2012年07月17日

小島秀哉が亡くなった(CLACLA日記)

 世は三連休明け。


 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 気温は今日も上昇。
 今年最高の気温となったよし。
 暑い暑い暑い暑い。


 俳優の小島秀哉が亡くなった(78歳)。
 松竹新喜劇に入団し活躍するも退団、小沢昭一が主宰する芸能座に加わるなどした。
 舞台を中心に、映画やテレビドラマにも出演。
 映画では岡本喜八監督の『ダイナマイトどんどん』、テレビドラマでは『渡る世間は鬼ばかり』など橋田壽賀子作品が代表作になるか。

 なお、小嶋秀哉の松竹新喜劇の退団は、藤山寛美との微妙な関係によるものとされている。
 小林信彦の『喜劇人に花束を』<新潮文庫>の藤山寛美の章でもそこら辺りの事情が記されており、中でも1974年頃、藤山寛美と香川登枝緒(もともと『てなもんや三度笠』などで知られた放送作家だが、松竹新喜劇・藤山寛美と近しい関係にもあった)、そして小林信彦が三人で顔を合わせた際、小林さんが「小島秀哉がよくなりましたね」と藤山寛美に言うと、寛美は「よくない! 秀哉はよくない!」と声を荒げたというエピソードは印象的である。

 深く、深く、深く、深く黙祷。


 伊集院光の深夜の馬鹿力を聴いたりしながら、明け方5時頃まで仕事関係の作業を進める。


 朝日新聞朝刊の筒井康隆の連載小説『聖痕』が、どうにも面白い。


 9時台に起きて、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>とミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>をともに二度聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』、象牙の空港第2回公演『20のアマルガム』、劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズ『山下君の死んだあとで』の観劇記録の下書きと投稿を行ったり、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を読み進めたりする。


 夕方になって、夕飯用の買い物のため外出する。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、トーマス・ヘンゲルブロック指揮ハンブルクNDR交響楽団の来日コンサートのライヴ録音を聴く。
 モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(クリスティアン・テツラフの独奏)、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番からロンド・ガヴォット(テツラフのアンコール)、ブラームスの交響曲第1番、ドヴォルザークのチェコ組曲からフィナーレ(アンコール)などが放送されていた。
 非常に聴き応えのある演奏で、ピリオド奏法を援用した速いテンポによるメインのブラームスの交響曲が圧巻だった。
 できれば、このコンサートは生で聴きたかったなあ。

 続けて、再びシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」と交響曲第5番&序曲集を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『文藝綺譚』を読み進め、読了したりする。
 『文藝綺譚』は、大満足の一冊だった。
 ああ、面白かった!

 続けて、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み始める。


 今日は、生クリームどら焼きを食す。
 千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
 生クリーム入りの粒あんのどら焼きで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズ『山下君が死んだあとのこと』

☆劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズ『山下君が死んだあとのこと』

 台本・演出:柳沼昭徳
 演出補佐:阪本麻紀
(2012年7月16日、アトリエ劇研)

*NPO劇研からの招待


 集団・組織には悪意が生まれる。
 企業や学校はもちろんのこと、宗教団体にも前衛政党にも。
 そして、劇団や演劇ユニットにも。

 劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズにとって二年目の公演となる『山下君が死んだあとのこと』は、そうした集団・組織に生まれる悪意が心中「いーっ」となるほど巧く描き込まれた作品だった。

 青少年によって結成された社会人サークル「うなみ」が開催したキャンプ中、参加者の一人である山下君が事故死する。
 ところが参加者の誰もが、山下君の存在に気づいていなかった…。

 と、まさしく柳沼さんらしい設定で、キャンプまでのいきさつやキャンプでの出来事を再現しつつ作品は進んでいくのだが、個々の登場人物のエゴ、弱さが「うなみ」というサークルの中で醸成され噴出していくあり様には、かつて自分自身が経験し体験したあれやこれや(そこには自分が相手を傷つけたことや、自己保身のため相手を裏切ったことも含まれる)を思い出し、なんとも言えない気分に陥ってしまった。

 もちろん、今回の『山下君が死んだあとのこと』では、そうした悪意がどこから発せられるものであるかも明示されていたし、それではこれからどうするのか?という疑問もしっかりと呈されていたのだけれど。

 で、ここからはあくまでも僕個人の勝手な想像になるが。
 実は今回の作品、「うなみ」というサークルは普遍的な社会的集団、社会的組織ばかりでなく、広くは演劇活動そのもの、狭くはハナレズそのものとどこかで大きく重なり合っているような気がして僕には仕方がなかった。
 そして、ハナレズの面々が、こうした自己の集団や組織(とそこに加わるメンバーの一員としての自己自身)を検証するような作品に取り組んだことは、今後表現活動を続けていくことにとっても大きな意味があったように強く思った。
(柳沼さんは全く意図していないはずだけれど、澤雅展演じる小スターリニスト的な「うなみ」のリーダー中井健介に、柳沼さんがかつて師事していた劇作家・演出家をふと思い出してしまったことは、ひとまず置くとして)

 先述した澤君をはじめ、平野雄一、廣瀬伸輔、山野博生、神達由佳、高木すずな、柳泰葉、間塚愛という演者陣は、柳沼さんの意図によく沿う努力を重ねていたと思う。
(登場人物の設定た内容との兼ね合いもあって、さらにラボ生の素の言葉に近い台詞の文体がとられてもよかったのではないか? 細かいくすぐりを活かすという意味でも)

 最後に、1960年代70年代のATGの映画やテレビドラマのような作品の世界観とぴったりな、並木清貴のナレーションが非常に印象に残った。
 いや、並木さんのナレーションが作品の重要な部分を物語っていたと評しても過言ではあるまい。

 いずれにしても、ハナレズにとって三年目、そして最後となる来年の公演を愉しみにしたい。
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象牙の空港 第2回公演『20のアマルガム』

☆象牙の空港 第2回公演『20のアマルガム』

 作・演出:伊藤元晴
(2012年7月15日、UrBANGUILD)


 題材結構展開ともに、伊藤元晴らしい作品だなあ、と彼が主宰する象牙の空港の第2回公演『20のアマルガム』を観ながらつくづく思った。

 一人の作家が、自分の国(ニホン)の20年間の歴史をまとめ上げるように依頼され、『20のアマルガム』なる作品を完成させるも、その内容に気に入らぬ観客(自称ファン)と依頼主は、作品そのものに介入し始める…。

 というのが、『20のアマルガム』の簡単なあらましだが、伊藤君がこれまで吸収し影響を受けただろう諸々、演劇のみならず小説(例えば、安部公房や村上春樹ら)、映画の様々な要素がまさしくアマルガムの如く取り込まれ組み合わされた作品となっている。

 ありがちなエピソードの確信犯的な積み重ねを、この国のクロニクルと重ね合わせていく手法や、距離感を持った自己言及性(伊藤君の場合、8か2分の1ではなく20で、アマルコルドではなくアマルガムだが)にも好感を抱いたが、一方で尺数の不足というか、全体的に物足りなさを感じたことも事実だ。

 言い換えるならば、歴史というものを高校までの教科のように単なる出来事の記号的な記憶と信じて疑わぬ人に、「クロノス」の感覚から、近代的な歴史観(マルクスの史的唯物論とか)とその崩壊、さらにはポストモダンからポストポストモダンへの流れを、しかもオーラルヒストリーの問題や史料批判の問題を絡めつつ、詳しい注釈なしに、それでも若干の説明を加えながら一息に説き切ったという感じか。

 それならいっそのこと、ちっともわからないなりに圧倒され唖然呆然とさせられるような作品世界を構築するか、逆に、もっとわかりやすい説明を加えて観る側との擦り合わせをはかるか。
 そのいずれかの方向を選びとったほうが、よかったのではないかと思わないでもない。

 飯坂美鶴妃、福田きみどり、富永琴美、柳沢友里亜、富田正人、坂口弘樹、ジェシカ・エインゲルマンの演者陣は、伊藤君の意図によく沿う努力を重ねていたのではないか。
 個人的には、中でも女性陣の個性特性の違いが明確に表われていた点が興味深く、面白かった。

 いずれにしても、次回の公演を心待ちにしたい。
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劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』

☆劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』
 もしくは、短篇映画『座頭を待ちながら』のメモ

 作:サミュエル・ベケット
 翻訳:安堂信也、高橋康也
 演出:林海象
(2012年7月15日、京都造形芸術大学映画学科Aスタジオ)



 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがマレイ・ペライアの伴奏で歌う、シューベルトの歌曲集『冬の旅』から「菩提樹」。

 村外れの街道。
 一本の大きな木の傍らに、たっちゃん遠藤太津朗演じる老親分と江幡隆志演じる老子分が立っている。
老親分「いちゃ、まだか」
老子分「えっ、お茶ならさっき飲んだでしょ。またしょんべんが近くなりますぜ」
老親分「馬鹿! お茶じゃねえ、市だ!」
 ご維新からはや三年。
 老親分と、ただ一人一家に残った老子分は、かわいい子分の敵であるにっくき座頭市を今日も今日とて待っている。
 本郷功次郎が街道を通る、藤巻潤も街道を通る。
 けれど、市はやって来ない。
 と、そんなとき藤村志保演じるお志保さんと、五味龍五味龍太郎演じる従者の月蔵が通りかかる。
 で、老親分がすけべ心を思い出したものだから、さあ大変。
 怒った月蔵ががばと両腕振り上げた。
 そこに重なる大魔神の映像!
 畏れ戦く老親分、呆れる老子分、笑うお志保さん。
 そんなお志保さんと月蔵が去って行くと、今度はカントリーウエスタン調に身をやつした諸さん諸口あきらがやって来るではないか。
「イエス様が来てくれた」
「眼が不自由な人のようにさまよっていたけれど、今は正しい道に戻れた」
 歌うは、『刑事コロンボ』の「白鳥の歌」でもおなじみ「I SAW THE LIGHT」。
 そして、陽は暮れて。
 はるか向こうに誰かが見える。
 あれは市か?
 それとも雁龍(雁龍太郎)か? 二代目三波伸介か?
 今日も老親分と老子分の一日が終わっていく…。

 以上、『座頭を待ちながら』、一巻の終わり。


 おっといけない。
 林海象演出による劇団姫オペラの座長特別公演『ゴドーを待ちながら』を観たせいで、ついついあらぬ方向へ考えがいってしまった。
(たっちゃん遠藤太津朗さんの死は、返す返すも残念でならない)

 これまで長谷川伸の『瞼の母』や森本薫の『花ちりぬ』を上演してきた、京都造形芸術大学映画学科の女優陣によって結成された劇団姫オペラだけれど、今回座長の海象さんが選んだ作品は、なんと不条理劇の十八番ゴド待ち。
 当然、主人公の二人(加えてポッツォ)を演じるのは、まだうら若き乙女たち。
 いやこれは大変や、ご無理ご無体な、と思わなくもなかったが、一方で、あのゴド待ちを林海象がどう料理するのかと興味津津でもあり、おっとり刀で京都造形芸大の高原校舎へ足を運んだ。

 救済への渇望が明確に表わされたり、抒情性に富んでいる反面、スラプスティックさを強調しつつ速いテンポですとんすとんと物語が進められていったこともあって、観る側にとってとても接しやすく、受け止めやすい舞台となっていたのではないか。
 ベケットが老いた登場人物たちに仮託したであろう痛切さ切実さ(例えば、「世界の涙の量は一定だ。だれか一人涙を出せばどこかで誰かが泣き止むんだ」という台詞にこめられた)とは別種のものであるかもしれないけれど、劇団姫オペラの若い演者たちがひたむきに必死にテキストと向かい合う姿には、清々しさと初々しさを強く感じるとともに、これから彼女たちが失っていくだろう長い時間を想ってしまったこともあり、強く心を動かされた。
(そして、そのことからも、ふと中原俊監督の『櫻の園』を思い起こした)

 役者陣では、ラッキーを演じたVOGAの近藤和見が、やはり何日ものもある演技を披歴していて、流石だなあと感心したが、中里宏美、土居志央梨、仙洞田志織、重森大知という若い面々も、海象さんの演出意図によく従って大健闘大熱演だったと思う。
 願わくば、同じアンサンブルでの再演を期待したいところだが、これは諸事情から難しいかな。

 と、言うより、僕は40年後の彼女たちが演じる『ゴドーを待ちながら』をぜひ観てみたい。
 いや、そのときには、海象さんも、僕も、いや、アンサンブルのうちの誰かもすでにこの世にいないかもしれないが。
 まあ、そうしたことと真正面から向き合うことは、『ゴドーを待ちながら』の中に織り込まれていることだろうし、稲垣足穂の原作を映画化した林海象監督の新作『彌勒』ともたぶんつながっていることなのだろうけれど*。

 いずれにしても、観ておいて正解の公演だった。



*追記
 本当は『ゴドーを待ちながら』と『彌勒』の関係性について、ベケットと稲垣足穂のセクシュアリティなども絡め合わせながらいろいろと考えてみたいのだが、林海象監督の新作『彌勒』を予告篇しか観ることができていないため、ここではやめておく。
 それにしても、『座頭を待ちながら』を海象さんに撮ってもらいたかったなあ。
 馬鹿言うな、とこっぴどく叱られるか、無視されるかのいずれかだろうが。
posted by figarok492na at 13:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月15日、16日の日記(深夜のCLACLA)

 世は三連休の最終日。
 そして、祗園祭宵山の日。


 晴天。
 いい青空、いいお天気になる。

 気温はとても上昇し、暑さが非常に厳しい一日。
 汗が出るわ出るわ。
 暑い暑い暑い暑い。


 映画監督の高林陽一さんが亡くなった(81歳)。
 横溝正史・金田一耕介ブームの先鞭をつけた『本陣殺人事件』(金田一耕介を演じたのは、モダンな服装の中尾彬)や、三島由紀夫作品の映画化『金閣寺』、『西陣心中』と、ATGで撮影した作品に関しては、先日読了した葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>にも詳しい。
 加えて、『往生安楽国』、『ナオミ』、『ザ・ウーマン』、『蔵の中』、『雪華葬刺し』、『赤いスキャンダル 情事』等を撮影したほか、盟友大林宣彦監督の『金田一耕介の冒険』、『ねらわれた学園』、『時をかける少女』には俳優として出演もした。
 そういえば、創作活動再開後の『愛なくして』や『ベンチのある風景』の発表を記念した初期の実験映画の上映会を同志社大学寒梅館まで観に行ったこともあった。
 その際のティーチ・インで、学生さんの質問があまりに陳腐なため高林監督が呆れたような不快そうな表情をしていたものだから、ちょうど上映会の直前に観た吉村公三郎監督の『夜の河』とそっくりな構図を持つ『京都』という京都紹介風の作品があったので、「外側の人間が描いたフィクショナルなイメージとしての京都に対して、内側(高林監督は京都市内の出身)の人間による批判的な視点を持ったドキュメンタリーフィルムという意識があったのか?」と尋ねてみたところ、そうした意図はないと断りつつも、おやようやくちょっとはまともな質問だという具合に丁寧にお答えをいただけたことが未だに忘れられない。
 実験精神に富んだ、今だからこその新作を観たかった。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 15日は、お昼過ぎに外出後、京都造形芸術大学の高原校舎で劇団姫オペラの座長特別公演『ゴドーを待ちながら』を観たのち、三条木屋町のUrBANGUILDに移動して象牙の空港の『20のアマルガム』を観る。
 両公演に関しては、17日以降に投稿予定の観劇記録をご参照のほど。

 ちょうど同じ組み合わせで公演を観た西尾孔志監督をはじめ、象牙の空港の伊藤元晴君、出演者の飯坂美鶴妃さん等、関係各氏と話しをしたり、あいさつをしたりする。


 終演後、四条通の祗園あたりで開催されていた祗園天幕映画祭に足を運び、月世界旅行社の面々と話しをしたりあいさつをしたほか、ヨーロッパ企画の本多力君が主人公(の声)を務めたNHKワンセグ2の『タクシードライバー祗園太郎』を愉しむ。
 これは、お世辞抜きにおもろかった!
 あの肝付兼太の声の出演も嬉しいかぎり。

 と、たまたま祗園祭をぶらっとしていた親しい知り合いと遭遇し、結局お店に入って話しをすることに。
 ああ、愉しかった!

 で、帰宅が1時台となる。


 帰宅後、4時半近くまで仕事関係の作業を進める。


 朝早めに起きて、仕事関係の作業を進めたり、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を読み進める。


 朝日新聞朝刊の筒井康隆の連載小説『聖痕』。
 これは、読み逃せない!


 正午過ぎに外出し、自転車でアトリエ劇研へ。
 劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズの『山下君が死んだあとのこと』を観る。
 詳しくは、17日以降に投稿予定の観劇記録をご参照のほど。

 出演者の山野博生君をはじめ、開演前終演後、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。


 その後、仕事関係の予定をいくつか片づけ、帰宅が23時を過ぎる。


 帰宅後、母から電話があり、しばらく話しをする。
 多謝。


 以上、7月15日、16日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 02:48| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする