7月も今日で終わり。
今年も残すところ5ヶ月となる。
一日一日を本当に大切にしていかなければ。
そして、死を忘れないこと。
快晴。
いいお天気、いい青空の一日。
気温は今日も上昇し、暑さが非常に厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。
昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、4時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、戌井昭人さんの『松竹梅』<リトルモア>を読み進めたりする。
ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&演奏会用序曲集<SONY/DHM>を二度聴き、CDレビューをアップする。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
続けて、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY/BMG>を聴く。
夕方になって、夕飯用の買い物のため外出する。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送(hr)交響楽団の来日コンサートのライヴ録音を聴く。
リストのピアノ協奏曲第1番(アリス紗良オットの独奏)とマーラーの交響曲第5番が演奏されていた。
今日は、昭栄堂製菓株式会社の兵庫神戸パイを食す。
卸売ひろばタカギで、税込み52円だったもの。
メープルシロップ味のスティックタイプのパイで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
で、今から、仕事関係の用件で外出する予定なり。
明日がいい日でありますように!
そして、8月がいい月でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月31日
シューベルトの交響曲第5番&演奏会用序曲集
☆シューベルト:交響曲第5番&演奏会用序曲集
指揮:ミヒ・ガイック
管弦楽:オルフェオ・バロック・オーケストラ
(2011年7、8月/デジタル・セッション録音)
<SONY/DHM>88697911382
CPOレーベルやドイッチェ・ハルモニアムンディ(DHM)などで精力的にCD録音を続けている、オーストリアのピリオド楽器オーケストラ、オルフェオ・バロック・オーケストラが、彼彼女らにとって初の初期ロマン派録音となるシューベルトの交響曲第5番と演奏会用序曲を収めたアルバムをリリースした。
すでにジョス・ファン・インマゼール&アニマ・エテルナ(2回)、ロイ・グッドマン&ザ・ハノーヴァー・バンド、ロジャー・ノリントン&ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ、フランス・ブリュッヘン&18世紀オーケストラと、ピリオド楽器オーケストラによる録音も少なくない交響曲第5番のほうは、よい意味でここ30年ほどのピリオドスタイルの「まとめ」というか、穏やかな雰囲気の中にときとして激しい風が吹くといった作品の性格をよくとらえた安定した演奏になっていると思う。
若干ピッチ云々以上に重心が低い感じがしないでもないが、作品を愉しむという意味ではそれほど気にはならないだろう。
ただ、やはりこのCDで重要となるのは、ピリオド楽器オーケストラによる初録音となる変ロ長調D.470、ニ長調D.556、ホ短調D.648の3曲をはじめとした5曲の演奏会用序曲ではないか。
ハイドンら古典派の影響が色濃い、交響曲と同じ調性を持つD.470から、当時大流行となったロッシーニのスタイルを巧く取り込んでみせた二つのイタリア風序曲(加えて、ニ長調D.590は、『魔法の竪琴』=『ロザムンデ』序曲の雛形ともなっている)と、シューベルトの創作活動の変遷変化や音楽的な個性(歌謡性)と同時代性が如実に示されていて、非常に興味深い。
オルフェオ・バロック・オーケストラは、とびきり達者とまでは言えまいが、メリハリのきいた清新な演奏で、作品の持ついきいきとした感じを巧く再現しているように思った。
シューベルトや初期ロマン派好きの方にはお薦めしたい一枚だ。
ところで、交響曲と序曲集というカップリングで思い出したが、グッドマンがザ・ハノーヴァー・バンドを指揮したケルビーニの交響曲と序曲集は、いつになったらリリースされるのだろう。
ザ・ハノーヴァー・バンドのサイトによると、RCAレーベルに録音したことは確からしいのだけれど、ずっとペンディング状態になっているのである。
せっかくならば、このシューベルトのアルバムと対にして聴いてみたいところなのだが。
指揮:ミヒ・ガイック
管弦楽:オルフェオ・バロック・オーケストラ
(2011年7、8月/デジタル・セッション録音)
<SONY/DHM>88697911382
CPOレーベルやドイッチェ・ハルモニアムンディ(DHM)などで精力的にCD録音を続けている、オーストリアのピリオド楽器オーケストラ、オルフェオ・バロック・オーケストラが、彼彼女らにとって初の初期ロマン派録音となるシューベルトの交響曲第5番と演奏会用序曲を収めたアルバムをリリースした。
すでにジョス・ファン・インマゼール&アニマ・エテルナ(2回)、ロイ・グッドマン&ザ・ハノーヴァー・バンド、ロジャー・ノリントン&ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ、フランス・ブリュッヘン&18世紀オーケストラと、ピリオド楽器オーケストラによる録音も少なくない交響曲第5番のほうは、よい意味でここ30年ほどのピリオドスタイルの「まとめ」というか、穏やかな雰囲気の中にときとして激しい風が吹くといった作品の性格をよくとらえた安定した演奏になっていると思う。
若干ピッチ云々以上に重心が低い感じがしないでもないが、作品を愉しむという意味ではそれほど気にはならないだろう。
ただ、やはりこのCDで重要となるのは、ピリオド楽器オーケストラによる初録音となる変ロ長調D.470、ニ長調D.556、ホ短調D.648の3曲をはじめとした5曲の演奏会用序曲ではないか。
ハイドンら古典派の影響が色濃い、交響曲と同じ調性を持つD.470から、当時大流行となったロッシーニのスタイルを巧く取り込んでみせた二つのイタリア風序曲(加えて、ニ長調D.590は、『魔法の竪琴』=『ロザムンデ』序曲の雛形ともなっている)と、シューベルトの創作活動の変遷変化や音楽的な個性(歌謡性)と同時代性が如実に示されていて、非常に興味深い。
オルフェオ・バロック・オーケストラは、とびきり達者とまでは言えまいが、メリハリのきいた清新な演奏で、作品の持ついきいきとした感じを巧く再現しているように思った。
シューベルトや初期ロマン派好きの方にはお薦めしたい一枚だ。
ところで、交響曲と序曲集というカップリングで思い出したが、グッドマンがザ・ハノーヴァー・バンドを指揮したケルビーニの交響曲と序曲集は、いつになったらリリースされるのだろう。
ザ・ハノーヴァー・バンドのサイトによると、RCAレーベルに録音したことは確からしいのだけれど、ずっとペンディング状態になっているのである。
せっかくならば、このシューベルトのアルバムと対にして聴いてみたいところなのだが。
三度外出した一日(昨日のCLACLA)
晴天。
どんよりとした感じもありつつも。
気温は今日も上昇し、暑さがとても激しく厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。
昨夜、4時頃まで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
朝早めに起きて、フォルテピアノのオルガ・トヴェルスカヤが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他<Opus111>を聴いたりしながら、『高森みずきの穏やかな一日』に関する作業を進め、完成させる。
正午過ぎに外出し、用件をすませる。
帰宅後、仕事関係の作業を進めたり、戌井昭人さんの『松竹梅』<リトルモア>を読み始めたりする。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」他<RCA SONY/BMG>を聴いたのち、同じくジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<同>を二度聴いて、CDレビューをアップする。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。
夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、チェンバロのクリストフ・ルセの来日リサイタルのライヴ録音を途中まで聴く。
ルイ・クープランとフランソワ・クープランの作品が演奏されていた。
その後外出し、いくつか用件をすませて帰宅が遅くなる。
今日は、ヤマザキのやわらか卵のシフォンケーキを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
やわらかい食感のシフォンケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
以上、7月30日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
どんよりとした感じもありつつも。
気温は今日も上昇し、暑さがとても激しく厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。
昨夜、4時頃まで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
朝早めに起きて、フォルテピアノのオルガ・トヴェルスカヤが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他<Opus111>を聴いたりしながら、『高森みずきの穏やかな一日』に関する作業を進め、完成させる。
正午過ぎに外出し、用件をすませる。
帰宅後、仕事関係の作業を進めたり、戌井昭人さんの『松竹梅』<リトルモア>を読み始めたりする。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」他<RCA SONY/BMG>を聴いたのち、同じくジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<同>を二度聴いて、CDレビューをアップする。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。
夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、チェンバロのクリストフ・ルセの来日リサイタルのライヴ録音を途中まで聴く。
ルイ・クープランとフランソワ・クープランの作品が演奏されていた。
その後外出し、いくつか用件をすませて帰宅が遅くなる。
今日は、ヤマザキのやわらか卵のシフォンケーキを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
やわらかい食感のシフォンケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
以上、7月30日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月30日
デヴィッド・ジンマンが指揮したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」
☆シューベルト:交響曲第3番&第4番「悲劇的」
指揮:デヴィッド・ジンマン
管弦楽:チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
(2011年2月/デジタル・セッション録音)
今からもう20年近くも前になるか。
シンガポールからフランクフルトに向かう飛行機の機内で、サービスのクラシック音楽の放送に耳を傾けていると、突然激しい感情表現の演奏にぶつかった。
作品が、「悲劇的」というニックネームを持ったシューベルトの交響曲第4番であることはすぐにわかったし、ピリオド楽器が使用されていることも続けてわかった。
それにしても、この荒々しい音の響きと狂おしいばかりの焦燥感はなんなんだろう。
そんな風に心を強く動かされながら交響曲第4番を聴き終えたとき、この録音がロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズによって演奏されたものであることをナレーターが告げた。
なるほど、ノリントンだったのか。
それからしばらくして、今度はケルンのフィルハーモニーで、ノリントンとヨーロッパ室内管弦楽団が演奏した同じ作品に接することができたのだが、生である分、さらに若き日のシューベルトの感情がほとばしり出てくるというか、「悲劇的」という名前に相応しいエネルギッシュで、なおかつクリティカルな演奏だったように記憶している。
デヴィッド・ジンマンが手兵チューリヒ・トーンハレ管弦楽団を指揮して進めているシューベルトの交響曲全集の第三段、交響曲第3番&第4番「悲劇的」の第4番を聴きながら、ふとノリントンが指揮した同じ作品のことを思い出した。
今回のアルバムも、第7番「未完成」や第1番&第2番(最晩年の吉田秀和が、『名曲のたのしみ』の試聴室でこの演奏をとり上げていたっけ)と同様、いわゆるピリオド奏法を援用したスピーディーでスマート、細部までクリアな目配りのよく届いた演奏で、全篇心地よく聴き通すことができる。
CDでこの二つの交響曲に親しむという意味では、大いにお薦めしたい一枚だ。
ただ一方で、第3番にせよ「悲劇的」にせよ、何か枠の中で巧くまとまってしまったような感じがしないでもない。
古典的な造形と言われればそれまでだし、実際そうした楽曲解釈の立場に立てば、非常に優れた演奏なのではあるのだけれど。
例えば、第4番の両端楽章など、聴く側の肺腑を抉るような痛み、鋭さ、激しさに若干欠けるような気がしてならないのである。
一つには、いっとう最初にリリースされた未完成交響曲で、ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が内面の嵐を描いたような激しい表現を行っていたことも大きいのかもしれないな。
そういえば、ノリントンがシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した「悲劇的」と交響曲第5番のアルバムが先頃リリースされたんだった。
聴いてみたいような、聴いてみたくないような…。
指揮:デヴィッド・ジンマン
管弦楽:チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
(2011年2月/デジタル・セッション録音)
今からもう20年近くも前になるか。
シンガポールからフランクフルトに向かう飛行機の機内で、サービスのクラシック音楽の放送に耳を傾けていると、突然激しい感情表現の演奏にぶつかった。
作品が、「悲劇的」というニックネームを持ったシューベルトの交響曲第4番であることはすぐにわかったし、ピリオド楽器が使用されていることも続けてわかった。
それにしても、この荒々しい音の響きと狂おしいばかりの焦燥感はなんなんだろう。
そんな風に心を強く動かされながら交響曲第4番を聴き終えたとき、この録音がロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズによって演奏されたものであることをナレーターが告げた。
なるほど、ノリントンだったのか。
それからしばらくして、今度はケルンのフィルハーモニーで、ノリントンとヨーロッパ室内管弦楽団が演奏した同じ作品に接することができたのだが、生である分、さらに若き日のシューベルトの感情がほとばしり出てくるというか、「悲劇的」という名前に相応しいエネルギッシュで、なおかつクリティカルな演奏だったように記憶している。
デヴィッド・ジンマンが手兵チューリヒ・トーンハレ管弦楽団を指揮して進めているシューベルトの交響曲全集の第三段、交響曲第3番&第4番「悲劇的」の第4番を聴きながら、ふとノリントンが指揮した同じ作品のことを思い出した。
今回のアルバムも、第7番「未完成」や第1番&第2番(最晩年の吉田秀和が、『名曲のたのしみ』の試聴室でこの演奏をとり上げていたっけ)と同様、いわゆるピリオド奏法を援用したスピーディーでスマート、細部までクリアな目配りのよく届いた演奏で、全篇心地よく聴き通すことができる。
CDでこの二つの交響曲に親しむという意味では、大いにお薦めしたい一枚だ。
ただ一方で、第3番にせよ「悲劇的」にせよ、何か枠の中で巧くまとまってしまったような感じがしないでもない。
古典的な造形と言われればそれまでだし、実際そうした楽曲解釈の立場に立てば、非常に優れた演奏なのではあるのだけれど。
例えば、第4番の両端楽章など、聴く側の肺腑を抉るような痛み、鋭さ、激しさに若干欠けるような気がしてならないのである。
一つには、いっとう最初にリリースされた未完成交響曲で、ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が内面の嵐を描いたような激しい表現を行っていたことも大きいのかもしれないな。
そういえば、ノリントンがシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した「悲劇的」と交響曲第5番のアルバムが先頃リリースされたんだった。
聴いてみたいような、聴いてみたくないような…。
2012年07月29日
暑いと洗濯物の乾きがいいね(CLACLA日記)
どんよりとした感じはありつつも、一応晴天の一日。
気温は今日も上昇し、暑さが本当に厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。
昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
午前のうちに、毎週恒例の洗濯をすませる。
気温のおかげか、乾きがとてもよい。
クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(AAM)が演奏したモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』のバレエ音楽&セレナード第9番「ポストホルン」他<オワゾリール>、フォルテピアノのロバート・レヴィンとホグウッド指揮AAMが演奏した同じくモーツァルトのピアノ協奏曲第22番&第23番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
米田夕歌里の『トロンプルイユの星』<集英社>を読了する。
母から電話があり、少し話しをする。
多謝。
16時過ぎに外出し、室町通のストアデポで買い物をすませ、壱坪シアタースワンへ。
THE GO AND MO’Sの第4回公演『後藤の銀』を観る。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
帰りがけ、五条通のフレスコで、スペースイサンと壱坪シアタースワンの小屋主である松浦武男さんとあいさつをする。
余談だが、「栗塚旭さんと松浦武男さんに、昔の京都のお芝居と映画のお話を聴く」という会を、現在進めている映画と演劇の人材シェアの企画の中で開催できないものか。
19時20分に帰宅した。
夕飯後、アマデウス・ウィンズが演奏したモーツァルトの管楽器のためのディヴェルティメント集<オワゾリール>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
今日は、ヤマザキのレモンケーキ風パンを食す。
五条通のフレスコで、30パーセント引、税込み71円だったもの。
レモンクリームをサンドしレモンチョコをコーティングしたレモンケーキ風のパンで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温は今日も上昇し、暑さが本当に厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。
昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
午前のうちに、毎週恒例の洗濯をすませる。
気温のおかげか、乾きがとてもよい。
クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(AAM)が演奏したモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』のバレエ音楽&セレナード第9番「ポストホルン」他<オワゾリール>、フォルテピアノのロバート・レヴィンとホグウッド指揮AAMが演奏した同じくモーツァルトのピアノ協奏曲第22番&第23番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
米田夕歌里の『トロンプルイユの星』<集英社>を読了する。
母から電話があり、少し話しをする。
多謝。
16時過ぎに外出し、室町通のストアデポで買い物をすませ、壱坪シアタースワンへ。
THE GO AND MO’Sの第4回公演『後藤の銀』を観る。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
帰りがけ、五条通のフレスコで、スペースイサンと壱坪シアタースワンの小屋主である松浦武男さんとあいさつをする。
余談だが、「栗塚旭さんと松浦武男さんに、昔の京都のお芝居と映画のお話を聴く」という会を、現在進めている映画と演劇の人材シェアの企画の中で開催できないものか。
19時20分に帰宅した。
夕飯後、アマデウス・ウィンズが演奏したモーツァルトの管楽器のためのディヴェルティメント集<オワゾリール>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
今日は、ヤマザキのレモンケーキ風パンを食す。
五条通のフレスコで、30パーセント引、税込み71円だったもの。
レモンクリームをサンドしレモンチョコをコーティングしたレモンケーキ風のパンで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
THE GO AND MO'S第4回公演『後藤の銀』
☆THE GO AND MO’S第4回公演『後藤の銀』
脚本・演出・出演:黒川猛
構成:黒川猛、中川剛
制作・他:丸井重樹
協力:ベトナムからの笑い声
(2012年7月29日、壱坪シアタースワン)
隔月末に開催の、ベトナムからの笑い声で鳴らした黒川猛の単独ライヴ、THE GO AND MO’Sだが、回を重ねて第4回目となる今回のタイトルは『後藤の銀』。
「電話」や「ドキュメンタリー」(映像)といった定番のネタに、新作コントや創作落語とバラエティに富んだラインナップは相変わらずで、ものによっては若干無理があるかなと感じたりしながらも、気がつけばついつい笑ってしまっていた。
中でも、ウェルメイドなつくりの創作落語『親戚』と、宮崎宏康らの身体表現に外野の解説(コメント)がどうにもおかしい映像コント『身体〜挑戦者〜』には、笑ったなあ。
二ヶ月に一度の公演は、本当にいろいろと大変だろうが、これからもずっと愉しみ続けたいものだ。
まずは、次回第5回公演『岡山の槍』を心待ちにしたい。
ああ、面白かった!
脚本・演出・出演:黒川猛
構成:黒川猛、中川剛
制作・他:丸井重樹
協力:ベトナムからの笑い声
(2012年7月29日、壱坪シアタースワン)
隔月末に開催の、ベトナムからの笑い声で鳴らした黒川猛の単独ライヴ、THE GO AND MO’Sだが、回を重ねて第4回目となる今回のタイトルは『後藤の銀』。
「電話」や「ドキュメンタリー」(映像)といった定番のネタに、新作コントや創作落語とバラエティに富んだラインナップは相変わらずで、ものによっては若干無理があるかなと感じたりしながらも、気がつけばついつい笑ってしまっていた。
中でも、ウェルメイドなつくりの創作落語『親戚』と、宮崎宏康らの身体表現に外野の解説(コメント)がどうにもおかしい映像コント『身体〜挑戦者〜』には、笑ったなあ。
二ヶ月に一度の公演は、本当にいろいろと大変だろうが、これからもずっと愉しみ続けたいものだ。
まずは、次回第5回公演『岡山の槍』を心待ちにしたい。
ああ、面白かった!
2012年07月28日
暑いので家で作業(CLACLA日記)
どんよりとした感じはありつつも、一応晴天の一日。
気温は今日も上昇し、暑さが非常に厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にお気をつけくださいね。
昨夜、4時頃まで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
フォルテピアノのマルコム・ビルソンとジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(EBS)が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第25番&第26番「戴冠式」<ARCHIV>、ガーディナー指揮EBSが演奏した同じくモーツァルトの交響曲第32番、第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」<PHILIPS>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
米田夕歌里の『トロンプルイユの星』<集英社>を読み始める。
第34回すばる文学賞受賞作品である。
夕方になって、夕飯用の買い物のために外出する。
夕飯後、ガーディナー指揮EBSが演奏したモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」&第39番、第40番&第41番「ジュピター」<ともにPHILIPS>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、『トロンプルイユの星』を読み進めたりする。
それにしても、ガーディナーのCDは録音されてからもう20年以上も経つのか。
時の流れの速さに改めて驚く。
今日は、ヤマザキのミルクチョコ&ホワイトチョコリングドーナツを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
ミルクチョコとホワイトチョコをコーティングした、オーソドックスなリングドーナツで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
ロンドン・オリンピックが開幕した。
ラジオで、いくつかの競技をちらと聴く。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温は今日も上昇し、暑さが非常に厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にお気をつけくださいね。
昨夜、4時頃まで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
フォルテピアノのマルコム・ビルソンとジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(EBS)が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第25番&第26番「戴冠式」<ARCHIV>、ガーディナー指揮EBSが演奏した同じくモーツァルトの交響曲第32番、第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」<PHILIPS>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
米田夕歌里の『トロンプルイユの星』<集英社>を読み始める。
第34回すばる文学賞受賞作品である。
夕方になって、夕飯用の買い物のために外出する。
夕飯後、ガーディナー指揮EBSが演奏したモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」&第39番、第40番&第41番「ジュピター」<ともにPHILIPS>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、『トロンプルイユの星』を読み進めたりする。
それにしても、ガーディナーのCDは録音されてからもう20年以上も経つのか。
時の流れの速さに改めて驚く。
今日は、ヤマザキのミルクチョコ&ホワイトチョコリングドーナツを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
ミルクチョコとホワイトチョコをコーティングした、オーソドックスなリングドーナツで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
ロンドン・オリンピックが開幕した。
ラジオで、いくつかの競技をちらと聴く。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月27日
マリア・カラスが歌った『カルメン』を聴いた(CLACLA日記)
どんよりとした感じはありつつも、晴天の一日。
今日も気温は上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。
昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴く。
夕暮れ社弱男ユニットの村上慎太郎君も出演していた。
(その際、妹尾さんがいじめ対策として自衛隊への入隊=体験入隊?を勧めていたように思うが、海上自衛隊など、自衛隊内でのいじめの問題を知っているだけに、どうしても違和感を覚えてしまった。自然災害時の自衛隊の活動に対する評価には、充分納得がいくものの)
続けて、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、ジョルジュ・プレートル指揮パリ・オペラ座(パリ国立歌劇場)管弦楽団他が演奏したビゼーの歌劇『カルメン』全曲を聴く。
実は、この録音のCDは、今から25年以上前に初出国内盤を購入していて、長く愛聴していたのだけれど、盤面に傷が入って音とびを起こすようになって以降、全曲は聴けずにいたものだ。
クセの強いマリア・カラスのタイトルロールには好みが分かれるだろうが、やはりその歌唱は立派なものだと思う。
他の歌手陣もけっこう粒ぞろいだし、プレートルのメリハリのきいたテンポのよい伴奏もなかなかの聴きものである。
ああ、面白かった!
それにしても、この録音を聴くと、ちょうどCDを購入した頃に生で観聴きした、長崎県オペラ協会の『カルメン』の公演(1985年、星出豊指揮長崎交響楽団の伴奏、長崎市公会堂)を思い出してしまう。
そういえば、早世してしまった演出の粟國安彦も、黒い衣裳を身に着けて死神然として出演していたんだよなあ。
懐かしいなあ。
仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、木内昇の『茗荷谷の猫』<文藝春秋>を読み進めたりする。
17時過ぎに外出し、仕事関係の用件を片づけたのち、下京図書館で木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<同>と田崎健太の『偶然完全』<講談社>を返却し、米田夕歌里の『トロンプルイユの星』<集英社>と予約しておいた戌井昭人さんの『松竹梅』<リトルモア>を新たに借りる。
その後、京都芸術センターで用件を片づけ、ついでに夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ヴァイオリンのルノー・カプソン、チェロのゴーティエ・カプソン、ピアノのフランク・ブラレイによる室内楽コンサートのライヴ録音を聴く。
ベートーヴェンのピアノ3重奏曲第5番「幽霊」やシューベルトのピアノ3重奏曲第2番などが放送されていた。
清々しくて活力がありつつも、インティメートな雰囲気も持った演奏だったように思う。
続けて、同じくNHK・FMのDJクラシック、茂木大輔のオーケストラをやってきたを聴く。
どこかで耳にしたようなタイトルの番組だけど、「が」ではなく「を」というところがミソなのかな。
ロンドン・オリンピックの開幕にちなんで、今夜はマーチの特集が組まれていた。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
『茗荷谷の猫』を読了する。
あえて詳しくは触れないが、巧みにたくまれていて、なおかつ心のこもった連作集で、読んでおいて本当に正解だった。
ああ、面白かった!
今日は、オイシスのスイスロール・バニラ風味クリームを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
オーソドックスなバニラクリームのロールケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
今日も気温は上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれも熱中症にはお気をつけくださいね。
昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴く。
夕暮れ社弱男ユニットの村上慎太郎君も出演していた。
(その際、妹尾さんがいじめ対策として自衛隊への入隊=体験入隊?を勧めていたように思うが、海上自衛隊など、自衛隊内でのいじめの問題を知っているだけに、どうしても違和感を覚えてしまった。自然災害時の自衛隊の活動に対する評価には、充分納得がいくものの)
続けて、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、ジョルジュ・プレートル指揮パリ・オペラ座(パリ国立歌劇場)管弦楽団他が演奏したビゼーの歌劇『カルメン』全曲を聴く。
実は、この録音のCDは、今から25年以上前に初出国内盤を購入していて、長く愛聴していたのだけれど、盤面に傷が入って音とびを起こすようになって以降、全曲は聴けずにいたものだ。
クセの強いマリア・カラスのタイトルロールには好みが分かれるだろうが、やはりその歌唱は立派なものだと思う。
他の歌手陣もけっこう粒ぞろいだし、プレートルのメリハリのきいたテンポのよい伴奏もなかなかの聴きものである。
ああ、面白かった!
それにしても、この録音を聴くと、ちょうどCDを購入した頃に生で観聴きした、長崎県オペラ協会の『カルメン』の公演(1985年、星出豊指揮長崎交響楽団の伴奏、長崎市公会堂)を思い出してしまう。
そういえば、早世してしまった演出の粟國安彦も、黒い衣裳を身に着けて死神然として出演していたんだよなあ。
懐かしいなあ。
仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、木内昇の『茗荷谷の猫』<文藝春秋>を読み進めたりする。
17時過ぎに外出し、仕事関係の用件を片づけたのち、下京図書館で木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<同>と田崎健太の『偶然完全』<講談社>を返却し、米田夕歌里の『トロンプルイユの星』<集英社>と予約しておいた戌井昭人さんの『松竹梅』<リトルモア>を新たに借りる。
その後、京都芸術センターで用件を片づけ、ついでに夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ヴァイオリンのルノー・カプソン、チェロのゴーティエ・カプソン、ピアノのフランク・ブラレイによる室内楽コンサートのライヴ録音を聴く。
ベートーヴェンのピアノ3重奏曲第5番「幽霊」やシューベルトのピアノ3重奏曲第2番などが放送されていた。
清々しくて活力がありつつも、インティメートな雰囲気も持った演奏だったように思う。
続けて、同じくNHK・FMのDJクラシック、茂木大輔のオーケストラをやってきたを聴く。
どこかで耳にしたようなタイトルの番組だけど、「が」ではなく「を」というところがミソなのかな。
ロンドン・オリンピックの開幕にちなんで、今夜はマーチの特集が組まれていた。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
『茗荷谷の猫』を読了する。
あえて詳しくは触れないが、巧みにたくまれていて、なおかつ心のこもった連作集で、読んでおいて本当に正解だった。
ああ、面白かった!
今日は、オイシスのスイスロール・バニラ風味クリームを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
オーソドックスなバニラクリームのロールケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月26日
おとなしく作業を進めた一日(CLACLA日記)
晴天。
今日も気温は上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
6時過ぎに眠り、10時台に起きる。
11時ちょうどに外出し、仕事関係の用件をすませる。
帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を二度聴いたり、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
夕方になって、夕飯用の買い物のため再び外出する。
ついでに、近所のブックファーストで『レコード芸術』8月号の立ち読みをしたり、コンビニで週刊文春の小林信彦と坪内祐三の連載だけを立ち読みしたりした。
小林さんの今回のエッセイでは、ロマン・ポランスキの新作『おとなのけんか』について詳しく語られていた。
これはぜひ観ておきたい作品だ。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ヴァイオリンのジュリアン・ラクリンのリサイタルのライヴ録音を聴く。
イタマール・ゴランのピアノ伴奏で、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第8番、第9番「クロイツェル・ソナタ」、第10番などが放送されていた。
続けて、シューベルトの交響曲第5番&序曲集を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、木内昇の『茗荷谷の猫』<文藝春秋>を読み進めたりする。
今日は、オイシスのチョコバナナケーキを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
気がつけば、ロンドン・オリンピックか。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
今日も気温は上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
6時過ぎに眠り、10時台に起きる。
11時ちょうどに外出し、仕事関係の用件をすませる。
帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を二度聴いたり、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
夕方になって、夕飯用の買い物のため再び外出する。
ついでに、近所のブックファーストで『レコード芸術』8月号の立ち読みをしたり、コンビニで週刊文春の小林信彦と坪内祐三の連載だけを立ち読みしたりした。
小林さんの今回のエッセイでは、ロマン・ポランスキの新作『おとなのけんか』について詳しく語られていた。
これはぜひ観ておきたい作品だ。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ヴァイオリンのジュリアン・ラクリンのリサイタルのライヴ録音を聴く。
イタマール・ゴランのピアノ伴奏で、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第8番、第9番「クロイツェル・ソナタ」、第10番などが放送されていた。
続けて、シューベルトの交響曲第5番&序曲集を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、木内昇の『茗荷谷の猫』<文藝春秋>を読み進めたりする。
今日は、オイシスのチョコバナナケーキを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
気がつけば、ロンドン・オリンピックか。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
西尾ゼミ上映会(今泉監督のワークショップ)と打ち合わせ、そして打ち上げ(昨日のCLACLA)
☆7月25日から26日の日記
晴天。
途中、激しい雨になるも。
気温は上昇し、暑さがとても厳しい。
正午過ぎに外出し、京都造形芸術大学映画学科2011年度西尾ゼミの上映会「ここがロドスだ、ここで跳べ!」の三日目に足を運ぶ。
まずゼミ作品として、林風斗監督の『うつうつつ』、塩川公也監督の『手を離しても』(イッパイアンテナの山本大樹君も出演)、小林由佳監督の『LOSER』、工藤智之監督の『キラキラ』が上映されたのち、OB作品として坂井圭絵監督の『えつ子のかお』が上映される。
『えつ子のかお』は、出演者の沢大洋さんを坂井監督に紹介したり、大西礼芳さんが主演を務めたりと、全く無関係ではない作品である。
その後、今泉力哉監督の演技ワークショップ・実技編に受講生として参加する。
演技者同志の関係性を大切にするとともに、即興性にも富んだワークショップで、実に刺激的で面白かった。
(自分の演技は、役者の身体感覚によるものではなく、物書きの言語感覚によるものだということを改めて痛感もした)
ワークショップ終了後、別所に移動し、映画×演劇deつながらナイトの第2回目の企画等に関する打ち合わせを行う。
詳細に関しては、近日中に公開の予定です。
こうご期待!
打ち合わせ終了後、木屋町に戻り、西尾ゼミ上映会の打ち上げに参加する。
で、関係各氏と愉しくお話をしているうちに朝方5時となる。
5時半過ぎに帰宅した。
晴天。
途中、激しい雨になるも。
気温は上昇し、暑さがとても厳しい。
正午過ぎに外出し、京都造形芸術大学映画学科2011年度西尾ゼミの上映会「ここがロドスだ、ここで跳べ!」の三日目に足を運ぶ。
まずゼミ作品として、林風斗監督の『うつうつつ』、塩川公也監督の『手を離しても』(イッパイアンテナの山本大樹君も出演)、小林由佳監督の『LOSER』、工藤智之監督の『キラキラ』が上映されたのち、OB作品として坂井圭絵監督の『えつ子のかお』が上映される。
『えつ子のかお』は、出演者の沢大洋さんを坂井監督に紹介したり、大西礼芳さんが主演を務めたりと、全く無関係ではない作品である。
その後、今泉力哉監督の演技ワークショップ・実技編に受講生として参加する。
演技者同志の関係性を大切にするとともに、即興性にも富んだワークショップで、実に刺激的で面白かった。
(自分の演技は、役者の身体感覚によるものではなく、物書きの言語感覚によるものだということを改めて痛感もした)
ワークショップ終了後、別所に移動し、映画×演劇deつながらナイトの第2回目の企画等に関する打ち合わせを行う。
詳細に関しては、近日中に公開の予定です。
こうご期待!
打ち合わせ終了後、木屋町に戻り、西尾ゼミ上映会の打ち上げに参加する。
で、関係各氏と愉しくお話をしているうちに朝方5時となる。
5時半過ぎに帰宅した。
2012年07月24日
作業を進めた一日(CLACLA日記)
どんよりとした感じはありつつも、一応青空の見える一日。
ただし、お昼過ぎにしばらく激しい雨となる。
気温は今日も上昇し、暑さがとても厳しい。
加えて湿度が高い分、むしむしむしむしとして全く快ならず。
昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、3時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
お昼過ぎに外出し、郵便局で用件を片づける。
ぎりぎりで、激しい雨にやられずすんだ。
帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、田崎健太の『偶然完全』<講談社>を読み進めたりする。
夕方、夕飯用の買い物のため再び外出する。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ミッコ・フランク指揮フランス放送フィルのコンサートのライヴ録音を聴く。
メイヤーのヴァイオリン協奏曲(ヒラリー・ハーンの独奏)、プロコフィエフの交響曲第5番などが放送されていた。
続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
『偶然完全』を読了する。
著者の勝新太郎への強い想い、愛情がよく伝わって来る一冊だった。
なお、書名でもある「偶然完全」とは、たまたま出会った人と人とが素晴らしく密度の濃い関係になる様を表わした、勝新太郎自身の言葉による。
(勝新主演の伝説の刑事ドラマ『警視−K』が観たいなあ)
続けて、木内昇の『茗荷谷の猫』<文藝春秋>を読み始める。
今日は、オイシスのチョコバナナケーキを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
ココアのスポンジにバナナムースとチョコホイップクリームをのせたケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手がニューヨーク・ヤンキースにトレードされたとのこと。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
ただし、お昼過ぎにしばらく激しい雨となる。
気温は今日も上昇し、暑さがとても厳しい。
加えて湿度が高い分、むしむしむしむしとして全く快ならず。
昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、3時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
お昼過ぎに外出し、郵便局で用件を片づける。
ぎりぎりで、激しい雨にやられずすんだ。
帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、田崎健太の『偶然完全』<講談社>を読み進めたりする。
夕方、夕飯用の買い物のため再び外出する。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ミッコ・フランク指揮フランス放送フィルのコンサートのライヴ録音を聴く。
メイヤーのヴァイオリン協奏曲(ヒラリー・ハーンの独奏)、プロコフィエフの交響曲第5番などが放送されていた。
続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
『偶然完全』を読了する。
著者の勝新太郎への強い想い、愛情がよく伝わって来る一冊だった。
なお、書名でもある「偶然完全」とは、たまたま出会った人と人とが素晴らしく密度の濃い関係になる様を表わした、勝新太郎自身の言葉による。
(勝新主演の伝説の刑事ドラマ『警視−K』が観たいなあ)
続けて、木内昇の『茗荷谷の猫』<文藝春秋>を読み始める。
今日は、オイシスのチョコバナナケーキを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
ココアのスポンジにバナナムースとチョコホイップクリームをのせたケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手がニューヨーク・ヤンキースにトレードされたとのこと。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月23日
それにしても、勝新は凄いや(CLACLA日記)
晴天。
どんよりとした感じはありつつも、一応いいお天気、いい青空の一日。
気温が上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い。
昨日お昼過ぎに外出し、自転車で京都造形芸術大学映画学科の岩佐悠毅監督の下宿先へ向かう。
で、下宿先の屋上で行われた岩佐監督の新作撮影に、出演者として参加する。
17時台に終了し、今度は元立誠小学校へ向かう。
で、講堂で開催された谷口正晃監督の俳優ワークショップ(二日目)に、サポートスタッフとして参加する。
終了後、反省会に参加し、さらに二次会にも参加し、4時台に帰宅した。
5時過ぎに寝床に就き、8時台には起きて、仕事関係の作業を進める。
正午過ぎに、一度外出する。
帰宅後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを進めたり、田崎健太の『偶然完全』<講談社>を読み進めたりする。
「勝新太郎伝」という副題からも明らかなように、『偶然完全』は、晩年親しい関係にあった著者が、勝新こと勝新太郎の役者人生を追った一冊。
面白し。
夕方、夕飯用の買い物のために再び出かける。
夕飯前、少しだけうとうととしてしまう。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲(リサ・バティアシュヴィリの独奏)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』などが放送されていた。
続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、『偶然完全』を読み進めたりする。
それにしても、勝新は凄いや。
今日は、東ハトのハーベスト・抹茶を食す。
卸売ひろばタカギで、税込み73円だったもの。
抹茶風味のおなじみ薄焼きビスケット・ハーベストで、さくさくとした食感もあってなかなか美味しうございました。
ごちそうさまでした!
米軍の岩国基地にオスプレイ12機が到着したという。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
どんよりとした感じはありつつも、一応いいお天気、いい青空の一日。
気温が上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い。
昨日お昼過ぎに外出し、自転車で京都造形芸術大学映画学科の岩佐悠毅監督の下宿先へ向かう。
で、下宿先の屋上で行われた岩佐監督の新作撮影に、出演者として参加する。
17時台に終了し、今度は元立誠小学校へ向かう。
で、講堂で開催された谷口正晃監督の俳優ワークショップ(二日目)に、サポートスタッフとして参加する。
終了後、反省会に参加し、さらに二次会にも参加し、4時台に帰宅した。
5時過ぎに寝床に就き、8時台には起きて、仕事関係の作業を進める。
正午過ぎに、一度外出する。
帰宅後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを進めたり、田崎健太の『偶然完全』<講談社>を読み進めたりする。
「勝新太郎伝」という副題からも明らかなように、『偶然完全』は、晩年親しい関係にあった著者が、勝新こと勝新太郎の役者人生を追った一冊。
面白し。
夕方、夕飯用の買い物のために再び出かける。
夕飯前、少しだけうとうととしてしまう。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲(リサ・バティアシュヴィリの独奏)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』などが放送されていた。
続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、『偶然完全』を読み進めたりする。
それにしても、勝新は凄いや。
今日は、東ハトのハーベスト・抹茶を食す。
卸売ひろばタカギで、税込み73円だったもの。
抹茶風味のおなじみ薄焼きビスケット・ハーベストで、さくさくとした食感もあってなかなか美味しうございました。
ごちそうさまでした!
米軍の岩国基地にオスプレイ12機が到着したという。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月22日
谷口正晃監督の俳優ワークショップにサポートスタッフとして参加した(CLACLA日記)
雨降り。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高い分、じめじめむしむしとしてあまり快ならず。
昨夜自転車で外出し、京都みなみ会館へ。
谷口正晃監督の『時をかける少女』を観(仲里依紗がどうにも魅力的で、巧くずらした展開も面白く、2時間強観飽きることがなかった)、谷口監督のアフタートークを愉しむ。
関係各氏と話しをしたあと、親しくしている人と食事をして帰宅が遅くなる。
帰宅後、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。
11時過ぎに外出し、歩いて元立誠小学校へ。
谷口正晃監督の俳優ワークショップにサポートスタッフとして参加させていただく。
詳しい内容については触れないが、ある映画シナリオのいくつかのシーンを受講生の皆さんが演じ、谷口監督が丁寧に指導助言を行っていくというもので、非常に密度の濃い内容だった。
関係各氏のほか、様々な方々とお話をする。
ワークショップ終了後、関係者の皆さんと食事をし、大垣書店四条店に寄って買い物をすませ、22時半少し前に帰宅した。
帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴きながら、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進め、読了する。
大きな泣きにいきそうなところで、するりと巧くかわしてしまうその見事さ、心意気。
ああ、面白かった!
以上、7月21日の日記。
今日は、京都造形芸大の岩佐悠毅監督の新作の撮影に出演者として参加する予定なり。
その後、谷口監督のワークショップに間に合えば、撤収作業などに加わるつもりだ。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高い分、じめじめむしむしとしてあまり快ならず。
昨夜自転車で外出し、京都みなみ会館へ。
谷口正晃監督の『時をかける少女』を観(仲里依紗がどうにも魅力的で、巧くずらした展開も面白く、2時間強観飽きることがなかった)、谷口監督のアフタートークを愉しむ。
関係各氏と話しをしたあと、親しくしている人と食事をして帰宅が遅くなる。
帰宅後、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。
11時過ぎに外出し、歩いて元立誠小学校へ。
谷口正晃監督の俳優ワークショップにサポートスタッフとして参加させていただく。
詳しい内容については触れないが、ある映画シナリオのいくつかのシーンを受講生の皆さんが演じ、谷口監督が丁寧に指導助言を行っていくというもので、非常に密度の濃い内容だった。
関係各氏のほか、様々な方々とお話をする。
ワークショップ終了後、関係者の皆さんと食事をし、大垣書店四条店に寄って買い物をすませ、22時半少し前に帰宅した。
帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴きながら、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進め、読了する。
大きな泣きにいきそうなところで、するりと巧くかわしてしまうその見事さ、心意気。
ああ、面白かった!
以上、7月21日の日記。
今日は、京都造形芸大の岩佐悠毅監督の新作の撮影に出演者として参加する予定なり。
その後、谷口監督のワークショップに間に合えば、撤収作業などに加わるつもりだ。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月20日
雨の一日(CLACLA日記)
雨降り。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高く、じめじめむしむしとして全く快ならず。
昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴く。
続けて、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴く。
続けて、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、ベルギー・ブリュッセルの王立モネ劇場におけるヘンデルの歌劇『オルランド』公演(ルネ・ヤーコプス指揮)のライヴ録音を途中から聴く。
高校野球の中継が雨でとんで、呑気なインストゥルメント音楽なんぞ流しているもんだからCDを聴いたというのに…。
てか、そもそもFMで高校野球の中継をやること自体なんだかなあと想い続けているのだ、高校時代から。
なかなかの演奏だっただけに、全曲聴くことができず残念だ。
続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴く。
仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、新藤兼人監督の『第五福竜丸』の映画記録をアップしたり、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進めたりする。
今日は、今からみなみ会館で、谷口正晃監督の企画上映を観る予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高く、じめじめむしむしとして全く快ならず。
昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴く。
続けて、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴く。
続けて、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、ベルギー・ブリュッセルの王立モネ劇場におけるヘンデルの歌劇『オルランド』公演(ルネ・ヤーコプス指揮)のライヴ録音を途中から聴く。
高校野球の中継が雨でとんで、呑気なインストゥルメント音楽なんぞ流しているもんだからCDを聴いたというのに…。
てか、そもそもFMで高校野球の中継をやること自体なんだかなあと想い続けているのだ、高校時代から。
なかなかの演奏だっただけに、全曲聴くことができず残念だ。
続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴く。
仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったり、新藤兼人監督の『第五福竜丸』の映画記録をアップしたり、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進めたりする。
今日は、今からみなみ会館で、谷口正晃監督の企画上映を観る予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
第五福竜丸
☆第五福竜丸<1959年、近代映画協会、新世紀映画>
監督:新藤兼人
脚本:新藤兼人、八木保太郎
音楽:林光
(2012年7月19日、京都文化博物館フィルムシアター)
アメリカによるビキニ環礁で行われた水爆実験のため、マグロ漁船第五福竜丸の乗組員たちは死の灰を浴び被爆、帰国後原爆症と診断される…。
いわゆる第五福竜丸事件だが、タイトル通りその事件をドキュメンタリー・タッチで追った作品が、新藤兼人監督の『第五福竜丸』だ。
家族や船主たちの見送りの中、喜び勇んで焼津港を後にする第五福竜丸の船出に始まり、海上での活き活きとした乗組員たちの姿、突然の水爆実験と死の灰による被爆、診断と治療、そして無線長久保山愛吉の死までが、抑制された怒りを保ちつつ丹念に描かれていて、全篇観飽きない。
ときおり挟まれる乾いたユーモア(三井弘次や中村是好、森川信がコメディリリーフを務めている)は、久保山愛吉をはじめとした乗組員たちの悲劇や、アメリカ側の冷淡で利己的な姿勢を際立たせる意味でも効果を発揮している。
また、飄々とした演技を披歴している久保山愛吉役の宇野重吉のほか、乙羽信子、稲葉義男、永田靖、原保美、小沢栄太郎、殿山泰司、永井智雄、浜田寅彦(この人の代表作の一つと言っても過言ではあるまい)、千田是也、清水将夫、松本克平、三島雅夫、十朱久雄、松本染升、内藤武敏、松山照夫(その後、悪役ばかりやるようになったが、もともとこういった「良心的」な映画に多数出演していた)、小笠原章二郎、嵯峨善兵、毛利菊枝、原ひささ子【以上、京都文化博物館フィルムシアターのプログラムに掲載】、金井大、本郷淳、左右田一平、田中邦衛、井川比佐志、江角英明、田口計、中谷一郎、横森久、辻伊万里、二見忠夫といった主に新劇畑(民芸や俳優座)の人たちが出演していて壮観である。
(ただし、後年の山本薩夫監督の作品のような「くどい」演技にはなっていない。それも観どころの一つだ)
それと、作品の世界観によく沿った林光の音楽も忘れてはなるまい。
この『第五福竜丸』こそ、新藤監督と林さんの長い共同作業のはじまりとなる作品だったのだ。
いずれにしても、久しぶりに観て大正解だった一本。
監督:新藤兼人
脚本:新藤兼人、八木保太郎
音楽:林光
(2012年7月19日、京都文化博物館フィルムシアター)
アメリカによるビキニ環礁で行われた水爆実験のため、マグロ漁船第五福竜丸の乗組員たちは死の灰を浴び被爆、帰国後原爆症と診断される…。
いわゆる第五福竜丸事件だが、タイトル通りその事件をドキュメンタリー・タッチで追った作品が、新藤兼人監督の『第五福竜丸』だ。
家族や船主たちの見送りの中、喜び勇んで焼津港を後にする第五福竜丸の船出に始まり、海上での活き活きとした乗組員たちの姿、突然の水爆実験と死の灰による被爆、診断と治療、そして無線長久保山愛吉の死までが、抑制された怒りを保ちつつ丹念に描かれていて、全篇観飽きない。
ときおり挟まれる乾いたユーモア(三井弘次や中村是好、森川信がコメディリリーフを務めている)は、久保山愛吉をはじめとした乗組員たちの悲劇や、アメリカ側の冷淡で利己的な姿勢を際立たせる意味でも効果を発揮している。
また、飄々とした演技を披歴している久保山愛吉役の宇野重吉のほか、乙羽信子、稲葉義男、永田靖、原保美、小沢栄太郎、殿山泰司、永井智雄、浜田寅彦(この人の代表作の一つと言っても過言ではあるまい)、千田是也、清水将夫、松本克平、三島雅夫、十朱久雄、松本染升、内藤武敏、松山照夫(その後、悪役ばかりやるようになったが、もともとこういった「良心的」な映画に多数出演していた)、小笠原章二郎、嵯峨善兵、毛利菊枝、原ひささ子【以上、京都文化博物館フィルムシアターのプログラムに掲載】、金井大、本郷淳、左右田一平、田中邦衛、井川比佐志、江角英明、田口計、中谷一郎、横森久、辻伊万里、二見忠夫といった主に新劇畑(民芸や俳優座)の人たちが出演していて壮観である。
(ただし、後年の山本薩夫監督の作品のような「くどい」演技にはなっていない。それも観どころの一つだ)
それと、作品の世界観によく沿った林光の音楽も忘れてはなるまい。
この『第五福竜丸』こそ、新藤監督と林さんの長い共同作業のはじまりとなる作品だったのだ。
いずれにしても、久しぶりに観て大正解だった一本。
2012年07月19日
今日も映画を観に行った(CLACLA日記)
どんよりとした感じはありつつも、青空の見えるお天気。
気温は今日も上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
昨夕外出し、京都文化博物館3Fのフィルムシアターで、新藤兼人監督の『悲しみは女だけに』を観る。
詳しくは、前回の記事(映画記録)をご参照のほど。
帰宅後、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を二度聴いたり、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏した同じくシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進めたりする。
18時頃外出し、今日も京都文化博物館3Fのフィルムシアターへ。
新藤兼人監督の『第五福竜丸』を観る。
詳しくは、次回投稿予定の映画記録をご参照のほど。
夕飯用の買い物をすませたのち、20時40分頃帰宅する。
夕飯後、再びシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
今日は、ラ・メールのもっちもっち北海道メロンを食す。
六角のローソンストア100で、50円びきだったもの。
メロン風味のきいたもちもちの食感のパン(メロンパン風ではない)で、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
オスプレイが岩国に配備されるという。
原子力発電所同様、生レバーほどには危険でないという判断なのだろう。
いろいろと考えることあり。
左の瞼がぴくぴくとしている。
うっとうしいかぎり。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温は今日も上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
昨夕外出し、京都文化博物館3Fのフィルムシアターで、新藤兼人監督の『悲しみは女だけに』を観る。
詳しくは、前回の記事(映画記録)をご参照のほど。
帰宅後、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を二度聴いたり、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏した同じくシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進めたりする。
18時頃外出し、今日も京都文化博物館3Fのフィルムシアターへ。
新藤兼人監督の『第五福竜丸』を観る。
詳しくは、次回投稿予定の映画記録をご参照のほど。
夕飯用の買い物をすませたのち、20時40分頃帰宅する。
夕飯後、再びシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
今日は、ラ・メールのもっちもっち北海道メロンを食す。
六角のローソンストア100で、50円びきだったもの。
メロン風味のきいたもちもちの食感のパン(メロンパン風ではない)で、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
オスプレイが岩国に配備されるという。
原子力発電所同様、生レバーほどには危険でないという判断なのだろう。
いろいろと考えることあり。
左の瞼がぴくぴくとしている。
うっとうしいかぎり。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
悲しみは女だけに
☆悲しみは女だけに<1958年、大映東京>
監督・原作・脚本:新藤兼人
(2012年7月18日、京都文化博物館フィルムシアター)
小野良樹の『新藤兼人伝』<白水社>にも詳しく記されているが、新藤兼人は自らの実際の体験や経験を執拗なまでにその作品に投影し続けた監督であり脚本家であった。
劇団民芸のための戯曲『女の声』を映画化した、『悲しみは女だけに』など、まさしく新藤兼人の家族のエピソードを核とした、私映画とでも呼ぶべき内容となっている。
父親が他人の保証人となったばかりに多額の借金を抱えたため、なんとかそれを帳消しにすべく結納金と引き換えにアメリカに嫁いだ姉(田中絹代)が、30年ぶりに帰国する。
しかし、姉の奮闘も虚しく実家は跡かたもなく消えており、弟(小沢栄太郎)の一家は敗戦をきっかけにばらばらとなってしまっていた…。
と、いうような筋立ての中に、弟の娘息子(京マチ子、船越英二、市川和子)の置かれた現状やそこから発するエゴ、弟と前妻(杉村春子)との諍いや現在の妻(望月優子)との救いのないあり様、助産婦をやっている妹(水戸光子)の被爆体験(これも実際のエピソードであり、同じ新藤監督の『原爆の子』を想起させる)等が、巧みに盛り込まれていく。
もともと戯曲であること(登場人物の出し入れにもそれがよく出ている)を逆手にとった演出など、映像的な実験工夫も随所に見受けられるが、それより何より、登場人物たちの悲しみや苦しみ、弱さ、葛藤の中に、この国の抱えたあれこれが凝縮された形で表わされている点、言い換えれば新藤監督の私的な体験がより普遍的な問題と結び合わされている点に、僕は心動かされた。
(その意味でも、新藤兼人がシナリオを書いた川島雄三監督の『しとやかな獣』と通底するものを強く感じた)
役者陣は、上述した人たちのほか、宇野重吉、殿山泰司、見明凡太郎らが出演している。
田中絹代の存在感と、小沢栄太郎たちの達者さ(初老に近づいている小沢さんの場合、ときに達者さが先に来ている感じもしなくはなかったが)が強く印象に残った。
監督・原作・脚本:新藤兼人
(2012年7月18日、京都文化博物館フィルムシアター)
小野良樹の『新藤兼人伝』<白水社>にも詳しく記されているが、新藤兼人は自らの実際の体験や経験を執拗なまでにその作品に投影し続けた監督であり脚本家であった。
劇団民芸のための戯曲『女の声』を映画化した、『悲しみは女だけに』など、まさしく新藤兼人の家族のエピソードを核とした、私映画とでも呼ぶべき内容となっている。
父親が他人の保証人となったばかりに多額の借金を抱えたため、なんとかそれを帳消しにすべく結納金と引き換えにアメリカに嫁いだ姉(田中絹代)が、30年ぶりに帰国する。
しかし、姉の奮闘も虚しく実家は跡かたもなく消えており、弟(小沢栄太郎)の一家は敗戦をきっかけにばらばらとなってしまっていた…。
と、いうような筋立ての中に、弟の娘息子(京マチ子、船越英二、市川和子)の置かれた現状やそこから発するエゴ、弟と前妻(杉村春子)との諍いや現在の妻(望月優子)との救いのないあり様、助産婦をやっている妹(水戸光子)の被爆体験(これも実際のエピソードであり、同じ新藤監督の『原爆の子』を想起させる)等が、巧みに盛り込まれていく。
もともと戯曲であること(登場人物の出し入れにもそれがよく出ている)を逆手にとった演出など、映像的な実験工夫も随所に見受けられるが、それより何より、登場人物たちの悲しみや苦しみ、弱さ、葛藤の中に、この国の抱えたあれこれが凝縮された形で表わされている点、言い換えれば新藤監督の私的な体験がより普遍的な問題と結び合わされている点に、僕は心動かされた。
(その意味でも、新藤兼人がシナリオを書いた川島雄三監督の『しとやかな獣』と通底するものを強く感じた)
役者陣は、上述した人たちのほか、宇野重吉、殿山泰司、見明凡太郎らが出演している。
田中絹代の存在感と、小沢栄太郎たちの達者さ(初老に近づいている小沢さんの場合、ときに達者さが先に来ている感じもしなくはなかったが)が強く印象に残った。
2012年07月18日
暑い日が続く(CLACLA日記)
今日もいいお天気、いい青空。
晴天が続く。
そして、気温も上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
熱中症に気をつけておかなければ。
昨夜、4時過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>とミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進める。
敗戦後の浅草を舞台にした、一風変わった芸人たちの物語。
キャラクター設定も見事だ。
(題材と雰囲気から、どうしても井上ひさしの作品を思い起こす)
お昼過ぎに外出し、龍谷大学の大宮校舎へ。
今年度の矯正・保護課程の施設参観の申込みのためなり。
帰宅後、仕事関係の作業を進める。
今日は、今から京都文化博物館のフィルムシアターまで、新藤兼人監督の『悲しみは女だけに』を観に行く予定。
それじゃあ、行って来ます!
晴天が続く。
そして、気温も上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い暑い。
熱中症に気をつけておかなければ。
昨夜、4時過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の筆入れを行ったりする。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>とミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み進める。
敗戦後の浅草を舞台にした、一風変わった芸人たちの物語。
キャラクター設定も見事だ。
(題材と雰囲気から、どうしても井上ひさしの作品を思い起こす)
お昼過ぎに外出し、龍谷大学の大宮校舎へ。
今年度の矯正・保護課程の施設参観の申込みのためなり。
帰宅後、仕事関係の作業を進める。
今日は、今から京都文化博物館のフィルムシアターまで、新藤兼人監督の『悲しみは女だけに』を観に行く予定。
それじゃあ、行って来ます!
2012年07月17日
小島秀哉が亡くなった(CLACLA日記)
世は三連休明け。
晴天。
いいお天気、いい青空が続く。
気温は今日も上昇。
今年最高の気温となったよし。
暑い暑い暑い暑い。
俳優の小島秀哉が亡くなった(78歳)。
松竹新喜劇に入団し活躍するも退団、小沢昭一が主宰する芸能座に加わるなどした。
舞台を中心に、映画やテレビドラマにも出演。
映画では岡本喜八監督の『ダイナマイトどんどん』、テレビドラマでは『渡る世間は鬼ばかり』など橋田壽賀子作品が代表作になるか。
なお、小嶋秀哉の松竹新喜劇の退団は、藤山寛美との微妙な関係によるものとされている。
小林信彦の『喜劇人に花束を』<新潮文庫>の藤山寛美の章でもそこら辺りの事情が記されており、中でも1974年頃、藤山寛美と香川登枝緒(もともと『てなもんや三度笠』などで知られた放送作家だが、松竹新喜劇・藤山寛美と近しい関係にもあった)、そして小林信彦が三人で顔を合わせた際、小林さんが「小島秀哉がよくなりましたね」と藤山寛美に言うと、寛美は「よくない! 秀哉はよくない!」と声を荒げたというエピソードは印象的である。
深く、深く、深く、深く黙祷。
伊集院光の深夜の馬鹿力を聴いたりしながら、明け方5時頃まで仕事関係の作業を進める。
朝日新聞朝刊の筒井康隆の連載小説『聖痕』が、どうにも面白い。
9時台に起きて、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>とミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>をともに二度聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』、象牙の空港第2回公演『20のアマルガム』、劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズ『山下君の死んだあとで』の観劇記録の下書きと投稿を行ったり、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を読み進めたりする。
夕方になって、夕飯用の買い物のため外出する。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、トーマス・ヘンゲルブロック指揮ハンブルクNDR交響楽団の来日コンサートのライヴ録音を聴く。
モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(クリスティアン・テツラフの独奏)、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番からロンド・ガヴォット(テツラフのアンコール)、ブラームスの交響曲第1番、ドヴォルザークのチェコ組曲からフィナーレ(アンコール)などが放送されていた。
非常に聴き応えのある演奏で、ピリオド奏法を援用した速いテンポによるメインのブラームスの交響曲が圧巻だった。
できれば、このコンサートは生で聴きたかったなあ。
続けて、再びシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」と交響曲第5番&序曲集を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『文藝綺譚』を読み進め、読了したりする。
『文藝綺譚』は、大満足の一冊だった。
ああ、面白かった!
続けて、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み始める。
今日は、生クリームどら焼きを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
生クリーム入りの粒あんのどら焼きで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
晴天。
いいお天気、いい青空が続く。
気温は今日も上昇。
今年最高の気温となったよし。
暑い暑い暑い暑い。
俳優の小島秀哉が亡くなった(78歳)。
松竹新喜劇に入団し活躍するも退団、小沢昭一が主宰する芸能座に加わるなどした。
舞台を中心に、映画やテレビドラマにも出演。
映画では岡本喜八監督の『ダイナマイトどんどん』、テレビドラマでは『渡る世間は鬼ばかり』など橋田壽賀子作品が代表作になるか。
なお、小嶋秀哉の松竹新喜劇の退団は、藤山寛美との微妙な関係によるものとされている。
小林信彦の『喜劇人に花束を』<新潮文庫>の藤山寛美の章でもそこら辺りの事情が記されており、中でも1974年頃、藤山寛美と香川登枝緒(もともと『てなもんや三度笠』などで知られた放送作家だが、松竹新喜劇・藤山寛美と近しい関係にもあった)、そして小林信彦が三人で顔を合わせた際、小林さんが「小島秀哉がよくなりましたね」と藤山寛美に言うと、寛美は「よくない! 秀哉はよくない!」と声を荒げたというエピソードは印象的である。
深く、深く、深く、深く黙祷。
伊集院光の深夜の馬鹿力を聴いたりしながら、明け方5時頃まで仕事関係の作業を進める。
朝日新聞朝刊の筒井康隆の連載小説『聖痕』が、どうにも面白い。
9時台に起きて、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>とミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>をともに二度聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』、象牙の空港第2回公演『20のアマルガム』、劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズ『山下君の死んだあとで』の観劇記録の下書きと投稿を行ったり、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を読み進めたりする。
夕方になって、夕飯用の買い物のため外出する。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、トーマス・ヘンゲルブロック指揮ハンブルクNDR交響楽団の来日コンサートのライヴ録音を聴く。
モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(クリスティアン・テツラフの独奏)、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番からロンド・ガヴォット(テツラフのアンコール)、ブラームスの交響曲第1番、ドヴォルザークのチェコ組曲からフィナーレ(アンコール)などが放送されていた。
非常に聴き応えのある演奏で、ピリオド奏法を援用した速いテンポによるメインのブラームスの交響曲が圧巻だった。
できれば、このコンサートは生で聴きたかったなあ。
続けて、再びシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」と交響曲第5番&序曲集を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『文藝綺譚』を読み進め、読了したりする。
『文藝綺譚』は、大満足の一冊だった。
ああ、面白かった!
続けて、木内昇の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>を読み始める。
今日は、生クリームどら焼きを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
生クリーム入りの粒あんのどら焼きで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズ『山下君が死んだあとのこと』
☆劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズ『山下君が死んだあとのこと』
台本・演出:柳沼昭徳
演出補佐:阪本麻紀
(2012年7月16日、アトリエ劇研)
*NPO劇研からの招待
集団・組織には悪意が生まれる。
企業や学校はもちろんのこと、宗教団体にも前衛政党にも。
そして、劇団や演劇ユニットにも。
劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズにとって二年目の公演となる『山下君が死んだあとのこと』は、そうした集団・組織に生まれる悪意が心中「いーっ」となるほど巧く描き込まれた作品だった。
青少年によって結成された社会人サークル「うなみ」が開催したキャンプ中、参加者の一人である山下君が事故死する。
ところが参加者の誰もが、山下君の存在に気づいていなかった…。
と、まさしく柳沼さんらしい設定で、キャンプまでのいきさつやキャンプでの出来事を再現しつつ作品は進んでいくのだが、個々の登場人物のエゴ、弱さが「うなみ」というサークルの中で醸成され噴出していくあり様には、かつて自分自身が経験し体験したあれやこれや(そこには自分が相手を傷つけたことや、自己保身のため相手を裏切ったことも含まれる)を思い出し、なんとも言えない気分に陥ってしまった。
もちろん、今回の『山下君が死んだあとのこと』では、そうした悪意がどこから発せられるものであるかも明示されていたし、それではこれからどうするのか?という疑問もしっかりと呈されていたのだけれど。
で、ここからはあくまでも僕個人の勝手な想像になるが。
実は今回の作品、「うなみ」というサークルは普遍的な社会的集団、社会的組織ばかりでなく、広くは演劇活動そのもの、狭くはハナレズそのものとどこかで大きく重なり合っているような気がして僕には仕方がなかった。
そして、ハナレズの面々が、こうした自己の集団や組織(とそこに加わるメンバーの一員としての自己自身)を検証するような作品に取り組んだことは、今後表現活動を続けていくことにとっても大きな意味があったように強く思った。
(柳沼さんは全く意図していないはずだけれど、澤雅展演じる小スターリニスト的な「うなみ」のリーダー中井健介に、柳沼さんがかつて師事していた劇作家・演出家をふと思い出してしまったことは、ひとまず置くとして)
先述した澤君をはじめ、平野雄一、廣瀬伸輔、山野博生、神達由佳、高木すずな、柳泰葉、間塚愛という演者陣は、柳沼さんの意図によく沿う努力を重ねていたと思う。
(登場人物の設定た内容との兼ね合いもあって、さらにラボ生の素の言葉に近い台詞の文体がとられてもよかったのではないか? 細かいくすぐりを活かすという意味でも)
最後に、1960年代70年代のATGの映画やテレビドラマのような作品の世界観とぴったりな、並木清貴のナレーションが非常に印象に残った。
いや、並木さんのナレーションが作品の重要な部分を物語っていたと評しても過言ではあるまい。
いずれにしても、ハナレズにとって三年目、そして最後となる来年の公演を愉しみにしたい。
台本・演出:柳沼昭徳
演出補佐:阪本麻紀
(2012年7月16日、アトリエ劇研)
*NPO劇研からの招待
集団・組織には悪意が生まれる。
企業や学校はもちろんのこと、宗教団体にも前衛政党にも。
そして、劇団や演劇ユニットにも。
劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズにとって二年目の公演となる『山下君が死んだあとのこと』は、そうした集団・組織に生まれる悪意が心中「いーっ」となるほど巧く描き込まれた作品だった。
青少年によって結成された社会人サークル「うなみ」が開催したキャンプ中、参加者の一人である山下君が事故死する。
ところが参加者の誰もが、山下君の存在に気づいていなかった…。
と、まさしく柳沼さんらしい設定で、キャンプまでのいきさつやキャンプでの出来事を再現しつつ作品は進んでいくのだが、個々の登場人物のエゴ、弱さが「うなみ」というサークルの中で醸成され噴出していくあり様には、かつて自分自身が経験し体験したあれやこれや(そこには自分が相手を傷つけたことや、自己保身のため相手を裏切ったことも含まれる)を思い出し、なんとも言えない気分に陥ってしまった。
もちろん、今回の『山下君が死んだあとのこと』では、そうした悪意がどこから発せられるものであるかも明示されていたし、それではこれからどうするのか?という疑問もしっかりと呈されていたのだけれど。
で、ここからはあくまでも僕個人の勝手な想像になるが。
実は今回の作品、「うなみ」というサークルは普遍的な社会的集団、社会的組織ばかりでなく、広くは演劇活動そのもの、狭くはハナレズそのものとどこかで大きく重なり合っているような気がして僕には仕方がなかった。
そして、ハナレズの面々が、こうした自己の集団や組織(とそこに加わるメンバーの一員としての自己自身)を検証するような作品に取り組んだことは、今後表現活動を続けていくことにとっても大きな意味があったように強く思った。
(柳沼さんは全く意図していないはずだけれど、澤雅展演じる小スターリニスト的な「うなみ」のリーダー中井健介に、柳沼さんがかつて師事していた劇作家・演出家をふと思い出してしまったことは、ひとまず置くとして)
先述した澤君をはじめ、平野雄一、廣瀬伸輔、山野博生、神達由佳、高木すずな、柳泰葉、間塚愛という演者陣は、柳沼さんの意図によく沿う努力を重ねていたと思う。
(登場人物の設定た内容との兼ね合いもあって、さらにラボ生の素の言葉に近い台詞の文体がとられてもよかったのではないか? 細かいくすぐりを活かすという意味でも)
最後に、1960年代70年代のATGの映画やテレビドラマのような作品の世界観とぴったりな、並木清貴のナレーションが非常に印象に残った。
いや、並木さんのナレーションが作品の重要な部分を物語っていたと評しても過言ではあるまい。
いずれにしても、ハナレズにとって三年目、そして最後となる来年の公演を愉しみにしたい。
象牙の空港 第2回公演『20のアマルガム』
☆象牙の空港 第2回公演『20のアマルガム』
作・演出:伊藤元晴
(2012年7月15日、UrBANGUILD)
題材結構展開ともに、伊藤元晴らしい作品だなあ、と彼が主宰する象牙の空港の第2回公演『20のアマルガム』を観ながらつくづく思った。
一人の作家が、自分の国(ニホン)の20年間の歴史をまとめ上げるように依頼され、『20のアマルガム』なる作品を完成させるも、その内容に気に入らぬ観客(自称ファン)と依頼主は、作品そのものに介入し始める…。
というのが、『20のアマルガム』の簡単なあらましだが、伊藤君がこれまで吸収し影響を受けただろう諸々、演劇のみならず小説(例えば、安部公房や村上春樹ら)、映画の様々な要素がまさしくアマルガムの如く取り込まれ組み合わされた作品となっている。
ありがちなエピソードの確信犯的な積み重ねを、この国のクロニクルと重ね合わせていく手法や、距離感を持った自己言及性(伊藤君の場合、8か2分の1ではなく20で、アマルコルドではなくアマルガムだが)にも好感を抱いたが、一方で尺数の不足というか、全体的に物足りなさを感じたことも事実だ。
言い換えるならば、歴史というものを高校までの教科のように単なる出来事の記号的な記憶と信じて疑わぬ人に、「クロノス」の感覚から、近代的な歴史観(マルクスの史的唯物論とか)とその崩壊、さらにはポストモダンからポストポストモダンへの流れを、しかもオーラルヒストリーの問題や史料批判の問題を絡めつつ、詳しい注釈なしに、それでも若干の説明を加えながら一息に説き切ったという感じか。
それならいっそのこと、ちっともわからないなりに圧倒され唖然呆然とさせられるような作品世界を構築するか、逆に、もっとわかりやすい説明を加えて観る側との擦り合わせをはかるか。
そのいずれかの方向を選びとったほうが、よかったのではないかと思わないでもない。
飯坂美鶴妃、福田きみどり、富永琴美、柳沢友里亜、富田正人、坂口弘樹、ジェシカ・エインゲルマンの演者陣は、伊藤君の意図によく沿う努力を重ねていたのではないか。
個人的には、中でも女性陣の個性特性の違いが明確に表われていた点が興味深く、面白かった。
いずれにしても、次回の公演を心待ちにしたい。
作・演出:伊藤元晴
(2012年7月15日、UrBANGUILD)
題材結構展開ともに、伊藤元晴らしい作品だなあ、と彼が主宰する象牙の空港の第2回公演『20のアマルガム』を観ながらつくづく思った。
一人の作家が、自分の国(ニホン)の20年間の歴史をまとめ上げるように依頼され、『20のアマルガム』なる作品を完成させるも、その内容に気に入らぬ観客(自称ファン)と依頼主は、作品そのものに介入し始める…。
というのが、『20のアマルガム』の簡単なあらましだが、伊藤君がこれまで吸収し影響を受けただろう諸々、演劇のみならず小説(例えば、安部公房や村上春樹ら)、映画の様々な要素がまさしくアマルガムの如く取り込まれ組み合わされた作品となっている。
ありがちなエピソードの確信犯的な積み重ねを、この国のクロニクルと重ね合わせていく手法や、距離感を持った自己言及性(伊藤君の場合、8か2分の1ではなく20で、アマルコルドではなくアマルガムだが)にも好感を抱いたが、一方で尺数の不足というか、全体的に物足りなさを感じたことも事実だ。
言い換えるならば、歴史というものを高校までの教科のように単なる出来事の記号的な記憶と信じて疑わぬ人に、「クロノス」の感覚から、近代的な歴史観(マルクスの史的唯物論とか)とその崩壊、さらにはポストモダンからポストポストモダンへの流れを、しかもオーラルヒストリーの問題や史料批判の問題を絡めつつ、詳しい注釈なしに、それでも若干の説明を加えながら一息に説き切ったという感じか。
それならいっそのこと、ちっともわからないなりに圧倒され唖然呆然とさせられるような作品世界を構築するか、逆に、もっとわかりやすい説明を加えて観る側との擦り合わせをはかるか。
そのいずれかの方向を選びとったほうが、よかったのではないかと思わないでもない。
飯坂美鶴妃、福田きみどり、富永琴美、柳沢友里亜、富田正人、坂口弘樹、ジェシカ・エインゲルマンの演者陣は、伊藤君の意図によく沿う努力を重ねていたのではないか。
個人的には、中でも女性陣の個性特性の違いが明確に表われていた点が興味深く、面白かった。
いずれにしても、次回の公演を心待ちにしたい。
劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』
☆劇団姫オペラ座長特別公演『ゴドーを待ちながら』
もしくは、短篇映画『座頭を待ちながら』のメモ
作:サミュエル・ベケット
翻訳:安堂信也、高橋康也
演出:林海象
(2012年7月15日、京都造形芸術大学映画学科Aスタジオ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがマレイ・ペライアの伴奏で歌う、シューベルトの歌曲集『冬の旅』から「菩提樹」。
村外れの街道。
一本の大きな木の傍らに、たっちゃん遠藤太津朗演じる老親分と江幡隆志演じる老子分が立っている。
老親分「いちゃ、まだか」
老子分「えっ、お茶ならさっき飲んだでしょ。またしょんべんが近くなりますぜ」
老親分「馬鹿! お茶じゃねえ、市だ!」
ご維新からはや三年。
老親分と、ただ一人一家に残った老子分は、かわいい子分の敵であるにっくき座頭市を今日も今日とて待っている。
本郷功次郎が街道を通る、藤巻潤も街道を通る。
けれど、市はやって来ない。
と、そんなとき藤村志保演じるお志保さんと、五味龍五味龍太郎演じる従者の月蔵が通りかかる。
で、老親分がすけべ心を思い出したものだから、さあ大変。
怒った月蔵ががばと両腕振り上げた。
そこに重なる大魔神の映像!
畏れ戦く老親分、呆れる老子分、笑うお志保さん。
そんなお志保さんと月蔵が去って行くと、今度はカントリーウエスタン調に身をやつした諸さん諸口あきらがやって来るではないか。
「イエス様が来てくれた」
「眼が不自由な人のようにさまよっていたけれど、今は正しい道に戻れた」
歌うは、『刑事コロンボ』の「白鳥の歌」でもおなじみ「I SAW THE LIGHT」。
そして、陽は暮れて。
はるか向こうに誰かが見える。
あれは市か?
それとも雁龍(雁龍太郎)か? 二代目三波伸介か?
今日も老親分と老子分の一日が終わっていく…。
以上、『座頭を待ちながら』、一巻の終わり。
おっといけない。
林海象演出による劇団姫オペラの座長特別公演『ゴドーを待ちながら』を観たせいで、ついついあらぬ方向へ考えがいってしまった。
(たっちゃん遠藤太津朗さんの死は、返す返すも残念でならない)
これまで長谷川伸の『瞼の母』や森本薫の『花ちりぬ』を上演してきた、京都造形芸術大学映画学科の女優陣によって結成された劇団姫オペラだけれど、今回座長の海象さんが選んだ作品は、なんと不条理劇の十八番ゴド待ち。
当然、主人公の二人(加えてポッツォ)を演じるのは、まだうら若き乙女たち。
いやこれは大変や、ご無理ご無体な、と思わなくもなかったが、一方で、あのゴド待ちを林海象がどう料理するのかと興味津津でもあり、おっとり刀で京都造形芸大の高原校舎へ足を運んだ。
救済への渇望が明確に表わされたり、抒情性に富んでいる反面、スラプスティックさを強調しつつ速いテンポですとんすとんと物語が進められていったこともあって、観る側にとってとても接しやすく、受け止めやすい舞台となっていたのではないか。
ベケットが老いた登場人物たちに仮託したであろう痛切さ切実さ(例えば、「世界の涙の量は一定だ。だれか一人涙を出せばどこかで誰かが泣き止むんだ」という台詞にこめられた)とは別種のものであるかもしれないけれど、劇団姫オペラの若い演者たちがひたむきに必死にテキストと向かい合う姿には、清々しさと初々しさを強く感じるとともに、これから彼女たちが失っていくだろう長い時間を想ってしまったこともあり、強く心を動かされた。
(そして、そのことからも、ふと中原俊監督の『櫻の園』を思い起こした)
役者陣では、ラッキーを演じたVOGAの近藤和見が、やはり何日ものもある演技を披歴していて、流石だなあと感心したが、中里宏美、土居志央梨、仙洞田志織、重森大知という若い面々も、海象さんの演出意図によく従って大健闘大熱演だったと思う。
願わくば、同じアンサンブルでの再演を期待したいところだが、これは諸事情から難しいかな。
と、言うより、僕は40年後の彼女たちが演じる『ゴドーを待ちながら』をぜひ観てみたい。
いや、そのときには、海象さんも、僕も、いや、アンサンブルのうちの誰かもすでにこの世にいないかもしれないが。
まあ、そうしたことと真正面から向き合うことは、『ゴドーを待ちながら』の中に織り込まれていることだろうし、稲垣足穂の原作を映画化した林海象監督の新作『彌勒』ともたぶんつながっていることなのだろうけれど*。
いずれにしても、観ておいて正解の公演だった。
*追記
本当は『ゴドーを待ちながら』と『彌勒』の関係性について、ベケットと稲垣足穂のセクシュアリティなども絡め合わせながらいろいろと考えてみたいのだが、林海象監督の新作『彌勒』を予告篇しか観ることができていないため、ここではやめておく。
それにしても、『座頭を待ちながら』を海象さんに撮ってもらいたかったなあ。
馬鹿言うな、とこっぴどく叱られるか、無視されるかのいずれかだろうが。
もしくは、短篇映画『座頭を待ちながら』のメモ
作:サミュエル・ベケット
翻訳:安堂信也、高橋康也
演出:林海象
(2012年7月15日、京都造形芸術大学映画学科Aスタジオ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがマレイ・ペライアの伴奏で歌う、シューベルトの歌曲集『冬の旅』から「菩提樹」。
村外れの街道。
一本の大きな木の傍らに、たっちゃん遠藤太津朗演じる老親分と江幡隆志演じる老子分が立っている。
老親分「いちゃ、まだか」
老子分「えっ、お茶ならさっき飲んだでしょ。またしょんべんが近くなりますぜ」
老親分「馬鹿! お茶じゃねえ、市だ!」
ご維新からはや三年。
老親分と、ただ一人一家に残った老子分は、かわいい子分の敵であるにっくき座頭市を今日も今日とて待っている。
本郷功次郎が街道を通る、藤巻潤も街道を通る。
けれど、市はやって来ない。
と、そんなとき藤村志保演じるお志保さんと、五味龍五味龍太郎演じる従者の月蔵が通りかかる。
で、老親分がすけべ心を思い出したものだから、さあ大変。
怒った月蔵ががばと両腕振り上げた。
そこに重なる大魔神の映像!
畏れ戦く老親分、呆れる老子分、笑うお志保さん。
そんなお志保さんと月蔵が去って行くと、今度はカントリーウエスタン調に身をやつした諸さん諸口あきらがやって来るではないか。
「イエス様が来てくれた」
「眼が不自由な人のようにさまよっていたけれど、今は正しい道に戻れた」
歌うは、『刑事コロンボ』の「白鳥の歌」でもおなじみ「I SAW THE LIGHT」。
そして、陽は暮れて。
はるか向こうに誰かが見える。
あれは市か?
それとも雁龍(雁龍太郎)か? 二代目三波伸介か?
今日も老親分と老子分の一日が終わっていく…。
以上、『座頭を待ちながら』、一巻の終わり。
おっといけない。
林海象演出による劇団姫オペラの座長特別公演『ゴドーを待ちながら』を観たせいで、ついついあらぬ方向へ考えがいってしまった。
(たっちゃん遠藤太津朗さんの死は、返す返すも残念でならない)
これまで長谷川伸の『瞼の母』や森本薫の『花ちりぬ』を上演してきた、京都造形芸術大学映画学科の女優陣によって結成された劇団姫オペラだけれど、今回座長の海象さんが選んだ作品は、なんと不条理劇の十八番ゴド待ち。
当然、主人公の二人(加えてポッツォ)を演じるのは、まだうら若き乙女たち。
いやこれは大変や、ご無理ご無体な、と思わなくもなかったが、一方で、あのゴド待ちを林海象がどう料理するのかと興味津津でもあり、おっとり刀で京都造形芸大の高原校舎へ足を運んだ。
救済への渇望が明確に表わされたり、抒情性に富んでいる反面、スラプスティックさを強調しつつ速いテンポですとんすとんと物語が進められていったこともあって、観る側にとってとても接しやすく、受け止めやすい舞台となっていたのではないか。
ベケットが老いた登場人物たちに仮託したであろう痛切さ切実さ(例えば、「世界の涙の量は一定だ。だれか一人涙を出せばどこかで誰かが泣き止むんだ」という台詞にこめられた)とは別種のものであるかもしれないけれど、劇団姫オペラの若い演者たちがひたむきに必死にテキストと向かい合う姿には、清々しさと初々しさを強く感じるとともに、これから彼女たちが失っていくだろう長い時間を想ってしまったこともあり、強く心を動かされた。
(そして、そのことからも、ふと中原俊監督の『櫻の園』を思い起こした)
役者陣では、ラッキーを演じたVOGAの近藤和見が、やはり何日ものもある演技を披歴していて、流石だなあと感心したが、中里宏美、土居志央梨、仙洞田志織、重森大知という若い面々も、海象さんの演出意図によく従って大健闘大熱演だったと思う。
願わくば、同じアンサンブルでの再演を期待したいところだが、これは諸事情から難しいかな。
と、言うより、僕は40年後の彼女たちが演じる『ゴドーを待ちながら』をぜひ観てみたい。
いや、そのときには、海象さんも、僕も、いや、アンサンブルのうちの誰かもすでにこの世にいないかもしれないが。
まあ、そうしたことと真正面から向き合うことは、『ゴドーを待ちながら』の中に織り込まれていることだろうし、稲垣足穂の原作を映画化した林海象監督の新作『彌勒』ともたぶんつながっていることなのだろうけれど*。
いずれにしても、観ておいて正解の公演だった。
*追記
本当は『ゴドーを待ちながら』と『彌勒』の関係性について、ベケットと稲垣足穂のセクシュアリティなども絡め合わせながらいろいろと考えてみたいのだが、林海象監督の新作『彌勒』を予告篇しか観ることができていないため、ここではやめておく。
それにしても、『座頭を待ちながら』を海象さんに撮ってもらいたかったなあ。
馬鹿言うな、とこっぴどく叱られるか、無視されるかのいずれかだろうが。
7月15日、16日の日記(深夜のCLACLA)
世は三連休の最終日。
そして、祗園祭宵山の日。
晴天。
いい青空、いいお天気になる。
気温はとても上昇し、暑さが非常に厳しい一日。
汗が出るわ出るわ。
暑い暑い暑い暑い。
映画監督の高林陽一さんが亡くなった(81歳)。
横溝正史・金田一耕介ブームの先鞭をつけた『本陣殺人事件』(金田一耕介を演じたのは、モダンな服装の中尾彬)や、三島由紀夫作品の映画化『金閣寺』、『西陣心中』と、ATGで撮影した作品に関しては、先日読了した葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>にも詳しい。
加えて、『往生安楽国』、『ナオミ』、『ザ・ウーマン』、『蔵の中』、『雪華葬刺し』、『赤いスキャンダル 情事』等を撮影したほか、盟友大林宣彦監督の『金田一耕介の冒険』、『ねらわれた学園』、『時をかける少女』には俳優として出演もした。
そういえば、創作活動再開後の『愛なくして』や『ベンチのある風景』の発表を記念した初期の実験映画の上映会を同志社大学寒梅館まで観に行ったこともあった。
その際のティーチ・インで、学生さんの質問があまりに陳腐なため高林監督が呆れたような不快そうな表情をしていたものだから、ちょうど上映会の直前に観た吉村公三郎監督の『夜の河』とそっくりな構図を持つ『京都』という京都紹介風の作品があったので、「外側の人間が描いたフィクショナルなイメージとしての京都に対して、内側(高林監督は京都市内の出身)の人間による批判的な視点を持ったドキュメンタリーフィルムという意識があったのか?」と尋ねてみたところ、そうした意図はないと断りつつも、おやようやくちょっとはまともな質問だという具合に丁寧にお答えをいただけたことが未だに忘れられない。
実験精神に富んだ、今だからこその新作を観たかった。
深く、深く、深く、深く黙祷。
15日は、お昼過ぎに外出後、京都造形芸術大学の高原校舎で劇団姫オペラの座長特別公演『ゴドーを待ちながら』を観たのち、三条木屋町のUrBANGUILDに移動して象牙の空港の『20のアマルガム』を観る。
両公演に関しては、17日以降に投稿予定の観劇記録をご参照のほど。
ちょうど同じ組み合わせで公演を観た西尾孔志監督をはじめ、象牙の空港の伊藤元晴君、出演者の飯坂美鶴妃さん等、関係各氏と話しをしたり、あいさつをしたりする。
終演後、四条通の祗園あたりで開催されていた祗園天幕映画祭に足を運び、月世界旅行社の面々と話しをしたりあいさつをしたほか、ヨーロッパ企画の本多力君が主人公(の声)を務めたNHKワンセグ2の『タクシードライバー祗園太郎』を愉しむ。
これは、お世辞抜きにおもろかった!
あの肝付兼太の声の出演も嬉しいかぎり。
と、たまたま祗園祭をぶらっとしていた親しい知り合いと遭遇し、結局お店に入って話しをすることに。
ああ、愉しかった!
で、帰宅が1時台となる。
帰宅後、4時半近くまで仕事関係の作業を進める。
朝早めに起きて、仕事関係の作業を進めたり、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を読み進める。
朝日新聞朝刊の筒井康隆の連載小説『聖痕』。
これは、読み逃せない!
正午過ぎに外出し、自転車でアトリエ劇研へ。
劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズの『山下君が死んだあとのこと』を観る。
詳しくは、17日以降に投稿予定の観劇記録をご参照のほど。
出演者の山野博生君をはじめ、開演前終演後、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。
その後、仕事関係の予定をいくつか片づけ、帰宅が23時を過ぎる。
帰宅後、母から電話があり、しばらく話しをする。
多謝。
以上、7月15日、16日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
そして、祗園祭宵山の日。
晴天。
いい青空、いいお天気になる。
気温はとても上昇し、暑さが非常に厳しい一日。
汗が出るわ出るわ。
暑い暑い暑い暑い。
映画監督の高林陽一さんが亡くなった(81歳)。
横溝正史・金田一耕介ブームの先鞭をつけた『本陣殺人事件』(金田一耕介を演じたのは、モダンな服装の中尾彬)や、三島由紀夫作品の映画化『金閣寺』、『西陣心中』と、ATGで撮影した作品に関しては、先日読了した葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>にも詳しい。
加えて、『往生安楽国』、『ナオミ』、『ザ・ウーマン』、『蔵の中』、『雪華葬刺し』、『赤いスキャンダル 情事』等を撮影したほか、盟友大林宣彦監督の『金田一耕介の冒険』、『ねらわれた学園』、『時をかける少女』には俳優として出演もした。
そういえば、創作活動再開後の『愛なくして』や『ベンチのある風景』の発表を記念した初期の実験映画の上映会を同志社大学寒梅館まで観に行ったこともあった。
その際のティーチ・インで、学生さんの質問があまりに陳腐なため高林監督が呆れたような不快そうな表情をしていたものだから、ちょうど上映会の直前に観た吉村公三郎監督の『夜の河』とそっくりな構図を持つ『京都』という京都紹介風の作品があったので、「外側の人間が描いたフィクショナルなイメージとしての京都に対して、内側(高林監督は京都市内の出身)の人間による批判的な視点を持ったドキュメンタリーフィルムという意識があったのか?」と尋ねてみたところ、そうした意図はないと断りつつも、おやようやくちょっとはまともな質問だという具合に丁寧にお答えをいただけたことが未だに忘れられない。
実験精神に富んだ、今だからこその新作を観たかった。
深く、深く、深く、深く黙祷。
15日は、お昼過ぎに外出後、京都造形芸術大学の高原校舎で劇団姫オペラの座長特別公演『ゴドーを待ちながら』を観たのち、三条木屋町のUrBANGUILDに移動して象牙の空港の『20のアマルガム』を観る。
両公演に関しては、17日以降に投稿予定の観劇記録をご参照のほど。
ちょうど同じ組み合わせで公演を観た西尾孔志監督をはじめ、象牙の空港の伊藤元晴君、出演者の飯坂美鶴妃さん等、関係各氏と話しをしたり、あいさつをしたりする。
終演後、四条通の祗園あたりで開催されていた祗園天幕映画祭に足を運び、月世界旅行社の面々と話しをしたりあいさつをしたほか、ヨーロッパ企画の本多力君が主人公(の声)を務めたNHKワンセグ2の『タクシードライバー祗園太郎』を愉しむ。
これは、お世辞抜きにおもろかった!
あの肝付兼太の声の出演も嬉しいかぎり。
と、たまたま祗園祭をぶらっとしていた親しい知り合いと遭遇し、結局お店に入って話しをすることに。
ああ、愉しかった!
で、帰宅が1時台となる。
帰宅後、4時半近くまで仕事関係の作業を進める。
朝早めに起きて、仕事関係の作業を進めたり、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を読み進める。
朝日新聞朝刊の筒井康隆の連載小説『聖痕』。
これは、読み逃せない!
正午過ぎに外出し、自転車でアトリエ劇研へ。
劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズの『山下君が死んだあとのこと』を観る。
詳しくは、17日以降に投稿予定の観劇記録をご参照のほど。
出演者の山野博生君をはじめ、開演前終演後、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。
その後、仕事関係の予定をいくつか片づけ、帰宅が23時を過ぎる。
帰宅後、母から電話があり、しばらく話しをする。
多謝。
以上、7月15日、16日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月15日
行って来ます!(CLACLA日記)
世は三連休の二日目。
そして宵宵山の日。
青空は見えるも、どんよりとした感じも強いお天気。
むしむしむしむしとして、全く快ならず。
昨夜、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』に関する作業を行う。
午前のうちに、毎週恒例の洗濯をすませる。
ああ、すっきりした!
今日は、今から外出し劇団姫オペラと象牙の空港を観る予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
そして宵宵山の日。
青空は見えるも、どんよりとした感じも強いお天気。
むしむしむしむしとして、全く快ならず。
昨夜、3時半過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』に関する作業を行う。
午前のうちに、毎週恒例の洗濯をすませる。
ああ、すっきりした!
今日は、今から外出し劇団姫オペラと象牙の空港を観る予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
2012年07月14日
正直者の会『代理人/代理人』
☆正直者の会『代理人/代理人』
作・演出:田中遊
スタッフ:務川智正
(2012年7月14日、西陣ファクトリーGarden)
C.T.T.での試演も含めて、正直者の会の公演を観るのは、これで何度目になるだろうか。
核となるべき部分、例えば、演者によって発せられる言葉や音の積み重ね(田中さん自身は、これを「戯声」=たわごえと呼んでいる)と身体の動きから観る側に様々なイメージを喚起させるというスタイルは共通しているものの、回を重ねるごとに、あるは練り上げられ、あるは新たな要素へと置き換えられていく。
月曜日まで公演が続いているので、あえて詳しい内容には触れないが、今回の『代理人/代理人』では、これまでの演者が発する言葉や音の掛け合いによる「音楽性」ばかりではなく、さらに踏み込んだ形での試みが仕掛けられていて、田中遊という舞台人の貪欲さに改めて感心してしまった。
むろん、そうした仕掛け、試み、実験がただそれだけのためにあるのではなく、自己存在と記憶といった作品の主題(田中さんの考察)と深く結び付いて、明確に示されていた点も忘れてはなるまい。
と、こう書くと、何か小難しい内容のように思われるし、実際、丁寧かつ知的に構成された作品ゆえ、ただ漫然と接しているだけでは観逃し聴き逃してしまう箇所も少なくないような気もしないではなかったが、個人的には細かいくすぐりともども、大いに愉しむことができた。
田中さん、豊島由香、朝平陽子、古野陽大といういつもの面々にのりすが加わった演者陣も、各々の特性や魅力を存分に発揮していたのではないか。
15日、16日と公演を重ねるごとに、アンサンブルのインティメートさも一層増すと思う。
そうそう、これは正直者の会ではいつも感じることだけれど、ホールは楽器、ならぬ芝居小屋も演者だということ。
西陣ファクトリーGardenの独特の雰囲気が、今回の『代理人/代理人』でもよく活かされていた。
いずれにしても、上質な室内楽作品を聴いているような心持ちになれた作品であり公演で、次回以降も愉しみにしたい。
ああ、面白かった!
作・演出:田中遊
スタッフ:務川智正
(2012年7月14日、西陣ファクトリーGarden)
C.T.T.での試演も含めて、正直者の会の公演を観るのは、これで何度目になるだろうか。
核となるべき部分、例えば、演者によって発せられる言葉や音の積み重ね(田中さん自身は、これを「戯声」=たわごえと呼んでいる)と身体の動きから観る側に様々なイメージを喚起させるというスタイルは共通しているものの、回を重ねるごとに、あるは練り上げられ、あるは新たな要素へと置き換えられていく。
月曜日まで公演が続いているので、あえて詳しい内容には触れないが、今回の『代理人/代理人』では、これまでの演者が発する言葉や音の掛け合いによる「音楽性」ばかりではなく、さらに踏み込んだ形での試みが仕掛けられていて、田中遊という舞台人の貪欲さに改めて感心してしまった。
むろん、そうした仕掛け、試み、実験がただそれだけのためにあるのではなく、自己存在と記憶といった作品の主題(田中さんの考察)と深く結び付いて、明確に示されていた点も忘れてはなるまい。
と、こう書くと、何か小難しい内容のように思われるし、実際、丁寧かつ知的に構成された作品ゆえ、ただ漫然と接しているだけでは観逃し聴き逃してしまう箇所も少なくないような気もしないではなかったが、個人的には細かいくすぐりともども、大いに愉しむことができた。
田中さん、豊島由香、朝平陽子、古野陽大といういつもの面々にのりすが加わった演者陣も、各々の特性や魅力を存分に発揮していたのではないか。
15日、16日と公演を重ねるごとに、アンサンブルのインティメートさも一層増すと思う。
そうそう、これは正直者の会ではいつも感じることだけれど、ホールは楽器、ならぬ芝居小屋も演者だということ。
西陣ファクトリーGardenの独特の雰囲気が、今回の『代理人/代理人』でもよく活かされていた。
いずれにしても、上質な室内楽作品を聴いているような心持ちになれた作品であり公演で、次回以降も愉しみにしたい。
ああ、面白かった!
世は三連休の一日目(CLACLA日記)
世は三連休の一日目。
どんよりとしたお天気が続く。
気温は今日も上昇し、湿度も高く、むしむしじめじめとして全く快ならず。
昨夜、急遽友だちと会うことになり外出。
いろいろと話しをして、帰宅が遅くなる。
その後、4時半過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の作業を行ったりする。
朝早めに起きて、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を二度聴いたり、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の作業を行ったりする。
許光俊の『クラシックがしみる!』<青弓社>を読了する。
ああ、面白かった!
続けて、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を読み始める。
文藝文学を中心に据えた文章だが、「第一夜 パーティー」の冒頭、川村二郎の名が出てきて、ちょっと驚く。
『クラシックがしみる!』の中に、川村二郎の死を悼む一文が収められていたからだ。
仕事関係の予定を片づける。
今日は、今から正直者の会を観に行く予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
どんよりとしたお天気が続く。
気温は今日も上昇し、湿度も高く、むしむしじめじめとして全く快ならず。
昨夜、急遽友だちと会うことになり外出。
いろいろと話しをして、帰宅が遅くなる。
その後、4時半過ぎまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の作業を行ったりする。
朝早めに起きて、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を二度聴いたり、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』の作業を行ったりする。
許光俊の『クラシックがしみる!』<青弓社>を読了する。
ああ、面白かった!
続けて、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を読み始める。
文藝文学を中心に据えた文章だが、「第一夜 パーティー」の冒頭、川村二郎の名が出てきて、ちょっと驚く。
『クラシックがしみる!』の中に、川村二郎の死を悼む一文が収められていたからだ。
仕事関係の予定を片づける。
今日は、今から正直者の会を観に行く予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
2012年07月13日
湿度が高い一日(CLACLA日記)
雨降り。
どんよりとしたお天気が続く。
気温が上昇した上に湿度が高く、むしむしじめじめとして全く快ならず。
昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
真向かいのマンションがまたぞろかまびすしく、かっとなる。
銭ゲバオーナーの罪、あまりにも重しだ。
天罰天誅よ下れ!
(などと、書いてみる。まあ、憎まれっ子なんとかだからなあ)
朝日新聞朝刊で、筒井康隆の『聖痕』の連載が始まった。
読み進めていくのが、実に愉しみである。
(そういえば、昨日連載が終わった奥田英朗の『沈黙の町で』は、大津市の中学校でのいじめ事件とあまりにもつき過ぎた内容だったと思う)
KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたり、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』に関する作業を行ったりする。
畠中恵の『若様組まいる』<講談社>を読了する。
ああ、面白かった!
夕方前に外出し、仕事関係の予定を片づける。
途中、下京図書館に寄って、『若様組まいる』、阿奈井文彦の『名画座時代』<岩波書店>、葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>を返却し、木内登の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>と、予約しておいた許光俊の『クラシックがしみる!』<青弓社>、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を新たに借りたり、小脇に寄って大橋敦史さんにごあいさつしたりする。
帰宅後、シューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」を再び聴きながら、『クラシックがしみる!』を読み始める。
『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>もそうだったけれど、許さんの(特に最近の)文章には、「孤立無援の思想」というか、徒手空拳で抗っている雰囲気を強く感じてしまう。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、コンチェルト・ケルンのコンサートのライヴ録音を聴く。
メゾ・ソプラノのヴィヴィカ・ジェノーを独唱に迎え、ダラバーコやヘンデル、ヴィヴァルディ、ハッセの作品が放送されていた。
ジェノー、コンチェルト・ケルンともに精度が高く、なおかつ活き活きとした演奏で、聴いていてとても愉しかった。
続けて、再びシューベルトの交響曲第5番&序曲集を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』に関する作業を行ったり、『クラシックがしみる!』を読み進めたりする。
今日も、ティラミスビスケット・オリジナルを食す。
昨日の残りなり。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
夜になっても雨が続き、湿度が高い。
うっとうしいなあ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
どんよりとしたお天気が続く。
気温が上昇した上に湿度が高く、むしむしじめじめとして全く快ならず。
昨夜、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
真向かいのマンションがまたぞろかまびすしく、かっとなる。
銭ゲバオーナーの罪、あまりにも重しだ。
天罰天誅よ下れ!
(などと、書いてみる。まあ、憎まれっ子なんとかだからなあ)
朝日新聞朝刊で、筒井康隆の『聖痕』の連載が始まった。
読み進めていくのが、実に愉しみである。
(そういえば、昨日連載が終わった奥田英朗の『沈黙の町で』は、大津市の中学校でのいじめ事件とあまりにもつき過ぎた内容だったと思う)
KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴いたり、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』に関する作業を行ったりする。
畠中恵の『若様組まいる』<講談社>を読了する。
ああ、面白かった!
夕方前に外出し、仕事関係の予定を片づける。
途中、下京図書館に寄って、『若様組まいる』、阿奈井文彦の『名画座時代』<岩波書店>、葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>を返却し、木内登の『笑い三年、泣き三月。』<文藝春秋>と、予約しておいた許光俊の『クラシックがしみる!』<青弓社>、坪内祐三の『文藝綺譚』<扶桑社>を新たに借りたり、小脇に寄って大橋敦史さんにごあいさつしたりする。
帰宅後、シューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」を再び聴きながら、『クラシックがしみる!』を読み始める。
『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>もそうだったけれど、許さんの(特に最近の)文章には、「孤立無援の思想」というか、徒手空拳で抗っている雰囲気を強く感じてしまう。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、コンチェルト・ケルンのコンサートのライヴ録音を聴く。
メゾ・ソプラノのヴィヴィカ・ジェノーを独唱に迎え、ダラバーコやヘンデル、ヴィヴァルディ、ハッセの作品が放送されていた。
ジェノー、コンチェルト・ケルンともに精度が高く、なおかつ活き活きとした演奏で、聴いていてとても愉しかった。
続けて、再びシューベルトの交響曲第5番&序曲集を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』に関する作業を行ったり、『クラシックがしみる!』を読み進めたりする。
今日も、ティラミスビスケット・オリジナルを食す。
昨日の残りなり。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
夜になっても雨が続き、湿度が高い。
うっとうしいなあ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月12日
『遺言 アートシアター新宿文化』と『女優はB型』を読了し、『若様組まいる』を読み始めた(CLACLA日記)
雨降り。
本降り。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高く、むしむしじめじめとして全く快ならず。
膝も腰も痛む。
熊本県や大分県では、豪雨のために死者行方不明者が出ているとのこと。
これ以上大禍ないことを願うばかりだ。
昨夜、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を二度聴いたり、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏した同じくシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
『高森みずきの穏やかな一日』は、ようやく第一稿を完成させることができた。
さあ、これから筆入れだ!
葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>と小林信彦の『女優はB型』<文春文庫>を読了する。
いずれも、ああ、面白かった!
夕方になって、夕飯用の買い物のため外出する。
行きがけ、近くのコンビニで週刊文春の小林信彦の連載エッセイを立ち読みし、帰りがけ、近くのブックファーストでレコード芸術7月号の立ち読みをした。
帰宅後、畠中恵の『若様組まいる』<講談社>を読み始める。
『アイスクリン強し』の前日譚である。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、フライブルク・バロック・オーケストラのコンサートのライヴ録音を聴く。
カウンターテナーのアンドレアス・ショルを独唱に迎えたヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータのほか、ゼレンカやヘンデルの作品などが演奏されていた。
そもそもアルトの声自体あんまり好みではないと言うのに、カウンターテナーなどもってのほかなのだけれど、オーケストラともども演奏は見事だった。
続けて、シューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」、交響曲第5番&序曲集を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『若様組まいる』を読み進めたりする。
『若様組まいる』は、キャラクター設定の妙もあって、実に面白し。
今日は、ティラミスビスケット・オリジナルを食す。
近くのダイソーで購入したもの。
ティラミス風味のビスケットで、見てくれはあまりよろしくないものの、さくさくとした食感もよく、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
民主党を離党した小沢一郎を中心とする新しい政党「国民の生活が第一」が結党されたと報じられている。
いろいろと考えることあり。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
本降り。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高く、むしむしじめじめとして全く快ならず。
膝も腰も痛む。
熊本県や大分県では、豪雨のために死者行方不明者が出ているとのこと。
これ以上大禍ないことを願うばかりだ。
昨夜、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を二度聴いたり、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏した同じくシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
『高森みずきの穏やかな一日』は、ようやく第一稿を完成させることができた。
さあ、これから筆入れだ!
葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>と小林信彦の『女優はB型』<文春文庫>を読了する。
いずれも、ああ、面白かった!
夕方になって、夕飯用の買い物のため外出する。
行きがけ、近くのコンビニで週刊文春の小林信彦の連載エッセイを立ち読みし、帰りがけ、近くのブックファーストでレコード芸術7月号の立ち読みをした。
帰宅後、畠中恵の『若様組まいる』<講談社>を読み始める。
『アイスクリン強し』の前日譚である。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、フライブルク・バロック・オーケストラのコンサートのライヴ録音を聴く。
カウンターテナーのアンドレアス・ショルを独唱に迎えたヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータのほか、ゼレンカやヘンデルの作品などが演奏されていた。
そもそもアルトの声自体あんまり好みではないと言うのに、カウンターテナーなどもってのほかなのだけれど、オーケストラともども演奏は見事だった。
続けて、シューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」、交響曲第5番&序曲集を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『若様組まいる』を読み進めたりする。
『若様組まいる』は、キャラクター設定の妙もあって、実に面白し。
今日は、ティラミスビスケット・オリジナルを食す。
近くのダイソーで購入したもの。
ティラミス風味のビスケットで、見てくれはあまりよろしくないものの、さくさくとした食感もよく、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
民主党を離党した小沢一郎を中心とする新しい政党「国民の生活が第一」が結党されたと報じられている。
いろいろと考えることあり。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
7月11日の日記(深夜のCLACLA)
どんよりとしたお天気の一日。
夜になって、雨降り本降りとなる。
昨日は夕方外出し、京都造形芸術大学の岩佐悠毅君と京都文化博物館でおち合い、フィルムシアターで新藤兼人監督の『原爆の子』を観たのち(詳しくは、前回の記事をご参照のほど)、近くのやよい軒で、現在撮影中で22日の撮影に出演者として参加を予定している作品に関して打ち合わせを行う。
24時過ぎに帰宅後、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>と小林信彦の『女優はB型』<文春文庫>を読み進めたりする。
お昼過ぎに外出し、仕事関係の予定をいくつか片づけたのち、夜遅くなって帰宅した。
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢。
以上、7月11日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
夜になって、雨降り本降りとなる。
昨日は夕方外出し、京都造形芸術大学の岩佐悠毅君と京都文化博物館でおち合い、フィルムシアターで新藤兼人監督の『原爆の子』を観たのち(詳しくは、前回の記事をご参照のほど)、近くのやよい軒で、現在撮影中で22日の撮影に出演者として参加を予定している作品に関して打ち合わせを行う。
24時過ぎに帰宅後、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>と小林信彦の『女優はB型』<文春文庫>を読み進めたりする。
お昼過ぎに外出し、仕事関係の予定をいくつか片づけたのち、夜遅くなって帰宅した。
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢。
以上、7月11日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月11日
原爆の子
☆原爆の子
監督・脚本:新藤兼人
原作:長田新編『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』
(2012年7月10日、京都文化博物館フィルムシアター)
もう一つの被爆地長崎市に生まれ、それも小学校、中学校、高校と爆心地近くの学校に通い続け、しかも中学校の修学旅行では広島市を訪れたこともあって、新藤兼人監督の『原爆の子』は、自分にとって全く驚きの対象などではなく、子供の頃から当為のものとして受け止め受け入れてきたことが語られた作品である。
いや、たとえそれが「ドラマ」を意識した設定、結構であるとしても、伊福部昭の詠嘆調の音楽も含めて、『原爆の子』のウェットな雰囲気には、率直に言って、若干違和感を覚えなくもない。
しかしながら、米軍の占領が終わってまだ間もない時期に、被爆地広島の実態、それも被爆による原爆症の恐怖や被爆者の貧困といった広島が抱えた問題を丁寧に描き込んだ新藤監督の明確で強固な姿勢には、やはり心を強く動かされた。
また、扇の要となる乙羽信子をはじめ、滝沢修、宇野重吉、北林谷栄、奈良岡朋子(まだ若い時分だが、この人は本当に巧い)、清水将夫、細川ちか子、山内明、斎藤美和、下元勉、佐々木すみ江、多々良純(桜隊に参加するも、召集のため広島で被爆することはなかった。新藤監督の『さくら隊散る』にも出演している)といった民芸勢のほか、東野英治郎、殿山泰司、小夜福子、原ひさ子(8月6日が誕生日)、柳谷寛、英百合子(呉出身)、寺島雄作らが出演しているが、新藤監督の意図をよく汲んだ演技を行っていると思う。
それにしても、原爆投下直後の表現を観るに、一瞬のうちに多くの生命が焼き尽くされ奪われた広島の情景をCGではなく実写で撮影したいとの新藤監督の強い想いを、改めて思い起こす。
20億円。
悔しいかぎりだ。
監督・脚本:新藤兼人
原作:長田新編『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』
(2012年7月10日、京都文化博物館フィルムシアター)
もう一つの被爆地長崎市に生まれ、それも小学校、中学校、高校と爆心地近くの学校に通い続け、しかも中学校の修学旅行では広島市を訪れたこともあって、新藤兼人監督の『原爆の子』は、自分にとって全く驚きの対象などではなく、子供の頃から当為のものとして受け止め受け入れてきたことが語られた作品である。
いや、たとえそれが「ドラマ」を意識した設定、結構であるとしても、伊福部昭の詠嘆調の音楽も含めて、『原爆の子』のウェットな雰囲気には、率直に言って、若干違和感を覚えなくもない。
しかしながら、米軍の占領が終わってまだ間もない時期に、被爆地広島の実態、それも被爆による原爆症の恐怖や被爆者の貧困といった広島が抱えた問題を丁寧に描き込んだ新藤監督の明確で強固な姿勢には、やはり心を強く動かされた。
また、扇の要となる乙羽信子をはじめ、滝沢修、宇野重吉、北林谷栄、奈良岡朋子(まだ若い時分だが、この人は本当に巧い)、清水将夫、細川ちか子、山内明、斎藤美和、下元勉、佐々木すみ江、多々良純(桜隊に参加するも、召集のため広島で被爆することはなかった。新藤監督の『さくら隊散る』にも出演している)といった民芸勢のほか、東野英治郎、殿山泰司、小夜福子、原ひさ子(8月6日が誕生日)、柳谷寛、英百合子(呉出身)、寺島雄作らが出演しているが、新藤監督の意図をよく汲んだ演技を行っていると思う。
それにしても、原爆投下直後の表現を観るに、一瞬のうちに多くの生命が焼き尽くされ奪われた広島の情景をCGではなく実写で撮影したいとの新藤監督の強い想いを、改めて思い起こす。
20億円。
悔しいかぎりだ。
2012年07月10日
山田五十鈴と遠藤太津朗が亡くなった(CLACLA日記)
どんよりとした感じはありつつも、一応青空の見えるお天気。
気温は今日も上昇し、暑さが非常に厳しい。
暑い暑い暑い暑い。
ベルさんの愛称で知られた、日本を代表する女優の一人、山田五十鈴が亡くなった(95歳)。
新派の俳優山田九州男の娘として生まれ、映画、テレビドラマ、舞台と幅広く活躍した。
また、私生活でも恋多き人であり、俳優の月田一郎や加藤嘉(独立プロの作品に度々出演したのは、彼の影響だろう)と結婚、早世した瑳峨三智子は月田一郎との娘である。
思いつくだけでも、溝口健二監督との『浪華悲歌』、『祗園の姉妹』、成瀬巳喜男監督との『鶴八鶴次郎』、『流れる』、亀井文夫監督の『女ひとり大地を行く』、五所平之助監督との『たけくらべ』、豊田四郎監督との『猫と庄造と二人のをんな』、千葉泰樹監督との『下町』、そして黒澤明監督との『蜘蛛巣城』、『どん底』、『用心棒』と出演作も多数。
加えて、テレビドラマの必殺シリーズでのおりく役も強く印象に残る。
深く、深く、深く、深く黙祷。
(きっと、山田さんも国民栄誉賞をもらうことはないんだろうな…)
たっちゃんの愛称で知られた、俳優の遠藤太津朗も亡くなった(84歳)。
京都の出身で、舞台での活動ののち、映画(小津安二郎監督との『小早川家の秋』は初期の出演作品だ)、テレビドラマで活躍した。
東映や大映の時代劇、任侠劇、ヤクザ映画、さらにはテレビの時代劇で一癖もふた癖もある悪役を演じ続けたが、その悪党ぶりの中から透けて見える滑稽さ人柄の良さがとても魅力的だった。
『銭形平次』の三輪の万七、『京都殺人案内』での捜査一課長は、そうした遠藤さんの特性がよく表われた役柄だったと思う。
ほかに、『座頭市』シリーズや田中徳三監督との『新・兵隊やくざ』、『仁義なき戦い』シリーズにも出演。
だいぶん前にキタモトマサヤさんに勧められたり、少し前にスペースイサン、壱坪シアター・スワンの松浦武男さんとお話したりして、できれば遠藤さんから昔の京都の演劇活動についてうかがいたいなあとずっと思っていたのだけれど。
またしくじってしまった…。
深く、深く、深く、深く黙祷。
そして、遠藤太津朗さんを老いた親分役、江幡隆志さんを老いた子分役、五味龍五味龍太郎さんを通行人の浪人役に配した、不条理時代劇『座頭を待ちながら』(親分と子分が村外れの一本松のあたりで、毎日毎日座頭市がやって来るのを待つという、時代劇映画の現状を象徴してもいる短篇映画)の撮影も水泡に帰してしまった。
ああ…。
昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、3時過ぎまで仕事関係の作業を進めたりする。
ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』について考えたり、葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>を読み進めたりする。
今日の『とことん全力投球!!妹尾和夫です』は、いつになくヘヴィな内容だった。
(山田五十鈴や遠藤太津朗とのエピソードも語られていたし)
それにしても、『遺言』は面白い。
本当にわくわくするなあ。
今日は、今から京都文化博物館フィルムシアターで、新藤兼人監督の『原爆の子』を観る予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
気温は今日も上昇し、暑さが非常に厳しい。
暑い暑い暑い暑い。
ベルさんの愛称で知られた、日本を代表する女優の一人、山田五十鈴が亡くなった(95歳)。
新派の俳優山田九州男の娘として生まれ、映画、テレビドラマ、舞台と幅広く活躍した。
また、私生活でも恋多き人であり、俳優の月田一郎や加藤嘉(独立プロの作品に度々出演したのは、彼の影響だろう)と結婚、早世した瑳峨三智子は月田一郎との娘である。
思いつくだけでも、溝口健二監督との『浪華悲歌』、『祗園の姉妹』、成瀬巳喜男監督との『鶴八鶴次郎』、『流れる』、亀井文夫監督の『女ひとり大地を行く』、五所平之助監督との『たけくらべ』、豊田四郎監督との『猫と庄造と二人のをんな』、千葉泰樹監督との『下町』、そして黒澤明監督との『蜘蛛巣城』、『どん底』、『用心棒』と出演作も多数。
加えて、テレビドラマの必殺シリーズでのおりく役も強く印象に残る。
深く、深く、深く、深く黙祷。
(きっと、山田さんも国民栄誉賞をもらうことはないんだろうな…)
たっちゃんの愛称で知られた、俳優の遠藤太津朗も亡くなった(84歳)。
京都の出身で、舞台での活動ののち、映画(小津安二郎監督との『小早川家の秋』は初期の出演作品だ)、テレビドラマで活躍した。
東映や大映の時代劇、任侠劇、ヤクザ映画、さらにはテレビの時代劇で一癖もふた癖もある悪役を演じ続けたが、その悪党ぶりの中から透けて見える滑稽さ人柄の良さがとても魅力的だった。
『銭形平次』の三輪の万七、『京都殺人案内』での捜査一課長は、そうした遠藤さんの特性がよく表われた役柄だったと思う。
ほかに、『座頭市』シリーズや田中徳三監督との『新・兵隊やくざ』、『仁義なき戦い』シリーズにも出演。
だいぶん前にキタモトマサヤさんに勧められたり、少し前にスペースイサン、壱坪シアター・スワンの松浦武男さんとお話したりして、できれば遠藤さんから昔の京都の演劇活動についてうかがいたいなあとずっと思っていたのだけれど。
またしくじってしまった…。
深く、深く、深く、深く黙祷。
そして、遠藤太津朗さんを老いた親分役、江幡隆志さんを老いた子分役、五味龍五味龍太郎さんを通行人の浪人役に配した、不条理時代劇『座頭を待ちながら』(親分と子分が村外れの一本松のあたりで、毎日毎日座頭市がやって来るのを待つという、時代劇映画の現状を象徴してもいる短篇映画)の撮影も水泡に帰してしまった。
ああ…。
昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、3時過ぎまで仕事関係の作業を進めたりする。
ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』について考えたり、葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>を読み進めたりする。
今日の『とことん全力投球!!妹尾和夫です』は、いつになくヘヴィな内容だった。
(山田五十鈴や遠藤太津朗とのエピソードも語られていたし)
それにしても、『遺言』は面白い。
本当にわくわくするなあ。
今日は、今から京都文化博物館フィルムシアターで、新藤兼人監督の『原爆の子』を観る予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
2012年07月09日
アーネスト・ボーグナインが亡くなった(CLACLA日記)
どんよりとした感じはありつつも、青空の見える一日。
気温は今日も上昇し、暑さが非常に厳しい。
暑い暑い暑い暑い。
(湿度が低い分、かえって過ごしにくくはなかったものの)
アメリカの俳優、アーネスト・ボーグナインが亡くなった(95歳)。
フレッド・ジンネマン監督の『地上より永遠に』の軍曹や、ロバート・アルドリッチ監督の『北国の帝王』でリー・マーヴィンと死闘を繰り広げる車掌(アルドリッチ監督では、『飛べ!フェニックス』、『特攻大作戦』にも出演)など、重い役回りの悪役で知られた。
ほかに、アカデミー主演男優賞を得たデルバート・マン監督の『マーティー』、サム・ペキンパー監督の『ワイルドパンチ』や『コンボイ』、ロナルド・ニーム監督の『ポセイドン・アドベンチャー』、天下の大失敗作『世界崩壊の序曲』と、少なからぬ作品に出演した。
深く、深く、深く、深く黙祷。
昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を二度聴いたり、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>を読み進める。
実に面白し。
それにしても、葛井さんと村井志摩子が結婚していたとは知らなかった。
夕方になって、夕飯用の買い物のために外出する。
帰宅後、再びシューベルトの交響曲第5番&序曲集を聴きながら、雑件を片づける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、イル・ジャルディーノ・アルモニコのコンサートのライヴ録音を聴く。
メルーラやテレマン、ヴィヴァルディの作品が演奏されていた。
バロックアクロバティックと言うと言い過ぎかもしれないけれど、こういうノリのよい演奏は、できれば生で聴きたいものだと思う。
夕飯後、三度シューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」と交響曲第5番&序曲集を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、『遺言』を読み進めたりする。
『遺言』、本当にわくわくするなあ!
今日は、明治のハイミルクチョコを食す。
先日、卸売ひろばタカギで購入しておいたもの(税込み41円は安い!)。
濃厚な味わいのミルクチョコレートで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温は今日も上昇し、暑さが非常に厳しい。
暑い暑い暑い暑い。
(湿度が低い分、かえって過ごしにくくはなかったものの)
アメリカの俳優、アーネスト・ボーグナインが亡くなった(95歳)。
フレッド・ジンネマン監督の『地上より永遠に』の軍曹や、ロバート・アルドリッチ監督の『北国の帝王』でリー・マーヴィンと死闘を繰り広げる車掌(アルドリッチ監督では、『飛べ!フェニックス』、『特攻大作戦』にも出演)など、重い役回りの悪役で知られた。
ほかに、アカデミー主演男優賞を得たデルバート・マン監督の『マーティー』、サム・ペキンパー監督の『ワイルドパンチ』や『コンボイ』、ロナルド・ニーム監督の『ポセイドン・アドベンチャー』、天下の大失敗作『世界崩壊の序曲』と、少なからぬ作品に出演した。
深く、深く、深く、深く黙祷。
昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を二度聴いたり、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
葛井欣士郎の聞き書き『遺言 アートシアター新宿文化』<河出書房新社>を読み進める。
実に面白し。
それにしても、葛井さんと村井志摩子が結婚していたとは知らなかった。
夕方になって、夕飯用の買い物のために外出する。
帰宅後、再びシューベルトの交響曲第5番&序曲集を聴きながら、雑件を片づける。
途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、イル・ジャルディーノ・アルモニコのコンサートのライヴ録音を聴く。
メルーラやテレマン、ヴィヴァルディの作品が演奏されていた。
バロックアクロバティックと言うと言い過ぎかもしれないけれど、こういうノリのよい演奏は、できれば生で聴きたいものだと思う。
夕飯後、三度シューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」と交響曲第5番&序曲集を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、『遺言』を読み進めたりする。
『遺言』、本当にわくわくするなあ!
今日は、明治のハイミルクチョコを食す。
先日、卸売ひろばタカギで購入しておいたもの(税込み41円は安い!)。
濃厚な味わいのミルクチョコレートで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
努力クラブ4『よく降る』
☆努力クラブ4『よく降る』
脚本・演出:合田団地
(2012年7月8日、人間座スタジオ)
だまって俺について来い!
と、言っても、盟友佐々木峻一や向坂達矢、無農薬亭農薬、眞野ともき、稲森明日香、キタノ万里、宗岡ルリといった演者陣、スタッフ陣にではない。
合田団地がもしその言葉を投げつけるのだとすれば、我々客席の側にいる人間、お客さんたちに向かってだろう。
明日(日付け的には今日)まで公演が続いていることもあって詳しくは省略するが、努力クラブにとって四回目の公演となる『よく降る』は、合田団地の演劇的志向から笑いへの強い欲求、人間観世界観、人柄性格が全面に押し出された作品だったと思う。
へたうまというと語弊があるのかな、表面的には粗くて緩い作品のように見えるかもしれないけれど、なんのなんの、その実相当考え抜かれた、仕込みに仕込まれ、仕掛けに仕掛けられた一筋縄ではいかない内容となっている。
正直、往時の日活ロマンポルノやピンク映画を彷彿とさせる猥雑さよりも、さらにその奥にあるもの、明確な悪意や不信(しかも、ウェットではない分、救いがない)、そしてそれらをひっくるめての確信犯的で、創作活動に対する自負心と表裏一体である傲岸不遜な作劇には、大きく好みが分かれるだろうと思いつつも、個人的には合田君が繰り広げる作品世界、中でも確信犯的な仕込みと仕掛けを愉しんだ。
演者陣も各々のキャラクターによく合っているというか、特性長短の差はありつつも、合田君の意図によく沿っていたように感じた。
特に、無農薬亭農薬の性格表現、佐々木峻一の狂気が印象に残る。
あとは、合田君が自分自身の姿勢を如何に曲げることなく、創作活動を続けられるかということになるだろう。
その意味からも、次回以降の努力クラブの公演、佐々木君との共同作業を今後も注視していきたい。
(合田君や佐々木君は努力クラブの行く末を真摯に考えているようだが、なあに、「そのうちなんとかなるだろう」)
いずれにしても、ああ、面白かった!
脚本・演出:合田団地
(2012年7月8日、人間座スタジオ)
だまって俺について来い!
と、言っても、盟友佐々木峻一や向坂達矢、無農薬亭農薬、眞野ともき、稲森明日香、キタノ万里、宗岡ルリといった演者陣、スタッフ陣にではない。
合田団地がもしその言葉を投げつけるのだとすれば、我々客席の側にいる人間、お客さんたちに向かってだろう。
明日(日付け的には今日)まで公演が続いていることもあって詳しくは省略するが、努力クラブにとって四回目の公演となる『よく降る』は、合田団地の演劇的志向から笑いへの強い欲求、人間観世界観、人柄性格が全面に押し出された作品だったと思う。
へたうまというと語弊があるのかな、表面的には粗くて緩い作品のように見えるかもしれないけれど、なんのなんの、その実相当考え抜かれた、仕込みに仕込まれ、仕掛けに仕掛けられた一筋縄ではいかない内容となっている。
正直、往時の日活ロマンポルノやピンク映画を彷彿とさせる猥雑さよりも、さらにその奥にあるもの、明確な悪意や不信(しかも、ウェットではない分、救いがない)、そしてそれらをひっくるめての確信犯的で、創作活動に対する自負心と表裏一体である傲岸不遜な作劇には、大きく好みが分かれるだろうと思いつつも、個人的には合田君が繰り広げる作品世界、中でも確信犯的な仕込みと仕掛けを愉しんだ。
演者陣も各々のキャラクターによく合っているというか、特性長短の差はありつつも、合田君の意図によく沿っていたように感じた。
特に、無農薬亭農薬の性格表現、佐々木峻一の狂気が印象に残る。
あとは、合田君が自分自身の姿勢を如何に曲げることなく、創作活動を続けられるかということになるだろう。
その意味からも、次回以降の努力クラブの公演、佐々木君との共同作業を今後も注視していきたい。
(合田君や佐々木君は努力クラブの行く末を真摯に考えているようだが、なあに、「そのうちなんとかなるだろう」)
いずれにしても、ああ、面白かった!
2012年07月08日
『名画座時代』を読了し、『遺言』を読み始めた(CLACLA日記)
どんよりとした感じから、徐々に青空へ。
いいお天気だ。
気温も上昇し、暑い一日となる。
暑い暑い。
ただし、湿度が低い分、思ったほどには不快ではないが。
深夜から朝方と、真向かいのマンションがまたぞろかまびすしい。
我慢にもほどがあらあな。
昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を続けて聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』について考えたりする。
阿奈井文彦の『名画座時代』<岩波書店>を読了する。
阿奈井さん自身の遍歴が語られるとともに、戦争の記憶が刻みつけられた一冊でもあった。
そうそう、京一会館(一乗寺にあった名画座。残念ながら、僕が大学に入った1988年の4月に閉館となってしまったため、足を運んだことはない)の章で、京都文化博物館の森脇清隆さんも登場していて、ちょっと嬉しい。
続けて、葛井欣士郎の『遺言』<河出書房新社>を読み始める。
「アートシアター新宿文化」と副題にあるように、映画館に加えてアンダーグラウンドの小劇場として一世を風靡したアートシアター新宿文化の仕掛人(支配人)だった葛井欣士郎の、平沢剛によるインタビュー。
これまた面白し。
今日は、今から人間座スタジオまで努力クラブの公演を観に行く予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
いいお天気だ。
気温も上昇し、暑い一日となる。
暑い暑い。
ただし、湿度が低い分、思ったほどには不快ではないが。
深夜から朝方と、真向かいのマンションがまたぞろかまびすしい。
我慢にもほどがあらあな。
昨夜、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を続けて聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』について考えたりする。
阿奈井文彦の『名画座時代』<岩波書店>を読了する。
阿奈井さん自身の遍歴が語られるとともに、戦争の記憶が刻みつけられた一冊でもあった。
そうそう、京一会館(一乗寺にあった名画座。残念ながら、僕が大学に入った1988年の4月に閉館となってしまったため、足を運んだことはない)の章で、京都文化博物館の森脇清隆さんも登場していて、ちょっと嬉しい。
続けて、葛井欣士郎の『遺言』<河出書房新社>を読み始める。
「アートシアター新宿文化」と副題にあるように、映画館に加えてアンダーグラウンドの小劇場として一世を風靡したアートシアター新宿文化の仕掛人(支配人)だった葛井欣士郎の、平沢剛によるインタビュー。
これまた面白し。
今日は、今から人間座スタジオまで努力クラブの公演を観に行く予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
2012年07月07日
昨夜聴いたラジオ深夜便のことなど(CLACLA日記)
青空は見えつつも、どんよりとした感じの強いお天気。
気温はそれほど上昇しなかったが、湿度が高く、じめじめとしてあまり快ならず。
昨夜、NHK・FMで『ラジオ深夜便』を聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』について考えたりする。
『ラジオ深夜便』では、ワッハ上方の学芸員古川綾子さんが、浪花千栄子とミヤコ蝶々について語っていたが、浪花さんでは彼女の自叙伝『水のように』をひくなど、よく調べたるなあと感心する反面、どこか喰い足りなさも残った。
一つには、かつて同じ関西発『ラジオ深夜便』で、BKにいた棚橋昭夫さんのお話を聴いたことがあるからかもしれない。
棚橋さんの場合は、浪花さんといっしょに仕事をしていた関係もあって、非常に生な感じがして、一層興味深く面白かったのである。
例えば、自らの死を見越した浪花さんが、養女に対して、自分が亡くなったら思い切り頬を叩け、そうすれば頬が赤らんで死に顔が美しく見えると命じ、実際養女も心を鬼にしてそうしたという趣旨のお話は、浪花千栄子という一人の人間(女性)の人柄を象徴しているようなエピソードで、未だに忘れられない。
よい意味でも、古川さんのお話には、「距離」を感じてしまったのだ。
仕事関係の作業を進めたのち、お昼過ぎに外出し、下京図書館へ。
星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を返却し、予約しておいた阿奈井文彦の『名画座時代』<岩波書店>、葛井欣士郎の『遺言』<河出書房新社>、畠中恵の『若様組まいる』<講談社>を新たに借りる。
その後、お米を購入して帰宅した。
帰宅後、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を二度聴いたあと(ほかに、セルジュ・チェリビダッケがシュトゥットガルト放送交響楽団とミュンヘン・フィルを指揮した二種のドビュッシーの交響詩『海』も聴く)、CDレビューをアップする。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
夕方、夕飯用の買い物のため再び外出する。
帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴きながら、『名画座時代』を読み始めたり、雑件を片づけたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ビバ合唱』を聴く。
先日亡くなった畑中良輔さんを偲ぶ特集で、畑中さんが指揮した高田三郎作曲の混成合唱組曲『水のいのち』などが放送されていた。
続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴き、NHK・FMの『名曲のたのしみ』で、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団が演奏したラフマニノフの交響曲第3番を途中から聴く。
仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、『名画座時代』を読み進めたりする。
「消えた映画館を探して」と副題にもあるように、『名画座時代』は、日本国中に存在したいわゆる「名画座」の変遷を追った一冊である。
今日は、ヤマザキの今川焼き風もっちさんど小倉&マーガリンを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
つぶあんとマーガリンをサンドした今川焼仕立てのスポンジケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
今宵は七夕。
なんとか空も澄んできたようだ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温はそれほど上昇しなかったが、湿度が高く、じめじめとしてあまり快ならず。
昨夜、NHK・FMで『ラジオ深夜便』を聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』について考えたりする。
『ラジオ深夜便』では、ワッハ上方の学芸員古川綾子さんが、浪花千栄子とミヤコ蝶々について語っていたが、浪花さんでは彼女の自叙伝『水のように』をひくなど、よく調べたるなあと感心する反面、どこか喰い足りなさも残った。
一つには、かつて同じ関西発『ラジオ深夜便』で、BKにいた棚橋昭夫さんのお話を聴いたことがあるからかもしれない。
棚橋さんの場合は、浪花さんといっしょに仕事をしていた関係もあって、非常に生な感じがして、一層興味深く面白かったのである。
例えば、自らの死を見越した浪花さんが、養女に対して、自分が亡くなったら思い切り頬を叩け、そうすれば頬が赤らんで死に顔が美しく見えると命じ、実際養女も心を鬼にしてそうしたという趣旨のお話は、浪花千栄子という一人の人間(女性)の人柄を象徴しているようなエピソードで、未だに忘れられない。
よい意味でも、古川さんのお話には、「距離」を感じてしまったのだ。
仕事関係の作業を進めたのち、お昼過ぎに外出し、下京図書館へ。
星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を返却し、予約しておいた阿奈井文彦の『名画座時代』<岩波書店>、葛井欣士郎の『遺言』<河出書房新社>、畠中恵の『若様組まいる』<講談社>を新たに借りる。
その後、お米を購入して帰宅した。
帰宅後、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を二度聴いたあと(ほかに、セルジュ・チェリビダッケがシュトゥットガルト放送交響楽団とミュンヘン・フィルを指揮した二種のドビュッシーの交響詩『海』も聴く)、CDレビューをアップする。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
夕方、夕飯用の買い物のため再び外出する。
帰宅後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴きながら、『名画座時代』を読み始めたり、雑件を片づけたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ビバ合唱』を聴く。
先日亡くなった畑中良輔さんを偲ぶ特集で、畑中さんが指揮した高田三郎作曲の混成合唱組曲『水のいのち』などが放送されていた。
続けて、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴き、NHK・FMの『名曲のたのしみ』で、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団が演奏したラフマニノフの交響曲第3番を途中から聴く。
仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、『名画座時代』を読み進めたりする。
「消えた映画館を探して」と副題にもあるように、『名画座時代』は、日本国中に存在したいわゆる「名画座」の変遷を追った一冊である。
今日は、ヤマザキの今川焼き風もっちさんど小倉&マーガリンを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
つぶあんとマーガリンをサンドした今川焼仕立てのスポンジケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
今宵は七夕。
なんとか空も澄んできたようだ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
ガッティ&フランス国立管弦楽団のドビュッシー
☆ドビュッシー:管弦楽曲集
指揮:ダニエレ・ガッティ
管弦楽:フランス国立管弦楽団
<SONY/BMG>88697974002
許光俊が『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>で説く「贅沢」にはほど遠いものの、20代半ばより少し前、1993年の秋口から翌年の晩冬に至る約半年間のケルン・ヨーロッパ滞在は、今さらながら僕にとって「最高に贅沢なクラシック」体験だったとつくづく思う。
例えば、1993年11月5日から7日と、レナード・スラトキン指揮セントルイス交響楽団、ガリ・ベルティーニ指揮ケルンWDR交響楽団、アルミン・ジョルダン指揮スイス・ロマンド管弦楽団のコンサートをケルン・フィルハーモニーで三夜立て続けに聴いたことなど、一つ一つのコンサートの出来はひとまず置くとしても、やはり自分にとってとても贅沢な記憶である。
機能性は優れているものの、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ルドルフ・ブッフビンダーの独奏)にしろ、ストラヴィンスキーの『春の祭典』にしろCD録音以上に陰影の乏しさが気になって、ルロイ・アンダーソンのアンコールだけがやけにしっくりときたセントルイス響のコンサートについてはいずれ記すこともあるかもしれないから詳述しないが、残るWDR響とスイス・ロマンド管の二つは、今もって忘れられない印象に強く残るコンサートとなっている。
一つには、当時の首席指揮者ハンス・フォンクとどちらかといえば緩い演奏を繰り返していたWDR響が、前任のシェフ・ベルティーニの下、非常に統制のとれた音楽を造り出していたことに感心したこともあれば、スイス・ロマンド管はスイス・ロマンド管で、前半のプログラム、バルトークのピアノ協奏曲第3番でのマルタ・アルゲリッチの胸のすくような「共演」に感激したことも大きかったのだけれど。
(マルタ・アルゲリッチは我がままだからなあ、なんて言葉を自称音楽通に吹聴されたこともなくはなかったが、この夜の愉しそうにオーケストラと「共演」している彼女の姿、さらには休憩後客席で愉しそうにオーケストラを聴いている彼女の姿を観れば、そんな言葉がどうにも怪しく思えてしまったものだ。少なくとも、我がままは我がままでも、あの晩の彼女は、『上からマルタ』ならぬ『上からマリコ』的な我がままだったんじゃないだろうか、きっと)
加えて、これは偶然なのかどうなのか、いずれのオーケストラも、ドビュッシーの交響詩『海』とラヴェルの『ラ・ヴァルス』をプログラムに組み込んでいたのだけれど、指揮者の解釈ばかりか、オーケストラの持つ音色の違いをまざまざと知らされる想いがして、あれには本当にびっくりした。
そういえば、あなたWDR響の細かいところまで明快に見通せるようなクリアな演奏に、こなたスイス・ロマンド管のほわんほわんほわんほわんと音がまるっこく包み込むように響く演奏と、同じ作品(ちなみにほぼ同じ座席)でも、こうも違って聴こえるのかと驚いていると、たまたま隣に座っていたフランス人が演奏終了後に、「フランスのオーケストラ以上にフランスっぽいね」と口にしてにやりとしたんだったっけ。
(WDR響の場合、ドビュッシーとラヴェルは前半のプログラムで、メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。『海』は、カプリッチョ・レーベルからCDがリリースされていた)
ダニエレ・ガッティがフランス国立管弦楽団を指揮したドビュッシーの管弦楽曲集(『海』、牧神の午後への前奏曲、管弦楽のための『映像』のカップリング)を聴きながら、ついついそんなことを思い出してしまった。
「フランスのオーケストラ以上にフランスっぽいね」とは、あまりに感覚的で、ある種の偏見が入り混じったと言葉と思えなくもないとはいえ、このCDのドビュッシーを聴くに、確かにそういう風に彼が口にしてみたくなった気持ちも想像できなくはない。
録音のかげんもあってだろうが、ガッティとフランス国立管弦楽団が造り出すドビュッシーは、細部までよく目配りが届いている上に、オペラでならしたガッティらしく歌謡性や劇場感覚にあふれているというか、音楽の肝をよく押さえた非常にメリハリのきいた音楽に仕上がっている。
と、言っても、ベルティーニのように、がっちりきっちりと固めきってしまうのではなく、多少粗さは残っても、音楽の自然な流れ、演奏者の感興というものをより活かしているようにも感じられる。
そうした意味もあって、『海』の終曲や、『映像』など、音のダイナミズムや劇性に富んだ作品が中でも優れた演奏になっているように思った。
いずれにしても、単なる雰囲気としてではなく、一個の音楽作品、オーケストラ作品としてドビュッシーの作品を愉しみたい方には、大いにお薦めしたい一枚だ。
そうそう、ベルティーニ&WDR響、ジョルダン&スイス・ロマンド管の驚きよ再びとばかり、ガッティのCDのあとに、セルジュ・チェリビダッケがシュトゥットガルト放送交響楽団とミュンヘン・フィルを指揮した二種類の『海』の録音<前者ドイツ・グラモフォン/後者EMI>を続けて聴いてみたのだが、これは失敗だった。
なぜなら、演奏の違い、解釈の違いは頭でよく理解できるものの、あの身に沁みるような感覚感慨は、全く得られなかったからである。
まあ、生とCD(音の缶詰)、当たり前っちゃ当たり前のことではあろうが。
それにしても、20代半ば前に、連日連夜、それも生活の一部としてコンサートやオペラに足しげく通ったあの半年間は、僕にとって本当に贅沢な体験経験であり、記憶であるのだが、ことクラシック音楽を生で聴くという意味では、僕の人生のピークだったことも明らかな事実だろう。
それは、とても贅沢で幸福なことではあったけれど、逆にとてつもなく不幸なことであったのかもしれないと、今の僕は思わないでもない。
指揮:ダニエレ・ガッティ
管弦楽:フランス国立管弦楽団
<SONY/BMG>88697974002
許光俊が『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>で説く「贅沢」にはほど遠いものの、20代半ばより少し前、1993年の秋口から翌年の晩冬に至る約半年間のケルン・ヨーロッパ滞在は、今さらながら僕にとって「最高に贅沢なクラシック」体験だったとつくづく思う。
例えば、1993年11月5日から7日と、レナード・スラトキン指揮セントルイス交響楽団、ガリ・ベルティーニ指揮ケルンWDR交響楽団、アルミン・ジョルダン指揮スイス・ロマンド管弦楽団のコンサートをケルン・フィルハーモニーで三夜立て続けに聴いたことなど、一つ一つのコンサートの出来はひとまず置くとしても、やはり自分にとってとても贅沢な記憶である。
機能性は優れているものの、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ルドルフ・ブッフビンダーの独奏)にしろ、ストラヴィンスキーの『春の祭典』にしろCD録音以上に陰影の乏しさが気になって、ルロイ・アンダーソンのアンコールだけがやけにしっくりときたセントルイス響のコンサートについてはいずれ記すこともあるかもしれないから詳述しないが、残るWDR響とスイス・ロマンド管の二つは、今もって忘れられない印象に強く残るコンサートとなっている。
一つには、当時の首席指揮者ハンス・フォンクとどちらかといえば緩い演奏を繰り返していたWDR響が、前任のシェフ・ベルティーニの下、非常に統制のとれた音楽を造り出していたことに感心したこともあれば、スイス・ロマンド管はスイス・ロマンド管で、前半のプログラム、バルトークのピアノ協奏曲第3番でのマルタ・アルゲリッチの胸のすくような「共演」に感激したことも大きかったのだけれど。
(マルタ・アルゲリッチは我がままだからなあ、なんて言葉を自称音楽通に吹聴されたこともなくはなかったが、この夜の愉しそうにオーケストラと「共演」している彼女の姿、さらには休憩後客席で愉しそうにオーケストラを聴いている彼女の姿を観れば、そんな言葉がどうにも怪しく思えてしまったものだ。少なくとも、我がままは我がままでも、あの晩の彼女は、『上からマルタ』ならぬ『上からマリコ』的な我がままだったんじゃないだろうか、きっと)
加えて、これは偶然なのかどうなのか、いずれのオーケストラも、ドビュッシーの交響詩『海』とラヴェルの『ラ・ヴァルス』をプログラムに組み込んでいたのだけれど、指揮者の解釈ばかりか、オーケストラの持つ音色の違いをまざまざと知らされる想いがして、あれには本当にびっくりした。
そういえば、あなたWDR響の細かいところまで明快に見通せるようなクリアな演奏に、こなたスイス・ロマンド管のほわんほわんほわんほわんと音がまるっこく包み込むように響く演奏と、同じ作品(ちなみにほぼ同じ座席)でも、こうも違って聴こえるのかと驚いていると、たまたま隣に座っていたフランス人が演奏終了後に、「フランスのオーケストラ以上にフランスっぽいね」と口にしてにやりとしたんだったっけ。
(WDR響の場合、ドビュッシーとラヴェルは前半のプログラムで、メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。『海』は、カプリッチョ・レーベルからCDがリリースされていた)
ダニエレ・ガッティがフランス国立管弦楽団を指揮したドビュッシーの管弦楽曲集(『海』、牧神の午後への前奏曲、管弦楽のための『映像』のカップリング)を聴きながら、ついついそんなことを思い出してしまった。
「フランスのオーケストラ以上にフランスっぽいね」とは、あまりに感覚的で、ある種の偏見が入り混じったと言葉と思えなくもないとはいえ、このCDのドビュッシーを聴くに、確かにそういう風に彼が口にしてみたくなった気持ちも想像できなくはない。
録音のかげんもあってだろうが、ガッティとフランス国立管弦楽団が造り出すドビュッシーは、細部までよく目配りが届いている上に、オペラでならしたガッティらしく歌謡性や劇場感覚にあふれているというか、音楽の肝をよく押さえた非常にメリハリのきいた音楽に仕上がっている。
と、言っても、ベルティーニのように、がっちりきっちりと固めきってしまうのではなく、多少粗さは残っても、音楽の自然な流れ、演奏者の感興というものをより活かしているようにも感じられる。
そうした意味もあって、『海』の終曲や、『映像』など、音のダイナミズムや劇性に富んだ作品が中でも優れた演奏になっているように思った。
いずれにしても、単なる雰囲気としてではなく、一個の音楽作品、オーケストラ作品としてドビュッシーの作品を愉しみたい方には、大いにお薦めしたい一枚だ。
そうそう、ベルティーニ&WDR響、ジョルダン&スイス・ロマンド管の驚きよ再びとばかり、ガッティのCDのあとに、セルジュ・チェリビダッケがシュトゥットガルト放送交響楽団とミュンヘン・フィルを指揮した二種類の『海』の録音<前者ドイツ・グラモフォン/後者EMI>を続けて聴いてみたのだが、これは失敗だった。
なぜなら、演奏の違い、解釈の違いは頭でよく理解できるものの、あの身に沁みるような感覚感慨は、全く得られなかったからである。
まあ、生とCD(音の缶詰)、当たり前っちゃ当たり前のことではあろうが。
それにしても、20代半ば前に、連日連夜、それも生活の一部としてコンサートやオペラに足しげく通ったあの半年間は、僕にとって本当に贅沢な体験経験であり、記憶であるのだが、ことクラシック音楽を生で聴くという意味では、僕の人生のピークだったことも明らかな事実だろう。
それは、とても贅沢で幸福なことではあったけれど、逆にとてつもなく不幸なことであったのかもしれないと、今の僕は思わないでもない。
2012年07月06日
パーヴォ・ヤルヴィがNHK交響楽団の首席指揮者になるんだって(CLACLA日記)
雨降り。
本降り。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高く、じめじめじめじめとして全く快ならず。
NHK交響楽団の首席指揮者にパーヴォ・ヤルヴィが就任すると報じられている。
すでにパーヴォ・ヤルヴィはN響に客演の経験があるから、それほど驚くニュースではないのだけれど。
ただ、正直パーヴォ・ヤルヴィは仕事のし過ぎなんじゃないか、とはやっぱり思ってしまう。
それと、メジャー・レーベルへのCD録音は計画されるんだろうか。
昨夜外出し、大切な用件をすませ、深夜1時少し前に帰宅する。
とても愉しい時間を過ごすことができた。
その後、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。
雨は気になったが、午前のうちに毎週恒例の洗濯を決行する。
思っていた以上に乾いていたので、ちょっとほっとした。
KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴く。
続けて、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、パリ国立歌劇場(バスティーユ)でのヴェルディの歌劇『運命の力』公演(フィリップ・ジョルダン指揮)のライヴ録音を聴く。
メリハリのよくきいた音楽づくりと、粒ぞろいの歌い手たちで、なかなかの聴きものだったのではないか。
仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を読み進めたりする。
午前中と夕方、二度外出した。
真向かいのマンションがまたぞろかまびすしい。
いらいらする。
夕飯後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
『のりたまと煙突』を読了する。
強く印象に残る一冊となりそうだ。
今日は、ハイミルクチョコレートを食す。
近くのドラッグユタカで、税込み70円だったもの。
たっぷりとした味わいのミルクチョコレートで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
夜になっても、雨が激しく降っている。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
本降り。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高く、じめじめじめじめとして全く快ならず。
NHK交響楽団の首席指揮者にパーヴォ・ヤルヴィが就任すると報じられている。
すでにパーヴォ・ヤルヴィはN響に客演の経験があるから、それほど驚くニュースではないのだけれど。
ただ、正直パーヴォ・ヤルヴィは仕事のし過ぎなんじゃないか、とはやっぱり思ってしまう。
それと、メジャー・レーベルへのCD録音は計画されるんだろうか。
昨夜外出し、大切な用件をすませ、深夜1時少し前に帰宅する。
とても愉しい時間を過ごすことができた。
その後、ナイナイのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
朝早めに起きて、仕事関係の作業を進める。
雨は気になったが、午前のうちに毎週恒例の洗濯を決行する。
思っていた以上に乾いていたので、ちょっとほっとした。
KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』を聴く。
続けて、NHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』で、パリ国立歌劇場(バスティーユ)でのヴェルディの歌劇『運命の力』公演(フィリップ・ジョルダン指揮)のライヴ録音を聴く。
メリハリのよくきいた音楽づくりと、粒ぞろいの歌い手たちで、なかなかの聴きものだったのではないか。
仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を読み進めたりする。
午前中と夕方、二度外出した。
真向かいのマンションがまたぞろかまびすしい。
いらいらする。
夕飯後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
『のりたまと煙突』を読了する。
強く印象に残る一冊となりそうだ。
今日は、ハイミルクチョコレートを食す。
近くのドラッグユタカで、税込み70円だったもの。
たっぷりとした味わいのミルクチョコレートで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
夜になっても、雨が激しく降っている。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月05日
外出前の日記(CLACLA日記)
どんよりとしたお天気の一日。
雨降り。
本降り。
気温はそれほど上昇しなかったものの、湿度が高い分、じめじめじめじめとして快ならず。
昨夜、末長敬司より『トゥー・バレッツ』の件で電話があったが、仕事関係の作業に忙しく、すぐに切らざるをえず。
実は、撮影期間が当初の予定から10、11月に延期となってしまったため、こちら側のスケジュールの問題から『トゥー・バレッツ』を6月半ばの段階で降板させてもらったのだが(10、11月のスケジュールが厳しいということは、出演を引き受ける際に明言していた)、昨夜の電話はその件ではないようだった。
その後、仕事関係の作業を進める。
近所のマンションの作業(まだやっている…。いつになったら終わるのか。先日の『建築家M』を思い出してしまう)がかまびすしい上に、夕方前から今度は真向かいのマンションがかまびすしくなる。
高い敷金礼金をふんだくって騒音を巻き散らかす、まるで東京電力のような真向かいのマンションの銭ゲバオーナーに天誅が下らないものか!
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を続けて聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり(あともう少しで第一稿が出来上がる)、星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を読み進めたりする。
今日は、今から大切な用件があって外出する予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
雨降り。
本降り。
気温はそれほど上昇しなかったものの、湿度が高い分、じめじめじめじめとして快ならず。
昨夜、末長敬司より『トゥー・バレッツ』の件で電話があったが、仕事関係の作業に忙しく、すぐに切らざるをえず。
実は、撮影期間が当初の予定から10、11月に延期となってしまったため、こちら側のスケジュールの問題から『トゥー・バレッツ』を6月半ばの段階で降板させてもらったのだが(10、11月のスケジュールが厳しいということは、出演を引き受ける際に明言していた)、昨夜の電話はその件ではないようだった。
その後、仕事関係の作業を進める。
近所のマンションの作業(まだやっている…。いつになったら終わるのか。先日の『建築家M』を思い出してしまう)がかまびすしい上に、夕方前から今度は真向かいのマンションがかまびすしくなる。
高い敷金礼金をふんだくって騒音を巻き散らかす、まるで東京電力のような真向かいのマンションの銭ゲバオーナーに天誅が下らないものか!
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を続けて聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり(あともう少しで第一稿が出来上がる)、星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を読み進めたりする。
今日は、今から大切な用件があって外出する予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
2012年07月04日
かかりつけの病院で採血を行った(CLACLA日記)
どんよりとした感じの強いお天気。
小雨もぱらつく。
湿度が高く、むしむしじめじめとして快ならず。
昨夜、4時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
朝早めに起きて、かかりつけの病院へ。
血液検査のための採血を行う。
その後、買い物をすませたのち、スギ薬局で薬を受け取ってから帰宅する。
ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
中原昌也の『名もなき孤児たちの墓』<文春文庫>を読了する。
眠気に襲われ、ついついうとうとしてしまう。
16時台に外出し、下京図書館へ。
矢野誠一の『昭和の東京 記憶のかげから』<日本経済新聞出版社>、中川右介の『指揮者マーラー』<河出書房新社>、斎藤治子の『令嬢たちのロシア革命』<岩波書店>、福田ますみの『スターリン 家族の肖像』<文藝春秋>、西村雄一郎の『ぶれない男 熊井啓』<新潮社>(以前読んだことを忘れていたため、確認の拾い読みのみ)を返却し、予約しておいた星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を新たに借りる。
その後、仕事関係の予定を片づけ、ついでに夕飯用の買い物をすませてから、18時過ぎに帰宅した。
帰宅後、再びシューベルトの交響曲第5番&序曲集を聴きながら、雑件を片づける。
夕飯後、シューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」とドビュッシーの管弦楽曲集を続けて聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
『のりたまと煙突』を読み始める。
一見、平明な歳時記風のエッセイだが、その実、確固とした視点(歴史感覚)に貫かれた文章が続く。
対象の切り取り方、見方の鋭さは、著者が写真家ということとも大きく関係しているのではないか。
いずれにしても、しっくりとくる文章だ。
今日は、オイシスの濃厚ダブルシューを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
ホイップ、カスタード、とダブルのクリームが入ったシュークリームで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
小雨もぱらつく。
湿度が高く、むしむしじめじめとして快ならず。
昨夜、4時半過ぎまで仕事関係の作業を進める。
朝早めに起きて、かかりつけの病院へ。
血液検査のための採血を行う。
その後、買い物をすませたのち、スギ薬局で薬を受け取ってから帰宅する。
ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
中原昌也の『名もなき孤児たちの墓』<文春文庫>を読了する。
眠気に襲われ、ついついうとうとしてしまう。
16時台に外出し、下京図書館へ。
矢野誠一の『昭和の東京 記憶のかげから』<日本経済新聞出版社>、中川右介の『指揮者マーラー』<河出書房新社>、斎藤治子の『令嬢たちのロシア革命』<岩波書店>、福田ますみの『スターリン 家族の肖像』<文藝春秋>、西村雄一郎の『ぶれない男 熊井啓』<新潮社>(以前読んだことを忘れていたため、確認の拾い読みのみ)を返却し、予約しておいた星野博美の『のりたまと煙突』<文藝春秋>を新たに借りる。
その後、仕事関係の予定を片づけ、ついでに夕飯用の買い物をすませてから、18時過ぎに帰宅した。
帰宅後、再びシューベルトの交響曲第5番&序曲集を聴きながら、雑件を片づける。
夕飯後、シューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」とドビュッシーの管弦楽曲集を続けて聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
『のりたまと煙突』を読み始める。
一見、平明な歳時記風のエッセイだが、その実、確固とした視点(歴史感覚)に貫かれた文章が続く。
対象の切り取り方、見方の鋭さは、著者が写真家ということとも大きく関係しているのではないか。
いずれにしても、しっくりとくる文章だ。
今日は、オイシスの濃厚ダブルシューを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
ホイップ、カスタード、とダブルのクリームが入ったシュークリームで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月03日
部屋で作業を進めた一日(CLACLA日記)
雨降り。
朝から激しい雨。
その後、夕方になって雨がやみ、徐々に青空が見え始める。
湿度が高く、じめじめむしむしとして全く快ならず。
気温はそれほど上昇していなかったものの。
昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』を聴き、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
中原昌也の『名もなき孤児たちの墓』<文春文庫>を読み始める。
夕方になって、夕飯用の買い物のために外出する。
雨がやんでいたので、自転車を利用することができた。
夕飯後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、交響曲第5番&序曲集を続けて聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、『名もなき孤児たちの墓』を読み進めたりする。
今日は、オイシスの濃い味チーズクリームを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
濃厚な風味のチーズクリームを使ったレアチーズ風の洋菓子で、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
朝から激しい雨。
その後、夕方になって雨がやみ、徐々に青空が見え始める。
湿度が高く、じめじめむしむしとして全く快ならず。
気温はそれほど上昇していなかったものの。
昨夜、ABCラジオで『伊集院光の深夜の馬鹿力』を聴いたりしながら、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』を聴き、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたりする。
中原昌也の『名もなき孤児たちの墓』<文春文庫>を読み始める。
夕方になって、夕飯用の買い物のために外出する。
雨がやんでいたので、自転車を利用することができた。
夕飯後、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、交響曲第5番&序曲集を続けて聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『高森みずきの穏やかな一日』を書き進めたり、『名もなき孤児たちの墓』を読み進めたりする。
今日は、オイシスの濃い味チーズクリームを食す。
千本三条のローソンストア100で、50円びきだったもの。
濃厚な風味のチーズクリームを使ったレアチーズ風の洋菓子で、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2012年07月02日
同志社大学寒梅館まで足を運んだ(CLACLA日記)
晴天。
いい青空、いいお天気になる。
気温も上昇し、暑さが厳しい一日。
暑い暑い暑い暑い。
大飯原子力発電所の3号機が再稼働した翌日に、姫路第2発電所(火力発電所)の4号機が故障して運転を停止したという。
まあ、いくらなんでも「そこまで」はやらないだろう…。
そういえば、昨日から牛肉の生レバーの販売が禁止されたんだった。
僕自身は、生肉、まして生レバーは好んで食べたいものではないけれど。
いろいろと考えることはあるなあ。
例えば、安全安心ってなんなのか?とか。
昨日は、夕方前に外出し、大阪恵美須町へ。
激しい雨だったため、マクドナルドでしばらく時間をつぶし、中古CDショップなどをのぞいてから、インディペンデントシアター2ndで、ピンク地底人 暴虐の第10回公演『明日を落としても』を観る。
詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
終演後、出演者の勝二繁(親しみを込めて敬称略)としばらく話しをしたほか、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。
その後、同じ回をたまたま観に来ていた映画監督の西尾孔志さん(『とまる。』でレビューを書き合った仲だが、親しくお話するようになったのは、実は『とまる。』の体制が変わって、お互いの連載がなくなってしまってからだ)、佐々木峻一君、合田団地君、作道雄君と近くの大阪王将に移動し、あれこれ話しをする。
24時を過ぎての帰宅後、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
真向かいのマンションがまたぞろ朝からかまびすしい。
ええかげんにせんか!!
午前中一度外出し、買い物をすませる。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、許光俊の『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>を読み進めたりする。
夕方になって再び外出し、仕事関係の予定をすませたのち、同志社大学寒梅館へ。
クローバーホールで開催されたSTEP BY 映画24区KYOTO vol.1のうち、シマフィルム代表の志摩敏樹さんと映画24区代表三谷一夫さんの対談(田中誠一さんの司会)を聴かせてもらう。
少し発言を行ったほか、関係各氏と話しをしたりする。
田中さんにあいさつののち同志社大学をあとにし、別の仕事関係の予定をすませる。
帰宅後、ドビュッシー、ジンマンのシューベルトを続けて聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
『最高に贅沢なクラシック』を読了する。
ああ、面白かった!
(って、こういう書き方はあんまり合ってないような気もするが…)
今日は、バターテイスト・チョコバタークッキーを食す。
堀川今出川のローソンストア100で購入したもの。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
いい青空、いいお天気になる。
気温も上昇し、暑さが厳しい一日。
暑い暑い暑い暑い。
大飯原子力発電所の3号機が再稼働した翌日に、姫路第2発電所(火力発電所)の4号機が故障して運転を停止したという。
まあ、いくらなんでも「そこまで」はやらないだろう…。
そういえば、昨日から牛肉の生レバーの販売が禁止されたんだった。
僕自身は、生肉、まして生レバーは好んで食べたいものではないけれど。
いろいろと考えることはあるなあ。
例えば、安全安心ってなんなのか?とか。
昨日は、夕方前に外出し、大阪恵美須町へ。
激しい雨だったため、マクドナルドでしばらく時間をつぶし、中古CDショップなどをのぞいてから、インディペンデントシアター2ndで、ピンク地底人 暴虐の第10回公演『明日を落としても』を観る。
詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
終演後、出演者の勝二繁(親しみを込めて敬称略)としばらく話しをしたほか、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。
その後、同じ回をたまたま観に来ていた映画監督の西尾孔志さん(『とまる。』でレビューを書き合った仲だが、親しくお話するようになったのは、実は『とまる。』の体制が変わって、お互いの連載がなくなってしまってからだ)、佐々木峻一君、合田団地君、作道雄君と近くの大阪王将に移動し、あれこれ話しをする。
24時を過ぎての帰宅後、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。
真向かいのマンションがまたぞろ朝からかまびすしい。
ええかげんにせんか!!
午前中一度外出し、買い物をすませる。
デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第3番&第4番「悲劇的」<RCA SONY/BMG>、ミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏した同じくシューベルトの交響曲第5番&序曲集<SONY/DHM>、ダニエレ・ガッティ指揮フランス国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<SONY/BMG>を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、許光俊の『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>を読み進めたりする。
夕方になって再び外出し、仕事関係の予定をすませたのち、同志社大学寒梅館へ。
クローバーホールで開催されたSTEP BY 映画24区KYOTO vol.1のうち、シマフィルム代表の志摩敏樹さんと映画24区代表三谷一夫さんの対談(田中誠一さんの司会)を聴かせてもらう。
少し発言を行ったほか、関係各氏と話しをしたりする。
田中さんにあいさつののち同志社大学をあとにし、別の仕事関係の予定をすませる。
帰宅後、ドビュッシー、ジンマンのシューベルトを続けて聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
『最高に贅沢なクラシック』を読了する。
ああ、面白かった!
(って、こういう書き方はあんまり合ってないような気もするが…)
今日は、バターテイスト・チョコバタークッキーを食す。
堀川今出川のローソンストア100で購入したもの。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
ピンク地底人 暴虐の第10回公演『明日を落としても』
☆ピンク地底人 暴虐の第10回公演『明日を落としても』
作・演出:ピンク地底人3号
(2012年7月1日、インディペンデントシアター2nd)
ドイツの啓蒙主義者レッシングの戯曲『賢者ナータン』を中心に、宗教的精神の展開について林達夫がものした『三つの指環の話』をだしにして、芸術芸能における「本物」と「いか物」「偽物」についてあれこれ書いてみようかと思ってのだけれど、やめたやめた。
それこそ「本物」ぶりたい「いか物」「偽物」のやることだ。
つまるところ、ピンク地底人の第10回目の本公演にあたる『明日を落としても』を観て思ったことは、ずっと前から感じていた通り、ピンク地底人3号=林君はやっぱり「本物」だということ。
そして、そうだからこそ、林君はもっとずっと自分が「本物」であるということを「フラット」に信じるべきだということだ。
これから東京での公演があることだし、これだけ書いておけば、わかる人にはきっとわかってもらえるはずだけど、それではあまりにも不親切だと思うので、感想のほうを少し。
実は、C.T.T.での試演をのぞけば、2008年の第4回公演『サイケデリック妊婦症』以来というから、約4年ぶりになるピンク地底人の『明日を落としても』は、林君のこの間の演劇的研鑚(作家としても演出家としても)が如実に示されていたものとなっていたと思う。
と、言うのも、彼が接してきたと思しき様々な演劇的手法が咀嚼され、単に技術のひけらかしとしてではなく、語りたいひとっこと(それが言い過ぎならば、林君の表現行為の芯となる大きなモティーフと呼び換えてもいい)を補強し補完する肉となり支柱となっていたからである。
加えて、エロス・タナトス・クロノスの三つの要素が、メタシアター的な結構の中にはめ込まれていた点も、僕には興味深く面白かった。
正直、林君の意図は十二分に汲み取りつつも、同じシークエンスの変容(あえて反復とは呼ばない)には、どうしても集中が途切れる、意識が「現実」に戻される瞬間が何度かあったし、一つの流れから次の流れに移る際、個人的にはあえて終盤の趣向を伏線の意味も含めて利用してもよいのではないかと思ったりもしたが、全体的な作品世界、加えてシアターピース的な造形には感心し、好感を覚えた。
(先述した林君が語りたいだろうひとっことには、相容れないものがありながら)
ピンク地底人2号をはじめ、演者陣は林君の意図によく沿った演技を行っていたのではないか。
東京公演に向けて、さらにアンサンブルの精度を高めて行ってもらえればと思う。
あと、一見無機的なようでありながら、その実作品の核となる部分によく合っていた、さかいまおの舞台美術も強く印象に残った。
いずれにしても、東京公演の成功盛況を心より祈願するとともに、次回以降の公演も愉しみにしたい。
ああ、面白かった!
作・演出:ピンク地底人3号
(2012年7月1日、インディペンデントシアター2nd)
ドイツの啓蒙主義者レッシングの戯曲『賢者ナータン』を中心に、宗教的精神の展開について林達夫がものした『三つの指環の話』をだしにして、芸術芸能における「本物」と「いか物」「偽物」についてあれこれ書いてみようかと思ってのだけれど、やめたやめた。
それこそ「本物」ぶりたい「いか物」「偽物」のやることだ。
つまるところ、ピンク地底人の第10回目の本公演にあたる『明日を落としても』を観て思ったことは、ずっと前から感じていた通り、ピンク地底人3号=林君はやっぱり「本物」だということ。
そして、そうだからこそ、林君はもっとずっと自分が「本物」であるということを「フラット」に信じるべきだということだ。
これから東京での公演があることだし、これだけ書いておけば、わかる人にはきっとわかってもらえるはずだけど、それではあまりにも不親切だと思うので、感想のほうを少し。
実は、C.T.T.での試演をのぞけば、2008年の第4回公演『サイケデリック妊婦症』以来というから、約4年ぶりになるピンク地底人の『明日を落としても』は、林君のこの間の演劇的研鑚(作家としても演出家としても)が如実に示されていたものとなっていたと思う。
と、言うのも、彼が接してきたと思しき様々な演劇的手法が咀嚼され、単に技術のひけらかしとしてではなく、語りたいひとっこと(それが言い過ぎならば、林君の表現行為の芯となる大きなモティーフと呼び換えてもいい)を補強し補完する肉となり支柱となっていたからである。
加えて、エロス・タナトス・クロノスの三つの要素が、メタシアター的な結構の中にはめ込まれていた点も、僕には興味深く面白かった。
正直、林君の意図は十二分に汲み取りつつも、同じシークエンスの変容(あえて反復とは呼ばない)には、どうしても集中が途切れる、意識が「現実」に戻される瞬間が何度かあったし、一つの流れから次の流れに移る際、個人的にはあえて終盤の趣向を伏線の意味も含めて利用してもよいのではないかと思ったりもしたが、全体的な作品世界、加えてシアターピース的な造形には感心し、好感を覚えた。
(先述した林君が語りたいだろうひとっことには、相容れないものがありながら)
ピンク地底人2号をはじめ、演者陣は林君の意図によく沿った演技を行っていたのではないか。
東京公演に向けて、さらにアンサンブルの精度を高めて行ってもらえればと思う。
あと、一見無機的なようでありながら、その実作品の核となる部分によく合っていた、さかいまおの舞台美術も強く印象に残った。
いずれにしても、東京公演の成功盛況を心より祈願するとともに、次回以降の公演も愉しみにしたい。
ああ、面白かった!
2012年07月01日
今日から7月(CLACLA日記)
今日から7月。
2012年も、残すところ半分を切ってしまった。
与えられた人生は一回きり。
一日一日を本当に大切にしていかなければ。
そして、死を忘れないこと。
雨降り。
本降り。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高く、じめじめじめじめとして全く快ならず。
昨夜、京都芸術センターで京都舞台芸術協会プロデュース2012『建築家M』(田辺剛さん作、筒井加寿子さん/柏木俊彦さん演出)を観る。
詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
終演後、柏木さんと少し長めにお話をしたほか、開演前休憩中終演後に関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。
帰宅後、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
途中ラジオ深夜便を聴いていたら、おなじみいっこく堂がゲストだった。
ラジオで腹話術というのも若干シュールではあるが、そこはいっこく堂、よしとするか。
それより、劇団民芸出身ということで、ちょこっと宇野重吉先生の真似をやっていたのだけれど、これがそっくり。
これを聴けただけでも大収穫だった。
またぞろ真向かいのマンションがかまびすしい。
うっとうしいわ!!
NHK・FMの『トーキング・ウィズ松尾堂』や『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
許光俊の『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>を読み始める。
昨日、大垣書店四条店で購入したものなり。
実に面白し。
関西電力の大飯原子力発電所の再稼働(予定)が近づいている。
いろいろと考えることあり。
今日は、今から大阪までピンク地底人の公演を観に行く予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
2012年も、残すところ半分を切ってしまった。
与えられた人生は一回きり。
一日一日を本当に大切にしていかなければ。
そして、死を忘れないこと。
雨降り。
本降り。
どんよりとしたお天気の一日。
湿度が高く、じめじめじめじめとして全く快ならず。
昨夜、京都芸術センターで京都舞台芸術協会プロデュース2012『建築家M』(田辺剛さん作、筒井加寿子さん/柏木俊彦さん演出)を観る。
詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
終演後、柏木さんと少し長めにお話をしたほか、開演前休憩中終演後に関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。
帰宅後、4時近くまで仕事関係の作業を進める。
途中ラジオ深夜便を聴いていたら、おなじみいっこく堂がゲストだった。
ラジオで腹話術というのも若干シュールではあるが、そこはいっこく堂、よしとするか。
それより、劇団民芸出身ということで、ちょこっと宇野重吉先生の真似をやっていたのだけれど、これがそっくり。
これを聴けただけでも大収穫だった。
またぞろ真向かいのマンションがかまびすしい。
うっとうしいわ!!
NHK・FMの『トーキング・ウィズ松尾堂』や『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
許光俊の『最高に贅沢なクラシック』<講談社現代新書>を読み始める。
昨日、大垣書店四条店で購入したものなり。
実に面白し。
関西電力の大飯原子力発電所の再稼働(予定)が近づいている。
いろいろと考えることあり。
今日は、今から大阪までピンク地底人の公演を観に行く予定なり。
それじゃあ、行って来ます!
京都舞台芸術協会プロデュース2012『建築家M』
☆京都舞台芸術協会プロデュース2012『建築家M』
作:田辺剛
演出:筒井加寿子、演出助手:岩田由紀
演出:柏木俊彦
(2012年6月30日、京都芸術センター・フリースペース)
一粒で二度美味しいだなんてべたなことを言いたくなってしまうのが、京都舞台芸術協会プロデュース2012の『建築家M』。
田辺剛書き下ろしの新作戯曲を筒井加寿子と柏木俊彦の二人が演出し分ける(厳密に言えば同じヴァージョンのテキストではないが、そのテキストの選択からしてすでに演出だとも思う)というのだから、これはもう非常に贅沢で興味深い企画である。
と、言うことで、公演二日目、土曜の夜の回を観ることにした。
まず前半筒井加寿子チーム。
当然筒井さんは意図なんかしていないだろうけど、一言で言うと、シャブロル・タッチ、もしくはルネ・クレマン・タッチ(これは、クールキャッツ高杉の風貌がなんとなくチャールズ・ブロンソンに似ていて、しかもその声質もどことなく大塚周夫っぽかったってことが大きいんだけど)。
水沼健が演出したルドルフの『授業』(イヨネスコ作)にも通底するものがあるが、田辺さんのテキストを、寓話性=社会性よりもミステリアスな作品の流れ、スリリングさに重きを置きつつ、スタイリッシュかつカリカチュア的に描き上げようとしたとでも評することができるだろうか。
筒井さんの意図や狙いはよく伝わっていたが、個人的にはさらに派目を外すというか、田辺さんのテキストを徹底的に叩きのめしてもよかったのではないかと思う。
そうすれば、細部に残る粗さや田辺さんのテキストと筒井さんの世界観の齟齬を、さらなる起爆剤に換えることができるように感じたからだ。
渡辺綾子、新田あけみ、クールキャッツ高杉ら演者陣は、筒井さんの演出によく沿う努力を重ねていたと思う。
中でも、建築家という人間の弱さいやたらしさをよく再現した駒田大輔、トリックスター的役回りを存分に演じ切った藤原大介が印象に残った。
一方、後半柏木俊彦チームは、筒井さんのチームを観ていることもあってだけれど、田辺さんのテキストに盛り込まれた様々なもの(作中の何が何につながるかということやカフカのみならずチェーホフからの影響、田辺剛の表現者としての志向や急所等々)が手に取るようにわかる、観ながらおおと感心し、ううんと考えさせられ、やややと驚き、ぐぐっと心惹きつけられる、細やかで面白く、なおかつ批評性に富んだ舞台に仕上がっていた。
(と、言っても全てが具体的具象的に描かれていたというわけではない。そこらあたりも柏木さんの演出の肝になるのではないか)
ライヴ特有の傷はありつつも、今井美佐穂、高杉征司、鈴木正悟、崎田ゆかり、NIWAの演者陣も、自然な緩急とテンポ感を持ったアンサンブルを創り出していたと思う。
いずれにしても、演出というものの意味を再認識するという意味でも観ておいて大正解の公演だった。
ああ、面白かった!
作:田辺剛
演出:筒井加寿子、演出助手:岩田由紀
演出:柏木俊彦
(2012年6月30日、京都芸術センター・フリースペース)
一粒で二度美味しいだなんてべたなことを言いたくなってしまうのが、京都舞台芸術協会プロデュース2012の『建築家M』。
田辺剛書き下ろしの新作戯曲を筒井加寿子と柏木俊彦の二人が演出し分ける(厳密に言えば同じヴァージョンのテキストではないが、そのテキストの選択からしてすでに演出だとも思う)というのだから、これはもう非常に贅沢で興味深い企画である。
と、言うことで、公演二日目、土曜の夜の回を観ることにした。
まず前半筒井加寿子チーム。
当然筒井さんは意図なんかしていないだろうけど、一言で言うと、シャブロル・タッチ、もしくはルネ・クレマン・タッチ(これは、クールキャッツ高杉の風貌がなんとなくチャールズ・ブロンソンに似ていて、しかもその声質もどことなく大塚周夫っぽかったってことが大きいんだけど)。
水沼健が演出したルドルフの『授業』(イヨネスコ作)にも通底するものがあるが、田辺さんのテキストを、寓話性=社会性よりもミステリアスな作品の流れ、スリリングさに重きを置きつつ、スタイリッシュかつカリカチュア的に描き上げようとしたとでも評することができるだろうか。
筒井さんの意図や狙いはよく伝わっていたが、個人的にはさらに派目を外すというか、田辺さんのテキストを徹底的に叩きのめしてもよかったのではないかと思う。
そうすれば、細部に残る粗さや田辺さんのテキストと筒井さんの世界観の齟齬を、さらなる起爆剤に換えることができるように感じたからだ。
渡辺綾子、新田あけみ、クールキャッツ高杉ら演者陣は、筒井さんの演出によく沿う努力を重ねていたと思う。
中でも、建築家という人間の弱さいやたらしさをよく再現した駒田大輔、トリックスター的役回りを存分に演じ切った藤原大介が印象に残った。
一方、後半柏木俊彦チームは、筒井さんのチームを観ていることもあってだけれど、田辺さんのテキストに盛り込まれた様々なもの(作中の何が何につながるかということやカフカのみならずチェーホフからの影響、田辺剛の表現者としての志向や急所等々)が手に取るようにわかる、観ながらおおと感心し、ううんと考えさせられ、やややと驚き、ぐぐっと心惹きつけられる、細やかで面白く、なおかつ批評性に富んだ舞台に仕上がっていた。
(と、言っても全てが具体的具象的に描かれていたというわけではない。そこらあたりも柏木さんの演出の肝になるのではないか)
ライヴ特有の傷はありつつも、今井美佐穂、高杉征司、鈴木正悟、崎田ゆかり、NIWAの演者陣も、自然な緩急とテンポ感を持ったアンサンブルを創り出していたと思う。
いずれにしても、演出というものの意味を再認識するという意味でも観ておいて大正解の公演だった。
ああ、面白かった!