2011年11月21日

演劇関係の勉強会に参加した(CLACLA日記)

 晴天。

 気温がさらに下がり、厳しい寒さを感じる一日となる。
 皆さん、くれぐれも風邪や肺炎にはお気をつけくださいね。


 仕事関係や企画関係の作業を進めたり、リハビリのためのトレーニングをこなしたりする。


 坪内祐三の『一九七二』<文藝春秋>を読み進める。
 連合赤軍に関する記述考察が、他のエピソードを絡め合わせながら続いている。
 連合赤軍をはじめ、かつての学生運動に関しては、改めて調べ直し考え直したい問題である。


 デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第7(8)番「未完成」他<RCA>を2回聴き、チェンバロのトン・コープマンが演奏したヨハン・セバスティアン・バッハのフランス組曲集<ERATO>、ピアノのエマニュエル・アックス他が演奏したベートーヴェン&シューマンのピアノ4重奏曲<SONY>を聴く。


 18時過ぎに外出し、大垣書店四条店で『ぶらあぼ』12月号を入手し、仕事関係の用件を片づけ、ブックオフでまたまた中古CDを1枚購入(50円の割引レシートを使ったので、450円なり)してから、東山いきいき市民活動センターへ。
 演劇関係の勉強会に参加する。

 終了後、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりしたのち、バスを利用し、22時台に帰宅した。


 遅めの夕飯後、早速購入したばかりのハウスムジーク(イギリスのピリオド楽器アンサンブル)が演奏したケルビーニの弦楽4重奏曲第3番&第4番<CPO>を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『一九七二』を読み進めたりする。

 続けて、ジンマン指揮によるシューベルトを聴く。


 今日は、キタガワのシナモンオールドファッションを食す。
 実家から送ってきた荷物に入っていたものの残りなり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

てんこもり堂 第4回本公演『壊れた風景』

☆てんこもり堂 第4回本公演『壊れた風景』

 原作:別役実
 演出:藤本隆志
(2011年11月20日、アトリエ劇研)


 先日、如月小春の『俳優の領分』<新宿書房>を読み終えた。
 『俳優の領分』は、昭和の新劇を代表する名優中村伸郎の演劇人生について、彼へのインタビューを通しつつ、岸田國士や小津安二郎、三島由紀夫、イヨネスコ、そして別役実との関係を中心に読み解いたものだ。
 如月さんの考察ともども、非常に刺激的で、学ぶところ大な一冊だったが、その中に中村さんが男1を演じた別役実の『壊れた風景』のエピソードが詳しく語られていた。
 別役実の一見わかりやすそうで、その実とらえどころのない台詞に、中村伸郎や岸田今日子が苦心惨憺したというのがそれである。
 その後、中村さんが如何にして別役実の劇世界を自らのものとし、逆に中村さんの存在が如何にして別役実に大きな影響を与えたかが述べられていくのだけれど、以前そのテキストに目を通し、さらに何度か音読を試した人間としては、『壊れた風景』と対峙して苦しむ中村さんや岸田さんの姿を想像することは、全く難いことではなかった。
 そう、『壊れた風景』に限らず、別役実が紡ぐ台詞=言葉は、表面的断片的には少しも難しいものではない。
 けれど、それが登場人物間の会話の中で積み重ねられたとき、なんともつかみどころのない、曰く言い難いものへと姿を変える。
 いや、実はそうしたつかみどころなく曰く言い難いもの中から、これまたなんとも曰く言い難いおかかなしさや痛切さ、そして今現在に対する強い問題意識や危機感が表われてもくるのだろうが。
 そして、当然の如く、『壊れた風景』にもまた別役実の様々な想いや問題意識、危機感が強く秘められている。
 例えばそれは、壊れた蓄音機に、壊れた眼鏡に、意味を為さない地図に。

 ただ、そうした諸々を承知の上で藤本隆志は、より線がはっきりとして明確明瞭な形で『壊れた風景』を再現していたように思う。
 それは、喜劇的な要素、喜劇的な作品の動きを強く押し出した演出と言い換えることもできるだろう。
 そして、たぶん中村伸郎や岸田今日子が苦労したであろう、もんやりもちゃっとした、交わるようで交わらない、いーっとなるような会話の連続ののちに、どんと笑いを仕掛けるという狙いは、巧く効果を発揮していたのではないだろうか。
 別役作品の持つシニカルさ、薄気味の悪いおかしさには欠けるものの、たまたまそこに寄り集まった人々がいつの間にか他人の食べ物に手を出してわいわい和している姿の滑稽さには、やはり大いに面白さを感じずにはいられなかった。
 また、本来救いのない形ですとんと終わるべき作品に、登場人物たちが親しく交わり続けるという幻想的なシーンをあえて付け加えるなど、今回の演出が笑いとともに祈りや願いをこめたものであったことも指摘しておかなければなるまい。
(それは、今はたぶん夢や幻であることも暗に示されている。その意味でも、シューベルトの歌曲の使用は効果的だ)
 個人的には、藤本さんの意図に充分納得がいき、好感を抱いたが、テキストの中に、そうした解釈を拒む要素(毒のようなもの)がどうしても見え隠れしていたことも否めない。
 こうした部分をどう処理していくか、より強い表現で抑え込んでいくのか、それとも自らの世界観に一層噛み合う作品を選択するのか。
 今回の公演で、藤本さんの演出の方向性がはっきりと示され、なおかつ実際の舞台上で効果を発揮した分、それが今後の大きな課題になるのではないかと、僕は考える。

 難しいテキストに対し、演者陣は演出の意図によく沿って大健闘していたのではないか。
 各々の特性や魅力も巧く表わされていたように感じた。
 公演回数があと少しあれば、さらに肌理の細かいアンサンブルができたはずで、その点が非常に残念でならない。

 いずれにしても、次回のてんこもり堂がどのような作品を上演してくれるのか。
 今から心待ちにしたい。
posted by figarok492na at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

てんこもり堂の公演を観て、帰宅が遅くなった(深夜のCLACLA)

 晴天。
 と、思っていたらどんよりとした感じもけっこうしてきて、夜には小雨もぱらついたりする。
 毎週恒例の洗濯を決行したというのに…。
 やれやれ。

 気温がぐっと下がり、寒さを厳しく感じた一日。
 特に、夕方以降はめっきり冷え込んだ。
 皆さん、くれぐれも風邪や肺炎にはお気をつけくださいね。


 昨夜、関川夏央の『豪雨の前兆』<文藝春秋>を読了する。


 仕事関係や企画関係の作業を進めたり、坪内祐三の『一九七二』<文藝春秋>を読み始めたりする。
 『一九七二』は、坪内祐三が「はじめのおわり」であるとともに「おわりのはじまり」であると考える1972年について、自らのセンサーに反応した出来事を中心に詳述していく一冊だ。
 その中で、警視庁に摘発された『面白半分』誌の「四畳半襖の下張」(永井荷風の作とされている)に関して、
>(前略)半ばあきらめているところへ、佐藤氏が、「四畳半襖の下張」の原文があるけれど、これはどうかというから、渡りに船で、掲載を決めたのだ<
という当時『面白半分』編集長の野坂昭如の文章が引用されているが、この佐藤氏とは、今日の朝日新聞朝刊に訃報が掲載された、『面白半分』を発行した佐藤嘉尚のことだろう(68歳)。
 あまりの偶然のことに、ちょっと驚く。
 深く、深く、深く黙祷。
(なお、『面白半分』は、吉行淳之介や野坂昭如、開高健、井上ひさし、遠藤周作、筒井康隆らが編集長を務めた月刊誌で、個人的には、筒井康隆の『腹立半分日記』の連載が強く印象に残る)


 デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第7(8)番「未完成」他<RCA>を聴く。


 15時過ぎに外出し、地下鉄で松ヶ崎まで出、アトリエ劇研でてんこもり堂第4回本公演『壊れた風景』(別役実原作、藤本隆志さん演出)を観る。
 詳しくは、次回の観劇記録をご参照のほど。

 客入れの音楽が、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』のハイライトで、しかもたまたまそれが高校時代から愛聴しているカール・ベーム指揮による演奏でにんまりしてしまう。
(序曲で「おや」と感じ、開幕の二重唱のヘルマン・プライとエディト・マティスの声でやっぱりと思ったのだ)

 開演前終演後、関係各氏や同じ回を観に来ていた朝平陽子さん、福田英城君、山野博生君らと話しをする。

 その後、打ち上げにも参加し、24時過ぎに帰宅した。


 以上、11月20日の日記。


 帰宅後、ジンマンのシューベルト、カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団他が演奏したモーツァルトの『フィガロの結婚』の第1幕<ドイツ・グラモフォン>を聴きながら、仕事関係の作業を進める。
(ベームの『フィガロ』は、一部だけならばすでに1000回以上聴いていると思う)


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする