼミールとアゾール』抜粋他(ソプラノのゾフィー・カルトホイザーの独唱)、モーツァルトの交響曲第33番が演奏されていた。
 ほかに、余った時間で、レオポルド・モーツァルトのシンフォニア・ブルレスコのCD録音も放送される。

 続けて、ゲルギエフによるチャイコフスキーのCDを再び聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『カンパニュラの銀翼』を読み進めたりする。
 ほかに、福永文夫の『大平正芳』<中公新書>の拾い読みもした。


 今日は、クリームクラン・ピーナッツクリームクッキーを食す。
 近くのダイソーで購入した、マレーシア原産のもの。
 ピーナッツクリーム入りの小ぶりなクッキーで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 5年後、ヨーロッパで長期的に暮らすことができるよう努力していかなければ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲルハーエルとケント・ナガノのマーラー

☆マーラー:声楽曲集

 独唱:クリスティアン・ゲルハーエル(バリトン)
 指揮:ケント・ナガノ
管弦楽:モントリオール交響楽団
(2012年1月/デジタル・ライヴ録音)
<SONY/BMG>88883701332


 大地の歌で優れたコンビネーションを発揮した、ドイツ出身のバリトン歌手クリスティアン・ゲルハーエルとケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団による、マーラーの声楽曲集(さすらう若者の歌、亡き子をしのぶ歌、リュッケルトの詩による5つの歌曲)である。
 すでにゲルハーエルは、ゲロルト・フーバーのピアノ伴奏でマーラーの声楽曲集を録音していたし、さすらう若者の歌にいたってはハイペリオン・アンサンブルとシェーンベルク編曲の室内アンサンブル伴奏版すら録音しているが、今回のアルバムは、まさしく満を持してというか、ゲルハーエルのマーラー歌唱の現段階での集大成とでも呼ぶべき充実した内容となっている。
 上述したハイペリオン・アンサンブルとの若々しい歌声に比べれば、若干声の経年変化は否めないのだけれど、細部までよくコントロールされる歌唱の根幹はそのままに、より表現に厚みと安定感を加えていることも、また確かな事実だろう。
 例えば、亡き子をしのぶ歌での悲嘆と諦念、リュッケルトの5つの詩の第1曲「私の歌をのぞき見しないで」の蠱惑的なと言ってもよいような歌いまわし等、ゲルハーエルの成熟ぶりがよく示されているのではないか。
 一方、ハレ管弦楽団を指揮した、同じくドイツ出身のバリトン歌手ディートリヒ・ヘンシェルとのマーラーの声楽曲集では、ヘンシェルに合わせて鋭角的な音楽づくりを行っていたケント・ナガノだが、こちらのアルバムでは、ゲルハーエルの歌唱によく沿って柔軟な演奏を繰り広げており、亡き子をしのぶ歌の第2曲「なぜそんなに暗い眼差しか、今にしてよくわかる」でのホルンのソロなど、モントリオール交響楽団もその美質を十全に発揮している。
 管弦楽伴奏による男声のマーラーの声楽曲集のファーストチョイスとして、ぜひともお薦めしたい一枚だ。
posted by figarok492na at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジンマンとチューリヒ・トーンハレ管弦楽団によるシューベルトのザ・グレート

☆シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレート」

 指揮:デヴィッド・ジンマン
管弦楽:チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
(2011年5月/デジタル・セッション録音)
<SONY/BMG[RCA]>88697973982


 デヴィッド・ジンマンと手兵チューリヒ・トーンハレ管弦楽団によって進められてきたシューベルトの交響曲全集の掉尾を飾るのが、この交響曲第8番「ザ・グレート」である。
 これまでの7曲と同様、金管楽器とティンパニにピリオド楽器を用い、強弱メリハリの効いた速めのテンポ設定と、いわゆるピリオド・スタイルをとった演奏となっている。
 指揮者の解釈に加え、オーケストラの特性の違いもあって、同じくピリオド奏法を援用したトーマス・ヘンゲルブロックとハンブルクNDR交響楽団の演奏と比べると、いくぶんこじんまりとまとまった感じはしないでもないが、シャープでクリアな音楽づくりは、きびきびとして聴き心地がよい。
 また、同じ組み合わせのベートーヴェンの交響曲全集(第5番や第7番)でもそうであったように、第1楽章や第2楽章等の管楽器のソロで即興が加えられているなど、音楽的な仕掛けが要所要所で施されている点も、やはり聴き逃せない。

 そういえば、交響曲全集の完結とともに、5枚組セットが3000円(HMV)で発売される予定だ。
 予想していたとはいえ、一枚一枚丹念に買い集めてきた人間としては、少々悔しさを感じざるをえないことだが、統一された楽曲解釈によるシューベルトの交響曲全曲の優れた演奏を手ごろな値段で購入したいというむきには、これほどぴったりのセットもないものと思う。
 大いにお薦めしたい。
posted by figarok492na at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

被害者学が休講になった(深夜のCLACLA)

 朝9時過ぎに目を醒ますと台風は遠くに去っており(そもそも接近もしていなかったのだけれど)、どんよりとしつつも青空の見えるお天気。

 これは被害者学の講義があるなと思って外出前にPCを目にしていたところ、ツイッターに休講の文字。
 えっ、ほんまに!?
 で、龍谷大学の矯正保護総合センターに電話で確認すると、午前中は休講になったとのこと。
 メールなどで連絡はないのね、と思いつつ、講義がないこと自体には嬉しくなる。


 午後に少しうとうとした以外は、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮サンクト・ペテルブルク・マリンスキー(キーロフ)劇場管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」&幻想序曲『ロメオとジュリエット』<PHILIPS>を2回聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、中里友理の『カンパニュラの銀翼』<早川書房>を読み進めたりする。


 台風が過ぎて気温がぐっと下がり、肌寒さを感じる一日となる。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 夕方になって外出し、KAIKAへ。
 岩戸山コックピットの、十中連合×the★planktonsの『ある訣別』(渡邉憲明君作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前終演後、渡邉君をはじめ、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。


 買い物をすませて、22時過ぎに帰宅した。


 遅めの夕飯後、仕事関係の作業を進める。


 以上、10月16日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

被害者学が休講になった(深夜のCLACLA)

 朝9時過ぎに目を醒ますと台風は遠くに去っており(そもそも接近もしていなかったのだけれど)、どんよりとしつつも青空の見えるお天気。

 これは被害者学の講義があるなと思って外出前にPCを目にしていたところ、ツイッターに休講の文字。
 えっ、ほんまに!?
 で、龍谷大学の矯正保護総合センターに電話で確認すると、午前中は休講になったとのこと。
 メールなどで連絡はないのね、と思いつつ、講義がないこと自体には嬉しくなる。


 午後に少しうとうとした以外は、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮サンクト・ペテルブルク・マリンスキー(キーロフ)劇場管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」&幻想序曲『ロメオとジュリエット』<PHILIPS>を2回聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、中里友理の『カンパニュラの銀翼』<早川書房>を読み進めたりする。


 台風が過ぎて気温がぐっと下がり、肌寒さを感じる一日となる。
 皆さん、くれぐれも風邪にはお気をつけくださいね。


 夕方になって外出し、KAIKAへ。
 岩戸山コックピットの、十中連合×the★planktonsの『ある訣別』(渡邉憲明君作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前終演後、渡邉君をはじめ、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。


 買い物をすませて、22時過ぎに帰宅した。


 遅めの夕飯後、仕事関係の作業を進める。


 以上、10月16日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お芝居という形の説教 十中連合×the★planktons『ある訣別』

☆十中連合×the★palanktons『ある訣別』

 作・演出:渡邉憲明
(2013年10月16日19時半/KAIKA)

*劇団からのご招待


 独特のフラ(おかしみ)は持ちながらも、根は非常にまじめな植木等がおなじみ『スーダラ節』を渡されて、こんな歌なんか歌いたくないと悩み、同居する父徹誠の前で例の「ちょいと一杯のつもりで飲んで」と歌ってみせたところ、徹誠は「わかっちゃいるけど、やめられない」のフレーズに感嘆、この曲はヒットするぞと口にした。
 人間は、わかっちゃいるけどやめられないもの。
 それこそ親鸞上人の教えとも重なる人間の真理を突いた素晴らしい歌だから、というのが徹誠の言い分で、キリスト教の洗礼を受けながら僧籍に入って浄土真宗の僧侶となり、さらには社会主義者として部落解放運動や労働運動で活躍した彼らしい、どうにも飛躍した言葉なのだけれど、それでいて相手をついついその気にさせてしまう重みもある。
 岩戸山のコックピットの一環として上演された、十中連合×the★planktonsの『ある訣別』を観ながらふとそんなことを思い出したのは、作・演出の渡邉憲明が、かつての植木徹誠と同様、三重県内で僧籍にある(宗派は同じかどうか不明)ことに加え、作品そのものが「お芝居という形の説教」であるように、僕には思えたからだ。

 『ある訣別』は、大きな川を東から西に渡っている船中のコックピットという設定からしてそのことは明確だが(ただし、前回の『この世界は、そんなに広いのですか』と同じく、そこには我々が直面する大きな社会的問題が重ね合わされている)、渡邉君が日々向き合っているだろう、生と死、死と生の問題(死生観、人生観、宇宙観)が如実に反映された内容となっていた。
 と、こう記すと、それこそ「説教臭い」作品なのではと疑うむきもあるかもしれないけれど、そこはお芝居であり、狂騒的ですらある演劇的な仕掛けや細かい伏線(マリオの映像やaikoの歌その他)が多々施されている。
 正直、そうした仕掛けや筋運びに粗さを感じたことも事実であり、如何に作品の精度を高くしていくかがこれからの大きな課題であるとも思ったが、一方で、渡邉君の作品世界や創作姿勢には強く好感を覚えた。

 わたしゆくえ、葛井よう子、篠塚ノリ子、伊藤翔太郎(独特の軽味)、榎本篤志(テンション高し。作品前半の狂騒性をよく体現していた)、葛川友理は、ライヴ特有の傷はありつつも、渡邉君の意図を汲む努力を重ねていたと思う。

 いずれにしても、渡邉君と十中連合×the★planktonsの活動をこれからも応援していきたい。
 まずは、次回の公演がとても愉しみだ。
posted by figarok492na at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする