2013年06月25日

愚か者にはなりたくない!(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気の一日。
 雨も降る。

 湿度が高い分、むしむしじめじめとしてあまり快ならず。


 昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、4時半過ぎまで仕事関係の作業を進めたりする。


 朝早くから、またぞろ近所の解体作業がかまびすしい。
 うっとうしいったらありゃしない!!


 芥川也寸志指揮旧東京交響楽団が演奏した芥川さん自身の交響曲第1番&交響三章、森正指揮旧東京交響楽団が演奏した同じく芥川さんの弦楽のための三楽章「トリプティーク」<EMI/タワーレコード>を三度聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、浅見雅男の『不思議な宮さま』<文藝春秋>を読み進めたりする。


 正午過ぎに一度外出して仕事関係の用件を片づけたほか、夕方になって夕飯用の買い物のために再び外出した。


 夕飯後、山田一雄指揮旧日本フィルが演奏したチャイコフスキーの交響曲第5番&プロコフィエフの交響曲第7番「青春」<タワーレコード>を聴く。
 プロコフィエフの交響曲第7番の第2楽章を聴くと、どうしても林光さんが作曲した大河ドラマ『山河燃ゆ』のテーマ曲を思い出してしまうなあ。
 そういえば、林光さんが亡くなってからもう一年半ほどにもなるのか。
 ああ。


 仕事関係の作業を進めたり、『不思議な宮さま』を読み進めたりする。
 『不思議な宮さま』は、実に面白し。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 垣根が低くなり、間口が広くなるということは、多くの人がそこに集まるという大きな利点を生む。
 しかしながら一方で、それは有象無象が「介入」しやすくなるという弊害を生む危険性を大いに秘めてもいる。
 まさしくバランス感覚が問われる問題だ。


 愚か者を支える者こそ一番の愚か者だ。
 愚か者にはなりたくない!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四日続けての観劇(深夜のCLACLA)

 曇天。
 雨も降る。

 気温は上昇、むしむしじめじめとして快ならず。
 ただし、夜になっていい感じで涼しくなる。


 昨夜、4時半まで仕事関係の作業を進める。


 朝早くから、近所の解体作業でまたぞろかまびすしい。
 いったいいつまでやってんだい!


 午前午後と、仕事関係の作業を進めたり、外出して仕事関係の予定をすませたりと、ばたばたした一日。


 移動途中、森まゆみの『千駄木の夏目漱石』<筑摩書房>を読了する。
 夏目漱石とその家族、弟子たちを中心に据えて綴られた千駄木の地域史だが、漱石の作品をどうしても読み返したくなってしまう。
 特に、千駄木時代に執筆された『吾輩は猫である』を。


 いったん帰宅後、浅見雅男の『不思議な宮さま』<文藝春秋>を読み始める。
 「東久邇宮稔彦王の昭和史」とあるように、日本史上唯一の皇族首相となった東久邇宮稔彦王の102年の生涯を追った一冊。
 これまた面白そうだ。


 17時半頃再び外出し、元・立誠小学校へ。
 音楽室で月面クロワッサンのvol.6『オレンジのハイウェイ』の最終公演を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。


 23時過ぎに帰宅し、仕事関係の作業を進める。


 以上、6月24日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 03:28| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』(再見)

☆月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』(再見)

 作・演出:作道雄
(2013年6月24日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)

 *劇団からのご招待


 初日に続いて、月面クロワッサン vol.6『オレンジのハイウェイ』の最終公演を観た。

 基本的な感想は、初日の観劇記録に譲るが、公演を重ねた分作品の要所がより明確になって笑いも増えていた反面、楽日ということもあってか、演者陣の疲れ、粗さも散見されたのは残念だった。
 そうした中で、丸山交通公園の奮戦ぶりが目を引いた。
 久方ぶりの友達図鑑の公演が、すこぶる愉しみである。

 で、まだ大阪公演を残していることもあり、作品の詳細については触れないけれど、初日の観劇記録にも記した通り、この『オレンジのハイウェイ』は、卓越したプロデュース能力の持ち主でもある作道雄の創作的志向と彼が考える月面クロワッサンの今後の方向性が如実に示された作品だと思う。
 そして、これまた初日の観劇記録に記したように、作道君の望む月面クロワッサンのステップアップのあり様を考えれば、彼がそうした志向と方向性をとることと、それに見合った演技を演者陣に求めることも十二分に理解できることである。

 ただ、それが果たして『オレンジのハイウェイ』という作品全体に、演者陣の演技に、巧く反映されていたかと問われれば、この京都公演に関してはまだ不完全な状態だったと言わざるをえない。
 むろん、そこには作道君の希求する作品世界に沿った演技を完璧には実現し得ない、現段階での演者陣の技術的な限界もあるだろう。
 だが一方で、演者陣の表面的ではない内面的特性と本質を今一つとらまえきれていない『オレンジのハイウェイ』のテキストと演出の問題も、やはり指摘しておかなければならないのではないか。
 確かに、先日の明倫ワークショップでも示されたような、作家・演出家の要求に柔軟に対応できる演技へのシフトチェンジが意図的に図られていることも事実だろうが、もしそうだとしても、いやだったらなおさらのこと、個々の演者への総合的で丁寧な評価に基づいた作品づくりが行われるべきだと、僕は思う。
 例えばそれは、ヲサガリや十中連合での小川晶弘より月面クロワッサンでの小川晶弘が光って見えるような、努力クラブでの稲葉俊より月面クロワッサンでの稲葉俊が光って見えるような作品づくり、と言い換えてもよい。
(ビジュアル面での印象や演技の質は置くとして、西村花織と森麻子の役回りは逆でも面白いのではないか。そうそう、偶然二人が出演しているので付け加えておくと、しようよの大原渉平君にも、こうした「逆転」を求めたい女性の演者のキャスティングを行っているときが時折あるような気がする)

 以前、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の喩えを、月面クロワッサンの観劇記録で持ち出したことがあったけど、それこそ作道君がみんなのためを思い、みんなと一緒に「細くない」蜘蛛の糸を昇っていこうとしても、「いやいや、そんなに慌てて昇らんでも」、「こんなの昇って大丈夫なの」、「いやあ、作道とは昇りたくないよ」となっては、せっかくの作道君の努力も水の泡となる。
 KBS京都のドラマ放映をはじめ、今後の可能性が徐々に開けているときだからこそ、月面クロワッサンという集団内での強固な共通認識の形成と緊密な意思疎通、そしてそれを受けての作品づくりを心から願ってやまない。

 最後に、限られた舞台空間を巧く活かした舞台美術(栗山万葉、南秋穂の補佐)が強く印象に残ったことを付記しておきたい。
posted by figarok492na at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする