2012年08月09日

長崎の日 夕飯後もストコフスキーを聴く(CLACLA日記)

 アメリカによる長崎市への原子爆弾の投下から67年が経った。
 全ての犠牲となられた方々に、深く、深く、深く、深く、深く黙祷。
 そして、ノーモアナガサキ、ノーモアヒロシマ、ノーモアヒバクシャ。


 夕飯後、ストコフスキー/CBS・ステレオ・レコーディングス<SONY/BMG>から、ナショナル・フィルを指揮したビゼーの『カルメン』組曲&『アルルの女』組曲(一部省略)を聴く。
 最晩年の録音の一つだが、年齢を思わせないエネルギッシュでドラマティックな演奏。
 イギリスの腕扱きミューシャンを集めた録音用オーケストラ、ナショナル・フィルも実に達者である。


 続けて、同じコンビによる小品集を聴く。
 リムスキー=コルサコフのくまん蜂の飛行やドビュッシーの月の光といった、いわゆるアンコールピースが集められているが、ナショナル・フィルの巧さもあって、ストコフスキーサウンドを存分に愉しむことができた。


 続けて、これまた同じコンビによるシベリウスの交響曲第1番&トゥオネラの白鳥を聴く。
 パワフルで若々しい清新な演奏だと思う。
 録音のせいか、もわもわとした音質であるのがちょっとだけ残念。


 仕事関係の作業を進める。


 乙一の『箱庭図書館』<集英社>を読了する。
 ああ、面白かった!


 今日は、オイシスの濃い味クリームチーズを食す。
 千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
 おなじみレアチーズケーキ風の洋菓子で、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長崎の日 フランチェスコ・ザッパとストコフスキーのCDを聴く(CLACLA日記)

 アメリカによる長崎市への原子爆弾の投下から67年が経った。
 全ての犠牲となられた方々に、深く、深く、深く、深く、深く黙祷。
 そして、ノーモアナガサキ、ノーモアヒロシマ、ノーモアヒバクシャ。


 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 涼しい風が吹き始めたものの、今日も気温は上昇し、暑さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。


 茶番以下の猿芝居が連日繰り広げられている。
 これほど馬鹿にされても、まだ気がつなかないと言うのか。
 馬鹿を支える人間が一番の馬鹿だ。


 昨夕外出し、京都文化博物館3Fのフィルムシアターで、中川信夫監督の『東海道四谷怪談』を観る。
 詳しくは、前回の記事(映画記録)をご参照のほど。


 帰宅後、4時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 午前中、ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィルが演奏したマーラーの交響曲第9番<EMI>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 お昼過ぎ、HMVのオンラインショップで注文しておいたCD、ヴァンニ・モレット指揮アタランタ・フーギエンスが演奏したフランチェスコ・ザッパの6つの交響曲集<SONY/DHM>、レオポルド・ストコフスキー/CBS・ステレオ・レコーディングス<SONY/BMG>が届く。
 ストコフスキーのほうは、彼がCBSレーベルに遺した全てのステレオ録音を収めた10枚組のBOXセット(LP初出時のオリジナルデザインによる紙ジャケットというのも嬉しい)だが、2300円足らずという値段には本当に申し訳なくなる。

 で、早速ザッパのCDから聴き始める。
 フランチェスコ・ザッパは、18世紀後半に作曲活動を行ったイタリアの作曲家とのことだが、当時の古典派の様式に則った非情に耳馴染みのよい音楽だ。

 続けて、ストコフスキー&フィラデルフィア管弦楽団が演奏したファリャのバレエ音楽『恋は魔術師』&ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第2幕、第3幕からの愛の音楽(ストコフスキー編曲)を聴く。
 オーケストラの鳴らし方にはどうしても古さを感じるが、リマスタリングのかげんもあってか、音質的な不満はない。
 『恋は魔術師』では、地声を活かしたシャーリー・ヴァーレットの歌声が予想以上に魅力的だった。

 続けて、同じ組み合わせによるヨハン・セバスティアン・バッハのブランデンブルク協奏曲第5番&コラール前奏曲3曲(ストコフスキー編曲)を聴く。
 今流行りのピリオド・スタイルとは全く正反対のどっしりとした演奏だけれど、慈しむかのようなストコフスキーの音楽づくりがけっこうしっくりとくる。
 フィラデルフィア管弦楽団も巧い。

 続けて、グレン・グールドがソロを務めた、アメリカ交響楽団とのベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を聴く。
 ここでは、やはりグールドのソロが一番の聴きものだろう。
 粗さは残るが、オーケストラも頑張っている。


 仕事関係の作業を進めたり、『夏美の夏は…』を書き進めたり、乙一の『箱庭図書館』<集英社>を読み進めたりする。
 『箱庭図書館』は、乙一らしい仕掛けもあって、実に面白い。


 17時台に外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団他の演奏によるアイヴズの交響曲第4番他を聴く。
 今ではもっと精度の高い録音が少なからずリリースされているが、作品の持つごちゃごちゃとした感じがかえってよく表われているようで、面白い。


 以上、夕飯前の日記。


 今回4500回目の記事を投稿することができました。
 皆さん、今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。
posted by figarok492na at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東海道四谷怪談

☆東海道四谷怪談<1959年、新東宝>

 監督:中川信夫
 原作:鶴屋南北
 脚本:大貫正義、石川義寛
(2012年8月8日、京都文化博物館フィルムシアター)


 俳優役者がいわゆるトークバラエティ番組を席捲し始めたのは、いったいいつ頃のことだったか。
 黒沢年男に高橋英樹、江守徹に中尾彬、村井国夫に地井武男。
 映画やドラマ、舞台で二枚目二の線をはってきた人たちが、お茶目というかなんというか、陽気で気さくな人柄を表わすようになったのは。

 1985年の7月にくも膜下出血のため54歳の若さで亡くなった天知茂だって、あと10年程度長く生きてさえいれば、もしかしたら件のトークバラエティ番組でけっこう愉しいべしゃりを披歴していたかもしれない。
 と、言うのも、テレビ草創期のコメディ刑事ドラマ『虎の子作戦』(日活が映画化したが別キャスト)や、地元名古屋弁をまくし立てたというテレビ版『次郎長三国志』の桶屋の鬼吉に関しては、残念ながら伝聞でしか知らないものの、亡くなる少し前に出演した『オールスター家族対抗歌合戦』での家族(うろ覚えだが、お兄さんたちも出演していたのでは)を想う天知さんの優しい笑顔が強く印象に残っているからである。
 で、大ファンだった中日ドラゴンズ(何せ、天知茂の芸名は天知俊一と杉下茂によるものだ)OBの板東英二あたりとコンビを組んで『なごやか天知茂』なんてべたなタイトルのローカル・トーク番組をやっていたかも、と夢想してみたりもする。

 と、あえてこんなことを書きたくなったのも、天知茂という俳優が長年「ニヒル」な人間を演じ続けたからだ。
 『座頭市物語』における平手造酒、初期の『大岡越前』における神山左門、『非情のライセンス』における会田刑事(天知茂自身が歌う『昭和ブルース』がまたいい)、極めつけが土曜ワイド劇場における明智小五郎。
 冷徹さと斜に構えた風、そしてときに垣間見える哀しさ。
 まさしくニヒルと呼ぶにふさわしい人物ばかりではないか。
 それに、天知茂の切れ長の鋭い瞳に、渋い声質もそんな役回りにぴったりだった。
 そういえば、土曜ワイド劇場のシリーズにつながることとなる『黒蜥蜴』の明智小五郎役に天知茂が抜擢されたのは、これから触れる中川信夫監督の『東海道四谷怪談』での演技を三島由紀夫が高く評価したからだという。
 確かに、この作品で天知茂が演じる民谷伊右衛門は素晴らしい。
 発作的な感情で人を殺してしまった民谷伊右衛門が、江見俊太郎演じる直助という小悪党(余談だが、ここでの江見さんの演技には僕はそれほど感心しない。江見さんの滑稽な味わいが巧く活かされてきたのは、風貌がまるでギュンター・ヴァントのようになった晩年のことではないか)に引きずられ、ついには妻のお岩さん(若杉嘉津子)を死においやるまでに到る。
 その非情さと弱さ、冷たさと哀しさを適確に演じ切っているのだから。
 特に、終盤の追い詰められた民谷伊右衛門の姿には、強く惹きつけられた。

 加えて、この『東海道四谷怪談』は、新東宝で、『毒婦高橋お伝』や『憲兵と幽霊』、『女吸血鬼』といった邪劇を撮影し続けていたベテラン中川信夫監督にとっても快心の一本となる。
 僅か1時間15分ほどの尺の中に、鶴屋南北の原作とも通底する人間の弱さ、どろどろとした暗部を無理なく描き込んだ上に、様々な映像的表現的実験を仕掛けてもいるからだ。
 翌年公開されたカルトムーヴィー『地獄』は、当然この『東海道四谷怪談』での成果を踏まえたものと言えるだろう。

 出演は、ほかに北沢典子、中村竜三郎、池内淳子、大友純ら。

 いずれにしても、観て損のない一本である。

 そうそう、天知茂がもっと長生きしていたら、彼のセルフパロディを目にすることにもなったのではないか。
 例えば、荒井注ならぬ志村けんと組んだ偽明智小五郎や偽民谷伊右衛門、左とん平ならぬ加藤茶と組んだ偽会田刑事、いずれも名古屋弁の。
 いや、こう考えると、市川雷蔵と同じように、天知茂も早くに亡くなって幸せだったのかもしれない。
posted by figarok492na at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする