2011年12月24日

クリスマス・イヴ!(CLACLA日記)

 クリスマス・イヴ!


 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強し。
 時折、小雨もぱらついたりする。

 気温は全く上昇せず、寒さが非常に厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪や肺炎、インフルエンザにお気をつけくださいね。


 仕事関係の作業を進めたり、毛利眞人の『貴志康一 永遠の青年音楽家』<国書刊行会>を読み進めたりする。


 お昼過ぎに外出し、仕事関係の予定をすませる。

 ついでに下京図書館へ寄り、津野海太郎の『滑稽な巨人』<平凡社>と『おかしな時代』<本の雑誌社>を返却し、予約しておいた諸永裕司の『葬られた夏』<朝日新聞社>、石井美樹子の『マリー・アントワネットの宮廷画家』<河出書房新社>、松下裕の『チェーホフの光と影』<筑摩書房>、中島京子の『小さいおうち』<文藝春秋>、小川洋子の『ミーナの後進』<中央公論新社>、堀江敏幸の『書かれる手』<平凡社>を新たに借りる。


 帰宅後、ハウスムジークが演奏したケルビーニの弦楽4重奏曲第3番&第4番<CPO>を2回聴き、CDレビューをアップする。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 続けて、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団他が演奏したベートーヴェンの交響曲第9番「合唱つき」<Arte Nova>、アレクサンダー・リープライヒ指揮ミュンヘン室内管弦楽団が演奏したロッシーニの序曲集<SONY>を聴く。


 仕事関係の作業を進めたり、『貴志康一 永遠の青年音楽家』を読み進めたりする。


 明日がいい日でありますように!
 そして、いいクリスマス・イヴでありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ケルビーニの弦楽4重奏曲第3番&第4番

☆ケルビーニ:弦楽4重奏曲第3番&第4番

 ハウスムジーク
(1998年7月/デジタル・セッション録音)


 アンソニー・アーブラスターの『ビバ リベルタ!』<法政大学出版局>を読んでいると、フランス革命やベートーヴェンの『フィデリオ』との関係から、ケルビーニの『二日間』といった脱出劇(オペラ)について詳しく触れられていて、なるほどと思った。
 ドイツ・オーストリア圏の、それも特定の作曲家ばかりが尊重されてきた日本ではなおのこと、イタリア生まれでフランスで活躍した(それもオペラで有名な)ケルビーニの作品に接する機会は未だに多くないが、それこそあのベートーヴェンがケルビーニの音楽を高く評価していたということは、やはり留意しておく必要があるのではないか。

 で、そんなケルビーニが遺した弦楽4重奏曲6曲のうち、第3番と第4番の2曲が収められたCDを聴いてみた。
 82年という当時としては非常に長い人生のうち、その後半生にケルビーニは弦楽4重奏曲を作曲したというが、第3番、第4番ともに、確かに長年の作曲経験が活かされた、よく練れて、しかも肩肘張らない余裕のある作風だと思う。
 加えて、音楽のドラマティックな表情やアリアのような歌謡的な旋律(一例を挙げれば第4番の終楽章など)からは、ケルビーニの劇場感覚の豊かさを思い知らされる。

 ヴァイオリンのモニカ・ハジェット、パヴロ・ベズノシウク、ヴィオラのロジャー・チェイス、チェロのリチャード・レスターと、イギリスの腕扱きピリオド楽器奏者が寄り集まったハウスムジークは、録音場所のデッドな音響もあって若干塩辛い音質が気になるものの、基本的にはバランスがよくとれて、なおかつ劇性にも富んだアンサンブルを披歴していると思う。
 看板にとらわれず、なんでも聴いてみたい、と思う音楽好きにはなべてお薦めしたい一枚だ。
posted by figarok492na at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月面クロワッサンVol.3『望遠鏡ブルース〜秋・冬篇〜』

☆月面クロワッサンVol.3『望遠鏡ブルース〜秋・冬篇〜』

 脚本・演出:作道雄
 音楽:高瀬壮麻
(2011年12月23日、アトリエ劇研)


 11月の春・夏篇を観て、さてこの連作を作道君はどう締めくくるのだろう、あの手を使うか、この手を使うか。
 いくつか自分なりの解答を予想して迎えた月面クロワッサンのVol.3『望遠鏡ブルース 〜秋・冬篇〜』だったが、ラストの冬篇を観ながら、そんな自分の予想などどうでもいいやと思うようになっていた。
 いや、本当のところを言うと、冬篇の展開は僕が予想した解答のうちに含まれるものではあったし、そう持ってこられると、ほかの春夏秋のあれやこれやの穴も巧く説明できるようになってしまうんだよな、とちょっぴり感じたことも事実なのだが。
 でも、僕はこういうリリカルな作品にめっぽう弱くって、七難八難思いっきり目をつぶってしまう。
 高瀬壮麻の音楽も、この冬篇に特にぴったりだったのではないか。
(もしかして、この冬篇のアイデアがいっとう先にあったんじゃないのと、終演後作道君に尋ねたら、やっぱりそうだった)

 こう書くと、客席がわきにわいた秋篇はどうなのかと聴かれそうだが、もちろん作道君の笑いに関する計算の高さ仕掛けの巧さは認めるし、丸山交通公園ほか演者陣も大健闘していたのだけれど、三谷幸喜ばりのシットコムを狙うのであれば、あともう少しだけ展開の綿密さというか細やかさがあればと、僕は思ったりもした。

 で、ここからはあくまでも僕の勝手な物言いなのだが。
 京都学生演劇祭の第0回公演から、この秋・冬篇と4回の月面クロワッサンの公演を観て、作道君の本質は、冬篇のような抒情的で、それでいてウェットに過ぎない散文的な世界にこそ十二分に発揮されるのではないかと僕は感じた。
 確かに、上述した如く、作道君は笑いの骨法をよく心得ているし、また自身、そのことに自信や自負を抱いているだろうことも想像に難くはない。
 けれども、それが高じると、技のための技、手のための手(しかも、ベトナムからの笑い声のような笑いのための笑いとはならない)の部分が必要以上に目立ってしまうおそれもなくはない。
 実際、『バイバイセブンワンダー』や今回の『望遠鏡ブルース』には、過度に笑いを組み込もうとして無理が生じているように感じられた部分が少なからずあった。
(喩えるならばそれは、キャンドルライトこそもっとも相応しい内装であるはずの室内を、蛍光灯で煌々と明るくしているような感じというか。いっそ三島由紀夫のようにシャンデリアで輝かせるという手もあるが、それは作道君の好みとはずれているだろう)
 単に対お客さんという理由からだけではなく、(村上春樹がそうであるように)作道君がかつて大切な誰かを失って、そのことを表現するためのバランスから笑いを重視しているというのであれば話しはまた別だが、もしそうでないのなら、過度な笑いの技・仕掛けはあえて封印してみせてもいいのではないだろうか。
 封印してもなお、笑いの要素に満ちた作品が完成したのであれば、それこそ作道君が本当に創り上げたい劇世界だということになるはずだし。

 演者陣は、演者ごとの特性技術の長短はありつつも、秋冬篇ともども登場人物のキャラクターによく則した演技を心がけていたと思う。
 また、受付等、表方のスタッフワークもきっちりとしていて、好感が持てた。

 二ヶ月連続公演を通して、作道君をはじめ月面クロワッサンの面々が得たもの、学んだことは少なくないのではないか。
 来年6月予定の次回公演を心待ちにしたい。
posted by figarok492na at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする