2013年07月01日

今日から7月 京都文化芸術コア・ネットワーキングの設立総会に参加した(CLACLA日記)

 今日から7月。
 今年も残すところ半分を切った。
 一日一日を本当に大切にして、為すべきことをしっかり為していかなければならない。
 そして、死を忘れないこと。


 ヴァンニ・モレッティ指揮アタランタ・フーギエンスが演奏したフランチェスコ・ザッパの6つの交響曲集<ドイツ・ハルモニアムンディ>を聴いたりしながら、5時近くまで仕事関係の作業を進め、8時頃には目が醒めてしまう。
 ちょうどその頃から、ガシャンゴシャンと近所の解体作業が始まったこともあり、二度寝ができなかったのだ。
 解体作業には腹が立つも、早起きは三文の得と思って起きることにし、仕事関係の作業を進めたり、中島京子の『のろのろ歩け』<文藝春秋>を読み始めたりする。


 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 気温も上昇し、暑さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。


 トーマス・ヘンゲルブロック指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第1番&シューマンの交響曲第4番他とドヴォルザークの交響曲第4番&チェコ組曲<ともにSONY/BMG>、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番&ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲<ドイツ・グラモフォン>を聴く。


 仕事関係の予定をすませたのち、京都芸術センターへ。
 京都市が肝入りとなって設立された、京都において文化芸術を支える専門的活動を行う人たちの情報交流のハブとなるべき組織「京都文化芸術コア・ネットワーキング」の設立総会に途中から参加し、ディスカッションに耳を傾けたり、関係各氏と話しをしたりした。
 諸々容易ではなかろうが、演劇と映画の人脈交流を進めようとしていることもあり、今後の活動に大いに期待したい。
(音楽関係の参加者が少なそうだったことが、ちょっと気になるな)


 仕事関係の用件を片づけ、18時台に帰宅する。


 そそくさと夕飯をすませて、仕事関係の予定をすませる。


 その後、カルミナ・カルテットが演奏したドヴォルザークのピアノ5重奏曲第2番(テオ・ゲオルギューのピアノ)&弦楽4重奏曲第12番「アメリカ」<SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『のろのろ歩け』を読み進めたりする。


 今日は、ロピアのプチティラミスを食す。
 近くのドラッグランドひかりで、半額びき、税込み64円だったもの。
 ココア地のスポンジやチーズクリーム、コーヒーなどを重ねたティラミス風のカップ洋菓子で、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 そして、今月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

6月末日の日記 もう7月だけどね(深夜のCLACLA)

 今日で6月も終わり。
 今年も半分が終わる。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、死を忘れないこと。


 どんよりとしたお天気の一日。
 雨降りにはならなかったけれど。

 気温は上昇。
 むしむしとして蒸し暑い一日。
 皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。


 アンドレアス・シュペリング指揮カペラ・アウグスティーナが演奏したブラームスのセレナード第1番&第2番<CPO>、フランク・ベールマン指揮ハノーヴァー北ドイツ放送フィルが演奏した交響曲第1番他<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 夕方前に外出し、下京図書館へ。
 浅見雅男の『不思議な宮さま』<文藝春秋>と亀和田武の『夢でまた逢えたら』<光文社>を返却し、予約しておいた中島京子の『のろのろ歩け』<文藝春秋>、馬場マコトの『従軍歌謡慰問団』<白水社>、大田英昭の『日本社会民主主義の形成』<日本評論社>を新たに借りる。


 いったん帰宅後、雑件を片づけ再び外出し、アトリエ劇研へ。
 努力クラブ6『家』(合田団地君作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 開演前終演後、合田君はじめ関係各氏と話しをしたり挨拶をしたりする。

 で、終演後夕飯をすませ、23時40分過ぎに帰宅した。


 以上、6月末日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 そして、7月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 03:31| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

努力クラブ6『家』

☆努力クラブ6『家』

 作・演出:合田団地
(2013年6月30日19時開演の回/アトリエ劇研)


 あれはもう何年前のことになるだろう。
 親しくしていた女性から、「中瀬さんは強いですね」とぽつりと言われたことがある。
 「いや、僕はびびりやし、死ぬのは怖くてたまらないし、へたれやし、すぐにかっとなるし」とすぐさま応えたが、彼女は「そんなことじゃないくて。中瀬さんはやっぱり強いです」とさらに続けた。
 きっと彼女は、本当は僕が強いんじゃなくて、冷たいと口にしたかったのではないだろうか。
 努力クラブにとって6回目の本公演となる『家』を観ながら、ついそんなことを思い出してしまった。


 演劇的趣向はもちろんのこと、終演後ある人が話していたように映像作品との親近性も強く感じた『家』だけれど、僕自身がこの作品を観て第一に感じたことは、文學界や群像に掲載されるような純文学の小説、それも「私小説」だなあということだった。
 と、言っても何から何まで「ぼく」まみれ、幕開きから幕切れまで自我の垂れ流しなんてことは毛頭ない。
(だいたい、第三者が介在するお芝居でそんなことまずもって無理である)

 それどころか、時折合田団地本人のツイッターのツイートを想起させるような、本音と韜晦きわきわあたりの言葉を織り込みつつも、佐々木峻一演じる主人公(合田君の本質と大きな齟齬のある彼にこの役を任せたことは、物語を客観化させるという意味でも正解だったと思う。佐々木君にとって腑に落ちる役柄だったかどうかは置くとして)と彼を取り巻く登場人物たちを通して、より普遍的な袋小路に入り込んだ人間の救いようのないあり様が、おかかなしい笑いを伴いながらじぐじぐぐじぐじと描かれていく。
 正直、合田君が意図した以上の冗長さを感じた場面もなくはなかったが、それもまた作品世界の持ついーっとなるような雰囲気の醸成に貢献していたことは否めまい。
 また、ミニマリズムやマジックリアリズムの応用等、作品の結構構成が興味深かったことも確かである。

 だが、それより何より、そのような意匠がこらされているからこそなおのこと、創作活動、表現活動というものが合田団地という人間にとって欠けてはならないもの、生きることの大きな支えにもなっているのだと改めて強く感じ、僕は深く共感を覚えた。

 けれど一方で、この『家』の登場人物間の関係性の底、作品全体の底にある優しさ、甘さに対し、違和感を持ったこともまた事実だ。
 ただし、その優しさ、甘さは、単なる合田君の自分自身への甘さ、自己憐憫とは異なる。
 映画の『アマデウス』のラストで、サリエリが癲狂院の患者たちに微笑みかけるような感情、といえばちょっと違うかな。
 ならば、「しゃむない人間はしゃむないけど…」の「けど…」と言い換えてもよい。
 そして、僕はその「けど…」という曰く言い難い感情に対して、あまり共感を持ちえないのである。
 そのことこそが、いっとう最初に記したことと大きく関わってくるのだとも思う。


 先述した佐々木君をはじめ、九鬼そねみ(今回は少し演技を意識し過ぎたか)、無農薬亭農薬、猿そのものの努力クラブの面々と、キタノ万里(彼女の役回りもまた、この作品の「私小説」性を高めていた)、新谷大輝、川北唯(誉め言葉として、彼女にはもっと「底意地の悪い」役を演じて欲しい)、木下ノコシ、長坂ひかる、飯坂美鶴妃(マジックリアリズムならぬマジックマッシュルーム的な演技を披歴)の客演陣は、各々の特性魅力をよく発揮していたが、合田君が本来描こうとしたものと実際の演技との間に大きな齟齬を感じてしまったことも、残念ながら否定できない。
 そうした齟齬を如何にして埋めていくか。
 合田君本人の努力ももちろん必要だろうけれど、他の面々の努力も当然必要とされているのではないか。

 合田君の表現の力点がどこに置かれていくかということも含めて、努力クラブの今後の活動に大きく期待したい。
 次回の公演が本当に愉しみである。
posted by figarok492na at 03:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする