2013年08月10日

長崎への原爆投下から68年(深夜のCLACLA)

 アメリカ政府による長崎市への原子爆弾投下から68年が経った。
 犠牲となった全ての方々へ、深く、深く、深く、深く、深く黙祷。
 そして、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ。

 平和記念式典の被爆者代表・築城昭平さんの平和への誓いに心を動かされた。
 言うべきことを言っておかなければという強い意志が示されていたと思う。
 僕自身も、為せることを為していかなければ。


 昨夜、KBSラジオでナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 山田一雄指揮旧日本フィルが演奏したチャイコフスキーの交響曲第5番&プロコフィエフの交響曲第7番<タワーレコード>、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>、クリ―ヴランド・カルテットが演奏した同じくベートーヴェンの弦楽4重奏曲第13番&大フーガ<TELARC>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 19時過ぎに外出し、下京図書館へ。
 西條奈加の『無花果の実のなるころに』<東京創元社>、間宮緑の『塔の中の女』<講談社>、翔田寛の『築地ファントムホテル』<同>、朝井まかての『先生のお庭番』<徳間書店>、隼見果南の『うつぶし』<筑摩書房>を返却し、予約しておいた田口ランディの『蛇と月と蛙』<朝日新聞出版>、白石一文の『幻影の星』<文藝春秋>、高橋陽子の『黄金の庭』<集英社>、櫛水理宇の『赤と白』<同>を新たに借りる。

 その後、すぐ近くのKAIKAに移動し、劇団しようよのこの胸いっぱいの朗読劇『アンネの日記だけでは』を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前終演後、関係各氏と話しをしたり、あいさつをしたりする。

 その後、買い物をすませて、22時50分近くに帰宅した。


 帰宅後、山田一雄指揮新日本フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」他<フォンテック>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、観劇記録の準備を行ったりする。


 以上、8月9日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 03:45| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇団しようよ この胸いっぱいの朗読劇『アンネの日記だけでは』

☆劇団しようよ この胸いっぱいの朗読劇『アンネの日記だけでは』

 作・演出:大原渉平
(2013年8月9日19時開演/KAIKA)


 皿いっぱいに盛られたメレンゲを、ひたすら口に入れている気持ち。
 劇団しようよの「この胸いっぱいの朗読劇『アンネの日記だけでは』」を観ての感想を簡単に記せば、そういうことになるだろうか。
 素材は悪くないし、お皿のデザインはいいし、スプーンはきらきら光ってるし、メレンゲの盛り方だってとてもきれいだ。
 だけど、他には何もない。
 食べさせてもらえるのは、ただただメレンゲだけなのである。

 『アンネの日記だけでは』は、アンネの日記(アンネ自身)を一方の軸に置きながら、現代を生きる女性どうしの友情を物語の中心に据えた作品だ。

 で、吉岡里帆、小林由実(映像での経験がよく表われていた)、石川佳奈、西村花織、森麻子、クリスティーナ竹子、期間限定の劇団員である西端千晴、山中麻里絵といった演者陣の個性特性に合わせた配役は全く悪くない。
 特に、森さん、西村さんの役のふり方は、これまでの月面クロワッサンの公演ではありえなかった適切なものだし(二人も、その配役に応える努力をしていた)、竹子さんの使い方もしっくりとくるものだった。
 それに、シルエットの活用をはじめとした、作品の造形(そこには、美術音楽も含まれる)は美しくなじみやすい。

 しかしながら、語られる物語がまるきり心に響いてこない。
 雰囲気はとてもいいのだけれど、ただ表面を撫で回されているだけで、奥の奥までぐぐっと刺さってこないようなもどかしさを覚えるのだ。
 と、言っても、『アンネの日記』だからもっとずっと社会的なメッセージを盛り込めと言いたいわけでは毛頭ないが。
(なにゆえ、『アンネの日記』かという疑問は最後まで残りつつも)
 例えば、奇しくも同じ『アンネの日記』を題材に選んだ赤染晶子の『乙女の密告』は、女性どうしの閉塞しきった関係性をいーっとなるほどに細かく記すとともに、そこからの主人公の開放を読者に明示する。
 また、成瀬巳喜男の『流れる』や『晩菊』は、女性たちの弱さ愚かさとともに強さしたたかさを描き込む。
 ところが、この『アンネの日記だけでは』は、きっと女性どうしの関係に伴うはずの、悪意やあけすけさ、えぐさ、身も蓋もなさが一切捨象されていて、どうにも物足らないのである。
 むろん、そうしたいやごとは見たくないし見せたくないという大原君の姿勢、気持ちもわからないではない。
 だが、それならそれで、北村薫の一連の作品(『ひとがた流し』など)のような一層の細やかな筋運び、それより何より「きれいごと」に徹する覚悟が必要であろう。
 もう一つ付け加えるならば、アンネにとっても、現代を生きる登場人物たちにとっても、結婚こそが最良の選択であるかのように見えてしまう展開は、あまりにもナイーヴに過ぎるように僕は思う。
 優れた、そしてとても魅力的な演者陣と共同作業をできることへの大原君の多幸感がしっかり伝わってくる作品だけに、観て不快さを感じることは全然なかったのだけれど。

 上述した演者陣は、技術的な巧拙の差(台詞のみを聴いていると、その差がはっきりとわかる)はありつつも、各々の特性魅力をよく発揮していたのではないか。
 中でも、吉岡さんや石川さん、山中さんの美質を改めて確認できたことが収穫だった。
posted by figarok492na at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする