2011年10月23日

デ『ルーペ/私の小さな……』を観た(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強し。

 気温はそれなりに上昇し、外出時は少し汗ばんだほど。
 まあ、暑くて暑くてたまらないということではなかったが。


 明け方5時過ぎまで、仕事関係の作業や依頼された文章の執筆を進める。


 それでも朝早めに起きて、毎週恒例の洗濯をすませる。


 10時半に外出し、仕事関係の用件を片づける。

 ついでに下京図書館へ行き、林光さんの『ひとりのゴーシュとして』<一ツ橋書房>、小林信彦の『昭和の東京、平成の東京』<筑摩書房>、村松友視の『百合子さんは何色』<同>、秦郁彦の『漱石文学のモデルたち』<講談社>、池井優の『藤山一郎とその時代』<新潮社>を返却し、予約しておいた藤森節子の『女優原泉子』<同>、村松友視の『鎌倉のおばさん』<同>と『清水みなとの名物は』<白水社>、小林信彦の『流される』<文藝春秋>を新たに借りる。


 帰宅後、早速『流される』を読み始める。
 小林信彦の諸作品に親しく接している方にはすでにおなじみかもしれない、彼の母方の祖父高宮信三との関係を通して自らの来し方を描いた<自伝的長篇>である。
 なお、『流される』という作品名は、幸田文の原作を成瀬巳喜男が映画化した『流れる』(日本映画史を飾る大女優たちの競演も観物)によるものだろう。
 また、『楡家の人びと』をはじめとした北杜夫の一連の自伝的作品にも影響を受けているのではないか。


 仕事関係の作業や依頼された文章の執筆を進めたのち、夕方になって再び外出する。

 河原町で仕事関係の予定を片づけてから、東山三条のアートスペース、カオスの間に行って、デの『ルーペ/私のための小さな……』(市川タロ君構成・演出、崎田ゆかりさん、山分将司君出演)を観る。
(ツイッター情報で、ちょっとわかりにくい場所と知っていたのだが、フライヤーの地図を見間違えて、だいぶん迷ってしまった。しかも、カオスの間の前を何度も歩いているのだから度し難い)

 サティの「家具の音楽」ならぬ、「家具の演技」のようなものを想像していたのだが、オルタナ・アート・セレクションの『どこか、いつか、だれか』と通底したテキストを、二人の演者が変化を加えながら反復するという、演劇的な趣向の強い構成となっていた。
 で、本来ならばさらに詳しく観劇記録を記すべきところなのだけれど、後半アナーキー(精神的に)なご老人が入場し、展示物の双眼鏡をわざとらしくのぞいてみたり、芸術に関する自説をけっこう大きな声で語ったり(内容そのものは拝聴すべき点もあるのだが…)と、まるでガキ使、絶対に笑ってはいけないカオスの間状態になってしまい、笑いをこらえて椅子に座ったらそれが回転する上に動くやつで転げて右の首筋をひどく捻ったり(わざとじゃない)、さらには極度の呼吸困難に陥ったりで、それらしい偉そうなことを記すのは申し訳ないかぎり。
 あえてCLACLA日記内に留めておく。

 終了後、市川君や山分君をはじめ、関係各氏と話しをする。

 その後、仕事関係の用件を片づけ、夕飯をすませて、22時少し前に帰宅した。


 帰宅後、ソプラノのパトリシア・プティボンがジョセプ・ポンス指揮スペイン国立管弦楽団の伴奏で歌ったスペインのアリア&歌曲集『メランコリア』<ドイツ・グラモフォン>を聴きながら、仕事関係の作業を進める。


 今日は、塩豆よもぎ餅を食す。
 実家から送ってもらったもので、まだ残っていたのだ。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする