2012年07月07日

昨夜聴いたラジオ深夜便のことなど(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、どんよりとした感じの強いお天気。

 気温はそれほど上昇しなかったが、湿度が高く、じめじめとしてあまり快ならず。


 昨夜、NHK・FMで『ラジオ深夜便』を聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』について考えたりする。
 『ラジオ深夜便』では、ワッハ上方の学芸員古川綾子さんが、浪花千栄子とミヤコ蝶々について語っていたが、浪花さんでは彼女の自叙伝『水のように』をひくなど、よく調べたるなあと感心する反面、どこか喰い足りなさも残った。
 一つには、かつて同じ関西発『ラジオ深夜便』で、BKにいた棚橋昭夫さんのお話を聴いたことがあるからかもしれない。
 棚橋さんの場合は、浪花さんといっしょに仕事をしていた関係もあって、非常に生な感じがして、一層興味深く面白かったのである。
 例えば、自らの死を見越した浪花さんが、養女に対して、自分が亡くなったら思い切り頬を叩け、そうすれば頬が赤らんで死に顔が美しく見えると命じ、実際養女も心を鬼にしてそうしたという趣旨のお話は、浪花千栄子という一人の人間(女性)の人柄を象徴しているようなエピソードで、未だに忘れられない。
 よい意味でも、古川さんのお話には、「距離」を感じてしまったのだ。


 仕事関係の作業を進めたのち、お昼過ぎに外出し、下京図書館へ。
 星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を返却し、予約しておいた阿奈井文彦の『名画座時代』<岩波書店>、葛井欣士郎の『遺言』<河出書房新社>、畠中恵の『若様組まいる』<講談社>を新たに借りる。

 その後、お米を購入して帰宅した。


 帰宅後、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を二度聴いたあと(ほかに、セルジュ・チェリビダッケがシュトゥットガルト放送交響楽団とミュンヘン・フィルを指揮した二種のドビュッシーの交響詩『海』も聴く)、CDレビューをアップする。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。


 夕方、夕飯用の買い物のため再び外出する。


 帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴きながら、『名画座時代』を読み始めたり、雑件を片づけたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ビバ合唱』を聴く。
 先日亡くなった畑中良輔さんを偲ぶ特集で、畑中さんが指揮した高田三郎作曲の混成合唱組曲『水のいのち』などが放送されていた。

 続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴き、NHK・FMの『名曲のたのしみ』で、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団が演奏したラフマニノフの交響曲第3番を途中から聴く。


 仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、『名画座時代』を読み進めたりする。
 「消えた映画館を探して」と副題にもあるように、『名画座時代』は、日本国中に存在したいわゆる「名画座」の変遷を追った一冊である。


 今日は、ヤマザキの今川焼き風もっちさんど小倉&マーガリンを食す。
 千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
 つぶあんとマーガリンをサンドした今川焼仕立てのスポンジケーキで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 今宵は七夕。
 なんとか空も澄んできたようだ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ガッティ&フランス国立管弦楽団のドビュッシー

☆ドビュッシー:管弦楽曲集

 指揮:ダニエレ・ガッティ
管弦楽:フランス国立管弦楽団
<SONY/BMG>88697974002


 許光俊が『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>で説く「贅沢」にはほど遠いものの、20代半ばより少し前、1993年の秋口から翌年の晩冬に至る約半年間のケルン・ヨーロッパ滞在は、今さらながら僕にとって「最高に贅沢なクラシック」体験だったとつくづく思う。

 例えば、1993年11月5日から7日と、レナード・スラトキン指揮セントルイス交響楽団、ガリ・ベルティーニ指揮ケルンWDR交響楽団、アルミン・ジョルダン指揮スイス・ロマンド管弦楽団のコンサートをケルン・フィルハーモニーで三夜立て続けに聴いたことなど、一つ一つのコンサートの出来はひとまず置くとしても、やはり自分にとってとても贅沢な記憶である。

 機能性は優れているものの、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ルドルフ・ブッフビンダーの独奏)にしろ、ストラヴィンスキーの『春の祭典』にしろCD録音以上に陰影の乏しさが気になって、ルロイ・アンダーソンのアンコールだけがやけにしっくりときたセントルイス響のコンサートについてはいずれ記すこともあるかもしれないから詳述しないが、残るWDR響とスイス・ロマンド管の二つは、今もって忘れられない印象に強く残るコンサートとなっている。

 一つには、当時の首席指揮者ハンス・フォンクとどちらかといえば緩い演奏を繰り返していたWDR響が、前任のシェフ・ベルティーニの下、非常に統制のとれた音楽を造り出していたことに感心したこともあれば、スイス・ロマンド管はスイス・ロマンド管で、前半のプログラム、バルトークのピアノ協奏曲第3番でのマルタ・アルゲリッチの胸のすくような「共演」に感激したことも大きかったのだけれど。
(マルタ・アルゲリッチは我がままだからなあ、なんて言葉を自称音楽通に吹聴されたこともなくはなかったが、この夜の愉しそうにオーケストラと「共演」している彼女の姿、さらには休憩後客席で愉しそうにオーケストラを聴いている彼女の姿を観れば、そんな言葉がどうにも怪しく思えてしまったものだ。少なくとも、我がままは我がままでも、あの晩の彼女は、『上からマルタ』ならぬ『上からマリコ』的な我がままだったんじゃないだろうか、きっと)

 加えて、これは偶然なのかどうなのか、いずれのオーケストラも、ドビュッシーの交響詩『海』とラヴェルの『ラ・ヴァルス』をプログラムに組み込んでいたのだけれど、指揮者の解釈ばかりか、オーケストラの持つ音色の違いをまざまざと知らされる想いがして、あれには本当にびっくりした。
 そういえば、あなたWDR響の細かいところまで明快に見通せるようなクリアな演奏に、こなたスイス・ロマンド管のほわんほわんほわんほわんと音がまるっこく包み込むように響く演奏と、同じ作品(ちなみにほぼ同じ座席)でも、こうも違って聴こえるのかと驚いていると、たまたま隣に座っていたフランス人が演奏終了後に、「フランスのオーケストラ以上にフランスっぽいね」と口にしてにやりとしたんだったっけ。
(WDR響の場合、ドビュッシーとラヴェルは前半のプログラムで、メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。『海』は、カプリッチョ・レーベルからCDがリリースされていた)

 ダニエレ・ガッティがフランス国立管弦楽団を指揮したドビュッシーの管弦楽曲集(『海』、牧神の午後への前奏曲、管弦楽のための『映像』のカップリング)を聴きながら、ついついそんなことを思い出してしまった。
 「フランスのオーケストラ以上にフランスっぽいね」とは、あまりに感覚的で、ある種の偏見が入り混じったと言葉と思えなくもないとはいえ、このCDのドビュッシーを聴くに、確かにそういう風に彼が口にしてみたくなった気持ちも想像できなくはない。
 録音のかげんもあってだろうが、ガッティとフランス国立管弦楽団が造り出すドビュッシーは、細部までよく目配りが届いている上に、オペラでならしたガッティらしく歌謡性や劇場感覚にあふれているというか、音楽の肝をよく押さえた非常にメリハリのきいた音楽に仕上がっている。
 と、言っても、ベルティーニのように、がっちりきっちりと固めきってしまうのではなく、多少粗さは残っても、音楽の自然な流れ、演奏者の感興というものをより活かしているようにも感じられる。
 そうした意味もあって、『海』の終曲や、『映像』など、音のダイナミズムや劇性に富んだ作品が中でも優れた演奏になっているように思った。
 いずれにしても、単なる雰囲気としてではなく、一個の音楽作品、オーケストラ作品としてドビュッシーの作品を愉しみたい方には、大いにお薦めしたい一枚だ。

 そうそう、ベルティーニ&WDR響、ジョルダン&スイス・ロマンド管の驚きよ再びとばかり、ガッティのCDのあとに、セルジュ・チェリビダッケがシュトゥットガルト放送交響楽団とミュンヘン・フィルを指揮した二種類の『海』の録音<前者ドイツ・グラモフォン/後者EMI>を続けて聴いてみたのだが、これは失敗だった。
 なぜなら、演奏の違い、解釈の違いは頭でよく理解できるものの、あの身に沁みるような感覚感慨は、全く得られなかったからである。
 まあ、生とCD(音の缶詰)、当たり前っちゃ当たり前のことではあろうが。

 それにしても、20代半ば前に、連日連夜、それも生活の一部としてコンサートやオペラに足しげく通ったあの半年間は、僕にとって本当に贅沢な体験経験であり、記憶であるのだが、ことクラシック音楽を生で聴くという意味では、僕の人生のピークだったことも明らかな事実だろう。
 それは、とても贅沢で幸福なことではあったけれど、逆にとてつもなく不幸なことであったのかもしれないと、今の僕は思わないでもない。
posted by figarok492na at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする