2012年07月19日

今日も映画を観に行った(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはありつつも、青空の見えるお天気。

 気温は今日も上昇し、暑さがとても厳しい。
 暑い暑い暑い暑い暑い。


 昨夕外出し、京都文化博物館3Fのフィルムシアターで、新藤兼人監督の『悲しみは女だけに』を観る。
 詳しくは、前回の記事(映画記録)をご参照のほど。


 帰宅後、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を二度聴いたり、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏した同じくシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進めたりする。


 18時頃外出し、今日も京都文化博物館3Fのフィルムシアターへ。
 新藤兼人監督の『第五福竜丸』を観る。
 詳しくは、次回投稿予定の映画記録をご参照のほど。

 夕飯用の買い物をすませたのち、20時40分頃帰宅する。


 夕飯後、再びシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 今日は、ラ・メールのもっちもっち北海道メロンを食す。
 六角のローソンストア100で、50円びきだったもの。
 メロン風味のきいたもちもちの食感のパン(メロンパン風ではない)で、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 オスプレイが岩国に配備されるという。
 原子力発電所同様、生レバーほどには危険でないという判断なのだろう。
 いろいろと考えることあり。


 左の瞼がぴくぴくとしている。
 うっとうしいかぎり。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悲しみは女だけに

☆悲しみは女だけに<1958年、大映東京>

 監督・原作・脚本:新藤兼人
(2012年7月18日、京都文化博物館フィルムシアター)


 小野良樹の『新藤兼人伝』<白水社>にも詳しく記されているが、新藤兼人は自らの実際の体験や経験を執拗なまでにその作品に投影し続けた監督であり脚本家であった。
 劇団民芸のための戯曲『女の声』を映画化した、『悲しみは女だけに』など、まさしく新藤兼人の家族のエピソードを核とした、私映画とでも呼ぶべき内容となっている。

 父親が他人の保証人となったばかりに多額の借金を抱えたため、なんとかそれを帳消しにすべく結納金と引き換えにアメリカに嫁いだ姉(田中絹代)が、30年ぶりに帰国する。
 しかし、姉の奮闘も虚しく実家は跡かたもなく消えており、弟(小沢栄太郎)の一家は敗戦をきっかけにばらばらとなってしまっていた…。

 と、いうような筋立ての中に、弟の娘息子(京マチ子、船越英二、市川和子)の置かれた現状やそこから発するエゴ、弟と前妻(杉村春子)との諍いや現在の妻(望月優子)との救いのないあり様、助産婦をやっている妹(水戸光子)の被爆体験(これも実際のエピソードであり、同じ新藤監督の『原爆の子』を想起させる)等が、巧みに盛り込まれていく。
 もともと戯曲であること(登場人物の出し入れにもそれがよく出ている)を逆手にとった演出など、映像的な実験工夫も随所に見受けられるが、それより何より、登場人物たちの悲しみや苦しみ、弱さ、葛藤の中に、この国の抱えたあれこれが凝縮された形で表わされている点、言い換えれば新藤監督の私的な体験がより普遍的な問題と結び合わされている点に、僕は心動かされた。
(その意味でも、新藤兼人がシナリオを書いた川島雄三監督の『しとやかな獣』と通底するものを強く感じた)

 役者陣は、上述した人たちのほか、宇野重吉、殿山泰司、見明凡太郎らが出演している。
 田中絹代の存在感と、小沢栄太郎たちの達者さ(初老に近づいている小沢さんの場合、ときに達者さが先に来ている感じもしなくはなかったが)が強く印象に残った。
posted by figarok492na at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする